NEVER LOST AGAIN  Bill Kilday  2019.4.7.


2019.4.7.  NEVER LOST AGAIN グーグルマップの誕生秘話
NEVER LOST AGAIN: The Google Mapping Revolution That Sparked New Industries and Augmented Our Reality 2018

著者 Bill Kilday 地図と拡張現実におけるテクノロジーとゲームマーケティングの分野で25年のキャリアを積む。デジタル地図分野のスタートアップ、キーホールのマーケティングディレクターを務め、その後グーグルジオ部門ではマーケティング・リードとなる。在任中にグーグルマップとグーグルアースのローンチに携わる。現在はナイアンティックのマーケティングVP。ナイアンティックはグーグルからスピンアウトした企業で、イングレスやポケモンGO、今後リリース予定のハリー・ポッター:ウィザード・ユナイトなどGPSベースのゲームを手掛ける。8人兄弟の末っ子として67年?テキサス州ヒューストンに生まれ、テキサス大卒後、オースティンの新聞社でマーケティングに従事。99年友人とともにキーホール立ち上げ。現在は家族とオースティンに在住。ひどい方向感覚の持ち主

訳者 大熊希美 東京都生まれ。カナダとオーストラリアに計12年在住。上智大総合人間科学部心理学科卒後、金融業界を経てスタートアップ企業に転職、その後ライター、翻訳業。167月、テクノロジーメディアテッククランチジャパンの編集ライターとして、ポケモンGOの日本ローンチを伝える記事を書く

発行日           2018.11.20. 初版第1刷発行
発行所           TAC株式会社 出版事業部 (TAC出版)

私たちには切り札があった
彼はどんな状況であろうと、必ず解決策を見つけてくるのだ

序章 出発点
テキサスからボストンに移り住んで、通い慣れた道であろうことか迷ったら最後家に帰る道を見失った
地図とナビゲーション技術の発展により、2010年までには世界は一変。道に迷うとはどういうことかを知る最後の世代
キーホールが何とか立ち上がったのが1999年。資金が底をつきかけたのが02年。翌年CNNCIAのベンチャーキャピタル部門In-Q-Telの出資で息を吹き返し、04年同じ創業5年のグーグルに買収
グーグルは、その年地図会社を2社買収。キーホールはその1社で著者はマーケティング・ディレクターだったが、新たなグーグルの機能開発のチームに入る
グーグルの検索の質問のうち25%が地図に関連するものだった
その後6年で新たな地図サービスは月間10億人を超えるユーザーに利用されている
関連した新たな産業も生み出す ⇒ イェルプ、オープンテーブル、ジロー、プライスライン、ウーバーなどが、グーグルマップAPI(Application Programming Interface)を通して無料で公開された究極のベースマップを活用して開始したサービス
08年グーグルは地図事業への投資を加速させ、無謀なムーンショットプロジェクト(アポロ計画からきた表現で、壮大なプロジェクトの意)2つ始動 ⇒ ストリートビューとプロジェクト・グラウンドトゥルースで、自動運転の開発の契機にもなっている

目的地は? スタートアップ時代
Chapter1.     スーパーマンみたい
テキサス大の同級生ジョン・ハンケが、1999年にソフトウェアのエンジニアとともにオースティンにやってきてデモを見せる ⇒ 住所をインプットすると、その住所が映し出されるという優れもの。会社もキーホールの名で設立。earth.comのドメインを既登録者から譲ってもらおうとしたが不成功。デモは素晴らしかったが、資金調達は最悪のタイミングで失敗に終わる

Chapter2.     パワーズ・オブ・テン
1982年創業の3Dグラフィックス製作の業界のパイオニア企業SGIがイノベーションの中心で、そこから独立したジョンはクリップマッピングというグラフィクスの専門分野における技術開発を進める ⇒ 多重解像度の画像を複数枚読み込み、組み合わせることで切れ目のない1枚のモザイク画像を生成する特許技術で、必要最小限の画像だけを計算して表示するために、全てのデータをロードするより断然早い画像体験を提供できるところから、99年初めにはフライトシミュレーターやテレビゲームに応用
1977年制作の映像作品《パワーズ・オブ・テン》は、建築家があらゆるもののサイズを比較することで、世界の大きさを説明しようとした作品 ⇒ 斬新な視覚効果に優れる
地球のデジタルモデルを作るというアイディア ⇒ 仮想空間に描かれた地球の3D模型を使って、多くの科学的、文化的知見を得られるようになる
パソコンでも使える地球のデジタルモデルを作ったのは、キーホールの前身であるイントリンシックのマイケル・ジョーンズたちが初めてで、宇宙空間にある地球から地上を映した高解像度の画像にズームすることが出来る(NASAからダウンロードした写真)
開発にあまりにも金がかかることから、スピンアウトすることになり、CEO候補として採用されたのがジョン・ハンケ
キーホールは、アメリカのスパイ衛星の名前が由来 ⇒ 1990年代終盤、11代目の軍事偵察衛星キーホールが地球の周りを移動し紛争地域を撮影
画期的なアイディアではあったが、最新のパソコンでしか使えなかったのがネックとなり、資金調達も難航
その間、著者はボストンのインターネット・マーケティングのコンサル会社新設にマーケティング担当としてスカウトされ移住
01年初頭キーホールはソニーベンチャーキャピタルからの資金調達に成功して独立、インターネットで地図を扱う方法を劇的に変えるソリューションを構築。サーバー上で大量のデータを事前処理することから始まり、地球全体を覆うように複数の解像度の地図データをキルト状につなぎ合わせて最適化する。そのうえで専用のアプリによりクライアント側でも複雑なコンピュータ処理を行う。十分なインターネット接続環境があれば、遅滞なく地図を動かして閲覧できるが、最新性能を要求するために世界のパソコンのうち使えるのは15%に過ぎなかった
当時のパソコンでも使える地図調べのソフトはマップクエストで、社名がそのまま動詞となるほど市場の90%を独占、96年にAOL10億ドルで買収している
キーホールの差別化要素は滑らかな3Dアニメーションにあった
元々携帯電話には、緊急発進位置を特定するためにGPSチップの搭載が法律で義務付けられていたが、それが役立つまでには障碍がいくつもあった

Chapter3.     緑のフォルダー
013月ボストンの新聞社は全員を解雇 ⇒ 解雇手当用の書類が緑のフォルダーに挟まれていた
パートタイムでキーホールの仕事を手伝う ⇒ キーホールはブロードバンド通信業界大手のエキサイト・アットホームのユーザーに対する地図サービスであるキーホールアースビュアーを提供する契約を締結したが、ドットコムバブルの崩壊でエキサイトも破綻
GISという地理情報システムで、位置情報に関するデータを作成したり、分析したりするための企業向け地図ソフトウェアの業界は、最大手エスリEsri: Environmental Systems Research Instituteが独占 ⇒ 1970年代に、もともとデンジャモンドがハーバード大のデザイン大学院時代に景観設計用のソフトとして開発したものをデジタル地図ソフトウェアであるArcGISに発展させ、エスリのソフトとして普及、あらゆる業界で使用されていたが、使い方が複雑で、すぐに使えるデータがなく、遅いという3つの欠点があり、専門家でないと使いこなすのは困難
キーホールの技術を使って、誰でも使える簡単なGIS地図アプリの作成を目指す
キーホールアースビュアーに必要なコンテンツとしての地図データの多くは税金で撮影されたパブリックドメイン(知的財産が発生しない)のもので、そのうち警察や消防署といった公共機関が自分たちの管轄の地区の画像データを送ってきてキーホールにインプットしてほしいと連絡が入る
キーホールのベースマップは、NASAが無料提供している「ブルーマーブル」というデータセットで、00年に衛星が撮影したものだが、解像度が不足 ⇒ 1992年議会でリモート・センシング政策法が成立、衛星を商業利用できるようになり、軍事目的以外での衛星による高解像度撮影が合法となったのを機に、ロッキード=マーティンとレイセオンが合弁でスペースイメージングを設立、イコノス衛星を打ち上げて1m四方の解像度で写真撮影できる技術を開発していた(画像の1ピクセルが地表の1㎡に相当する解像度)
それを上回る解像度の画像を提供したのがデジタルグローブ社で3つ目の衛星「クイックバードII」は01年打ち上げ、当初任務期間5年を超えて13年も稼働、地球を7000周する間、絶え間なく0.7m解像度で地上を撮影し続けた。画像の1ピクセルが地表の0.7㎡に相当する解像度で、車の車種や色まで判別可能
データ獲得の2番目は航空機撮影の画像データで、衛星写真より解像度が高く、最良で1ピクセル当たり15㎠。地方政府機関の依頼で撮影されることが多かったので、政府機関に自分たちのデータが閲覧できるようにキーホールアースビュアーのライセンスの提供を見返りに、データの提供を依頼
更に3つ目の戦略として、空中写真を取り扱う会社から直接画像を買い取ることを考え、小規模だが野心家の起業家JRロバートソン率いるエアフォトUSAとコンタクト、すでに国内の100以上の大都市の高解像度の空中写真はもとより、今後撮影するすべての画像を納品するよう申し入れ、更に画像はすべてキーホールアースビュアーのデータベースにインポートし、そのデータベースへのアクセス権を販売する権利も要求。通常JRは政府機関の依頼で航空機を飛ばし、空中画像を撮影するのに40万ドルを請求していたが、ジョンは代わりに、ライセンス料の25%をロイヤリティとして支払うことを提案して成約
キーホールアースビュアーは実質的に2つのプロダクト ⇒ 1つはコンピュータにインストールして使うソルトウェアであり、もう1つは空中写真のライブラリーにアクセスできるサブスクリプションサービスで、ウェブサイト版はセキュリティの理由から避けた
販売価格も革新的 ⇒ 当時、8km四方の衛星写真は11万ドル以上していた
まずはB2Bモデルにピボットし、法人顧客の開拓から始める
年間利用料1200ドルで016月不動産業界に挑戦、最優秀不動産テクノロジー賞を受賞したが、成約したのは僅かに11件、コストは回収したが、期待外れに終わる
携帯端末やパームパイロットなどPDA:Personal Dijital Assistanceの普及が追い風
1年後の不動産業界の全米ショーで、599ドルの特別価格を提示し、サブスクリプションの売り上げが10万ドルを超え、最初のマーケットを見つけることに成功

Chapter4.     ガス欠
商業不動産市場での成功はよかったが、あくまで目標はコンシューマー相手の製品化
グラフィックプロセッサー業界の雄、エヌビディアは1993年設立、GPU: Graphics Processing Unitを社会に普及させることに成功、GPUは一般の消費者が手に入れられるコンピュータでも3次元ゲームを描くのに必要な計算処理を行うソフトで、新たな市場や業界が成長する基盤を作り、02年の時価総額は100億ドルを超えていた
エヌビディアは、キーホールとの提携により、ゲーム業界以外にもすそ野を広げることが出来ないかと考えた。アースビュアーは複雑な3D処理を行っているため、それを使うためにはグラフィック処理に特化したプロセッサーが必要
キーホールはエヌビディア限定のコンシューマーバージョンを制作し、その代わりエヌビディアは自社のグラフィックカードとソフトウェアのアップデートにアースビュアーを加えることと、50万ドルの資金提供を約束。アースビュアーからプロ向けの機能を排したバージョンを作成し、「アースビュアーNV」と名付け、年間利用料79.95ドルとした
エヌビディアから、ストリートレベルまでズームインできないかとの質問があり、何百万マイル分の画像データが必要で、実現に20年以上はかかると予想しつつ、その後の開発のヒントとなる
コンシューマーの反応は素晴らしく、売れ行きは順調
日本で3Dゲームの制作販売に特化したゲーム開発会社のシリコンスタジオからアースビュアーの独占配信の申し出があり、50万ドルで成約
デジタルグローブからも、世界の都市を収めた画像データの利用権を獲得 ⇒ 日本進出もあって世界規模の画像収録が必要になったことに加え、衛星写真は解像度は低くても四六時中国境にも関係なく最新データを膨大に入手できるという利点がある
余りの解像度に、自分の物件を削除してほしいとの照会が来て、返答に窮する
更なる拡販を求めて新しい市場の開拓に邁進 ⇒ CNNはテレビ局がニュース現場を伝えるためにアースビュアーを活用
資金調達を求めて友達と家族に話を広げ、50万ドルの調達に成功
軍のために世界各国の地図を制作する政府機関、アメリカ国家地球空間情報局(NGA)と接触、CIANGAが出資するIn-Q-Telともコンタクトをとる
02年末には再び資金難に陥り、給与の株式払いなどまでやった

Chapter5.     状況分析室
03CNNとの契約が出来て75千ドルが入り息をつく。アメリカによるバグダッド爆撃をズームインして表示した結果、CNNの画面にキーホールの名前が表示されトラフィックが爆発的に上昇、サーバーが落ちるまでになる
同時にIn-Q-Telからの投資150万ドルの話もまとまり、投資契約にはタイトなスケジュールでプロダクトを納品することも含まれ、他のすべての仕事をストップさせて、新しいプログラムも書いている傍から納品されていった
CIANGAも自分たちが所有している膨大な衛星画像をキーホールのシステムにインポートする予定だったが、それは偵察衛星が交戦圏を上空から撮影したもので、キーホールが入手できるものより遥かに高い解像度を誇っていた
CNNが引き続きキーホールを使って戦争の状況を伝えていたことで、軍関係者以外の人の目にも留まったことが、あらゆるビジネスやコンシューマーの関心を得ることに繋がる
イラク侵攻がターニングポイントとなったのは間違いない ⇒ 他のテレビ局も利用
画像オーバーレイという新しい機能も搭載 ⇒ 表示された場所の過去と現在を比較して見る機能

Chapter6.     カーテン裏
キーホールのソフトウェアに加えた最も重要な機能がKML ⇒ 地図と地理情報に書き加えた情報を他のユーザーと共有できるソフト
GPS付きのカメラ4台を車に乗せ、まるでサイボーグ芝刈り機のような装置
エスリのデンジャモンドから提携の話が来たが、ジョンは可能性を狭めたくないとして、提携に消極的

Chapter7.     シリーズBかシリーズG
04年春になると、ベンチャーキャピタリストの動きが活発化、シリコンバレー全体でもウェブ2.0という曖昧な標語の下に新しいイノベーションの波を育むための資金が流れ始めた
投資の話が入り出したころ、世界のトップニュースとして上場日を発表したグーグルが、その同じ日にキーホールを買いたがっているという話を聞かされる。上場は4か月先での評価額は270億ドルと推定されスタートアップの寵児となった
ただ、元々グーグルは地図サービスをやっていないため、提示価格30百万ドルより、キーホールを買って何をしようとしているのかが疑問 ⇒ 地図や地理データを中心に、あらゆる種類のデータが整理されるとともに、既存のデータを遥かに上回る画像データが提供されると聞いて、買収提案に応じることとなる
契約締結直前になって特許侵害訴訟が提起される ⇒ キーホールの競合相手と称するイスラエルが本拠のスカイライン・ソフトウェアが提訴、IPO前の買収はならず

再計算 グーグルでの年月
Chapter8.     ラッキーな気分
29人の社員全員に買収を伝え、全員が雇用されることが条件
キーホールアースビュアーの価格を一律50%値下げが、買収時の唯一の変更。プロダクト名にPowered by Googleを加え、統合後正式にグーグルの名を冠したリブランドする予定
グーグルでは、ユーザーのためになるプロダクトを作ることと、テクノロジーで世界を変えることだけにしか関心がない。売上とか価格の話はほとんど出ない
チームを2つに分け、1つはアースビュアーのグーグル版を作ること、もう1つはグーグル地図プロダクトの開発支援
04.10.15.買収契約締結 ⇒ 29人誰一人欠けていい人物はいなかった。強力な後ろ盾となる。アーンアウト条項(買収金額の一部の支払いを買収後の目標達成と引き換えにする契約)のマイルストーンは50万ユーザーの獲得

Chapter9.     33名分の席
買収後のグーグルでの最初の会合には、滅多にないことだが、ラリーとセルゲイが揃って顔を出し関心度の高さを示す
ラリーとセルゲイが開発したアルゴリズムの他の検索エンジンとの違いは、ウェブページに登場するキーワードの数でランク付けを行うのではなく、他のページにリンク付けされている数を見ている点 ⇒ 本当にいいコンテンツを提供するサイトにしかリンクは貼られない。論文が引用数によって評価されるのと同じ理屈
ラリーとセルゲイの関心は、世界の地図データベースを作るために用いた計算処理とテクノロジー
グーグルの地図プロダクトチームは4名。元々創業から1年でグーグルに買収されたウェアツーテックから来た人たちで、間違いなくマップクエストより表示スピードの速いマップタイルを提供していた ⇒ 彼らがキーホールのデューディリジェンスを担当
インターネットブラウザは早いユーザー体験を実現するため、より複雑な処理がこなせるように進化。先導したのはファイアフォックスのAjaxという新技術で、ユーザーが見ているウェブサイトの画面表示を崩さないままバックグラウンドで他のデータを読み込むことが出来るようになり、データの安全性を守りながらブラウザ内で早くインタラクティブなサービスを作ることが可能となった
0410月グーグルの上場後初の決算発表は、アドワーズが驚異的な水準で利益を出し、史上最も早くゼロから10億ドル企業に上り詰め、株価も公開時の85ドルから190ドルにまで跳ね上がる
キーホールもヌーグラー(新しく入ったグーグル社員)として社内に紹介され、2500人に増えた全社員に対しアースビュアーを見せると、驚きの声が上がる

Chapter10.  ディナーを賭けて
グーグルにおける開発の総責任者は、ジョンの話を聞いて、すでに確立したビジネスとして、ぶち壊さないという方針を出す
ところが、マーケティングのトップ・マリッサは、位置情報を含む検索も検索の一種と捉え、独自のプログラムの開発を進めたため、情報提供がキーホールとダブることもしばしば起こるようになってきた
地図と位置情報に基づいてデータを記録しているデータベースで、ウェアツーテックのプロトタイプを基にしたグーグルマップは史上最高の音楽再生アプリを開発したかもしれないが、キーホールはすべての楽曲を持っていた。交通網、企業情報、国境、公園や建物といった目標物、空中写真などのデータはキーホールが持っており、グーグル地図チームが始めたプロジェクトを加速させる絶好の立ち位置にいた
マリッサは、2つのチームの共通目標を定め、グーグルマップを3か月後にローンチするとした ⇒ キーホールのデータをグーグルマップに統合する
データ統合には1週間を目標として賭けをしたが、デューディリジェンスで中身を知っていたウェアツーテック出身者たちは24時間で統合を仕上げてしまう
ところが、写真データのプロバイダーから、ウェブ版のサービスでユーザーに無料提供する許可をとっていなかったため、すぐには使えない
もう1つの特徴的機能がグーグルの検索ボックス ⇒ 年1回開催されるプログラミング・コンテストで、グーグルの持つウェブサイト90万ページに及ぶデータにアクセスしそのクリエイティブな使い道を考えプロジェクト化することが競われるが、その第1回で優勝したプロダクトが「ジオグラフィック検索」で、ウェブページに記載のある住所を読み取り、その位置を地図で表示するというもの
グーグルのミッションとして「世界の情報を整理すること」を掲げるが、このプロダクトのアルゴリズムは、「世界の情報を地理的に整理すること」を意図している ⇒ 04年「地理上の関連性に基づいた情報をインデックスする技術」という名称で特許を取得
この技術が持つアルゴリズムにより、企業に関わる最新の位置情報を豊富に収録するとともに、データベースを更新していくことで、地図の生命線である記載された情報の正確さを確保
グーグルローカル ⇒ ロケーションによるグーグル検索を担当。グーグルマップ、キーホールと連携してプロダクトを完成に導く

Chapter11.  グーグルマップマニア
052月ローンチ ⇒ 3つの特徴的機能を具備
    早く滑らかにブラウザで表示される地図
    空中写真と衛星写真の巨大なデータベース ⇒ ロイヤリティの大幅増額で決着
    最新の地理情報を包括的に検索できるグーグル検索機能
デジタルグローブに写真データを頼ることとし、画像データ1㎢につき1ドルとして300万ドルの予算を取りにラリーとセルゲイに行ったら、無人島や砂漠など不要地域も含めた800万㎢全部のデータを買い取ることに ⇒ データがでかすぎてローンチには間に合わず、キーホールのデータベース抜きでローンチ
グーグルマップを世界に公開したが、この時点ではアメリカ国内のデータしかなかった
正式発表の前夜にサービスを公開。誰にも見つからないと踏んだが、前夜からトラフィックが増加し始め、公表の1時間前には「スラド」されていた。業界で有名なテック系ニュ-スを扱うウェブサイトのslashdot.orgで誰かがグーグルラボの奥深くに登場した新しい地図サービスについてスレッドを立てていたため更にトラフィックが増え、ローンチ後24時間分として予想していたトラフィックとサーバー容量をすでに超えていた
同年7月次にグーグルマップを展開したのは日本、次がイギリス、次いでアイルランド、フランスの順
アメリカでは大成功
キーホールの全データを「サテライト・イマジェリー」としてローンチしたのは4月 ⇒ 一番高い解像度まではズームインさせないという制約や、copyright Google 2005という著作権を薄く表示するという譲歩
グーグルがキーホールを買収した理由が漸く分かってきた ⇒ 世界のあらゆる場所を探す方法を劇的に変える地図プロジェクトを考えていた
名称変更 ⇒ 単なる地図サービスではないことをアピールするため、グーグルマップからグーグルローカルへ変更

Chapter12.  新しい業界の誕生
グーグルは創業以来、ソフトウェア開発者コミュニティと良好な関係を築くことに注力
企業が自分たちのデータやツールを開放して、開発者コミュニティによるイノベーションを促進することに意義を感じていた ⇒ 企業はアプリケーション・プログラム・インターフェースAPIという形で自社の技術をコミュニティに提供するが、グーグル検索においても、開発者が他のウェブサイトでカスタマイズ検索を可能とするAPIを提供
自分たちが持つデータを使って独自のグーグルマップを作る動きが加速 ⇒ 最初に人気を集めた用途は物件探しで、ローンチからわずか3日後にシスコの物件地図サイトが登場独自のデータベースと地図を重ね合わせたものをマッシュアップサイトというが、次いで出たのが犯罪統計サイト。グーグルマップがアプデ―としてもベースマップとして使えるよう、公式無料サービスの「グーグルマップAPI」も続けてローンチした
マイクロソフトが追随を発表したのに対抗して、グーグルの地図関連グループを統合した「グーグルジオ」を設立しジョンがリーダーとなり、マリッサはマップから離れた
結果的にウエアツーテックチームの4名は結成から2年で消えたことになるが、シドニーの小さなアパートで始まった地図プロジェクトのデモは、僅か18か月の間にグーグルの引き起こした地図革命のすべての基礎になった

Chapter13.  ハロー、グーグルアース
056月には「グーグルアース」としてさらに性能をアップさせて公開 ⇒ キーホールアースビュアーの10倍の衛星画像データにアクセス可能、サービス速度の向上等を備えながら、マス利用促進のために利用料は無料、登録すら不要
ローンチから最初の28時間でアーンアウト条項のマイルストーンである50万ダウンロードを達成。2年先に設定した目標をわずか28時間で突破しあが、あまりのトラフィック量にサーバーが耐えられず、ダウンロードの一時停止に追い込まれ、その後も再開と停止を繰り返した
台湾を「台湾 PRC」と表記したことに対する抗議デモに次いで、ニカラグアとコスタリカの間でも国境線を巡って問題発生、韓国も「日本海」という表記に抗議するなど、常時30か国以上が国境を巡る争いをしている ⇒ グーグルのカントリーマネージャーと協力して決断するが、国連の表記が基準。両論併記もある。アクセスする場所によってグーグルマップのバージョンを切り替える方法もとる

Chapter14.  惑星のダッシュボード
058月ハリケーン・カタリーナがルイジアナ州に上陸した際は、NASAと米国海岸大気庁NOAAが街の様子を撮影した最新画像を入手してマップのアップデートに成功。ニューオーリンズの市民はグーグルアースの画像で初めて自分たちの街や自宅の被害状況を見ることになったり、沿岸警備隊が屋根裏などに取り残された住民を救助するのにグーグルアースが役立った ⇒ 911にかかってきた救助要請の電話に対し、居所を確定。マウスを特定の住所に合わせるだけで緯度経度標高などの正確な情報を取得できる
環境活動団体が商業目的の森林伐採業者に対抗するためにもグーグルアースが活躍
海底の様子を地図に落とし込むグーグルオーシャンも2011年には始動
最大のプレゼントは、2006年のパサデナでのローズボウルのVIPチケットの入手 ⇒ 競技場のジャンボトロンディスプレイに映す映像制作の手伝いに駆り出され、たまたまその年は無敵のUSCトロージャンズが3連覇を狙うのに対し、35年間で初めてテキサス・ロングホーンズが挑戦するという、母校テキサス大の試合を仕事がてら観戦。しかもチケットはフィールドの中央から観戦するだけでなく、試合の前後にはフィールドにも入れるもの。同じく卒業生のジョンも一緒に観戦。試合はロングホーンズが最後の90秒の4thダウンで90ヤードから走って逆転4138で勝利するという大学フットボール史上でも最も興奮する試合となった

Chapter15.  青いドット
06年ラスベガスでのコンシューマー・エレクトロニクス・ショーでグーグルアースのデモを行なったが、グーグルがブースを出したのはこの年が最初で最後
ラリー・ペイジが基調講演に登場。前年ビル・ゲイツは、発表したばかりのウィンドウズ・メディアセンターを紹介しようとした際、プロダクトがクラッシュしてブルースクリーンが映ってしまったという失態に対し、ペイジのプレゼンは、スタンフォード大のグループが制作した自動運転車「スタンリー」がどのように機能するかを説明。自動車の屋根に搭載された5つのセンサー(光検出と測距)が周囲の様子を検知し、3D地図に落とし込み、それをGPSの位置情報と組み合わせる。車に内蔵したガイダンスシステムがそのデータを基に車の速度と方向を制御する
グーグルが06年買収したアットラスト・ソフトウェア@Last Softwareは、簡単に建物や街の3Dモデルを描くことが出来るビジュアルツール「スケッチアップ」というソフトウェアを提供 ⇒ 当初マーケットは建築業界だったが、映画撮影のためのステージデザインや派遣先の地域分析などの軍事利用も進む
「スタンリー」と同時に発表したもう1つのプロダクトがフォルクスワーゲンとの共同プロジェクトで、グーグルアースとマップをベースにグーグルの検索機能を車のダッシュボードに搭載した世界初の車内システム
現在地を示す青いドット ⇒ ポータブルナビ端末のメーカーだったガーミンが開発したもので、モバイル端末に位置情報を表示するためのGPSの外部端末で、ブルートゥースで連携。自分の現在地が表示されるのを見て驚く
それまでモバイル端末にはGPSが搭載されていても、緊急時だけの利用が前提で、他のアプリがGPS機能を利用することを許可していなかったし、GPSチップの使用はバッテリーの消耗が激しすぎてもったいない ⇒ 96年連邦通信委員会が00年を機に911の発信者の緯度と経度を特定し、その位置を受信できるようにすることを通信キャリアに義務付けた(カトリーナの教訓)ため、モバイル端末のメーカーはすべての端末にGPSを搭載したが、06年時点では他のアプリが端末のGPSチップを起動し利用することを許可せず
GPS端末に電源を供給し続けること、ブルートゥースで端末と携帯を連携させること、携帯にグーグルマップを取り込むことなどの操作をすべてしないと実用化できなかった
青いドットの調査研究は今現在でも続いており、あらゆる環境下でユーザーの一を1㎝単位の精度でリアルタイムに測る方法を研究、全ての操作を1つのサービスにまとめようとしている
この日から自動運転車業界が動き出したと言っても過言ではない
ラリーは初めてモバイル版グーグルマップが使えるスマートな通信端末を紹介 ⇒ 青いドット=ユーザー自身を中心とする新たな世界の実現が近づいている。それは人がもう道に迷わないで済む世界

Chapter16.  オッケー、グーグル、ここはどこ?
シリコンバレーに住宅バブル ⇒ 132㎡の3ベッドルームで150万ドルの応札金額に8人の入札者。住宅ローンも収入の66%まで(従来は3540%)
名称統一問題 ⇒ マリッサが中心のグーグル独自のプロダクトであるグーグルローカルとジョン中心のキーホールから受け継いだプロダクトであるグーグルマップで、最終的にグーグルマップに統一された
l  クレイグスリスト Craigslist
不動産・求人・コンサートや野球などチケット情報など、特定都市・地域に限定したさまざまな情報を、住民などが投稿する地域情報コミュニティサイトのこと。本社はアメリカのカリフォルニア州サンフランシスコにあり、1995年にクレイグ・ニューマーク氏がサンフランシスコのローカル情報を交換するために開設したサイトが原型となっている。その後アメリカ国内外300都市向けのサイトを擁し、合計で毎月1000万人のユーザを集め、アクセス数が20億ページビューを超えるとされている。オンラインオークション最大手のeBay社が2004年に同社に25%を出資し、注目を集めた。大都市における求人・不動産情報の投稿に広告料を徴収するものの、その他広告は無料で投稿できることから内容は多岐にわたり、仕事・住居・家具・服・ペットなどあらゆる分野に及んでいる。その反面、ブリーダーによるピットブルの過剰繁殖と不審な売買や、売春の温床になりやすいとの指摘を受けている。
l  Catull グーグルのロゴのフォント
グーグルは当時、デル、アップル、HP、モジラといった企業との関係を深めていたが、それはマイクロソフトが何百万という端末で初期搭載している検索プロバイダーを自社の検索エンジンBingに切り替える脅威に対抗するための施策。ウェブ閲覧の85%がマイクロソフト提供のインターネット・エクスプローラーで行われることを考えると大きな脅威
その後グーグルはデルに10億ドル払って、デルが毎年出荷する4700万台の端末における検索プロバイダーになった。期間3年。
06年著者は、激務から自分を取り戻すためにジオチームから離れオースティンに戻って、たまたま降って湧いたデルとグーグルとの調整役の仕事を引き受ける

Chapter17.  街での人気
オースティンでの仕事は、グーグルの検索ボックスが埋め込まれているアップル(サファリ)、モジラ(ファイヤーフォックス)、インターネットエクスプローラーなど他社との関係構築で、これらのグーグル検索ボックスから何十億という売り上げがグーグルに流れ込んでいた
06年末までにグーグルマップは47か国でローンチし、グーグルアースのダウンロード数は120百万回を超えた
ストリートレベルでの街の様子を撮影し、全ての画像を水平方向につなげて住所などの必要なデータを抽出し検索可能にするプロジェクトが、04年個人の「20%プロジェクト」(エンジニアが自分の時間の20%を自分に関心のあるプロジェクトに当てることを奨励するグーグルの施策)として始まり、1年後にはストリートビューの成果が見え始める
07年世界に公表。スタンリーの開発チームを買収し、本格的にアメリカ全土の撮影に着手。撮影車は全土で600万マイルのうち100万マイルを走破

Chapter18.  4000杯のラテ
06年秋、スティーブ・ジョブズからジョンにメールが入って、アップルの新しく開発した端末での共同事業の提案 ⇒ 新端末にインストールして使うグーグルマップアプリのフロントエンドは、アップルが最初からアプリ開発を容易に出来るよう端末を設計していたので、比較的簡単に完成。負荷の高い処理のほとんどはグーグルマップのバックエンドで担う。アップルの最新デバイスで見るすべての道路や衛星写真といったデータはグーグルのサーバーからフロントエンドのモバイルアプリケーション(アプリ)に配信
071iPhoneの発表の終盤、ジョブズは「iPhone版グーグルマップ」を紹介 ⇒ 地図が現れ、現在地が青いドットで示され、iPhoneのグーグルマップで場所を検索する様子を初めて世界に見せた後、スターバックスを検索して示された場所のピンをタップして直接店に電話、出てきたバリスタに4000杯のラテを注文、びっくりしたバリスタに謝って電話を切る
iPhoneでの統計データを見ると、ユーザーは1日に1,2回グーグルマップを見ている計算になるが、iPhoneローンチから18か月で、すべてのコンピュータやモバイルを足し合わせた数より、たった1種類のデバイスからの利用数の方が上回った
iPhoneの発表は、それから何年も続くグーグルとアップルによるモバイルと地図領域を巡る戦いの幕開け ⇒ iPhoneのマルチタッチという機能がコアテクノロジーだが、端末の機能と、地図情報の提供という2つの領域のどちらが開発の主導権を握るかという争い
グーグルも次世代型モバイル端末開発を目指し、OSの魔術師といわれたアンディ・ルービン率いるモバイルOSの小さな会社アンドロイドを買収、ばらばらに開発されているモバイルOS1つのプラットフォームを軸にソフトウェアをオープンソース化し、一連のAPIツールを提供しようと構想
グーグルがアンドロイドベースのスマホ端末を世に出したとき、ジョブズはiPhoneの多くの機能を盗んだとして非難、マルチタッチスクリーンの特許侵害でも提訴。グーグルのCEOのエリック・シュミットは両社の事業の重なりが多くなったため、アップルの取締役を退任、最終的にアップルは自社の地図アプリをローンチ、両社のスマホ市場の主導権争いはいまだ決着がついていない
ただ、07年のiPhone版グーグルマップが世界を変えたことは間違いない

Chapter19.  上空に新たなグーグルの目
新しいタイプの地図データの掲載 ⇒ 鉄道などの交通情報、古い時代の空中写真の掲載で時間を遡ることが可能
自社の空中写真撮影用の航空機舞台を保有
08年ジオアイ社の打ち上げた地球観測衛星ジオアイ1号の画像は、当初出資もしていたアメリカ軍にのみ提供される予定だったが、より解像度の高い画像を求めてマイクロソフトとの激しい争奪合戦に発展、グーグルが獲得に成功しその地図プロダクトは競合他社を引き離し、継続的に優位性を保つことになる
08年末には、ジオチームだけで1200名以上の社員がいて、ダウンロード数は5億回を超えた

Chapter20.  グラウンドトゥルース・プロジェクト
モバイル版グーグルマップ(iOS、アンドロイドとも)の普及により、地図データのライセンス料が急騰 ⇒ 交通網データでは2社の寡占状態が出来、毎年グーグルがどのようにデータを使っていいか指示する一方で、ウェブでの利用料金を2社に支払っていたが、このままでは経済的に継続できないほど高額になってきた。ユーザーによるマップビュー視聴回数に応じて価格が決定されていたためで、定額制に持ち込もうと交渉したが不調となり、買収も考えたが買収価格が膨大になったこととデータが提供先によってばらばらだったため使いにくく、遂に自社での開発を始める
交通データの生命線はグラウンドトゥルースにある ⇒ 頻繁に変わる道路状況や交通網によって地図データの更新が追い付かないため、ナビゲーションの情報がグラウンドトゥルースという地上の状態と一致していないことがあり、それを修正するのに最低でも6か月はかかる。それでは特に自動運転車の開発に当たっては全く使えない
08年グーグル社内にグラウンドトゥルースを目的としたプロジェクトがスタート ⇒ 独自の地図作成ソフト「アトラス」を開発、グーグルの持つ特定地域に関するすべてのデータを1つの画面で見せることが出来ると同時に、オペレーターがストリートビューで道の様子を確かめた上でデータ公開を許可していく。オペレーターの数はあっという間に5000人に膨れ上がり、2年の目標期間内にアメリカとメキシコの交通データ提供の体制が整う。音声での道案内機能も搭載。独自のデータを全て無料で提供
グラウンドトゥルースの完成により、毎日何千件という地図の変更に関する連絡がグラウンドトゥルースに集まり、複数人のユーザーから同じ報告があった問題にオペレーターが順次対応していく仕組みが出来ている。報告から数分以内に内容を確認して地図を修正し、そのアップデートは瞬時にグーグルの全地図プロダクトへと反映している。地球上でどこかに新区画が開発されると、その地区を管轄する空中画像撮影用のセスナが現地に飛んで地図データを更新、グーグルストリートビューの車も同じように新しい道路の撮影のために現地へと向かう

Chapter20.(ママ、本文では21) ムーンショット完了、次は火星を目指して
2010年にはジオチームは、グラウンドトゥルースのオペレーターも含め7000人にまで膨れ上がる
ジョンも自らの環境を変えたがっていた
10年秋の異動で、マリッサがジオチームのリーダーとなり、ジョンはグーグルの地図テクノロジーを軸に新しいスタートアップを作るためにグーグルを離れることを決意するが、ラリーは引き続き物理世界のすべてをインデックス化するため地図事業への投資を継続する積りで、ジョンの計画を聞き社内ベンチャーとして「ナイアンティックラボ」を設立
ジョンの家の親子喧嘩から発想を得たプロジェクトは、老若男女皆再び外に行って遊ぶためのアプリの開発で、モバイル端末で地図をゲームに変える
ナイアンティックとは、1849年サンフランシスコに到着した船の名前。ゴールドラッシュ時代、富を求めて旅する246人の乗客を乗せていたが、上陸とともに彼らは船を見捨てる。船は今でもトランスアメリカピラミッドの足元に埋まっている。これをヒントに、ジョンは新しいGPSベース(位置情報ベース)のゲームによって、身近な場所に隠された歴史に触れ、新しい方法で自分たちの住む世界について知るためのものになることを期待
その後、2012年にはマリッサがヤフーのCEOとなって去り、アップルがグーグルマップを捨てて自社開発を選んだが悲惨なローンチとなって時価総額3000ドルを失い、CEOのティム・クックが公式に謝罪しiOS担当は引責辞任
グーグルに買収された時、地図データを収容するのに1ペタバイト(=100万ギガバイト)いると説明したが、14年にはデータベースの総量が25ペタバイトにもなり、なお増え続けている
ラリーとセルゲイは一貫して従来のビジネス理論には乗ってこなかった。ユーザーを喜ばすことと売り上げの選択肢があれば、彼らは一貫して100%ユーザーを選んだ
グーグルマップとグーグルアースは世界への贈り物

エピローグ ゲットできた?
2015年グーグルからスピンアウト、任天堂の出資を受け入れてジョンの作ったゲームの最初がイングレスで、次が16年夏のポケモンGO ⇒ 拡張現実ARの初の実用化
















NEVER LOST AGAIN ビル・キルデイ著
グーグルマップの誕生秘話
日本経済新聞 朝刊
2019112 2:00 [有料会員限定]
スマートフォンやタブレットの普及で地図を持ち歩く機会が少なくなった。それを可能にしたのが「グーグルマップ」に象徴されるデジタル地図ソフトの出現である。本書はその創作者の一人がグーグルマップ誕生までの開発秘話をまとめた。

米グーグルは自動運転技術や人工知能(AI)など様々な最先端技術を世に送り出したことで知られる。しかしその中には他のベンチャー企業から生まれたものも多い。グーグルマップや地球を探索できる「グーグルアース」も例外ではない。
グーグルマップの原型を開発したのはグーグルと同じ時期に米シリコンバレーで産声を上げた「キーホール」という会社だ。社名は米国の軍事スパイ衛星から取ったもので、同社を買収したグーグルがグーグルマップ、グーグルアースと名付けた。
物語の前半はキーホールでのデジタル地図の開発苦労話が展開される。後半では、資金難に陥った同社をグーグルが買収し技術を融合していく様子がノンフィクションで描かれている。外部から見えにくいグーグルの意思決定や経営手法を垣間見られる点が非常に興味深い。
GAFA」と呼ばれる米国のネット業界4強の1社が、プラットフォーマーとしての座をいかに確立したのかを知るには格好の本といえる。大熊希美訳。(TAC出版・1800円)


Wikipedia
ジョン・ハンケ(John Hanke1966年生)はアメリカ合衆国の起業家・エンジニア。ARゲームIngressPokémon GOなどの実験的なモバイル・ソーシャル・アプリケーションを探求する会社Niantic, Inc.を運営する。 ベンチャー企業Keyhole,Incを創業し、最高経営責任者であった。Google2004年にKeyhole,Incを買収したことにより、その主力製品はGoogle Earthと名前を代えた。Keyhole,Incが買収された後、数年間、Google Earth Googleマップストリートビューなど含むのGoogle Geoチームを統括する副社長を歴任。2011年にGoogle社内スタートアップとして、Niantic Labs(ナイアンティック・ラボ)を設立し、20158月にはGoogleから独立し、Niantic, Inc.として活動する。
経歴[編集]
テキサス州オースティンで未婚の母の元に生まれ、幼少時に同州クロス・プレインズの農家へ養子として引き取られ、そこで家業を手伝いながら育った。アーサー・C・クラークウィリアム・ギブスンなどのSF小説を愛読し、中学生になってからはTRS-80Atari400のプログラミングを始めた。1985年にクロス・プレインズ高校に入学してからはシューティングゲームやテキストベースのアドベンチャーゲーム、また学校のバスケットボールチームの分析ソフトなどを開発した。マーク・ザッカーバーグがハーバード大学時代に開発したSNSFacebook」と似たマッチングソフトも開発したが、学校内で大問題となったという。
1989年にテキサス大学オースティン校を卒業後は、米国務省に入省。ワシントンDCやミャンマーなどで4年あまり働いたのち、1994年に退職してカリフォルニア大学バークレー校ハース・ビジネススクールに入学。そこでの同級生、セラーズ兄弟が設立した世界初の商業用MMORPGを開発するスタートアップ企業Archetype Interactiveに参画し、Meridian 59を開発した。このゲームは開発チームごと3DOに買収されたが、ハンケはセラーズ兄弟とともに1998年に3DO社を退職して別のゲーム会社The Big Networkを設立し、2000年には同社をeUniverseに売却した。その後、衛星写真をつなげて地図データとリンクさせるベンチャー企業Keyholeを同年に設立し、その共同創業者兼CEOとなった。
2018814日放送のサラメシ真夏の"社長メシ"スペシャル201890分間の取材を受けた際にはヨガ瞑想が趣味であると話し、Niantic, Inc.のオフィスにある瞑想室で瞑想する姿も公開された。

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