ファッション誌をひもとく 富川淳子 2022.2.3.
2022.2.3. ファッション誌をひもとく
Unediting the Culture of Japanese Fashion
Magazine
著者 富川淳子 1953年生まれ。上智大法卒、法政大大学院経営学研究科修士課程修了。大卒後、健康雑誌編集部勤務、フリーライターを経て、マガジンハウス入社。『BRUTUS』副編集長や、『Hanako』、『an・an』の編集長歴任後退社。その後、ぴあ、エスクァイアマガジン・ジャパンにて勤務し、計6誌の編集長を務める。2010年より、跡見学園女子大文学部現代文化表現学科教授
発行日 2015.9.25. 初版1刷発行
発行所 北樹出版
「交遊抄」で味のある文章を読んだことから興味
はじめに
メディアに関する研究は多いが、雑誌、特に女性ファッション誌に対する研究は十分ではないのが現状。その理由は、
① ファッション誌の歴史が短い――1970年『anan』によりファッション誌というジャンルが確立
② ファッションには、「表面的」「うわべ」など軽薄なイメージがつきまとう
服装とそのイメージに関する有用な研究を進めようとすれば、女性ファッション誌が提供する貴重な資料を省くことはできないし、先行研究や調査データも少ない近年の流行現象や現代カルチャーについて研究する場合もファッション誌の記事や写真は調査資料として重要な役割を果たす。”時代を映し出す鏡”という雑誌が持つ資料としての価値は大きい
研究に当たって知っておくべき雑誌の仕組みや現代ファッション誌の編集手法、コンテンツについて説明された資料は少なく、雑誌編集の視座や作り手からの視点を取り入れたファッション誌や女性誌の特性をコンパクトにまとめたテキストがない
女性ファッション誌に軸足を置き、その紙面内容と構成の基本的な特性を理解してもらうことを目的とする
第1章
日本の女性誌の誕生に見る「雑誌は時代の鏡」
本書の目的は、現代女性ファッション誌の特性について説明すること
現在の日本の雑誌の特徴(浜崎)
① 週刊・月刊など定期的に刊行、持続性のある出版物
② 定価が明示された商品性のある営利刊行物
③ 綴じてある冊子スタイル
④ 全国で値段が一律、同時発売
⑤ TVや新聞などのマス・メディアと比べると編集方針及び読者ターゲットの設定が明確
⑥ 内容やターゲットは時代や環境によって変化する
本書で雑誌と表記する場合は、①定期刊行、②小冊子の紙媒体、を意味する
1. 雑誌が存在するための条件
その条件とは、文化技術の発達と社会的環境の整備・安定
出版文化の発展には、教育制度の整備が欠かせない
最初の定期刊行物は、『Journal des Savants』(1665、仏)や『The
Philosophical Transaction』 (英)だが、一般大衆を対象としたものでは、『The
Gentleman’s Magazine』(1731、英)。日本では『西洋雑誌』(1867,柳川春三)
2. 日本初の女性誌の読者は男性が多数
初の女性誌は、『女學新誌』(1884、近藤賢三、巌本善治)
発行の目的は、「女學思想を世に広めるための啓蒙」であり、「雑誌の真の使命は、その時代の精神を証言することである」(ヴァルター・ベンヤミン)の言葉通り、当時の社会意識を反映する”鏡”であることの証明
² 雑誌の寿命から見る時代の動き
明治初頭の20年で422誌創刊、うち56%の238誌が1年以内に廃刊
学制発布、就学率上昇が近代的経営の出版社の誕生を促し、教科書販売で得た資金が雑誌の寿命を延ばすことに貢献していく
第2章
ファッション誌の歴史
パリで洋服の作り手クチュリエ(裁縫師)から流行の形成に力を発揮するオートクチュールのデザイナーという存在に完全に移行し、パリの各サロンが同じ時期にコレクションを実施するようになったのは第1次大戦後の1920年代であり、この時期アメリカではファッションをより魅力的に見せるため、ファッション誌『Vogue』(1909~)、『Harper’s BAZZAR』(1867~、1913年高級誌志向にリニューアル)によるセンスの競い合いが始まり、20世紀のヴィジュアルアートの1分野を形成するという成果を生み出す
1. ファッション誌とは
定義は曖昧。社会意識を反映する道具である以上、時代によって変わる
日本のファッション誌の創刊と言われる『anan』は、既製服を購入する女性をターゲットにしたので裁縫用の型紙がついていなかったし、現在は女性週刊誌として、ファッションを特集することは少ない
一貫しているのは、「ヴィジュアルによるファッション情報を紹介することを中心にしている雑誌」
「ファッション」と「モード」の使い分けも曖昧――「ファッション」の方が大きな括り
ファッションがストリート系なのに対し、モード系は「パリをはじめとするデザイナー・コレクションなどで見られるトレンドを特徴としたもの」と定義している
ストリート系ファッションとは、「街に集まる若者たちの中から自然発生的に生み出されるファッション」
2. 世界初のファッション誌はパリで誕生
『Journal des dames』(1759~78)、『Cabinet
des modes』(1785~86)が始まり
部数が伸びるのは1830年以降
1830年には『Journal des Tailleurs』が誕生。視覚的に流行情報を伝えるファッション・プレートに加え、縮尺付きの型紙を添付
アメリカでは、1867年創刊の『Harper’s BAZZAR』が最古の歴史を誇示
3. 日本のファッション誌の歴史
1936年、文化服装学院が服飾研究誌『装苑』創刊――洋服を作り、着こなしを啓蒙
4. 既製服時代の到来と初のファッション誌
日本のアパレル産業は、1960年代に産業としての基盤を形成し、70年代前半までに大量生産、大量販売体制が確立し、全国市場が成立、衣服既成化が出来上がる
それに伴い、洋服の作り方に関する情報が全く掲載されていない雑誌『anan』が1970年平凡出版(後のマガジンハウス)から創刊。フランスの女性週刊誌『ELLE』と提携し、雑誌のサイズや写真の質やモデル、誌面デザインなどすべて外国雑誌のような印象
5. 雑誌専属モデルは日本独自のスタイル
特定のモデルと雑誌のアイデンティティを結び付けたのは日本独特の手法
² ファッション写真の誕生と進歩
『Harper’s BAZZAR』が初めて上流階級の女性の白黒写真を掲載したのが1888年、『Vogue』は1909年の創刊から写真を掲載。何れもパリのファッションを伝える手法としてヴィジュアルが求められた――当初はモデルのポーズや構図を深く追求しない「おしゃれスナップ」が中心だったが、次第にアートディレクターや編集者などが関与したコラボ写真になっていく
² 20世紀のアート史を語るファッション画
ファッション写真以前の1930年代までは、ファッション・プレートと呼ばれるファッション画が使われた――1906年、コルセットのない服を発表して一世を風靡したポール・ポワレがファッション画によってヴィジュアルを提供
第3章
雑誌のターゲットとコンセプト
メディアの中でも雑誌はターゲットを絞り、狙った層に情報を届けることを得意とする媒体であり、マス・メディアに対してターゲット・メディアと呼ばれる
1. 商品の個性となるターゲットとコンセプト
コンセプトとは商品の個性や特徴となるもので、ターゲットとはその商品を求め、購入する層を指す
2. 雑誌はターゲット・メディアの代表格
ターゲットメディアで最も秀でているのが雑誌
3. 狙うターゲットを誌名につけた『主婦の友』
意識的にターゲットにしている女性像を明確に打ち出した初めての雑誌は1917年創刊の『主婦之友』――記事は小学校卒業程度でもわかる文章にし、漢字には読み仮名をつけ、さらに他の競合雑誌より価格を若干低めに設定
4. ファッションのテイストがターゲットとコンセプトを伝える
ファッション誌は同じ雑誌の中でも定めるターゲットとコンセプトが細分化されているという特徴がある――読者の好みの多様化に対応して同種の雑誌が増えたための現象
ターゲットメディアは、成長しようとする個人のためのメディア
5. コンセプトと雑誌のイメージ
コンセプトは編集方針と同じであり、ブランドアイデンティティともいえる
他の雑誌との差別化が重要な条件
² データに見るファッション誌のターゲット
雑誌の内容や読者層に関する様々なデータがその細分化に対応していないのが現実
² 編集者にとっての読者ターゲット像
出版社の広告部が配布する自社の雑誌の特徴の説明は、広告主に向けて作成されるため、読者ターゲットは必ずしも他誌との違いが明確にわかる表現になっていない
ターゲットのプロトタイプを明確にして編集を行う
第4章
雑誌と広告
アプローチ力の強いターゲットメディアの代表格である雑誌の特徴は、広告の分野でもほかのメディアにはない力を発揮する――雑誌と広告の関係は深い
1. 純広(じゅんこう)とタイアップ広告
広告の制作者には2種類――①広告主(「純広」と呼ばれる)、②編集タイアップ広告
読者の広告への接触レベルでは大きな差がないが、「購入・利用意向」(レスポンス率)ではタイアップ広告の方が高い
2. 雑誌にとっての広告
雑誌にとって広告が持つ機能;
① 販売収入と並ぶ財源――雑誌出版社の利益は定価の60~70%だが、これでは赤字
② 各種の商品やサービスに関する生活情報を提供する形で、雑誌という商品の機能の一部を構成
③ 雑誌のグレードを決めたり、読者層を明確にしたり、雑誌のページにリズムを作ったりする効果を持つ
発行部数が増えれば自然に広告もついてくるというのが出版原理主義だが、『anan』以降は広告主導型で、広告主側が商品のターゲットに合った雑誌を選ぶ
3. 広告なしではできない雑誌作りの問題点
2014年の雑誌の広告収入は、10年前に比べて4割減となり、広告獲得を目的にした誌面作りをする雑誌が目立ち、タイアップ(広告)ページは編集ページと区別をつけるという広告掲載基準は空文化
4. 特殊面広告の”特殊”
裏表紙(表4)や表紙の裏(表表紙の裏は表2、裏表紙の裏は表3、それぞれに対となる見開きがある)、中ページ(センター見開き)、目次の対のページ、は特殊面で広告料金が高い
出版社と広告主は、特殊ページを巡って深い繋がりができる
広告費節減の煽りで、特殊面の占有権を巡る不文律は消えつつあり、代わりに新製品発売キャンペーンに合わせて広告を出す「時期優先型」のプラニングに移行する傾向が目立つ
5. 広告における暗黙のルール
女性誌における化粧品会社の広告の並び方には暗黙のルールがあって、必ず間にほかの業種の広告を挟むのが原則――裏表になると色が正確に出ないという印刷の色味問題による
車の広告の前後にはアルコール関係の広告は掲載しないというルールもある
6. 広告主から見た雑誌の広告媒体としての魅力
食品、情報・通信のようにターゲット設定が大きい商品にとって、細分化されたターゲットを特性とする雑誌は広告媒体として魅力は小さいが、読者特性の明確さと読者層の限定性は強味で、より狙ったターゲットに向けての広告が可能で高い訴求効果が期待できる
広告の”寿命の長さ”と”見られ方”も雑誌広告の魅力――長い間読者の手元にあり、購読者以外にも回読の効果が期待される
グレードの高い広告表現が可能というメリットもある――高品質の紙と印刷技術によって高級品のイメージを損なわない広告が可能であり、この特性を活かして、雑誌の広告ではファッションやアクセサリー関連が化粧品・トイレタリーの倍以上の出稿量になっている
TVの広告出稿量の1位は情報・通信、2位が食品で、ファッション・アクセサリーは10位以内に登場しない
² 雑誌広告と郵便料金
表4には法定文字(発行元名、第3種郵便認可日など)やバーコードの記載が義務付けられているので、広告スペースに制限がある
第3種郵便物――①毎年4回以上で号を負って定期的に発行、②公共的な事項を報道しあまねく発売、③広告の掲載部分が全体の1/2以下。女性ファッション誌にはそぐわない制度になっている
² 女性誌の新聞広告
女性で平日に新聞を読む「新聞行為者」は、特に若い世代ではわずかだが、新聞広告一般に対する読者の信頼感は19%と図抜けて高く、女性誌も「新聞の広告の力」に頼って広告を出稿する。家庭欄より政治欄に掲載されることが多いのは、企業の宣伝担当者に見てもらうことを目的としている
第5章
ファッションページの流行特集
女性誌の「季語」――バレンタインデー直前はチョコレート特集、水着のシーズンが近づくとダイエット特集が来る。最新流行情報も新しい季節の到来に合わせて特集する
ファッション誌の流行特集の鍵となる流行の決め手や掴み方について説明
1. 流行の発信源は世界の4代コレクション
3,4月号では春夏ファッションの流行を、10,11月号では秋冬の流行情報を特集する
プレタポルテ(高級既製服)のデザイナーが作品を発表するコレクションが、毎年2月と9月に、ニューヨークを皮切りに、ロンドン、ミラノ、パリで開催され、「流行」「旬」「トレンド」と表現される情報発信の中心
1968年の5月革命を機に、ファッションの中心が大量消費時代のプレタポルテへと移り始め、1970年代にはコレクションの主流がオートクチュールからプレタポルテへと変化
2. 「流行」は250以上のブランドの中から選びだされる
4都市のコレクションで合計250以上のブランドが参加し、その中からジャーナリストやエディターがどれを取り上げて流行情報として発信するかにかかっている
3. 同じ流行でも表現や解釈によって異なる
発信者が何に注目したかによって違いが出るし、同じ流行に注目しても表現が異なったりする
4. 雑誌のターゲットとコンセプトが流行情報を変える
雑誌のターゲットとコンセプトが流行情報の特集に大きな影響を持つ
流行情報の中から、その雑誌のターゲットとコンセプトに合わせて注目すべきものを選び出し、重視するキーワードを決める
² ファッションの流行現象を調査する
キーワードが明確でないテーマの時は、目次検索機能は使えないので、調査対象とした雑誌の創刊号からすべての号のファッションページをめくるしかないが、流行を追うのであれば、3,4月と10,11月に絞って最新5年間は調べることを指示している
第6章
ファッションページの着回し特集
日本の雑誌の作り手たちは、市場調査によって特定のマーケットを狙うような企画や発想はなく、自身の直感や思いつきによってたてた企画が結果的に奏功している
1. 1970年代は着こなし方の指南が目的
「着回し特集」とは、組み合わせるアイテムを変えて、1枚の服の着こなしを何通りか紹介するファッションの企画のこと――流行のスタイルの着こなしを提案するほか、これまで思いつかなかったコーディネートのアイディアの提供、1枚の服を何通りにも活用することで節約の提案に繋がる
ファッション誌では定番で、毎号のように特集されている
2. 男女雇用機会均等法と新雑誌の創刊ラッシュ
多様化されたターゲットをめがけて続々と新雑誌が創刊
男女雇用機会均等法の制定によって”働く女性スパイラル”に勢いを加え、読者層の増加に貢献
3. 男女雇用機会均等法と着回し特集
既存女性誌でも働く女性たちを意識した記事が増え始め、1988年頃からタイトルにも「着回し」という言葉が登場し始める――流行のファッションスタイルとしてスーツが浮上、男性と全てにおいて同等の彼女たちはスーツやジャケットなど私服で通勤、勤務することになり必要となったのが着回し情報
4. 着回し特集をする雑誌のそれぞれの事情
登場し始めた当時、大手出版社はこぞって30~40代の自分磨きに高い意欲を持つ主婦をターゲットとした生活実用誌を手掛けていて、そのファッションのページの企画として「着回し」が頻繁に取り上げられた
バブル崩壊後は、企業のリストラ推進に伴って女子社員の制服廃止が進み、私服勤務に伴って着回しアイディアが必要となった
さらには、女子の進学率アップに伴い大学生たちも着回し情報を求めるようになる
5. 着回し特集で雑誌の個性をだす
バブル全盛期、ターゲットが重なる女性誌が多く生まれ、競って着回し特集を始め、その中で差別化を出そうと独自性を加えた雑誌の個性を競い合うことになる
着回し特集を通して、ターゲットとコンセプトという雑誌の個性をファッションページが一番明確に伝えていることが認識できる
第7章
おしゃれスナップ特集
定番企画となった「おしゃれスナップ」も時代がヒットへの後押しとなった例であり、” 雑誌は時代の鏡”と認識できる典型的な例
1. 100年以上の歴史を誇るおしゃれスナップ
1880年前後から、アメリカを中心に、ファッション誌に写真を記載(ママ)する試みが始まり、本格化するのは1910年前後だが、その中にすでに「おしゃれスナップ」がみつかる
欧米では、ファッションの流行をリアルに知ることのできる貴重な情報源として読者の人気を集めるが、日本では「ファッションチェック」的な意味合いが強いページだった
70年代後半になって漸く『女性自身』の別冊として生まれた『JJ』(75年創刊)がニュートラというファッションスタイルの紹介に「おしゃれスナップ」を活用、その後多くのファッション誌のメイン特集となる先陣を切った
2. 80年代に「全国おしゃれスナップ」特集が定着する
おしゃれの地域格差が希薄化して、1983年、『anan』が「全国縦断おしゃれスナップ特大号」と銘打った特集を組んだのが全国展開の始まり。以後定期的に特集が組まれるように
女性の体格がよくなったことも影響
3. おしゃれスナップ企画が特集になった社会現象
特集誕生の要因である”着こなしの手本となるようなセンスの女性が増えた”背景にはファッション界の発展がある
60年代後半から、おしゃれな百貨店やファッションビルが生まれ始め、全国に拡散して地方でもおしゃれな既製服が手に入る環境が整う
70年代には原宿がファッションの街としてのブランドを確立。セレクトショップやマンションメーカーと呼ばれる小さなファッションブランドが集まり始め、80年代初頭にはンションメーカーの中から全国展開するDCブランドが続々と誕生
4. “編集部の事情”という雑誌研究のもう一つの視点
各誌がこぞって「おしゃれスナップ」を実施することになった要因には編集部の事情もある
① 他誌との差別化のための企画――多様化する読者の食い止め効果
② ファッション撮影ができない時期を埋めるための特集――セール時期と重なる号での特集はファッションブランドが撮影用の洋服の貸し出しをしないので成り立たない。5月と11月は”洋服がない時期”
5. 定番特集になる条件が揃っているおしゃれスナップ
一般読者が雑誌に登場することへの抵抗感や制限が希薄化してきたことも「おしゃれスナップ」の定番化に寄与
この企画の魅力――①ファッションリーダーとモデルの発掘、②雑誌イメージの明確化、③リアルクローズ(ショップで購入できる現実的な服、現実的なコーディネートという意味で広く女性誌を中心に使われている用語)の着こなし提案
² ファッション誌とカルチャーページ
ファッション文化の領域は衣服だけでなく、メークやインテリア、食事、旅、アートなど文化と生活すべてに及ぶので、ファッション誌にも様々なカルチャー情報が掲載される
カルチャーページは、読者が良質な文化に触れる機会であると同時に、有名人や女優との関係維持のためにも欠かせない。さらには、読者の知的レベルの高さを広告主にアピールする目的もある
バイヤスバイヤスの連呼はいただけない
まりちゃん流の計らい 富川淳子
2022年1月26日 2:00 [有料会員限定] 日本経済新聞 「交遊抄」
ちょうど40年前になる。飾らず女の本音を堂々とつづったコピーライターのエッセー「ルンルンを買っておうちに帰ろう」は強烈だった。雑誌記者だった私は引き寄せられるように林真理子さんに取材を申し込んだ。同学年で互いに本屋の娘。決して偶然ではないと感じた。
気付けば「まりちゃん」「トミちゃん」の間柄になる。直木賞を受賞、売れっ子作家になっても毎晩の長電話、週末は互いの家を行き来し毎日の出来事を報告。そして恋愛話で夜を明かすようになった。「キムタクに会いたい」。ペンを置いた気鋭作家は誰よりも乙女になる。
一度でいいから千疋屋のメロンを半分に切ってひとりで食べたい、と何かの拍子で言ったことを覚えていたのだろう。目の前には桐箱に入った高級メロン。「さあ、食べよう」。二つに切り分けたメロンを豪快にスプーンですくった。鮮やかな黄緑、上品な甘さ、そして笑い。まりちゃん流の計らいだった。
鋭い感性で物事の言い難い本質を言葉で切り出すことができるのは気遣いと優しさがあってこそ。私は大学の教員となり編集の世界から少し遠のいたが、今でもまりちゃんとのやり取りから刺激をもらっている。ただ最近の話題は、アンチエイジングについてばかりですが。
(とみかわ・あつこ=跡見学園女子大学教授)
Wikipedia
富川 淳子(とみかわ あつこ、1953年 - )は、日本の編集者[1]。多くの雑誌の編集長を経て、跡見学園女子大学文学部現代文化表現学科教授となり、ファッションや雑誌文化の研究に取り組んでいる[1]。
経歴[編集]
中学・高校時代はバレーボール、大学時代にはスキーに打ち込んだ[2]。
上智大学法学部を卒業し、法政大学大学院経営学研究科修士課程を修了した[1]。
フリーライターとして活動した時期を経て、1990年にマガジンハウスに入り、『BRUTUS』副編集長や、『Hanako』、『an・an』の編集長を歴任した[1]。
2003年、ぴあに移り、『Invitation』と『Colorful』の編集長を兼ねた[1]。さらに2006年にはエスクァイア マガジン ジャパンに移り、『エスクァイア日本版』と『Dear』の編集長を兼ね、2008年6月から同社顧問となったが、2009年に退社した[1]。
2009年4月から共立女子大学文芸学部非常勤講師となり、2010年4月から跡見学園女子大学文学部現代文化表現学科教授となった[1]。2018年には客員研究員としてニューヨーク州立ファッション工科大学に滞在した[3]。
著書[編集]
ファッション誌をひもとく
1. “植物油サロン[第22回]今をしなやかに生きる女性を創出したい”.
日本植物油協会. 2019年2月28日閲覧。
2. “ファッションからメイク、流行のパンケーキもモード文化として研究 文学部 現代文化表現学科 富川ゼミ”. 跡見学園女子大学. 2019年2月28日閲覧。
3. 中川直美
(2018年2月20日). “NYで出会った美しい人:富川淳子さん”. NPO法人AD JaNet. 2019年2月28日閲覧。
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