黄金時代のカリスマ指揮者たち 近藤憲一 2022.2.13.
2022.2.13. 黄金時代のカリスマ指揮者たち フルトヴェングラーからヴァントまで
著者
発行日 2012.8.1. 発行
発行所 音楽之友社
特別インタビュー:ドナルド・キーンさんが語る「伝説の名演奏」
私はトスカニーニ、フルトヴェングラーの演奏を生で聴き、全盛期のマリア・カラスの舞台を見ました!
取材・文 近藤憲一
Donald Keene 1922~2019。ニューヨーク生まれ。16歳でコロンビア大入学、同大学院、ケンブリッジ大を経て、53年京大留学。55~11年コロンビア大で教鞭。12年日本国籍取得
中学生でトスカニーニの放送を聴いてクラシックに目覚める。16歳でメトロポリタン・オペラを観てはまる
52年、マリア・カラスをコヴェント・ガーデンで観て感激
指揮者で一番感動したのはトスカニーニ。大戦中のホロヴィッツと共演のチャイコフスキーも凄かった
1950年、ザルツブルクの音楽祭でフルトヴェングラーのオペラを聴く
声だけは歳に関わりなく変わらない。声こそがすべての音楽の基本
1867~1912年に生まれた20名
「19世紀的精神や感情の濃淡」を重視して選択――「カリスマ指揮者」が払底した21世紀の今、優れた録音&映像ディスクで見聞できる”明治生まれのカリスマ”の音楽と演奏を改めて知ることで、より豊かな音楽体験生活を取り戻せるのでは、と考えた
5大指揮者
1. ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886ベルリン~1954)
吉田秀和評:「何を発言するか」に専心した音楽家
芸術では、何を語るか(表現するか)ということと、どう語るかということとは、複雑で微妙な形で入り組み、絡み合っているが、究極的には分けて考えることができるはず
フルトヴェングラーは、「何を発言するか」に専心した指揮をした音楽家だった
ニキシュまでは、細部に拘泥せずに、作品が聴き手に対しどんな感動を与え、どんなメッセージを伝達するかは、作品に任せるタイプが多かった
フルトヴェングラーは、作品の語って聴かせてくれる王国を、音を通じて、私たちの前に、目に見えるものとして築き上げて見せようとした
彼の演奏するベートーヴェンの交響曲の中に、最も高い形で実現している1つの世界像を示そうとしている
諸井誠評:私にとって、少年期は大楽神、大戦中は大魔神、最晩年は巨匠中の巨匠
2. アルトゥーロ・トスカニーニ(1867パルマ~1957)
浅里公三評:SPレコードの感動で始まったトスカニーニ遍歴
萩原健太評:ポップス・リスナーをも虜にする大衆的スター
3. ブルーノ・ワルター(1876ベルリン~1962)
高橋昭評:ヨーロッパ録音に刻まれたワルター芸術の真実
歌劇指揮者としてキャリアを積んでいる
マーラーとの関係は、ワルターのハンブルク市立歌劇場の練習指揮者時代に始まる。ピアノの技術を認められたワルターがマーラーの信頼を得て、個人的な信頼関係を築き、1910年のマーラー自身の指揮による《千人の交響曲》初演では、ワルターが児童合唱の練習と、ソリストの選抜と練習を引き受けている
マーラー没後間もない1911年には、ワルターがミュンヘンのカイム管弦楽団を指揮して《大地の歌》を初演し、マーラーの信頼に応えている
粟津則雄(仏文学者)評:自由と抑制を絶妙にバランスさせた名匠
4. ハンス・クナッパーツブッシュ(1888エルバーフェルト~1965)
中野雄(元ケンウッド代表)評:クナのラスト・ステージ~居合わせたただ1人の日本人の回想
開銀からドイツ銀行へのトレーニー時代、帰国直前、クナの公演を知ってミュンヘン市役所に頼み込んだところ、たまたま市長が都合で公演に行けなくなったのが回ってきて、市長夫人と並んで特等席で鑑賞したが、それがクナの最後の公演となった
鶴我裕子(元N響ヴァイオリニスト)評:クナ指揮の《黄昏》最後の7小節を”道連れ”に
見たことも、その棒で弾いたこともない
長身、三半規管に異常があって船にも飛行機にも乗れない、お辞儀もしにくかった
練習嫌いで通っていたのは、楽譜を見るのが辛かったから
私自身の生涯の最後も、あの《黄昏》の最後の7小節と共にありたい
5. エフゲニー・ムラヴィンスキー(1903ペテルブルク~1988)
宇野功芳評:”幻の指揮者”がヴェールを脱いだその時
1970年、レニングラード・フィルと共に初来日するはずが、急病でキャンセルに。3年後は予定されていたリヒテルに代わってようやく来日が実現。飛行機嫌いで、シベリア鉄道と船を乗り継いできた。75年にも再来日
富永壮彦(元共同通信)評:虚飾なき演奏――潔く、決然としていた後姿
6. ウィレム・メンゲルベルク(1871ユトレヒト~1951)
平林直哉評:魔的な力を持った録音遺産
マーラーの弟子。絶対的な存在としてオーケストラに君臨したマーラー同様、メンゲルベルクも絶対君主
7. ピエール・モントゥー(1875パリ~1964)
満津岡信育評:音楽を愛し、人生を愛した達人
8. カール・シューリヒト(1880ダンツィヒ~1967)
福島章恭評:我がシューリヒト受容史~レコードからSACDまで
9. レオポルド・ストコフスキー(1882ロンドン~1977)
福本健評:モットーは「音楽は楽しく!」~AとBとの対話
早くからレコーディングに意欲的だった点はカラヤンに似ている
あたらしい録音技術にも関心を示し、積極的に取り入れ
1965年、単身で初来日
10. エルネスト・アンセルメ(1883ヴヴェー~1969)
渡邊芳之(心理学者)評;実演に在る魔術、録音に潜む現実
アンセルメの指揮の魅力の1つは、明確で生き生きとした「リズム」だが、若き日、バレエ・リュッス(ロシア・バレエ団)の指揮者として活躍したことに負うところ大
11. クレメンス・クラウス(1893ウィーン~1954)
樋口裕一(仏文学者)評:典雅と狂気~衝撃の二面性
生粋のウィーンっ子で、シュトラウス一家の演奏を得意にしていた
ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートを始めたのもクレメンス・クラウス
有名なバレリーナの私生児で、父親は皇帝とさえ囁かれているのも、もって生まれた高貴さと育ちの良さが音楽に表れているから
12. オットー・クレンペラー(1885ブレスラウ~1973)
喜多尾道冬(ドイツ文学者)評:汚泥から星の高みへ~気高く、また人間臭く生きた巨匠
年を取ってよぼよぼになっても女癖の悪さは収まることなく、気に入った女性の住居に無理やり押し入って警察沙汰になるのは稀ではなかった
業績と実際の行動とのギャップはいかにも大きすぎる――「汚泥から星の高みへ」というラテン語の格言の通り、私たちは自分の卑小さに苦しみながらも人間本来の尊厳に思いを致し、星の高みを目指すべき存在なのだ、そんな思いを励ましてくれるのがクレンペラーの演奏だと思われてならない
13. シャルル・ミュンシュ(1891ストラスブール~1968)
諸石幸生評:今なお、聴き手をして憧れさせる唯一無二の指揮者
ミュンシュの演奏を聴くと、何か特別の体験に誘うことが多い。それは、音楽の演奏というものが、私たちが秘かに望みながらも、実際にはなかなか手にすることのできない、夢や希望、憧れや幻想といった体験に誘う、そんなリアル感あふれるものだからだ
持って生まれた天性の才能の赴くままに作品を再現していくだけだが、いやがうえにも聴き手を引き寄せてしまう吸引力がある
14. カール・ベーム(1894グラーツ~1981)
池内紀評:ウィーンと妥協しなかったグラーツ人=がんこ者
グラーツはオーストリア東南部の第2の都市。ウィーンに対するライバル意識が強烈だが、その負けじ魂が大きなバネになった
ワルターに見いだされミュンヘン国立歌劇場の常任指揮者に抜擢されてから順調に上昇コースをのぼるが、43年ワルターが亡命した後をおってウィーン国立歌劇場の総監督に就任。ナチスの庇護下でオーケストラを続ける疚しさと、音楽への愛との二律背反に苦しむ
戦後非ナチ裁判にかけられ、50年ブエノス・アイレスの総監督につき、54年ウィーンに帰還、翌55年再建なったオペラハウスのこけら落としの指揮を執る
15. ジョージ・セル(1897ブダペスト~1970)
中村孝義評:1970年に聴いた”白鳥の歌”
16. ユージン・オーマンディ(1899プダペスト~1985)
俵孝太郎(政治評論家)評:座右にあれば、誰もが楽しめるオーマンディ
17. ジョン・バルビローリ(1899ロンドン~1970)
深水黎一郎(小説家)評:不世出の(非)カリスマ
イタリア人の父とフランス人の母の間に生まれ、ブラームスやマーラーに名演を遺した
トスカニーニの後任としてニューヨーク・フィルの常任となるが、契約更新の際米国市民権取得を要求され辞任。マンチェスターのハレ管弦楽団の育成に貢献
オーケストラと完全に一体となった指揮は、彼独特のもので、歌謡性が特質
18. ロヴロ・フォン・マタチッチ(1899ザグレブ~1985)
金子建志(指揮者)評:民族自立を貫いた信念の芸術家
N響が1965年「スラヴ・オペラ」で初共演して意気投合、以来N響の名誉指揮者として活躍。モンテヴェルディの《聖母マリアのための夕べの祈り》の日本初演を果たす
67年のベートーヴェン《7番》では、海野義雄がE線を切りながら3本で残りを弾ききったというエピソードがあり、演奏のテンションを感じ取って、とっさの判断の選択だったが、マタチッチの牽引力と燃焼度が如何に強力で、その磁場がステージを支配していたかを刻印したシーンでもあった
19. 朝比奈隆(1908東京~2001)
岩野裕一(音楽ジャーナリスト)評:”よい指揮者”として生まれたマエストロ
ロシアから亡命して京大オーケストラの指揮者だったエマヌエル・メッテルの感化で指揮者の道を進む
ベートーヴェンやブルックナーを見出す前の朝比奈の昭和20から40年代の猪突猛進の時期の活動に注目――生涯のオペラの指揮が385回に上り、第九の倍近く手がけただけでなく、歌舞伎界の坂東蓑助(後の8代目三津五郎)や武智鉄二、能楽の茂山千之丞らをいち早くオペラの演出家として起用、自らも演出を手掛ける。オペラ作曲家としてホルン奏者の大栗裕を発掘、ヨーロッパ客演では大栗作品を手土産に披露
20. ギュンター・ヴァント(1912エルバーフェルト~2002)
舩木篤也評:天球の音楽
その他のカリスマ指揮者たち 近藤憲一
(日本の明治生まれに限定)
ハンス・フォン・ビューロ(1830~94)
アルトゥーロ・ニキシュ(1855~1922)
フェリックス・ワインガルトナー(1863~1942)
パブロ・カザルス(1876~1973)
トゥリオ・セラフィン(1878~1968)
トーマス・ビーチャム(1879~196)
ヘルマン・アーベントロート(1883~1956)
エーリヒ・クライバー(1890~1956)
ヴァーツラフ・ターリヒ(1883~1961)
フリッツ・ライナー(1888~1963)
フリッツ・ブッシュ(1890~1951)
ディミトリ・ミトロプーロス(1896~1960)
ハンス・シュミット=イッセルシュテット(1900~73)
オイゲン・ヨッフム(1902~87)
アンドレ・クリュイタンス(1905~67)
ヘルベルト・フォン・カラヤン(1908~89)
ヨゼフ・カイベルト(1908~68)
ルドルフ・ケンペ(1910~76)
ジャン・マルティノン(1910~76)
ゲオルグ・ショルティ(1912~1997)
セルジウ・チェリビダッケ(1912~1996)
イーゴリ・マルケヴィッチ(1912~1983)
クルト・ザンデルリンク(1912~2011)
カルロス・クライバー(1912~2004)
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