分水嶺  河合香織  2021.7.10.

 

2021.7.10. 分水嶺 ドキュメント コロナ対策専門家会議

 

著者 河合香織 1974年生まれ。ノンフィクション作家。19年『選べなかった命――出生前診断の誤診で生まれた子』で大宅壮一ノンフィクション賞、新潮ドキュメント賞。09年『ウスケボーイズ――日本ワインの革命児たち』で小学館ノンフィクション賞。

 

発行日           2021.4.6. 第1刷発行

発行所           岩波書店

 

初出:『世界』202010月号~213月号

 

 

クラスター対策に3密回避。未知の新型コロナウィルスに日本では独自の対策がとられたが、その指針を示した「専門家会議」ではどんな議論がなされていたのか? 注目を集めた度々の記者会見、自粛要請に高まる批判、そして初めての緊急事態宣言・・・・。組織廃止までの約5カ月、専門家たちの議論と葛藤を、政権や行政も含め関係者の証言で描く迫真のノンフィクション

 

 

2019.12.31.    武漢市衛生健康委員会が原因不明の肺炎発生を発表。WHOに報告

2020.1.5.        WHO、武漢での原因不明の肺炎発生を発表

2020.1.15.      日本国内初の新型コロナ感染者確認

2020.1.30.      政府、新型コロナウィルス感染症対策本部設置(本部長:安倍首相)

                      WHO、緊急事態宣言

2020.2.1.        香港政府、ダイヤモンド・プリンセス号の乗客の新型コロナ感染を発表

                      日本政府、新型コロナウィルス感染症を指定感染症に指定

2020.2.3.        ダイヤモンド・プリンセス号横浜港入港、検疫開始

2020.2.7.        1回新型コロナウィルス感染症対策アドバイザリーボード開催

2020.2.13.      神奈川で国内初の死者

2020.2.14.      新型コロナウィルス感染症対策専門家会議設置

2020.3.11.      WHO、パンデミック宣言

2020.3.13.      改正新型インフルエンザ等対策特別措置法成立

2020.3.24.      東京オリンピック・パラリンピック延期決定

2020.3.27.      新型インフルエンザ等対策有識者会議基本的対処方針等諮問委員会設置

2020.4.7.        7都道府県に緊急事態宣言発出(首都圏・大阪・兵庫・福岡)16日全国へ

2020.5.25.      緊急事態宣言全面解除

2020.7.3.        専門家会議廃止。新型コロナウィルス感染症対策分科会設置

 

 

新型コロナウィルス感染症対策専門家会議・構成員

座長      脇田隆宇     国立感染症研究所所長

副座長   尾身 茂     独立行政法人地域医療機能推進機構理事長

構成員   岡部信彦     川崎市健康安全研究所所長

            押谷 仁     東北大大学院医学系研究科微生物学分野教授

            釜萢 敏     公益社団法人日本医師会常任理事

            河岡義裕     東大医科学研究所感染症国際研究センター長

            川名明彦     防衛医科大学校感染症・呼吸器内科教授

            鈴木 基     国立感染症研究所感染症疫学センター長

            舘田一博     東邦大医学部教授、日本感染症学会理事長

            中山ひとみ   霞ヶ関総合法律事務所弁護士

            武藤香織     東大医科学研究所公共政策研究分野教授

            吉田正樹     東京慈恵医大感染症制御科教授

座長が出席を求める関係者

            大曲貴夫     国立国際医療研究センター病院国際感染症センター長

            今村顕史     東京都立駒込病院感染症科部長

            西浦 博     北大大学院医学研究院教授

            和田耕治     国際医療福祉大医学部公衆衛生学教授

            小野寺節     東大大学院農学生命科学研究科特任教授

            内田勝彦     全国保険所長会会長、大分県東部保健所

            大竹文雄     阪大大学院経済学研究科教授

            鶴田憲一     全国衛生部長会

            林 基哉     国立保健医療科学院

            中澤よう子   全国衛生部長会会長

            清古愛弓     全国保健所長会副会長

            木村 正     日本産科婦人科学会理事長

関係閣僚等

            内閣総理大臣 安倍晋三      

            内閣官房長官 菅義偉

            厚生労働大臣 加藤勝信

            経済再生担当大臣 西村康稔

 

 

プロローグ        疱瘡神と乱世

東北大近くの疱瘡神に参った押谷は、WHOの発表が5日遅れたことを悔やむ

日本では、疫病を神として崇め受け容れることで鎮めてきたが、ウィルスを一旦受け入れるという考えは、徹底的な検査や制圧をすべきと主張する専門家とは大きな対立を呼ぶ

疫病を鎮めることと人間の活動との折り合いをどうつけられるのか

最初の緊急事態宣言解除時に、安倍首相は「日本モデル」の成功を高らかに謳う。「日本モデル」の柱は、「密閉・密集・密接」の3密回避やクラスター対策

これまでの災害で何度もチャンスを逃してきた日本が、「日本モデル」の成功だなど言ってほしくないというのが押谷の感想 ⇒ 保健所や自治体の機能強化や人員拡充、PCR検査能力の強化、リスクコミュニケーションなど、感染症対策に関わる多くの人が繰り返し提言したが変わらなかった

パンデミックの世界は、歴史と政治と科学の間に揺れ動く、紛れもない乱世ともいえる

感染症がパンデミックになったのは、人間の傲慢さが背景にある(押谷)

人間ができること、できないこと、すべきこと、すべきではないことは何か。それを考えることは、ウィルス対策の戦略を考えることと深く関わる。ウィルスは単なる微生物ではなく、社会のありようを映す鏡

ウィルスの持つ力、社会を変える力を信じる。世の中を変えるきっかけになってほしい。まだ日本は戻ることのできる分水嶺に立っている

 

第1章        未知のウィルスを前に 23日~24

Ø  それぞれのルビコン川

押谷はWHO西太平洋地域事務局で感染症対策アドバイザーとして、最前線でSARS制圧に携わったが、当時の発症者を見つけ出して隔離する戦略は今回は通用しない

2月にアドバイザリーボードができ、声の大きかったのが尾身。1999年からWHOで活動、ポリオを根絶したことで知られ、WHO西太平洋地域事務局長を10年務めたあとSARSのパンデミックでは対策本部専門家諮問委員会の委員長として対策に当たる

Ø  厚労省アドバイザリーボード

アドバイザリーボードでは政府の諮問に応えるだけの受動的なもので、感染を食い止めることはできないとのフラストレーションが溜まる。感染伝播を予測し、新型肺炎対策()を政府提出し、PCR検査能力の強化、診療体制の準備の必要性、リスクコミュニケーションの在り方、情報の可及的速やかな開示を説く

Ø  専門家会議発足

216日、ボードは何の説明もないまま、そのまま内閣官房傘下の専門家会議にスライド

この段階で、マニラやシンガポールにいた押谷は、接触者調査をしても感染者が出てこないところから、多くの人は誰にも感染させないが、例外的に1人が多数に感染させるという新型肺炎の特徴を掴む。クラスターを探して感染源を潰すとともに、クラスター同士の連鎖を抑えれば大きな流行にならないという「クラスター対策」を考える

Ø  市民への説明

220日、政府がイベント主催者に対し、開催について慎重な検討を要請したが、根拠も基準もしめさないのを見て、武藤は、時宜を得た市民への警告の発出のため、政府が発出した方がいい提言と専門家会議が独自に出す情報を分けてリスクメッセージを発出してはどうかと提案

Ø  独自の見解の準備

専門家有志の間では、テクニカルなファクトをありのままに噛み砕いて市民に伝えるべきとの意見が太宗。換気が悪い場所で密集して、対面で人と人との距離が近いまま話をすることとその時間が問題であり、近距離のエアロゾル感染、後にマイクロ飛沫感染と呼ばれる事象が例外的に起きていて、それがクラスターを作っている可能性が高いと考えた

いざ公表する段階になって、厚労省が不快感を示し、有志は今こそ我々の分水嶺だと覚悟

厚労省の指示は、専門家会議というクレジットを外すこと、エアロゾル感染や無症状者からの感染などは国民の煽り過ぎだとして削除とある

Ø  専門家会議としての会見へ

224日の第3回専門家会議の場で、翌日政府の出す基本方針に関連付けることが決まり、24日夜には専門家会議メンバーによる記者会見が開かれ、柔らかい語り口で科学的知見を分かりやすく語る姿が市民に大きな印象を残し、この日を境に専門家会議は政府に対する助言組織を超え、「専門家会議」という新たな固有名詞を獲得し、イメージが実態を離れて独り歩きし始める

 

第2章        クラスター対策と「情報の壁」 224日~311

Ø  クラスター対策班

欧米のように、ウィルスを叩こうとすると反撃してくるのに加え、軽症・無症状が多く、さらには発症前に感染性があることから、大きなクラスターを起こさなければ多くの感染連鎖は自然に消えていくと判断し、「クラスターを見つけ出して連鎖を止める」という対策が考案され、25日発表の政府方針でもクラスター連鎖の防止対策が必要とされ、厚労省に「クラスター対策班Emergency Operating Center」が設置され、押谷がリードする

クラスターから多少漏れても自然に消えるので、完璧のゼロを目指さずに受容することがかえって感染拡大を抑止できるとの考えで、最前線となる保健所の体制を構築

厚労省の新型コロナウィルス対策本部の下にクラスター対策班があり、その中には国立感染症研究所や西浦を中心にした「データ・チーム」と、押谷の「リスク管理チーム」が並立、各組織の橋渡し役になったのが齋藤智也、生物テロ対策の専門化で、一時厚労省の医系技官として東日本大震災を経験。「クラスター対策」の基本概念の理解に1カ月かかる

Ø  「一斉休校」と北海道の感染拡大

227日、閣僚で構成される対策本部で首相が突然「一斉休校」を宣言。2日前の政府基本方針では「全国一律の自粛要請はしない」と言っていながら、専門家会議にも諮らずに宣言発出となり、政治と科学の関係に暗い影を落としかねない事態に

ある場合は専門家に聞き、ある時は聞かないで決めるという、一貫性の欠如も問題

全世帯への布マスク配布、GoToキャンペーン、学校休校など政府対策への評価を求められたときなど、政権と専門家の考えの乖離が目立ち始める

214日、北海道で武漢からの旅行者による感染が判明、広範囲で感染源不明の感染者が多数報告され、クラスター対策では追いきれない事態となり、228日北海道は独自に緊急事態宣言を発出。さっぽろ雪まつりに起因するクラスターと考えられた

Ø  若者への呼びかけ

宣言を受け、専門家会議は市民に直接呼びかけることが必要と考え、32日北海道の分析を中心とした2度目の見解を発表。無症状からの感染を訴えたかったが、現場の知事からのパニックを懸念した反対で断念

感染症では、エビデンスが出揃う前の状態から対策を打たなければ間に合わない、確実ではなくても率直なリアリティを伝えることが重要で、政府が感染者数を発表するのも、その数にどんな意味があるのかを伝えなければいけない。それが信頼に繋がる

官僚組織の「無謬性の原則」とは相容れない

2度目の見解では、1030代の若者への注意喚起に絞ったが、逆に反発が顕在化

Ø  感染者情報を巡る軋轢

クラスター班はたちまちパンク状態、班長も省内各課からの1週間交代で統率が取れないまま、さらには感染者のデータ(感染者サーベイランスシステムNESID)へのアクセスすら認められていなかったため、各地域での流行状態をリアルタイムで見ることができない

当初EOCは感染研にできるはずだったが、厚労省内にできたため、感染研は協力に消極的だったうえに、自治体の感染者情報が必ずしも国と共有されていないのも問題

感染症法には、積極的疫学調査の実施権限は自治体の首長にあり、その結果を厚労相に報告することになっているが、自治体は集めたのは個人情報でそれを国が勝手に利用することに不信感を持っており、必要最小限の情報しか公開しないことが多く、一方のクラスター班では民間人が頻繁に出入りするためにセキュリティの問題があってデータ共有のネックになっていた。この問題はNESIDHER-SYSという新システムに代わっても残った

Ø  学生ボランティア

人手不足の穴埋めに押谷と西浦の連名で公衆衛生専門の学生のボランティアを募集

全国から何人もが手弁当で駆けつける

 

第3章        桜の季節の感染拡大 311日~22

Ø  御用学者の本分

専門家会議の有志による勉強会でも意見が割れる。押谷はさらに強めの手段を主張する一方、岡部は感染の鎮静化を踏まえ穏やかな対策を提案。岡部はWHOで押谷の前々任者

岡部は菅官房長官から呼ばれ、「大切なのは医療体制。政府は、十分な受け皿となる医療体制を実現するために尽力すればよい」と自説を主張。岡部が自らの信念に基づき、強過ぎない対策をとるべきとの主張が、ときに御用学者との批判を受けたが、医学的・科学的な見地から正しいと思われる意見を述べることが本来の御用学者

岡部は、03年のSARS09年の新型インフルエンザ対策でも専門家会議の委員を務めたが、既に疫学調査が意味のない時期になっても感染症法上の責務から延々と調査を続けたために現場が疲弊した経験から、特措法制定の際も運用に配慮するよう注文を付けた

Ø  遅れた検疫体制

脇田が強い対策の必要性を感じていいたのは検疫体制の強化

311日、WHOのパンデミック宣言を受け厚労省に要望を出そうするが、文言で揉め、要望が受け入れられたのは17日、2週間の待機開始は21日、指定地域以外の全世界からの健康観察が行われたのは43日で、このタイムラグが感染拡大の一端になった

後にゲノム分子疫学調査で、3月からは欧州系統のウィルス流入が確認されている

Ø  大阪・兵庫の往来自粛

316日、クラスター対策班で東京・大阪・兵庫にオーバーシュート懸念の試算が出され、各自治体に「緊急対策の提言」が発出されたが、発出者のクレジットがないままの素案にも拘らず、大阪府はすぐに反応して両府県間の往来の自粛を要請、一方で兵庫県知事は往来禁止までは要求せず不要不急の往来は自粛とのみ要請

大阪府からの要請で、厚労省は「提言」の発出者を「クラスター班の専門家」とし、個人の責任に帰すと決定。これを契機に大阪府からのデータが直接クラスター班に届くようになり予測の精度が向上したが、緊急事態宣言に向かう中で元の木阿弥に

Ø  文書取りまとめの役割変更

押谷が最も懸念していたのは医療体制の崩壊

事実を伝えるには責任を取ることまで考えるべきとの役所の論理と、事実はありのままに伝えるべきという研究者の信念の間に大きな乖離

319日以降の専門家会議の「見解」は、厚労省がまとめて専門家が修正する方式に代わり、「見解」も「状況分析・提言」に変更

Ø  大規模イベントを巡って

319日の専門家会議で、大規模イベントに関する提言に「主催者には慎重な対応が求められる」とあったのに対し、厚労省側が「適切な対策をすればできる」に代えられないかとの打診。「慎重」とは中止に等しいとの意味で、提言は感染拡大阻止のためには「慎重」しかないとなったが、政府が4か月後のオリンピック開催を前提に打診してきたようだ

提言の「落ち着いてきた」との記載が、自粛疲れから人々は安心に飛びつき、その後の感染拡大を招く。初めて偏見や差別についての言及が入れられる

専門家は政府や市民と危機感を共有できないと苛立っていたが、どれだけ対策のためであっても、そこで生きていく人に自粛を求める傲慢さについていけない思いもある

327日、基本的対処方針等諮問委員会招集。特措法に既定されたもので、緊急事態宣言の発出などの際に見解を示す組織で、専門家会議のメンバーはそのままスライド

 

第4章        緊急事態宣言発出へ 322日~47

Ø  「医療が持たない」

国立国際医療研究センター病院は、1868年設立の兵隊仮病院がルーツ

3月の3連休後に発熱外来の患者が急増、実効再生産数も跳ね上がる

公衆衛生の観点からだけではなく、医療の現場の声も入れなければならない。岡部も自分の考えを変えるしかないと決心

Ø  新型コロナと特措法

313日、特措法は新型コロナウィルスも対象とするよう改正されたが、感染症法は感染源対策をして医療対応で解決するのに対し、特措法は人と人との接触機会の制限を要請するもので、緊急事態宣言が出ても罰則規定がないため自粛要請という基本は不変

326日、特措法に基づく政府対策本部が設置され、主導権は厚労省から内閣官房に移り、対策本部は基本対処方針を定め、自治体の首長に一定の権限付与

Ø  日本医師会の危機感

330日、釜萢は日本医師会の会見で、手遅れになる前に緊急事態宣言を発出すべきと発言、現場の意思の声を代弁し、医師会の総意で発言したが、専門家会議の総意だと言ったため、官房長官はまだその期にあらずと否定、厚労省も個人の見解と斬り捨て

Ø  「最低7割、極力8割」

42日の厚労省での打ち合わせで西浦から人と人の接触の「8割削減」が必要との提言

新たに新型コロナウィルス感染症対策担当になった西村は319日から専門家会議に出席、連日専門家と面会し、緊急事態宣言発出のタイミングを窺っていた

46日、尾身と西村は安倍首相に会い、緊急事態宣言を出さざるを得ないこと、8割の接触を減らさないと短期間で収束できないことを伝えるが、安部は8割に抵抗、尾身は「最低7割、極力8割」で妥協

Ø  緊急事態宣言発出

47日、諮問委員会開催、7都府県への緊急事態宣言発出が決定

国は基本的対処方針を改正し、自治体による要請は「国に協議の上」で行うこととし、国からの関与が強まる仕組みを明文化 ⇒ 後に休業要請の業種を巡り国と都が対立

公衆衛生はエビデンスが出揃う前に経験や直観、論理で動かざるを得ない部分がある。一方で無謬性を背負う官僚組織と、最善を尽くしても間違うことが前提となる専門家の間で溝が埋まることはなかった

緊急事態宣言を決めたのは政治家だが、専門家がメディアで話す姿のインパクトは大きく、「前のめり」であることは専門家が自覚して選んだことだったが、その使命感の強さは自身の首を絞めていくことになる

 

第5章        リスクコミュニケーション 47日~519

Ø  PCR検査を巡る批判

緊急事態宣言発出で、自粛要請に対する不満が専門家会議に対する批判に変わる

押谷が倒れたのもその批判が一因。PCR検査について、専門家会議は拡充が急務だと提言し続けていたが、押谷は無秩序な拡大には見逃すケースが多いとして反対

Ø  42万人」死亡推計会見

尾身は過去の経験から、専門家として科学的評価に留まることに歯痒さを感じ、取るべき対策を具体的に提言したいとの思いが強い。PCR検査体制の拡充にしても、市民の行動変容にしても不十分であり、さらなる対策を検討していた段階で出てきたのが、西浦の対策を取らなかった場合の重症者数85万、うち半数は死亡の恐れありという推計で、415日の記者会見で大きく取り上げられる

クライシスコミュニケーションは緊急時の一方的な情報発信

リスクコミュニケーションは、双方向性があり、行政と市民のそれぞれが考えることのリスク認知やリスク評価を擦り合わせて、落としどころを探るもの

リスクコミュニケーションは、省庁が連携した組織として行うべきにも拘らず、人気歌手・星野源とコラボした安倍の動画が出てきてしまうなど、官邸・内閣官房・厚労省の広報チーム同士の連携すら心配される状況

リスクコミュニケーションは、リスク情報の発信よりも広い概念。人々の声を聞いてリスク感を把握し、それを発信するトップに助言できる組織が必要だが、現状その部署はない

Ø  緊急事態宣言解除の基準数値

416日、緊急事態宣言の対象が全国に拡大するが、延長について事前の諮問はなく、7都府県選定基準と、今回の北海道以下の基準が必ずしも同一ではない

尾身が諮問委員会会長として1人で調整を背負い、専門家が主導した専門家会議と違って、単に政府の方針にお墨付きを与えるための組織に成り下がっているように見える

54日、緊急事態宣言が月末まで延長するが、解除に前のめりの政府と、具体的なデータを示すには尚早とする現場とが激しく対立、感染者が減少しているのに延長することに対し批判が殺到

Ø  10万人当たり0.5

どこまで下がればクラスター対策ができるのかとの問いに対する苦渋の答えが10万人当たり0.5

政府からは、経済がもたないので早く解除しなければならない、そのための基準が欲しいという声が大きくなっていた

Ø  緊急事態宣言判断の3つの理由

宣言を出した理由は、感染拡大、医療崩壊、クラスター対策ができない、の3つであり、それは市民との約束なので、目途がつけば解除は当然

クラスター対策ができる水準として考えたのが東京都の宣言前の状況を前提にはじき出した数字で、政府からは厳しすぎるとの反論もあったが、総合的判断という表現で丸められ、51439県の解除に繋がる

Ø  高まる批判、不安定な会議体

専門家会議への批判は、422日の「人との接触を8割減らす10のポイント」、54日の「新しい生活様式」にも及び、箸の上げ下ろしにまで介入するのかと批判

本来、生活様式は科学的なものではなく、行政や政治の意思決定の範疇

厚労省が2月に公表した相談・受診の目安である「37.5度以上の熱が4日以上続く」も、専門家の責任という批判が強まる

中山の所には、専門家の暴走を止められなかったという理由の損害賠償が提訴され、尾身も殺害脅迫を受け警護がつけられた。押谷も表札を外す

政府が頼りないから専門家が前のめりにならざるを得なかったが、専門家が政府の責任を負わされたことに気づき、法的根拠がない専門家会議は不安定で危ないとして、解散か改組を目指す

 

第6章        専門家会議の卒業 519日~73

Ø  前倒しされた宣言解除時期

C型肝炎ウィルスの世界的研究実績を持つ脇田が悔いているのは、新宿のたった1人の感染者から広がったことがウィルスゲノム解析で分かり、その患者さえ抑えていたらということ、3月の検疫強化の実行までに時間がかかったこと、5月の宣言解除が早まったこと

5月の全面解除では、その可否の検討を予定していた諮問委員会の3日前に、突然安倍首相が前倒しの発言をし、既成事実みたいになり、脇田も尾身も意見は言ったがそれまで

再指定の数値の検討でも、専門家は状況が変われば数値も変わるとして出し渋ったため、西村が勝手に自分の責任で公表

Ø  首相と一緒の会見の危うさ

専門家にとって、自分たちが提言していないことでも、専門家の責任だと世間から責められることも少なからずあった

宣言解除の記者会見で、安部は「日本モデル」の成功を誇示したが、尾身にとっての「日本モデル」とは、その都度アジャストすることで、何か決まった固定のモデルはない

両者並んだ記者会見では、立場の違いが見て取れる

解散・改組の議論には2つの理由。1つはリスク評価とリスク管理を峻別しないと、専門家があたかも政策を決定しているように受け取られること、もう1つはすでに感染症の専門家だけで議論が進む段階を超えてしまったこと

マクロ経済などの専門家の知見が必要とされ、514日の諮問委員会からは経済の専門家4人が入る。脇田は反対したが、内閣官房からは一緒に議論の要請

Ø  議事録問題を巡って

529日、専門家会議は最後の提言 ⇒ 緊急事態宣言の効果や、次なる波に備えて検査体制や医療提供体制、保健所機能などを詳細に分析したもの

専門家会議は意思決定を行わない委員会と位置付けられ、議事概要のみ公開

諮問委員会は意思決定する委員会と位置付けられ、議事録公開

Ø  専門家の「卒業論文」と厚労省の反発

「次なる波に備えた専門家助言組織のあり方について」を専門家会議構成員一同名で発出

専門家会議の「卒業論文」となり、自らを「前のめりだった」と総括したが、内閣官房は西村が了承したが、厚労省は危機管理体制やリスクコミュニケーション体制が乏しいという内容は政府批判に当たり、さらには総括すること自体にネガティヴな意味合いがあると反論

卒論の肝である、感染症危機管理の文化がなかったことについては異論がなく、専門家が担う範疇を限定すべきこと、法的安定性のために特措法に基づく合議体に代えるべきことについても同意

Ø  「卒業」会見と専門家会議の廃止

624日、「卒業論文」公表。専門家会議の名義は認められず、日本記者クラブでの発表となり、専門家有志の会としてネット公開。議事録については構成員が確認した速記録をまとめ、公表されることになった

同時刻に西村が、「専門家会議は廃止。新たな専門家助言組織を作る」と発表。後に表現とタイミングについて反省するとの釈明があった

Ø  次なるルビコン川

政府の合議体でこのように自ら解散を申し出、「卒論」まで書いた組織は例がない。自由闊達である一方、最初から最後まで前のめりだったともいえる

1か月の空白を取り戻すため、脇田からすぐに勉強会の提案され、すぐに今後の対策に資する提案についての議論が始まる

73日、正式廃止決定。特措法に基づく新型インフルエンザ等対策有識者会議の下に、新型コロナウィルス感染症対策分科会を設置。会長は尾身、会長代理に脇田、専門家会議メンバー12人中8人が横滑り、他に10人が加わって18人で構成

厚労省にも、元々あったアドバイザリーボードに専門家会議のメンバー全員が入り、若い研究者が参加。専門家の提言通り、リスク評価をアドバイザリーボードが、リスク管理を分科会が担う

専門家会議は厚労省だけが相手だったが、今度は国の総理と対峙。スタート直後にGoToキャンペーンが出てきたが、実施は既定路線だった。「始まり方は不幸だった」と尾身は言うが、その後の多難な航海の始まりでしかなかった

 

エピローグ  後の先

尾身の信念である「後の先」とは、「何事にも相手がある。自説だけを唱えているだけではうまくいかない」

 

 

 

 

「分水嶺」書評 「前のめり」の実像 舞台裏追う

評者: 行方史郎 新聞掲載:20210605

「分水嶺」 [著]河合香織

 昨年2月、政府のもとに結成された新型コロナ専門家会議は、「3密の回避」「人との接触8割減」「新しい生活様式」を打ち出し、対策の中心を担った。それが6月、担当大臣が唐突に「廃止」を表明する。約5カ月間の舞台裏と人物像に迫った貴重な記録だ。
 専門家会議は、「卒業論文」と呼ばれる最後の1本も含め、計11本の見解や提言を発表した。深夜に及ぶ会見を繰り返しつつ目指したのは、市民との危機意識の共有であり、そのための情報発信である。
 ところが政府や官僚組織から事細かな注文や横やりが入る。底流に見え隠れするのは「国民の不安をあおってはならない」という考え方と、間違うことがないという前提で物事が進む「無謬(むびゅう)性の原則」だ。
 それでも、未知のウイルスに対処するには、エビデンスが不十分な段階から手を打ち、一人ひとりに協力してもらわなければならない。「サイエンスというのは失敗が前提。新しい知見が出てくれば、前のものは間違っていたということになる」(副座長の尾身茂氏)という言葉からは発想の違いが明快にみてとれる。そして両者の溝を埋めるべく腐心する官僚がいたのもまた事実のようだ。
 「前のめり」という言葉を使って「あたかも専門家会議が政策を決定しているような印象を与えた」と総括したように、対策のひずみや不満の矛先は彼らに向かった。尾身氏に警護がついたことは知られているが、一時的に入院生活を余儀なくされたり、訴訟を起こされたりしたメンバーがいたことを私は知らなかった。むろん責められるべきは、「専門家の意見を聞いて」という決まり文句を盾に、巧妙に責任を回避してきた政府の側だ。
 かくして専門家会議は解散に至り、政府の体質はおそらく変わることなく緊急事態宣言の今がある。当時のメンバーが、会議体は違えど、現在も最前線で奮闘していることが救いだ。
    
かわい・かおり 1974年生まれ。ノンフィクション作家。『選べなかった命』(大宅壮一ノンフィクション賞など)。

 

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