夫を亡くして  門井慶喜  24-11

 

北村透谷の妻、現代と重なる生き方 門井慶喜さん連載小説「夫を亡くして」来月1日から

 

20241027  朝日新聞

 

 門井慶喜さんの連載小説「夫を亡くして」が11月1日から始まる。明治期の詩人、北村透谷(とうこく)の妻・ミナを主人公にした歴史小説だ。

 タイトルが予告する通り、透谷が25歳で自死した後を丁寧に描いてゆく。若くして夫を亡くしたミナは、子がありながらも米国留学を果たし、帰国後は教員として老年まで勤め上げる。

 門井さんはこれまで、徳川家康や豊臣秀吉といった歴史の表舞台で活躍する著名人を多く描いてきた。ミナはその名前を大きくは残していない。なぜ彼女に注目したのか。

 「この時代に、こんな生き方をしている女性は見たことがなかった。でも、戦後の我々の代表者であるかのような感じがしたんです。光を当てるべき存在だと思いました」

 ミナを星に例えるなら、「3等星」。連載では、ありふれた悩みや喜びをそのまま描きたいと話す。「ミナさんの生き方を通じて、人間が普遍的に持っている価値や魅力を書きたい。結果的には女性の社会進出を描くことにもなるでしょう。読者の皆さんが現代の課題と重ねて感じとることもあるかもしれませんね」

 物語の前半には、夫の死という特大の壁が待ち受けるが、史料を読み調べていくと明るい気持ちで執筆に取り組めるという。「ミナさんが前へ前へと進むので、思わず背中を追いかけてしまうんです」。読者のことも置いていかない。「歴史に詳しくなくても大丈夫。前向きなミナさんが、きっと皆さんのことも引っ張っていってくれますから」(真田香菜子)

 

 

ふたりの求婚者

第1回     明治20年前後、2人の男から求婚。1人は許嫁。東大医学部卒で開業医。もう1人は貧乏士族ので、東京専門学校政経に入学するも卒業せず、無職、小説家志望の北村門太郎(号・透谷)

第2回     本を読んでいたミナとは話が合った

第3回     ミナは23歳、相談しても結論は明らかなので、一人で決めるしかなかった。ミナは母ヤマが15歳の初産で難産の末生れた子。奇跡の子と言われ大事に育てられた。実家の石阪家は現在の町田市野津田(のづた)8万坪を持つ豪農

第4回     小学校の「修身」の時間の論語の話を聞いて、漢籍を読み始める

第5回     小学校を終えると、東京に出て日尾直子の日尾塾に入る

第6回     日尾荊山が創設した私塾、娘の直子が継いで至誠堂と改称。ミナはすぐに頭角を現す

第7回     ミナは直子に可愛がられたが、実家から塾に届いた里芋を、塾の男生徒に運ばせたことが問題に

第8回     日尾はミナを処分する代わりに助教に任命

第9回     ミナは日尾から養子に誘われる

第10回    ミナが受けると、日尾は父親に挨拶に行くという

第11回    明治16年、一旦受けて父親も未来の塾長を喜んだが、ミナは心変わり

第12回    ミナは塾を辞めて、横浜の共立女学校で英語を学びたいという

第13回    父はミナが世間を侮る匂いがするといって、結婚を勧める

第14回    ミナの代わりに妹のトシを塾に入れるが、直子は明治30年没。トシも長続きせず

 

帰省:

第15回    共立学園は耶蘇系で、漢学を免除され、創立者の外国人宣教師から英語を習う

第16回    授業が気に入り、寄宿舎での暮らしも楽しかった。牛肉のスープも飲めるようになる

第17回    夏休みに実家に戻ると、父から医学部出で八王子で開業する平野を紹介される

第18回    父は、前から平野をよく知っていて、ミナもいい人の様だという印象を受ける

第19回    せでに平野から聞き込みがあり、家の者は皆ミナの相手だと思い込んでいる

第20回    女中のチカに「いい人ね」と返事したのが言質となって、すぐに村中に広がる

第21回    4日後に、石阪家の食客だった北村に出会い、無口なところに興味を持つ

第22回    ミナの方から北村に名を訪ねる。弟と同年で、一緒に旅行する仲

第23回    その後北村は姿を消し、ミナは学校に戻る時、父からの催促に卒業後考えると返事

 

墓場:

第24回    北村は自由民権運動の徒だったが、友人から武装蜂起をもちかけられていた

第25回    透谷は、祖父が小田原藩医、父も昌平黌に学ぶ秀才で維新後は大蔵省に入る

第26回    一旦祖父の逝去で父も国に戻るが、再度透谷も連れて上京

第27回    透谷は、泰明小学校から早稲田の東京専門学校に進む

第28回    神奈川県民学生のための寄宿舎に入り、民権運動にかかわる

第29回    誘ってきたのは妻子持ちの寄宿生大矢正夫

第30回    透谷は、早稲田の気風が合わず退学、寄宿舎も出る

第31回    大矢と再会

第32回    大矢は、ミナの弟公歴(まさつぐ)なども一緒になって武装蜂起を企んでいた

第33回    透谷は君歴とは気が合って、家に誘われる。透谷らは企みから降り、大矢は逮捕

 

恋愛というもの:

第34回    透谷に会ってから2年後、ミナは夏休みに寄生の途次、東京の別邸に立ち寄り

第35回    渡米して公歴不在の別邸に起居していた透谷と再会

第36回    ミナと透谷は、2年間の様子を話し合う

第37回    2人で酒を飲みながら、透谷が小説家になるというと、ミナは正面から反対する

第38回    坪内逍遥について議論

第39回    ミナに政治を支配するような小説を書けとおだてられ、北村は多弁になる

第40回    2人はすっかり意気投合して、杯を重ねる

第41回    許嫁がいると聞いて、透谷は定職に就くと言い出す

第42回    学校に戻ったミナは、透谷からの手紙を待ち焦がれるようになる

第43回    1年後に東京の別邸で再会

第44回    透谷はキリスト教の洗礼を受ける

第45回    透谷は外国の文学に接し、偉大な西洋人が皆恋愛という価値を称揚しているという

第46回    ミナは、透谷の言葉に酔い、その中に透谷の自分への愛を感じる

第47回    突然許嫁の平野が飛び込んでくる

第48回    平野は、ミナの父親に頼まれ様子を見に来た。ミナは詫びるばかり

第49回    平野から、石阪の家が父親の散財で傾きかけていることを聞かされる

第50回    ミナは、これまで何度か平野とも会い、嫌いなわけではないが興味が持てなかった

第51回    透谷が突然、「恋愛なき結婚などあり得ない」と言いだす

第52回    ミナは平野との結婚生活を想像して、「私が、私でなくなってしまう」と感じる

第53回    ミナは、自分の相手は自分で決めると決心し、2人を引き取らせる。透谷しかいない

 

結婚:

第54回    ミナと透谷の密会は世間に知れ、両親は何も言わなかったが、実家から呼び出し

第55回    平野の方から破談を言ってきた

第56回    父からは、「自分で決めたことの責任は自分で負え。それが人というもの」と厳命

第57回    ミナは洗礼を受け、結婚式は教会で上げるため、両親は出席しないという

第58回    ミナは父親に、「北村は日本語の改良に取り組んでいる」と伝える

第59回    父は、「お前の目はいつも遠い未来を見つめ、それを見ると自分も若返る」という

第60回    明治21年結婚。現銀座煉瓦街にある透谷の家に同居して、新生活が始まる

第61回    建坪11坪に4人いたが、義母ユキだけがやたらと輝いていた家

第62回    義父は失職中。ミナも家事をやろうとするが、義母が上手でミナは家事免除

第63回    ユキは特に老祖父母に育てられた透谷に厳しかった

 

デビュー:

第64回    ミナは、家庭教師をしながら英語の学校に通う。透谷も筆をとり始める

第65回    透谷は日中宣教師の通訳などを始めながら、夜書く

第66回    ミナは、透谷から最初の原稿『楚囚之詩』を見せられ、初めて見る透谷の詩に驚く

第67回    透谷の音読に、ミナは日本人の骨身にしみ込んだ韻律と違うものを感じる

第68回    透谷が武装蜂起に誘われた話が元になっている詩に、ミナは「明るい詩」だという

第69回    ミナは、「暗い内容が明るく聴こえるのは、リズムだ」という

第70回    主人公は透谷自身、性生活まで触れた常軌を逸した内容に、ミナは呆気にとられる

第71回    ミナは、透谷の詩を誇りに思い、一生涯自分が支えると決意

第72回    ミナは、唯一主人公の死の結末に反対。書店も版元をもっていて店頭で売った

第73回    ミナは書店に売り込むが全く売れず、透谷は版元で本を切り刻む

第74回    自由律長詩の嚆矢、ロマン主義の先駆として日本文学史上不動の評価を得るのは後日。詩を読んだ友人が来て、晴れて獄舎を出る結末がいいと言って褒める

第75回    2年後に次作『蓬莱曲』を自費出版。会話の形式の劇詩で、芝居の台本のよう

第76回    主人公の透谷が富士山に登って大魔王に出会った時の会話。長いばかりで退屈

第77回    またも主人公が自死する結末に、ミナは異論。逍遥も優美より凄惨を強調との批判

 

終焉:

第78回    ミナの築地の女学校は女子学院に改称、英語にも飽きて家にいると、嫁姑の諍いに

第79回    透谷も本が売れず、家庭が崩壊しかけたところで、透谷が定職に就く

第80回    透谷の仕事は普連土女学校の英語の教師、それに合わせて2人だけで引っ越す

第81回    最初の詩集の書評が契機となって、透谷も評論を『女学雑誌』に発表し始める

第82回    評論の寄稿は収入にはならなかったが、編集者の巖本善治の目に留まるのが目的。巖本は女子教育に携わり成功。目論見通り巖本の目に留まって明治女学校に訪ねる

第83回    巖本の目に狂いはなく、透谷の「厭世詩家と女性」は爆発的評判をとる

第84回    恋愛の価値を全肯定する透谷の評論文はジャーナリズムにも定着。原稿料が入る

第85回    長女英(ふさ)子出産

第86回    家事に忙殺

第87回    ミナは、日を追うごとに良妻賢母に近づく

第88回    透谷の仕事は順調で、飛ぶ鳥落とす『国民之友』からも小説原稿の依頼が来る

第89回    透谷は『女学雑誌』に小説も書くようになっていたが、読者の反応はさっぱり

第90回    自信をなくす透谷に、ミナは「自分に自信を持て」と発破をかける

第91回    透谷が本格的に小説に取り組むのを知って、ミナも心躍る

第92回    明治26年、『国民之友』に短篇小説『宿魂鑑』を発表するも、読者の反応はさっぱり

第93回    透谷は文学仲間と同人誌『文学界』を創刊したり旅に出たりしたが、うまくいかない

第94回    透谷は寄稿も教師も辞めた所へ、『国民之友』の徳富蘇峰からエマソンの評伝の依頼

第95回    寝食を忘れて3カ月で仕上げる

第96回    4日後透谷は自らの喉を短刀で突く。一命をとりとめる。原稿は意味不明、判読困難

第97回    透谷を兄と慕う島崎藤村に原稿を持参して助力を頼む

第98回    透谷に本を見せたいというミナの願いと、徳富の依頼だと知って、藤村は引受ける

第99回    3カ月後(明治27)に出版され、ミナは藤村と共に、それを透谷に見せる

第100回    本を読もうともせず。その4日後透谷は自死、享年27

 

新生:

第101回    明治40年、ミナは留学先のアメリカから帰国

第102回    ホテルに向かう途中『婦女新聞』のインタビューを受け、有名人であることを知る

第103回    昔父に世話になった人の家に仮寓する両親を牛込に訪ねる

第104回    ミナはオハイオのデファイアンス・カレッジに。公歴はフレズノで新聞を発行

第105回    父は、1カ月前に脳溢血で逝去。公歴が。虫の知らせで戻って来た直後のこと

第106回    父は4カ月前に倒れたが、学業の妨げになるとして子供たちには知らせなかった

第107回    公歴が知り合いの新聞記者に、「一代の浪漫詩人・透谷の未亡人が帰国」と喧伝

第108回    父が自由民権運動で財産を蕩尽、ミナも友人からの知らせで知っていた

第109回    再婚しないと暮らせないというヤマに対し、ミナは英語塾で食べて行こうとする

第110回    公歴は帰国後、第2次大戦中マンザナの収容所で死去、享年77。ミナはヤマと一緒に住むことにしたが、義父母に預けた英子を引き取る

 

仕事か子供か:

第111回    13年前、透谷は首を吊る。3歳の娘のためあとを追えず。教室に戻ることを考える

第112回    麻布基督教会の宣教師の姉に日本語を教える話が来るが、住み込みが条件

第113回    仕事か子供かの選択を迫られ、英子を義父母に預けて働くことを選ぶ

第114回    ユキは、ミナが苦手な専業主婦の生活から逃げるために働きに出るのだと図星

第115回    真面目に日本語を教えようとしたミナの仕事ぶりが宣教師の信頼を得る

第116回    明治32年、姉が帰国する際、一緒に渡米して勉強することを勧められる

第117回    8歳の英子は、ミナが留学するといっても他人事で、以後8年間祖母と暮らす

第118回    ミナは帰国後も、小田原の英子に会い辛く、ようやく1カ月して会いに行く

第119回    ヤマの年取った姿と、英子が長唄を習っていると聞いて驚く

第120回    義父は3年前に死去。帰って来た英子に、「私のこと、憶えているか」とミナは聞く

第121回    ヤマから、「ミナと一緒に住め」と言われた英子は、「ヤマと一緒でなければ」と拒否

第122回    ミナは、英子を見た途端、透谷にそっくりだと感じる

 

おばさん:

第123回    ミナは、牛込の借家で、母・娘と一緒の暮らしを始め、実用英会話の塾を開く

第124回    最初の生徒は広島出身の16歳の貫坊。受験英語ではないことを承知で始める

第125回    貫坊からおばさん呼ばわりされ、遅刻が目立つので、ミナの家に下宿させる

第126回    英会話だけでは生徒が集まらず、ミナは生活の足しに下宿を始めようとする

第127回    授業料免除で間代は1(洋館1棹程度)という好条件に、生徒が集まりだす

第128回    下宿人が増え、ミナは生活指導にもかかわり、若き日の日尾塾を想起

第129回    人は増えたが生活は楽にならない。帳簿もつけず、金のない生徒に督促もしない

第130回    ミナは、石阪家を一代で潰した父の血をひいて、金に関心がなかった

第131回    ミナは、家計の足しにしようと、英語の教師を探すが教員免許がない

第132回    東京府が新たに池袋に豊島師範を開校、校長は大束重善、徽章は撫子

第133回    男子の師範学校の徽章が撫子なのは、可憐だが強い植物で、そういう人間を作る

第134回    父が帝国議会の議員をしていた頃の知り合いだった帝国教育会会長の辻を頼る

第135回    ミナは、辻に会いに豊島へ向かう。矢来町の先は畑ばかりで、野津田より田舎

第136回    ミナは、池袋の西口に建設中の校舎に着くが、守衛らしき人に誰何

第137回    ミナは、自分の載った記事などを示して身分を名乗り、辻への案内を乞う

第138回    校長と辻の前で、直接英語の教師として働きたいと申し出る

第139回    ミナは、履歴書を校長に見せる

第140回    辻に石阪の娘だと名乗る。辻は馬鹿呼ばわりされたと言うが事蹟は認める

第141回    辻の紹介ならとすぐに採用が決まるが、教員免許がないことを告白

豊島師範は青山に次いで府立の2番目の師範学校

第142回    免許は申請すればもらえる制度もあり、アメリカの学士であれば問題ないという

 

教室:

第143回    家に戻ると、下宿生が金を出し合ってマグロの棹を買ってきて一緒にお祝いする

第144回    師範学校では副業不可ではないかと言うと授業料はタダと言ったら英子が猛反対

第145回    ミナは英子の怒った表情に透谷の面影を見てびっくり

第146回    英子は昔の祖母との暮らしの方がよかったと告げる

第147回    ミナは、英子の言葉を聞いて、何かに必死で抗っている

第148回    ミナは未だに姑ユキの家族への圧政が透谷を死に追いやったとの思いがよぎる

第149回    ミナは英子に対し、ユキが透谷にした以上の残酷なふるまいをしたことを思い知る

第150回    いよいよミナが豊島師範の講師として勤務することに

第151回    英子とは1か月ほど口をきかなかったが、反抗的な態度ではなかった

第152回    豊島師範に初出勤。建物は大半が建築中

第153回    大束校長は群馬師範を辞める時野間清治等が反対運動をした。ミナは天職と抱負

第154回    校長から第一声が大事だと言われる。ミナは校長が歳に似合わない先見性に感心

第155回    透谷が作家デビューした『女学雑誌』を校長が読んでいたと知ってミナは驚く

第156回    ミナは夫と同じ様に教師を天職として覚悟を決める

第157回    新学期の最初の講義に向かう

第158回    教室に入って「皆さん」と第一声を発したところ、どっと笑いが起きた

第159回    ミナが「皆さん」といったのに生徒が爆笑したが、ミナは構わず会話重視を宣言

 

別れ

第160回    会話重視と言いながらつい読み書きになった時思いついたのがピアソン流

第161回    課題を与えて英作文させ、それを元に生徒がミナと対話する形式を試みる

第162回    ミナは正規の授業をてきぱきとこなした後の余った時間で会話を教えるが批判も

第163回    ミナの授業が無愛想だと言われたが、授業後の打ち解ける姿は生徒には好評

第164回    教師になって4年、教会で教えていることもあって講師のまま。母が亡くなる

第165回    英子は女子学院を卒業。ミナの私塾から最年長・最古参の貫坊が巣立っていく

第166回    22歳になった英子とは、よそよそしい関係が続く

第167回    貫坊は大陸に行くという

第168回    英子の卒業祝いは母逝去直後で憚られたが、貫坊の送別会をかねて一緒に祝う

 

恋愛というもの・再

第169回    貫坊のいなくなったあと、師範学校に従弟丈夫というそっくりなのが入って来た

第170回    丈夫は級友から広島弁を笑われていた

第171回    4年後、ミナは寄宿舎に行って従弟と出会う

第172回    丈夫は方言で友だちも出来ないというので、英語の発音で見返したらという

第173回    丈夫の方言が直ってきて友だちも出来る、積極的な姿勢で英語の発音も上達

第174回    丈夫の熱意を受け止め個人レッスンが始まる

第175回    ミナは留学時代のことを、聞かれるままに話す

第176回    ミナは留学中に講演などで生活費を工面していたことを語る

第177回    丈夫と別れて職員室に戻ると、先任教師からまたあいつかと聞かれる

第178回    学内では、丈夫がミナに恋愛感情を持っているとの噂が広まる

 

失踪

第179回    丈夫がミナの家に下宿したいと言ってくる

第180回    英子が、「あんな暗そうな人見たことない」と言ったのに驚く

第181回    新学期最初の授業で丈夫に下宿は不可と伝えると、次から授業は欠席に

第182回    丈夫が書置きして失踪。学校は詮索せずに放置するという

第183回    書き沖には「社会の不条理に疲れた」と惜別の言葉がある

第184回    教頭は2人の関係を疑い、何か心当たりはと聞かれ、憤然と反論

第185回    半月も寝たきりの丈夫を放置したことを非難したが、隠蔽を指示される

第186回    有能果断の教頭が校長就任を目前に豹変したのをミナは黙って受け入れる

第187回    女が師範学校の教壇に立つことに不快を感じる老教師からも嫌みを言われる

 

迷走

第188回    6丈夫が気がかりなミナは、自宅への再訪を期待して英子に応援を頼む

第189回    話を切り出しにくくて、英子の結婚話へと逸れる

第190回    貫坊の兄で開業医夫婦がミナの家を訪ねて来る

第191回    兄は学校からの問い合わせに驚き、丈夫からミナの事を聞いていたので訪ねた

第192回    兄夫婦は丈夫がキティの話をしていたと言いい、英子は母の言動に呆れる

第193回    貫坊からも元気だとの便りが来る

第194回    貫坊は天津で貿易会社に就職したとある

第195回    野津田の家の食客だった過激な言動をしていた大矢がミナを訪ねて来る

第196回    大矢は、透谷の記念碑の話をしながら上がり込んでくる

第197回    大矢は真面目に仕事をしていると言いながら株の売り込みに来た

第198回    大矢はいきなりミナの許嫁だった平野の話を始める

第199回    野津田の家は潰れたと言ったら大矢は足早に帰っていった

第200回    ミナは大事なものの詰まった柳行李を開ける

第201回    なかから透谷からの手紙を取り出し見詰める

第202回    大矢や平野の名が出た後で透谷の手紙にほっとする

第203回    手紙を見ながら丈夫の顔が浮かぶ

 

透谷のように

第204回    丈夫について思い当たるフシのあったミナは、教頭に話をしようとする

第205回    前夜思いついた丈夫の行く先を確かめようと、教頭に休暇を願い出る

第206回    休暇を認めず自重を迫る教頭は、休暇を強行すれば服務規程違反だという

第207回    ミナは、これ以上身近な人に死なれるのはもうたくさんと、職を賭して学校を出る

第208回    丈夫が「自分を透谷に準えている」というのがミナの思考の出発点

第209回    丈夫は透谷の命日を知っていた。ミナは彼の恋情を知りつつ、私事と教育を峻別

第210回    ミナは、丈夫の書置きが自殺を仄めかしているところから、透谷の後を追うと想像

第211回    増上寺の一部を芝公園にして建てた住宅にミナたちは住んでいた

第212回    芝公園付近の旅館を当たると、すぐに丈夫らしき人物が宿泊している旅館が判明

第213回    丈夫のいた旅館に行くと、ついさっき、恋人がアメリカに旅立ったという横浜に行くと言って出立したことを知る

第214回    ミナは丈夫を追って横浜へ。学生服姿を見かけて後を追う

第215回    捉まえた学生服姿は級友で、舎監以下級友が後を追って探しに来てくれた

第216回    皆で丈夫を探し始める

第217回    港は生徒たちに任せて、ミナはもう1つの候補地の共立学校へ向かう

第218回    ミナは、もう1カ所思い出してそちらに向かう

第219回    ミナは丈夫が、品川の透谷の墓前で自殺しようと考えているのではと思いつく

第220回    透谷の墓前に男がお詣りしていたが、単なる透谷推しに過ぎなかった

第221回    これ以上ミナには思い当たる所もなく探索を諦める

第222回    墓に別れを告げていると、裏の林が動くのが感じられ、分け入る

第223回    竹藪の先に学生服姿の人影を見る

第224回    空地に立つ楠の下に手桶がピラミッドのように積まれ、制服の男が頂点に立つ

第225回    いまにも首を吊ろうとしている丈夫に飛びつき頬を平手打ち

 

エピローグ

第226回    無事丈夫を見つけ2月年に進学。副校長の校長昇格が内定し、処分は沙汰闇に

第227回    その後も処分はなく、普通の日常に戻る。丈夫の恋愛感情も雲散霧消

第228回    14年勤務した豊島から品川高女への異動打診。女子教育を助けるために決断

第229回    豊島の嘱託から品川高女では初めての専任教師。8年で定年退職後も嘱託に。老眼鏡と着物には凝る

第230回    1933年の透谷の命日にミナは、小田原・大久保神社境内の北村家の墓に参る

第231回    透谷の記念碑の除幕式が行われ、18年前に結婚した英子に伴われ出席

第232回    遅れてやってきた島崎藤村に、思わず「老けたわね」の一言。島崎は英子が小説家にならなくてよかったという

第233回    藤村自身駆け出しの頃から透谷に注目、ミナの依頼で透谷の原稿を読むに足るものにして、6年前の’27年刊行、死去時無名に近かった透谷を世間に認めさせた

第234回    藤村はミナが一度も自分を頼って来なかったといったが、ミナは「透谷の妻ではなく、ただのミナよ」と自然に答える

 

 

 

 

Wikipedia

北村 透谷(きたむら とうこく、18681229明治元年11161894明治27年〉516)は、日本評論家詩人。本名は北村 門太郎(きたむら もんたろう)[1]明治期に近代的な文芸評論をおこない、島崎藤村らに大きな影響を与えた。

北村透谷生誕之地

小田原市浜町3-11-14

相模国小田原(現・神奈川県小田原市)に生まれた。幼少時代、両親から離れて厳格な祖父と愛情薄い継祖母に育てられ、のちに神経質な母親の束縛を受けたことが性情の形成に大きな影響を与えたといわれる。

1881年に東京数寄屋橋の近くに移住。東京専門学校(現・早大)政治科に入学、東京の三多摩地方を放浪して壮士たちと交わるが、民権運動が過激になり離脱。1888年に洗礼を受け、同年、民権運動家石坂昌孝の娘ミナと結婚。翌年、自己の暗い内面と愛と自由をうたった長編叙事詩『楚囚之詩』を刊行。

『厭世詩家と女性』(1892)を発表して文壇に登場。1893年には島崎藤村星野天知らと雑誌「文学界」を創刊し、同人たちの浪漫主義運動を主導したが、そこには、例えば「恋愛は人生の秘鑰なり」「男女相愛して後始めて社界の真相を知る」と述べた『厭世詩家と女性』にみられるような恋愛至上主義的傾向がみられる。また、文学は世俗的な功利を求めず、人間性の深い真実をこそ求めるべきとした(「人生相渉論争」)。『内部生命論』では、内面的生命における自由と幸福を重んじた。

『人生に相渉るとは何の謂ぞ』、『内部生命論』、『漫罵』(全て1893)などの評論をたてつづけに発表したが、理想と現実の矛盾に苦しみ、1894年、自殺。

経歴

相模国小田原唐人町で父・北村快蔵、母・ユキの長男として生まれる。祖父の玄快は小田原藩の藩医であったが明治維新のあおりを受けて没落し、父の快蔵は透谷の生まれた後、新政府の官立大学である昌平学校に入学・卒業して役人となる[2]

1873年(明治6年)、弟の垣穂(かきお)が生まれる。弟は1879年(明治12年)に元小田原藩士族の丸山良伯の絶家を継ぎ丸山姓となり、のちに丸山古香という日本画家となる[3][4]。秋頃、透谷を小田原の祖父母の元に残し、両親と弟は東京に移住する。父は大蔵省に出仕、母は自宅で呉服屋をはじめる[1]

1878年(明治11年)春、祖父の玄快が倒れ両親と弟が小田原に帰郷する。父は足柄上郡役所の役人となる[1]

1881年(明治14年)、一家で東京京橋区弥左衛門町に移住する[注釈 1]。父は大蔵省に戻り、母は丸山名義で煙草店を始める。透谷と弟は泰明小学校に転入する。この頃活発であった自由民権運動に強く感化される[1]

1883(明治16年)5月頃、自由民権運動の政客である大矢正夫と知り合い、大矢らを通じて秋山国三郎や自由党員であった石坂昌孝の知遇を得る。石坂の長男である石坂公歴(まさつぐ)とも親交を結ぶ[1]9月、東京専門学校(現在の早稲田大学)政治科に入学[注釈 2]。翌年、同じ政治科に入学してきた宮崎湖処子と知り合う[1]

1885(明治18年)5月、自由党左派の大井憲太郎らが朝鮮での革命を計画する(大阪事件参照)。6月、大矢正夫も計画に加わり、活動資金を得るための強盗を企図、透谷も参加を誘われるが悩んだすえ運動を離れる。夏、石坂昌孝の長女ミナと出会う[1]

1887(明治20年)、許婚者のいたミナと恋愛関係に陥る。1888(明治21年)3月、数寄屋橋教会(現・日本基督教団巣鴨教会)で洗礼を受ける。同年11月、石坂昌孝の娘、石坂ミナと結婚[1]

1889(明治22年)49日、『楚囚之詩』を自費出版するが、出版直後に後悔し自ら回収する[5]。秋頃、イギリスから来日したクエーカー教徒のジョージ・ブレスウェイトの翻訳者および通訳者となり、親交を深める。その影響もあって平和主義の思想に共鳴し、加藤万治らと日本平和会を結成する[6]

1890年(明治23年)11月、普連土女学校の英語教師となる。弥左衛門町から芝公園に転居する[1]

1891(明治24年)2月、芝三田聖坂のフレンド教会で新渡戸稲造夫婦と出会う。529日、『蓬莱曲』を自費出版する。61日、横浜山手公会堂で「ハムレット」を観劇したときに坪内逍遙と出会い、その後逍遙の元に訪問する[1]

1892(明治25年)2月、評論「厭世詩家と女性」を『女学雑誌』に発表、注目される[1]。同じ頃、アメリカのクリスチャン教会のDF・ジョーンズダヴィッド・ジョンス)宣教師の通訳となり、麻布教会(現・日本基督教団聖ヶ丘教会)へ通う[7]3月、日本平和会の機関誌『平和』が創刊され、編集者・主筆となる。島崎藤村と知り合う。6月、長女の英子が生まれる。9月、『女学雑誌』に「心機妙変を論ず」を発表[1]

1893年(明治26年)2月、山路愛山の「頼襄を論ず」(『国民之友』18931月)に反論して、創刊して間もない『文学界[注釈 3]に「人生に相渉るとは何の謂ぞ」を発表。徳富蘇峰なども交えて論争となる。夏には伝道師として基督教会の磐中教会から福井捨助の開拓した花巻教会を支援する[8]8月、普連土女学校の教え子であった富井まつ子が18歳で病没、翌月「哀詞序」を書く[1]。日清戦争前夜の国粋主義に流れる時勢も反映したのか、次第に精神に変調をきたし、エマーソンについての評論『エマルソン』[注釈 4]を脱稿後、1228日に自殺未遂を起こし入院。

1894(明治27年)1月に退院し芝公園の自宅に戻るもののその後は執筆せず、516日の早朝、自宅の庭で縊死した。25歳没。葬儀は翌日、キリスト教式で行われた[1]

1894年(明治27年)108日に星野天知島崎藤村編による遺稿集『透谷集』が刊行、10月『早稲田文学』に金子筑水の「『透谷集』を読みて」を掲載。1902年(明治35年)101日、星野天知編による『透谷全集』(文武堂)が刊行される。 また、第二次世界大戦後の1950(昭和25年)、勝本清一郎編集により『透谷全集』(岩波書店)が刊行[9]

思想

1892(明治25年)2月、評論「厭世詩家と女性」を『女学雑誌』に発表し、近代的な恋愛観(一種の恋愛至上主義)を表明、「恋愛は人世の秘鑰(ひやく)なり」(鑰は鍵の意味)という冒頭の一文は島崎藤村木下尚江に衝撃を与えたという。

北村透谷文学碑(小田原市小田原文学館

1893(明治26年)、山路愛山との論争の中で、自身の自由民権運動への挫折感と自己批判をし、肉体的生命よりも内面的生命(想世界)における自由と幸福を重んじる『内部生命論』を発表した。

また、それまで自分には「信仰」と「愛」が欠けていたとして、キリスト教信仰は個人を支え、他愛は他者との間に相互に自立した人格的な結合を実現し、精神を純化すると考えた。

透谷の作品群は、近代的な恋愛観からも窺えるように、ジョージ・ゴードン・バイロンラルフ・ワルド・エマーソンの影響下にロマン主義的な「人間性の自由」という地平を開き、以降の文学に対し、人間の心理、内面性を開拓する方向を示唆している。島崎藤村は『桜の実の熟する時』『』において透谷の姿を描いている。

作品

  • 人生に相渉るとは何の謂ぞ
  • 内部生命論
  • 厭世詩家と女性
  • 万物の声と詩人
  • 蓬莱曲
  • 処女の純潔を論ず

北村透谷を題材とした作品

[編集]

脚注

    1. ^ 近くに数寄屋橋があり、筆名の透谷は「すきや」をもじったもの。
    2. ^ 東京専門学校には、1886(明治19年)頃まで籍を置いていたとされるが、卒業はしていない。
    3. ^ 当時は尾崎紅葉硯友社の最盛期であった。
    4. ^ 1894424日刊行。民友社の『拾弐文豪』の1冊。

 

 

石坂 昌孝(いしざか まさたか、1841611天保124221907明治40年〉113[1])は、日本幕末から明治期の名主政治家。神奈川県会議員、神奈川県会議長(初代)、群馬県知事(官選第5代)、衆議院議員4期)。幼名・高之助[1]。苗字は「石阪」とも表記され、文献によってぶれがある。

経歴

民権の森(町田市野津田町)にある石阪昌孝の墓 富士森公園(八王子市台町)にある石阪昌孝の顕彰碑「放庵石阪君之碑記」

武蔵国多摩郡野津田村(のち鶴川村、現在の町田市域)で豪農・石阪吉恩の三男として生まれ[2]、母の実家、名主・石阪昌吉の養子となる[1][3]安政410185711)、家督を相続し、又次郎を襲名[1]

明治維新後、明治5118722)、第三十戸籍区戸長となり、第八区区長、神奈川県権少属を歴任。18792月に神奈川県会議員となる。18807月、東京生糸商会を設立した[1]

自由民権運動に加わり、188111月、政治結社「融貫社」を結成し、青年を育成した。18827月、自由党に入党した[1][3]

18907月、1回衆議院議員総選挙に神奈川県第三区から出馬し当選[4]。以後、4回総選挙まで連続4回の当選を果たした[5]

18968月、群馬県知事に就任。同年9月、渡良瀬川の大洪水が足尾鉱毒事件の端緒となった[3]18974月、知事を非職となる[6]

官歴等

栄典

親族

 

 

 

力強く生きた明治女性、追って 門井慶喜さん朝日新聞連載「夫を亡くして」単行本に

2026317日 朝日新聞

 門井慶喜さんは本紙朝刊の連載小説で、夫の北村透谷に先立たれても、自分の足で力強く生きたミナの半生を書いた。遠い未来を見つめるミナの目はきらきらと光っていた。「この人の名前を毎朝見たいと思った」。ミナの物語が朝日新聞出版から「夫を亡くして 北村透谷の妻・ミナ」として単行本になった。

 「空気読まない魅力」令和の読者励ます

 門井さんがミナと出会ったのは何年も前だ。明治期の詩人、透谷について調べていた時だった。明治に女性がアメリカに留学していることに驚き、ノートに書き留めた。朝刊小説を書くにあたり、ミナの存在がぱっと思い浮かんだ。「あの時代に、空気を読まなかったミナに魅力を感じた。令和の時代に、僕の目の前にいても退屈しないだろうなと」

 ミナは「女が本を読むと生意気になる」とまだ言われていたような時代に育ったが、自由民権運動に熱中していた父に恵まれ、のびのび学び続けた。物語も、ミナが常識に逆らって、結婚相手を自分で決める場面から始まる。

 ミナと結婚した透谷は「厭世(えんせい)詩家と女性」を発表して、一気に文壇に躍り出る。娘も誕生したが、結婚生活はほどなくして透谷の自裁で終わりを迎える。

 だが、そこでめげないのがミナだ。物語は、留学先から帰国し、横浜港に戻ったミナを追う。

 実は、門井さんが今回の連載で最も苦戦したのが、この場面だった。物語としては透谷の死から何年も経っているが、「僕は昨日今日で書いているので、どうしても暗くなってしまう」。20年以上の作家のキャリアをもってしても、うまく書けない。書いては消して、を繰り返した。「振り返れば、ミナさんの明るさと事件の悲しさというものの微調整に苦労していたんだろう」

 英語教師という天職を得て、自分の人生を歩んだミナは言う。〈私は、奥様じゃないの。透谷の妻じゃない。ただのミナよ〉。「そういう話を書こうと思ったのではなく、自然とその感覚にたどりついた。僕は主人公を枠にはめずに泳がせて、ちょっと離れた電信柱の陰から観察するように書く。ミナさんは足が速くて忙しかった」

 連載には、夫を亡くした人だけでなく、男性を含めた幅広い読者から反応があった。「ミナさんに普遍的な人間の価値を見いだしてくださったんだろうなと。そこにたどり着くのがあらゆる小説の目的なので、書き方は間違っていなかったと思った」。今を生きる私たちを、ミナが鼓舞してくれる。(堀越理菜)

 

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