風まかせ十二カ月 柳家三三 2026.7.20.
2026.7.20. 風まかせ十二カ月 柳家三三の落語つれづれ
著者 柳家三三(やなぎや・さんざ)1974年小田原市生まれ,落語家.93年小田原高校卒業,柳家小三治に入門,前座名「小多け」.96年二ツ目昇進「三三」と改名.2006年真打昇進,現在に至る.2004年にっかん飛切落語会若手落語家大賞,16年文化庁芸術選奨文部科学大臣新人賞(大衆芸能部門)ほか受賞多数.著書に『前略、高座から――。』(三栄),『王子のきつね』(あかね書房),『1日3分 脳とのどを鍛える 音読落語』(幻冬舎)監修.漫画『どうらく息子』(小学館)で落語監修,映画『しゃべれどもしゃべれども』で落語指導.
発行日 2026.3.3. 第1刷発行 2026.6.5. 第3刷発行
発行所 岩波書店
月刊誌『図書』(岩波書店)に連載 2025年1月号~12月号 『落語家12か月』
² 無駄と遠廻りと、行きあたりばったりと――「はじめに」に代えて
私の大師匠5代目柳家小さん(1915~2002)がよく説いた教えが、「芸は人なり」で、まずは人間を磨かなくちゃいけないとよく言っていた
城下町生まれで城好き。春風亭昇太と甘楽の麻場城跡に行く
指定:平成元年8月24日 町指定史跡
麻場城は、甘楽町の東北丘陵地帯の舌状台地上の先端部に立地した丘城である。当城は、この地の豪族白倉氏の居城であり、約500m東方にある仁井屋城と合わせて白倉城と呼ばれ、別城一郭(双子城とも言って、二つの城が一人の城主のもとに相助けて戦う構造)の形態といわれている。
城址公園整備に伴い、平成元~3年(1989~1991)に調査が実施され、本丸(城の中心となる曲輪で、東西の南側約60m、同北側約42m、南北約54mの台形状)内には、土塁(土を盛り、たたいて固める)がまわっていたと推考でき、周囲には空堀(上幅約15m、下幅約3.5m、深さ約6mの逆台形)がめぐり、東側の堀と北側の堀のほぼ中央付近には橋を架けたと思われる穴が見つかっている。
虎口(出入口)は、本丸の南側中央にあり、幅約2m弱の土橋構造で、二の丸(本丸を保護する曲輪)へと続いている。
白倉氏は、小幡氏と並んで関東管領上杉氏の重鎮であったが、天正18年(1590)国峯城と同時に落城し、小幡氏とともに滅んだ。
平成4年(1992)4月、麻場城址公園となった。
中学1年で寄席に行き、小三治を見て嵌る。翌年入門志願したが拒絶。高校卒業して再度志願し、仕方なく受け入れてもらう
² お正月は寄席で初笑い
寄せ芸人が1年で一番大事にする時期がお正月。大勢の客で忙しい
東京には落語の常打ちが上野、新福、浅草、池袋の4軒
年末年始の前座仕事を乗り切る大きなモチベーションがお年玉
² 二月には厄払い
節分には、仲入りで豆まきをやる。目玉は芸人の手拭い
節分の時期に演じられる落語が「厄払い」。昭和の名人8代目桂文楽(1892~1971)の得意ネタ
Ø コラム1◆噺のレギュラー、箪笥の肥やし?
不動のレギュラー噺が20~30席。一度おさらいすれば高座にかけられる準レギュラーが40~60席。数日から半月準備すればかけられる”二軍選手”が50席ほど。”箪笥の肥やし”が残り200席以上
² 三月は“花見”の噺で泣き笑い
佃育ちの白魚(しらお)でさえも花に浮かれて隅田川
3月になるとこの都々逸を口にする
落語には春の”花見”と冬の”大晦日(年末)”を扱ったものが多い。前者の代表作は「長屋の花見」、「百年目」は昭和の名人6代目三遊亭圓生(1900~79)の十八番
Ø コラム2◆……というわけで今日は泥棒の噺を
事前に演目を決めるのも決めないのもあり、すべてはお客次第
² 四月には新たな一歩を
真打になるパターンは、①席亭(寄席の経営者)の推挙、②協会幹部の推薦、③年功序列
Ø コラム3◆三遊派、柳派……
落語家の名跡(みょうせき)=芸名は、東京の落語界の場合、「三遊派」と「柳派」に大別
三遊派の宗家は三遊亭圓生。柳派は船遊亭(現在は入船亭)扇橋が元祖
初代はどちらも職業落語家の第1号と言われる三笑亭可楽で、もとは一門
² 五月は鰹とドキドキと
初鰹が重要な小道具として登場する有名な歌舞妓が「髪結新三(かみゆいしんざ)」の通称で知られる河竹黙阿弥作の《梅雨小袖昔八丈》だが、原作は落語の「白子屋政談」。大岡越前守が名裁きをする噺だが、話の作者は不詳。享保年間に日本橋の材木商白子屋で起きた主人殺害未遂事件。「大岡政談」の中で唯一、越前守が実際に裁きを下したもの
コラム4◆お稽古方法さまざま
“あげ”とは、覚えた噺を高座に上げるために、教わった師匠の前で演じて手直しをしてもらうこと
² 六月に降る雨と雪
この時期に相応しい演目が「夢の酒」。昭和の名人8代目桂文楽の十八番
元になった噺が「橋場の雪」。明治時代に滑稽噺の名手とうたわれた初代三遊亭圓遊が改作
Ø コラム5◆羽織の使いかたいろいろ
羽織の脱ぎ方で客を魅了したのが大阪の大看板、3代目桂春團治
² 七月はお暑いのがお好き
夕立が大事な役割を果たす噺が、「麻のれん」「宮戸川」「茄子娘」などだが、近頃の”ゲリラ豪雨”では情感も色気もない
「千両みかん」も夏の風情豊かな落語。上方落語の中でも相当の大ネタ
食と縁の深い夏の落語が「青菜」
Ø コラム6◆はじめての寄席
² 八月は怪談……のはずが
落語家の怪談噺で代表的なのは、三遊亭圓朝(1839~1900)の作品。「牡丹灯籠」「真景累ケ淵(しんけいかさねがふち)」「乳房榎(ちぶさえのき)」など
圓朝は、延々と続いて演じる自作の長編噺で評価を高める。「真景累ケ淵」はその代表作
Ø コラム7◆夏の怪談噺の思い出
戦後昭和の落語黄金期には、怪談噺は8代目林家正蔵の代名詞
² 暑さ厳しい九月のお祭り
この季節の代表作は「目黒の秋刀魚」
年に1度のファン感謝デー「落語協会謝楽祭」が毎年9月の第1日曜日に(暑さのため2026年からは6月開催に)、湯島天満宮で開催。前身は「圓朝まつり」で、命日の8月11日に墓所のある谷中の全生庵で開催
上方の落語界では「彦八まつり」というファン感謝イベントがある。上方落語の始祖米沢彦八(?~1714)の碑がある大阪市の生國魂神社で開催
Ø コラム8◆古典、新作を問わず
新作落語にも挑戦。古典落語で始まって、途中から違う物語りになる噺なども創作
² 十月の長雨に“待った”
秋の長雨で心晴れない日々が続く話が「笠碁(かさご)」。5代目柳家小さんと10代目金原亭馬生(1928~82)が得意とする
Ø コラム9◆寄席のひと味違う楽しみ
出囃子は演者のイメージに大きな影響がある大事なもの。二つ目以上の者には専用の出囃子がある。お囃子の師匠を「下座さん」と呼ぶ。全員が女性。紙切り芸の地囃子もやる
² 十一月の夜長に思いだすこと
11月開催の「博多・天神落語祭」は、2025年で19回目。日本最大の落語イベントとしてお馴染み。6代目三遊亭円楽師匠(1950~2022)の肝入りで始まった
Ø コラム10◆みんなで楽しく
寄席は日常の娯楽の場所だが、マナーは必要
² 名作で締めくくりたい十二月
「芝浜」は、年の瀬を題材にした噺の中でも「文七元結」と人気を二分する演目
「芝浜」は、昭和の名人3代目桂三木助(1902~61)の十八番だが、2007年暮れの立川談志(1936~2011)の名演が語り草に
² おわりに
亡くなった師匠小三治から「落語は誰かのためじゃなく、自分のためにやるんだ。お客が笑ったとか笑わなかったとか、人の目ばかり気にしてちゃダメだ」とアドバイスをもらったが、よく考えると、私は自分の思い通りにしゃべるだけでなく、自分の落語でお客が楽しんでくれることまでがセットになって、初めて喜びを感じる
岩波書店 ホームページ
当代きっての人気落語家、ときに熱く自身の体験を、ときに仲間や亡き名人たちとの思い出を、季節の移ろいを軸に鮮やかに描く。
内容紹介
小学1年生で落語に出会い、中学1年生から寄席通い。高校卒業と同時に入門して33年。希代の人気落語家が、季節の移ろいを軸に冴えた筆で綴る、落語界の素敵な話の数々。ときに自身の体験を熱く語り、ときに仲間や亡き名人たちとの思い出話に花を咲かせる。橘蓮二氏による写真もたっぷり。読み進めたら高座に駆けつけたくなる。
(著者に会いたい)『風まかせ十二カ月 柳家三三の落語つれづれ』 柳家三三さん
2026年4月25日 朝日新聞
■しなやかな出たとこ勝負 落語家・柳家三三(さんざ)さん
高校卒業と同時に柳家小三治に入門し、今年で芸歴33年。持ちネタを磨き、新ネタに挑み、新作にも意欲をみせる人気落語家が、12カ月にわたって雑誌に連載したエッセーをまとめた。
軽やかな語り口そのままにぐいぐい人を引き込む文章は、会場を掛け持ちする多忙な中でつづった労作。「広告の裏に下書きして、原稿用紙に下書きして、さらに原稿用紙に清書して。『ですます調』で字数を稼いで……」
落語が好きな人にも読み応えがあって、たまたま手に取った人もふーんと読める文章を、と心がけた。落語や寄席の楽しみ方、先輩や仲間との思い出、人気演目の成り立ち、名人ごとの演じ方のつぼなどを縦横につづる。
落語愛が随所ににじむが、「伝統を守りたい、とか、あふれる思いというものは、ないんです。そもそも自分が落語をやるのも、自分がしゃべってお客さんに楽しんでもらえれば、時間つぶしの役に立てるからで……」。
大上段に振りかぶって芸論を語りはしない。だが、大師匠・五代目柳家小さんの「笠碁」や師匠・小三治の「青菜」を振り返る筆致はこまやか。
せんべい屋の店先で立川談志に呼び止められた時の話にもゾクゾクさせられる。半月ほど前に会心の「芝浜」を演じた談志。その時の心境を語り聞かせる大先輩に投げかけたのは、何とも大胆な質問。「談志信者ではないから言えたことでしょうね」。談志は怒るでもなく、「まあ、悪い体験じゃあなかった」と言って口をつぐんだという。
芸の世界を掘り下げつつ、「どう受け取るかは、聞く人それぞれ。信念といっても自分の場合、誰かに『それ違うよ』と言われたら『あ、そうか』とすぐ変わる。インタビューでしゃべった考えも、載るころには違ってますよ」
出たとこ勝負の風まかせは、ぽきりと折れないしなやかさとも言える。「信念は、なくてもいいのでは。目の前のお客さんが喜んでくれる、自分が満足感を得られる、それが自分にとっての落語。みんなが一生懸命やった結果として残れば、それでいいんじゃないでしょうか」
(岩波書店・1980円)
(文・藤崎昭子 写真・慎芝賢)
NOTE
柳家三三 『風まかせ十二ヶ月 柳家三三の落語つれづれ』 岩波書店
2026年5月12日 23:27
一時期、落語を熱心に聴いた。家にはDVDも何枚かある。今でも動画サイトで噺の音声だけを聴いている。よく聴くのは、米朝、枝雀、小三治、馬生、志ん朝あたり。落語会や寄席に足を運ばなくなったはっきりとしたきっかけがあるわけではないのだが、柳家喜多八が亡くなって、その直後くらいに私と同世代の噺家の気迫溢れる独演会だったか二人会だったかを聴いたあたりで、ふと、もう落語はいいかな、と足があまり向かなくなった。ちなみに、最後に喜多八を聴いたのは2016年4月30日、横浜にぎわい座での「落語教育委員会 柳家喜多八、三遊亭歌武蔵、柳家喬太郎 三人会」だった。
そんなことはともかくとして、柳家三三も自分の中ではよく聴きに行った噺家の一人だ。喜多八が亡くなる前後のことだが、山梨県富士川町が落語で町おこしという大胆な企画を立てて、総務省から予算を取った、らしい。これは5年間の事業で、落語をネタにした企画で町の内外から客を呼び込むというものだ。企画の全容は知らないが、その一環として噺家と共に『鰍沢』という落語に縁の場所を巡る日帰りバスツアーというものがあった。たまたまイイノホールで『鰍沢』をテーマにした柳家小満ん、柳家喬太郎、入船亭扇辰の三人会を聴いた折に、会場でこの富士川町のツアーのチラシを手にした。ツレと、行ってみようか、ということになった。
「第一回」とあるが、鰍沢で『鰍沢』を演るという落語会は、当然、以前からある。名所巡りとセットにした企画が「第一回」ということだろう。
富士川町というのは、2010年3月8日に増穂町と鰍沢町が合併してできた町で、落語『鰍沢』の舞台である。舞台、と言っても、落語は実話ではないので、「ここで主人公の旅人が……」というような現場があるわけではない。そのあるわけではない現場を空想できそうな場所を噺家と一緒に巡り、締めとしてその噺家の『鰍沢』を聴いてみよう、というのがこの企画だ。ツレと私はこの企画に4回参加した。
何回目かの時にNHK甲府支局の記者が取材で同行した。その際、私はマイクを向けられ、このような企画をどう思うかと尋ねられた。
「いやぁ、落語で町おこしなんて無理でしょ」
と正直かつ的確に答えたつもりだったのだが、そういうものは放送に使われない。せっかくNHKのニュースに登場できたかもしれない機会だったのに残念なことだった。
なぜ、富士川町の『鰍沢』企画の初回に登場する噺家が柳家三三なのか。たまたまスケジュールの都合が良かった、ということなのかもしれないが、富士川町には「鰍沢三三会」という三三推しの団体があるらしい。芸人というのは贔屓筋を獲得してこそ成り立つ職業だが、三三という人の芸があり、それが多くの人を惹きつけて一つの世界を創り出し、それが波及的に拡大していく、というところが芸というものの面白いところだと思う。泡沫のように結んでは消える流行は日々無数に誕生しているのだろうが、「芸能」として確立された一定の世界を形成するのは容易なことではない。
本書はそういう噺家が記した落語についてのエッセイだ。面白くないわけがない。かといって、付箋を貼ったり、書き込みをしたりしながら読み込むようなものでもない。「読む」ということの気楽な愉しさを味わうのにちょうど良い塩梅の本だ。岩波書店の月刊誌『図書』に連載されていたものをまとめたので、各編の長さや内容のまとまりも小気味良い。はじめはこの本をネタにnoteに投稿するつもりはなかった。読み進めて終わりのほうにさしかかって、なんとなく本の中の雰囲気が変わった、気がした。
物語が展開して、あるところで微妙に空気が変わる噺が好きだ。物語そのものというよりも、場面場面で意識の底のほうで想起される自分の中のエピソードやちょっとした引っ掛かりがさまざまに反応し、新たな感慨や感情を生むのではないかと思う。落語というのは、特別な舞台装置があるわけではない。高座があって、座布団があるだけだ。噺家がそこに座って噺を演る。新しく拵えた噺もあるが、古くからさまざまな噺家が高座にかけてきた古典も少なくない。古典は話の展開からサゲに至るまでほぼわかっている。その噺のための定型のようなマクラもあり、そのマクラを聞いただけで、噺の筋は見えてくる。落語の面白いところは、そのわかりきったことを目の前の噺家がどう演るのか、というところに関心が向かうことかもしれない。或いは、そのわかりきった噺の中に未だ見なかった己の何事かを発見することかもしれない。発見して、笑ったり泣いたりするのである。
おそらく、発見する己が希薄な人には、落語はつまらないものにしか見えないだろう。落語はもういいかな、と思った自分は、たぶん、所謂「老化」の鳥羽口に立っていたのかもしれない。あれから10年、ということは、今の自分は、、、、、
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