共通語の世界史  Claude Hagege  2019.4.2.


2019.4.2.  共通語の世界史 ヨーロッパ諸言語をめぐる地政学
Le Souffle de la Langue: Voies et Destins des Pariers d’Europe 1992,2000,2008

著者 Claude Hagege クロード・アジェージュ 1936年カルタゴ生まれ。フランスの言語学者多言語環境で育ち、高等師範学校とパリ大学で言語学専攻。古典語とアラビア語で学士号。更に一般言語学、ロシア語、ヘブライ語、中国語の研究を進め、71年パリ第五大学から博士号。8806年フランス最高峰の学術機関コレージュ・ド・フランスの言語理論口座担当。現在名誉教授

訳者
糟谷啓介
佐野直子

発行日           2018.11.15. 印刷     12.5. 発行 (初刊1992)
発行所           白水社


はじめに
ヨーロッパの諸言語は、いかなる過去に自らの根を浸し、過去へのノスタルジーにいかなる未来を充填しているのか ⇒ 本書はなにがしかの答えを描こうとする
欧州共同体の構築と、ソヴィエト連邦と共産主義体制の崩壊、2つの巨大な現象の人文的要因に関心 ⇒ 言語ほど人間に身近なものはない
1部で連合言語のプロフィールを素描
2部ではことばの多様性が光り輝くさまを描く ⇒ ヨーロッパこそ、人間同士が織りなす混沌とした歴史を通じて絡まり合った限りなく多様な言葉の腐植土
3部では、アイデンティティの鏡としての言語の擁護という論拠に基づくナショナリズムの圧力を説明し理解する
多様性と統一性 ⇒ 多様性の維持こそが統一性を生み出す酵母の役割
アメリカでは、単一言語の採用が、あらゆる新参の移民にとって、アイデンティティを保証するしるしのように映っていたが、反対にヨーロッパの独自性を作るのは、諸言語の多様性であり、それらの言語が反映する文化の多様性
ヨーロッパの運命に相応しいのは、ただいつまでも多様性に対して開かれていることであり、単一言語であってはならない。このことはヨーロッパにとって、過去の呼びかけであると同時に、未来の呼びかけでもある

第1部        連合言語
ヨーロッパにおいては、公的地位を持たない言語の話し手たちのもとで、自分たちの言語の承認を粘り強く要求する態度が広まっている
支配された人々は自分たちの言語という旗の下に集う ⇒ 言語に自分たちの願望を注ぎ込み、言語の中に侵入者のくびきに抵抗する闘いの争点を見ようとする
自らの母語に強力な象徴的価値を付与したからといって、諸民族を結びつける連合言語の有用性に目を塞ぐことにはならない
1部では、もともとの出生地を遥かに越えた広がりを獲得した言語を取り上げる

第1章        ヨーロッパの共通語
1848年の騒擾(じょう)に対する遅ればせながらの回答として出てきたのが第1次大戦後のヨーロッパにおける多数の国家の誕生
共通語の概念が何らかの有効性を得るのは、大陸全体の規模で物事を捉えるとき
経済性の配慮に応じるような共通語への欲求が生まれた
ヨーロッパの西側では、長い間この種の共通語を持っていた。多くの国の公用語でありながらどの国の国民語でもないという利点を持っていたのがラテン語
ラテン語=西ヨーロッパの支柱 ⇒ ローマ帝国の拡大とともに様々な入植地にラテン語が瞬く間に広がったが、ギリシャ、小アジア、エジプトのギリシャ語を駆逐できず、ギリシャ語とともに行政言語の地位を分かち持った。それはギリシャ語こそが広域流通語であり文化言語だったからで、ローマ帝国の教養層ですら教育言語としてはギリシャ語を採用
中世を通じて、学者たちはラテン語で会話をしたが、16世紀以降宗教戦争の開始と共にラテン語に代わってそれぞれの土地の言葉で民衆に話しかけるようになり、国民語の使用領域が拡大
学問の世界に残ったラテン語も、古典時代のラテン語を守ったために衰退 ⇒ 新しい時代の考え方にも、科学的思考の流動性にもついていけなくなる
20世紀には、ラテン語はヨーロッパの文化言語の地位を失っただけでなく、だれにも理解されない言語となった ⇒ 第2次大戦開戦の直前エストニア大統領が全世界に向けて平和への呼びかけを行ったが、ラテン語しか話せなかったために誰にも理解されず、その数日後に戦闘が勃発
ラテン語に似た運命を辿ったのがカスティーリャ語(後のスペイン語) ⇒ ヨーロッパにおいて俗語として文法が体系化された最初の言語であり、政治権力の象徴としてスペインの世界制覇に伴って世界に拡散。スペイン語を通じてラテン化され、キリスト教化された
1492年スペインにおけるユダヤ人追放令が象徴する「血の純血性」を求めたアイデンティティの固守という強迫観念から、スペイン人以外を排斥したために共通言語としての力も失っていく ⇒ ユダヤ=スペイン語が広まっていたオスマン帝国の崩壊も打撃
14世紀に、韻文ではダンテとペトラルカが、散文ではボッカチョが完璧に仕上げた言語がイタリア語で、ドイツ並みに多数存在する色とりどりの方言も含めると相当広い地域で流通。ラテン語への忠実性からラテン語の後継者としてヨーロッパの共通語として十分な資格があったはずだが、なお十分ではなかった
エスペラント語は、1887年にザメンホフが提唱したのが契機で、ヨーロッパの諸言語の母体であり借用の土台であるラテン語を大いに利用した上で、あらゆる言語の発生に刻み込まれている介入行為を筋道立てて行ったもの。コミュニケーション手段として立派に通用することを証明したが、それぞれの言語の特性は無視したため、文学を翻訳するには適切ではない
いま問わなければならないのは、英独仏の3か国語はいかなる資格があってヨーロッパの共通語としての役目を果たしうるのか、そしてこの3つの言語がどのようなやり方で未来へのヨーロッパ的ノスタルジーに応えられるのかということ 

第2章        ヨーロッパと英語
英語とヨーロッパの関係 ⇒ 5世紀ドイツ北部から来たアングル人がブリテン諸島南部海岸地方に定住、間もなくサクソン人らほかのゲルマン民族も合流。英語の歴史の最初期に相当するゲルマン語をアングロサクソン語と呼ぶのは、これらの征服者の名前をとってのこと
数々の多言語が英語の中に合流して、英語の変化のスピードを著しく速めた ⇒ ゲルマン諸部族は絶えず移動していたので、住民同士の大規模な混淆が起こり、生活様式が急速に変化、どれも真の安定状態に達していなかったため、諸言語も絶えず変容していた
1066年ヘイスティングスの戦いでノルマンディ公ギョーム2世が勝利、続いてブリテン島を征服し、フランコノルマン語が公用語となるが、依然として聖職者や知識人はラテン語を使い、ラテン語の単語や表現で英語を豊かにした ⇒ 融通無碍の形をとる言語となり、ラテン語は近代世界の数多くの言語に専門用語を提供し続けている
フランス語は特権階級の間で支配を続けたが、庶民の間ではアングロサクソン語がコミュニケーション言語として活発に使われてきた
混合言語の時期フランコ=ノルマン語によってアングロサクソン語の豊饒な混成化が行われた ⇒ お互いの言語が影響し合って語彙の浸透という効果が生まれる
アメリカ英語のヨーロッパへの普及 ⇒ 英語普及の元は植民地支配であり、商業と軍隊によって拡散
「融合のノスタルジー」が対話への欲動を生み出し、何とかして諸言語の作る壁を打ち倒そうという動きが、共通語としての英語に「融合のノスタルジー」を反響させた
経済的拡大、共通語の必要、政治的サポートなどの外的要因に加えて、それらの帰結として世界のすべての言語のうちで英語は人々の求めるニーズに最も密着して発展してきた言語であり、そのニーズを言い表すのに長けている ⇒ 英語が主として北アメリカ大陸に位置する国の言語であり、そこでは物質生活においても精神生活においてもニーズが次々と生まれ、それに応えるための科学技術の研究活動を呼び起こしているからであり、英語の単語こそが現代社会の欲求を表現することになる
1次大戦で連合軍を指揮したのはフランスの将軍だったが、条約交渉が始まると、英米の代表団長はフランス語が出来ないのに対し、フランス代表団長は英語が出来たため、英語で話し合いが進み、正式合意文書となったヴェルサイユ条約は英仏両言語で書かれたが、よく読むと仏語の本文は英語から翻訳されたような印象を受ける箇所が多い。フランスが最大の軍事的役割を果たした戦争の終結が、皮肉にも仏語を唯一の外交言語としてきた予てからの特権の崩壊を認可することとなってしまった
戦間期にアメリカの優位がますます強まり、29年の恐慌の際はアメリカの影響がネガティブな形で明らかとなり、アメリカ英語が絶えず広がる。第2次大戦後はさらに息も絶え絶えとなったヨーロッパに響き渡ったのがアメリカ英語であり、その声の主はヨーロッパ救済のために身を投げうってきたアメリカ軍兵士たち
奇妙に思えるのは、かなりの時間がたっても、アメリカ英語がイギリス英語と全く別の言語にならなかったこと ⇒ アメリカ独立からの年月は、言語に大きな変化が生じるのに十分な年月だが、元々のヨーロッパ語の基盤から逸脱するほど異なる言葉にはならなかった
音声の面では、boat, know, soulの音(「オウ」に近い)や、better, latterの母音間に聞かれる巻き舌の rは、「一般アメリカ語」の特徴で、テレビによって広まった発音であり、多かれ少なかれ南部以外の慣用を反映している。これらの特徴に対するイギリスの「容認発音」は、それぞれ「アウ」とtになり、イギリスではこれらが威信ある規範となっている
形態論の面では、アメリカでは過去と過去分詞を同じに表現するのに対し、イギリス英語では別の言葉を当てたり、副詞の代わりに強意形容詞が使われる ⇒ ()dreamt, burnt ⇔ ()dreamed, burned()it’s really good ⇔ ()it’s real good
統語論の面では、アメリカ英語では助動詞を多用、動詞の疑問文に助動詞を使ったり動詞に助動詞を添えたりする ⇒ ()do you have a pen? ⇔ ()have you got a pen? ()I wish I would have done it ⇔ ()I wish I had done it
語彙ではさらに違いが多い ⇒ (/)autumn/fall, car-park/parking lot, biscuit/cookie, Flat/apartment, sweets/candies, tin/can, lorry/truck, petrol/gas, sitting-room/living-room, handbag/purse, trousers/pants
文字という視覚的レベルでは慣用が異なる ⇒ ()colour, centre
アメリカ英語がヨーロッパ仕立てのものではないことは歴然だが、さらに言葉の使い方が異なる点にも注目 ⇒ 文が短く、切り詰められた定型句に満ち溢れる。曖昧でないメッセージの伝達と受信が大事であるような領域でのやり取りを容易にするのに適した道具
2つの種類の英語を区別するのは「英語の非母語的変種Non native varieties of English

第3章        ドイツ語と東方の呼び声
紀元前2000年代末に恐らくユトラント地方に居住していた征服民の子孫であるゲルマン人が文献に現れるのは紀元前10世紀頃で、現在の北ドイツからスウェーデンに広がる平原地帯にいて5つのグループを構成し、ゲルマン語を共通語としていた
1534年に、聖書翻訳のために自身の母語テューリンゲン・オーバーザクセン方言を選んだことでルターは統一的な書記言語の規範の土台を打ち立てたが、それが近代ドイツ語となっていく ⇒ 話し言葉は別で、それぞれの地域ごとに活力を保つ
「生存空間rebensraum」というドイツ語が表すのは、ゲルマン民族の政治的・経済的発展に必要と見做された土地の全体を示すもので、拡張の欲求に駆り立てられた活発で力強い民族のエネルギーが生存空間の拡大となり、更に「東方への衝動Drang nach Osten」という言葉に象徴されるように東方領土拡大へと向かう
商業勢力はハンザ同盟であり、ドイツ騎士団の指示を受けて勢力を拡大。その犠牲となったのがバルト諸語であり、それ以上に被害を受けたのがスラブ諸語
近代に入るとプロイセン王国は、征服地のゲルマン化を徹底しドイツ語を強制 ⇒ 1793年のポーランド分割、1866年のデンマークからシュレスヴィヒ=ホルシュタイン地方を併合
セム語を侮蔑する態度は、18世紀末のドイツの言語思想の1つの特徴 ⇒ 中欧・東欧のユダヤ人にとって語彙にヘブライ語からの借用をちりばめた高地ドイツ語の方言であるイディッシュ語は自らの民族を区別する耳で聞こえる印となるほど、ドイツ語が信仰の対象として自覚的に選ばれたにもかかわらず、ドイツがジェノサイドの中で抹殺しようとしたのは奇妙な自殺行為
第三帝国に続く東独の出現で、プロパガンダの目的のために独特の言葉遣いと用語法を持った言語を公式に用いたことが、80年代末までドイツ語の足枷となった ⇒ 政治権力による言語操作が、精神に対する絶え間のない圧迫の道具に化した時に何が起こるかを白日の下に晒した。東ドイツでの使用法もイデオロギーによって歪められた言語の反映
ヨーロッパ大陸の真ん中で影響力を延ばした(ママ)すべてのヨーロッパ語のうち、ドイツ語はもっとも根付いた言語のままであり続けた ⇒ 大戦を通じて威信を失墜させが、その事実を変えることはなかったし、今日のドイツ語は経済力に十分支えられているので、もはや軍事力を必要としない
ドイツ語の未来にさす影 ⇒ ドイツからの国外移住の増加と、ドイツ語がヨーロッパ言語の平均成長率を下回っている点

第4章        フランス語とその多様な使命
フランス語がヨーロッパでひときわ高い威信を備えていたのは、12,3世紀と17世紀後半~18世紀
中世におけるフランス語の影響力 ⇒ 1066年のイギリス征服以降、十字軍の活躍もあっていくつかの国では公用語とされたり、西方キリスト教会の共通語になった時代さえあった。国際政治の軸ともなった王家同士の結婚に加えて文学作品もフランス語の普及に役立つ
13世紀に入ると、ルネサンスが文学的栄光の座をフランス語から奪う ⇒ 上昇しつつあった各国のブルジョワジーが、封建制に結び付くフランス語に代わってそれぞれの国の言葉を人々に課すようになった
17世紀の隆盛も、政治的成功と軍事的僥倖が決定的な要因 ⇒ ヨーロッパのほとんどの宮廷がフランス語を聞き話すことを誇りにしていた
アフリカ・フランス語として、新たな相貌を獲得

第2部        ヨーロッパ諸言語の豊かさと錯綜
ヨーロッパは極めて多様で複雑な言語世界を描いているが、領域の狭さという地理的な制約の上に歴史の偶然が加わって、世界への広まりという点では、いくつもの連合的中心を持つ広大なアジアの言語よりも、ヨーロッパの言語の方が数で優っている
この諸言語の多様性こそがヨーロッパの波乱に満ちた運命の原因の1つ ⇒ ヨーロッパの言語的豊かさとそれらの言葉が錯綜する様を示す

第5章        多種多様な声の限りない誘惑
ヨーロッパの言語的境界とはどこまでか ⇒ 狭い回廊地帯でありながら、連合に向けた相次ぐ試みも、この小さな空間で古くから絶えず混交している文明間の繫がりも、1000年に亘る各地の特殊性に打ち勝てなかった。この特殊性を貴ぶ気持ちが強力な推進力となって、諸言語間の差異が作り出された
西の境界は太平洋、北は北極海だが、東の境界には2案あり ⇒ ウクライナ・ベラルーシ・バルト諸国のラインとするか、ロシアを組み入れる案だが、本書は前者をとる
アジアとの境界はトルコだが、伝統的にヨーロッパから排除されるものの、言語としてのトルコ語は東南部の境界で使われているため、ヨーロッパの言語に含まれる
ヨーロッパの歴史は395年のローマ帝国の東西分裂以来、次第にはっきりと分化していった2つの文化的世界を対立させてきた。ヨーロッパの言語の歴史もそれを物語る。言語と宗教を互いに結びつける関係モデルがこの対立の主要な根拠で、キリスト教の支柱ともいえる福音伝道こそが、東ヨーロッパのインド=ヨーロッパ系諸言語において知られる最初の記念碑的文書を生産 ⇒ 4世紀の聖書のゴート語への翻訳
西ヨーロッパにおいてはほとんどの国家がほぼ完全に言語的に均質になっていて、少数言語は人口の10%以下によってしか話されていないが、東では、大部分の国家において、自分の母語を日常的に使用する民族的マイノリティが総人口の10%を超えている
言語と文明(宗教を含む)の関係のタイプ、多数派の言語と少数派の言語の分布のタイプなどから、ヨーロッパには2つの大きなグループが存在する。歴史の様々な有為転変は2つの顔を持つ1つの世界を作り上げた。東では分散へと向かう傾向、西では統一へと向かう傾向があるように見受けられる
今日西ヨーロッパでは、欧州共同体が確かな足取りで進んでいるが、それは長い準備期間の果てにようやく実現したもの
統一が加速しつつある西では、過去の威信を背負った複数の言葉が共通語としての使命を担っていると同時に、多くの領域で英語の優位性が明らかではあるが、全ての人の賛成を得るには至っていない。その反対に、東では、ロシア語が広く普及。旧ソ連の様々な共和国においてもロシア人でない数多くの人々がロシア語を第2言語、あるいは第1言語としてさえ使っている

第6章        錯綜するコード
言語と方言 ⇒ 言語学的な意味では、1つの方言と1つの言語は互いに区別がつかない
ヨーロッパでは、諸方言の変異をできる限り縮小させ、多くの場合、排除してきたが、共通語が広く普及するにつれ、その傾向は強まった
ヨーロッパでは、1020万㎢に620百万人の話者がいて、約60の言語が話されている
他地域との大きな差は、30百万人以上の話者を持つ8つの言語――露独英仏伊西ポーランドウクライナ――のうちの1つを話しているヨーロッパが78.5%にのぼる
ポルトガル語は、15世紀後半から大航海者の航跡に従って、アフリカ、アメリカ先住民、アジアの諸言語から多くの語彙を借用したため、西ヨーロッパでは最もエキゾチックな言葉になった ⇒ ヨーロッパやアメリカ大陸の外で、数多くの国、特にアフリカ諸国の公用語となった。スペイン語同様、ヨーロッパの世界語のうちの1
スイスの4つ目の言語集団であるロマンシュ語には同じようなダイナミズムはなく、公用語ではなく単なる国民語としての地位が認められたにすぎない
デンマーク語はグリーンランドの公用語になったことはない。グリーンランドは現在自治政府が発足。その一方で隣のアイスランドでは1918年までデンマーク語が公用語、行政語であり続けた。1944年デンマークとの連合から独立。アイスランド語自体は、9世紀から独自の発展を遂げ、中世には吟遊詩人の洗練された言葉だった
スカンディナヴィアの地域では、お互い独自の言語を話しつつ、互いにほぼ問題なくコミュニケーションがとれる
バルカンでは、国民語を意識的な選択によって作り出そうとした人々が思ったより多く存在、大きなまとまりを切望する気持ちが反映 ⇒ 14世紀から始まるオスマン帝国の治世下で、独立への動きがイスラームの基本言語であるトルコ語、アラビア語、ペルシア語への激しい反発を呼び起こす
ヨーロッパの歴史は激動に満ちているので、土地はしばしばその主人を変えるとともに名前も変わる ⇒ 1つの土地にいくつもの名前が付けられる
言語の錯綜状態はヨーロッパに限らないが、特にヨーロッパで顕著となった背景は、狭い領土にいくつもの言語が共存していること、多くの言葉の中で歴史の様々な時期に対応する層が相互に干渉していることがあげられる

第3部        ヨーロッパの諸言語とナショナリズムの挑戦
民族のアイデンティティの鏡としての言語は、ヨーロッパにおいては、ほとんど常に民族独立のための戦いにおいて最も重要な役割を果たしてきた

第7章        言語からの号令
言語を愛する人々は、彼らのアイデンティティの表現としての言葉に対する激しい情熱に駆り立てられて、愛する言語の運命に直接介入することがよくある ⇒ あらゆる言語において、新たに現れた技術や概念や行為を表すための表現手段が刷新されてきた
ヨーロッパのすべての諸言語は、ヨーロッパ文化の結合素であり、豊かな腐葉土であるギリシャ語、ラテン語の基盤に源泉を汲んできた ⇒ 新語を創造する際の主要な方法は借用だが、外来語の侵入に対しナショナリズム的透明さが立ちはだかることもある
1848年の爆発によって、古びた言葉が再び姿を現し、諸民族が発する声がうねりとなってヨーロッパを揺るがした
スラヴの2つの民族(チェコとスロヴァキア人)の連合によって1918年樹立の若いチェコスロヴァキア共和国の民主主義は、自分たち内部のマイノリティの言語的要求に直面することになる
ヨーロッパの多くの民族は、自らのアイデンティティに疑義が挟まれると、言語をある種の最終通告状として振りかざしてアイデンティティを主張し争ってきた ⇒ 特にバルト海沿岸地方の諸民族は狭い領域を舞台に激しく争った
ナショナリズムの要求と言語意識の関係は、逆向きにもなり得る ⇒ 長い間影に隠れていたり、ほとんど使用されなくなっていたり、ばらばらの方言によって構成されているような言葉に文章語としての威厳を与える努力がはらわれる。文章語が政治的アイデンティティを供給する規範に結び付いた例として、ノルウェー語があるが、なお未解決のまま
集団を集団たらしめる個性の象徴としての言語の権利要求は、ヨーロッパ内の共同体と民族に特徴的な現象 ⇒ 言語は民族の劇的な高揚の所産でもあると同時に、その原動力でもある

第8章        ことばの城塞
ヨーロッパにおけるナショナリズムの輪郭を描き出すような、独特の言語的、政治的まとまりの好例としてロシア語があげられる ⇒ 崩壊したばかりなのに、もう帝国再統合の兆しが、少なくとも言語を巡る世界では始まっている
ツァーリの体制においては、ロシア帝国内の民族言語の使用を発展させるための真の文化政策、とりわけ教育政策はなかった ⇒ 社会主義革命の到来で、少数民族とその言語に対する関心が燃え上がり、ボルシェヴィズムは民族とは時代遅れで反動的な概念としつつも、多様な言語を育成する政策はイデオロギーを出来るだけ広く効果的に普及させるための確実なやり方であり、譲歩せざるを得なかったが、かえって民族が細分化され、より大きなまとまりを作ろうとする熱意は抑えられた ⇒ それぞれの民族言語には文字体系がなかったためにどれも主導権を取れなかった面もある
今日のナショナリズムの号令は、1848年を想起させる ⇒ 教会の伝道に最も相応しい布教の言語として何語を選ぶかという論争が形を変えて、民族性という世俗的な概念を経ることで宗教的意味が薄まったものとして捉えられる
話者数の規模や政治的権力、書き言葉の伝統によって保護されていない言語は、大きな集団の中に吸収されてしまう脅威に晒されている
ハンガリーの格言:「民族が生きるのはその言語の中においてである」

おわりに
将来のヨーロッパにおいて、共通語は国家よりも上位にある機関の言語となるであろうが、国境横断的な役目を持った組織が作られたなら、共通語はそうした組織でも使われることになるであろう
連合的使命を持つ言語のなかでたった1つの言語がすべての機能を独占することにはならない。英独仏3言語の対照的な運命は、それらの担う任務が互いに異なることをはっきり示している
また、1つのヨーロッパの共通語を使用するからといって、多様性が摩滅することにはならないし、他の諸言語が消滅に追いやられるわけでもない
ヨーロッパの諸国家は長い間、言語に深く根差した文化的特徴をもとに自分たちのアイデンティティを形成してきた。この大陸は、商品の自由交換や通貨統一とは別に、文化というものの価値を世の人々に提示しなければならないはず
少数言語と支配言語の間の機会の不平等によって平和が脅かされるのを防ぐには、民族語を保護することも危機を回避するための思慮深さの表れ
こんにちアメリカ合衆国では、他者の欲求に耳を貸さない閉鎖性が一因となって、英語への排他的な執着が引き起こす単一言語主義が深刻な脅威になっている ⇒ 自らの言語を話す他者に対して関心を持つことこそ、中身のある連帯を築く前提条件




(書評)『共通語の世界史 ヨーロッパ諸言語をめぐる地政学』 クロード・アジェージュ〈著〉
朝日 20192160500
 多様性の維持が統一性の酵母に
 本書の初版は1992年である。30年近く前の「ヨーロッパの諸言語の総覧」を、今さら読む価値があるのか、いぶかる向きもあろう。一般に、人生が苦難に満ちれば民族文化(言語、ナショナリズム)への執着は熱狂的なものになるが、「ナショナリズムをより無害なものにするためには、いかなる障害もなく、財、人間、思想が循環できるようなひとつのヨーロッパを実現しなければならない」という著者の主張には瞠目(どうもく)すべきものがある。混迷する世界においてこそ読まれるべき骨太の一冊だ。
 著者はまず民族と民族をつなぐ役割を果たす「連合言語」を取り上げる。英語、ドイツ語、フランス語がそうだ。言語を広めるための道具は歴史的には商業、宗教、軍隊だった。なるほど、よくわかる。次いで、ヨーロッパの多様で複雑な言語世界に筆を進める。ヨーロッパでは約60の言語が話されているが、インドでは約200もある。ヨーロッパの他の地域にはない特徴は、3千万人以上の話者を持つ言語が八つもあることだ。そして言語的には、東では分散へと向かう傾向、西では統一へと向かう傾向がみられると著者は指摘する。言語が民族をつくり、民族が言語をつくるのでヨーロッパはナショナリズムの挑戦を受けている。しかし、多様性の維持こそが統一性を生み出す酵母だとする著者の信念が揺らぐことはない。ヨーロッパはその言語によって多様であるので、ヨーロッパは世界の多様性を抱擁する使命が授けられているのだ。
 世界には様々な文化があるが、文化は言葉であって文化を守るのはその言葉を母語とする人々である。僕は心底そう思っている。文化を守ることは言語を守ることであって、そのためには諸言語のおかれている状況をまず把握しなければならない。本書ほど諸言語の多様なあり方を学べる本は少ない。このような学術書を翻訳した訳者と出版社に深い敬意を捧げたい。
 評・出口治明(立命館アジア太平洋大学学長)
    *
 『共通語の世界史 ヨーロッパ諸言語をめぐる地政学』 クロード・アジェージュ〈著〉 糟谷啓介、佐野直子訳 白水社 4968円
    *
 Claude Hagege 36年チュニジア生まれ。言語学者。高等学術研究院からコレージュ・ド・フランス名誉教授。



共通語の世界史 クロード・アジェージュ著
欧州の多言語 壮大な物語に
日本経済新聞 朝刊
2019119 2:00 [有料会員限定]
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とにかく情報量の多い本である。見た目からして分厚いが、本文340ページの中に、言語の話題がこれでもかと詰め込まれる。巻末の[言語名索引]には、236もの見出し語が並ぶ。それでもテーマはヨーロッパ限定なのだ。
https://article-image-ix.nikkei.com/https%3A%2F%2Fimgix-proxy.n8s.jp%2FDSKKZO4017306018012019MY6000-1.jpg?w=300&h=429&auto=format%2Ccompress&ch=Width%2CDPR&q=45&fit=crop&crop=faces%2Cedges&ixlib=js-1.2.0&s=9063febbe179a9e1b93795cb75ec8a69

8章のうち、最後の2章はいわゆる辺境の少数言語が取り上げられており、マイナー言語が次から次へと登場する。私が思い浮かぶ言語は、すべて挙がっていた。知らない言語も少なくない。
大言語についての記述も詳しい。しかも何気ない一文のなかに、煌(きら)めくような鋭い指摘が続出する。ラテン語は「多くの国の公用語であったことはたしかだとしても、どこの国の国民語でもないという利点をもっていた」、英語は「いまのところ無条件の共感を勝ち得ている文明()の価値の担い手」、あるいはドイツ語のなかに「ユダヤ文化の良質な部分が根づいた」。長年さまざまな言語に接してきた私は、その一つ一つにいちいち感心してしまう。
とはいえ、書名の「世界史」というキーワードに惹(ひ)かれて手に取った読者には、最初からいきなり多言語の海に放り出された気がして、尻ごみするかもしれない。その場合は第5章から読むといい。そもそもヨーロッパの範囲はどこまでかという基本的な問題が検討されているので、ここを読みながら頭の中を整理しよう。
続く第6章では言語間の関係を概観している。本書以外ではあまり取り上げられない言語の話題も多い。ここに興味が持てれば、あなたは立派な言語ファン。本書全体を壮大な物語として、楽しめるに違いない。
このような壮大な物語が、分担執筆ではなく、ひとりの研究者によってまとめられたというのだから驚く。これに匹敵する研究者がはたして日本にいるだろうか。邦訳する価値は充分(じゅうぶん)にある。
私が世界の言語についてあれこれエッセイを書くと、一部の研究者たちから、所詮はヨーロッパに偏っていると批判される。だが本書を読めば、その指摘が当たっていないことが分かる。私はヨーロッパすら満遍なく押さえていない。本書くらいの知識を披瀝(ひれき)して、はじめて「偏っている」と胸が張れるのである。
《評》神田外語大学特任教授黒田 龍之助
(糟谷啓介・佐野直子訳、白水社・4600円)
著者は36年生まれ。フランスの言語学者。著書に『絶滅していく言語を救うために』など。


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