ハリエット・タブマン  上杉忍  2019.6.10.


2019.6.10.  ハリエット・タブマン 「モーゼ」と呼ばれた黒人女性

著者 上杉忍 1945年大連生まれ。都立大人文学部卒。一橋大大学院社会学研究科博士課程単位取得修了。博士(社会学)。静岡大教授、横浜市大教授、北海学園大教授などを歴任。横浜市大名誉教授。専門はアメリカ史

発行日           2019.3.15. 初版第1刷発行
発行所           新曜社

プロローグ
20164月米財務長官が、2020年の女性参政権獲得100周年記念で20ドル紙幣の表面に黒人女性タブマン掲載を発表、現肖像のジャクソンを裏面に移動
ジャクソンは、建国13州以外から初めて大統領に当選、貧しい白人農民を政治に引き込む「民主的」政治改革であるジャクソニアン・デモクラシーを行った国民的ヒーローだったが、近年では、彼が先住民討伐戦争で最も戦闘的指導者であったこと、黒人奴隷所有者だった側面にも注目
南部メリーランドの奴隷制度下から1人北部に逃走、多くの黒人奴隷を「地下鉄道」運動と呼ばれた集団的支援運動で救出。南北戦争後もニューヨーク州オーバンで黒人生活困難者のための共同ホームの運営などに尽力
50年代半ばに始まったキング牧師の公民権運動でもタブマンの名は出てこないほどアメリカでも最近まで無名だったが、公民権運動の高まりとともに65年頃から登場するようになり、78年には郵便切手に、86年にはテレビドラマ《モーゼと呼ばれた女性》の放映で多くの国民にインパクトを与える
08年のアンケート「アメリカ史で最も有名な人物10人」では、成人の間では9位、高校生では3位。黒人差別が最も激しいとされてきたミシシッピやアラバマでも公共スペースでタブマンの彫像などが展示され、全国で道路や学校の名前などに採用
没後100周年の13年には、オバマ大統領らによってタブマン地下鉄道国立記念碑がメリーランド州ケンブリッジ近郊に設置、翌年には歴史公園設置を連邦議会が議決
読み書きができなかったので、自らの経験について書くことはできず、かつ、活動自体が秘密裏に行われたため、タブマンに関する客観的史料は限られ、専門的歴史家によるタブマン研究が出されることは今世紀に入るまでほとんどなかった
一貫して最底辺の恵まれない人々とともに、その生活の現場で活動しながら、全国的な黒人解放運動の指導者たちからも高く評価されてきた類稀な活動家

第1章        生誕から逃亡迄 182249
「自分の家族を中心としたアメリカ黒人の自由」のために勇敢に闘い続けたタブマンの人間形成の基礎をなしたのは、思春期から青年期にかけての経験
出生の地メリーランド州は、南部奴隷州の最北端にある上南部に位置し、州の東部を占めるイースタンショアは、当時州第2の港湾都市ケンブリッジを中心に経済活動を展開していた地域。17世紀末からプランテーションに基づくタバコ栽培が始まり、植民地時代の黒人奴隷制の中心地の1
1820年頃にはタバコの畑は南部に移動し、白人小農民による穀物農業に転換したため、黒人奴隷制も大きく変容、自由黒人が急増し、州人口の45%を占める
19世紀に入ると深南部で綿花栽培が急速に拡大し、奴隷需要が急増、1808年以降海外からの奴隷輸入が禁止されたため、上南部から売り出された奴隷が強制移住させられた
人類史上最大の強制移住とされるアフリカからアメリカへの黒人奴隷の輸送には3段階あり、第1はアフリカでの現地人の捕獲と海岸部への売却・輸送、第2は大西洋を越える海上輸送、第3がカリブを含むアメリカ大陸内での売却と輸送
奴隷の「貸し出し」の広がりと、一定年齢で解放する約束をした「期限付き奴隷」の急増
自由黒人の急増で逃亡が激増 ⇒ メリーランドは黒人諸州中最多
黒人奴隷制は、メリーランド州のような「奴隷州と自由の中間地域」を恒常的に背後に生み出しながら、南へ西へと膨張を繰り返し、アメリカ全土への奴隷制の拡大を主張する南部と、白人自由農民の入植を保証すべきとする北部との対立が、南北戦争へと導く
南部社会は、こうした「例外的中間地域」を抱えていた。タブマンたちの「地下鉄道運動」は、黒人奴隷の「例外的」存在をその内側から執拗に攻撃し、南部奴隷主階級の不安を強め、国全体を奴隷制を巡る戦争に引きずり込む重要な要因となる
奴隷の子として生まれたタブマンは、祖母の代にアフリカから連れてこられ、中堅プランターに購入された
6歳から働かされ、家内労働に向いていなかったため、野外労働が多かったことが後の逃亡支援活動に有用な能力を育てた
自由黒人と結婚し、ハリエットの自由の買取りに努力した形跡がある
黒人奴隷の逃亡に協力してくれる可能性があるクエーカー教徒の集落が近くにあることを知って知り合いをつくる ⇒ 1770年までにはクエーカー教徒は奴隷制がキリスト教と両立できないと判断して、礼拝集会に奴隷所有者の参加を断り、1849年には黒人に土地の一部を教会とお墓のために譲渡さえている
49年兄弟2人とともに別々に逃亡。すでに芽生えていた逃亡奴隷支援の「地下鉄道運動組織」を頼って、ペンシルヴェニア州境までの15㎞を歩いて越え「約束の地」に着いたが、50年の逃亡奴隷法により北部自由州にいても奴隷として捕獲され連れ戻される危険性が高まっていた
彼女にとっての「自由」とは、何よりもまず「売却されて家族から切り離されることのない状態」であり、「分断された家族の再結合」だった ⇒ アメリカの黒人共同体こそが安住の地

第2章        地下鉄道運動の担い手となる 185061
逃亡から南北戦争終結により黒人奴隷制が打破されるまで、アメリカの奴隷制に抵抗する命懸けの活動の現場に立ち続け、家族や仲間の逃亡を助けるとともに、その経験を北部の奴隷制廃止運動家たちに報告し、アメリカにおける反奴隷制の世論を鼓舞し続け、更にはイーストショアから逃亡してきた黒人たちのアメリカ北部やカナダでの生活を守り、コミュニティを維持・発展させる活動にも取り組む
「地下鉄道」(Underground Railroad)が初めて活字になったのは、1839年ワシントンDCの新聞が、捕獲されたある逃亡奴隷が「ボストンまで全部地下を通る鉄道で逃げたかった」と告白したのを引用した時だが、奴隷制廃止運動家の間で広がる運動として、各地の運動家の自発的な協力ネットワークが出来上がっていく
奴隷廃止運動内部には、運動方針を巡る激しい対立があったが、地下鉄道運動は両派閥を取り結ぶ接着剤の役割を果たす
1850年の逃亡奴隷法成立を待って、奴隷主が北部に逃げた奴隷を取り戻そうと行動を開始、逃亡奴隷の捕獲と南部への送り返し事件が続発。特に北部の白人大衆が初めて真剣に奴隷制について考え始める契機となり、世論を変える大きな力となった
タブマンは、奴隷制廃止運動の中心地の1つフィラデルフィアに落ち着き、仕事をしながら資金をためる
タブマンの最初の救出劇の成功は逃亡奴隷法成立の直後、姉の娘家族が競売にかけられることになったのを機に脱出させカナダへの逃亡を手助け
51年には夫の救出劇に動き、初めてイースタンショアに足を踏み入れたが、夫は自由黒人の女性と同棲中で、彼女の申し出を拒絶してきたため、彼女も夫を忘れる
56年に3人の奴隷を劇的な救出作戦の末カナダに連れ出した後からは「黒いモーゼ」と呼ばれるようになる
57年両親を救出したところで、これ以上の救出は当面不可能と判断し、逃亡黒人の生活を維持し、コミュニティを再構築する活動に精力を傾ける。そのために各地を講演して歩き、ニューヨークとニュイングランドの奴隷制廃止運動のネットワークに入っていき、国際的にも知られるようになる
早くから活発な奴隷制廃止活動家だったジョン・ブラウンが奴隷州派と自由州派との武装闘争を提案した際、フレデリック・ダグラスとともに反対したが、タブマンは必ずしも当時多くの奴隷制廃止主義者が武力行使を原理的に否定する絶対平和主義者だったのに対し銃の携行も厭わなかったし、ブラウンの作戦が十分な準備に裏付けられておらず失敗を運命づけられていると考えていたからと想像される
ブラウンは、自らの主張を通して絞首台に向かい、「殉教者」となる
58年初めてタブマンが公然と聴衆の前に現れる ⇒ 奴隷制の残酷な姿を多くの廃止主義者の前で話し、朗々たる歌声を披露して、奴隷制廃止論者の小さな世界でスターとなり、資金集めに成功
南北戦争開戦とともに、地下鉄道運動組織は資金難から衰弱、両派の対立するメリーランド州の状況も不安定で、イースタンショアでの黒人救出作戦もあきらめざるを得なかった

第3章        南北戦争への従軍 186165
開戦と同時に、タブマンは南部の戦場に出かけ、現地の黒人と連邦軍(北軍)との橋渡し役を務め、黒人奴隷を連邦軍の許に逃亡させる軍事作戦で重要な役割を果たすとともに、黒人志願兵の支援や看護にも取り組む ⇒ 「黒いモーゼ」「タブマン将軍」と呼ばれ、「決して失敗しない」神秘的存在として知られるようになる
マサチューセッツ州部隊と共に行動、ヴァージニア州モンロー要塞に向かう ⇒ ヴァージニア州は南部連合だったため、モンロー要塞に逃げ込んだ奴隷たちを、北軍は南軍からの「戦利品」として「接収」することができそのまま解放、タブマンはその世話に従事
敵地での情報収集活動の適性を買われ、北軍の南部での戦闘準備に貢献。特に南部の黒人の協力を得る上では最適任
病院では傷病兵の看護にあたったが、黒人に対するあまりの差別に衝撃を受け、国務長官に改善を要望

第4章        解放された黒人たちの救済事業 18651913
戦後はニューヨーク州オーバンの家族の元に戻って本格的な活動を開始、黒人施設運営の基礎を築く ⇒ 戦後激しくなった人種隔離政策に対抗
公民権運動の中で戦わされた「人種統合」や「黒人ナショナリズム」との路線論争とはほとんど無関係だし、参政権にも触れていない
69年元逃亡奴隷で帰還兵と再婚。2年前に前夫は雇い主に射殺されていた
1908年「老人・ハンディキャップ黒人ホーム」構想実現 ⇒ 州内ではニューヨーク市以外で唯一の黒人を対象にした慈善施設
84年呼吸器系の疾患で投薬開始、突然睡眠症(ナルコレプシー)も顕著となり、自らのホームに収容されて1913年死去
「超能力」や「魔力」が備わっていたわけではなかったが、「失敗しなかった」のは、緻密な準備を重ねたうえで作戦を展開
ダグラスは、黒人を解放するためにはアメリカの政治システムや社会をいかに変える必要があるかを常に大所高所から思考し行動し続けたが、タブマンはあくまで最底辺の黒人たちとともに「現場」で活動し続けた。逃亡・救出に留まらず、その後の生活や教育に責任を持ち、黒人コミュニティの維持・構築に努めた功績は大
南北戦争期にも線上に赴き、奴隷の救出作戦に取り組んだり、傷病兵の看護から、逃亡奴隷の経済的自立のための教育など、生活に密着した「女性でなければできないような」現場で活動を続けた後、戦後は難民支援活動に本格的に着手。全国の女性参政権獲得運動家との関係構築に努めたのは、19世紀以降全国で取り組まれた多様な自律的社会改革運動「革新主義運動」の先駆けとしての「黒人セツルメント」運動に他ならない
黒人であり、女性であるがゆえに可能だった活動も多い ⇒ 北部から来た中産階級の白人ボランティア活動家が現地の黒人たちと意思疎通を図ることが困難だったことから、彼女が間に入って様々な活動の潤滑油として機能
「主の導き」に従って行われた ⇒ 組織に属すのではなく、自らの判断で行動を決定
1903年以降、それまで彼女の意思だけで運営されていた「ハリエット・タブマン・ホーム」の財産と管理権は、AMEザイオン教会に移譲され、彼女は組織された理事会の唯一の女性理事として役目を果たし続けた

エピローグ
1914年オーバンの指導者によって全国的な追悼集会開催、記念碑の除幕式を挙行
ホームには1215人が生活していたが、財政難から28年に閉鎖。税の滞納で43年競売、44年市当局から取り壊し命令
44年戦争への黒人の積極的な協力を募るためにタブマンの名を冠した輸送船が就航、エレノア大統領夫人が就航式にメッセージを送ったこともあって、アメリカ史におけるタブマンの聖典化が始まる
40年代後半、タブマン・ホーム再建運動開始、エレノア夫人の協力も得てザイオン教会を中心に政府の援助を求める活動が始まる ⇒ 53年図書館などの施設建設。文化・教育施設として今日まで一般に公開
タブマンを思い出させたのは、1930年代に入って伝記の出版を試みたオーバン出身で黒人の歴史を学ぶユダヤ人コンラッドで、43年学術的著書『ハリエット・タブマン』を出版したが、マルクス主義的史的唯物論に依拠していたところから、当時の赤狩りに遭ってまともに取り上げられなかった
アメリカ史研究者の間で、人種や性、階級に関わりなくその努力によって個人が平等に評価されるべきとの認識が高まり、特に女性や人種・エスニック・マイノリティ集団をアメリカを構成する重要な一部として扱う努力がなされている







(書評)『ハリエット・タブマン』上杉忍〈著〉 『自由への道』キャサリン・クリントン〈著〉
20194200500分  朝日
 米国の負の歴史生き抜いた記録
 1850年に成立した逃亡奴隷法は、奴隷制をめぐる合衆国の対立を先鋭化させた。自由を求めて北部に逃亡した奴隷を捕獲し、奴隷主に戻す連邦保安官の権限を強化したこの法律は、合衆国の分裂を阻止するための妥協が黒人奴隷の自由と引き換えだったことを明らかにする。
 そのような時代、「地下鉄道」と言われる逃走ルートを使って70人以上の奴隷をカナダへ導いた女性がいた。この2冊が描くハリエット・タブマンである。メリーランド州に奴隷として生まれた彼女は、1849年、深南部への転売を恐れて両親や夫を残し、一人北部に逃亡した。その後、懸賞金をかけられながらも「地下鉄道」の「車掌」として、家族を含め、次々と奴隷の逃亡を手助けする。
 南北戦争が勃発すると、タブマンは北軍と共に行動し、南部での土地勘や「地下鉄道」で培った人的つながりを生かして傷病兵の看護や軍事作戦の手引きをした。カンビー川沿いの南軍の要塞を破壊し、750人もの奴隷を解放した作戦は彼女あってのものだった。戦後はニューヨーク州で貧しい黒人のホーム建設に尽力し、支援者に囲まれながらも極貧の生涯を閉じる。
 この2冊を含め、タブマンに関する研究が近年目立つのには理由がある。合衆国では偉人として絵本にも登場する彼女については、実像より神話が先行しがちだった。したがって、彼女が生涯闘った奴隷制や人種差別の実態を背景に、より史実に近いタブマン像が求められるのは当然だろう。そこでは、今でこそ「国民的」英雄とされるタブマンが、私有財産である奴隷を盗む「犯罪者」とされた事実も描かれることになる。
 タブマンが犯罪者と見られる時代に逆戻りすることはないかもしれない。しかし、彼女は警戒を怠らないようわれわれに呼びかける。白人至上主義が頭をもたげる中、合衆国の負の歴史を直視する大切さを教える2冊である。
 評・西崎文子(東京大学教授・アメリカ政治外交史)
    *
 『ハリエット・タブマン 「モーゼ」と呼ばれた黒人女性』 上杉忍〈著〉 新曜社 3456円
 『自由への道 逃亡奴隷ハリエット・タブマンの生涯』 キャサリン・クリントン〈著〉 廣瀬典生訳 晃洋書房 7560円
    *
 うえすぎ・しのぶ 横浜市立大名誉教授Catherine Clinton テキサス大サンアントニオ校歴史学科教授。

自由の女神が黒人に
20172101727分 朝日
写真・図版
 黒人の自由の女神が、もうすぐお目見えする。白人でないのは、初めてのことだろう。
 201746日。米造幣局が、設立225周年を記念して発行する100ドル硬貨に登場する。24カラットの純金で、約1トロイオンス(約31グラム)の重さがある。
 この金貨は、今後も2年ごとにデザインを変え、自由の女神シリーズとして発行される。女神はアジア系、ヒスパニック系、先住民と姿が変わり、米国の文化と民族の多様性が映し出される。
 2016年の米大統領選で、移民や人種などの論議が白熱しただけに、この金貨シリーズの波紋にも関心が集まる。
 自由の女神は、米国を表す典型的な象徴の一つだ。ニューヨーク港には、1886年にフランスからの贈り物として建てられた巨大な像がそびえている。欧州の白人女性があしらわれており、かかげるたいまつは世界の難民を招いているようだ。
 「発行者としては、まずこの国の伝統と歴史的な遺産に敬意を払い、さらに『自由』とは何かという対話も引き起こしたかった」。造幣局の第1副局長レット・ジェプソンは、このシリーズの狙いをこう説明する。「国の発展とともに、『自由』の姿も変わる」と造幣局の首席補佐官エリサ・バスナイトは補足する。
 コインは、日常的に使われる流通用とは違う。収集家向けに限られた枚数が造られるに過ぎない。「黒人の女神」の発行枚数は10万。その価値は、額面をはるかに上回りそうだ。金のレートに左右されるが、現在は1トロイオンス=1千ドルを超えている。
 金貨の表の面は、ジャスティン・クンツのデザインで、原版の彫刻はフィービー・ヘンフィルが担当した。自由の女神は、星が連なる冠で髪を後ろに束ねている。裏の面には、ワシが羽ばたいている。
 先の第1副局長ジェプソンによると、実物を見た人からは、「私の若いころにそっくり」という感想も届いている。「コインの中に自分を見いだしてもらえるほどの出来栄えということであり、大変うれしい」
 売れ行きも、かなり期待できると造幣局は見ている。収益が上がれば、国庫に納められる。2016年の記念コインの収益は、約6億ドルにもなった。
 黒人の女神の金貨は、ニューヨーク州ウエストポイントで製造される。この種の硬貨としては、通常より多い発行枚数になるだけではない。「メダル」と呼ばれる複製銀貨も10万枚造る。こちらは、フィラデルフィアの造幣局本部で製造され、額面は4050ドルになりそうだ。
 1792年にできた米国の硬貨法は、造幣局の設立だけでなく、製造する硬貨には「自由」を必ず刻み込むように定めている。以来、流通用か否かを問わず、米通貨の多くに「自由の女神」の姿が採用されるようになった。
 「初期の米硬貨には、髪が激しく乱れた自由の女神も登場している」とジェプソンは話す。
 今回の自由の女神シリーズは、次のコインの作成計画がすでに始まっている。基本的な指針が、美術と彫刻の専門家に示される。造幣局の専属スタッフもいれば、そのときどきに応じて参加するクンツのようなデザイナーもいる。
 こうした専門家の作業は、二つの委員会の関与のもとに進められる。一つは、市民の立場からアドバイスをする。もう一つは、純粋美術の視点から意見を述べ、最終的なデザインについての推薦権限を持つ。
 「だから、最終的な段階まで来ないと、コインがどういうふうになるのか、とても言うことはできない」ジェプソンは語る。
 米通貨と女性という観点から見れば、一般的な描かれ方にせよ、歴史的人物にせよ、女性の登場が少なかったことは間違いない。
 女性の参政権獲得運動を率いたスーザン・B・アンソニーは、197981年の1ドル硬貨に出ている。障害者の教育と福祉に尽くしたヘレン・ケラーは、2003年のアラバマ州25セント硬貨の裏の面にあしらわれている。ルイスとクラークの西部遠征隊に同行した先住民ショーショーニ族の女性案内人サカガウィアは、00年の1ドル硬貨の肖像になっている。
 紙幣で言えば、16年に当時の財務長官ジェイコブ・J・ルーが、女性を多く登場させるキャンペーンに取り組んでいる。奴隷解放運動家のハリエット・タブマンは新しい20ドル札の肖像になり、さらに社会的に活躍した女性たちがいく人も5ドルと10ドル紙幣に描かれるようになる。
 黒人の自由の女神に戻れば、かなりの人気を呼ぶことになりそうだと収集家は見ている。
 「造幣局が何か新しいことを始めると、社会の話題になることが多い」と米国賞牌協会の学芸員ジル・ブランスブール。「しかも、今回は、これまでのコインの歴史を塗り替えることになる」とその意義を強調する。「硬貨のデザインの伝統は、ほとんど白人中心だった。それが変わる、という強いメッセージが発せられるからだ」
 これまでも、非白人がコインに登場したことはあった。06年発行の金貨シリーズは、20世紀の前半に出された「インディアン・ヘッド・ニッケル」(訳注=191338年製造の5セント硬貨で、先住民の男性の横顔を描いている)を復活させていた。
 しかし、今回は民族の多様性を映し出すシリーズであり、レベルが異なる。
 こうした、象徴的な意味合いをめぐる論議はさておき、金貨の美しさを米国賞牌協会会長のジェフ・ギャレットはたたえる。数カ月前にワシントンで現物を見た。「凹凸の深い浮き彫りが、よく生かされている。流通している硬貨よりは、凸部の高いところがはるかに高いことが一目で分かった」
 「もちろん、購入する。1枚だけではなく、いくつか一緒にね」(抄訳)
(Erin Mccann)
(C)2017 The New York Times


(日曜に想う)詩聖の残した「百年の言葉」 編集委員・福島申二
2016940500分 朝日
 アジア初のノーベル文学賞を受けたインドの詩聖タゴールが、大歓迎のなかに初来日して今年で100年になる。3カ月にわたって滞在し、行く先々で即興の短詩や警句をたくさん残した。
 それらを集めた「迷える小鳥」(藤原定訳)は、珠玉の言葉がひしめく宝石箱だ。たとえば、〈ハンマーの打撃ではなく、水の踊りが歌いながら小石を完美にしてゆく〉。清流にまろやかに磨かれる石を想像させる詩句からは、打つ、叩(たた)くという「力」ではなく、愛への信頼と賛美が透くようににじむ。
 〈足蹴(あしげ)は埃(ほこり)を立てるだけで、大地から何ものも収穫しない〉も奥深い。怒りにまかせて地面を蹴っても大地は何も応えてくれない。短慮と暴力を戒める。
 さらに心をゆさぶられるのは、〈人間の歴史は、侮辱された人間が勝利する日を、辛抱づよく待っている〉。
 侮辱された人間とは、虐げられた人々であろう。黒人奴隷や先住民族といった様々なマイノリティーにもたらされるべき勝利とは、ゆるがぬ自由と平等の獲得をおいて無い。人間の歴史への深い部分での詩人の信頼に、胸が熱くなる。
    *
 今年4月、一人の黒人女性の名が世界に報じられた。存命の人ではない。南北戦争前の米国で、南部の奴隷を北部の州へ逃がす命がけの地下活動で大勢の黒人を救ったハリエット・タブマン。米財務省20ドル紙幣の新たな肖像にすると発表した。黒人女性が肖像になるのは初めてのことという。
 日本ではあまり知られないが、米国では敬意をもって語られる勇気の人だ。幼かったころ、2人の姉が鎖につながれて奴隷の仲買業者に買われていった姿が生涯の心の痛みになったという。
 自分が北部へ逃れてからも何度も南部に戻り、地下組織のもっとも危険な手引き役となって、州境を越えて何百人という黒人を自由の身に導いたとされる。奴隷を所有する白人からは憎悪され、身柄には高額の懸賞金がかけられた。
 19世紀の「お尋ね者」が21世紀に「正義の人」として紙幣を飾る。タゴールのヒューマニズムと重なって美しい。その一方で米国の現実を眺めれば、人種間の平等の天秤はなお傾(かし)いだままだ。
 この夏、黒人が警察に射殺される事件が相次いで、抗議のデモが全米に広がったのは記憶に新しい。さらに暴言王と称される候補が話題をさらう大統領選と相まって、多様性の尊重を「きれいごと」と腐すポピュリズムの空気が、ここにきて隠れもなく頭をもたげつつある。
 裏を返すなら、黒人女性の紙幣への初登用は、平等という理想に向けて米国が苦闘を続けている表れともいえる。人種問題という「最も深い断層」(オバマ大統領)を埋める象徴としての役割を、米政府は、素朴な顔立ちの一女性に託したのではないかと想像してみる。
    *
 6月、差別と闘い続けたボクシングのモハメド・アリ氏が世を去った。五輪で金メダルに輝いて帰郷したが、レストランで「黒人はお断りだ」と拒まれ、怒りからメダルを川に投げ捨てた――。よく知られた「伝説」の真偽はともかく、彼の故郷を流れるそのオハイオ川は、タブマンの時代に逃亡奴隷が自由を得るために越す最後の関門のひとつだった。
 当時の名高い小説「アンクルトムの小屋」でも、奴隷の母親が坊やを抱いて荒れるオハイオ川を必死に対岸へたどり着くくだりは忘れがたい。これには実在のモデルがあったと言われている。
 アリ氏の「伝説」からもう一つ思い出すのは、退任も間近になったオバマ大統領の就任演説の一節だ。「つい60年ほど前はレストランで食事もさせてもらえなかったかもしれぬ父を持つ男がいま、あなた方の前に立っている」。これを聞いたときも、黒人初の米大統領の言葉にタゴールの詩句が重なったものだ。
 ――いつの歴史をみても、正しさはマイノリティー(少数者)の勇気あるチャレンジから始まっている。その事実にもっと謙虚で、敏感でありなさい――。人種問題だけではない。詩聖は100年の歳月をこえて、そう語りかけてくる。

Wikipedia
ハリエット・タブマン(Harriet Tubman, 1820または1821 - 1913310)は、アメリカ合衆メリーランドドーチェスター郡出身の奴隷、後に奴隷解放運動家、女性解放運動家。
特に、地下鉄道(アンダーグラウンド・レールロード。アメリカ北部やカナダへ黒人奴隷が逃亡するのを援助する秘密結社)の女性指導者のひとり。その功績から尊敬をこめて、「女モーセ」「黒人のモーセ」(Black Moses) とも呼ばれた。古代エジプトで奴隷となっていたイスラエル人カナンの地へ導いた、古代の預言者モーセになぞらえてのことである。
2020に発行される20ドル札で、アフリカ系アメリカ人として初めてアメリカドル紙幣にデザインされる事が決まった。
来歴[編集]
出生[編集]
メリーランド州で、黒人奴隷である両親から生まれた。生まれたときの名はアラミンタ・ロス。ハリエットは母親の死後、母の名から取って名乗ったもの。5歳からメイド兼子守りとして働きはじめた。1844ごろ、同じく奴隷であるジョン・タブマンと結婚した。長年の奴隷生活に堪え、奴隷監督からの殴打などを含む虐待に耐えた。奴隷監督から頭部に受けた殴打は後遺症を残し、生涯ルコレプシー(突然睡眠症)てんかんに悩まされることになる。
奴隷解放運動から南北戦争への従軍[編集]
1847、奴隷主が死に、奴隷が売られると聞いたことをきっかけに、脱出を渋る夫を残して北部のフィラデルフィアへ逃亡した。逃亡の途上、奴隷解放運動主義者で合法組織である地下鉄道を支援していたクェーカー教徒に助けられる。フィラデルフィアではレビ・コフィンーマス・ガレットフレデリック・ダグラスジョン・ブラウンらの奴隷解放運動家と交流を持ち、地下鉄道の「車掌」としてその運行をはじめた。
後述の半生記によれば、1850から1860の間に約19回の南部との往復を繰り返し、300人余りの奴隷達の逃亡を助け、自由に導いたとされる。ハリエット・タブマンは一度も捕まらず、「車掌」として成功をおさめ、その活動のリーダー的な存在になったという。そのためタブマンに掛けられた賞金額は合計4万ドルを超えたという。しかしケイト・ラーソンの研究によれば、実際に助けたのは13回の往復で70-80人ほどであり、掛けられた賞金も50-100ドル程度という説もある。
南北戦争中はコックおよび看護婦として働くとともに、北軍のためのスパイをも務めた。この任務においても、タブマンは一度も捕えられることはなかった。
南北戦争後[編集]
南北戦争が終わり、南部での奴隷解放の後も、黒人と女性の権利のために活動家として活躍した。伝記筆者セーラ・ブラッドフォードの協力を得て、1869に半生記『ハリエット・タブマンの生涯の情景』を出版した。これはタブマンの財政的困難を著しく改善したが、先述のように歴史資料としては誇張や美化も多いとされる。南北戦争後30年を経過するまで、戦争中のスパイとしての軍務活動にも関わらず、タブマンには政府からの恩給が支給されなかったからである。同年、黒人の退役軍人・ネルソン・デービスと再婚した。
ジョン・ブラウンはタブマンを「タブマン将軍」と呼び、「この大陸でもっとも勇敢な人物」と評した。フレデリック・ダグラスもまた、「ジョン・ブラウンを除けば、奴隷の逃亡を助けるため、タブマン以上に危険で困難な仕事をした人物を挙げることは出来ない」と述べている。
晩年は、ニューヨーク州に拠点を構え、身寄りのない元奴隷や戦死した黒人兵の遺族への支援を続けた。1913肺炎で死去。93歳であった。臨終の際には、仲間や助けられた人々、支援者が集まり「スイング・ロウ・スウィート・チャリオット」を歌ったとされる。
ドル紙幣への採用[編集]
2020に行われる予定の新20ドル札で、タブマンを表面にデザインし、それまで表面に採用されていたアンドリュー・ジャクソンを裏面に移すと発表された。アメリカドル紙幣にアフリカ系アメリカ人がデザインされるのは初となる。
当初は2020年に発行される新10ドル札で女性がデザインされ、新20ドル札は2030発行予定だった。しかし、「女性に参政権が与えられてから100年の節目となる2020年に20ドル札の変更を」という草の根運動により、10ドル札の変更は見送られ、新20ドル札が繰り上げて発行されることに決まった。


次期米大統領選、ガラスの天井砕けるか  編集委員 小竹洋之 
2019/2/8 6:30 日本経済新聞
202011月の次期米大統領選に向け、野党・民主党の候補者が相次ぎ出馬を表明している。再選を目指す与党・共和党のトランプ大統領に挑むのは誰か。異端の指導者に異を唱える多くの候補者が名乗りを上げ、最後までしのぎを削る見通しだ。
カマラ・ハリス上院議員はジャマイカ系の父とインド系の母を持つ
エリザベス・ウォーレン上院議員はハーバード大学の元教授

見逃せないのは女性候補者の出馬ラッシュである。エリザベス・ウォーレン、カマラ・ハリス各上院議員らが早々に参戦し、男性候補者のフリアン・カストロ元住宅都市開発長官やコリー・ブッカー上院議員らを上回る存在感を示している。
1811月の連邦議会中間選挙を経て、米議会の女性議員は過去最多の127人となった。上院議員が25人、下院議員が102人で、このうち民主党が17人、89人を占める。
人種や性を巡る差別発言を繰り返すトランプ氏に「NO」を突きつけるため、多くの女性が立ち上がった結果だ。その余勢をかって、最も高くて硬い「ガラスの天井」まで砕けるかどうかが注目される。
20年は女性参政権100年の節目
米国の女性たちにとって、20年は重要な年である。憲法修正19条に基づき、女性の参政権が認められてから100年の節目を迎えるからだ。
オバマ前政権は16年、19世紀から20世紀にかけて奴隷の解放に尽くした黒人女性の活動家ハリエット・タブマンの肖像を、20ドル紙幣の表側に採用すると発表した。女性参政権100周年に当たる20年に、新札のデザインを公開することになっている。
こうした背景もあって、米国の女性団体などは16年大統領選でのヒラリー・クリントン元国務長官の勝利を強く願った。米史上初の女性大統領とともに、女性参政権100周年とタブマンの20ドル札を祝いたかったのだ。
クリントン氏はその夢を断たれたが、記念すべき20年にウォーレン氏やハリス氏らの当選を望む女性たちの期待は高まるだろう。そんな風が次期大統領選に吹くことも、見落としてはならない。
女性の政治参画、米国は世界98
もっとも、政界を目指す女性たちの壁はまだまだ厚い。世界経済フォーラム(WEF)が男女平等の度合いを算出した18年版の「ジェンダー・ギャップ指数」をみると、米国は調査対象149カ国の51位。このうち政治の分野では98位にとどまっており、経済の19位や教育の46位に比べて女性参画のランキングが低い。
女性議員が過去最多になったとはいえ、上院では25%、下院では23%を占めるにすぎない。列国議会同盟(IPU)によると、世界193カ国の平均は上下両院とも24%18121日時点)で、ようやく標準的なレベルに達したところだ。
女性の政治参画に注がれる国内の視線も、温かいものばかりではない。米ピュー・リサーチ・センターの18年の世論調査によると、政界で高い地位を得る女性が少なすぎると答えた人は民主党員で79%、女性で69%に上ったのに対し、共和党員では33%、男性では48%にとどまった。
クリントン氏がつないだバトン
クリントン氏は17年の回顧録(邦題「WHAT HAPPENED 何が起きたのか?」)にこう書いている。
「政界において女性であることは、容易ではない。これは控えめな表現だ。場合によっては苦しみであり、屈辱にもなりうる。女性が前に進み出て、公職選挙に立候補すると言った瞬間に、それは始まる。彼女の顔、体つき、声、態度の分析。彼女の才能、考え、業績、誠実さへの誹謗(ひぼう)。信じられないほど残酷になりうる」
まして大統領選ともなれば、そのプレッシャーは並大抵ではあるまい。クリントン氏がたどった険しい道を、ウォーレン氏やハリス氏もまた通らなければならない。
20年の次期大統領選の行方を現時点で見通すのは難しい。トランプ氏再選の可能性も十分に残る。だが「ガラスの天井」を砕こうとする女性たちの挑戦がやむことはない。クリントン氏が託したバトンは確実に受け継がれていくだろう。
小竹洋之(こたけ・ひろゆき) 1988年日本経済新聞社入社。財務省や日銀、電機大手などを担当した。経済部次長、ワシントン支局長を経て、20184月から編集委員兼論説委員。専門はマクロ経済、財政・金融政策、国際情勢。著書に「迷走する超大国アメリカ」


(多事奏論)人種差別撤廃 負の歴史に向き合ってこそ 望月洋嗣

2023114日 朝日

 米国では1月の第3月曜日は人種差別撤廃に献身したキング牧師の誕生日にちなんだ「マーチン・ルーサー・キング・ジュニア・デー」の休日だ。このキング牧師に並ぶ歴史的な人物ながら、日本では知名度が低い黒人女性、ハリエット・タブマンについて書きたい。

 米国に奴隷制度が存在した19世紀、首都ワシントンに隣接するメリーランド州で黒人奴隷の両親のもとに生まれた。逃亡して自由になったあと、逮捕の危険を顧みずに家族や知人たちの救出に奔走。奴隷の解放を目指した非合法組織「地下鉄道」に参加して70人を救出、数百人の逃亡を支援したとされる。南北戦争でも奴隷解放を掲げた北軍で看護師やスパイとして活躍。その功績がたたえられ、オバマ政権の2016年、黒人女性として初めて、紙幣(20ドル札)の肖像に採用されることが決まった。

 出身地の同州ドーチェスター郡には、壮絶な一生を紹介する公立施設が6年前にできた。鎖につながれて売られた2人の姉たちとの別れ、真冬に凍るような川で強制された素足での狩りなどが、映像や人形などで再現される。奴隷生活の過酷さと「黒人にとってのモーゼ」と呼ばれたタブマンの勇気と不屈の精神が強く印象に残る。施設の北方約200キロにかけては、ゆかりのある歴史的な建物や土地45カ所が史跡として整備され、「負の歴史」をいまに刻もうとする米国の確固たる意思が感じられる。

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 1913年に亡くなったタブマンは、没後1世紀以上を経てなお、多くの人を触発する。黒人作家コルソン・ホワイトヘッド氏(53)もその一人。タブマンに想を得た小説「地下鉄道」(16年、邦訳は早川書房刊)で奴隷制を生んだ人間の不条理をいまの読者に届けた。南部の農園から逃亡する黒人少女を舞台回しに、19世紀の奴隷、20世紀の黒人差別にまつわる場面を、サスペンスにあふれたストーリーで描く。作品はピュリツァー賞、全米図書賞などに輝き、40カ国以上で出版され、21年にはアマゾンでドラマ化された。

 ホワイトヘッド氏は、主要な登場人物にこんな言葉を語らせる。「この国は存在すべきではなかった。もしこの世に正義というものがひとかけらなりとあるならば。なぜならこの国の土台は殺人、強奪、残虐さでできているから。それでもなお、われらはここにいる」(谷崎由依氏訳)

 この一節に込めた思いを尋ねた私に、ホワイトヘッド氏は「私たちは弱い生き物だ。米国でも、ほかのどの国でも、高い理想に従って生きるのは、想像するよりずっと複雑で難しい」と言った。米国の人種差別は「自分が死ぬまでに変わらない」とも。「地下鉄道」を書いたのは、自らが抱く米国の歴史への懸念を表現するためだったという。

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 年明け最初の土曜日、タブマンの展示を見学していた黒人男性のウィリアム・ウィンさん(70)は「タブマンは勇敢で、『自由の闘士』と呼ぶにふさわしい。でも、彼女が勝ち取った自由はこの数年、脅かされている」と、うつむいた。トランプ政権でいったん延期され、バイデン政権が実現を約束したタブマンの20ドル札の行方も心配だという。

 黒人のジョージ・フロイドさん(当時46)が白人警官に首を圧迫されて死亡した20年の事件後、人種差別への問題意識は高まり、状況改善が期待された。しかし、昨年夏に発表された黒人対象の調査によれば、8割が人種差別を経験し、65%が期待した改善はないと回答している。

 奴隷制度の歴史や人種差別を語ることこそが、差別を助長するという意見も広がりを見せる。そんなはずはない。負の歴史、社会の暗部に向き合ってこそ、変えるべき課題が見えてくる。「自由の味を知りたければ、前進しなさい」。タブマンが残した言葉はいまなお重い。

 (アメリカ総局長)


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