イーロン・マスク Walter Isaacson 2025.3.31.
2025.3.31. イーロン・マスク 上・下
Elon Musk 2023
著者 Walter Isaacson 1952 年生まれ。ジャーナリスト、伝記作家。ハーバード大学を経て、オックス フォード大学にて学位を取得。米国『TIME』誌編集長、CNN の CEO、アスペン研究所 CEO を歴任。主な著作に、世界的ベストセラーとなった『スティー ブ・ジョブズ』(講談社)、ノーベル賞を受賞した科学者ジェニファー・ダウドナの伝記『コード・ブレーカー』、『レオナルド・ダ・ヴィンチ』(ともに文藝春秋) など。現在はトゥレーン大学教授。ニューオリンズに妻とふたりで暮らす。
訳者 井口耕二 1959年福岡県生まれ。東大工卒。オハイオ州立大院修士課程修了
発行日 2023.9.10. 第1刷発行
発行所 文藝春秋
序章 火の女神――炎のミューズ
12歳でベルドスクールという軍事教練版のサバイバルキャンプに弟と共に放り込まれた。身体が小さくやられっぱなしだったが、16歳で再度送られた時は十分対応できた
1980年代の南アフリカは血なまぐさい場所。イーロン兄弟は血の海を歩いて渡ってきた
小学校の頃から体が小さく共感が苦手で、人間関係がうまく作れなかった。父親も身勝手な空想に溺れる性悪で、分けもなく子供たちをどやしつける
理不尽な父親の前では感情を抑えざるを得ず、その感情遮断弁があるからマスクは冷淡だと言われるのだろうが、それがあるから積極的にリスクを取るイノベーターになれたとも言える
子供時代のPTSDで、満たされるのを嫌うようになったのか、成功をかみしめるとか花の香りを楽しむとか、そういうのはどうすればいいのか分かっていないのではないか(マスクの子供3人の母親で、グライムスという名で活動する音楽家のクレア・ブーシェイの感想)
マスク自身も、苦しみが原点で、ちょっとやそっとでは痛いと感じなくなったという
2人目の妻タルラ・ライリーも、それを聞かされていて、「心のどこかでいつも父親の前で立たされている自分を感じているのでは」と言っている
マスクは、人の意識という耀きを慈しもう、宇宙を探索しよう、地球を守ろうなどと預言者の信念をもって語る。この使命感は彼を突き動かす力の一部で、宇宙観を確立している
ティールが言うように、マスクはリスクを楽しみ、リスクに溺れている。第7代大統領のジャクソンと同様で、嵐が近づくと生を実感するタイプ。波乱を呼ぶ男であり、それが人生のテーマ
第1章
冒険者の系譜
マスクがリスクに惹かれるのは遺伝。母方の祖父は、冒険家でテクノクラシー(テクノクラートが国を動かすべきとする)。父エロールは、金儲けに執心。出来心で結婚したが、すぐに妊娠
第2章
マスク自身の心 プレトリア(1970年代)
1971年、イーロン誕生。3歳の時、まだ早いと言われたのに幼稚園に入れたのが失敗で、友だちも出来ないまま孤独になるきっかけ
マスクは社会性や人間関係、共感、自制などに影響のある自閉症スペクトラム障害の一種、アスペルガーであることを公言していて、子供時代のトラウマがそれに拍車をかけている
8歳の時、両親がエロールのDVで離婚。母は働きに出て、子どもは放任された
第3章
父との暮らし プレトリア(1980年代)
10歳で、父親と暮らす決断、4年後には弟のキンバルも合流
学校での成績は図抜けていたわけではないが、英数は良かった
第4章
探究者 プレトリア(1990年代)
少年の頃はSFやゲームに熱中。プログラミング・クラスでも優秀な成績で、13歳になると独習でゲームを開発。生涯を通じてビデオゲームに嵌り、ゲームセンターを計画
第5章
脱出速度 南アフリカを出る(1989)
17歳で多重人格の父親から逃げ出す。1989年、母方の祖母がカナダ生まれなのを頼って市民権をもらい割引航空券を買ってカナダに出発
第6章
カナダ(1989)
母方の親戚を頼りに、両親からの餞別をもって親戚を訪ね歩く
間もなく母親と妹も合流し、トロントで一緒に暮らし始める
第7章
クイーンズ大学――オンタリオ州キングストン(1990~91)
SATを受けてクイーンズ大に入学し入寮、初めて友人ができ、ボードゲームとコンピュータ・ゲームに熱中、特に戦略ゲームが得意
アルバイトで訪問したスコシアバンクで戦略企画を統括するピーター・ニコルソンを知り、南アの債務について調査した際、米政府が保証するブレイディ債が市場で不当に安く売られているのをみつけて、スコシアバンクに大量に買うことを提案するが却下、その時の銀行への不信が後のペイパル開始の遠因。人の下で働くことの不合理さも学ぶ
第8章
ペンシルバニア大学――フィラデルフィア(1992~94)
マスクは、クイーンズ大の講義に飽き足らず、奨学金を得て3年次でペンシルバニア大に移籍、工学に興味があったので物理学を専攻。併せてビジネスの学位も狙う
当時から、火星まで行けるロケットと電気自動車に興味を持ち、ようやく実用段階に入った太陽電池こそ持続可能エネルギーの本命だと考えた
マスクの感情を鎮める方法は3つ。戦略ゲームと百科事典を読む事、それにパーティ
第9章
西へ――シリコンバレー(1994~95)
1994年夏のインターンでは、シリコンバレーでピナクル研究所と小さなビデオゲームメーカーを選択。改めて、自分のシステムエンジニアとしての能力を再確認
マスクは、車いじりが好きで、自ら変速機を改造したりして部品に関する感覚も持つ
‘95年春の卒業後シリコンバレーに戻り、スタンフォード大の大学院に籍だけ確保して、折からのインターネットの波に乗ることを考える
第10章 Zip2――パロアルト(1995~99)
NYNEXの幹部の講演でヒントを得た、事業者の電話帳をオンラインで検索可能にした上で地図ソフトと組み合わせ道案内を可能にしようというソフトを、弟と一緒に考え、「対話型ネットワーク商工名鑑」の特許も取得
Zip to:さっさと行く
'96年には投資家からの打診300万ドルが来て驚愕。ソフトウェアを大手新聞に販売しライセンス料を取る。全米クエイク選手権で準優勝
'99年、3.7億ドルで検索エンジン強化を企図したコンパックが買収、イーロンは2200万ドルを手にする。160㎡のコンドと100万ドルのマクラーレンF1を購入
第11章 ジャスティン――パロアルト(1990年代)
クイーンズで出会った本の虫で将来の小説家を夢見るジャスティン・ウィルソンと付き合う。ジャスティンもマスクの大望に心を動かされ、パロアルトで同棲するが、いつも議論ばかりしながら、周囲の反対を押し切って結婚
第12章 Xドットコム――パロアルト(1999~2000)
大金を手にした後のマスクの狙いは、ディスラプションの機が熟していると見た金融界で、スコシアバンクから旧友のハリス・フリッカーをスカウトし、Xドットコムを立ち上げ。1200万ドルを投資し、ワンストップ・バンキングを提供すること。金融界のニーズをすべて満たし、一瞬で処理する。お金とはデータベースに数字を入力することに外ならず、全ての処理を安全確実かつリアルタイムに記録する方法を考えればいい。金融処理システムからお金を引き出そうと考える理由をすべてなくしてしまえば、お金は処理システムの中に留まる
経営スタイルは変わらずの猛烈な働き過ぎで、フリッカーも逃げ出す
ユーザーインターフェースをシンプルにすることに情熱を燃やし、電子メールアドレスをユーザー名の代わりに使えるようにしたり、電子メールで送金できる機能など大人気を博す
同じビルにいたコンフィニティの共同創業者ピーター・ティールとマックス・レブチンは、ペイパルという個人間の送金サービスを提供する会社を作って、Xドットコムと顧客獲得競争を展開
両社は2000年初頭に合併話を始めるが、途中でティールを乗せたマクラーレンが土手に激突、2人は九死に一生を得て急速に近づく。50対50、存続会社はXドットコムで決着、マスクがCEOとなり、ベンチャー・キャピタルからの監視役を追い出す
新会社は電子決済システムを統合し、ペイパル(パルは「相棒」の意)という名前で展開
ビル・ゲイツに心酔するマスクは、ペイパルのオペレーティングシステムを1年かけてマイクロソフトに書き直す。レブチンはマイクロソフトのセキュリティが甘いと言って反対、リナックスなどユニックス系を使ったが、結局はマスクに押し切られ、詐欺の対策も遅れる
第13章 クーデター ―― ペイパル(2000年9月)
詐欺の増加で会社が倒産の危機に瀕したのに、対策を取ろうとしないどころか、ペイパルを単なるイーベイの決済サービスに終わらせずに、デジタル銀行をつくる第1歩と考えるべきと主張するマスクに、レブチンたちペイパル一派がとても付き合いきれないと、マスクの新婚旅行休暇中にクーデターを起こす。取締役会でCEO退任が決まるとマスクは素直に受け入れる
ペイパルは'02年、イーベイに15億ドルで買収され、マスクは2.5億ドルを手にする
マスクはCEOを解任されたおかげで、ツイッターの買収を進め、火星探査計画のスターシップの試験に注力できたともいえる。暇ができたおかげで世界を見て歩く途中でマラリアに罹り、もう少しで手遅れといわれた
第14章 火星――スペースX(2001年)
解任後最初に挑戦したのがパイロット免許。50時間の教習を2週間でこなし、合格後はソ連製軍用ジェットを購入。次いで、NASAが火星探査をやっていないこと、火星協会の講演でほかの惑星に移住しないと地球はパンクすると聞かされロケット開発に興味を持つ
マスクは、エンリコ・フェルミのパラドックスが気になって仕方ない。宇宙人の議論で、「では、彼等はどこにいるんだ?」と問うたことからこう呼ばれている矛盾を解決したい。地球に何かが起こってもほかの惑星に住むようになっていれば、人類の文明と意識は生き残れる
自分のビジョンを天からの負託だと周りに思わせられるのが、マスクの凄いところ
ロケットの会社は、航空宇宙系の会社が集中しているロサンゼルスに設立。ジャスティンとの結婚で米国市民権の資格ができ、’02年ロスでの宣誓式に参加
第15章 ロケット開発に乗り出す――スペースX(2002年)
火星に行くロケットを求めてロシアに向かうが、交渉はうまくゆかず、代わりにロケット製造の民間会社設立を決意。'02年スペース・エクスポロレーション・テクノロジーズ社を立ち上げ
第16章 父と息子――ロサンゼルス(2002年)
'02年最初の息子ネバダが誕生するが、生後10週で突然死症候群に襲われ死去
マスクは父を再婚してできた家族ともども南アフリカから呼び寄せ、南加に住まわせたが、再婚相手の連れ子の娘に不自然に優しいのを見て南アに送り返す
第17章 回転を上げる――スペースX(2002年)
ロケットエンジンの製造会社TRWに勤務するアイダホ出身のロケットオタクのトム・ミューラーをスペースXの1号社員として雇う。2年分の給料の第三者預託を要求され、共同創業者ではなく、あくまで社員。ロス空港近くのホーソーンに工場、ロケット名はファルコン(鷹)
第18章 ロケット建造のマスク流ルール――スペースX(2002~03年)
火星に住むという最終目標のためには、費用対効果を考えるのはマスト。部品は70%まで内製。さらに軍やNASAによる厳しい仕様や要件を徹底して洗い直し、必要最低限に抑える。非現実的な期日やコスト目標を課し、気が狂いそうな切迫感をもって仕事を強い、結果できなければ、後からその原因を説明させる。結果、業界最低のコストで開発に成功
反復型のアプローチで、試作品を失敗させながら改良して完動品にもっていく
倒産した民間ロケット会社のテキサスの試験場を格安で借り、'03年第1回の試運転実施
第19章 マスク、ワシントンへ行く――スペースX(2002~03年)
マスクは、公私いずれも他人とうまく付き合えるタイプではない。相手と対等な関係を結ぶスキルは持ち合わせていないし、誰かを敬服するなどあり得ないが、唯一の例外が'02年入社して、後にプレジデントとなるグウィン・ショットウェルで、マスクと20年以上も仕事をした
シカゴ出身、スペースXのすぐ近くのスタートアップで宇宙システムの営業をしているときに、友だちにマスクに紹介されスカウト。内製によるコストカットの話に惹きつけられ、7人目の社員として入社。夫がアスペルガー症候群で、マスクとの付き合い方に1日の長があった
国防総省から小型の戦術通信衛星TacSat打ち上げ契約を350万ドルで取り、国立航空宇宙博物館の脇でファルコンを公開、NASAの注目を集めるが、NASAが別の発注案件を、財務面で不安のある有力企業を支援するために随意契約でやったことに抗議して提訴。勝訴して一部の契約を獲得するが、NASAの不正な行為にも敢然として立ち向かうのはマスクらしい
この提訴が契機となって、NASAや国防総省はそれまでの実費精算契約から民間企業が入札に参加する固定価格契約に変更された。マスクは実費精算主義では、受注者はリスクを取って開発するインセンティブがなく、火星に行くためのイノベーションは起こらないと説得した
第20章 創業者そろい踏み――テスラ(2003~04年)
ウィスコンシンの車マニアのJBストラウベルは13歳でゴルフカートを電気自動車に改造。スタンフォード大でエネルギーシステム工学を学び、インターンでヒュ-ズ・エアクラフトの静止衛星シンコムを設計した起業家のハロルド・ローゼンのところでインターン。ローゼンははずみ車で発電するハイブリッド車を開発していたが、JBは一般的な車用鉛蓄電池を使って古いポルシェを電気自動車に改造、加速は優れていたが50㎞しか走らず。次にノートパソコンで使われているリチウム電池の利用を検討。容量が大きくいくつもつなぎ合わせることができる
スペースXを創業したマスクの講演を聞いて出資を依頼。スタンフォード時代、高密度エネルギー貯蔵の研究を思い立ち、エネルギー貯蔵と電気自動車こそ世界に一番大きな影響を与えられるのではと考えたマスクは、試作車を見てすぐに「世界が変わる」と製品化を進言
すでにACプロパルジョンという会社がリチウムイオン電池の電気自動車を検討。第1弾として試作したのがティーゼロだが、最初から高級車を狙うべきとのマスクの進言には否定的
同じ様なことを考えていたのが、ロケット・イーブックという電子書籍の会社を売却して創業者利益を手にしていたシリコンバレーの起業家マーティン・エバーハードで、ガソリン以外の自動車を考え、ACプロパルジョンに鉛畜電池をリチウムイオン電池に変えるなら15万ドル出すと言って、'03年0~100㎞加速3.6秒、航続距離500㎞の新型ティーゼロ誕生。エバーハートは商業化を提案したが拒否されたため、ライセンスを受けて自分で会社を興す。ハイエンドのロードスターから始めて大衆車に拡大する計画。会社名は誘導モーターを発明したニコラ・テスラから取る。AC社から出資者候補としてマスクを紹介され、640万ドルの出資と会長就任が即刻決まる。事業の可能性よりミッションの重要性に目を向けるマスクに関係者は驚く
共同創業者は5人、マスク、エバーハードが最高経営責任者、同僚のターペニングがプレジデント、同じく同僚のライトが最高執行責任者、JBが最高技術責任者だが、後々物議をかもす
第21章 ロードスター ――テスラ(2004~06年)
テスラについてマスクが下した決断の中で特に重要なのは主要部品の内製化で、品質とコストとサプライチェーンを掌中にして、大量生産可能な製造プロセスと工場を手にしたのが重要
自動車業界では、フォード設立の当初の内製率100%から部品メーカーをスピンオフするのが主流となっていたが、テスラは当初こそ英国の名門ロータスのボディにAC社の電動パワートレインを組み込もうとして、さらに900万ドルを投資したが、マスクは逆行
誰が会社のトップかで揉める。マスクは最初こそスペースXにかかりっきりだったので、会長でよかったが、すぐに細部にまで口を出し初める。必須とした設計変更がドアの大型化とシートの幅拡大。急拡大する資金需要を前にベンチャーキャピタルから4000万ドルを調達
ところが、そのお披露目やマスコミの取り上げ方は、エバーハードが創業者でマスクは初期投資家としてしか紹介されず、両者の溝が深まる
試作車公開のイベントでは、セレブが続々と10万ドルの前金を送って来た
第22章 クワジュ ――スペースX(2005~06年)
2005年、スペースXの打ち上げにはロス北西郊外のバンデンバーグ空軍基地を使いたかったが、超極秘のスパイ衛星打ち上げのため使用できず、代わりに見つけたのがマーシャル諸島のクワジェリン島の米軍基地だったが、物流と潮風に悩まされながら'06年初頭に打ち上げ
第23章 ツーストライク――クワジュ(2006~07年)
2006年3月、最初の打ち上げは燃料漏れで爆発。原因はナットが潮風でさびたためだったが、各部品に記された作成者の名前が記者会見で公表され、優秀な技術者を失う
1年後に2回目の打ち上げでは宇宙に達したが、軌道に達する前に爆発。リスクリストの11番目の項目が原因だったため、以降11番目のリスクまではとらないと決める
第24章 SWATチーム――テスラ(2006~08年)
2006年、プトロタイプ発表。原価は8.3万ドルの膨張。さらにロータスのボディも設計変更で完成は1年先延ばし、その時の原価は11万ドルまで膨らむとの試算
ミシガン州出身のベンチャーキャピタリストのアントニオ・グラシアスは、テスラの資金調達の4ラウンドに参加し、'07年取締役となる
グラシアスは、ロボット工学を専門とする英国人技術者のティム・ワトキンスを誘って、投資先の製造効率を高める手法を開発。マスクは2人にテスラの生産にまつわる問題点を相談
サプライチェーンを辿ると問題山積、コストも納期も膨大で、全体を統括する機能もない
第25章 ハンドルを握る――テスラ(2007~08年)
マスクは膨張する原価に、エバーハードが製造原価について嘘をついていたと責め続け、ついに追放される。ターペニングも程なく辞職。未だにマスクは、エバーハードと関わったことが人生最大の失敗とまで言っていて、エバーハードは名誉棄損で提訴
'09年和解成立。非難合戦をやめ、前述の5人を共同創業者と呼ぶことになる
電子機器の受託生産をする業界のリーダーだったフレクストロニクスのCEOマイケル・マークスを暫定CEOに依頼するが、すぐに外注と内製で対立、マークスは退職
2008年10月、マスクがCEOに就任。1年で4人目のCEO
第26章 離婚(2008年)
イーロンとジャスティンは、体外受精で04年に双子を、06年には三つ子を設け、ベルエアの丘に住んで、セレブとの華やかな生活もあったが、弟も見るに忍びない位の口喧嘩はしょっちゅうで、トロフィーワイフ扱いを嫌ったジャスティンは身を引いて行く
ジャスティンも最初の子を失ってから、心理療法を始め、注意欠陥障害と診断され、アデロールという薬に頼っていたが、ロケット爆発が続き、テスラもしっちゃかめっちゃかだった'08年春、ジャスティンは車の事故でさらに落ち込む。結局責められ続けたイーロンが離婚を申請
第27章 タルラ(2008年)
公私とも混乱の最中、ロンドンの王立航空協会での講演に出かけ、その後連れていかれたナイトクラブで22歳の俳優タルラ・ライリーと会って一目惚れ。1週間後にロスに呼び寄せてプロポーズ。弟キンバルの強い勧めで、結婚は1,2年延ばす
第28章 スリーストライク――クワジュ(2008年8月3日)
すべてを賭けた3回目の打ち上げも、ブースターを切り離し軌道に到達するまでに行ったときに爆発したが、それでもマスクは諦めず、6週間後の4回目を目指す
第29章 崖っぷち――テスラ、スペースX(2008年)
2008年2月、最初のロードスターが生産ラインから出てくるが、利益が出る形で量産できなければ意味がない。これまで倒産を経験せずそこまで行けたのはフォ―ドしかない
リーマンショックもあって資金が枯渇する中、顧客からの予約金にまで手を付け崖っぷちに
第30章 4日今の打ち上げ――クワジュ(2008年8~9月)
4回目の打ち上げの資金の面倒を見たのは、ペイパルマフィアが創立したファウンダーズファンド。ピーター・ティールも2000万ドルの出資を承認。マスクがペイパルを追い出された後も彼らとの交流を途切らさなかったのが命綱に繋がった
9月28日、無事打ち上げに成功。民間が独自開発したロケットとして初めて地上から打ち上げて軌道に到達
スペースシャトル計画が終わった後、国際宇宙ステーションとの往復の手段確保のため、NASAは物資輸送契約をコンペにかけていたが、打ち上げの成功により、今後12往復、16億ドルの契約獲得に成功。マスクはコンピュータのログインパスワードを「ilovenasa」に変えた
第31章 テスラを救う(2008年12月)
テスラも、クリスマスイブで資金が尽きるが、投資家は新たな投資に尻込みしたので、借り入れを計画、何とか全投資家が承認して窮地を脱する。当時米国の大手自動車会社は軒並み電気自動車から撤退。'09年、エネルギー省の先進技術自動車製造ローンを利用して4.65億ドルを有利子で借入、3年後には完済。日産が完済したのは'17年、フィスカーは倒産、フォードは'23年現在完済できていない。不良資産救済プログラムTARPによる支援ではない
フィスカーは、自動車デザイナーのヘンリック・フィスカーが立ち上げた電気自動車(EV)の新興メーカー。'24年6月米連邦破産法第11条の適用を申請。昨年の売上高は2億7,300万ドル、負債は10億ドル(約1,550億円)超。日産に出資支援を求めたが挫折
ダイムラーが、ガソリン車のスマートの電気自動車化をマスクに依頼。借り入れより前の'09年5月、試作車で体験運転させて5000万ドルの資本参加が決まり、テスラの救世主となった
第32章 モデルS――テスラ(2009年)
一息ついたテスラは、製造原価6万ドルで大量生産できる主流の4ドアセダン、テスラSの開発に着手。デザインをデンマーク生まれで南加に住むヘンリック・フィスカーに依頼したが決裂。同業のフランツ・フォン・ホルツハウゼンと意気投合し社内にデザインスタジオをつくる
オーナーと絆を結ぶ代表的な象徴となったドアハンドルも、近づくとハンドルが感知し光って飛び出すアイディアを仕込む。車をハードウェアではなくソフトウェアと捉え、新機能をネット配信する構想
第33章 民間による宇宙開発――スペースX(2009~10年)
宇宙ステーションへの物資輸送のためにはよりパワフルなロケットが必要で、従来のエンジン9基を積んだファルコン9を開発。その後10年にわたって荷馬として活躍。高さ49mでファルコン1の倍、出力は10倍、重量は12倍。ロケットの頂部に取り付けて打ち上げる宇宙船「ドラゴン」も開発、さらに定期的に打ち上げる発射台をケネディ宇宙センターでリース
コスト削減のために、あらゆる規制を見直し、徹底的に緩み切った航空宇宙業界のコスト標準を打破、宇宙を民営化するとともに、そのコスト構造を根本的に変える
'09年、オバマ政権は宇宙計画を破棄し民間移行を決定。宇宙開発の放棄かと批判されたが、スペースXの成功により、決定の正しさが証明された
第34章 ファルコン9、リフトオフ――ケープカナベラル(2010年)
2010年6月、ファルコン9の打ち上げに成功
年内には、無人宇宙船を軌道に打ち上げ、地球へ安全に戻ることを示す。いずれも民間としては初の快挙。さらにオバマ政権は、人間も民間で打ち上げると決定。窓の装着が必要となる
第35章 タルラと結婚(2010年9月)
タルラは、マスクの「男の中の子ども」が琴線に触れたという
マスク自ら、「僕と暮らすのは大変かもしれない。辛い道になるだろう」と告白されたが、タルラはあえて覚悟を決め、スコットランドで結婚。'16年まで関係は続き、マスクの人生で比較的安定した時期としては最長。それだけピッタリの相手だったのではないか
第36章 生産――テスラ(2010~13年)
オラクルのラリー・エリソンが社外取締役を引き受けたのはアップルとテスラの2社のみ。ジョブズともマスクとも親しい友人になったが、「彼らが成功した一因は強迫性障碍にあり、問題に気付くと、何が何でも解決してしまう、そうせずにはいられないから」と証言。マスクがジョブズと違うのは、製品のデザインに加え、それを支える科学や工学、生産にまで強迫的な接し方をする点だという
2010年、トヨタがカリフォルニア・フリーモントのGMとの合弁工場を売りに出した際、かつては資産価値10億ドルといわれた工場を、豊田章男社長をロードスターに乗せたりして4200万ドルで買収に成功した上に、5000万ドルの出資をトヨタから取り付ける
工場買収の翌日株式公開。米国自動車メーカーのIPOは1956年のフォード以来。45%以上も値上がりし、2.66億ドルの資金調達に成功
'12年6月、モデルS第1号車のラインオフ。マスクは従業員宛てに電子メールで、「誰も経験したことのない程密度の高い仕事をする心づもりをしておくこと。弱い心では業界に革新をもたらすなどできるはずがない」と檄を飛ばしている。同年のカーオブザイヤーに選出
'13年、マスクは世界最大のバッテリーのギガファクトリー建設を発表。未踏の分野でありパナソニックをけしかけ40%の参加を引き出す。パナソニックも創業95年を機に変革を決断
第37章 マスクとベゾス――スペースX(2013~14年)
2000年、ベゾスはブルーオリジン創業。1969年、5歳の時、アポロ11号の月面着陸に感動、長じて11号のエンジンを大西洋から回収し、自宅の居間に飾っていた。再利用可能なロケットの開発を開始。マスクと同様の伝道師的発想。'04年、初めてマスクと出会う
'11年、スペースシャトルの退役で放置されたNASAの第39A発射台のリースがスペースXにいくと、ベゾスが法廷に異議申し立て。ベゾスは第36発射台とその施設のリースを獲得
SF王同士の闘いが勃発。ベゾスは密かに「宇宙船の海上着陸」の米国特許を取得、マスクは50年も前から検討されてきたアイディアで特許はおかしいと反論、ベゾスは取り下げる
第38章 ファルコン、鷹匠に従う――スペースX(2014~15年)
再利用可能なロケットを目標に、ファルコン9の実験試作機「グラスホッパー」を開発、着陸脚と可動グリッドフィンを装着。’14年には着陸実験するが、1000m上昇後爆発
業界全体でも、爆発や失敗が続き、ファルコンも5年経って初めて失敗
'15年にベゾスの方は小型ロケットで、宇宙空間が始まるとされる高度まで上昇して戻る試験に成功。その4週間後、スペースXはファルコン9で同様の実験に成功
第39章 タルラのジェットコースター(2012~16年)
タルラは'10年の結婚後は女優を隠退したが、仕事漬けのイーロンに1人置いて行かれ、寂しさに堪えかねて’12年離婚申請するが、法廷で再会してよりを戻し再度結婚するが、同じことの繰り返しで、’15年英国に戻る。子供は作らないと決めていた
第40章 人工知能――OpenAI(2012~15年)
ピーター・ティールは、毎年自身が立ち上げたファウンダーズファンドから出資している企業のトップを集めた会を開催。'12年にその会合でマスクは、神経科学が専門でビデオゲームの開発や人工知能の研究をしているデミス・ハサビスに出会う。4歳でチェスの天才と呼ばれ、事務所にはアラン・チューリングが'50年に発表した人工頭脳マシンと人間を競わせる「模倣試合」を提唱した論文の原本があり、汎用人工知能となり得るコンピュータベースのニューラルネットワークを開発するディープマインド社を共同創業していた。2人は意気投合。マスクの宇宙論に乗って、ハザビスがAIが賢くなって人類を超えると、最悪人類を処分すべきと判断し兼ねない危険性を指摘。マスクは人工知能の危険性に目を光らせるために500万ドルの出資を決める。グーグルのラリー・ペイジや、ルーク・ノゼック、リード・ホフマンらにその話をしても相手にされなかったのに、’14年突然グーグルがディープマインドを買収。AIの安全性に注目する気のないペイジに対し、マスクは人工知能の危険性を世に訴える。アマゾンがチャッドボット型のデジタルアシスタント、アレクサを発表、グーグルも似たような商品で後を追うと、さらなる安全策構築を働きかけ、ソフトウェアアントレプレナーのサム・アルトマンにも連絡し、'15年末、2人で非営利の人工知能研究所OpenAIを設立。開発したソフトウェアをオープンソースにすることでグーグルの支配に対抗しようとした。ティールとホフマンも出資
2022年にOpenAIがChatGPTというチャッドボットを発表すると、「AIアラインメント」の議論が盛り上がる。「AIアラインメント」とは、人間を傷つけてはならないというアイザック・アシモフが小説で唱えたロボット3原則と同じく、人が掲げる目標や価値に沿う形でAIが働くようにすること。そのためにマスクは、ボットと人を不可分な関係にすることを提唱
人工知能で成功するためには、現実世界の大量にデータによってボットに学ばせることが必要で、マスクはテスラがそういうデータの宝庫となり得ることも気づいた。運転するごとに膨大なデータを取り込んでいる。後に、もう1つのデータの宝庫が毎日5億件の投稿を処理するツイッターと気づく。グーグルの研究者イリヤ・スツケヴェルもスカウトして開発のトップに
人工知能に興味を抱いていたマスクは、関連のプロジェクトを次々に立ち上げるが、グーグルに対抗するためにOpenAIをテスラの傘下に入れようとしたが、アルトマンが反対。マスクは’18年テスラへの人工知能の搭載を強行。OpenAIはこれに反発して、アルトマンをトップに営利法人を立ち上げ資金調達に乗り出し、両者の競合が始まる
第41章 オートパイロットの導入――テスラ(2014~16年)
マスクはペイジに車の自動走行のためのオートパイロットシステムの共同開発を持ちかけていたが、人工知能に対する考え方の違いから、自社開発に切り替え
今、ウェイモとして展開されているグーグルのオートパイロットは、「光による検出と測距LiDAR」という技術を使う。レーザー光を使うレーダー機器だが、マスクは人は映像データだけで運転しているので、自律運転もカメラの映像データのみで実現すべきと主張
'16年の最初のモデルは、カメラ8台、超音波センサー12基、雨などでも前方確認できるレーダー1基を搭載と決定。最初のテスラの人身事故は'16年。左折するトレーラートラックの明るい空を背景とした真白な側面をオートパイロットもドライバーも認識できなかったための事故死。マスクは事故を減らせたかどうかで評価すべきと主張するが、誰も取り合わない
実現目標を’17年末と設定、その後もあと1,2年と言いつつ完全自動運転の実現を諦めない
第42章 ソーラー テスラエナジー(2004~16年)
ネバダの砂漠で開催される芸術と技術の祭典・バーニングマンで、マスクは従弟たちの気候変動対応への貢献の提案に対し、太陽光発電を提唱。従弟たちはマスクの1000万ドルを使ってソーラーシティなる会社を立ち上げ、’15年には電力会社以外によるソーラーパネルの1/4を占めるまでに成長するが、ビジネスモデルが気に入らないマスクは、’16年テスラを通じて買収。ネバダのバッテリー工場と連携し、テスラを「エネルギーイノベーション」の会社として売り出す。年内にはソーラタイルで葺かれた屋根から生み出された電気を住宅向けバッテリーのパワーウォールとテスラ車のバッテリーに蓄えるソーラーハウスの完成形を華々しく発表
第43章 ザ・ボーリング・カンパニー(2016年)
香港に行ったとき、街の下にトンネルを掘れば道を3Dに出来ると考え、一般的な掘削機で直径12mの丸いトンネルが掘れること、コンクリートで補強する必要もないことを確認すると、すぐに1基500万ドルの掘削機を買って、ロスの渋滞解消策として実行に移す。会社名は掘削と退屈を掛け合わせた「ザ・ボーリング・カンパニー」、資金はマスクが1億ドル提供
地表からいきなり斜めに掘り下げるやり方で、’18年末には1.6㎞のトンネルが完成。'21年にはラスベガスの空港から都心まで2.7㎞のトンネルをテスラで往復できるようにしたが、それ以外の話は聞かない
第44章 苦難の人間関係(2016~17年)
マスクは政治的タイプではない。その政治姿勢は、テッキ―らしく社会問題に対してはリベラルだが、規制やポリティカルコレクトネスには賛同しない。大統領選挙でもオバマやクリントンを支持、トランプを痛烈に批判していたが、トランプが勝利すると楽観的な見方に転じる
トランプを支持していたティールの誘いで、テックCEOの会合にも出席。NASA復活を意図するトランプに幻滅しながらもCEO円卓会議に参加したが、気候変動のパリ協定離脱がとどめとなって大統領諮問委員会を抜ける
マスクがコンサルタントとして加わった宇宙ステーションを舞台にしたアクション映画《マチューテ・キルズ》(2013)で主演したアンバー・ハードと、1年後に再会。さらに、'16年ジョニー・デップとの離婚騒ぎで疲れていたアンバーにとってマスクは爽やかな一陣の風となり付合いが深まる。キンバルからは猛毒・悪夢と言われながらも付き合い、結局は喧嘩別れ
'16年、父親との関係改善のためキンバルと共に南アにエロールを訪ねるが、気まずい雰囲気のまま別れ、さらに翌年になって義娘がエロールの子を身籠ったと聞かされて完全に親子関係は断絶
第45章 闇に沈む(2017年)
2018年秋は、公私ともに最悪の時期。双極性障碍(躁鬱病)を自認し、仕事に没頭して凌ごうとする。その煽りを食らったのがテスラの生産とバッテリー工場で、不可能な生産目標の達成を強いられ
第46章 フリーモント工場の地獄――テスラ(2018年)
バッテリー工場のボトルネックが大分解消されると、次のターゲットはフリーモントの組み立て工場。週2000台を5000台に引き上げる
'18年初め、テスラの株価は最高値を更新。時価総額はGMを上回る。GMの売上は1000万台、120億ドルの利益に対し、テスラは10万台で22億ドルの赤字だったため、史上最高の空売りが浴びせられる。怒ったマスクは、何が何でも目標値の達成へと邁進。突飛な目標達成の暁には1000億ドルの報酬をもらう代わりに、未達なら無給との大胆な経営者報酬を決定
自動化の行き過ぎは認め、一部人動化に戻す。組み立てライン増設の必要性を認めたが、工場建設の許可に時間がかかるとなると、一時的な補修のためにのみ認められているテントを張って急増のラインを許可なしで稼働。テントの大きさは300mx45mで、3週間後には完成車がロールアウトし始める
'18年6月、スペースXはNASAから受託したミッションを15回連続で成功、56回の打ち上げに成功、失敗は1回のみ、翌日にはテスラが目標の5000台を達成
マスクが唱える生産に関する5つのアルゴリズムとは、①要件は全て疑いおかしなところは少しでも減らす、②部品や工程は極力減らす、③シンプルに、最適に、④サイクルタイムの短縮化、⑤自動化、バグを潰し切ってから自動化に着手
技術系管理職には実戦経験が必要、仲間意識は危ない、自信を持った状態で間違うのだけはやめる、採用では心構えを重視、気が狂いそうな切迫感をもって仕事をする、などの教訓
第47章 オープンループ警報(2018年)
成功の直後にまたもや嵐を求める渇望に翻弄。次はタイでの洞窟閉じ込め事故。スペースXとボーリング・カンパニーの技術者を総動員、小さくて細い潜水艇を作り現地救助チームに提供
最終的には洞窟探検家により救出され、マスクの好意は売名行為と切って捨てられたが、マスクへの誹謗中傷に対しペド野郎(小児性愛者)と応酬したため、テスラの株価が3.5%も急落
マスクの破滅的な言動は止まらず、「オープンループ」になったと囁かれた。誘導ミサイルと異なり、進むべき道を示すフィードバック機構がない鉄砲玉などの物体に使われる表現
サウジの政府系ファンドが5%買い進めたことで、マスクは株式非公開化を相談。目標達成で16%も急騰。さらに、急騰を意識しながら取引所に警告なしに非公開化を発表すると7%急騰したため、SECの調査開始。腰の引けたサウジにマスクが激怒して、改めて非公開化を撤回
機関投資家やマスメディアから凄まじい揺り戻しが来て、和解の動きが出たが、マスクが蹴ったため、SECは詐欺の疑いで、マスクに上場企業の経営を生涯禁じる訴訟を提起。株は17%急落。最後は周囲の説得にマスクも諦め、SECと和解し株価も回復
第48章 落下(2018年)
マスクの不安定な精神状態があちこちで報じられると、打ち消すためにジョー・ローガンのポッドキャストによる動画配信に出演したが、合法だと言われて差し出されたマリファナを仕込んだタバコをくゆらせたのが大手紙に掲載されると、株価は年初来安値近くまで下落
加州では違法ではないが、投資家の神経を逆なでした上、連邦政府の定めは破った可能性がありNASAが調査に乗り出し、あと何年か抜き打ちで薬物検査を受けさせられる羽目に
弟のキンバルとも、彼の経営するレストランの資金支援問題で破綻寸前まで行ったし、象徴的かつ心情的な意味で一番大きいのはストラウベルの離脱。16年近くも寄り添っていたのについに付き合いきれなくなってテスラを去るが、マスクは彼に敬意を抱き続け、'23年にはテスラの取締役への就任を打診
第49章 グライムス(2018年)
落ち込んでいるマスクの前に表れたのがバンクーバー出身のパフォーマンスアーティストのクレア・ブーシェイ、芸名グライムス。既に4枚のCDを出していた。人工知能の暴走の思考実験をするうちにツイッターで遣り取りする仲となり、マスクが仕事をしている間一緒に工場に音楽の機材を持ち込んで仕事をしているうちに抜き差しならなくなる
第50章 上海――テスラ(2015~19年)
ペンシルバニア大でマスクの実験パートナーだった上海生まれのロビン・レンは、20年後に突然マスクから中国事業の立て直しを頼まれる。合弁が原則の中国政府に対し、'18年には単独での現地生産の承認を取り付ける。'19年には1号車がロールアウト、2年後にはテスラの1/2以上が中国製に
第51章 サイバートラック――テスラ(2018~19年)
'17年頃から小型トラックを検討、ステンレスの採用が閃き、材料工学担当のVPはスペースXもテスラも同一人で、冷間圧延による超硬ステンレス合金を開発(特許取得)。設計が根底から変わる。外層で強度を出し外骨格にして、中身を内側に吊るす。角張ったデザインが可能
'19年、角が鋭く、カットしたダイヤモンドのように感じられる未来的かつサイバーな角張ったデザインに決定。実働プロトタイプは通常9カ月かかる所を2カ月後には発表。散々な不評で翌日株価は6%下落
以下下巻
第52章 スターリンク――スペースX(2015~18年)
火星旅行実現までの繋ぎとして、宇宙空間にインターネットを再構築するプロジェクト、スターリンクをスペースX内に立ち上げ、通常3500万mの代わりに、55万mの低地球軌道に静止衛星4万基を設置する。市場規模を年1兆ドルとして、3%シェアが取れれば、NASAの年間予算に匹敵する資金が得られるという目論見。プロジェクトの進捗がはかばかしくなかったので、スペースXの構造工学部門のトップだったマーク・ジュンコーサをトップに起用
‘19年、シンプルでミニマムなスターリンク衛星の設計完了、ファルコン9で打ち上げ開始。マスクは自前のインターネットでツイートができるようになる
第53章 スターシップ――スペースX(2018~19年)
‘17年、火星を目指してさらなる大型の再利用可能ロケットの開発に挑み、コードネームをスターシップとする。全長120mでファルコン9の70%増しで、100t以上のペイロードを軌道まで運べる。炭素繊維からステンレスに戻る。発射の専用基地はテキサス州南端のボカチカ
第54章 オートノミー・デイ ――テスラ(2019年4月)
テスラは、まだハゲタカのようなカラ売り筋に狙われたままで、その対応策として投資家に自動運転を体験してもらうためのオートノミー・デイ開催を企図。何とか部分的な試運転に辿り着くが、目標を引き下げざるを得なかった
第55章 ギガテキサス ――テスラ(2020~21年)
テスラのフリーモント工場が週8000台と米国一になりつつあったが、能力の限界になったので、新巨大工場の候補地として考えたのがオースティン。欧州でもベルリンにギガファクトリーを建設。いずれもマスクの直観で選定、いずれも2年で完成し、上海を加えた4工場体制に
超大型の鋳造機を特注、80秒でシャシー全体ができるという離れ業を実現
第56章 家族(2020年)
2020年、グライムスとの間にXとして知られるようになる息子誕生。さらに2人誕生。工場でもどこでも連れて歩く。女の子を期待して体外受精をしたが、受精卵が男の子だった
三つ子の1人がトランスで女性として生きて行くと決める。社会主義に傾倒してマスクとは距離を置く。マスクはトランス問題でいろいろ失敗
第57章 フルスロットル ――スペースX(2020年)
2020年、ファルコン9が宇宙飛行士2人を乗せて国際宇宙ステーションに旅立つ。アメリカでは10年振りのこと。民間企業では世界初。'14年にNASAは、宇宙飛行士を宇宙ステーションに運べるロケットを開発する契約をスペースXと結んだが、同日付でボーイングとも予算70%増しで締結するも、'20年現在ボーイングは宇宙ステーションと宇宙船の無人ドッキング試験さえできていない。今回の成功から5か月間で無人飛行の打ち上げに11回成功
第58章 ベゾス対マスク(第2ラウンド)――スペースX(2021年)
米国が宇宙開発で息を吹き返すのは、マスクやベゾスら民間の活力のお陰
2021年両者の争い再燃。2人の技術開発の方向性はまるで異なり、ベゾスは体系的に一歩づつだが、マスクは直観的
衛星通信の分野でも競合。マスクは既に2000基のスターリンクを打ち上げ、宇宙経由のインターネットが14か国で使えるが、ベゾスのプロジェクトカイパーはまだ衛星を打上げていない
2021年夏、ヴァージンアトランティックのブロンソンが有翼の準軌道ロケットをジェット輸送機で持ち上げて飛ばす方式で宇宙旅行に成功。NASAは高度8万m以上を宇宙だとしているが、国際航空連盟FAIではカーマンラインの10万m以上を宇宙としているので、「宇宙」まで行ったのかどうか議論となった。その9日後にベゾス兄弟がブルーオリジンでカーマンラインを越えた。マスクは、軌道フライトは準軌道フライトに比べて2桁は難しいとして、準軌道フライトには興味を示さず。スペースXの方が桁違いに先行しているのは間違いない
第59章 スターシップのシュラバ ――スペースX(2021年7月)
マスクの口癖は、「再利用性こそ、人類の宇宙旅行文化の聖杯」で、スターシップのブースターの着陸脚を装着するか否かで迷う。装着すればそれだけペイロードが小さくなるため、発射台のタワーでキャッチするという奇想天外なことを考える。発射台のタワーをメカジラと名付け、キャッチするためのアームをチョップスティックと呼ぶ
試験飛行用にブースターと宇宙船を発射台で積み上げるために全社員に動員命令が下りわずか10日で成功したが、ロケットは跳べる状態に至っていないし、FAAの発射許可が下りるわけでもないため、あまり意味はないが、チームを本気の状態に保つことは出来た
燃料は極低温の液体メタンと液体窒素で、最高の推力を実現するためのラプターがロケット1基当たり40基必要だが、高価で複雑で量産がきかない。マスク自ら推力担当となり、1基当たり1/10に削減した20万ドルを目標とする
マスクは、常に本気のフィードバックを要求するが、人格攻撃にならないよう気を付けている。人ではなく行動を批判。間違いは誰にでもあるが、大事なのはまっとうなフィードバックループを持っているのか、批判を求め、改善していけるのか、そういう人間なら使えると言う
オールインで全力投球できる人でないとマスクの下では務まらないので、有能な社員でも、家族関係など環境が変わってワークライフバランスを重視しだすと務まらないため離れていく
第60章 ソーラーのシュラバ(2021年夏)
マスクのシュラバはどこまでも続く。スターシップの次はソーラールーフ
従弟の会社ソーラーシティを26億ドルで救済したが、販売強化より製品を改良して売上を上げる作戦だが、現場の設置作業の効率化は進まない。株主の集団訴訟で、何としても収益事業としなければならなかったが、’22年裁判所が、買収についてマスク寄りの判断を示したため、買収が財務的に正しかったと必死になって証明する必要もなくなり、マスクは現場への圧力を控えるようになった
第61章 夜遊び(2021年夏)
マスクは《サタデー・ナイト・ライブ》にホスト出演して、自分のイメージを和らげようとした
バーニングマンは、マスク兄弟にとって、毎年参加している神聖な儀式だったが、'20年に続いて'21年もコロナで中止が決まると、似た様な祭りを独自に開催。グライムスも来たが、ぎくしゃくした関係のままで、年内に代理母から生れる予定のもう1人子どもを恋愛関係なしの共同養育にすると意見が一致し、別れることにしたが、その後も付合いは続く
衣装の祭典メットガラにもグライムスと参加
第62章 インスピレーション4――スペースX(2021年9月)
マスクは、スペースX初の民間人乗客に、テックアントレプレナーでジェットパイロットのジャレッド・アイザックマンを選ぶ。飲食などの決済を処理するシフト4ペイメンツを立ち上げた冒険家が、スペースXから購入したのは軌道まで行く民間ミッションの第1号となる3日間のフライト、インスピレーション4。小児研究病院の募金集めが目的で、乗客は4人
予定周回高度は575㎞で、有人飛行の高度は高く、宇宙ゴミのデブリとの衝突の可能性も高くなり危険度は増すが、将来の計画を考えて敢て高くした。軌道を目指すロケットに民間人が乗るのは、'86年のチャレンジャーの事故以来初
フライトの成功で、進歩の裏に人間の力があることを証明
第63章 ラプターの大改造――スペースX(2021年)
ラプターの改造に四苦八苦。部品の大半をステンレススチール製とすることに成功。ここでも設計と生産を統合。打ち上げ頻度を考慮して生産速度を1日1基に引き上げようとして、'22年末には目標に到達。同時に、未来の新エンジンの開発も検討し、”1337”と命名、目標は推力1トン当たりのコストを1000ドル以下とする
第64章 オプティマス誕生――テスラ(2021年8月)
マスクが人型ロボットを作ろうと思ったのは、人工知能に強く惹かれ、恐れを感じた時
安全なAIを表現したければ、人型ロボットを創るのが一番
OpenAIとグーグルはテキストベースのチャットボットに注力したが、マスクは、ロボットや車など物理的な世界で使える人工知能を目指シ、'21年に開発を本格化させる
人型ロボットを「オプティマス」と命名し、'21年の本社開催の「AIデイ」でのお披露目を計画
第65章 ニューラリンク(2017~20年)
デジタル時代の大きな技術的進歩に、人とマシンがどうやり取りするのか、所謂「ヒューマン・コンピュータ・インターフェース」の進化がある
ビデオディスプレイを通じてコンピュータと人が一緒に考えられるのを利用して、ゲーム産業が勃興。ジョブズが、ヒューマン・コンピュータ・インターフェースの大きな一歩となる新技術、人とコンピュータが音声で遣り取りするアプリケーションSiriを開発したが、人間の脳からマシンへと流せる情報は、せいぜい1秒に100ビットで時間がかかり過ぎる
究極のヒューマン・マシン・インターフェースは、頭にチップを埋め込んで脳の信号を直接コンピュータに送ったり、逆に信号を受け取るやり方で、その開発のためにマスクは、’16年ニューラリンクを立ち上げ。悪のAIから身を守るのが究極の目標
ニューラリンクチップの元になった技術は、1992年にユタ大学が発明したユタアレイ
マスクのお披露目は’20年、豚にチップをはめ込んで公開プレゼンテーションする。マスクの要求は、配線も接続もルーターもなし。ブルートゥース機能を活用。アカゲザルの実験で成功
第66章 ビジョンのみ――テスラ(2021年1月)
オートパイロットでは、レーダーをなくす決断をし、メディアからも批判。ただ、マスクも有益な情報をビジョンシステムにもたらせるほどの解像度がないためにレーダーを廃止しただけで、フェニックスという自社のレーダーシステムの開発には引き続き注力
第67章 お金(2021~22年)
テスラの株価は、コロナ禍の中、’20年初頭に25ドルまで下がったが、年末には10倍まで戻し、翌年初には260ドルになって、マスクの資産は1900億ドルと、ベゾスを抜いて世界一に
‘18年の新たな報酬契約では時価総額は10倍の6500億が目標値とされたが、この時点で1兆ドルを超えた米国史上6社目の企業に発展、マスクは560億ドルの報酬を手にする
世界一の富豪になったが、マスクは不幸せ
第68章 今年の父(2021年)
2021年末、シボン・ジリスに男女の双子ができる。’15年マスクがOpenAIに誘い、ニューラリンクのトップに据えた女性だが、結婚はしない、子どもは持つのは社会的義務と考え、マスクが精子を提供し、体外受精で産む
グライムスも、マスクとの共同養育がうまくいっていたので、彼に娘を持たせたいと代理出産をする。奇しくもジリスと同じ時期、同じ病院で、お互いのことを知らないまま誕生を祝う
第69章 政治(2020~22年)
2020年3月、マスクは「コロナウィルスのパニックはアホだ」とツイートし炎上。当局からの様々な規制に対し、権力嫌いの心に火が付いた結果で、加州で外出禁止令が出たにも拘らず、工場は止めず、郡当局から工場閉鎖を脅されると、裁判所に異議申し立てして、必要な対策を取れば工場の操業は可能との合意を当局と交わす
コロナ禍をきっかけにマスクの政治姿勢は変化。民主党進歩派を批判
進歩的な社会正義活動家のウォーク文化やポリティカルコレクトネスは行き過ぎとし、ウォークマインド・ウィルスは基本的に反科学、反人類で、複数惑星に跨る文明になれないとする
ウォークとは、人種的偏見や差別に対する警戒を意味するアフリカ系アメリカ人の俗語英語(AAVE)から派生した用語。ブラック・ライブス・マターの活動家によって広められ、SNSで使われ出して流行した
自分の娘が性別移行したことや急進的な社会主義に傾倒したこと、自分と縁を切ったことの影響もあるし、民主党議員からの攻撃も多かった
全米自動車労組は、テスラが労働協約にストックオプションを工員に付与する条項があるため、フリーモント工場を傘下に認めていないため、バイデンの選挙管理委員会はテスラを無視、さらにGM工場を訪問して、GMのお陰で自動車産業全体が電化したと持ち上げたことがマスクの癇に障り関係悪化するが、バイデン政権がインフレ抑制法に電気自動車関連でテスラの急速充電器ネットワークを全ドライバーに開放する施策が織り込まれたことで関係改善
ペイパルマフィア始め。マスクの起業家友だちにはリバタリアンが多い
マスクの右傾化には、最初の妻のジャスティンやグライムスなど革新系の友達には驚きの事態
規制や規則には昔から抵抗があり、リバタリアンな色彩を多少は帯びているが、基本的には中道穏健だと本人は言い、共和党院内総務マッカーシーのファンドレイジングに参加した際も、「私が支持するのは共和党の左半分と民主党の右半分だ」とツイートしている
マスクという人物を理解するには、彼が情熱を燃やすビデオゲームについて考える必要がある。戦略ゲームを中心にプレイ、’21年にはまっていたのが《ポリトピア》という帝国構築のゲーム
第70章 ウクライナ(2022年)
ロシアがウクライナ侵攻直前大規模なマルウェア攻撃を仕掛け、通信やインターネットのサービスをウクライナに提供している米国の通信衛星会社ビアサットのルーターを無力化したため、ウクライナはマスクに助けを求める。マスクは、スターリンクのステーションをウクライナに提供、端末15,000台を届ける。バッテリーとソーラーパネルも送り、停電でも使えるようにした
ウクライナが、セバストポリのロシア海軍をスターリンク経由で無人潜水艦6隻を誘導して奇襲しようとしたときは、核戦争の引き金になると判断したマスクは、クリミア海岸から100㎞はサービス切れとして、無人潜水艦の攻撃を無力化
マスクは、あくまで防衛目的のみの使用を考えており、8000万ドルのコストは無償としたが、最終的には軍が利用条件などを定め、各種政府機関を通じて利用料が支払われる
第71章 ビル・ゲイツ(2022年)
ビル・ゲイツからマスクに、慈善活動と気候について話がしたいと申し入れがあったのは'22年初頭。ゲイツはテスラを空売りして15億ドルの含み損を抱えていた。マスクにとっては、気候変動と真剣に戦っていながら、一番奮闘している会社の足を引っ張って金を儲けようとするゲイツに不信を抱き、そんな人の慈善活動など偽善だと話し合いを拒否
自分の事業の成功こそが人類に対する貢献だと思っているマスクは、慈善活動に興味がない
第72章 積極的な投資家――ツイッター(2022年1~4月)
順調な業績から溢れるキャッシュの使い道としてツイッターに照準を当てる。マスクのように常に刺激を求めて彷徨う人間にはぴったりの遊び場。'22年初頭には、ウォークマインド・ウィルスの拡散の懸念から、ツイッターで抑圧されている右派の不平・不満に苛立ちを募らせ、検閲制度を撤廃すべく新しいプラットフォームを立ち上げようとしたところ、ツイッター側から取締役就任の要請があり
第73章 「申し入れをした」――ツイッタ―(2022年4月)
ツイッターのように短いテキストメッセージと決済が取り扱えるブロックチェーンベースのソーシャルメディアなら中央サーバーはないし、訂正がきかないので、「絞める首がなく言論の自由が保障される」(マスクは「プランB」と呼ぶ)
ツイッターの取締役が誰一人ツイッターを使っていないのを知って、それでは変化など期待できないと、買収による非公開化であるべき姿に変えることを検討
同時に、オバマやジャスティン・ビーバー、ケイティ・ペリーなどフォロワー数の上位に並ぶ人からのツイートが急減していることに気づいて、「ツイッターは死にかけているのか?」と発信
話し合おうと言うCEOアグラワルの提案に対し、取締役就任の前日にも拘らず、9%の株主では取締役会経由の改革は無理と判断し、株式非公開化を提案。現金で1株54.20ドル
コンテンツを産み出す人がツイッター上で支払いを受けられるようにすることを重視
誰でも自由に話せる言論空間の実現と言いながら、マスク自身は革新系・主流メディア系をほかのソーシャルネットワークに追い出すような宣言やツイートを繰り返している
マスクの言う基本的な大目標にはそぐわないが、文明を維持するというミッションに資するもので、複数惑星に広がる時間を買ってくれるものとの認識。ツイッターからウォーク文化を排除し、偏見や偏向を根絶し、どのような意見でも表明できるオープンな場として世間に認知してもらう必要がある。マスクにとっては、究極の遊び場
第74章 熱と冷――ツイッター(2022年4から6月)
ラリー・エリソン(オラクル創業者)も、ツイッターは使っていなかったが、リアルタイムのニュースサービスでは唯一無二の存在であることを求めて投資に意欲的。暗号通貨取引所FTXの創設者でブロックチェーンでツイッターを再構築しようと考えていたサム・バンクマン=フリード(後に詐欺で服役)からも同調の連絡が入ったが、ブロックチェーンにはまだ懐疑的で忌避
他に誘った投資家は、セコイアキャピタル、VCのアンドリーセン・ホロウィッツ、ドバイやカタールのファンドなど。ツイッターの共同創業者のジャック・ドーシーも協力を約束
偽アカウントやボット等のスパムはサービスを汚す存在で、ツイッターはユーザーの5%前後だとしたが、明確な回答は得られず、一方、景気先行きへの不安からソーシャルメディア企業の株価は軒並み下落したところから、買収提案再考。ツイッターからの誘いで、オンラインのタウンホールミーティングによるツイッター社員との対話に応じ、投稿が許される内容とツイッターが拡散して増幅すべきものは区別しなければならないと掘り下げた議論を展開
第75章 父の日(2022年6月)
ジャスティンとの性別変更した娘が裁判所に母方の姓ウィルソンへの変更を申し立て。徹頭徹尾共産主義で、金持ちはすべて悪と断言。マスクは喪失の悲しみを癒すために、ジリスとの双子の姓をマスクに変えようと裁判所に申請したため、ジリスとの関係が発覚。グライムスにとっても初耳で激怒。同じ週にグライムスに3人目の子どもが生まれた
破壊的な生活をしていたエロールからは無心の手紙が来る
オースティンに自宅を建てようと、アップル本社を設計したノーマン・フォスターに設計を依頼
第76章 スターベースのオーバーホール――スペースX(2022年)
次のシュラバはロケットの一般公開、それも着陸するロケットを箸でつまむところを見せるといい、勝手にツイッターで公開日を宣言
第77章 オプティマス(64章)プライス――テスラ(2021~22年)
オプティマスのデザインの命題は人型、人そっくりの見た目。
出来上がると、AIデイ2で、完全自動運転、ドージョー(自動運転を実現するために、テスラが独自に開発している専用のスパコン)と併せて3つの公開デモをすると宣言
第78章 波乱含み――ツイッター(2022年7~9月)
マスクは、ツイッターの買収で、440億ドルの価格引き下げか撤退かで迷う
エンターテインメント分野に広く深く浸透したエンデバー社のCEOアリ・エマニュエルは、電気自動車を探していてテスラを知り、商業生産11台目のロードスターを買って以来のテスラファン。マスクに会ってツイッター買収の仲立ちをする
第79章 オプティマス発表――テスラ(2022年9月)
無事お披露目完了
第80章 ロボタクシー ――テスラ(2022年)
自律運転者は、運転という単純作業から人を解放するだけでなく、車を持つ必要がなくなる
取り敢えず現在の規制に合わせた設計にしておこうとする周囲に対して、マスクは責任はすべて自分でとるので、ミラーもハンドルもペダルもないオールインの車の開発を命じる
今回大事なのは量。十分な台数を作るのは不可能に近い話なので、とりあえずの目標を年2000万台とする。次に開発する25,000ドルのハンドル付きの小型大衆車と一緒にデザインを考えると、サイバートラックに雰囲気の似た角張ったデザインが出来上がり、「次世代プラットフォーム」として知られるようになる。オースティンに完全自動化の工場を作る
第81章 「洗いざらい」――ツイッター(2022年10月26~27日)
ツイッター買収で、マスクが24年前にXドットコムで夢見た、金融プラットフォームとソーシャルネットワークの組み合わせが実現する。名前もXドットコムにする
10月末の買収に向け、直前に洗面台を手にツイッター本社に乗り込み、社員たちと交流。「洗いざらい分かり合おう」というダジャレ
ツイッターの本社は、旧ビルをテックビルに改葬したもので、「心の安全」を重視した不安を取り除く配慮がされているが、マスクが大事にする切迫感、進歩、軌道速度などとは真っ向から対立する
第82章 買収――ツイッター(2022年10月27日 木曜日)
株式の非公開化と経営権の委譲というデュアルトリガーにして、ツイッター幹部が退職権を受け取り、ストックオプソンを行使できるようにすると思われたが、土壇場でマスク・チームは、これまで会社をミスリードしてきた経営陣の寝首を掻く策に出る
送金と必要文書の署名が確認できたところで、マスク等はクロージングの引き金を引く。同時に、解任通知書をCEO他幹部に送付。6分後全員、ビルから「退去」、電子メールもアクセス不能にした。CEOは電子メールで経営権の変更を理由とした辞表が送られるよう準備していたが、電子メールが使えなくなったので、Gmailから送信するのに1,2分かかり、その間にマスクが首にした
マスクは、すぐに製品をいじり始め、立ち上げたときに表示されるログイン・ページを、「話題を検索」ページに変更
第83章 三銃士―ツイッター(2022年10月26~30日)
父方の従弟でマスクそっくりのジェームズはソフトウェア技術者で、オートパイロットチームにいたが、ツイッターに派遣された技術者40人のリーダー的存在。弟のアンドリューもニューラリンクのソフトウェア技術者だったが、ブロックチェーン技術を学んでおり、兄に従う
ジェームズの友人で同じオートパイロットに勤務していたコンピュータの天才ロス・ノルディンも参加して、三銃士がまずやったのは既存技術者2500人を間引くための勤務評定
マスクは、20人ほどの部下を従え、自ら旗を降り、CFOすら置かず、いきなり技術者の90%以上の解雇に出る。血の粛清はその後第3ラウンドまで続く
第84章 コンテンツモデレーション ――ツイッター(2022年10月27~30日)
買収直前、マスクの友だちだったミュージシャンで不ファッションデザイナーのカニエ・ウェスト改めイェが、「ホワイト・ライブス・マター」のTシャツでファッションショーに登場。ツイッターでも、「対ユダヤ人のデスコン(格闘技用語)を発令し、厳戒態勢に入る」と発信したため、ツイッターはアカウントを凍結。マスクは反対したが解除されず
マスクも、ようやく言論の自由がややこしい問題であることを認識し始める。ニセ情報やデマは、暗号通貨がらみの詐欺、だまし、ヘイトスピーチに並ぶ問題で、損得勘定という面でもマイナス。世界中の声を反映させる必要がある
コンテンツモデレーションを担当したのは同部門を担当していた民主党支持者の若手女性弁護士ヨエル・ロス。マスクが、特にミスジェンダリング(本人の名乗るジェンダーを否定して揶揄する)の事例を次々に上げると、アカウント削除ではなく、警告メッセージを添える案を出す。問題あるツイートは検索にも引っ掛からず、タイムラインにも表示せず、拡散だけを阻止する
マスクが買収すると、デイビッド・サックスもツイッターに入り浸り。マスクが検閲反対と知って、差別的な投稿、特にトロールやボットによる組織的な攻撃が始まり、マスクとロスは毅然として対応、関連アカウントをすべて凍結し、従来のポリシーが変わらないことを示す
第85章 ハロウィーン ――ツイッター(2022年10月)
マスクは、だんだんと、陰謀論をまき散らすフェイクニュースサイトに影響された投稿が目立つようになり、ロスは対応に往生する。自ら広告主に対しては、「ツイッターをなんでも好き勝手が言え、その責任を取る必要もない何でもありの地獄絵図にすることはない」と宣言しておきながら、約束を反故にしているため、広告収入は買収後半減
マスクは、ツイッターをテクノロジー企業だと考えていたが、実のところはマスクの最も苦手とする、人間の感情や関係に基づく広告メディア
第86章 青いチェックマーク ――ツイッター(2022年11月2~10日)
元々ツイッターには、「バードウォッチ」という機能があり、間違いと気づいたら訂正なり文脈の補足をユーザーができるが、それを「コミュニティノート」と改称して活用
広告を引き揚げるべしとの広告主に圧力をかける投稿が急増したのに対し、マスクは恐喝の全面禁止をポリシーにしようと息巻いたが、瞬間湯沸かし器が冷えるのを待って説得
マスクがツイッター運営の肝の1つだと考えたのが、サブスクリプション。名前は「ツイッターブルー」で、ツイッターが信頼に足ると認めれば青いチェックマークがつく制度だが、マスクはそれを月額料金支払者にも適用するよう変更すると、なりすましが急増。大手広告主になりすましてフェイク情報を流し株価に大影響を及ぼすなど、大炎上
広告の急減で、買収時はキャッシュニュートラルだったものが、120億ドルの負債に膨れ上がる。フルリモートワーク制度も廃止。肩を並べて本気で働く
なりすまし以外にも、iPhoneのツイッターアプリから契約すれば、8ドルの会費と、ユーザー登録した個人情報が入手できると考えていたが、アプリに関するアップルのポリシーは明確で、アプリの購入やアプリ内課金については30%を徴収し、ユーザーデータは開示しないというもの。強引に突破しようとするマスクに、ロスも付き合いきれなくなって辞職
第87章 オールイン ――ツイッター(2022年11月10~18日)
ツイッターブルーは導入を先送り。マスクは、また過去の会社の緊急事態同様、本社屋で寝泊りを始める。人員整理の第2ラウンドは、各社員のSNSへの投稿のチェックで始まる
信頼が置けることに加え、やる気に満ちて、全てを会社に捧げるオールインを要求。オプトアウト(自主退職)の代わりに、自分は本気だと宣言するオプトイン制度を提示、自ら第1号に
結果は、約3600人に対し2492人がイエスと答えた
第88章 本気――ツイッター(2022年11月18~30日)
いくつかの凍結されたアカウントを復活させ、「可視性フィルタリング」ポリシーも発表、「言論の自由は保障するが、拡散(リーチ)の自由は保障しない」とした。トランプや、陰謀論者などは凍結のまま。イェはダビデの星の中にハーケンクロイツを描いて投稿、友だちだったが凍結で応じる。トランプ復活には、オンラインアンケートを実施した結果、過半数の支持で復活
人員整理の第3ラウンドは、退職金が出るレイオフとは違って普通解雇。技術者にコードを書かせて判定。最終的に買収時の1/4となる約2000人に圧縮
ラリー・エリソンは、マスクとジョブズのメンターで、マスクには「アップルと喧嘩するな」と言われていた。初めてアップルを訪問し、クックと面談。ティムは、ツイッターへの広告を出さないと決めたわけではなく、ツイッターをアプリストアから排除する積りもないもないし、アップルストアでの30%徴収も漸減すると約束。ユーザー情報開示の話は、法廷闘争中でもあり回避
第89章 奇跡――ニューラリンク(2022年11月)
マスクは、ニューラリンクの歩みが遅いことに不満。車いすの人が歩けるようにすることが目標となる。他に音声刺激と映像刺激も掲げる
人と脳とあらゆる面でやりとりが可能な汎用入出力デバイスを作ることが目標で、人と機械の精神融合を目指すことにより、人工知能の暴走を抑える
第90章 ツイッターファイル ――ツイッター(2022年12月)
モデレーション(ネットコンテンツの監視)の基準がどうもしっくりこないマスクは、後に「ツイッターファイル」として知られる内情を詳らかにして透明性を確保する作業を実施、コンテンツモデレーションの複雑さや報道の偏りをごくまっとうに振り返るのに適したものになるはずだったが、まとまりがつかなくなった
ツイッターファイルは、過去50年におけるジャーナリズムの変化を象徴するもの。ジャーナリストにとって政府は疑うべきものだった時代から、90年代には政府との情報共有を良しとするジャーナリストが増えていき、同じことがソーシャルメディア企業にも起きている
第91章 迷い道――ツイッター(2022年12月)
言論の自由を守る戦いの基礎が揺らぐ事態が発生。グライムスと子供のXがストーカーに襲われ、マスクはストーカーが@elonjetというツイッターアカウントから居場所の情報を得たと考え、そのアカウントに可視化フィルタリングをきつくかけると共に、凍結を正当化するため、他人の現在位置をネットに晒すのは禁ずるという新ルールを制定。併せて、@elonjetとの処分を取り上げたジャーナリストも11人以上アカウントを凍結。言論の自由を口にしながら、昔の上層部が極右に対してしたのと同じことをしている
音声による対話ができるツイッタースペースは凍結されていなかったので、凍結されたアカウントのジャーナリストたちもそこでこの問題の話し合いに参加。3万人の前でマスクは矛盾をつかれ、憤然として立ち去り、スペースの提供を凍結する
マスクは、ネット上の自分の代名詞として「ファウチ起訴」がいいとツイートして顰蹙も買い、マスクの気まぐれツイートで広告はさらに苦戦。テスラの株価も半額以下に
第92章 クリスマスの大騒ぎ(2022年12月)
サーバーをオレゴンのポートランドに集約してコストダウンしようと考えたマスクに対し、リース会社が年1億ドルの費用の支払いに懸念を抱き移転を拒否したと聞かされて激怒。クリスマス直前だというのに、自らサーバーセンターに押し入って強引に移動する
第93章 車用AI――テスラ(2022~23年)
人間の行動から学ぶ自律運転システム「ニューラルネットワークプランナー」の開発に取り組む
オートパイロット、オプティマスロボット、機械学習スーパーコンピュータのドージョー(77章)を組み合わせて、テスラを最終的には人工知能の会社にする
規則に従って車を動かすだけでなく、目の前の状況に対し人間がどう運転するのか実例を学習したニューラルネットワークの判断も活用
‘23年4月、ニューラルネットワークプランナーの試験走行実施
ニューラルネットワークは100万本のビデオクリップで何とか実用レベルに達し、150万本を超えたあたりから性能がどんどん上がっていくという事実に気づく。世界で200万台近くも走っているテスラからは、毎日膨大な動画が入るので、提供データに事欠かない
第94章 人間用AI――X・AI(2023年)
技術の革命は静かに始まるのが普通だが、人工知能革命は例外で、'23年春、僅か1,2週間の間に根本的に変わるとの認識が、技術系の人間から普通の人々にまで広がる
OpenAIのGPT-4は、’23年3月に公開。グーグルもバードというチャットボットを公開
マスクは、自己学習型AIが人類に反旗を翻す可能性に危機感をもって、人類を守る安全なAIを参加させるべきと説き、ツイッターを通じてOpenAIとアルトマンを批判
AIの燃料はデータで、グーグルもOpenAI/マイクロソフトも検索エンジンやクラウドサービス、電子メールなで訓練に使えるデータが湧いてくる泉を持っているが、マスクの場合はツイッターのフィードとテスラの車載カメラからくるデータ
どうすればAIは安全になるのか。人工知能が勝手に自身を鍛えて先に進み、人類を置き去りにする状況が訪れる瞬間=シンギュラリティは意外に早く訪れるかもしれない
X・AIという新会社を立ち上げ、「道理」と「思考」で「真理」追究する汎用人工知能をつくる
第95章 スターシップの打ち上げ――スペースX(2023年4月)
火星にコロニーを維持するには1000隻ぐらいの船団が必要だが、先ずは軌道の確保
2桁にも及ぶ発射許可を取り、バルブの不具合で1回延期したのち発射するが、33基のエンジンの内2基に不具合が出て失敗、破壊命令が出される。失敗しながら教訓を得ていくのはマスクの流儀
文藝春秋 ホームページ 2025.3.31.現在
今年一番の話題作! マスク自身が語り尽した初の公式伝記
第二次トランプ政権誕生! ”共同大統領”イーロン・マスクとは何者か?
テクノロジー、政治、経済、民主主義はどうなる? 日本への影響は?
世界の命運を握る男の驚きの半生と恐るべき行動原理が分かる「公式伝記」
★テレビ各局が著者インタビュー&大特集、大反響!s
NHK BS「国際報道2025」
テレ東「ワールドビジネスサテライト」「モーニングサテライト」
テレ朝「報道ステーション」
★発売当日にAmazon 総合1位!
★世界的ベストセラー『スティーブ・ジョブズ』評伝作家が密着取材!
ーークレイジーな人間だけが世界を変えることができる
■オバマファンだったマスクが、トランプ支持に”転向”した理由
■ツイッター電撃買収の舞台裏。当時からトランプ再選が目的だった?
■EV(電気自動車)その後。自動運転タクシーが席巻する未来
■中国との”外交”を担う。米中関係のキーパーソンへ
■ウクライナ戦争の舞台裏。核戦争勃発による人類滅亡を救え
■民間宇宙ベンチャー・スペースXが、巨人NASAに勝てた理由
■人間とコンピュータを繋ぐ”ニューラリンク”で人類はアップデートする
■ヒト型ロボットの大量生産を宣言。人類は労働から解放される
■父親に苛烈DVを受け、貧困シングルマザー家庭に育つ。発達障害と自認
■目の前で人が殺されるのを目撃。治安の悪い南アフリカで育った原体験
■ビル・ゲイツ、ジェフ・ベゾス、サム・アルトマンらとの複雑な関係性
■AIの無限の可能性を誰よりも知るゆえ、じつはAIを恐れている
ーー壮絶な人生からイノベーションは生まれる
「命がけの戦いこそ前に進み続ける原動力なのです」(イーロン・マスク)
紀伊國屋書店 ホームページ
内容説明
今年一番の話題作! マスク自身が語り尽した初の公式伝記
世界的ベストセラー『スティーブ・ジョブズ』評伝作家だからこそ描けた。
いま、世界で最も魅力的で、かつ、世界で最も論議の的となるイノベーターの赤裸々な等身大ストーリー-。彼はルールにとらわれないビジョナリーで、電気自動車、民間宇宙開発、人工知能の時代へと世界を導いた。そして、つい先日ツイッターを買収したばかりだ。
イーロン・マスクは、南アフリカにいた子ども時代、よくいじめられていた。よってたかってコンクリートの階段に押さえつけられ頭を蹴られ、顔が腫れ上がってしまったこともある。このときは1週間も入院した。
だがそれほどの傷も、父エロール・マスクから受けた心の傷に比べればたいしたことはない。エンジニアの父親は身勝手な空想に溺れる性悪で、まっとうとは言いがたい。いまなおイーロンにとって頭痛の種だ。このときも、病院から戻ったイーロンを1時間も立たせ、大ばかだ、ろくでなしだとさんざどやしつけたという。
この父親の影響から、マスクは逃れられずにいる。そして、たくましいのに傷つきやすく、子どものような言動をくり返す男に成長し、ふつうでは考えられないほどのリスクを平気で取ったり、波乱を求めてしまったりするようになった。さらには、地球を救い、宇宙を旅する種に我々人類を進化させようと壮大なミッションまでをも抱き、冷淡だと言われたり、ときには破滅的であったりする常軌を逸した集中力でそのミッションに邁進するようになった。
スペースXが31回もロケットを軌道まで打ち上げ、テスラが100万台も売れ、自身も世界一の金持ちになった年が終わり2022年が始まったとき、マスクは、騒動をつい引き起こしてしまう自身の性格をなんとかしたいと語った。「危機対応モードをなんとかしないといけません。14年もずっと危機対応モードですからね。いや、生まれてこのかたほぼずっとと言ってもいいかもしれません」
これは悩みの吐露であって、新年の誓いではない。こう言うはしから、世界一の遊び場、ツイッターの株をひそかに買い集めていたのだから。暗いところに入ると、昔、遊び場でいじめられたことを思いだす??そんなマスクに、遊び場を我が物とするチャンスが巡ってきたわけだ。
2年の長きにわたり、アイザックソンは影のようにマスクと行動を共にした。打ち合わせに同席し、工場を一緒に歩き回った。また、彼自身から何時間も話を聞いたし、その家族、友だち、仕事仲間、さらには敵対する人々からもずいぶんと話を聞いた。そして、驚くような勝利と混乱に満ちた、いままで語られたことのないストーリーを描き出すことに成功した。本書は、深遠なる疑問に正面から取り組むものだとも言える。すなわち、マスクと同じように悪魔に突き動かされなければ、イノベーションや進歩を実現することはできないのか、という問いである。
(書評)『イーロン・マスク』(上・下) ウォルター・アイザックソン〈著〉
2023年11月11日 5時00分 朝日
■現実を捻じ曲げる驚きの起業家
いったい何という男がいたものだろうか――。
この伝記を読み終えたとき、胸を覆っていた素直な思いだ。
いま、イーロン・マスクの作り上げたスペースXは宇宙開発をリードし、日本人飛行士がそのロケットに乗って宇宙に飛び立つことも当たり前になっている。
テスラで電気自動車を世界中に広げ、AIやロボットと人間の共生を目指し、昨年にはTwitterを買収した世界一の富豪であるマスク。では、人類の火星進出という未来を本気で作り出そうとしているこのアントレプレナー(起業家)は、いかにして無謀とも言えるビジョンを実現してきたのだろう。
伝記作家ウォルター・アイザックソンは本書で、破壊と創造に満ちた彼の壮大な成功と失敗を、波瀾万丈な私生活や毀誉褒貶も大いに含めながら描いていく。
マスクはとても現実的とは思えないビジョンを掲げ、ついにはその現実の方を捻じ曲げてしまう、とアイザックソンは書く。
ペイパル、スペースX、テスラ、衛星通信システムのスターリンク……。常にそうだ。マスクは規範や要件を疑い、全てをゼロから考え直して自身の狂気じみたハードワークに周囲を巻き込んできた。
エンジニアが働く現場に乗り込み、脅迫的なやり方で圧力をかける狂騒は読んでいるだけでも胃が痛みそうになるが、常軌を逸したビジョンをいつの間にか〈単なる大幅な遅れ〉に変えてしまうその手腕には、繰り返し驚かされずにはいられないものがある。
ペイパル時代をともにしたピーター・ティールとリード・ホフマンは、当時を回顧する本のマスクの章に〈リスクという単語の意味を理解できなかった男〉との題をつけようとしたという。そんな〈リスク中毒〉であるイーロン・マスクのキャラクターと世界観を、これでもかという多数のエピソードによって語らしめる筆致に圧倒された。
評・稲泉連(ノンフィクション作家)
*
『イーロン・マスク』(上・下) ウォルター・アイザックソン〈著〉 井口耕二訳 文芸春秋 各2420円 電子版あり
*
Walter Isaacson 52年生まれ。米トゥレーン大教授。米「TIME」誌編集長などを歴任。
イーロン・マスク氏の伝記 非常識が生む圧倒的新機軸
イーロン・マスク(上・下) ウォルター・アイザックソン著
日本経済新聞 2023年11月11日
本書は、イーロン・マスクの生い立ちから、今年の4月までの活動を辿った伝記である。数々の企業を成功に導いた起業家としての軌跡には圧倒される。例えば、テスラはフォード以来となる米国自動車メーカーの新規株式公開(IPO)を果たした後、時価総額1兆ドルを超えた米国史上6社目の企業となって、世界を電気自動車時代へと導いた。スペースXは、民間が独自開発したロケットを打ち上げて軌道に到達するという歴史的快挙を達成し、創業後8年で、世界一成功している民間ロケット会社になった。もしも、スターリンクがなければ、ウクライナは既に敗北していたかもしれない。
一方で、本書から伝わるマスクの人格は、あまりにも特殊で、常人には理解できないだろう。疑う余地のない規則は物理学で規定されるものだけで、政府の規制もただの勧告として扱う。同僚の気持ちなど全く気にしない。むしろ、チームメンバーに愛されることは悪だと考える。
最高経営責任者(CEO)であることを望むのは、全てを自分でコントロールできるためだ。どの企業でも現場監督としてふるまい、部下に気が狂いそうなほど大変な思いをさせる一方、できるはずがないと思ったことをやらせてしまう。権限委譲という言葉は辞書にない。
技術は自動的に進化するものではなく、多くの人が必死に働いて初めて進化すると考え、ありえない締め切りを設定し、異常な切迫感を持って働くことを求める。採用では心構えを重視する。スキルは教えられるが、性根を叩き直すには脳移植が必要だと本気で考えている。
起業家といえども、リスクは最小化しようとするが、マスクにとっては、リスクは燃料の一種でしかない。エンジンもロケットも、試作品を爆発させ、改良してまた試験することで完成品を生み出す。彼にとって不安はいいものだ。こうした人格は、自ら明かしているアスペルガー症候群の特徴かもしれない。
ルールが増えるとプレーヤーが減る一方で、審判が増え、リスクを取りづらくなっていく。こうして社会は衰えるのだろう。SNSをフォローしていると、マスクは直情的な子供にすぎないと感じることは多い。しかし、圧倒的なイノベーションを起こすには、常人に理解できない起業家をその人格と一緒に丸ごと受け入れる必要がある。
《評》東京通信大学教授 湯川 抗
Forbes 2023.9.12.
話題沸騰の評伝「イーロン・マスク」は本当に読むべき内容か?
9月12日(日本時間9月13日)に世界同時に発売されるイーロン・マスクの評伝は、世界一の富豪の心の奥底を垣間見ることができる貴重な作品だとされているが、ウォルター・アイザックソンが執筆したこの本には、マスクの物議を醸す側面についての批判的見方が欠けているとの指摘も上がっている。
ニューヨーク・タイムズ紙の批評家のジェニファー・ザライは、688ページにおよぶこの書籍が、マスクの内面を覗き見ることができるものだと評価したが、彼女はなぜアイザックソンがもっと踏み込まなかったのかと疑問を呈している。マスクは、人々がWoke(ウォーク)と呼ばれる社会的正義を重視するエリート主義から脱しない限り、文明は進化しないと主張しているが、アイザックソンは、それが具体的に何を意味するのかを尋ねるべきだったとザライは述べている。
ワシントン・ポスト紙の書評家のウィル・オレマスは、本書が興味深い暴露話に満ちていると指摘しながらも、アイザックソンが「洗練された批評よりも舞台裏のルポルタージュを優先した」と指摘し「少し安易すぎる」と主張した。
テレグラフ紙のスティーブン・プールは、この本に5つ星中の4つ星の評価を与え、マスクがツイッターを買収した理由についての最も説得力がある説明が、彼の私生活に関連するものだと指摘した。アイザックソンは、南アフリカの学校でいじめられ、暴力的な父親の下で育ったマスクが、この買収で「ようやく自分の遊び場を手に入れた」と書いている。
ニューヨーカー誌の批評家のジル・ルポアは、伝記作家として高く評価されているアイザックソンが「物事を成し遂げるためには常にいい人である必要はない」という考え方に魅了されているようだと指摘した。「しかし、私たちにとって、マスクの心の狭さや傲慢さは耐え難い」とルポアは述べている。
現在71歳のアイザックソンは、1978年にタイム誌の編集部となり96年に同誌の編集長に就任した後、2001年にはCNNの会長兼CEOに就任。アメリカ同時多発テロ事件ではCNNの事件報道を先導した。
2011年にはアップル社公認のジョブズの伝記『スティーブ・ジョブズ』を出版した彼は、過去2年間マスクに密着し、家族や友人、ビジネスパートナーらへのインタビューを通して、近年ますます物議を醸すようになった起業家の実像に迫ったとされている。
文藝春秋 2023年11月号
資本主義の精神を体現する男『イーロン・マスク』 著者ウォルター・アイザックソン
ベストセラーで読む日本の近現代史 第122回 佐藤 優 作家・元外務省主任分析官
評伝作家として世界的に著名なウォルター・アイザックソン氏による作品だ。確かに著者は丹念な取材をし、イーロン・マスク氏の主張と対立する見解も紹介している。しかし、大きく見解が対立する事柄についてはマスク氏の主張を採用している。批判的評伝ではなく、与党的評伝と位置付けるのが適切と思う。
支払いシステム「ペイパル」や電気自動車の「テスラ」、ロケットや人工衛星を開発する「スペースX」などの創業者兼出資者として著名なマスク氏をアイザックソン氏は、子ども時代、父親から精神的な虐待を受け、学校で酷いいじめに遭い、性格に歪みが生じているが、史上稀に見る天才として描いている。
〈生まれに育ち、さらには頭の配線具合から、冷淡になったり衝動的になったりすることもある。ふつうでは考えられないほどのリスクを平気で取ったりもする。ひたすら冷静に計算し、熱い情熱をもって突きすすむ。/「イーロンはリスクが欲しいからリスクを欲するんです」とペイパル創業期の同僚、ピーター・ティールは言う。「楽しんでいるのだと思いますよ。溺れてしまっているんじゃないかと思えるときもありますね」/米国の第7代大統領アンドリュー・ジャクソンは、次のように語ったことがある。/「私は嵐の男で、私の辞書に平穏という言葉はない」/嵐が近づくと生を実感するタイプなのだ。イーロン・マスクも同じだ。彼も、嵐と騒動に惹かれる。願い望むこともある。仕事においてもそうだし、うまくいかないことの多い恋愛においてもそうだ。仕事で危機や期限、シュラバなどに直面すると、とたんに奮い立つ。めんどうなことになると夜眠れなくなったり吐いてしまったりする。だが同時に元気にもなる。/「兄は波乱を呼ぶ男なんです」とキンバルも言う。「そういうタイプであり、それが人生のテーマなのでしょう」〉
しかし、ロシアでベレゾフスキー氏、グシンスキー氏、ホドルコフスキー氏、スモレンスキー氏などの寡占資本家(オリガルヒ)を間近で見てきた評者(特にスモレンスキー氏とは個人的に親しかった)としては、マスク氏もこれらの範疇に入る一人にすぎないように見える。ロシアの寡占資本家が政治に賭けたのに対し、マスク氏は技術に熱中した。当時のモスクワで政治よりもイノベーションの方が儲かる状況だったならば、マスク氏のようなロシア人寡占資本家が出てくる可能性は十分あったと思う。
l 『資本論』からみたマスク氏
マスク氏はマルクスが『資本論』で描いた資本の論理がそのまま受肉(人格化)した人物だ。
〈Zip2を立ち上げて4年弱の1999年1月、イーロンとキンバルはプルーディアンに呼ばれた。検索エンジンであるアルタビスタの機能を強化したいと考えるコンパック・コンピュータが現金3億700万ドルで買いたいと言ってきたのだ。ふたりは60:40で12%の株を持っていたので、27歳のイーロンが2200万ドル、キンバルが1500万ドルを受け取る計算になる。その小切手を受け取ったときは、本当に驚いたとイーロンは言う。/「銀行口座の残高が5000ドルから2200万5000ドルになったわけですよ」/ふたりはここから父親に30万ドル、母親に100万ドルを渡した。イーロンは、160平方メートルのコンドミニアムを買い、さらに、マクラーレンF1を買った。彼にとって最大の道楽である。世界最速の市販スポーツカーで、1台100万ドルもする。納車にはCNNの取材が入った。運ばれてきた車が道に降ろされるのをあちこちからのぞき込みつつ、イーロンはこう言った。/「YMCAでシャワーを使い、事務所の床で寝る生活からわずかに3年で、100万ドルの車を買うことができました」/感情のほとばしりが収まると、急に大金を手にしておかしくなったと見られかねないことに本人も気づいたらしい。/「こんな車を買うなんて、帝国主義にかぶれた小僧らしい行動だと思う人もいることでしょう。私は価値観が変わったのかもしれません。でも、少なくとも、変わったと私自身は感じていません」/実際のところ、彼の価値観は変わったのだろうか。大金が入ったので、欲望や衝動を制限する必要があまりなくなったのはまちがいないし、彼の欲望や衝動が見目麗しいものばかりでないのもまちがいない。だが、目的に向かって脇目もふらずに突きすすむ性格が変わっていないのも、また、まちがいのない事実である〉
ここから資本の自己増殖が始まった。マスク氏がいなくても誰かが同様の役割を果たし、時代を画する決済システム、電気自動車、宇宙開発を推進したと思う。貨幣は商品やサービスにいつでも交換することができる。しかし、商品やサービスは、いくら優れたものでも必ず売れる保証はない。マスク氏はツイッター(現在のX)を2022年10月に買収したが、今後、その運営がうまくいかずに大損失を被るかもしれない。資本家は常に「命がけの飛躍」に成功しなければ、生き残れないとマルクスは指摘した。この評伝から伝えられるマスク氏の姿を見るとマルクスの指摘が正しいように思えてくる。
本書で情報価値が高いのは、ウクライナ戦争に関連する箇所だ。2022年2月24日にロシアがウクライナを侵攻した直後からマスク氏はキーウのゼレンスキー政権を積極的に支援している。
〈ロシアは、2022年2月24日の木曜日、ウクライナに侵攻する直前に大規模なマルウェア攻撃をしかけ、通信やインターネットのサービスをウクライナに提供している米国の衛星通信会社、ビアサットのルーターを無力化した。これでは指揮命令系統がマヒし、防御らしい防御ができない。ウクライナはマスクに助けを求めた。/副首相のミハイロ・フェドロフもツイッターで支援を要請した。/「スターリンクのステーションをウクライナに提供していただきたい」/マスクはこれに応え、二日後、端末500台がウクライナに到着した〉
l 「核戦争の危機」を回避
ただし、マスク氏はゼレンスキー大統領やウクライナ軍部の言いなりになっているわけではない。その関連で以下の事例が興味深い。
〈「これは大災厄になるかもしれません」というメッセージがマスクから届いた。2022年9月のとある金曜夕方のことだ。(略)スターリンクも原因の一端となり核戦争が始まる「ささいではない可能性」がある、それほどややこしく危険な状況だった。クリミアのセバストポリに駐留するロシア海軍を奇襲しようと、爆薬を満載した無人潜水艦6隻をスターリンク経由で誘導して送ることをウクライナ軍が考えているというのだ。/ウクライナは支持するが、マスクの外交感覚は、欧州軍事史を踏まえた現実的なものだ。2014年にロシアが併合したクリミアをたたくのはあまりに向こう見ずだ。実際、クリミア攻撃は越えてはならない一線であり、核による反撃もありうると、数週間前、マスクはロシア大使に言われているのだ。マスクは私にも、ロシアの法律や考え方ならそういう反撃も十分にありうるのだと詳しく説明してくれた。/(略)この攻撃にスターリンクの使用を許せば、世界の惨事になりかねない。だから、クリミア海岸から100キロメートルはサービスを切れと技術者に指示した。そのため、ウクライナの無人潜水艦はセバストポリのロシア艦隊に近づくとインターネット接続が切れ、岸に打ち上げられる結果となった〉
マスク氏が衛星通信を切断したために、ウクライナ軍のクリミア上陸作戦は頓挫したのである。この戦争に関して、マスク氏は米国政府やウクライナ政府の公式見解とは異なる独自の見解を持っている。そして停戦に向けた現実的提案を行った。
〈ウクライナ情勢については、戦いを終わらせる一助になればと、ドンバスなどロシアの支配域で国民投票をおこなう、クリミアはロシアの一部として認める、ウクライナはNATOに加盟せず「中立」国であり続けるなどの和平案を提案した。/すさまじい反発が返ってきた。駐ドイツのウクライナ大使は「すっこんでろ、が、私からお返しするめいっぱい外交的な返答です」とツイート。ゼレンスキー大統領はもう少し慎重に、「ウクライナを支援するマスクとロシアを支援するマスク、どちらのイーロン・マスクがいいですか」とアンケート形式でツイートした。これを受けてマスクも少しだけトーンダウンし、大統領のツイートに次のように返信している。/「ウクライナにスターリンクを提供し、維持するためスペースXが負担した費用はいまのところ8000万ドルというところです。ロシアに対する支援額は0ドル。我々がウクライナ側なのは明らかでしょう」/ただし、次のような一言も忘れなかった。/「クリミアを取り返そうとすればたくさんの人が死にますし、おそらくは失敗します。核戦争に発展するおそれもあります。そんなことになったら、ウクライナにとっても地球にとっても悲惨です」〉
マスク氏のリアリズムが今後、世界の主流になることを評者は期待している。
橘玲さんが提案してくれた『イーロン・マスク論』の“予想外の切り口”
編集部日記 vol.15 2023/10/13
「イーロンのことなら、テクノ・リバタリアンについて書いてもいいですか?」
最高気温が36度を超えた7月25日、就任したばかりの本誌新編集長、デスクとともに私は作家の橘玲さんに原稿執筆をお願いするべく、中央線沿線のカフェにいました。テーマが9月に刊行される『イーロン・マスク』と聞くと、橘さんはこう切り出したのです。
橘さんとお会いするのは、この日が二度目。顔出しを一切されておらず、“言ってはいけない”現実を容赦なく読者に突きつけてくる橘さんのことを、お会いする前は「怖い人なんじゃないか」と構えていました。
けれど、お会いすると橘さんはいつもこちらの拙い話も丁寧に聞いてくれ、とても穏やかな声で考えていることをお話ししてくれます。元編集者ということもあり、こちらの狙いも手に取るように分かるのか、話題はすぐに「では、どんな原稿を書くのか」へと移っていきました。
『イーロン・マスク』(井口耕二訳)は評伝の名手であるウォルター・アイザックソンによる、イーロン初の公式伝記。全世界同時発売、アメリカではすでに100万部を突破した同書は、トヨタを上回る時価総額を誇るテスラの操業・創業秘話やTwitter(現X)買収を巡る舞台裏が赤裸々に綴られています。
同書で詳細に描かれているイーロンの半生、数々のイノベーションのことをあつかう原稿になるかと思いきや、橘さんの返答は編集部の予想とはやや異なるものでした。橘さんがテーマに据えた「テクノ・リバタリアン」のうち「リバタリアン」とは、「自由原理主義者」を指し、国家による規制を最小限に減らし、個人の自由を最大化することを重視する人々を意味します。
橘さんは「国家の規制や介入のない自由な環境こそがテクノロジーを進歩させる」と考える「テクノ・リバタリアン」の代表としてイーロン・マスクを挙げたのです。
ここで内容を詳らかにすることはできませんが、本誌11月号に掲載された「橘玲のイーロン・マスク論」は、国家をゆうに超える資産を持つ“ごく少数”の起業家が、テクノロジーによって私たちの世界そのものを大きく改造しようとしている実態を描いています。
イーロンは1999年、「Xドットコム」というオンライン決済システムの会社を起業しました。同社が競合他社と合併してサービス名が「ペイパル」となったとき、CEOだったイーロンは大ファンである映画『X-メン』の上映会を社員たちと行います。『X-メン』は、超人的な能力を備えた、“ごく少数”のミュータントが世界を救うマーベル・コミックが原作です。
イーロンは3番目の妻との子を「X(X Æ A-12)」と名付け、買収したTwitterの社名を「X」へと変えました。なぜイーロンは「X」にこだわるのか? その理由にも迫っている本誌11月号掲載の「橘玲のイーロン・マスク論」をお楽しみください。
(編集部Y)
文藝春秋 2023年11月号
橘玲のイーロン・マスク論 ~ ハイテクの寵児は民主主義国家の脅威になろうとしている
映画『アイアンマン』のモデルにもなったイーロン・マスクは、宇宙ロケット開発のスペースX、電気自動車のテスラ、通信衛星システムのスターリンクなどを創業しただけでなく、2022年10月にSNSのツイッターを買収したことで話題をさらった。
当代随一の伝記作家ウォルター・アイザックソンによる『イーロン・マスク』(小社刊)では、この稀代の起業家の半生が、私生活の混乱も含め赤裸々に(だが愛情を込めて)描かれている。
アイザックソンがマスクに密着取材を行なった2年間は、ロシアのウクライナ侵攻(マスクはインターネットを遮断されたウクライナにスターリンクの端末を無償提供した)やツイッター買収と重なっており、会議に同席し私生活の場を共にするだけでなく、電子メールや各種文書の閲覧も許されたことで、この動乱の時期に実際に何が起きていたのかがはじめて明かされた。
読者は、この不可解な、だが途方もなく魅力的な人物の52年間のジェットコースターのような人生を、映画や劇画のような面白さで体験できるだろう。
イーロン・マスクは実在の人物だが、一時は個人資産が3000億ドル(約40兆円)を超え、その存在は現実離れしている。事業の目的が「人類を絶滅から救い、火星に移住させる」ことだとすれば、なおさらだ。だが、マスクはたしかに突出しているものの、「唯一無二」というわけではない。スティーヴ・ジョブズやビル・ゲイツをはじめとして、シリコンバレーは多くの起業家を輩出し、この半世紀のあいだ現代社会の姿を大きく変えてきた。しかもその速度は、ますます加速しているのだ。
そこでここでは、シリコンバレーの「天才」たちを突き動かすものについて書いてみたい。
l 孤独な幼少期
ピーター・ティールは、イーロン・マスクとしばしば比較されるシリコンバレーの投資家・起業家だ。マスクは1971年に南アフリカに生まれ、4歳年長のティールはドイツ生まれで1歳のときに両親とともにアメリカに移住したが、父親の仕事の関係で子ども時代を南アフリカで過ごしている。
どちらも早熟な天才で、SF(マスクの愛読書はダグラス・アダムスの『銀河ヒッチハイク・ガイド』)やファンタジー(ティールの愛読書はJ・R・R・トールキンの『指輪物語』)に夢中になり、そしてどちらも子どもの頃は友だちができず、学校ではいじめられていた。
マスクは18歳で母方の親族のいるカナダに渡り、働きながら地元の大学に通った。アメリカの名門ペンシルバニア大学に移ると物理学とビジネスの学位を取得し、いったんはスタンフォード大学の大学院への進学を決めたものの、インターネットの波に乗るべく入学を辞退して1995年に最初の起業をする。
それに対してティールは、スタンフォード大学のロースクールを出て法律家を目指したが、エリートコースとされる最高裁判事の法務事務官に選ばれず挫折、しばらく金融機関で働いたあと、20代後半になって「人生の意味」を求めて西海岸に戻ってきた。
プログラマーやエンジニアばかりのシリコンバレーでは珍しい経歴だが、ティールは中学時代にカリフォルニア州の数学コンテストで1位になり、13歳未満のチェス競技会で全米7位にランキングされた数学の天才でもあった。ティールも1990年代後半のITバブルに乗ろうとベンチャーに投資するファンドを立ち上げたが、投資対象がなかなか見つからなかった。
l 友人との会話は数学クイズ
そんなある日、ティールはマックス・レヴチンという若者と知り合った。ウクライナのキエフで生まれ、16歳でアメリカに移住してコンピュータサイエンスの学位を取得、シリコンバレーで起業を目指していたレヴチンを気に入ったティールは、その後、何度も会うようになる。だがそのときの2人の会話は、とても奇妙なものだった。
まずティールが、「整数には、約数の個数が奇数個のものと、偶数個のものがある。約数の個数が偶数個である、z未満の整数の個数はいくつか」という問題を出す。レヴチンは最初は難しく考えすぎて回り道をしたが、最後は正解にたどり着いた(答は「z未満の完全平方数の個数をz-1から引いた数」)。
次にレヴチンが「密度にムラがある2本のロープがある。ロープに火をつけると、燃える速さは違うが、完全に燃え尽きるまでにどちらも1時間かかる。2本のロープを使って正確に45分計るにはどうしたらいいか?」という問題を出し、ティールが正答した(「1本目のロープの両端と、2本目のロープの片端に、同時に火をつける。1本目のロープは30分後には燃え尽きる。燃え尽きたその瞬間に、2本目のロープの残りの片端に火をつければ、2本目のロープが燃え尽きるのは、最初からちょうど45分後である」)。
ティールとレヴチンは、このような数学クイズや論理クイズを出し合い、何時間も過ごした。2人はこの「デート」によって、自分たちが「同類」であることを確認していたのだ。生まれた国も経歴も大きく異なる2人に共通するのは、「とてつもなく賢い」ことと、「ふつうとはちがっている」ことだ。
シリコンバレーは、たまたま出会った相手と数学クイズに興じられる特別な場所だった。だからこそ、なにもない小さな町に世界中から「数学の天才」たちが集まってきた。なぜなら、子ども時代に自分と同じような者がまわりにおらず、つねに孤独だったから。
l Xドットコムの起業
2000年のハリウッド映画『X-メン』は、第二次世界大戦下のポーランドの強制収容所の場面から始まる。
一人のユダヤ人の少年が、ガス室に送られる両親と無理矢理引き離され、悲しみのあまり泣き叫ぶ。少年は取り押さえようとした兵士たちを異常なちからで引きずり、銃で頭を殴られ昏倒したときには、頑丈な鉄の扉が大きくねじ曲げられていた。
金属を自在に操る能力をもったこの少年は、家族を殺されたことで人類に敵意を抱くようになり、長じてマグニートーと名乗って、自分と同じような「ミュータント」を集めて世界を支配しようとする。
一方、テレパシー能力を操るプロフェッサーXは、突然変異によって特殊な能力をもつようになったミュータントの子どもたちを「恵まれし子らの学園」で保護し、人類との共生を目指していた。プロフェッサーXに協力する超能力者たちが「X-メン」だ。
最初の会社を売却して27歳で2200万ドルという大金を得たイーロン・マスクは、それを使って1999年にXドットコムという会社を創業する。マスクはマーベル・コミックの「X-メン」シリーズのファンで、最初の妻とのあいだに生まれた双子の一人をプロフェッサーXの本名と同じ「ゼイヴィア(Xavier)」、ミュージシャンのグライムスとのあいだの子どもの一人を「X(正しくはX Æ A-12)」と名づけた。
カナダの大学時代、銀行でインターンを経験したマスクは、金融業界がどうしようもなくアナログで旧態依然なことにたちまち気づき、送金・決済から投資まですべてネット上で完結する金融の総合サービスをつくろうとした。買収したツイッターを「X」に改名したのは、このときのビジョンを実現するためだ。
マスクはXドットコムで、個人間の送金を電子メールだけで簡単に行なえるようにしたが、かつて同じビルに入居していたコンフィニティというベンチャーも、同様のサービスを提供していた。その決済システム「ペイパル」は、オークションサイトのイーベイで人気を集めていた。この会社を創業したのが、ピーター・ティールとマックス・レヴチンだった。
Xドットコムとコンフィニティは、たちまち熾烈な顧客獲得競争に突入し、口座を開いたり、友だちを紹介したユーザーに多額の報奨金を支払った。これによって両社の資金は急速に枯渇し、やがて競争するよりも共同で市場を独占したほうが得だと考えるようになる。紆余曲折はあったものの、両者は株式比率50対50で合併し、社名をXドットコム、サービス名をペイパルにして、マスクがCEOに就いた。
この合併が2000年3月で、映画『X-メン』がアメリカで公開されたのは同年7月だった。新会社の社員たちは映画館を貸し切り、「X.com」とプリントされたTシャツを着てこの映画の上映会を行なった。
l クーデターでCEO退任
だがその2カ月後、マスクの強引な方針(ユニックスのプログラムでつくられたペイパルのシステムをウィンドウズに移行しようとした)にレヴチンらが反発、マスクがオーストラリアに新婚旅行に行っているあいだに取締役会を説得し、CEOを解任して第一線を退いていたティールをその座に就けた。
このクーデターが、マスクの起業家としてのキャリアの大きな転機になった。最初は「裏切り」に激怒し抵抗したが、大勢が決したと悟ると、マスクは社員たちに「Xドットコムが次の段階に進むには練達のCEOを迎える必要があると思います」とのメールを送り、潔く解任を受け入れたのだ。
インターネットバブルはすでに崩壊の兆しを見せており、翌2001年9月11日には同時多発テロが起きた。世情が騒然とするなか、ティールは02年2月にペイパルのIPOを成功させ、冷静な交渉力で7月に15億ドルでイーベイに会社を売却した。
これによって最大株主のマスクは2億5000万ドルという巨額の利益を得て、その資金を元にスペースXとテスラを創業することになる。マスクはその後、ティールやレヴチンなどクーデターの「主犯」たちと和解し、スペースXが3度のロケット発射に失敗して倒産寸前に追い込まれたとき、ティールは自らのファンドから2000万ドルを投資して窮地を救った。
Xドットコムとコンフィニティからはその後、多くの起業家が誕生し、ピーター・ティールを中心に「ペイパルマフィア」と呼ばれるようになる(マスクはその一員ではないものの、いまも彼らとの交友は続いている)。
映画『X-メン』ではプロフェッサーXが善、マグニートーが悪の役柄だが、2人はかつては親友で、敵対しつつも憎み合うことはできない。なぜなら、2人はこの世界でようやく出会えた「同類」なのだから。
l 私はアスペルガー
知能指数(IQ)は学力(偏差値)と同じく正規分布する。これはベルカーブとも呼ばれ、平均付近にもっとも多くの事象が集まり、そこから離れるほどまれになる。
IQは100を平均として1標準偏差が15(偏差値は50を平均として1標準偏差が10)で、IQ160(偏差値換算で90)以上は0.003%で10万人に3人、IQ175(偏差値換算で100)以上は0.00000028%で350万人に1人になる。日本には1億人、全世界には80億人が暮らしているが、IQ175を超える者は日本に約30人、世界でも約2300人しかいない。「天才(ギフテッド)」はマイノリティなのだ。
認知科学では、認知能力を「結晶性知能」と「流動性知能」に分ける。前者は言語能力など経験や学習によって獲得する知能で、後者は直感力のような脳の反応の速さをいう。流動性知能は、一般には数学的・論理的能力のことだ。
イーロン・マスクは技術的な問題を素早く把握し、その解決方法を見つけ出す「特殊な能力」をもっているが、これは流動性知能がきわめて高いからだろう。そのマスクは、(正式な診断を受けたわけではないものの)自らを「アスペルガー」だと述べている。アスペルガー症候群の定義は定まっていないが、ASD(自閉スペクトラム症。以下、「自閉症」)のうち、知的障害や言語障害をともなわないものをいう(「高機能自閉症」とも呼ばれる)。
イギリスの発達心理学者サイモン・バロン゠コーエンは、自閉症の研究から、「脳には“システム化”と“共感”の大きく2つの機能があり、両者はトレードオフの関係にある」と考えた。これが物議をかもしたのは、「男には“システム化脳”が、女には“共感脳”が多い」との主張が、「男は理性的、女は感情的」というジェンダー・ステレオタイプを正当化していると見なされたからだ。
これに対してバロン゠コーエンは、自閉症は過度にシステム化された脳が引き起こす症状で、その発症率は男児が80〜90%と大きく偏っていると指摘した。男女になんの生物学的な性差もないとすれば、この極端なちがいを説明するには、母親が男児にだけ、自閉症になるような異常な養育(虐待)をしているとするほかない。こうしていまでは、同性愛のような性的指向や、トランスジェンダーのような性自認と同じように、自閉症の原因も(主に)遺伝だと認められるようになった(男性に自閉症が多いのは、性ホルモンのテストステロンが関係しているとされる)。
共感には、相手の感情と自分の感情を重ね合わせる「感情的共感(相手が泣いていると自分も悲しくなる)」と、相手がなぜそのような感情を抱くのかを理解する「認知的共感(泣いている相手を見て、その理由を察知する)」がある。後者は「心の理論」とも呼ばれるが、バロン゠コーエンによれば、自閉症者はこの理論をうまく構築することができない。
l 他人に共感ができない
自閉症の子どもは、母親が泣いていると自分も悲しい気持ちになるので、その状況になんとか対処しようとするが、なぜ母親が泣いているかを理解できないため、どうしたらいいかわからない。自閉症者に特有のこうした体験は、「別の惑星から来て、自分が参加できないゲームの脇から他の種族を眺めているようだ」と表現される(自閉症の動物学者であるテンプル・グランディンは、精神科医のオリヴァー・サックスに、自分は「火星の人類学者」だと語った)。
極端にシステム化された脳をもつ「ハイパー・システマイザー」は、きわめて高い数学的・論理的能力に恵まれているものの、その代償として、相手がどう感じるかをうまく理解することができない。認知的共感は一般に「コミュ力」と呼ばれるが、それが低いと、とりわけ子ども時代は友だち集団から排除される原因になるだろう。
バロン゠コーエンは、シリコンバレーの成功者の多くはハイパー・システマイザーだという。彼らの多くはいじめられた経験があり、世界を敵対的なものだと思うようになった可能性がある。技術的なイノベーションに驚異的な能力を発揮する一方で、他者への共感力が低く、部下を解雇してもなんの痛みも感じないマスクの仕事ぶりはハイパー・システマイザーの典型だろう(評伝にもあるように、マスクの子どもの一人は自閉症だ)。
マスクの特異なキャラクターは、極端なシステム化脳に、極端に高い外向性(リスク志向)と集中力、軽躁状態(ふだんは躁状態だが、気分の変動がはげしく、ときに抑うつ状態に陥る)、さらには強迫神経症的なこだわりと、なにがなんでもやりとげる強烈な意志力が加わったものだと考えるとうまく理解できるだろう。その結果、つねに追い立てられているような切迫感に苛まれ、どのような成功にも満たされることなく、ひたすら走り続けなくてはならなくなったのだ。
l 「高知能の呪い」
知識社会では、知能は高ければ高いほどよいと考えられている。これは間違いというわけではないものの、高すぎる知能は自閉症になるリスクと背中合わせだ。だが「高知能者」の苦悩はそれだけではない。
濃密な共同体のなかで進化してきたヒトは、自分のアイデンティティを他者や集団と融合させるという驚くべき能力を進化させた。国や宗教などの共同体とアイデンティティ融合すると「ナショナリスト」「宗教原理主義者」になるが、社会がリベラル化するにつれて、その対象が個人に変わってきた。アイドルなどにアイデンティティ融合する近年の現象は「推し活」と呼ばれる。
推し活がなぜこれほど盛り上がるかというと、アイデンティティ融合することで強い幸福感が得られるからだろう。国家への融合が戦争に、宗教への融合がテロに、ホストへの融合が「ホス狂い」につながるように、自分を他者(共同体)と融合させることがつねによい結果をもたらすわけではないが、「熱狂」や「陶酔」をもたらしてくれることはまちがいない。
ところがハイパー・システマイザーは、他者との共感をうまく構築できないのだから、アイデンティティ融合が難しい。仮にそのような能力をもっていても、ふつうのひとが夢中になるものを理解できないだろう。
正規分布では定義上、平均から1標準偏差の範囲に全体の約7割が収まる。大衆社会では大半の娯楽はこの層に向けて提供されるが、そうなると高知能者(IQ145〈偏差値換算で80〉以上でも1000人に1人しかいない)には楽しめるものがほとんどなくなってしまう。
この現象は当事者のあいだで、「高知能の呪い」と呼ばれている。周囲のひとたちが野球やサッカー、アメリカンフットボール(あるいはアイドル)などになぜ興奮するのかわからず、デートをしても相手と話がまったく合わないのなら、人生を楽しむことができるだろうか。
これが「呪い」なのは、莫大な富や成功がかならずしも幸福に結びつかないからだ。2021年にマスクは世界一の大富豪になったが、気分の落ち込みがはげしく、吐き気と胸やけに悩まされていた。ツイッター買収後にインドネシアで開かれたビジネスサミットでは、「次なるイーロン・マスクになりたいと思う人にアドバイスを」と問われ、「本当に私のようになりたい人がどれほどいるのでしょうか。私は異次元の拷問を自分に科していますから」とこたえた。
さらにやっかいなことに、他人の気持ちがわからないからといって、感情がないわけではない。マスクはひといちばい傷つきやすく、X(ツイッター)で批判されると、しばしば感情的に反論し、多くのトラブルを引き起こしてきた(それによってテスラの株価が下落したこともある)。
l 反リベラルになった契機
周囲の者がみな反対したにもかかわらず経営不振に苦しむツイッターを買収したのは、「自由な言論空間を守る」という大義名分はあったものの、(本人も認めるように)さびしいからだろう。成功の実感、すなわち「自己実現」をもたらしてくれるのは数十兆円の富ではなく、社会的な評価(1億5000万人のフォロワー)なのだ。
マスクはもともと政治にさしたる関心がなく、民主党とオバマ大統領を支持していた。だがツイッターを始めるようになって、徐々に「ウォーク(Woke:目覚めた者)」への批判を強めていく。
ウォークは日本でいう「(社会問題に)意識高い系」のことで、人種問題やジェンダー問題などで「ポリティカル・コレクトネス(ポリコレ:政治的正しさ)」の旗を振りかざし、不適切な言動をした者を社会的に抹消(キャンセル)する「キャンセルカルチャー」を主導している(「SJW=社会正義の闘士」とも呼ばれる)。
ウォークたちは、経済格差こそがすべての社会問題の元凶で、マスクのようなビリオネアは、その富がたとえ正当な方法で(合法的に)得たものであっても、存在そのものが「不道徳」だとしている。これは全財産を失うリスクをとって(さらには「1日23時間」仕事に没頭して)誰もが不可能だとあざけった事業を成功に導いたマスクにとって、許しがたい侮辱だった。
マスクと最初の妻との子どもゼイヴィアはその後、女性にジェンダー移行して「ヴィヴィアン」と名乗り、父親を「資本主義者」と批判するようになった。マスクはこれを、「ウォークマインド・ウイルス」に感染したからだと考えているらしい。
決定的なのは、法学者から民主党の上院議員になったエリザベス・ウォーレンにツイッターで「税金を納めていない」と批判されたことで、これに猛反発したマスクはテスラ株のストックオプションを行使して110億ドル(当時の為替レートで約1兆2500億円)を納税し、「(IRS〈米内国歳入庁〉に立ち寄ったら)クッキーでももらえるような気がする」と皮肉った。
ツイッターやフェイスブックは中立な言論プラットフォームを装っているが、リベラル派の投稿を優先し、保守派(右派)の投稿を削除しているのではないかとずっと疑われてきた。ツイッターでウォーレンのような「左派(レフト)」から攻撃されたマスクが買収を決めたのは、この「不正」をただそうと考えたからでもある。
l トランプのアカウントを復活
マスクは買収後に、これまでの「コンテンツモデレーション(節度ある投稿管理)」のファイルをジャーナリストに開示した。これによって、ツイッターがバイデン政権に忖度し、トランプを支持する投稿を抑制していた事実が明らかになり、保守派の疑惑に一定の根拠があることが示された(ただしこれは、ツイッターの社員の大半が民主党支持者だったからで、ディープステイト=闇の政府による陰謀ではない)。
マスクは自らを「リバタリアン」だと述べている。リベラリズムと同じく「自由(Liberty)」から派生した言葉で、「自由原理主義者」をいう。リベラリズムはもともと「自由主義」のことだが、「リベラル」を自称する政党やメディア、知識人はいつしか平等を過度に重視し、それによって自由が抑圧されていると不満を抱く者たちが「リバタリアン」を名乗るようになった。日本ではティーパーティーのようなキリスト教保守派の運動だと思われているが、じつは現在、リバタリアニズムの最大の拠点はシリコンバレーだ。彼らは「テクノ・リバタリアン」と呼ばれている。
マスクのようなIT起業家がリバタリアンなのは、国家の規制や介入のない自由な環境こそがテクノロジーを進歩させることを考えれば当然のことだ。逆にいえば、自由のない世界では「とてつもなく賢い」者たちは自らの才能を活かすことができず、死に絶えてしまう。
リバタリアニズムは国家を最小化し、自由を最大化することを目指すが、現代のリベラリズムは逆に、社会福祉などで国家を最大化しようとする。国家が介入する範囲が広がれば広がるほど、自由の領域は狭まっていく。リバタリアンからすれば、口先で「権力」を批判しながら自由を壊死させようとするリベラルは「国家主義者」なのだ。
そしていま、リバタリアンの最大の敵は、「社会正義」の名の下に言論・表現の自由を蹂躙する「ウォーク」になっている。これは右派(リバタリアン)と左派(ウォーク)の対立とされているが、このような旧態依然とした枠組みでは、それが「自由」をめぐる政治思想の闘争であることがわからなくなってしまう。
ツイッターは連邦議会議事堂襲撃事件でトランプのアカウントを「永久追放」したが、マスクはそれを復活させたうえで、FOXニュースの元看板司会者タッカー・カールソンによるトランプのインタビューをXでストリーミング配信した。これもマスクが「右派」になった証拠とされたが、トランプが次期大統領選の共和党の候補者争いで独走状態にあることで、言論プラットフォームからトランプを排除する正当性は揺らいでいる。
「民主主義」でもっとも重要なのは議論であり、対話だとされる。だとしたらなぜ、大統領選挙の最有力候補を議論に参加させないのか。トランプは現在、保守派のSNS「トゥルース・ソーシャル」で活動しているが、このような状況こそがアメリカ社会の分極化を招いているとのマスクの指摘にはじゅうぶんな理がある。
l 人類は不死になる?
シリコンバレーでは、誰もが「テクノロジーによってすべての問題は解決できる」と考えている。この信念は、「加速主義(accelerationism)」と呼ばれる。1960年代のロジャー・ゼラズニイのSF小説『光の王』では、人類が科学技術を駆使して神に近い存在となった未来が描かれた。そのような世界を実現するには、テクノロジーの進歩を「加速」させなければならないのだ。
「エクストロピー」は代表的な加速主義で、エントロピーの法則(エネルギーや物質は不可逆的に秩序が崩壊して散逸する)からの離脱を目指している。「トランスヒューマニズム(超人主義)」ともいわれ、人間の能力を機械によって拡張するだけでなく、その究極の目標は「不死」の実現だ(エントロピーの法則は死の不可避性を表わしている)。意識をコンピュータにアップロードしようとするエクストロピアンは、その技術が完成したときのために死後も脳を冷凍保存している。
「シンギュラリティ(技術的特異点)」はAI(人工知能)が自分で自分を改良していく(その結果、人間には理解できないほど賢くなる)ことをいう。人間のように応答する生成AI「チャットGPT」が世界的に話題になっている理由のひとつは、シンギュラリティの到来が近づいていることを予感させたからだ(エクストロピアンは超絶AIを、「不死のテクノロジー」の不可欠の要素だと考えている)。
l シリコンバレーの「超人主義」
加速主義者の未来では、ゲノムをワープロのように編集して望みどおりの子どもをつくることも、脳をシナプス単位で刺激してつねに幸福感に満たされるようにすることも可能になる。電力は二酸化炭素を排出しない小型原子炉でまかない、温暖化には人工的に地球を冷やすジオエンジニアリングで対処する。それでも気候変動を抑制できなければ、人類は火星に移住することになるだろう。
重要なのは、これらのイノベーションが別々に生まれているのではなく、すべて結びついていることだ。テクノロジーが「エクスポネンシャル(指数関数的)」に加速し、それが「コンバージェンス(融合)」することで、これまで想像もできなかった変化が起きる。
こうしてシンギュラリティに到達すれば、人類は不死を手に入れるだけでなく、森羅万象を自在に操り創造する「ホモ・デウス(神人)」になるだろう。
このテクノロジー至上主義は、「カリフォルニア・イデオロギー」とも呼ばれる。1960年代末から1970年代にかけてアメリカ西海岸を中心におこったヒッピー・ムーヴメントを起源としているからで、スティーヴ・ジョブズは、ヒッピーの精神世界をテクノロジーを介して資本主義と結びつけることで、iPhoneという「世界を変える」大ヒット商品を生み出した。
ただしイーロン・マスクは精神世界になんの興味もなく、彼を突き動かしているのは、AIの暴走から人類を救い、火星に移住させるという使命感(ヒーロー願望)らしい。テクノ・リバタリアン(加速主義者)の世界観は、ヒッピーカルチャーよりもSF、アニメ、ゲームなどのサブカルチャーから強い影響を受けている。
日本ではこれまで、自由を至上のものとして国家の介入を徹底して拒否するリバタリアニズムは異形の思想(政治的なたわごと)として無視されてきた。だがいまや、アメリカのIT起業家の資産総額は、上位十数名だけで1兆ドルを超えている。これはトルコやオランダのGDP(国内総生産)を上回り、日本のおよそ4分の1に達する。
l 暗号通貨と非中央集権化
国家に匹敵する莫大な富と強大なテクノロジーをもち、強いネットワーク(シリコンバレーは狭い世界なので、ほぼ全員が知り合い)で結ばれた彼ら(ITビリオネアの全員が男性)が信奉するテクノ・リバタリアニズムは、現代社会で唯一、「世界を変える」ちからをもつイデオロギーなのだ。
2008年にサトシ・ナカモトがブロックチェーンについての画期的な論文を投稿し、暗号通貨ビットコインが誕生した。これが政治思想的に大きな意味をもつのは、ブロックチェーンの可能性を拡張すれば、通貨だけでなくあらゆる取引・契約を中央集権的な組織なしに実行できるようになるからだ(これを「スマートコントラクト」という)。マスクはかねてより、中央サーバーを必要としないビットコインに関心を示しており、自身の事業に取り入れようとしている。
国家や会社のような中央集権的な組織に依存することなく、自由な個人が結びついた社会をつくろうとする運動は「非中央集権化(分権化)」と呼ばれるが、これを突き詰めると「アナキズム(無政府主義)」になる。
アナキズムの実現可能性は、20世紀の欧州で、すでに議論されていた。よく知られているのは、共産主義革命をめぐる、マルクスとアナキストのバクーニンの対立だ。非中央集権的な労働運動を目指すアナキズムの理想主義に対して、マルクスは、バクーニンが夢想する「理性的で自立した労働者」などどこにもおらず、共産党の指導なしに無知な労働者をどのように革命に動員できるのかと批判し、粉砕した。そして、バクーニンの予言どおり、共産党の独裁と専制を生むことになる。
国家のない社会を目指すアナキズム(無政府主義)は魅力的だが、社会運動から「組織」を排除すれば、残るのは烏合の衆でしかない。そこでロシアのアナキスト、クロポトキンは相互扶助による無政府主義を構想し、それが第二次世界大戦後のヨーロッパで、労働組合(という中央集権的な組織)を通じて政府のない社会を実現しようとする「アナルコ・サンディカリスム(無政府組合主義)」に結実した。
それとは別に、フリードリヒ・ハイエクやルートヴィヒ・フォン・ミーゼスなど市場原理を重視するオーストリアの経済学者たちが、ソ連型の計画経済から自由経済を擁護するために市場の「自生的秩序」を唱え、政府の介入を正当化するケインズ経済学を強く批判した。
ミルトン・フリードマンらシカゴ大学の経済学者がそれを「新自由主義(ネオリベ)」に発展させ、1980年代にレーガンやサッチャーの経済政策に大きな影響を与えることになる。
経済学者のデイヴィッド・フリードマン(ミルトン・フリードマンの息子)やマレー・ロスバードは、この新自由主義をさらに徹底させて、「政府(国家)なしでも経済活動は可能だし、より効率的になる」というアナキズムを唱えた。こちらは資本主義によって国家を廃止しようとするため「アナルコ・キャピタリズム(無政府資本主義)」と呼ばれたが、そこで想定されている社会変革の主体は民間企業(という中央集権的な組織)だった。
l “サイファーパンク”の思想
ところがその後、インターネットによって世界中のコンピュータが接続されると、国家・政府はもちろん、組合や企業のような中央集権的組織も不要で、完全な自由を保証された個人のネットワークだけがあればいいとする、より純化したアナキズムが生まれた。このような過激な無政府主義者は、「暗号(クリプト)アナキスト」「サイファーパンク」と呼ばれる。
ビットコインやイーサリアムのようなブロックチェーンを使ったデジタル通貨は日本では一般に「仮想通貨」と呼ばれているが、英語圏では「暗号通貨(クリプトカレンシー)」あるいは、たんに「クリプト(crypto)」という。
“crypt”は聖堂の地下室のことで、“crypto-”とすると「秘密の、隠された」という接頭語になる。「cryptograph(クリプトグラフ)」は隠されたメッセージ、すなわち「暗号」のことだが、暗号には「cypher(サイファー:平文を暗号化し、それを復号するアルゴリズム)」という単語もあり、ここから「サイファーパンク」という言葉がつくられた。1984年にウィリアム・ギブスンが『ニューロマンサー』で、ヴァーチャル世界を舞台にハッカーが活躍するSFジャンル「サイバーパンク」を打ち立てたが、そこから生まれた造語だ。
中央銀行のような集権的な組織なしに通貨を発行・流通させるビットコインなどが「クリプト」と呼ばれるのは、ブロックチェーンに追加されたデータの真正性を証明する作業(PoW:プルーフ・オブ・ワーク)や口座(ウォレット)の管理に複雑な暗号が使われているからだが、その背景には、この暗号テクノロジーによって個人と個人をつなぎ、中間形態としての組織を不要にすることで無政府主義(アナキズム)を実現しようとするサイファーパンクたちの社会運動がある。
l 社会を変えるブロックチェーン
クリプトの誕生は、在野の研究者ホイットフィールド・ディフィーが1976年に、暗号化と復号化に異なる鍵(手順)を用いる「公開鍵暗号」を発見したことに始まる。その翌年、3人の数学者が素因数分解を使った公開鍵暗号のアルゴリズムを発表し、このRSA暗号は現在も破られていない。
1991年には、やはり在野の研究者フィル・ジマーマンがRSA暗号を使った公開鍵暗号のフリー・プログラムPGP(Pretty Good Privacy)を公開した。ところがアメリカ政府は、諜報機関でも解読できないRSA暗号を、武器輸出管理法によって輸出禁止に指定していた(そのためジマーマンは刑事告発されることになった)。
政府のこの「暴挙」は、自由とプライバシーを重視するリバタリアンにとって許しがたいものだった。そしてこのことは逆に、暗号こそが個人を国家のくびきから解放する最強の武器であると強く意識させることになった。
暗号の本質は、「信頼が成立しないところで、どのように取引を行なうか」という問いに答えることだ。これは「トラストレス(Trustless:信頼不要)」と呼ばれるが、「信頼から検証へ」と言い換えることができるだろう。
商品と引き換えに差し出された一万円札をそのまま受け取るのは、それが偽札ではないと信用しているからだ。その信用を担保するのが法律で、偽札の使用は重罪なので、ほとんどの者はそんなリスキーなことはしない。だがなかには、高性能のコピー機や印刷機で偽札をつくる者がいるかもしれない。
それと同様に、一万円札が将来も使えると思うこと(ハイパーインフレのようなことは起こらないという予想)は、政府に対する信頼に基づいている。だが、他者や政府を無条件に信用することは合理的だろうか。
ゲーム理論が明らかにしたように、どれほど口先ではきれいごとをいっていても、取引相手にはつねに裏切るインセンティブがある。信頼だけで騙されるリスクを管理しようとすれば、家族や親族、近しい者だけの閉じられた社会のなかで取引するしかない。これなら、効果的な報復(村八分あるいはそれ以上の罰則)が可能なので、裏切られることを(それほど)心配する必要はない。
だが、人類が旧石器時代以来、進化の大半で使ってきたであろうこの戦略は、グローバル化した世界(見知らぬ者と頻繁に交流する開かれた社会)では役に立たない。そのため、信頼を補完する強力な中央集権型組織、すなわち国家が要請されることになった。
l 国家主権から“自己主権”へ
それに対してブロックチェーンや暗号による署名は、人間を信用するのではなく、データが正しいことをアルゴリズムによって検証できるようにしている。これによって、取引相手のことをなにも知らなくても、騙される心配なしに暗号通貨をやり取りできるようになった。
クリプトアナキストは、取引に信頼が必要なければ、(信頼を保証する)国家など中央集権的な組織が存在する理由もなくなると考える。
こうして、ブロックチェーンを使ってあらゆる領域で取引を分散し、非中央集権化する「社会変革」の試みが行なわれるようになった。これは近年、Web3.0と呼ばれている。
Web1.0はメールのような一対一の関係、Web2.0はアマゾンや楽天で買い物するような、一(中央集権的組織)対多(消費者)の関係で、Web3.0は非中央集権化されたユーザー同士の多対多の関係だ。
クリプトアナキスト(サイファーパンク)の理想世界では、テクノロジーが指数関数的に「加速」することで、いずれ国家や企業のような中央集権的な組織はなくなり、一人ひとりが「自己主権」をもつことになる。「主権(ソブリン)」は神から与えられた権利で、フランス革命ではそれが王から国家に移った。そしていま、主権は国家から個人に分散されつつある。
ブロックチェーンを使った暗号通貨の取引では、ユーザーは秘密鍵(公開鍵暗号のパスワード)で自分のウォレットを管理する。同様に「自己主権アイデンティティ(Self-Sovereign Identity:SSI)」では身分証明やアクセスデータなどのアイデンティティ(個人情報)はブロックチェーンに記録され、それを国家やグローバルテックのような中央集権的な組織ではなく、ユーザー一人ひとりが管理することになる。
自分についての情報を自分だけが所有する「完全なプライバシー」はリバタリアンの理想だが、わたしたちは「自己主権」を管理できるほど賢いのだろうか。このシステムでは、秘密鍵を紛失してしまえば口座に何億円、何十億円の暗号資産があったとしても取り戻すことができないし、秘密鍵を奪われて他者にアイデンティティを偽装されるのは自己責任で、何が起きてもいっさいの補償はない。
l 政府なんていらない
アナキズムとは「国家に依存しないデモクラシー」のことで、その実現には自助自立の、完全に理性的な民衆(デモス)を基礎とするしかない。それと同様に、非中央集権化されたWeb3.0の世界では、究極の自由を与えられる代償として、誰もが「自分のアイデンティティを適切に管理する」責任を負わなくてはならない。
クリプトアナキストであるティモシー・メイは、1994年に発表したサイファーパンクのマニフェスト「サイファーノミコン」で、「私たちの多くははっきりと反民主主義であり、世界じゅうの民主政治と称するものを、暗号化を利用して根底から揺るがしたいと思っている」と宣言した。
メイは国家を前提としたデモクラシーを否定し、暗号技術によって、市民たちがオンラインの利益共同体をつくり、互いに直接関係を結んで、国家とまったく無関係に生きることができる社会を構想した。これが「反民主主義」なのは、デモクラシーと自由が両立しないからだ。
l 危険すぎる「独立自由国家」
ピーター・ティールは2016年の大統領選挙でトランプを支持し、イーロン・マスクを含むシリコンバレーの大物たちを一堂に集めて新大統領を囲む会合を取り仕切ったことで「影の大統領」の異名を得た。そのティールは2009年に発表した「リバタリアンの教育」という題の短いエッセイで、「私は、10代の頃に抱いた信念――至高の善の前提となる真の人間的自由――にいまだにコミットしつづけている」と述べたうえで、(自由を抑圧する)「政治」から逃れるためにリバタリアンは、テクノロジーによる新たな自由の領域を開拓しなければならないと説いた。
ティールはここで、(1)サイバースペース、(2)アウタースペース(宇宙)、(3)シーステディング(海上自治都市)の3つの可能性を挙げた。シーステディング・プロジェクトはどこの国にも属さない公海上に人工の島をつくり、「独立自由国家」を樹立する試みで、ティールも多額の資金を提供しているが、この論文から十数年たってもいまだになんの進展もない。
アウタースペースはマスクが進める火星への移住で、まだずっと先の話だ。唯一、ティールがまったく納得していなかったサイバースペースだけが、ブロックチェーンによる「非中央集権化(アナキズム)」を実現しつつある。とはいえこの「新たな自由の領域」が、すべてのひとを解放するわけではない。
ティモシー・メイは「サイファーノミコン」で、「クリプトアナキズムとは、機会を掴むことのできる者、売れるだけの価値のある能力を持つ者の繁栄を意味する」と書いている。それから十数年たって、イギリスのジャーナリスト、ジェイミー・バートレットがその真意を訊くためにメイを訪ねた。
メイの答えは、バートレットの著書(『闇〔ダーク〕ネットの住人たち』)からそのまま引用しよう。
──「私たちは、役立たずのごくつぶしの命運が尽きるところを目撃しようとしているんですよ」とメイは冗談めかしていった。
「この惑星上の約40億〜50億の人間は、去るべき運命にあります。暗号法は、残りの1パーセントのための安全な世界を作り出そうとしているんです」
欧米のメディアは、バイデン政権から距離をとり、台湾は中国の「不可欠な一部」と述べ、インドのナレンドラ・モディ首相、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相ら「権威主義者」と積極的に会談するマスクの「右傾化」をさかんに批判している。『イーロン・マスク』発売直前には、ウクライナの要請にもかかわらず、クリミア攻撃へのスターリンクの使用をマスクが拒否したことを理由に、ロシアと裏でつながっているのではないかと書き立てた(アイザックソンがこれは誤解だと訂正した)。
l 1%のためだけの世界
欧米でも日本でも、大半のメディアはいまだに、リベラル=善、アンチ・リベラル=悪という単純な善悪二元論で世界を把握しようとしている。しかしテクノ・リバタリアンは、もはやこのような単純な枠組みで未来を考えてはいないだろう。
わたしたちはいま、とてつもない富を獲得した、とてつもなく賢い者たちが、テクノロジーをエクスポネンシャルに“加速”させて社会を大きく改造する時代を生きている。その意図はおおむねよいもので、生活はよりゆたかに、より快適になっていくはずだ。
だがその行き着く先は、途方もない「自由」に適応できる「1パーセントのマイノリティ」あるいは「X-メン」たちのためだけの世界なのかもしれない。
地球環境が破壊され、人類が火星への移住を迫られるときが来たら、イーロン・マスクはその選抜をどのような基準で行なうのだろうか。
(藤田直哉のネット方面見聞録)「共感は弱さ」 マスク氏の敵意、どこから
2025年3月15日
CNNが「イーロン・マスク氏は西洋文明を『共感』から救いたい」という記事を出した。そこではマスクのこんな発言が引用されている。「西洋文明の根本的な弱さは共感だ。共感が付け込んでくる」「彼らは西洋文明の欠陥を利用する。それが共感反応だ」。彼は「政府効率化省(DOGE)」で采配を振るい、様々な予算をカットしているが、国際開発局(USAID)などの対外援助は共感を利用されたタカリ被害だと感じているようだ。
その思想について、彼が自閉スペクトラム症で共感が苦手なことが原因だと指摘する者もいるが、父親に虐待されて育ったことも影響しているだろう。彼は立たされたまま自身を否定する言葉を浴び続ける「精神的な拷問」を受けていた。自身の仕事について「異次元の拷問を自分に科して」いると言っているが、同じことを部下や政府職員、米国民にも求めるようになった。
ウォルター・アイザックソンの評伝「イーロン・マスク」によると、父エロールは容赦ない独裁制を子どもたちにしいたと胸を張って答え、「イーロン自身も、後々、似たような独裁制を自分自身に対しても周囲に対してもしいてるじゃないですか」と語っている。
マスクの最初の妻ジャスティンは、虐待が原因でマスクの感情が遮断されたと考える。「恐れを遮断するには、喜びや共感などほかのものも一緒に遮断しないといけないのでしょう」。マスクとの間に3人の子をもうけた別の女性も「人生は痛みの連続だと子ども時代にたたき込まれた」、だから人生を楽しむことが出来ないのではないかと語る。
橘玲はその著書「テクノ・リバタリアン 世界を変える唯一の思想」の中で、マスクやピーター・ティール(「影の大統領」とも呼ばれる著名投資家でマスクと親しい)は、「世界に対する敵意」が強いと指摘している。常に世界が安全でない、脅威だと感じているのだ。これらの、共感のなさや強い危機意識は、プーチンのロシアと通じる部分だと推測される。
その「敵意」「脅威」の感覚が生まれた原因は何か。橘は自閉スペクトラム症の研究者バロン=コーエンの説を引き、自閉スペクトラム症とも重なる「システム化された脳」が原因ではないかと示唆する。「きわめて高い論理・数学的な能力に恵まれているものの、その代償として、相手がどう感じるかをうまく理解することができない」「学校では友だち集団から排除される原因になる」
シリコンバレーにはこのような「天才」たちが多い。それがゆえにいじめられたり疎外されたりした経験が、彼らが力を持った際に政治的な方針に影響し、ウォーク(意識が高い人たち)やリベラルに対する反発や復讐につながっているのだとしたら、とても悲しい。付け加えておけば、バロン=コーエンによれば、システム脳の性質を持つ者は搾取や暴力への傾向は薄いという。彼らが優しく配慮されケアされていたら、どう違っただろうか。(文芸評論家)
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