ハチは心をもっている Lars Chittka 2025.4.8.
2025.4.8. ハチは心をもっている 1匹が秘める驚異の知性、そして意識
The Mind
of a Bee 2022
著者 Lars Chittka 英・ロンドン大学クイーン・メアリー校教授(感覚・行動生態学)で同校心理学研究センター創設者。動物の感覚・学習・認知と進化・生態にまたがる幅広いテーマで研究をおこなっている。特に、ハナバチの心・知性と行動の研究を牽引する第一人者として世界的に知られ、300本近い論文を査読誌に発表している。PLoS Biologyの編集委員(2004-現在)、PNASのゲスト編集委員(2023)、Proceedings of the Royal Society Bの編集委員(2010-2012)やQuarterly
Review of Biologyの編集顧問(2004-2010)など、トップジャーナルの編集メンバーも歴任。共編著にCognitive
Ecology of Pollination: Animal Behavior and Floral Evolution(Cambridge University Press, 2001)。
訳者 今西康子 翻訳家
推薦の辞 小野正人 玉川大学農学部教授/学術研究所・所長。専門は社会性ハチ類。日本学術会議応用昆虫学分科会委員長(2017-2023)、一般社団法人 日本応用動物昆虫学会・会長(代表理事)(2021-2023)、日本昆虫科学連合代表(2022-2024)、第27回 国際昆虫学会議・議長(2024)などを歴任。環境賞(1996)、日本応用動物昆虫学会賞(2004)、日本農学賞(2024)などを受賞。スズメバチ、ミツバチ関連の啓蒙活動にも力を入れている。著書に『スズメバチの科学』(海游舎、1997)、ほか。
発行日 2025.2.17. 第1刷発行
発行所 みすず書房
1
はじめに
ハチは、人間とは全く異なる感覚器官に支配された独特の知覚世界を持ち、全く異なる優先順位に従った生活を営んでいるので、地球に暮らす異星人と思っても間違いない
本書を通じて、読者の皆さんにハチは1匹1匹が心を持っている、周囲の世界を認識し、自らの知力を自覚していると確信してもらいたい。ハチの知力とは、自伝的記憶、自らの行動の結果についての理解、更には基本的な情動や知能など、心の主要な構成要素を備える精巧な脳
ヒトの脳に860億個の神経細胞があるのに対し、ハチの脳は100万個に過ぎないが、神経細胞の1つ1つが細かく枝分かれした複雑な構造を持ち、他の1万個の細胞と接続可能
10億以上の接続部はすべて可塑性を持ち、個体ごとの経験によって変化し得る
l ハチであるとはどのようなことか
硬い外骨格の下に筋肉が付着。殻の内側に内蔵型の化学兵器を持ち、自分の1000倍の動物に対して激しい痛みを与える注射針だが、一旦使うと自分も死ぬ
300度の視野を持ち、栄養分はすべて花から得るが、餌を集めるために他と競争する。見える色の範囲はヒトより広く、紫外光も見えるし、光波の振動方向も感じ取れる。磁気コンパスのような感覚能力もあり、頭部から出ている突起は腕と同じくらい長く、その突起で味、匂い、音、電界を感じ取ることができる
l 野生の採餌者にとっての課題
働きバチの念頭にないのはセックス。繁殖を行うメスは女王に限定。ハチにとって花蜜は命の糧だし、植物の精子に当たる花粉も栄養価の高いタンパク質を高密度で含むので有用
ハチは3週間ほどの短い成虫期に様々に学習する。初めて採餌飛行に出たハチの10%は巣に戻れない。巣の場所を覚えていなかったり、捕食者の餌食になったりする
l 花畑マーケットの買物客の心
花は本来、植物の生殖器であって、色や匂いで動物をおびき寄せて受粉の手助けをさせる
花粉媒介システムは、生物学的な市場で稼働し、市場は常に変化する
ハチは、自分の体重と同じだけ花蜜や花粉を運ぶことができるが、蜜冑をいっぱいにするためには1000個以上の花が必要で、10㎞飛行する必要がある。100回でスプーン1杯
道中必要とされる知的労力は膨大。花の種類ごとに機構が異なるので、多様な花からの刺激を嗅ぎ分けなければならない。ルール学習は昆虫の能力を超えていると思われているが、ハチにはその知的機能が備わっている。捕食リスクの高い花畑は記憶しておいて回避しなければならないし、どこまで行っても帰巣経路を見失うことは許されない
l 複雑な判断、コミュニケーション、住まい作り
ハチのコミュニケーションの多くは、15種類のフェロモンや静電気信号によってなされる
餌場から蜜を持ち帰ったハチは、垂直な壁面でソロダンスを踊って(ダンス言語)、蜜のありかを仲間に伝える
l 他者を理解する上でその心が経験する世界を想像することが重要なのはなぜか
生きるという経験がどんな感じなのかを、ある動物の観点から探るためには、先ず出発点として、その動物にとって重要なことは何なのかを理解することが必要
l 社会性種か、単独性種か
家畜化された社会性の種であるセイヨウミツバチは、極めて複雑なコミュニケーションシステムを用いて、コロニー内での効率的な分業を行い、十分な栄養の確保、巣内環境の制御、コロニーの防衛を実現。2万種のハナバチ類の内社会性種は数百種に過ぎない。単独性種の場合は、メスはすべてをこなす学習課題に直面
l 本書のロードマップ(構成)
第2,3章で、ハチの感覚伝達ツールキットのあらましを述べる
第4章 では、ハチの生得的行動の種類や、どの程度までハチの心理や学習行動を支配しているかについて述べる
第5章 では、「中心点採餌者」(帰るべき巣がある採餌者)としての生活様式の中に、ハチの知能の起源が見出せるのはなぜかについて考える。ハチは、成虫が巣を作って子供を守る生活様式に切り替えており、それによって長距離の採餌飛行をしても必ず帰巣する優れた空間記憶が不可欠となった
第6章 では、ハチの心には、空間がどのように表象されているかを見る
第7章 では、花を訪問するという習性が、なぜハチを昆虫界の知的巨人にしていったのかを学ぶ。花資源を効率よく利用するノウハウをどうやって取得するのか?
第8章 では、ハチの社会的学習に注目。仲間を観察することにより多くの情報を学び取る
第9章 では、ハチのごく小さな神経系が如何にして複雑な機能を発揮するかを探る
第10章 では、ハチの心理の個体差とその神経基盤に焦点を当てる
第11章 では、ハチに意識はあるのか?
第12章 では、意識があるという前提で、ハチの保全とも関連する倫理的配慮の必要性について述べる
l 人類の長い歴史のなかで
ハチとそのもたらす甘い蜜は、人類の進化史の最初から人類と共にあった。類人猿の中でヒトに最も近縁な種は、蜂蜜を食するし、野生のハチのコロニーから蜂蜜を採るために道具を用いる。ということは、最初期のホミニン(ヒト族)も同じ事をしていたと考えるのが至極妥当
蜂蜜は、自然がもたらす最も炭水化物豊富なエナジードリンクであり、エネルギー消費量の多いヒトの脳の進化が加速した可能性があると考える研究者もいる
蜂蜜を発酵させて作る蜂蜜種(ミード)は、人類最古の酒の1つ。9000年前から各地で製造
2
不思議な色で世界を見ている
動物が獲得する情報はすべて、感覚器官というフィルターを通ってくる
ハチは、ヒトが持つ伝統的分類の感覚(触覚、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、温感、冷感)を全て備えているうえに、平衡感覚や時間感覚も持ち、ヒトにはない磁気コンパスも備える
色覚については、ハチ全種を含む大多数の動物種には紫外線を感知する能力が備わる
l カール・フォン・ヘス vs カール・フォン・フリッシュ──ハチの色覚をめぐる論争
1912年、ドイツの眼科医で視覚研究でナイトの称号を持つヘスは全ての無脊椎動物と魚類は色盲と結論付けたが、オーストリアのフリッシュはハチが色を認識することを証明。潰しにかかったヘスとの論争で鍛えられたフリッシュは、’73年ノーベル賞受賞。フリッシュは、ハチの色覚はヒトのとは根本的に異なることも発見。灰色のカードの中から青色や黄色のカードを見つけ出すが、赤色と濃い灰色は混同することから、赤色を認識できないと結論。ヨーロッパの植物相に赤い花が比較的少ないのはそのせいだとしている
色に関係なく光に引き寄せられる(走光性)ことも判明
l カール・フォン・フリッシュとナチ
祖母の両親がユダヤ人だったフリッシュは、ナチから「第2級混血」とされ、迎合に転じて「民族衛生学」などを展開する。1940~42年にかけて、ミツバチの「ノゼマ原虫」感染による大量死発生、多くの農作物の受粉が不全となり食料安全保障の重大な危機をもたらしたため、ナチはフリッシュの解雇を終戦まで延期。本書で研究成果を紹介する科学者の大半は彼の弟子
l 異なる色彩の世界
弟子の1人カール・ダーマーは、ヒトとハチの色覚の類似点と相違点の両方を発見
人の色覚も奇妙。色を知覚したからといって、知覚対象の分光特性をそのまま再現することはできない。黄色光と赤色光が混ざると橙色に見えるが、2種類の光が混ざってその色が生み出されていることは分からないだけでなく、橙色という単色光(1つの波長のみからなる光)と識別も出来ない。白色という知覚は、補色同士―青と黄、赤とシアン(青緑)、緑とマゼンダ(赤紫)―のいずれかを組み合わせるか、ヒトの視覚系における光の「3原色」(緑・赤・青)を混ぜ合わせることによって生み出される。可視スペクトルのうちで最短波長のバイオレット(青みを帯びた紫色)と、最長波長の赤を混ぜると、スペクトル情報にはまったく存在しない、パープル(赤みを帯びた紫色」という色の知覚が生じる。このような混色という現象に慣れてしまって、ほとんどの人は気づかないが、実際には、知覚的世界と物理的世界にはズレがある。目で捉えた色から物理的刺激を単純に推定することはできない。聴覚は、3和音の3つの音を聞き分けることができるように、周波数ごとに音を聞き分け、中間周波数の音はない
こうした違いは、感覚受容器の仕組みの違いにより生まれる。ヒトは、3種類の色覚受容体(青・赤・緑に反応)しかなく、3種の受容体の相対的刺激量によって100万種類ほどの色の違いを見分ける。一方、ヒトの内耳には、それぞれ異なる振動数に反応する何千もの聴覚受容細胞があり、その反応は並列に処理される
ハチの可視スペクトル領域は、ヒトより全体として短波長側にずれ、紫から黄橙の間。ダーマーは、ミツバチもヒト同様3つの受容体を持つが、他のどんな色よりも紫外線に対する感度が高く、ヒトの色覚と同様に混色のルールが当てはまることを発見。またハチの視覚には補色の関係が存在することも発見、紫外線を反射しない白色の面と青緑色の面を混同
補色:色相環(赤から紫までを輪にしたもの)上で正反対に位置する色のこと。反対色や対照色とも呼ぶ
色彩学習の速さでも、ミツバチは別格。ヒトは最も遅く、学習速度は知能の尺度にはならない
l ハチの色覚は花の色に対応して進化したのか?
動物の色覚が、こなすべき課題に最適化されていることが観察データから証明。ハチには、花の色を符号化する色覚システムが備わっていて、色覚と花の色が絶妙にマッチしている
顕花植物が出現する2億年前には、既に昆虫類は花色の符号化に適応しており、花の色の方が昆虫の色覚に適応したことが判明している
私たちが知覚している世界は、物理的実体と符合する客観的表象ではなく、どんな動物種も、進化の過程で獲得した感覚メカニズムというフィルターを通して世界を知覚している
3
ハチの異質な感覚世界
イギリスの国会議員で昆虫学者のジョン・ラボックは、「バンクホリデー」の考案者だが、ダーウィンと同じ村に住み、協力して無脊椎動物の感覚能力について研究し、感覚システムが動物種によってそれぞれ異なることを発見。多くの昆虫は、ヒトの5倍の視覚情報処理速度を持つ
感覚器官が存在する場所は、昆虫の種類によって異なる
l マルティン・リンダウアーと時刻補正されたハチの太陽コンパス
行動生態学の権威マルティン・リンダウアーも、フリッシュの弟子。第2次大戦中の戦傷で研究に没頭。1920年代に発見されていたハチが方向定位に太陽コンパスを使っていることの実証実験を行い、時刻補正した太陽コンパスを用いる能力があることを証明。地球上のどこにいるかも感じ取り、太陽の1日の動きも予測し、新たな場所でも太陽コンパスを正しく使える
l ハチの偏光知覚
ハチは、太陽が隠れていても偏光を感知するため、隠れた太陽の位置を再現し、方向感覚を保つことができる。多くの無脊椎動物や鳥類が偏向感受性を持つ。ハチの場合は、光信号を電気信号に変換する視細胞を持つ
l 地磁気に対する感受性
リンダウアーは、ミツバチの地磁気に対する感受性も発見。多くの無脊椎動物種で、巣の外でも食料源までの正しい方向をみつけるのに、磁気コンパスが利用されている
ハチが地磁気を感知するメカニズムは、未だ確証はないが、鉄を含む微粒子を腹部に持ち、それを通じて磁覚を得ている証拠がある
l 触角、最も奇妙な感覚器官
頭部に2本の触角があり、におい、味、音、温度、湿度、気流、電界を感知し、物の形状や表面の肌理を分析できる
l 触角でどのように味を感じるのか
嗅覚も味覚も「化学受容」の範疇で、化学物質に触れて感じ取るが、反応に関与している受容体はまだ分かっていない
l 触角(フィーラー)での触覚と聴覚
触覚にあるその他の感覚毛は機械刺激の受容体で、触角はフィーラーとも呼ばれる
鼓膜がない代わりに、触角にあるジョンストン器官が聴覚をもたらすが、聞き取れる範囲は狭く、巣の中の音の多くは巣の振動として脚で感知
l ハチの電界に対する感受性
鳥の羽は空気との摩擦で発生した電荷を蓄積できる。飛行物体はすべて電子を失ってプラスに帯電する。電荷は、身体の部位が互いにこすれ合っても発生
ハチが電界に取り囲まれているのに加え、触角の機械受容器で電界を感知できることも発見
飛行中のハチはプラスに帯電しているのに対し、花は接地(アース)しているのでマイナスに帯電。ハチが花を訪問すると電荷が移動し、一時的にプラスに帯電するため、他のハチに、この花は訪問を受けたばかりで再度訪れても無駄だということを知らせる。花は特徴的な帯電パターンを示すことにより、ハチが感じ取って効率的に蜜に辿り着けるよう、「蜜ガイド」を発信
動物が何を学習できるかは、本能によって決まる
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「単なる本能」なのか?
ヒトの行動のほとんどが、生存や生物学的適応度に関わる原初的な諸動因に支配されていて、本能に支配された欲求に応えるために知能を駆使する。動物も同じこと
本能は、様々なレベルで学習と接点を持ち、ほとんど例外なしに、かなり順応性に富んだ行動をとる余地を残している。同時に本能は、動物が学習可能な事柄や、その学習の限界を決定づけてもいる。ヒトは「言語本能」を持ち、言語によるコミュニケーションを学ぶようあらかじめプログラムされているが、語彙や文法など細かな部分は学習により身につける必要がある
ハチの本能的なルーティン行動は極めて高度なものだが、完全にプログラム化されていることは稀で、部分学習を必要とするだけでなく、高度な柔軟性や計画スキルを必要とする。本能的な特性が学習能力を促進し、進化した生得的行動から知的行動が出現する可能性もある
l ジャン=アンリ・ファーブルと、昆虫は反射的機械装置だという考え方
ファーブルは農民で、独学で昆虫学者としての研鑽を積み、昆虫に対し巧妙な実験を行い、動物行動学の父とされる。人を惹きつけてやまない著作は2度にわたりノーベル文学賞候補に
『昆虫記』全体に満ち溢れているのは、複雑精緻な昆虫の本能行動に対する深い賞賛の念と、それに劣らぬほど強烈な、ダーウィニズムに対する冷笑や、昆虫に知能があるとする者への侮蔑の念
l 巣作りをするミツバチは本能と知能をどう組み合わせているのか
ミツバチの造巣活動を例にみるように、遺伝的にプログラムされているとされた行動でさえ、部分的に学習が必要であり、実際驚くほど可塑性に富んでいることが明らかになって来た
ミツバチの巣は、幼虫を住まわせ、食料を蓄えるために編み出したソリューション
ミツバチの巣作りの能力は、現在知られているあらゆる本能の中で最高位に位置するものと評価。六角形の両面に開かれた底辺がピラミッド型の巣板はミツバチ属独特の優れたアイディアで、とても本能だけで出来るものではない。互いの建設作業を点検し、必要に応じ修正を加えることもある。巣板を伸ばそうとする先にガラス板を置くと伸ばす方向を変える
l ハチの行動についての、シンプルだが間違っていた初期の説明──「帰巣本能」
初期には、巣箱を少し移動させると、戻ってきたハチはもとの巣箱の位置を探したのを観察して、巣箱を記憶できないと判断したが、実際は巣箱付近のランドマークを記憶してそれをもとに巣箱の正しい位置を判断していることが判明
l ハチは「本能で」花に引かれるのか?
「花の引力」という考え方は1900年時点ですでに時代遅れ
ハチは給餌器が撤去された後でも以前給餌された場所に戻ってくる。それは記憶によるもの
花のシグナルで出くわしても、「無条件に」花にとまるわけではなく、蜜を出す花だけを選ぶ
花の形質(色・形・大きさなど)と送粉者の種類(ハチ・甲虫など)とは強い関係があるという「送粉シンドローム」という概念があるが、相互の有意差は見られず、送粉者がどの花を選ぶかは生得的選好ではなく、ほとんど個体学習によって決まることが観察された
l 学習と本能が手に手を取って進化する
ハチの進化史上重大な出来事は、特別に作った巣の中でわが子を養うようになったこと。それにより(本能的な」造巣スキルに加えて、正確な空間記憶が必要とされるようになった
もう1つ重要なのが、花蜜や花粉を集めるという生活様式(これも本能)を取るようになったこと。これらにより、花が発するシグナルについて学習し、花の選好を決めることが必要になる。生活様式を定めている本能がさらに学習を促進し、学習がもはや不可欠となるので、学習速度が生得的に他個体より速い個体が現れれば、その個体の適応度は他個体よりも高くなる
送粉動物の中には、何種類かのハチも含め、「生まれつき」特定の種類の花やその他の食料源ばかりを好むように見える種”も”いるが、それらの特定の関係はそれほど強固でも、排他的でもないことが多く、新たな環境変化につて学ぶ能力が生得的選好の進化を促すこともある
社会性ハナバチ類のほとんどは広食性だが、トリカブトだけに訪れる狭食性のハチもいる
生得的行動と認知機能は様々なレベルで相互に作用を及ぼし合っている。本能は認知機能の発達を促すので、巣作りのように生得的行動に支配されていると考えられていた現象でさえ、単純ではなく、学習や認知機能抜きには説明できない。ハチが、単純な反射的機械でないことは明らかで、進化史において、ハチの驚くべき学習能力の発達を特に促したのは、自分が活動する空間を記憶しておく必要性だった。中心点採餌者(採餌場所から確実に戻ってこなければならない巣を持つ動物)であるハチには、きわめて正確な空間記憶が必要とされる
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ハチの知能とコミュニケーションの起源
オーストリアの動物行動学者でノーベル生理学・医学賞受賞のコンラート・ローレンツは、霊長類の祖先が複雑な3次元の世界で活動する時に直面した課題が、人類の知能の進化に極めて重要な役割を果たしたと考え、3次元空間の知的探求にはあらゆる思考プロセスの主要素が含まれており、ヒトの持つ言語もその例外ではないと主張
ハチの世界も同様で計画能力までも必要とされるが、空間学習こそが記号的コミュニケーションシステムであるミツバチのダンス「言語」を生み出した
l 三畳紀のハチの祖先──このうえなく残忍な肉食動物
ハチの心の進化を促す原動力とは? 昆虫の出現は2.2億年前の三畳紀。ジュラ紀の初めに動物(植物内にいる植物食動物)に産卵するようになり肉食に変化。これを捕食寄生と言い、この種は空間学習能力が高く、宿主をみつけるのに長けていて、宿主を長期にわたって観察し孵化する直前に自分の卵を産みつける
白亜紀の初め(1.4億年前)になると、卵を産み幼虫を育てるための巣穴を掘るようになる
中心点採餌という新たな戦略が登場するためには、その前提条件として正確な空間記憶が必要。アナバチは子ども専用の穴を掘った後砂で隠してしまう
l カール・フォン・フリッシュとハチのダンス言語の発見
巣を作ったり、食料源を探知・識別しなければならないのは何千種の単独性ハナバチ類も、数百種の社会性ハナバチにも共通するが、社会性の出現によって、それを上回る行動能力が必要とされるようになり、進化が促された。その中で注目すべきなのがコミュニケーション能力
社会性ハナバチ類では情報共有の形態が進化。その1つがダンス言語。フリッシュは、豊富な花蜜や花粉を見つけて戻った探索バチが、巣箱内の垂直な単板の上で、不思議な行動をとることに気づき、それが餌場の方向と距離を示す記号が含まれていることを発見。やがてノーベル生理学・医学賞受賞。巣に戻ったハチの動きに他のハチが追随しながら記号を読み取り、自分の空間にそれを当てはめて餌場を探す。記号化された情報を用いる生物は、他にヒトだけ
l ダンス言語の進化
どの種のミツバチも8の字の動きをし、餌場の方向は、その時点での太陽の方位との関係で示され、その角度は重力方向に対する角度で表現される。餌場から豊富な蜜を持ち帰ると、巣の中を興奮して走り回り、それを補充要員が追随する。種ごとに多少の違いがある
l マルハナバチの行動はダンスの元祖か?
マルハナバチの場合、コミュニケーションには空間情報が含まれず、補充要員は餌場を見つけたハチから花の香りは受け取るが、花自体は自分で見つけ出さなくてはならない
社会性ハナバチ類(ミツバチ、ハリナシハナバチ、マルハナバチ)では、各種ごとに異なる進化を辿り、多様なコミュニケーションシステムへと進化。進化の過程は不詳だが、ミツバチの行動とその近縁種の行動とのギャップはあまりに大きい
l なぜミツバチはダンスするのか?
温帯の生息地では、ダンサーと補充要員の情報の流れを妨害しても、コロニーの採餌成績に有意差はなかったが、熱帯のように餌場が密集しているところでは、妨害すると採餌成績が1/7に減少することから、ダンスコミュニケーションは、熱帯の祖先から受け継いだ進化の名残に過ぎないのかもしれない
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空間についての学習
ファーブルとダーウィンによる単独性カリバチやハナバチの種の帰巣実験では、特殊な帰巣感覚があるとしたが、今ではハチは巣の周囲の景色を記憶しているので、見慣れた範囲の場所からであれば巣まで戻れることが判明している。ハチは自分が飛行する範囲の空間記憶の豊富なライブラリーを構築している。それをもとに認知地図を形成しているかどうかは未解明
l ハチはランドマーク(目印)を利用して飛行する
アフリカ系アメリカ人科学者で昆虫の認知機能研究のパイオニアのチャールズ・ターナーは、1908年ハチが目印になるもの(ランドマーク)を利用して巣の場所を記憶することを証明
l 文脈学習
ハチは、単にランドマーク、全景(パノラマ)、飛行の方向と距離(ベクトル)を記憶するだけでなく、空間記憶を構築する際の文脈学習をすることも発見――巣箱に餌を置いてそこに入るように訓練されたミツバチは、餌がなくなった後も同じ巣箱の餌のあった場所に来る。これは小屋に入る前の近時記憶に基づいて適切な記憶を引き出し探す場所を決めたから
l ハチの心に認知地図はあるか?
太陽が見えなくても正確に位置を推定していることから、ハチは外的刺激がなくても自発的に空間記憶を引き出せる馴染みの空間の心的表象(認知地図)を構築しているのではないかと推測されるが、確証はない
l ハチのナビゲーション実験用のランドスケープをつくる
広大な野原での実験から、ハチは予め学習させたベクトルに従い、目印は、進路の微調整のためにしか使わず、勝手に進路から逸れて置かれた目印は無視するが、同じ方向に同じ形状の目印の数を訓練中の数から変更すると、元の数に従って飛行し、餌場を通り越したり手前で着地したりすることから、何らかの方法で数を数えている可能性もある
l ハチの経路統合
「経路統合」は「推測航法」とも呼ばれる。「経路統合」能力があれば、行動圏内ならどの地点からでも真っ直ぐ帰巣できる。移動した角度や距離を統合することにより、巣に対する自分の位置を絶えず更新している。砂漠のアリで実証済だが、ハチの場合も、迂回して餌場に辿り着いた後放すと、ランドマークがなくても巣に向かって一直線の飛ぶ。アリのような歩行性昆虫は、自分の移動の方向・距離を完全に把握しているが、飛翔性昆虫でもハチは同様の能力がある
l ハチをレーダーで追跡する
1995年、ハチに端末をつけて(ハーモニック)レーダーで観察することが可能になる
ミツバチの初回飛行は、コロニーの近くを数回旋回して巣の外観や近くのランドマークを記憶ハナバチの場合は、初回から空間探査だけでなく、花探索にも乗り出す
l 時差ぼけにしたミツバチで認知地図を探る
麻酔で眠らせて時差ボケとなったハチも、放した当初は太陽コンパスを使うので飛行方向を間違えるが、いつもの飛行ベクトルの終点近くまで来て、自分が予想外の場所にいることに気づくと、見慣れたランドマークを探して輪を描くように飛んだ後、巣に向かって一直線に飛んでいく。現在見えている景色と記憶にある景色との食い違いを減らすように飛ぶ
l においが遠い記憶を呼び戻す
ハチに香りの異なる2カ所の餌場を訪れるよう訓練した後、どちらか一方の香りを巣箱に吹き込むと、吹き込まれた香りの餌場に飛んでいく
l ハチと「巡回セールスマン問題」
ハチが記憶しておくべき花のありかの数は、2カ所どころではない。ハチは通常、蜜冑を1回満たすだけでも、多数の花畑を訪問する必要があるからで、巡回セールスマンのように、移動距離と時間を最小にするには、どのような順序で複数の場所を回ればよいかという問題に直面する。餌場を周囲に5カ所置いた場合、とり得る経路は120通り(5x4x3x2x1)となるが、ハチは地図もなしに個体ごとの独自探索によって、20通りほど試した26回ほどの飛行で最適な順序ですべての餌場を回る安定した巡回経路を確立した。最初と最後の採餌飛行では距離が80%も短縮されたし、餌箱が撤去されてもしばらくの間ハチはその場所を重点的に探索飛行することもあった
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花についての学習
ハチがどのようにして、何十種もの花に関する多数の情報を統合し、意味のある手掛かりだけに注意を向けるのか、また、どのようにして花のタイプを分類するルールを学び、花の扱い方に関する多数の記憶を捌いていくのかを明らかにする
l 電子機器で作った造花の扱い方を学ぶ
蜜が自動的に再充填されるT字迷路を作って、ハチが採餌するまでにかかる時間を測定すると、熟練した採餌バチと初めてのハチでは5~10倍時間がかかることが判明
l ハチはどのように花に注意を向けるのか
動物が感覚から得られる情報量は、その脳の情報処理能力を桁違いなまでに超えている
「カクテルパーティー効果」のように、多数の人が談笑している騒々しい部屋の中でも、自分が話している相手の声はきちんと聞き取ることができる
ハチの複眼は、個眼という数千個の機能ユニットで構成され、個眼にはレンズと光受容体が備わっている。1つの個眼がハチの視覚系の1つのピクセル(画素)に対応。隣接する数十の個眼からの信号が統合されるため、遠くからだと色がよく分からず、花色の識別も、色の対比で花を見つけることもできない。直径1㎝の花を見つけるためには花から11.5㎝まで近づかないと見つけられない。花が小さくなれば探索に要する時間は急激に長くなる
l ハチの脳に備わる変速装置
ハチが花を探す時の移動速度は、生物物理学的な飛行メカニズムによってではなく、脳の情報処理速度によって制約を受ける
l ハチはどれだけの情報をひと目で処理できるか?
ミツバチが標的とする色の花を探す時は、ヒトのような並列処理ではなく逐次処理。視野全体をいっぺんに取り込むことは出来ず、その場面を逐次的に走査するという方法でしか標的を探すことができない
l 花を弁別する速さと正確さのトレードオフ
2色弁別のような単純課題でも注意資源を要することを発見。色の弁別の仕方でもかなりの自由度があり、ミスをしてもペナルティがなければ識別が速いがミスも多く、ペナルティがある場合には時間はかかるが弁別の精度が格段に上がる。動物の知能に関するほぼすべての研究では、正確性こそが主要な評価パラメーターだったが、時間も重要なパラメーターであり、どちらを重視するかは状況によるということが判明。ハチを始めとする動物種では、注意その他の認知プロセスがそこに関与していた
l ヒトの顔の形をした奇妙な花
ハチは、ほとんどどんな感覚入力による学習についても、とてつもない柔軟性を示す。ヒトの顔についても訓練すれば識別できる。相貌失認の障碍(見慣れた人の顔を認識できなくなる)テストで、ハチが花と同じ様な脳回路でヒトの顔も識別することが判明
l 花弁の肌理についての学習
突然変異型キンギョソウは花弁の肌理も見た目も違う花が生まれるが、ハチは惑わされない
l 温血動物であるハチは花の温度をいかにして学ぶか
地球上の混血動物は、哺乳類と鳥類だけではなく、ハチも同様。飛行するための胸部の温度は摂氏30度を下回ってはならないところから、花蜜を探す場合も温かい蜜を出す花を選好する。色と温度を関連付けて学習し、花の温度を予測する
l 虹色の花に眩惑されるか
ハチは、感知できる感覚シグナルがあればすぐ学習する。見る角度によって花弁の同じ部分が違った色に見える花(遊色効果)も間違えずに見分ける
l ハチはいかにして規則性(ルール)を学ぶのか
報酬を得られるパターンに共通する重要な特性を記憶することができる
l 花はいつ蜜を出すかを学習する
花の種類ごとに蜜を出す時間帯を記憶できる
l 空間概念を学習する
上下の概念は学習できる。見慣れた基準図形の上にあるか下にあるかを判断できる
l 概念学習課題を単純化によって速断
人が概念学習によって認識することを、ハチは概念学習が不要な戦略によって認識している
最近まで脊椎動物の領分だと思われていた認知能力を、脳の遥かに小さいハチが発揮する
知的行動には大きな脳が不可欠とされてきたが、難しそうに見える学習課題の多くが、ハチの行動を見ていると、実はごく少数のニューロンで達成可能だということが明らかになる
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社会的学習と「群知能」
社会的学習とは、他者(同種個体)を観察したり、他者の影響や指導を受けて学習することで、人類の文化の基本構成要素の1つだが、ハチの世界でも起こりうるのか
l どの花を訪ねるべきかを他のハチから学ぶ
最も好条件の植物種を選ぶためには広範なサンプリングが必要だし、花蜜にアクセスする特殊な操作法を習得するには試行錯誤を重ねる必要がある。社会性昆虫は大勢の近縁個体を擁するコロニーで生活しているが、こうした「超個体」では、個体同士が積極的に情報を共有して学ぶ。新米のハチは熟練のハチの真似をするが、熟練採餌バチのもとに来るのは、新たなタイプの報酬が見込める場合に限られていた
l 他のハチを遠くから観察して学習する
採餌バチの行動を観察するだけで、未経験のハチも同じ行動をとる
l 異なる種から学習する
ダーウィンが指摘した、種の異なる花粉媒介者同士も「真似」し合うことも実証された
多種のハチのダンス言語を解読できる
l 観察によって盗みの技を学習する
盗蜜と呼ばれる、舌の短いハチが花筒の長い花を利用するのに用いるテクニックで、花の受粉には関与せず、蕚に穴をあけて花蜜を盗む行為だが、大半のマルハナバチが花蜜へ「長距離ルート」をとるのに対し、ごく一部が盗蜜を始めると、次々に盗蜜に切り替えた
l ハチの文化と伝統?
ハチの行動には伝統が存在する。朝だけ採餌するよう訓練したハチの幼虫は、成長しても朝採餌する。脊椎動物の知能の研究では、自然界では遭遇し得ない課題を与える実験をする。報酬にアクセスするには紐を引き寄せる実験で、カラスやチンパンジーは紐を引き寄せて報酬にありつくが、ハチも同じ課題を学習することが分かったのみならず、その学習結果がコロニー内に拡散し、次世代にも伝達されていくことが明らかになった
l 観察によって道具の使い方を学習する
ハチは、他個体がやることを見て、期待される結果をある程度理解し、自発的に改善を加えながら学習している
l 新たな住処を求めて移動する分蜂
生得的なコミュニケーション行動と学習行動の相互作用は、ミツバチのコロニーが分裂する時(分蜂時)にも見られる。分蜂の理由は不詳
l ダンスコミュニケーションで新居を見つけ出す
探索バチが候補地を見つけると、尻振りダンスで分蜂群に伝える
l ミツバチ分蜂群の民主的意思決定
探索バチ同士が競い合って賛同者を増やしていき、一たび分蜂群が移動を始めると、探索バチが分蜂群を正しい方角に導いていく
l 知的群集内の心をもたぬ(マインドレス)個体、なのか?
社会性ハナバチ類が特別なのは、コロニー内の個体間血縁度が高いからで、全てのワーカーが同じ母親から生まれている。血縁度が高いということは、各個体が持つ情報を共有化してコロニー全体に役立てれば、各々が非常に大きな適応上の利益を得られ、その結果として他に類のない様々なコミュニケーション形態の進化が促される。各個体は心を持たない機械で、協調的集団行動を促すことを目的とした社会的認知プロセスを持つ
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そのすべてを背後で支えている脳
ハチの脳はコンパクトだが、そこから生まれる行動が複雑であるがゆえに、昔から脳の機能を探るためのモデル系として利用されてきた。脳科学におけるブレイクスルーのいくつかは、ハチの研究で成し遂げられた後、近縁哺乳類にも当てはめられるようになった。ニューロン説等
l ハチの脳の基本構造
l ハチの脳内にある神経細胞の発見
l ハチの脳内の視覚情報処理ニューロン
l 単一特徴検出ニューロンでどれだけのことができるか?
l 学習可能な1個のニューロン
l キノコ体──ハチの情報保存用ハードディスク
l 単純な脳回路による複雑な学習
l 昆虫の中心複合体──高度なナビゲーション装置
l 中心複合体は意識の座なのか?
l ハチの脳波
l 異なる生活様式、よく似た脳
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ハチの「パーソナリティ」の個体差
動物は1匹づつ違った個性=他の個体と区別できるような心理特性を持っている
無脊椎動物にも心理の個体差がある
個体の知能のバリエーションは、ハチが自然界の秩序の中で生きて行くのに重要であり、また、コロニー内の個体間のバリエーションは分業の効率を左右する
個体間の差やコロニー間の差は、遺伝的に受け継がれる可能性があり、心理特性が遺伝する場合にはそれが進化の素材になる可能性がある
l マイクロチップを用いてハチの「パーソナリティ」を探る
個体の観察が可能になると、同種であっても個体によって行動が全く異なることが明らかに
l 同じ遺伝子で異なる運命──ハチのコロニーでの専門特化
コロニー内での分業制の中で、各個体が専門特化していく
l 感覚の感度の個体差から生じる分業
コロニー内での特化度が高いアリ、ハチ、シロアリなどは、昆虫社会が成功
l 体のサイズ、感覚システム、役割の専門特化にみられる個体差
l 経験を積んだ結果としての役割の専門化
l 採餌ルートの個体差
l 速さと正確さのトレードオフに見られる個性
l 知能の個体差
l オスカー・フォークト(ヒトの脳研究のパイオニア)──マルハナバチからレーニンの脳へ
l 脳の構造と知能の個体差
l 知能が高いと適応度も高いのか
l 学習がのろくてもまだ絶滅していないのはなぜか?
学習速度の速いマルハナバチは、学習速度の遅い個体よりも寿命が短かく、採餌活動に携わる日数が少ない。一生で比べると、のろい個体の方が採餌の貢献度が高い
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ハチに意識はあるか?
感覚器官が、外界をそのまま「客観的」に映した像を脳に送ることは決してない。脳に送られてくるのは、その動物のニーズに合うよう進化の過程を経て獲得された感覚器官のフィルターを通った像。ヒトには赤く見える花でも、ハチは赤色光を感じないので違った色に見える
l ハチは痛みを感じるか?
侵害受容とは、組織損傷を示す強い機械刺激を感知する能力で、「痛み知覚」とは別物
すべての昆虫を含む多くの無脊椎動物が、組織の損傷を感知することに特化した感覚メカニズムを備えるが、痛みは「単なる」侵害受容とは異なり、主観的な不快感
l 痛みの主観的側面
苦痛を客観的に測定することは難しいが、鎮痛物質の存在は推測されている
すべての脊椎動物には、痛覚を抑制する内因性のオピオイド系(鎮痛機構)が備わっているが、無脊椎動物にこうした機構は存在しないものの、昆虫においてオピオイド鎮痛薬の効果が立証されている
l 捕食者との遭遇後の長期にわたる心理的変化
ハチは花の上でもカニグモのような待ち伏せ型捕食者に遭遇するが、単に不快刺激を逃れよう落とするのではない複雑な反応を見せる。攻撃を受けて学習すると、将来襲われるリスクを最小限にとどめる様に行動を変化させ、長期にわたる心理的影響を示す
l ハチの情動
昆虫は精神活性物質(ヒトでは気分を変えることが分かっている物質)を求めるらしい
l 自己生成刺激と外部からの感覚刺激の区別が意識の進化の起源なのか?
l マルハナバチの自己イメージ
ハチのように顔の特徴が個体間であまり違わないと鏡に映しても自己認識しないが、マルハナバチには自己認識力の存在を示す証拠がある
l 自己と他の生き物を区別する
社会性ハナバチにおいて、相手がコロニーの成員なのか、他コロニーからの侵入者なのかを、番兵バチが匂いで識別する能力は、「自己」と「他個体」を識別する能力が拡張されたもの
l ハチにオフライン思考はあるか?
意識とは、今この瞬間を生きているだけでなく、過去や未来をも認識できている状態を指すが、多くの動物にも何らかの形で存在する
l 形状をイメージする
l ハチにメタ認知はあるか?
ハチは、自分が認知していることを認知するメタ認知能力さえ備えている
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終わりに──ハチの心に関する知識はハチの保全にどんな意味をもつか
自然界の動物の適応力には限界がある。人為的変化のスピードは、大多数の動物が進化的変化で追いつけるレベルを超えている
ポリネーター(花粉媒介者)にとっては野生の花が必要。養蜂も自然保護には役立たない
農作物の受粉には依然としてハチの力が必要なこと、蜜蝋から作られる蝋燭は遠い昔から学級の徒を照らしてきたこと、さらに、蜂蜜の採取により大量のエネルギーを要する人類の祖先の脳の拡大に欠かせない炭水化物がもたらされ、それが人間の精神の進化の原動力になった可能性があること。私たち人間は、ハチから多大な恩を受けている。その恩に報いていこう
訳者あとがき
ハチは、1匹1匹が「心」を持っていて、決して本能に従って反射的に動く機械などではない、というのが著者の主張。ハチがその心の中で、どんなことを、どんな風に考えているのかを探っていくのが本書
推薦の辞──「ハチの心」の研究へのあくなき挑戦 (小野正人/玉川大農学部教授)
みすず書房 ホームページ
ハチは「群知能」だけでなく、1匹1匹も高度に進化した心をもっていた! ハナバチの認知研究の権威である著者が、1匹の内にある驚くべき精神生活を説き明かす。
もちろん、ハチの心は人間の心とはまったく異なる。しかしハチの心が「原始的」だと思ったら大間違い。本書の読者はまず、ハチの賢さに驚嘆するだろう。どんな課題もたちどころに学習し、瞬時に効率のよい判断を下して問題解決する。数を数え、道具を使い、ほかのハチやほかの動物から問題解決の方法を盗みさえする、等々……。この速くて柔軟な心は、採餌や帰巣の必要、ハチの形態やサイズなどに適う方向へ、進化の手が精巧に磨き上げてきたものだ。
ファーブル、カール・フォン・フリッシュ、マルティン・リンダウアー、そしてもちろん著者自身も含め、数多の研究者たちがアイデアを凝らした巧妙な実験によって、その「異なる心」の解明に挑んできた。ハチの内面を探る実験のおもしろさも本書の大きな読みどころの一つだ。
著者はハチの個体が「パーソナリティ」をもち、「自他」を区別し、内的表象を形成し、苦痛や情動を経験するといった心的機能も探っている。本書を読む前と後で、ハチはもちろん、すべての昆虫への見方が変わらずにはいられない。
(書評)『ハチは心をもっている 1匹が秘める驚異の知性、そして意識』 ラース・チットカ〈著〉
2025年3月22日 朝日新聞
■「学習」「個性」さながら人間社会
知らない相手をつい、根拠もなく見下してしまう。小さな節足動物たちを「虫けら」と軽んじるのもその一つ。でも彼ら彼女ら――具体的にはハチの仲間たち――は実のところ、大変賢くて侮れないという。それを徹底解説したのが本書だ。
たとえば蜜集め。花のかたちは種類ごとに違うので、一筋縄ではいかない。経験豊富なハチは初心者よりもずっと早く、蜜のありかにたどり着ける。何十回と数をこなすうちに上達するという。
つまりハチたちは「学習」ができる。生まれつきの「本能」だと片付けたくなるけれど、それだけではないのだ。若造はベテランをじっと観察して学ぶ、なんてことまでしているのだそうな。
ハチ1匹ごとに個性もあるし、集団ごとの「文化」まであるらしい。ひもを引っ張ると蜜にありつける仕掛けに挑戦させると、やり方を見つけられたのはごく一部の天才バチだった。でも、まわりの凡バチたちはそれを次々にまねして、技術が一気に広がったという。人間の社会で起きるイノベーションそっくりだ。
では、ハチに「心」はあるのか。著者は「イヌやネコにも劣らぬ確かさで」意識があるとみる。蜜集めのときに天敵に食べられそうになったハチはその後、すぐには花に飛びつかなくなったし、逆に思いがけず蜜にありつけた後だと、大胆に振るまうようになった。怖い思いをすると心配性になり、いいことがあると調子にのる、らしい。
「へー」という驚き満載。でも、だからどうした? 著者は本書の最後で、大胆な提案をする。
彼の考えでは、心を持つ無脊椎動物はハチ以外にもいるはずだという。彼らを虫けら扱いして、いじめてもいいの? 犬猫と同様の「動物福祉」を考えてやるべきなのでは? たとえばロブスターを生きたままゆでるなんて、許されない!
本書を読む前なら一笑に付していたかもしれない。でも、うーん。理屈の上ではたしかに……。
評・小宮山亮磨(本社デジタル企画報道部記者)
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『ハチは心をもっている 1匹が秘める驚異の知性、そして意識』 ラース・チットカ〈著〉 今西康子訳 みすず書房 3960円
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Lars Chittka 英ロンドン大クイーン・メアリー校教授(感覚・行動生態学)。ハナバチの知性の研究で知られる。
Wikipedia
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