ハーヴァード・ロー・スクール  Scott Turow  2021.4.22.

 

2021.4.22. ハーヴァード・ロー・スクール わが試練の1

ONE L           1977

 

著者 Scott Turow アマースト大からスタンフォードの大学院、同大学院の英文学部で創作科Creative Writingの講師を経て26歳でハーヴァード・ロー・スクール入学。78年卒業後シカゴの地方検事に就任

 

訳者 山室まりや 1937年津田塾大卒、ウェイン大留学。翻訳家

 

発行日           1985.4.20. 印刷      4.30. 発行

発行所           早川書房 (早川文庫NF)

 

 

「ミスター、タロー。ブーン対コー事件を説明したまえ」「インテステートとは何かね?(遺言のない死亡者)」「その場合のとは何者かね?」――多くのエリートを生む名門校、ハーヴァード・ロー・スクールに入学した著者は、まず、教授が次々に質問を浴びせる授業に震え上がった。さらに、膨大な宿題と心身をすり減らす試練。法律を叩き込まれる1年目の試練は、自分や級友たちを大きく変えずにおかなかった・・・・。大学での教職を捨て法律家への道を選んだ筆者が、厳しい勉学の日々と、法律家の卵たちの不安と野心に揺れ動く心理をいきいきと描く

 

 

1975.11.17.

月曜の朝、ロー・スクールの本館に足を踏み入れた途端に、胃袋が引き締まる。これからの5日間、僕は周囲の誰よりもいくぶん頭が悪いと思わずにはいられないだろう

ロー・スクールの1年。まさに混乱そのもの

 

序章

ロー・スクールの1年と言えば、弁護士を志す者にとっての試練時代

弁護士として成功するには幾多の難関を潜るがその最初がロー・スクールで、入学するのは並大抵なことではない。3年経って卒業しても、州の弁護士試験にパスして就職するか、開業して法律事務を確立し、それを維持してゆかねばならない。これらの段階のどれを見ても、ロー・スクール第1年次特有の大掛かりなドラマといったものは見られない

学生はみな第1年次であっけに取られるような変化が起きる

判例の調べ方、法律弁論の構成、区別し難いと思われる様々な概念の分別を学ぶのもこの1年。奇妙な法律用語をどっさり吸収、法律家的な思考を身につけたり、職業についている間中、当人につきまとうとされる精神的な習癖や世界観が形成されるのもこの時期

本書は自身の第1年次体験記。アメリカのロー・スクールの第1年は際立って画一的

学習の重点は裁判事件で、学生は理論を組み立て、法の原理を説明しなければならない

授業は、ソクラテス方式といって、問答を繰り返すことにより、問題解決の道を見出す方式が用いられる

1年次終了直後に率直な感想を綴ったもので、HLSの学生であることを誇らしく思い、そのプライドを誇示していると思うが、一部HLS批判も入っている。HLS1817年創立以来、その卒業生を通じ、また学者の供給源として、アメリカの法律やアメリカの法曹の進歩と充実にただならぬ影響を与えてきた。批判が生じるのはつまるところロー・スクールが様々な面で立ち向かっている、道理を尽くした変化というものを認めるからこそなのだ

 

²  登録――敵との出会い

1975.9.3. HLSでは僕らは”1L(one L)”と呼ばれる。総勢550名。3日間のオリエンテーションの後、来週からは上級生も来てすべての授業が始まる

HLSは、ハーヴァード・キャンパスの北端にある15棟の建物を占める

1L140人づつ4つの部に分けられ、部単位で授業を受ける

国内最古のロー・スクール、全日制の学生数は大学院生も含め1800名と最大、専任教授も56名で国内の法学教授団として最大

ロー・スクール全国共通試験LSATの受験者は年々うなぎのぼり、HLSでは募集550に対し60007000の応募。トップ10は、HLS、イェール、ミシガン、コロンビア、シカゴ、スタンフォード、UC Berkeley、ペンシルヴァニア、NYU、ヴァージニア

アメリカの全てのロー・スクールは判例研究法式に固執しているので、学生は判例集を研究したり、教室で議論したりして法律を学ぶ

調査書 ⇒ 事実、争点、論理的分析を短くまとめたもので、裁判所の判決には不可欠の準備書面

裁判官が事件ごとに法を作っていく方式をコモン・ローCommon Law”という

裁判官は立法府の発言に従うが、誰も結論まではいわないので、裁判官は同様の状況の下で他の裁判官はどのように対処したかを手掛かりとして独自に法律を判断する(=判例に従う)。弁護士が法廷で試みることの多くは、現事件の状況はこれこれの判例ではなく、別の判例の状況の方に似ているということを裁判官に確認させること

 

²  9月及び10月――法を愛することを学ぶ

98日正規の授業開始。最初の学期は契約法、民事訴訟法、刑事法、不法行為法。最後の2科目は1学期だけで終わり、来年1月の試験の対象、他の2科目は2学期まで続き、これに物権法が加わる。他に選択科目1科目を選べる

刑事法と契約法は、教授が部全員を対象にソクラテス方式にて行われる ⇒ 140人のクラス全員と討論を展開する方式

ハーヴァード大の女子部がラドクリフ・カレッジ

法律の勉強は多くの点で、第二言語の勉強も同然。法律用語の知識なしには法律を理解できない

10月に入ると全国の800の大手法律事務所や政府機関の代表がやって来て、2L3Lのスカウトに来る

 

²  10月及び11月――面目失墜

教授たちとの昼食が慣習化 ⇒ 先生方が、教授と学生間の接触が不十分だという大学批判を和らげるために始まったもの

 

²  12月及び1月――期末試験(1)

19日が期末試験、不法行為法と刑法の2科目だけ

晩秋には、過去問を集めたレッド・ブックが上下2巻発刊されるが、それはロー・スクールが如何に試験を重要視しているかの証拠

 

²  2月及び3月――ついにやり抜く

1月下旬には模擬法廷コンテストが始まる

 

²  4月及び5月――学年末試験(終幕)

518日から期末試験、4科目でどれも持ち込み可

教授でさえも、必ず変革が起こることを予言。特に1年のカリキュラムが必要としている変革には自明のものが多い。少人数のクラス編成など

1年間体験した法学教育の特徴に関する観察 ⇒ ソクラテス方式は、教室内の学生全員の精神の安定を攪乱するという奇妙な特権を教師に与えることになり、使い方が悪ければ、相手を恐怖に導く手段になる。恐怖を味わうことが教育上プラスになったと思ったことは一度もない。非情で残酷な態度をとることが、なんとなく法的であることの特徴だという、暗黙の、拭い難い印象を学生の心に植え付ける結果、彼等は専門職務の遂行に当たっても、そのような態度で臨むことになるのだ

法律は常に世の中の不明瞭性や不確実性を闘うものであり、紛争の絶えない社会を安定的に運営していくためには、法律とそれがもたらす結果に関する確実性を害さない範囲での、裁判官の裁量が絶対に不可欠にも拘らず、現実の方の世界では欠けているように思われる

人間の選択的行為にはどの程度任意性が絡んでいるかという点について考えるような努力がなされていない

ロー・スクールで行われている多くのことが、量化しえないものや不精密なもの、感情が絡むもの、人間的なものを、回避したり、無視したり、打破したりするための策略を学生に授けることを狙いとしているように見える。法学教育に見られるそのような特性が、僕が志向する人間とは別の人間を作りかねないと思われ、それこそがこのロー・スクールでまみえることになった敵なのだと考えるようになった

法律家的思考方法を身につけるためには、重要ではあるが抽象的な知的技術の修得以上のことをやる必要がある。法律が強力に介入している現実の人間環境に対する敏感性の育成こそ喫緊の課題。やがて正義の主要な監視人となる人々は、恐怖や感情の抑制を特徴とする教育よりも、より人間性を重視する人本主義的な法学教育を受ける方が遥かに相応しい

 

終章

7月中旬成績発表

 

訳者あとがき

付記/日・米法学教育事情の比較

アメリカの弁護士人口は800人に1人、日本は1万人に1

ロー・スクール卒業後各州の弁護士試験に合格すればすぐに開業できる。合格率は約80(日本では3)

学部を出てロー・スクール3年の法学専門課程を経た者は、法学士LL.B.(Bachelor of Laws)となるが、最近ではJ.D.(Juris Doctor)の方が多く使われる。論文は出さなくても所定の単位を取ればいい。修士や博士を目指す者はロー・スクールのgraduate courseに進む。修士課程は12年で、法学修士の学位はLL.M.(Master of Laws)と呼ばれ、博士になるにはもう1年勉強して論文を提出。博士の学位はS.J.D.(Doctor of Juridical Science)。論文だけの博士号はない

英語が自国語ではない国からの学生に対しては修士課程を1,2年やっても、比較法修士の学位L.C.M.(Master of Comparative Law)しか与えないところもある

ハーヴァード・ロー・スクールでは、1972年三菱が100万ドル寄付して日本法の講座が出来て以来日本法に対する関心が比較的強い。以降毎年日本から学者が1人講義に出向く

成績表示は8段階、A(80点以上)A(7779)A-(7476)B+(7173)B(6870)B-(6567)C(6064)D(5559)が合格、Fが不合格

 

 

 

 

 

Wikipedia

ハーバード・ロー・スクール(Harvard Law School)、略称HLSは、ハーバード大学の法科大学院。1817設立。日本語ではハーバード大学ロースクール、ハーバード大学法学部ハーバード大学法科大学院と訳されることもある。

l  概要[編集]

学位は、J.D.Juris Doctor)、LL.M.Master of Laws)、S.J.D.Doctor of Juridical Science)。J.D.は、主にアメリカ人学生が所属する3年コース。LL.M.は、主に外国人が所属する1年コース。S.J.D.は、J.D.またはLL.M.修了生が進学する博士課程。日本人留学生は、主にLLM課程を修了している。

J.D.は、2014年度U.S.News & World Reportでは2位、LL.M.は、2011年度AUAP LL.M Rankings© にて5位にランキングされている。

キャンパスは、ハーバード大学のメインキャンパスより少し北側のマサチューセッツ通り沿いにある。

修了生には、バラク・オバマ大統領や共和党大統領候補であったミット・ロムニー前マサチューセッツ州知事(共和党)などがいる。また、2008年に当選した台湾の馬英九総統は、LL.M.S.J.D.の修了である。

l  著名な修了生(日本人)[編集]

以下、特筆ない限り、LL.M.取得者。

学者

井上良一 - 旧東京大学法学部(日本人初)。LLB(東洋人初)。自殺、享年28

大渕哲也 - 東京大学教授(知的財産法)、LLM及びS.J.D.

増井良啓 - 東京大学教授(租税法

寺尾美子 - 東京大学教授(英米法

藤谷武史 - 東京大学准教授(行政法、租税法)。LLM及びInternational Tax Program修了。現在S.J.D.プログラム所属

福田雅章 - 一橋大学名誉教授刑事法刑事政策

中窪裕也 - 一橋大学教授(労働法

田村俊夫 - 一橋大学教授(M&A

神山弘行 - 一橋大学准教授(租税法)、LLM及びS.J.D.

土井輝夫 - 早稲田大学名誉教授(国際私法

大沢秀介 - 慶應義塾大学教授(憲法

田村次朗 - 慶應義塾大学教授(経済法国際経済法

野村美明 - 大阪大学名誉教授(国際私法)

森島昭夫 - 名古屋大学名誉教授(民法、環境法

鈴木將文 - 名古屋大学教授(知的財産法)、元経済産業省通商政策局公正貿易推進室長

木下毅 - 中央大学教授(英米法)、元日米法学会代表理事、弁護士

望月礼二郎 - 東北大学名誉教授(英米法)

山田卓生 - 横浜国立大学名誉教授(民法)、日本大学教授、あさひ法律事務所顧問

吉村徳重 - 九州大学名誉教授(民事訴訟法

瀬々敦子 - 京都府立大学准教授(民法)、元住友信託銀行法務部

弁護士

濱田邦夫 - 森・濱田松本法律事務所客員、元最高裁判事

射手矢好雄 - 森・濱田松本法律事務所パートナー、一橋大学特任教授

岩倉正和 - 西村あさひ法律事務所パートナー、一橋大学特任教授、ハーバード・ロー・スクール客員教授

星明男 - 西村あさひ法律事務所フォーリンカウンセル、元東京大学助手

草野耕一 - 西村あさひ法律事務所パートナー

太田洋 - 西村あさひ法律事務所パートナー

武井一浩 - 西村あさひ法律事務所パートナー

手塚裕之 - 西村あさひ法律事務所パートナー

石田英遠 - アンダーソン・毛利・友常法律事務所パートナー、一橋大学特任教授

見富冬男 - 伊藤見富法律事務所パートナー

角田愛次郎 - 長島・大野・常松法律事務所顧問、立命館アジア太平洋大学教授

宇野総一郎 - 長島・大野・常松法律事務所パートナー

池田祐久 - シャーマン アンド スターリング執行パートナー、ハーバード・ロー・スクール・アソシエイション執行委員、J.D.

西川知雄 - 西川シドリーオースティン法律事務所パートナー、元衆議院議員

熊倉禎男 - 中村合同特許法律事務所パートナー

吉村龍吾 - 伊藤見富法律事務所パートナー、元モルガン・スタンレー・ディーン・ウィッター証券会社弁護士

本林徹 - 森綜合法律事務所パートナー、元日本弁護士連合会会長

柳田幸男 - 柳田野村法律事務所代表、元ハーバード・ロー・スクール客員教授・運営諮問委員、ハーバード大学評議員

石角完爾 - 千代田国際経営法律事務所代表、元ハーバードクラブオブジャパン幹事

高取芳宏 - オリック東京法律事務所・外国法共同事業パートナー

山口真由 - TAKETHINK所属タレント、元長島・大野・常松法律事務所アソシエイト、元財務官僚

裁判官

泉徳治 - 最高裁判所判事(裁判官出身)、弁護士(TMI総合法律事務所顧問)

岡村和美 - 最高裁判所判事、元消費者庁長官、法務省人権擁護局長

服部悟 - 福岡高等裁判所判事

検察官

河上和雄 - 最高検察庁公判部長、駿河台大学名誉教授、弁護士

官僚

西山英彦 - 経済産業省大臣官房審議官

五味廣文 - 金融庁長官西村あさひ法律事務所顧問

酒井明 - 法務省広島入国管理局長、元東日本入国管理センター所長

林良造 - 経済産業省経済産業政策局長、東京大学公共政策大学院教授

中尾泰久 - 経済産業省通商政策局国際経済課長

政治家

目賀田種太郎 - 国連大使、元貴族院議員。LLB

金子堅太郎 - 司法大臣、元日本法律学校校長。LLB及びLLD

小村壽太郎 - 外務大臣、元大審院判事。LLB

伊東香織 - 倉敷市長、元総務省国際部多国間経済室長

越直美 - 大津市長、元西村あさひ法律事務所弁護士

西田猛 - 衆議院議員

その他

貝沼由久 - ミネベアミツミ代表取締役社長

柴田一彦 - 投資家、シンフォニー・フィナンシャル・パートナーズ代表取締役

森生明 - 西村あさひ法律事務所経営顧問

 

 

MAG2NEWS

自己紹介すら通じなかった東大主席卒業者のハーバード留学体験記

2016.10.03

by まぐまぐ編集部

 

mine.place

mine(マイン)とは、第一線で活躍している作家・専門家の「記事単位の作品」が届けられる新しいコンテンツプラットフォームです。書きたかったこと、勢いで書いてみたこと、書かなければいけなかったことなど、どうしても伝えたいメッセージを最小単位の「作品」に仕上げて、読者にいち早く届けます。

 

「自己紹介すらできない日々からのスタート」

mineに参加させていただくことになり、ありがとうございます!

私が誰かってよく分からない方もいらっしゃると思うので、まずは簡単に自己紹介から。自分の自己紹介は苦手なので、プロフィール読み上げ風に。

「東京大学を首席で卒業し、在学中に弁護士試験と国家公務員試験に合格。卒業後は財務省に勤務し、その後、弁護士に転じる。2015年8月からハーバード・ロースクールに入学し、翌年5月に卒業。」

ね、なんかすごい人みたいでしょ?

実際の私は、要領がいいわけでも、頭の回転が速いわけでもない。そういうと、「またまた~」と言ってもらえたりするけれど、実際に、このハーバード留学記を読めば分かっていただけると思います。

「あっ、この人、こんなにつらくて、情けない思いをしながら、ハーバードの1年間、頑張ったんだな」ってね。

では、これから、私のハーバードでの1年間を、恥ずかしかったことや失敗を交えて、できるだけ正直に話していきたいと思います。よろしくお願いします!

とにかく、ハーバードに入学してすぐは、英語の授業が全く理解できず、学生が何を質問しているのかもわからず、したがって教授の答えも分からない。私の発言は一言も伝わらない、授業中だって、友達同士の雑談だってそれは同じである。日本に帰りたい、とにかくこの場から逃げ出したい、そんな気持ちでいっぱいだった。

そんな私が、クラスでトップの成績の生徒だけに与えられるディーン・スカラー・プライズを取得できるまでになったのはなぜか。これが自分でも不思議でたまらないので、この連載を書きながら、そこのところを考えてみたいと思う

1. 恐怖の自己紹介

ハーバードの新学期は9月にはじまる。しかし、私たち180人のクラスメイトは、それより半月早く集まった。クラスメイトが各々親しくなるように、ハーバードがレクリエーションを用意してくれたのである。親切な学校でしょ?

しかし、これが恐怖のはじまりだった。

とにかく、私の発音の問題だろうが、私が話した英語は、誰にも理解されないのである。

ハーバードが用意するレクリエーションは、高尚なものでもなんでもなく、小学校の林間学校のようなレベル。

たとえば、6人掛けのテーブルが用意されていて、それぞれのテーブルに質問が用意されていている。10分の制限時間の間に、テーブルに着いた各々がそのテーマについて話す。話し終わったらくじを引く。そして、くじの番号に従って、次のテーブルに移る、みたいな。大の大人がこんなことやるんだ、みたいな単純なゲームである。気恥ずかしさはあるものの、日本語の場合には、なんら苦にならないはずなのである。それが、私には苦痛で苦痛でたまらなかったのだ。

一生懸命に、頭の中で考える。この単語だったら聞き取ってもらえるかなって。それでも、文法的に間違っていない、単語も間違っていない、そういう構文で話したつもりでも、私の日本人的な発音だと、全く聞き取ってもらえない。

優しい人たちはやや困惑した表情を私に向け、厳しい人たちは”Sorry?”と聞き返す。

その度に、私は心が折れそうになるのである。

2. “How many nationalities have you slept with?”

自己紹介テーブルに並ぶ質問と言えば、たとえば、”Which book do you like the best?”(どんな本が好き?) “What is your most embarrassed moment?”(最も恥ずかしかった瞬間はなに?)みたいな、まあ、小学生か中学生みたいな話題ばかり。それでも、私は、必死に分かっている単語の中で、もっともシンプルな単語を選んで、文法の知識をこねくり回して、頭の中で答えを考える。

クラスメイトの中には、日本でいうところの「不良」ではないけど、ちょっとふさげたい人たちもいる。デンマーク出身の、金髪、ハンサム系のイケてる感じのクラスメイト・ヨハンが、にやにやしながら、私のいるテーブルに近づいてきて、「こんな質問、つまらないから、質問変えようぜ」と、みんなに話しかけた。そして彼は、冒頭の質問、つまり”How many nationalities have you ever slept with?”という質問を、女生徒に向けてきたのである。

頭の中が真っ白になる。こういう質問は、学生時代ならあり得たかもしれない。しかし、日本で、かつ、弁護士として働いていると、もはやお目にかからなくなるような質問である。アドリブで面白い答えなんてできない、だけど、答えないことは空気を読まないことになるのではないだろうか。

凍り付く空気の中で、私の横に座っていたカナダ人のきれいな女の子・リッキーは、毅然とこういった。

「じゃあ、あなたはどうなの?何か国を経験したの?」

「5か国」とタジタジしながら答えるヨハンにリッキーは、こう言い放つ。

「じゃあ、1引いて、4か国くらいかしらね?男って見栄っ張りだから」

そこから、いっきに空気が和み、みんながそれぞれの国のデート文化の違いなどを和気あいあいと話していく。その空気の中で、私は、ただ唖然としていた。

こういうくだらない質問をして場を盛り上げるヨハンのようなことは、私にはできない。失礼な質問を毅然と拒否するリッキーのようなことも、私にはできない。それどころか、この質問を機会に盛り上がってみんなと仲良くなることすらできない。なにせ、私は英語が話せないのだから。

カチンと石像のように固まる私は、自分に対する情けなさでいっぱいだった。私は、ハーバードに入学するまでの苦難の日々を思い出していた。

最初の関門、留学準備

1. まずは、留学準備、何が必要かを確かめよう

先日は、ハーバードで経験した、自己紹介の先例の話をした。

でも留学のお話というのは、なにも留学した後に始まることではない。そう、まずは留学準備から。遡って話していこう。

留学したいと思う人には、ロースクールに行きたい人も、ビジネス・スクールに行きたい人もいるだろう。その他の学部もいらっしゃるかもしれない。この連載を読まれる方の中には、実際に留学を考えられている方、お子さんの留学を考えられている方もいらっしゃると思うので、詳しく書いていこう。

アメリカの大学院にアプリケーションを出す場合に必要となるものは

大学の成績

パーソナル・ステートメント

リコメンデーション・レター

TOEFL

[大学の成績]

GPAと呼ばれるもの。私の場合には、東京大学の教養と法学部の成績。さらに、弁護士になるために通った司法修習所の成績を提出した。留学したい人、子どもを留学させたい人がいれば、とにかく学校の成績は重要!

[パーソナル・ステートメント]

自分が今まで何をしていたのか、どうしてこの大学院に行きたいのか、卒業した後に何をするのか、自分は何者であるかをひとつのストーリーとして描いたもの。まあ、作文みたいなものですか。

[リコメンデーション・レター]

大学の時の先生、職場の上司などからもらう、推薦状。

TOEFL

授業についていくのに必要な英語能力をはかる試験。通常のTOEICがリーディング、リスニングのみからなるのに対して、TOEFLの場合にはスピーキングとライティングも要求される。特に、スピーキングが科目に追加されて以降、日本人による高得点は難しくなっている。

ビジネス・スクールの場合には、加えてGMATというテストを受ける必要がある。それに比べて、ロースクールの場合には、TOEICの点数さえ取れれば、あとはパーソナル・ステイトメントという名の短い作文を提出して終わり。なーんだ、こんなに簡単なのと思ったのが間違いの始まりだった。

2. さて、TOEFL

日本人の場合には、まず、このTOEFLが課題。

このテストはリーディング、リスニング、スピーキング、ライティング各30点満点、合計120点で英語の実力を採点する。各学校によって必要な点数は異なるが、トップティアのロースクールの場合には、願わくば105点、少なくとも100点以上を取る必要がある。ハーバードの場合には、さらにリーディング、リスニング、スピーキング、ライティングで各々25点以上が要求される。

アメリカのロースクールの場合には、出願時期は12月~2月くらい。しかし、英語に難がある私たち日本人の場合には、アプリケーションの1年前からTOEFLを受けはじめなくてはならない。

ということで、私がTOEFLを受けはじめたのは、およそ出願の1年前の3月のとある日曜日。

3. はじめてのTOEFL

はじめてTOEFLを受けるために、私は茅場町に向かった。TOEFLは毎週土曜または日曜に、何か所もの開催されている。留学前の8月から9月くらいになると、TOEFLもやたらと混んできて、席が取りにくくなるので要注意。下手すると、東京都内でTOEFLを受けることができずに、立川まで赴くなんてことになりかねない。

はじめてのTOEFL会場で、私は度肝を抜かれた。各々が1台のパソコンを前にして、それぞれのペースで回答していく。(だから、よーいドンで、はい、スタートということはないのです)遅れて到着した私が部屋に入るころには、もう何人もの学生が、テストを受けはじめていた。

そして、私の隣の学生風の男性が、突然、

“I live in Tokyo. I live in Tokyo. I live in Tokyo. I live in Tokyo.”

と連呼しはじめたのである。

なにこれ?この人、だいじょうぶ?ここは狂気の世界?と、心底、唖然としてしまったけれど、すぐにその理由が分かることになる。

TOEFLにスピーキングのテストが含まれることは、前にも触れたけれど、スピーキングのためには、マイクがきちんと機能しているかというテストが重要。そのために、“Which city are you living in?”という質問に、答える必要があるのである。”I live in Tokyo”の連呼は、単なるマイクテストでした。ふー。びっくりびっくり。

4. 屈辱のスピーキング

はじめてのTOEFLで、何よりも屈辱的だったのはスピーキングの問題。質問が出題されて、15秒の間に回答を考えて、45秒かけて自分の回答を延々とマイクに吹き込むという内容。誰を相手にするでもなく、独り言のようにマイクにぶつぶつとつぶやくのは、とても気恥ずかしかった。

さらに、質問自体もなんかちょっと妙。「結婚相手に求めるものとは何か?」「最後の一日を過ごすとしたら、どんな過ごし方をしたいか?」「人生で最高の一日とは?」

なんだこれ、母語である日本語でだって答えにくいと思えるような、微妙な質問が続く。

最初のTOEFLの結果は案の定だった。

リーディング24点、リスニング23点、ライティング22点、そしてスピーキングは13点。合計82点。

スピーキングの点数が、やはり、断然、低い。それに、合計点も全く足りない。

トップティアのロースクールに必要な100点には、全く届かない。

ここから私の苦悩がはじまる。

vol.2に続く

 

著者/山口真由 

1983年(昭和58年)札幌市出身。筑波大学附属高等学校進学を機に単身上京。2002年、東京大学教養学部文科類(法学部)入学。在学中3年生時に司法試験合格。4年生時には国家公務員種試験合格。「法学部における成績優秀者」として総長賞を受け、2006年、首席で卒業。同年4月に財務省に入省し、主税局に配属。2008年に財務省を退官し、2009年~2015年まで大手法律事務所に勤務。20159月~20167月、ハーバード大学ロースクール(法科大学院)に留学。20168月、ハーバード大学ロースクールを卒業し、日本での活動を再開。

 

 

TOEFLとの格闘」 ハーバード留学記VOL.2 山口真由

1. 点数が伸びない

さて、先ほど3月のTOEFLのテストでは82点だったと書いた。それは確かにいい点数ではないけれど、私自身は、さほど心配していなかった。だって、アプリケーションは来年の1月くらいなんだから、1年以上の時間がある。そう思っていたのである。

TOEFLの勉強には身が入らなかった。もともと、私は社会や理科といった暗記科目が大の得意。「絶対領域」である社会や理科に対して、英語や数学などの暗記が通用しない科目は、あまり得意でもないし、好きでもなかった。加えて、仕事は忙しい。そしてなによりも私は伸びきってしまっていた。

学生時代の優秀な成績に半ば満足して、もうこれ以上勉強をするなんて嫌だと思っていた。ハーバードという新しい挑戦に挑むふりをしながら、心はずっと後ろ向きだったのである。

せっかくの休日をTOEFLという楽しくもないテストに費やす虚しさ。1回230ドル、つまり1回2万円を超える受験費用は決して安くはない。そして、どうにもせりあがってこないモチベーション。かつては、毎週のように受けられたTOEFLのテストも、少なくとも私が受けた時点では、3週間を空けて受ける必要がある。それをいいことに、月1回くらいのペースで、緩慢にTOEFLを受けながら、気づけば9月1日になっていた。

そこで、私は唖然とする。はじめに受けたTOEFLの点数が82点。その時点の私の最高点は89点。ほとんど点数が伸びていない。直近のテストの点数は、なんと83点。これだと、ほとんど成長が見られないじゃないか。

2. 焦る!!留学準備!!

なによりも私が焦ったのは、アプリケーションの締切が、私が思っていたよりもっとずっと早かったこと。なんとなく、来年の1月くらいに思ってハーバードのホームページを確認してみた9月1日のあの日、私は愕然とする。アプリケーションの締切は12月1日。ということは、たった3か月しかいないのである。

とにかく、このままではいけない!TOEFLの点数を上げなくてはいけない!このとき、私のスイッチはオンになった。そう、前もってやっておいた方がいいのは確か。だけど、人間ってそんなにうまくはいけないから。ギリギリにならないと何もできない、けれど、ギリギリになってはじめて、エンジンが入るってことだってあるのである。

まずは、問題集を変えることから。それまで、私は日本の出版社が出したTOEFLの参考書で勉強してきた。しかし、内容のみならず、テストに至るまでのガイダンスもすべて英語で実施される、国際的なテスト、それがTOEFL。ならば、世界中に参考書がやまほど出版されているはずで、そして、それを使うほうがもっとずっと合理的であろう。探してみると、出てくる出てくる。電話帳のように(もしかして、イエローページが分からない方がいらっしゃるかもしれませんが)分厚い問題集の数々。

ネット検索をしてそのまま購入してしまうということはできたのかもしれないが、とにかく、私はネット書店よりも実物を見て買いたい派。だから、まずは仕事終わりにすっ飛んでいって大きな本屋さんで問題集を買いあさった。有楽町の有隣堂、八重洲のブックセンター、新宿のブックファースト。新しい問題集を見つけるたびに、迷わず買って解き続ける日々。

3. 私のTOEFL攻略法

問題集をいくつもこなしていくうちに、TOEFL攻略法も徐々に理解できてきた。

[ライティング]

まず、一番点数を上げやすいのはライティング。私が受験していたとき、TOEFLのライティングはエッセイを時間内に二つ仕上げるという問題だった。慣れてしまえば、問題はだいたい同じパターン。「文明によって生活が豊かになったと思うか」「インターネットによって世界は変わったか」。とにかく、自分自身の意見を”Yes””No”と表明してから、その理由を、”First of all,” “And secondly,” “Finally”と書き連ねていく。理由はだいたい3つ上げられれば良いだろう。

そう中身は変わったとしても、テンプレートは同じ。同じテンプレートに違う内容を流し込むだけと考えると、構成を考える時間を省略できて、その分をライティングの時間に充てることができる。

[リーディングとリスニング]

リーディングとリスニングも、問題をいくつも解いていくことが解決してくれる。TOEFLのリーディング、リスニングは、今まで私が経験してきた受験などに比べて、格段に長い。とにかく長い。それもそのはず。アメリカで授業を受けようと思ったら、1日100ページなどの半端ない量の宿題をこなさなければならず、2時間くらいの授業に耐えなくてはならないのだ。

けれども、この長さを別にすれば、概ね受験勉強で叩き込まれ来た英語と相違ない。大学受験を終えた日本人なら、英語の基礎体力が備わっているだろう。何度も繰り返しリーディングとリスニングをすることで、忘れていた基礎体力が呼び覚まされる。

さて、日本人の、そして私自身の一番の課題はスピーキングであった。

 

留学準備の仕上げはパーソナル・ステイトメント-自分という人間を見直す機会に-」 ハーバード留学記VOL.3 山口真由

今日のテーマはパーソナル・ステイトメント。留学を考えていない方にも、パーソナル・ステイトメントを書いてみることは、絶対的なお勧め。留学というその時々の目標を超えて、「自分」という人間を見直す機会になる。

1. そして、最後のパーソナルステイトメント

先日まで、バタバタの留学準備を書いていたが、最後に、残してしまっていたパーソナル・ステイトメントに取り掛かる。パーソナル・ステイメントというのは、就職面接でいうところの、志望動機とちょっと似ているかな?アメリカの大学を受験するつもりがない人でも、パーソナル・ステイトメントを書いてみることを、私はぜひお勧めしたい。パーソナル・ステイトメントを書く中で、「自分の軸」が見えてくる。

パーソナル・ステイトメントの内容は、主に3つである。

・今まで何をしてきたか

・どうしてこの学校を志望するのか

・卒業後は、何をしていきたいか

Good Personal Statement: 過去の自分、未来の自分、そしてその二つをつなぐのが、この大学で学ぶこと。これを矛盾なく、美しく、ひとつの物語として伝えること。

Great Personal Statement: この物語の向こうに、自分よりも大きな何かを描き出すことができること。これがGreat Personal Statementの条件だと、イェール大学の副学長は説く。

14歳の時に移民してきた。英語は一言も分からなかった。そして、いくつもの困難にぶつかり、差別に苦しみながら、それでも私はアメリカのフェアネスを信じている。」そういうパーソナル・ステイトメントを書いた場合、これは自分自身の物語であるだけではなくて、アメリカに暮らすマイノリティの物語という自分よりも大きなものを描き出すことになる。

だけどね、誰もがこんないい「ネタ」を持っているわけではない。私も、なんかドラマチックなことが、自分の人生に起きなかったかなって、何度も見直したけど、大したことは起きていなかった。

まあ、企業法務を手掛けてきたような弁護士(私)の場合には、そんなに斬新なパーソナル・ステイトメントを書けるわけではなくて、パーソナル・ステイトメントによって合否が決まるということもないとは言われる。けれども、これは自分自身の軸に迫るトレーニングになる。

2. パーソナル・ステイトメントを通して見えてきたもの

よく誤解されるのは、日本では謙遜が美徳とされるけど、アメリカでは自分のいいところを鼻高々に自慢したほうがいいという話。これはこれで事実なのだろうが、だからって、根拠もなく「俺ってすごい」ということが尊ばれるわけではない。

それよりも、「自分は何者であるか」を矛盾なく説明することができていて、そして「自分が何者であるか」を突き詰めて考えていることが、高い評価を受けるのではないかと、私は思う。パーソナル・ステイトメントというのは、まさにそういう力が求めらえているのだ。

だから、そういう視点で、自分の人生を見直すでしょ?

どうして、僕は法律の仕事を志したんだろう。あっそうか、あのとき、ああいう出来事があって「人権」について考えたんだった。で、今、僕は何をしてるんだっけ?そうだ、「企業法務」をしてるんだ。そう、僕は、今、被害者ではなくて企業の側に立っている。あのとき、自分の人生を賭けようと思った「人権」とはかけ離れた仕事をしている、こんな具合である。

自分は、この世で何をしたいと思っていたのだろう。自分の思った道をまっすぐ生きてこられたんだろうか。このパーソナル・ステイトメントを通じて、自分と向き合うことができるので、進学だけではなく、転職しようと思っている人、特に何も思っていない人にも、「パーソナル・ステイトメントを書いてみる」のはお勧めで会える。

3. 私自身のパーソナル・ステイトメント

私自身のパーソナル・ステイトメントについて明かすのは、とても恥ずかしい。だけど、ここまで書いたのだから、せっかくだから少し述べておきたい。

パーソナル・ステイトメントを書きながら、私は気づいたのだ。そうか、私はいつも男性社会の中で生きてきたんだなって。

私が学生だったころ、東京大学法学部の女性教授は二人しかいなかった。

財務省の同期として入省したのは、私を除いてもう一人の女性だけ。

大手弁護士事務所だってパートナーとなって、出世する女性は限られている。

そうか、私の生きてきた社会って、男性社会だったんだな、こう気づいたことがその後の私の選択に大きな影響を与えることになる。

 

日本の「平等」、アメリカの「フェアネス」 ハーバード留学記Vol.4 山口真由

ハーバードの合格通知で知る 日本の「平等」、アメリカの「フェアネス」

今回は、日本の「平等」とアメリカの「フェアネス」は、違う概念ではないでしょうかという話をしてみたい。

短く言えば、みんなを同じに扱うのが日本の「平等」。それに対して、個別の事情に合わせて調整するのがアメリカの「フェアネス」。

すぐに気づくと思うが、アメリカの「フェアネス」というのは、日本の「不平等」に当たる場合がある。テストで同じ点数をとっても、個別の事情によってA君は減点され、B君は加点され、二人の間に差がついてしまうということが起こる。それでも、アメリカはそれを「フェア」という。

どうして、この違いが生まれてくるのだろう?実はこの背景には、アメリカが超がつくほどの格差社会であることがあげられると思う。いったい、どういうことだろうか

1. ハーバードからの合格通知!!でも、それすら「個別の事情」ごとに内容が違う!!

日本の合格発表の風景と言えば、掲示板に一斉に合格者の名前が並ぶあれ。それに対して、アメリカの場合には、合格通知はAdmission Letterとして個々の学生へのお手紙の形で届く。なぜならば、それぞれの学生ごとに「合格通知」の内容が異なるから。えっ、それってどういうこと??私の場合について、説明していこう。

年度末も押し迫った3月の中頃、ハーバードから合格通知が届いた。

パソコンのリンクをクリックすると、”Congratulations!”の文字。「わーい!やったー」と叫んだのも束の間、私のAdmission Letter(合格通知)は条件付きだった。

そう、英語を学ぶためにサマースクールに通うこと、それを条件として入学を許可する、私の合格通知にはそう書かれていた。

思い出してほしい。私のTOEFLの点数はリーディング29点、リスニング30点、ライティング28点、スピーキング18点の合計105点。ハーバードが公式に掲げる合格条件は、TOEFL合計100点以上、かつ、それぞれのパートが25点以上。私のTOEFLの点数の合計は100点以上だったものの、スピーキングが25点を下回ったため、サマースクールへの入学がコンディションとして付いてしまったのである。

2. 画一主義 vs 個別主義

ここで、私たちは重要なことに気づく。日本の大学とアメリカの大学との間の明確な違いである。

[日本の大学]

入試は画一的で裁量の余地はほとんどない。「TOEFL何点以上が必要」という条件が付いている場合、それを満たさないと足切でアウト。それ以外の条件がどれだけよかろうと、ここは変わらない。

[アメリカの大学]

アドミッションは決して画一的なものではない。「TOEFL何点以上が必要」という条件がついていも、それを満たさなくても、「じゃあ、サマースクールに行ってね」と言って受かったりする。これは他の条件でも同じこと。「大学の成績が悪いんだったら、ペーパーを提出してね」とか、「このリサーチ付き合ってね」とか、個別に条件が付きながらも合格できる。

そう、アメリカの大学は、各生徒に対して、「特別のおはからい」をしてくれる。英語が苦手ならば、英語を学んでからくればいいじゃない。今年、ロースクールに来られない事情があるなら来年まで待ってあげる。これは、何も留学するときだけの問題ではない。留学した後だって、個別の事情にもとづく「特別のおはからい」が許されてしまう。

あの人だけひいきするなんて「不平等」じゃないか、日本ならこう思われるかもしれない。

しかし、個別の事情に合わせて調整するのが、アメリカの「フェアネス」なのである。

これは、日本の平等、アメリカのフェアネスの違いである。この背景を考えてみたい。

 

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