昭和天皇のお食事  板垣信久/小西千鶴  2019.4.14.


2019.4.14. 昭和天皇のお食事

著者
板垣信久 元宮内庁大膳課主厨長。1929年東京芝生まれ。51年宮内庁大膳課に入り洋食係となる。70年総理府技官として仏伊スイスへ9か月出張。71年フランス料理アカデミー名誉会員証受領。74年退官。現在仏料理「エトワール」(調布市布田)店主
小西千鶴 東京生まれ。学習院大卒。常磐会会員。桜友会会員。19歳より戸板康二、扇谷正造に師事。皇室評論家として新聞雑誌等で幅広い執筆活動を行う。香道、日本画、仕舞、日舞、茶道等、幅広い分野に造詣が深く、伝統文化研究家としても活躍。著書に『昭和天皇の素顔』(74)、『心の味付』(83)

発行日           1998.8.10. 初版発行
発行所           旭屋出版(早嶋健)

はじめに 小西千鶴
皇室には世界に通じるマナー、フランス料理などスタンダードな形が正しく美しく伝えられている
昭和天皇の日常の食事は質素であられた。人間本来の食を謙虚なお心で健康的に召し上がってらしたご様子で、お身体によいものを召し上がるという食の原点ともいえる食生活
本書は、昭和天皇が召し上がっていた料理の一部を再現した写真集
作っていただいたのは、宮内庁大膳課におられた板垣氏で、天皇の料理人・秋山徳蔵氏の愛弟子
料理名は、大膳課内の呼び方に倣う

²  晩餐会 ご宴会の料理
宮中晩餐会、午餐会、御陪食では西洋料理(フランス料理)を差し上げる
献立は、秋山主厨長と宮内庁式部官とで決定。フランス料理を基本としつつ、日本的なものや旬のものを適宜取り入れ
68人分を銀器に盛ってご覧いただき、サイドテーブルで1人分づつ盛り分けて配膳
スープは牛肉のコンソメが多い。牛を食べない国の場合は鶉

Ø  宮中晩餐会の料理
大きな晩餐会では数か月前から献立づくり、材料の調達といった準備が始まる
お料理は主賓の方のお国柄やお好みを反映するよう心遣いされたものを用意
63.5.28. タイ王国プミポン国王夫妻歓迎の宮中晩餐会 ⇒ コンソメスープ、舌平目のグルメ、フォアグラのムースと牛フィレ肉の大使風、季節のサラダ、デザートは富士山の形に模したアイスクリーム「グラス・フジヤマ」

Ø  夜会・立食パーティーの料理
冷製料理が多くなり、ひと口で召し上がっていただけるよう調える
サケのメダイヨン、小物料理(立食で用意する小ぶりな冷製料理の総称)、鶏肉のショウフロウ(ゼリーがけに調えた鶏肉料理)

Ø  園遊会の料理
焼き鶏、カナッペ、ちまきずしなどを用意
ジンギスカンと焼き鶏は大膳のものが焼きたてを差し上げる

Ø  晩餐会 ご宴会の魚介料理
淡白な白身魚が多いが、伊勢エビのテルミドール、鮎など
ヒレ・ド・ソール・ア・ラ・カルディナール(舌平目)
サーモンのアメリケーヌソース(白ワインでマリネしたサーモンを蒸し焼きにしたもの)

Ø  晩餐会 ご宴会の肉料理
牛や仔羊が多い
晩餐会では、魚介と肉の間に家禽類の料理も出す正式のフルコースが多い
ジゴ・ド・アニョーのロースト(仔羊のジゴ(後足)の丸ごとロースト)のドミグラスソース
コート・ド・アニョーのロースト(仔羊のロースのロースト)
牛ヒレ肉のルネッサンス風(ベーコンを巻いて焼き上げる)
ローストビーフ(小麦粉と粗塩で生地を作って肉汁を封じ込める)

Ø  晩餐会 ご宴会のデザート
グラス・フジヤマ(富士山を模したアイスクリーム) ⇒ 高さ20㎝にも
プディング・オゥ・ザマンド(アーモンドを使ったイギリス風の古典的デザート)
プディング・オゥ・マロン

²  ご日常の料理
食事時間はいつも規則正しく、朝は8時半、昼は12時過ぎ、夕食は6時ごろ(渡辺の記述と異なる)

Ø  ご日常の朝食
ほとんどの場合洋食
オムレツやハムエッグス

Ø  ご日常の昼食
和洋交互
カレーライス、マカロニグラタン、スパゲッティ、サンドイッチ、イカのライス詰め

Ø  ご日常の夕食
ヒルとダブらないよう和洋を調整
牛ヒレ肉のステーキ、小鯛のムニエル

Ø  ご日常のスープ
コンソメが多く、浮き身の少ないシンプルなものがお好み

Ø  ご日常の魚介料理
サンマやイワシなども使う。多くは築地から仕入れ。御用邸では地のものも使う

Ø  ご日常の肉料理
幅広い材料を使う
陛下は豚足がお好き
牛ヒレ肉のステーキ、牛肉のブルギニヨン(ブルゴーニュ産赤ワイン煮込み)、ポトフ、牛タンのシチュー、アイリッシュシチュー(ラム肉)、豚足の煮込み、鹿肉のタルタルステーキも

Ø  ご日常の温野菜
毎食サラダをご用意する他、温野菜もガルニチュール(付け合わせ)も含めよくお出しした
青豆のフランス風煮物、小蕪のファルシー(蕪に鶏肉を詰めたもの)、セロリのスープ煮、白芋(じゃが芋)のチーズ焼き、スイートポテト、黄芋(サツマ芋)の丸焼き(陛下は黄芋がお好き、皮ごとほっくり焼き上げバターを乗せる)

Ø  ご日常のデザート
毎食大膳が用意することは少なく、季節の果物は常にお出しする
水は「煮冷水(にひやみず)」という湯冷ましで、元は御所近くの湧水
ポンム・マジェスティック(焼きリンゴ)、イチゴのババロア、桃のコンポート、苺のパイ、スフレ

²  料理の解説と作り方

²  宮中のしきたりと陛下のお食事 小西千鶴
お年を召されてからの毎日の総カロリーは1,8002,000cal(ママ、渡辺書と差異)
カルグルトという乳酸飲料を長年にわたって飲まれていた
「御用達」制度ができたのは1891年。宮中に出入りするに相応しい実績と技術に秀でた業者には木札の御門鑑が与えられた ⇒ 明治時代には31軒、大正27軒、昭和27軒で、1951年まで60年間続いた。その3年後制度は廃止されたが、出入り業者が御用達を掲げていても問題はなかった
大膳の料理人以外が作ったものを召し上がるようになったのは戦後
1958年おぎのやの峠の釜めしを陛下が召し上がっている ⇒ 特別メニューを作り「皇室セット」と名付けた
1947年北陸3県御巡幸の際、敦賀でお泊りの時鰻の蒲焼がたくさん出て、全部召し上がったとの記事が新聞に載り、行く先々で毎晩鰻が出た
全国巡幸の成就の中で、郷土料理を召し上がるご経験をされ、各地の名産、名物の山海珍味の料理は、国民との距離を近くし、親しみやすい天皇という感動を国民に抱かせた

²  陛下にお仕えした大膳課での日々 板垣信久
大膳に入ったのは、義兄が秋山徳蔵(当時主厨長)の土地を管理していたのが縁。3年の間宮内庁御用達の上野精養軒、丸の内会館、常盤屋で修行。4,5年で厨司となって陛下に差し上げる料理を直接作り、お客様に出す料理を作るまでには10年近くかかる
主厨司になると、陛下の御巡幸先にお供し、宿泊先の方々から料理について相談を受ける
70年ヨーロッパ出張、主にパリに滞在して一流のホテルや名店で修業、近隣各国にも出かけて名店の名物的な料理を教わる機会を得た
「人生(ひと)は夢、夢ありてこそ希望(のぞみ)あり」という言葉を贈る ⇒ 夢や希望に邁進する力、そして開かれる可能性に限りない情熱を込めて欲しいと強く願う。そこに必要なものが「真心」だということを秋山師に教わった


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