0番目の患者 逆説の医学史 Luc Perino 2021.5.8.
2021.5.8. 0番目の患者 逆説の医学史
Patients zero 2020
著者 Luc Perino 1947年生まれ。医師、作家、エッセイスト。熱帯医学と疫学で学位を獲得。アフリカ、中国、フランス農村地帯で長年、臨床経験を積んだ。リヨン大学医学部で医学史や疫学を教える傍ら、医学や生物学の知識を一般向けに嚙み砕いて伝えるために小説を含む著作に励む。培った知識や経験に基づき、現代の医療システム及び医療関係市場の歪みや逸脱を、ユーモアを交えて指摘、批判している
訳者
広野和美 フランス語翻訳者。 大阪外大卒。長年、理系を含む実務翻訳に携わり、近年書籍翻訳も手掛ける
金丸啓子 フランス語翻訳者。 大阪外大卒
発行日 2020.12.25. 第1刷発行
発行所 柏書房
“病気を感じる人たちがいるから医学があるわけで、医者がいるから人々が彼らから自分の病気を教えてもらうのではない” ――ジョルジュ・カンギレム『正常と病理』
日本語版に寄せて
感染症学では、「ゼロ号患者」の特定は常に暫定的なもの
2019年12月に存在が確認され、翌1月30日にWHOが「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態PHEIC」を宣言、3月11日にはパンデミックとなったCOVID-19の場合は、当初武漢の海鮮市場に出入りする女性商人がゼロ号患者だと信じられていたが、それまでにも数人いたことが判明、ゼロ号患者の特定は不可能
コロナ対策の柱は、①PCR検査、②感染しない・させない生活様式、③感染者隔離の3つ
それぞれの対策にどれほどの効果があるのか判定するのは、国民の免疫力に差があるので難しい。感染症の歴史を顧みると、各国民の免疫力の違いは、身体的な違いや文化の違いよりずっと大きい
個人的な信念や直観と、国民としての自覚はきちんと区別する必要がある。政府の対策は役に立たないと個人的に思うことは構わないが、一旦政府が結論付けたらそれは尊重すべき
ウィルス性呼吸器感染症の流行は人類の宿命。グローバル化によって各種のウィルスが瞬時に拡散しパンデミックが起こりやすくなっているので、犯人捜しは無意味
人類に唯一の責任があるとしたら、それは生態系において、大成功を果たしたこと。自然を破壊してでも生きるための場所を拡げてきたために、自然界の生物を宿主としていたウィルスを本来の宿主から追い出すことになり、免疫学的に未知のウィルスに接するリスクを抱える
はじめに
医学は長い間、哲学や解剖学の産物で、医学の歴史を辿る書物は、身体の不調の原因を論じる哲学的概念から始まる ⇒ 古代ギリシャの四体液(よんたいえき)説は、体内の血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁という4種類の体液のバランスが崩れると病気になるというものだし、中国の陰陽思想も、森羅万象は陰と陽の2つの気によって起こり、2つが調和して初めて自然の秩序が保たれるという考え方。インドのアーユルヴェーダも似たような思想
医学理論も診断も的確で目を瞠る進歩を遂げたが、医療の方は理論とは無縁の理容師(=刃物を扱う職人)や産婆などの職人が、直観や経験に基づいて行ってきた
医学の歴史に大きな貢献をしてきたのは、自らの体や傷口を晒してきた無名の患者たち
16世紀のフランス人外科医アンブロワーズ・パレは、戦場での医療に、それまでの傷口に煮えたぎった油を注ぐ灼熱止血法に代わって血管を糸で縛って止血する血管結紮を始めたことで「近代医学の祖」と讃えられ、16世紀にイタリア人科学者ジローラモ・フラカストロが伝染病のコンタギオン(接触伝染)説を提唱したが、パスツールによって微生物の自然発生説が否定されたのは19世紀になってからで、その間どれだけの人が伝染病で死んでいったか
本書は、僅かな患者の特異な物語によって、新しい診断や療法を生み出し、医学理論を覆して医療の進歩に貢献したケースに焦点を当てる
20世紀の仏哲学者・医師のカンギレムが言うように、かつて病人が医者に訴えたからこそ医者が病気を知るようになって医学があるわけで、サブタイトルの『逆説の医学史』はその意味
感染症学では、集団内で初めて特定の感染症に罹ったと見做される患者のことを「インデックス・ケース」または「ゼロ号患者Patient zero」と呼ぶ
2003年、香港で重症急性呼吸器症候群SARSの感染が拡大した時には、数か月で最初の患者を特定。ゼロ号患者は必ずしも症状のある患者とは限らない
「患者」とは、ある特定の疾患のために肉体的な苦痛を覚えている人のことで、「感染者」とは、どんな軽微な症状も現れていない可能性もある医療対象者で、両者は全く無関係の別物
私が最も大切にしたことは、素直にあるいは反抗しながら、また信じ切ってあるいは疑いの目を向けながらも、生物医学分野の知識の進歩に大いなる貢献をした患者たちに敬意を表することであり、本書はある意味、誤解されたり、欲望で歪められたり、金儲けのために道を踏み外したりした数々の医療の問題を世に知らしめるという果てしない作業の一環
第1章 タンタン――脳の言語領域の特定に貢献した男
1840年、31歳のてんかん患者でニックネームが「タンタン」。精神障碍とされ、さらに何を聞いても「タン」としか答えないため、知的障碍者とも見做されたが、話は理解し、答えようとしているが言葉が出てこないだけで、他は健康そのもの
10年経った頃右半身に麻痺が出て、重篤な壊疽の症状を呈し、高名な人類学者で外科医ブローカのもとに移されるが1861年死去
ブローカは剖(ぼう)検によって病巣を探そうとし、左前頭葉の第3前頭回に神経梅毒による損傷を発見、それが言語障碍に関係していると確信して学会で発表。言語中枢の存在を初めて証明したとして医学理論の歴史に刻まれ、損傷部位は「ブローカ野」と呼ばれるようになる
医学史では、常に医者にスポットライトが当てられ、患者の名は伏せられるのが習わし
ブローカは、タンタンの障碍を「アフェミー」と名付け、「自分の言葉と身体の動きを調整する能力」を失ったと説明、最終的に「アファジー(失語症)」と称されることになる
タンタンの脳は、パリ大学医学部の博物館に展示されている
第2章 麻酔のゼロ号患者たち
ワクチン、帝王切開、麻酔、モルヒネの4つの言葉で医学の本当の進歩を要約できる
人間の寿命が延び、生活の質が向上
麻酔技術の歴史は、一獲千金を狙う強欲者たちや見世物興行師、後に歯科医に昇格する抜歯師たちの物語
1772年、イギリスの科学者ジョセフ・プリーストリーが亜酸化窒素を発見、吸引すると愉快な気持ちになることが知れ渡り、笑気ガスと呼ばれて興行師の実演ショーに利用された
アメリカでは、興行で一儲けしたサミュエル・コルトがリボルバーの製造に進出
1844年、笑気ガスの最大の興行師コルトンのショーを見た抜歯師のホーレス・ウェルズは、実験台に立った若者が笑気ガスを吸って朦朧としている間に大怪我をしたのに痛みも訴えず、終わって暫くしてから痛みを訴え出したのを知って、抜歯にも使えないかと自らの親知らずを笑気ガスを吸ってから抜いてもらったところ、殆ど痛みを感じなかった
全身麻酔については、実験台の若者がゼロ号患者であると同時に、ウェルズもゼロ号患者
ウェルズは外科の専門家の前で実証実験を披露したが、手違いで途中から痛みが現れ、一介の抜歯師に何ができるかと物笑いとなる。それを聞いた元教え子のウィリアム・モートンが、2年後に同様の効果があるとされていたエーテルを使って外科の手術で成功、全身麻酔の発明者とされ、その日は「エーテルデー」と呼ばれ、その場所は「エーテルドーム」と命名ウェルズはその後も研究を続け、クロロホルムが麻酔に使用されていると知り自分で試してみるうちに依存症となり、傷害事件を起こし自殺
モートンの方は、エーテルでは特許が取れないため、添加物を使って特許を取得するが、安売り競争の波に飲み込まれると同時に、特許の正体がばれて汚名を着せられ死去
興行師のコルトンも、歯の治療に笑気ガスを利用したが金儲けにならないまま西部のゴールドラッシュに向かう
1880年までに麻酔は体系化され、外科医療は近代医学に組み込まれた
以前外科は、あらゆる部位の「外側エクスターナル」を処置する医療だったが、今では体内に入り込むことのできる「内側インターナル」を処置する医療となっている。今日、医学生を指す「エクスターン」や「インターン」という呼称は、この麻酔革命に由来
麻酔革命への道が開かれたのは、興行師、道化師、抜歯師などごろつきのお陰
第3章 人格が変わってしまったフィネアス――前頭葉損傷による気分障碍
バーモントの鉄道敷設工事現場で、岩山破壊のために使用し爆薬を詰めた鉄棒を間違って落としてしまい、爆発によって鉄棒が左頬から目を抜けて額のすぐ後ろ、脳の真ん中から抜け出た。骨が砕け脳みそが飛び散ったが、はっきりとした口調で医師に様子を説明
時間とともにフィネアスは回復し健康を取り戻したが、穏やかで正直で親切だった若者は性格がすっかり変わって、攻撃的で不誠実、下品なごろつきに変わってしまい、様々な仕事につくがうまくゆかずに、10年余りの後体調が悪化して死去
フィネアスの症例によって、前頭葉の機能が明らかにされる。気分や性格、社会性などを制御する機能があり、生きていく上ではなくてはならないわけではないが、社会生活を送るうえで必要なものフィネアスは、神経の外傷により性格に深い傷を負った気分障碍のゼロ号患者
第4章 ヒステリーのヒロインたち
ヒステリーという病気を生み出したのは、エデンの園の蛇。禁断の木の実を食べた途端、裸でいることに怖れを感じ、異性に関心を寄せることは永遠に危険なことのように思えた。エデンの園ではヒステリーが男女共通の症状で、衣服を身にまとうという行動がその最初の症状
ファラオの時代のエジプトでは、ヒステリーは女性特有のもの。というのは、医学は専ら男の仕事だったから。子宮が身体中を動き回ることが原因だとされた
その後、ヒステリーが起こるのは悪魔の仕業とされ、悪魔祓いが最善の治療法となるさらに時代が下がって、男性にもヒステリーがあるとなり、その元凶は脳にあるとされた
ヒステリーの近代的療法はロマン派精神医学(精神障碍の原因はすべて心の傷が原因とする医学)を提唱する医学者によって始められた。ゼロ号患者は女性3人
1人目はオーギュスティーヌという13歳の少女。生まれてすぐ里子に出され、13歳で母親に売られてブルジョア家庭の小間使いとなり、主人に暴力を振るわれ奇妙な行動から痙攣発作を起こし、ヒステリーと診断され、専門病院に入院
世界的に名の知れた神経科医で医長のジャン=マルタン・シャルコー教授が臨床医としての野心をもってこの非科学的な病気の病態生理を解明しようと取り組み、実験的な治療方法だった催眠の実験台としてオーギュスティーヌを利用。1877年彼女は年間1296回のヒステリーを起こしたが、2年後には治ったと告げられ、病院の使用人となって実験台になり続ける
シャルコーの講義は見世物のような雰囲気を帯び始め、評判を落とし、彼女は本当にヒステリーがぶり返し、強制入院させられて、そこを抜け出す
シャルコーも神経学者としての名声を盛り返し、1885年オーストリアの若い学生・ジークムント・フロイトが講義に参加、とりわけ催眠とヒステリーに高い関心を示す
シャルコーとオーギュスティーヌの関係は文学作品や映画になったが、ヒステリーの治療法の歴史は、曖昧さと医師と患者の関係という虚構の上に築かれ、病態生理学上の謎はいまだに暴かれていない
2人目はエミー・フォン・N。バイエルン出身のファニー・ズルツァー=ヴァルト・フォン・ヴィンタートゥール男爵夫人は22歳のとき42歳年上のモーザー時計店のオーナーと結婚。ほどなく夫が死ぬと莫大な富の管理と取り入ってくる連中の応対に神経をすり減らし様々なヒステリー症状に見舞われる。高名な精神科医が余りの症状の複雑さに敬遠するなか、患者に興味を持ったのがフロイトで、催眠療法やマッサージ療法を試みる。フロイトのカタルシス法(不安や緊張の原因となっている欲求や感情や衝動を、言語や行為を通じて解放させる方法)の効果は長続きせず、夫人はその後も治療を求めて世界を渡り歩く。患者の心の中をあれこれと探る精神分析という新しい医療分野の臨床医たちと裕福な患者たちの本当の関係を測り知ることは決してできない。語り手たちも治療の成果がどれほどであったかについては言葉を濁すばかりで、患者については仮名で通している。モーザー夫人の症例についてはフロイトはエミー・フォン・Nという有名な仮名で語っている
3人目はアンナ・O。本名はベルタ・パッペンハイム。ヒステリーにおける男女均等は、精神ないし心のありようの普遍性が学術的に証明された少し後になってからのこと。裕福な正統派ユダヤ人の家庭に生まれるが、ドイツで社会活動の中心的創始者として名を残す。19歳ころからヒステリー症状を呈し始め、特に水が飲めない奇妙な症状(恐水症)があった。男爵夫人も診たウィーンの催眠術療法の医者ヨーゼフ・ブロイアーがカタルシス法で治療により恐水症を克服。その後フロイトが代わって治療、特に談話療法によってヒステリー症状の治療を試みる
何度もヒステリー症状を繰り返すベルタを、フロイトは精神分析療法の最初の臨床成功例にしようとする。ベルタは発作を起こしながらも社会活動家として女性の自立と権利を主張
残されたエビデンスからはベルタのヒステリー症状は決して治癒などせず、ブロイアーは彼女を入院させ、モルヒネを投与、彼女もモルヒネに依存。驚くべきは、治癒に失敗したことを聞いたフロイトが彼女の症例を曖昧なまま煙に巻き続けた
3人の患者の物語は、近代ヒステリーの歴史が臨床の虚構の連続であることを暴き出す
その後も精神分析はまやかしの道を辿り続け、医学界からの批判を巻き起こし、精神分析医たちは科学の世界から身を引いたが、1980年代までは知的な錬金術をやることに成功
現在、ヒステリーという言葉は精神保健の公式用語から抹消。男性優位を想起させる言葉は死語となり、より婉曲な表現で「身体化障碍」「身体表現性障碍」と呼ばれ、心に受けた傷が原因で神経系および感覚系の領域に傷み、麻痺、吃音、失語、眩暈などの身体的症状が現れる
心の興奮状態が身体的症状に移行する過程を「転換」という
身体的表現性障碍の治療では、患者に自由に語らせながら、様々な症状がどんな心の傷に由来するのかを根気よく説明できるまでになれば、心理療法は早い段階で効果が表れる可能性がある
痙攣やパニック障碍は身体的障碍ではない。発作的な興奮は癲癇とは異なり、患者の脳波は正常で、両者の比較研究を進めてもヒステリーの知識には何の役にも立たない
心の葛藤は身体に現れる
ある一定の空間で相互に関わり合う病気や症状をひっくるめて「パトセノーズ」というが、ヒステリーは感染症や心臓血管病と同じようにその時代のパトセノーズの1つ
第5章 ジョセフ少年――狂犬病ワクチン接種のゼロ号患者
1885年、アルザス地方でお使いに行ったジョセフ少年が犬に噛みつかれ、開発されたばかりの犬のための狂犬病のワクチンをうってもらおうと藁にも縋る思いでパスツールの研究室に向かう。少年はまだ狂犬病の症状はなかったが、一旦罹患すると対処方法はなかった
パスツールはまだ犬を使っての実験段階だったが、少年にワクチン接種を試みようと決断、1日2回計21回にわたりワクチンを接種、徐々に狂犬病の毒性を強めていく
試験は成功し、少年は症状が出ないままに元気を回復。如何なる倫理規定にも従わずに独断でなされた実験だったが、成功例として公表すると世界中から称賛の声と寄付が殺到し、2年後にパスツールは独自の研究所を創設、医学史上初の多分野研究所となった
パスツールは、少年に接種する直前少女にも接種したが、既に狂犬病の症状が現れていて、翌日には死亡。さらに恐水症の患者にも接種。狂犬病の症状の1つだが、同時にヒステリー症状の1つでもあり、この患者は狂犬病ではなかった
パスツールはこの少年をかわいがり、研究所の助手として働かせたが、1940年自殺、その原因は謎のまま。ドイツがパリに侵攻した際、ジョセフは家族を疎開させるも、家族は爆撃の犠牲になったと知らされたが、それは誤報、あるいは悪意のこもった偽情報だった
成功に対する妬みや疑念が渦巻く中、確かなことは、狂犬病ワクチンが素晴らしい効果を出すようになったということ。ただし、予防接種という考え方が生まれたのはずっと後のこと
6世紀、中国人が天然痘の膿から採取した物質を希釈し、毒性を弱めて吸入させる方法を開発している
近代的な予防接種のゼロ号患者はジェームス・フィップス少年で、1796年エドワード・ジェンナーという医師から、人間が罹っても軽傷で済む牛の病気にかかった娘から採取した膿を接種(種痘接種)、1か月後には天然痘に罹った人から採取したウィルス成分を接種(人痘接種)されたが、何の症状も現れなかった。パスツールはこの先人の業績に敬意を表して、自分が開発した病気に対する免疫を作る物質をvaccin(ワクチン、「牛の」の意)と名付けた
第6章 ニューヨークの女性料理人――無症候性キャリア「腸チフスのメアリー」
無症状だが他人に感染させる可能性のある病原体の宿主(しゅくしゅ)を、「無症候性キャリア」といい、厳密な意味では患者ではなく、「インデックス・ケース」と言われる
フランスで最後に大流行したペストは、1720年シリアを出港マルセイユに接岸したグラン・サン・タントワーヌ号という船から始まっている
現在ではウィルスや細菌の遺伝子を精密に分析することによって最初の症例にまで遡及することが可能だが、従来の微生物学では発症患者のみが調査の対象で、無症候性キャリアという概念まで思いが至らなかった。癌では旧来の思考ロジックがいまだに支配的
最初の無症候キャリアはアイルランド出身の女性料理人メアリー・マローン
19世紀末の飢饉続きのアイルランドからアメリカに脱出した15歳の少女が、1884年当初は劣悪な環境下で働くが、1900年頃から金持の料理人としての口を見つけて住み込んだ途端、雇い主が腸チフスに罹患、さらに次の雇い主もその次も次々に罹患。1907年当時の雇い主が疑問をもって疫学的調査をした結果、メアリーが感染源だと突き止める
健康な女性を強制的に隔離する法律など当然なく、世間の同情をかって、1910年一般市民向けの食品を扱う職業にはつかないことや衛生ルールを守ることを条件に解放され、結婚も果たす
1915年、マンハッタンの産婦人科で医療関係者が次々に腸チフスに罹患、進化した疫学調査が有効に働き、感染のゼロ号患者が病院の料理人になっていたメアリーであることが判明
メアリーは再び隔離され、法律はなかったが、終生隔離が宣告。生理学的には病気の方が辛いが、法律的には健康でいる方が厳しい状況に追い込まれる
メアリーは、肥満気味だったうえに濃厚なソースを何度も手で舐めて味見をしていたことが恐らく心臓血管系に少しづつ悪影響を及ぼしていたのだろう。1932年脳卒中となり6年後死去するまで半身不随。病理解剖の結果、胆嚢に生きた腸チフス菌がたくさん確認され、数日間生存
メアリーこそ、あらゆるタイプの隔離経験者、何回もの腸チフス流行のインデックス・ケース、最も有名で健康な無症候性キャリア
第7章 アウグステ――アルツハイマー病のゼロ号患者
1850年生まれのドイツ人女性アウグステは、結婚して1女をもうけたが、そのうち嫉妬妄想が進行、同時に精神状態が急速に悪化。1900年頃には記憶障碍、妄想、幻聴など統合失調症の症状が現れひどくなっていた。翌年入院するが、当時の医学界では、癲癇、精神錯乱、痴呆は混同。19世紀(ママ)初頭には、神経精神医学という分野が発展する下地がすべて整っていた脳は他の臓器と同様、神経細胞という細胞で構成されていることを証明しようとしていたが、剖検によってしか証明できないため、患者が死ぬまで待つしかなかった
アウグステに興味を持ったのが若い精神科の臨床医であり神経病理学者のアロイス・アルツハイマー。病院の習慣に従い、1日数回の温浴療法、戸外での運動、体操、マッサージなどを勧める、これらの療法は今日でもこの「病気」に対する最善の予防や治療方法となっている
顕微鏡検査(病理解剖)技術の進展によってこの病気の正体が明らかにされる
エミール・クレペリンは世界的な精神科医として知られ、躁鬱性心神喪失(後に躁鬱病)を初めて定義。アルツハイマーの師。精神分析療法には批判的
神経病理学者のフランツ・ニッスルは銀染色法を開発、ニューロンの細胞体が可視化されたが、その技術をアルツハイマーに指導
1906年、アウグステが敗血症で死去すると、早速その脳を剖検、銀染色技術を使って、一見正常な神経細胞内に鮮明な銀色に染まった太い原線維が沈着しているのを認める。今日アルツハイマー病の診断を下すマーカーと見做される「アミロイド」と呼ばれる有名な老人斑を発見、同時に若干の脳動脈に、老化した動脈に必ず見られるアテローム性動脈硬化が見られることも指摘
脳の変性や老化が急速に進行したものではなく、新しい疾患と主張したが、ツールの進歩によって発見されたに過ぎないものと混同され注目されず
精神疾患も神経疾患も他の疾患と同様器質的疾患だとして、精神分析医らが主張する対話によってのみ精神疾患が治療できるというのは迷論だと証明しようとしていたクレペリンは、アウグステのケースを初老期痴呆という新しい疾患だとして自分の弟子の名前を取ってアルツハイマー病と命名。ただ、生物医学では重篤で明白な老年痴呆症状が頻発する新しい疾患なのか、単なる初期老化なのか区別は出来なかった
新し病名の発表によってクレペリン研究所は名を上げたが、臨床現場ではほどなく脳血管性老年痴呆という病名で一括りにされ、初老期痴呆と老年痴呆の区別に興味を示さなくなる
神経病理学によって、脳は他の臓器と同様老化することがわかったが、他の臓器に比べ特異なのは老化現象が極めて多様であること
健康な人間の老化が早まる原因や老化プロセスへの恐怖を煽ることで利益を得ようとした産業界は、老人痴呆と言わずに、アルツハイマー病だとして認知機能にほんの僅かでも欠陥があれば警告サインを発するようになり、一旦医学界から消えた病名が復活
研究者はこぞってアルツハイマー病の疾病素因となる遺伝子の追求を始め、すでに100以上の遺伝子が特定されたり推定されたりしている。どんな遺伝子も本質的に何れは老化するのだから、遺伝子は最も有望なごまかしの学問
アルツハイマー病の蔓延は予想したほどひどい状態にはならず、むしろ疫学的データでは老年認知症または推定アルツハイマー病は20年前から減少傾向にある。生活習慣の変化が影響しているのか。少なくとも向精神薬(精神安定剤、抗鬱剤)は脳の老化を早めるため避ける
1996年、アルツハイマーによるアウグステの観察記録資料が医学史家らによって発見、アミロイド斑と神経原線維変化の程度と症状の重篤性の間に何の相関性もないことが確認できた
アルツハイマー博士の死後80年を記念して製薬会社のイーライリリーが生家の土地を購入、アルツハイマー記念館竣工
第8章 ジェンダーの蹂躙
セックス(生物的な性)やジェンダー(社会的・文化的な性)に関する事柄は、人間が動物状態から抜け出すために構築した文化の最も大きな部分を占めている
人間の文化には性に関する様々なタブーがある
人間の生は他の生物のように生殖と結びついていない
数々の文化的・環境的要因によって徐々に2つだけの性別から、ジェンダーの多様化へ進む
医学が性と生殖の問題に関心を持つようになったのはつい最近のこと。生殖補助医療や避妊医療が始まったのは1960年代だし、性に関する諸問題を研究する性科学もその頃から
1882年、新生児アイナー・ヴィーグナーは睾丸があったので男の子と認定されたが、生殖器で判断できない場合は、会陰部(外陰部と肛門の間)の形で男女いずれかに決められる
染色体の異数性 ⇒ ダウン症候群のような染色体の数の異常のこと。性染色体については、インターセクシュアルになる可能性のある異数性が約12種類あるが、外観上は「正常」な性別を持っている例が多い
アイナーは成人して結婚、イラストレーターだった相手の要請で女性のモデルになったが、妙にはまっていて、以降女性になり切って活動、社交界にも女性としてデビューするがやがて露見、前立腺癌にしか適用を認められていなかった睾丸除去手術を受け、さらに子供を産みたいと言って性別適合手術をするが、子宮移植手術で拒絶反応を起こし死去。アイナーは性別適合手術のゼロ号患者だったが、無謀で自己中心的な医師との出会いを見れば、患者がどれほどの災難を被ったか一目瞭然。患者も医師も成人でありお互い同意の上での手術ではあるが、この外科手術の残忍さは無視できない
割礼(包皮切除)は紀元前3000年の上(かみ)エジプトで衛生上の理由から行われたものが慣習となったが、包皮切除は決して無害ではなく、故意に身体を傷つけるという点で問題
1965年カナダに生まれたブルース・レイマーは8カ月で包茎治療のため包皮切除手術を受ける。通常包皮は6歳ごろまでに自然に後退するので施術しないが、禁忌とされる電気メスで施術したため陰茎切除せざるを得なくなる。双子の弟は手術を免れ、その後正常な生活を送る。自責の念に駆られた両親は心理学者に相談したところ心理学者は性別適合手術の熱心な支持者で、睾丸を摘出して性転換を勧める。女性ホルモンの継続投与で胸も膨らみ、心理学者は性転換の成功例として公表したが、次第にブルースは自分が男だと感じるようになり膣形成手術を拒んで男に戻る決心をし、22歳までに乳房切除手術を受け、男根形成手術に挑む
その後子供のいる女性と結婚し、性別適合手術のゼロ号患者として自伝を書いたので、このような外科手術は衰退したが、心と身体の傷は癒えることなく、38歳で自殺。弟も真実を知って重い精神障碍に苦しみ、両親を責め続けて2年前に自殺していた
第9章 ふたつの特別な数字――宿主を病気から守る大腸菌
体内に生息してる細菌の多くは、状況に応じて、穏やかな共生株や片利共生株から凶暴な病原株に変化する可能性がある。ブドウ球菌、レンサ球菌、ヘリコバクター・ピロリ菌、エスケリキア・コリ(大腸菌)などがあるが、大腸菌はとりわけ日和見主義的な細菌
共生株とは、2種類の生物が相互に利益を与える関係であり、片利共生株は、もう一方の株に利害を与えることなくその排出物から養分を得る関係
第1次大戦では砲弾による死者より、下痢や発疹チフス、インフルエンザによる死者の方が多く、外科の進歩を招くと同時に、微生物学の発展も可能にした
ある病院で各種の感染症が拡散するなか、1人の兵士だけ免れていたのに興味を持った医師は、既にある細菌が他の細菌の生育を阻害することを確認済みだったが、この兵士の弁を調べたところ、通常の大腸菌群とは異なる大腸菌を発見、分離に成功。後年この微生物は発見者とその年に因んで「エスケリキア・コリ・ニスレ1917EcN」と名付けられる
遺伝学によって、大腸菌の中には毒性遺伝子を持つものと持たないものがあると判明
EcNは毒性遺伝子を持たないが、病原性腸内細菌に対抗して除去さえもできる補足遺伝子を保有。水平伝播の過程で、新たな遺伝子を獲得した、穏やかな大腸菌で、ペニシリウムのように、偶然発見された天然の抗生物質の第1号といえる
最近になってこの細菌には、抗炎症作用があり、慢性炎症性腸疾患に対して緩やかながら効力をもとことが判明、スイスではEcNをプロバイオティックス(生きた微生物を含む医薬品)に仕立て、過敏性腸症候群IBSに対する薬として使用する国も出てきたが、腸細胞に有害な物質も産生し、結腸癌を誘発することがわかっている
短期的な薬効には長期的な副作用がつきもの。ドーピングではレースに勝っても寿命は縮まる。抗鬱剤では気分はよくなるが鬱病は悪化。抗炎症薬は痛みを緩和するが腎機能を低下。鎮痛剤は急性の疼痛を慢性疼痛へ変える。抗生物質は感染症を治せるが、抵抗力を低下させる。何れも揺るぎない事実で、EcNも下痢からは守ってくれるが腸機能は低下させる
大腸菌の全容はまだ不明、腸内フローラが科学の分野でもメディアでも脚光を浴びる現代では、両者の厄介な絡み合いで真実の究明が妨げられている
この兵士は、抗生物質や抗生物質への耐性におけるゼロ号患者といえる
スウェーデンの15歳の少女は、重度の尿路感染症を告げられ、抗生物質を2回投与されたが完治せず、自覚症状は全くなく体調も良好。残留する尿の中にあらゆる抗生物質に耐性を示す未知の大腸菌が発見され、83972という番号が与えられ、「血清型OUT:K5」と名付けた
最初の尿検査から3年後、無症候性細菌尿という診断が下される
医学ではまず理解する前に命名される。名前を見れば病気に対する無知が明確になるからで、後に病気のメカニズムが把握できた時点で病名を変更する。奔馬(ほんば)性結核は肺結核、神聖病は癲癇、狭心症は虚血性冠動脈疾患、ヒステリーは身体表現性障碍と変更された
少女の菌は1980年代に発見、症状が出ないということは自らの大腸菌が持つ病原性遺伝子の多くが宿主を攻撃しないように制御することができることを意味するし、抗生物質による治療の効果がなかったということは、あらゆる抗生物質への耐性を持つということで、現在では治療の手段として用いられる。重度の再発性尿路感染症の患者の膀胱に直接この菌株を注入することにより効率よく治療が可能で、片利共生細菌に変化した病原菌を治療に応用した初のケース
現在でも「細菌療法」に用いられる大腸菌株は、発見当時のスウェーデンの少女に由来するもので、少女の膀胱内で3年のうちに3万世代まで増殖、片利共生初期の発展に必要な変異を獲得するのに十分な数。少女は今も存命で50代
第10章 ウンサの沈黙――遺伝子異変による発達性言語協調障碍
1940年代のパキスタンで、言葉を発しようとすると痙攣を起こす少女ウンサが結婚してイギリスに移住、子どもから孫までできたが、係累計30人のうち14人が少女と同じ重度の発話障碍を発症。家族の苗字を取って「Ke一族症候群」と呼ばれる
失語症という言語障碍は、言葉を思い出せない状態で、自分の話していることをほとんど理解できないが、発話障碍というのは発音や文章構築における障碍のことで、言葉は知っているし相手の発話内容も理解できるが発話に必要な運動能力に問題がある
発話障碍の中でも深刻なのは構音(こうおん)障碍で、言葉を正確に発音する能力に欠ける筋肉の障碍であり、さらに文法能力にも障碍が見られる。読む力や書くことにも障碍
Ke一族は発達性言語協調障碍と名付けられ、遺伝的理由によるものとされた
1998年、Ke一族の患者には第7染色体に異常が見られることを突き止める
ウンサの持つ突然変異遺伝子が公表されたのは2000年のことで、意思伝達能力と文法能力の発達におけるこの遺伝子の重要性が明らかになる
第11章 永遠に生きるヘンリエッタ――研究に貢献するがん細胞
1920年代ヴァージニアで生まれた混血の女児ヘンリエッタは、長じて結婚、5回目の出産後進行の早い子宮頸がんを発症、全身に転移して8か月後31歳で死去
生前密かに採取された細胞は、女児のイニシャルを取ってHeLa(ヒーラ)細胞と名付けられ、目覚ましいスピードで増殖、各地へ送られ数トンにまで達し、そこから多大な進歩をもたらす
その1つがウィルスの培地としての活用で、ポリオワクチン開発を可能にした
この細胞のお陰で、エイズウィルスやがん細胞の突然変異、人体への放射能の影響についての研究が可能になり、抗ウィルス薬の試験や、多様な製品の毒性検査にも利用されてきた
1984年、ウィルス学者のハラルド・ツア・ハウゼンが子宮頸がんにおけるウィルスの働きを解明、ワクチンの開発にも成功してノーベル賞受賞
これまで製造されたヒーラ細胞は20トン以上で、6万を超える科学論文が出版
2013年、ヒーラ細胞のゲノム塩基配列の解析結果が公表され、ヘンリエッタの遺族が突き止められて、母親の細胞の利用を統制する倫理委員会への参加権を得た
1996年、議会では望まずしてヒロインとなったヘンリエッタ・ラックスの栄誉を称えた。ある大学医学部の働きかけで、死後顕彰が授けられ、2010年ヒーラ細部を初めて研究した医師の1人が墓碑を贈呈。ジャーナリストはヘンリエッタの伝記を書き、財団を設立し貧困に喘ぐ彼女の子孫を支援
第12章 海馬の冒険者たち――記憶の研究の大飛躍
海馬=タツノオトシゴは、オスが妊娠と出産を担う唯一の生物種だが、解剖学者は脳の特定部位の形状が似ていることから同じ名前を付ける
ヘンリー・モレゾンは、1953年27歳の時外科的切除の施術を受ける。9歳で自転車事故に遭遇して以来日常的な癲癇の発作に悩まされ、ロボトミーで名を上げていた神経精神科医が側頭葉と海馬を切除したところ、癲癇は収まったが記憶障碍が出来、過去のことは覚えているが新しいことが覚えられなくなった
モレゾンを診察したカナダの女性の神経科学者ブレンダ・ミルナーは、海馬が新しい記憶の形成に不可欠であることを理解。さらに彼の症例を通して記憶の様々な種類が明らかにされた
82歳まで長生きし、脳は数千枚の薄片となり、スキャン画像やMRI画像として世界中の研究所に共有され、今なお新発見を導いている。感覚記憶の残留容量が、側頭葉後部に損傷がなかったことと関連していたという事実は2014年になって新に判明
ミルナーは多数の名誉学位を贈呈され、「記憶研究の第1人者(デイム)」となる
もう1人、モレゾンの自転車事故から46年後にオートバイ事故で頭蓋骨を骨折、昏睡状態で病院に搬送されたのがケント・コクラン。硬膜下血腫を除去し、半身麻痺が残ったが意識は回復。脳に深刻な障碍が遺り、海馬はほぼ消失。神経生理学者の研究により、記憶全般、とりわけ海馬の機能についての新たな理解を急速に発展させる
エピソード記憶という個人的生活で起きた出来事の記憶は喪失、新しい個人的な思い出を獲得することも出来なかったが、学習による記憶である意味記憶は失わず、新しい知識を獲得する能力にも変化はなかった。この2種類の記憶が私たちの意識と人格形成に不可欠であることも分かり、2種類の記憶はそれぞれ脳の異なる領域に保存されることも判明
性格も変化し、外向的だったものが内気で消極的になる
プライミングと呼ばれる過程も判明 ⇒ 慣れ親しんだ手がかり(プライマー)が先行すれば、記憶は再生しやすくなる。手がかりを知識と結びつけるのは、知識獲得能力の向上における手段である。コクランはプライマーを用いた知識獲得能力を失っていなかったが、そのプライマーは感情に基づくものではありえなかった。彼のお陰で、エピソード記憶の深刻な健忘症があっても、新たな知識を獲得する妨げにはならないことが分かった
コクランの存在は、記憶中枢に関する数多くの論文を生み、記憶と意識の働きにまつわる約20もの大発見に繋がる。脳卒中により62歳で死去する。その脳は記憶についての新たな秘密をもたらす可能性があったが、遺族は解剖を拒否
第13章 マッキー夫人――マイクロキメリズム:母体に移る胎児細胞
1900年にA,B,O,ABという血液型が判明し輸血の事故が回避できるようになり、続く抗凝結剤により血液の保存が可能となり、1950年代にはプラスチック製の血液バッグが誕生、血液成分が分離できるようになり、輸血の医学的用途が拡大し、献血が奨励された
1953年、25歳のマッキー夫人は初めて献血すると、O型65%、A型35%が混在する混合血液であることが判明。ウシの二卵性双生児では見られ「フリーマーチン症」と言われ性別の違う場合に確認されるが人間では初めて。マッキー夫人は二卵性双生児で、性別の異なるもう1人は生後間もなく肺疾患で死去。100組の双子の検査でも混合血液は見られなかった。フリーマーチン症ではメスの方には正常な生殖器が発達せず不妊となるが、マッキー夫人は女児を出産していたのでフリーマーチン症ではない
数年前から、へその緒と胎盤を通じて母体の血液内に胎児細胞が拡散されるのではないかという推測があったが、夫人の体が遺伝的に由来の異なる細胞で構成されているのは明らか。神話に出てくる身体の半分がヤギ、半分がライオンという獣のように夫人もキメラだが、キメラ現象が細胞レベルに限られているのは明らか
遺伝的に由来の異なる少数の細胞が体内に定着して生存を続けるこの現象をマイクロキメリズムといい、現在では出産や流産を経験したどの女性にも見られるが、夫人は「胎児から母体へのマイクロキメリズム」現象を示したゼロ号患者。母体から胎児への逆向きのケースもある
それまで母子関係は単に協調的なものと考えられていた。どちらも相手の生存と健康が自分の利益になり、双方にとって妊娠期間が無事終わる方が得策
だが進化論者の論理では、双方の利益は必ずしも一致しない。母親にとっては子どもは自らの遺伝子プールの半分しか引き継がない存在で、将来の妊娠に備えて、自らの健康と遺伝子資源を維持しておかなければならないが、胎児は自らの遺伝子プールを全量保有しており、母体の今後の妊娠を守ることには関心がない。胎児はまた父親の遺伝子も持ち、資源の利用に関して母親の遺伝子と対立する場合もある。資源の配分におけるこうした対立は、妊娠中に頻発する妊娠糖尿病や子癇前症の引き金となり兼ねない
第14章 無原罪の御宿(おんやど)り――ヒトの単為生殖は可能か
処女懐胎はあらゆる神話に共通するテーマ
エジプトでは、アセトが無原罪の御宿りによって神王ホルの子を産んだ
生物の世界にも無性生殖と有性生殖があり、細菌は前者で単純な細胞分裂によって増殖
1740年、スイスの博物学者シャルル・ボネが、有性生殖でもアブラムシでオス不在の単為生殖を11世代にわたって確認
昆虫のみならず、爬虫類、鳥類、魚類でも様々な種類の単為生殖が確認されている
哺乳類での単為生殖実験は困難を極め、1939年、後に経口避妊薬を開発したグレゴリー・ピンカスが兎で成功したが、再現性に疑義
1956年、英国医師会が19の事例を認めて『ランセット』に論文が掲載されたが、異議申し立てがあって削除。その後も流行のテーマとして多数の実験が行われたが、男の子を連れてきた母親はすぐに嘘だとわかるのは、哺乳類の場合Y染色体はオスだけが持っていて、単為生殖ではメスしか生まれないから
1組だけ、K.J.とM.J.の母子が単為生殖と公式に認められ、世界的な名声を博したが、単為生殖は真剣には取り上げられず、医学的展望も皆無、さらにはクローン技術と生殖補助技術が医学界の注目を集め始めたために、母子の医学的な将来性に興味を抱く医師はいなくなった
ヒトには原子単為生殖が存在し、精子がなくても活性化する卵母細胞があるが、現在では哺乳類の単為生殖は不可能であることが明らかにされている
1854年、ローマ教皇ピウス9世はイエスの処女懐胎を公式に認め、さらにはマリアが原罪から守られていることも承認。2つの事象の特異性を再確認することによって、教皇は教義を打ち立てる意思を明らかに示した
第15章 吐き気を催す事件――サリドマイドによる薬害
1956年のクリスマスに耳のない子グレゴールが誕生。父親はペニシリンの工業生産を連合国が容認したドイツの製薬会社グリューネンタール社勤務
同社は2年前にスイスのチバ社から安価な「フタルイミド-グルタルイミド」という名の化学物質を購入し、精神病や神経系、自律神経系にまつわる障碍に対する治療薬の開発を行い、57年にコンテルガンとして睡眠導入剤の許可を取って世界40か国以上に広める。副作用がないことから妊婦の初期の吐き気にも有効だとして適応症に加えられたが、重い神経炎が出現。症例の増加とともに市販薬から処方箋薬に変更される
2年前からドイツの産科ではフォコメリア(アザラシ肢症)の増加が見られ、先天的異常が多発したが、偶然だとして片付けられていた。医薬品を疑う者はいなかった。インスリンとペニシリンの登場以来、薬は私たちの幸せのためにあるものだし、胎盤関門はあらゆる化学物質に対して密閉性を発揮すると見做されてきて、妊娠中の服用が禁じられている薬は皆無に等しかった(現在では大半の物質が胎盤というフィルターを通過できることが知られている)
どの国でも先天性異常の宣告を義務付けていなかったことが悲劇の根深さを見極めるまでに時間がかかる結果に
1961年、2人の医師がサリドマイドへの疑念を訴える論文を発表。サリドマイドこそコンテルガンや世界で販売されている70種類近くの医薬品に含まれるフタルイミド-グルタルイミドの国際一般名(INN:コミュニケーションを簡素化するため各国に承認された化学分子名称の短縮形/省略形のこと。どの薬も、化学名、INN、商品名を持つ。ジェネリックの普及のために医師に対してINNを使わせようとしているが、以前として大半の国では商品名の使用が優勢)
政府が聴聞会を開いた後、妊婦の服用への危険性が表記されただけだったが、マスコミが騒ぎ出すに及んでようやく市場から回収
グレゴールの父親は妊婦の吐き気に有効だと真っ先に知って母親に2,3錠飲ませており(現在では1錠でも充分であることが判明)、グレゴールは死に瀕し、母親は罪悪感に直面
62年前半にはすべての国がサリドマイドの回収を決めた。日本だけ遅れて9月
コンテルガンは2万人の新生児に被害を与え、半数は1年以内に死亡。1/4は今も存命
子供を設けた希少なサリドマイド児の場合は次世代への有害な影響は見られないが、流産予防薬として1940年代末~70年代末に広く処方されたジスチルベン(ジエチルスチルベストロール)という薬は、次の世代以降にも影響を与え、生殖器の先天的異常と癌の発現により被害者の娘から孫娘へと苦しみを与え続けている
サリドマイドの被害者は損害賠償訴訟に訴え、1970年1億マルクで和解。会社は現在も存続
サリドマイドは、いまだに多くの国で新たな適応症を掲げて販売されている。ハンセン病や多発性骨髄腫、ある種の癌などが対象
医薬品の大きな危険性は、それを扱う者に名声というオーラをもたらす。つまり専門医の知識の引き立て役となる。そして何事も簡単には運ばない医学の世界では、どれほど重い病気であっても起こり得るプラシーボ効果にも寄与
サリドマイドのスキャンダルは医薬品の歴史における最大の事件で、新薬の発売に対する最も厳格な基準の導入やファーマコビジランス(医薬品安全性監視)を統制する世界的機関の設立に大きく貢献したが、製薬業界の拝金主義と卑劣さは留まるところを知らず、その後もいくつもの事件が発生していて、妊娠時の吐き気と自然流産が哺乳類を保護するための進化によって誘発されたものであるという理解が共有されるどころか、逆にその症状に対する新薬が販売される恐れは今もあるのだ
第16章 ジョヴァンニのアポリポタンパク質――遺伝子変異体と長寿の夢
1970年代には、医療界は過去の成功に勢いを得て、隠れた不調を探し出す健康診断を勧め、病気は患者が戴冠するものから、医者から提示されるものになり、治療の方向性を決めるのは患者の訴えではなく、生物医学的発見だった。インスリンも抗生物質も魔法の薬だったが、商業的には対象となる患者が極端に少なくすぐ完治してしまうので儲からず、逆に潜在的な病気を治療することによって市場を無限大に拡大しようとした
腰痛を訴える患者は、血液検査の基準値の恣意的な修正によって、深刻な循環器の疾患を指摘され、原因が数値へと横滑りしていく
この患者も、コレステロールを運ぶアポリポタンパク質のことを聞かされ、検査の結果特殊な遺伝子変異体が見つかる。彼の先祖ジョヴァンニは1795年、イタリアのロンバルディア州の片田舎に住んでおり、その家系には100歳を超える長者が多数輩出。1985年には遺伝子系図が正確に遡及され大評判となる
2000年代、コレステロール薬の中でスタチン系の医薬品が多用され、製薬業界に年商200億ドルをもたらす。03年にはファイザーのアトルバスタチンの年商100億ドルを筆頭に大手製薬会社がこぞってコレステロール治療薬の市場に参入
03年、あるスタートアップ企業がこの特異な遺伝子に関心を示し、組み換えタンパク質を使った動物実験が動脈を浄化し永遠の命を保証するかのような結果を示し、株式市場で3億ドルを手にしたが、ファイザーは13億ドルでこの企業を買収。すぐに臨床試験の重大な欠陥が露見し全額損失計上
第17章 悪魔と奇跡の生還者――HIVの発見とエイズ完治の難しさ
1980年代初めのエイズは青天の霹靂で、ウィルス学と抗ウィルス療法という新たな分野を迅速に発展させた
エア・カナダのスチュワードは、行く先々であらゆる相手と同性愛に耽っていたが、内出血が悪化してヘルペスのような膿疱ができることを心配して検診したところ、最初はカポジ肉腫とされ、1年後には米国CDCでも国内各都市で多くの症例を把握、すべてが免疫抑制状態にある男性同性愛者と判明し、「ゲイ・キャンサー」と呼ばれ、患者250人の20%はスチュワードが感染源。82年には、後天性免疫不全症候群(略称AIDS)と名付けられた
ゼロ号患者は84年31歳で死去したが、2016年には1970年にニューヨークに発症者がいたことが判明している。更にその後の研究では、サル免疫不全ウィルスに由来すると推測され、ヒトへの感染は1920年代、種の壁を乗り越えるときに生じやすいウィルス移行時の突然変異によるものと見做されたので、真のゼロ号患者はアフリカの漁師となって、アメリカの名誉は守られたし、ヒトの名誉にも傷はつかなかった
治癒しない場合の致死率が100%に達する感染症は珍しい。狂犬病が唯一の疾患とされたが、HIVが2つ目。その後無症候性キャリアが0.5%いることが判明、耐性の要因は遺伝的なもので、未知の禍に対抗できる保護遺伝子を持つ人が必ず存在するということが証明された。ダーウィンの発見したこの不安定性が、環境の変化に応じた種の進化の基盤となっている
1996年に初めて効力のある抗レトロウィルス薬が誕生したこともあって、3度まで死刑宣告を受けたドイツのエイズ患者が2019年現在唯一人生存
第18章 いつもと違うインフルエンザ――SARSの発生から終息まで
インフルエンザという感染症は6か月で世界を1周するパンデミックの形で発生
2002年広州市で深刻な感染勃発、翌年2月には各地のWHO事務所に情報が伝わり、中国衛生署もインフルエンザとは別種と思われる急性呼吸器症候群の発生を発表
香港を訪れた1人の老医師が体調を悪化させ現地で入院したが死亡、広東省の症例の深刻さを念頭に、伝染性の強い病気にかかっている恐れがあることを申告したが、治療者たちは取り合わずに、ウィルスが拡散し、一気に世界的流行の中心地となる
鳥インフルエンザのH5N1型ウィルスが予想されたが、コロナウィルス科に属する未知の新型ウィルスが発見され、重症急性呼吸器症候群SARSと名付けられ、21世紀初の感染症となって、WHOはすぐに香港空港の閉鎖を命じると同時に、感染症を軽視したとして中国を非難
遺伝学によって感染の流れを遡ることが可能となり、感染症学においては、どのゼロ号患者の肩書も一時的なものに過ぎないだろう。今回のSARSでも、原因はコウモリから感染したと思われるジャコウネコのウィルスから突然変異したウィルスで、死亡した老医師のずっと前にゼロ号患者がいたのは間違いない
第19章 脳のない男――はかり知れない脳の可塑性
44歳の男性公務員が左足に鈍痛を感じ、引きずるようになったので医者に行ったところ、生後6か月で水頭症を発症、脳室心房シャントによる治療を受け、14歳で左足の異常な動き方を自覚した際、部分的に詰まっていたチューブを交換する外科手術で症状が消失していたことが判明。CTとMRI検査による画像では頭蓋骨の中に脳がなかったので仰天。よく見ると厚さ1㎝足らずの薄い層になった脳が、脳内の膨大な量の髄液によって頭蓋骨の内壁に押しやられていた。本人は左足の脱力感以外神経学的症状は皆無、知能指数は75、言語性知能指数も85と、ギリギリ正常の範囲で、脳機能障碍の兆候は何もない
脳の可塑性については知られていたが、機能分野が完全に消失したような脳など前例がない
大きい脳はホモ・サピエンスの特徴で、部分的な機能回復が見られることは分かっていたが、今回の症例ではヒト以外のどの霊長類よりも脳は小さい
腹腔シャントにより彼の症状は消失し、、12年後の現在も通常の生活を送る
おわりに
未来の医学を担う当事者は誰なのか。答えは、医学の歴史を遡り、医療行為の二大分野、診断と治療について個別に見ていかなければならない
過去にも診断と治療の混同は多かったが、現代でもなお、診断と治療が連携して進歩するケースはごく稀
治療は医療に特有の行為ではなく、医師の果たす役割はさほど重要ではない。共感、利他主義、そして協力は行動生態学から自然に生まれてくるものであり、これらに関して医師に与えられた能力は他の人々以上でも以下でもない。治療とは、生物学的で普遍的な行為なのだ
一方、診断行為は動物の文化形成と共に誕生。文化的で個別的。過去数世代にわたって医師が優れた能力を発揮してきた学問であり、医師は独占権を持ち、異議を唱える者はいない
診断と治療の有意義な出会いは、往々にして偶然から起こる
大多数の薬は、その生理作用が判明する遥か以前に経験的に発見されている。私たちの体内ではビタミンCが合成できないことがわかる前から、レモンは壊血病を治してくれていたし、理論的には完璧な作用メカニズムに基づく薬でも、その多くには臨床効果がないことが判明
1921年、インスリンの合成により、理論的な診断と実践的な治療が重なり合って、健康面で真の利益がもたらされた。続いて1940年代には、微生物の病因性役割の解明から抗生物質が誕生、さらに60年代は画期的な医薬品に対する臨床試験が行われたが、80年代には保健衛生業界が臨床医学を偏見の目で見るとともに診断と治療を意のままに導くようになり、診断と治療の相互作用が健康に寄与する時期は終わった
診断は現代社会において2つの最終段階へと到達。1つは診断が義務化されたこと、もう1つは診断が病人の実体験から切り離されたことで、患者が自覚したこともない症状の「病気」を医師が提示するようになり、病気は実体を失って、医学にはもう病人は不要になった
冒頭のカンギレムの言葉は、現代ではもう当てはまらない。一番の驚きは、実感したこともない病気の診断を受け入れる同胞の人々の素直さ
未来のゼロ号カップルは、精神医学や免疫学ではまだ見られるかもしれないが、製薬会社や公的保険機関など増え続ける関係者によって両者の蜜月関係は妨げられているどころか、こうした「商人」たちが主役に成り代わりかねない
ゼロ号商人とは、当局に働きかけて新しい医薬品を認可させ、その服用を義務付ける者
砂糖と煙草が健康に与える危険を厳密に証明し、その害を管理するのは医学の役割だろうか。こうした害の改善を掲げる薬の販売業者が、砂糖や煙草という毒物の販売業者よりも利他的であるとは言えない。両者は同じ手法で科学を歪曲し、疑念を作り出している。このような市場の混乱を管理するのは臨床医学でも生物医学でもなく、政府当局の責任
ゼロ号患者の最後の例は、1964年5歳の男児にバクルム(陰茎骨の学名)が発見されたもので唯一の例。哺乳類ではバクルムをもつ種の方が多いが、ホモ・サピエンスでは完全に消失したのに、完全な陰茎骨が1世代で再発現可能という事実は不可解
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病気を感じる人たちがいるから医学があるわけで、医者がいるから人びとが彼らから自分の病気を教えてもらうのではない。――ジョルジュ・カンギレム『正常と病理』より
■内容
これまでの医学史は、患者をないがしろにしたまま、医師の手柄話、治療法や試行錯誤の過程など、もっぱら医師たちに焦点を当てつづけてきた。
しかし、医学者だけが英雄なのか? 当前のことだが、患者なくして医学の発展はなかった。
野戦病院や臨床の現場、検査室、診察室で自らの身体や傷口を辛抱強くさらしてきた者たちこそが、医学の歴史に大きな貢献をしてきたのだ。
隔離されたチフスのメアリー、上流階級の見世物にされた女性ヒステリー患者、ある仮説のために女として育てられたデイヴィッド、死してなお自らの細胞を研究されつづけたヘンリエッタ、……
本書では、輝かしい歴史の裏側に埋もれた、病者たちの犠牲と貢献にスポットを当てていく。
コロナ後の世界において、最初に感染した者たちへのバッシングは絶えない。しかし、犯人捜しにも魔女狩りにも意味はない。
Covid-19の感染拡大を受けたロックダウン宣言の直前にフランスで出版されたこの本に登場する患者たちの物語が、私たちにそのことを教えてくれるだろう。
■「Patients Zero」とは?
感染症学では、集団内で初めて特定の感染症にかかったと見なされる患者のことを「インデックス・ケース」または「ゼロ号患者(ペイシェント・ゼロ)」と呼ぶ。微生物やウイルスの研究が進み、詳しいことがわかるようになるにつれ、ときに最初の感染者を特定できるまでになった。本書では、この「ゼロ号患者」という言葉の意味を医学、外科医学、精神医学、薬理学のあらゆる分野に意図的に拡大解釈して適用することにしている。
Hatenablog-基本読書
「最初の患者」たちが果たした役割を正当に評価する──『0番目の患者 逆説の医学史』
この『0番目の患者』は、医学においてスポットライトがあたり、病気の名前を冠されることも多い、それを発見したり治した医者の方”ではなく”、その症例をはじめて発症した患者の方に注目した、副題にあるように逆説の医学史である。
最初の患者っていうんだったら0番目じゃなくて1番目の患者なんじゃないの、と思うけれども、感染症学では集団内ではじめて特定の感染症にかかった人のことを「ゼロ号患者(Patients Zero)」と呼ぶ慣習があり、本書はそれに則っている。これは通常感染症患者にたいして用いる言葉だが、本書ではその定義を意図的に拡大解釈し、アルツハイマー病、AIDS、外科医学に精神医学など様々な領域に適用している。
最初の患者たちの役割と成果を正当に評価する
0番目の患者ってだけでそんなに書くことある? と疑問に思いながら読み始めたのだけれども、すぐに患者の側にも様々なドラマが存在していることに気がつく。名前のない病気にかかる時点で十分に悲劇的であり、治療法も確立されていないので、悲惨なケースに発展するケースも多い。さらに最初の患者として長く不快な検査に耐え、死体を提供してきた彼らがいなければ医学の発展など存在しなかったわけだ。
近代医学の誕生は、医師が患者と向き合い、対話しながら診察するようになってからのことだ。とはいえ、これまでの医学史は患者をないがしろにしたまま、医師の手柄話、治療法や試行錯誤の過程など、もっぱら医師たちに焦点を当てつづけてきた。しかし、野戦病院や臨床の現場、検査室、診察室で自らの身体や傷口を辛抱強くさらしてきた者たちこそが、医学の歴史に大きな貢献をしてきたのだ。
近代医学の祖としてたたえられるアンブロワーズ・バレは、戦場で負傷した兵士たちの手足の傷口を手当するのに、当時一般的だった煮えた油をそそぐ灼熱止血法の代わりに血管を糸で縛って止血したが、これだって新しい治療法を受け入れた兵士たちという0番目の患者あってこそのものだ。本書は、このように医学史の中では忘れられがちな、最初の患者たちの役割と成果を正当に評価しようとしていく。
傷害を負うことで医学に貢献した患者たち
今はMRIなどを使って頭蓋骨や体の中をみられるようになったが、それ以前は、異常があるのだとしたら患者の死を待つ必要があった。死後解剖することで、脳の(その人だけの)特質が明らかとなり、病気と脳の特性が紐付けられるのだ。
たとえば、最初に紹介されるのは脳の言語領域の特定に貢献した男タンタンだ。完全に言語能力を失っていて、何を聞かれてもタンタンとしか答えられなくなったこの男は、壊疽の症状が現れなすすべもなく死んでしまう。病棟のポール・ブローカという高名な教授が死体を解剖したところ、左大脳半球の前頭葉に神経梅毒による損傷を見つけた。ブローカはこの損傷が言語障害に関係しているとし、それが脳の言語中枢の発見につながることに鳴る。1861年のことであった。タンタンの脳に損傷があった箇所は今ではブローカ野と呼ばれて広く知られているが、それは、裏にこうした脳に損傷を負い、言語が使えなくなった(わかりやすい)患者がいたからこそだ。
脳繋がりでもう一例紹介しておくと、脳の可塑性の可能性を示した、「脳のない男」がいる。この男、左脚が脱力するといって病院にきたのだが、CTとMRIをとって脳を確認してみると、そこには脳がなかった。正確には脳が髄液で満たされていて、頭蓋骨内の90%が液体で、サミュエルの脳はヒト以外の霊長類よりも小さかったという。それでも知能指数は75、言語知能指数は85もあり、結婚もして公務員として正常な生活を営んでいた。『サミュエルのCT画像には記憶と身体の協働運動に必要な脳の中枢構造が写っていないのに、当人には対応する傷害が何もないのだ!』
ズラッとみていくと、特に脳の機能は実験としてわざと傷つけてみるわけにもいかないので、意図せずして脳を損傷したりして、人間のどの機能に傷害が起こるのかを検証する形で発展してきた歴史がある(前頭葉を貫通する形で鉄の棒が突き刺さって攻撃的な人間になったフィネアスとか)。特に脳科学については、ゼロ号患者たちによって発展してきたと言ってもいいだろう。
おわりに
1953年、献血にいったマッキー夫人が血液型を調べてもらうと、A型とO型が混在していた──という、「ヒトにおける血液型の混合」のゼロ号患者の話とか、子供に高確率で遺伝する、発達性言語協調傷害を患ったゼロ号患者一族の話とか、性自認と体のズレからくる性別適合手術や精神医療にかかって、体と精神をめちゃくちゃにされた、初期の患者らの話など、多角的に患者たちの姿を描き出していってみせる。
基本的には事例、エピソード集であり、医学史といえるような体系的なものではないのだけれども、これを読んでいると医療における患者の重要性がよくわかる。多くのケースで、医者はちょうどいい患者が自分のもとに転がりこんでこなかったら、その名は今ほどには世の中には残っていないのだ。「最初の患者」はいつも医療を前進させてきた。そのことがよくわかる一冊だ。
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