検証 ナチスは『良いこと』もしたのか?  小野寺拓也/田野大輔  2024.5.15.

 2024.5.15.  検証 ナチスは『良いこと』もしたのか?

                    歴史学から見て、ナチスに評価できる点はあるか?

 

著者 

小野寺拓也 1975年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。昭和女子大学人間文化学部専任講師を経て、東京外国語大学大学院総合国際学研究院准教授。専門はドイツ現代史

田野大輔 1970年生まれ。京都大学大学院文学研究科博士後期課程研究指導認定退学。博士(文学)。大阪経済大学人間科学部准教授等を経て、甲南大学文学部教授。専門は歴史社会学、ドイツ現代史

 

14回紀伊國屋じんぶん大賞2024〔第1位〕

 

発行日           2023.7.5. 第1刷発行       

発行所           岩波書店 (岩波ブックレット)

 

 

はじめに

l  ナチスがした「良いこと」?

「ナチスは良いこともした」という議論が、定期的に繰り返されている。 最近の事例としては、20212月に、小論文を教える予備校講師のツイートがちょっとした騒ぎとなった出来事が挙げられる。そのツイートは、指導する女子高生が「ヒトラーのファンでナチスの政策を徹底的に肯定した内容」の小論文を提出したが、「文体が完璧」で添削に困った、というものだった。 20217月には、ドナルド・トランプ大統領が在任中の2018年に大統領首席補佐官ジョン・ケリーに対し、「ヒトラーは良いことをたくさんした」と発言したと報じられた(トランプ自身はそれを「フェイクニュース」であるとして、発言したこと自体を否定している)。ドイツでも状況はそれほど変わらない。2007年に、あるニュースキャスターが家族政策やアウトバーンなどナチスの政策には良い面があったという趣旨の発言をして、世論を二分する騒動になったことがある。「ナチスは良いこともした」という議論は、なぜこれほどまでに沸騰するのだろうか。そもそも「良いこと」とは何なのだろうか。 まず考えてみたいのは、「ナチスは良いこともした」とあえて発言することがもつ意味合いだ。何を「良いこと」「悪いこと」と考えるかは最終的には個人の価値観の問題だとするならば、そもそもなぜこのようなことが議論になるのかがわからない、人それぞれ考えが違うということでいいではないかという立場も、あり得ると言えばあり得る。 しかし実際には、そのような立場はほとんどの人にとって受け入れがたいものとなる。それはおそらく、「ナチスは良いこともした」という場合の「悪いこと」について、ほぼ共通了解があるからだろう。戦争、ホロコースト、障害者に対する「安楽死」、政治的な敵対者に対する抑圧などがそれである。これらを「良いこと」であると表明することは、現代社会においてけっして許容されない。「良いこと」だと主張する人が時々あらわれることはあるが、幅広い共感は得られない。 前述の女子高生による小論文は、「虐殺の有用性」を肯定する内容だったことが後に明らかになった。それもあってか、ネット上での議論も急速に冷めていった。 ここからもわかるように、現代社会においては、ナチスには良くも悪くも「悪の極北」のような位置付けが与えられている。ナチスは「私たちはこうあってはならない」という「絶対悪」であり、そのことを相互に確認し合うことが社会の「歯止め」として機能しているのである。「ナチス」と名指しされて、それを受け入れる人は現代社会にはほとんどいないだろう。自分はナチスとは違うと、否定する人間が大多数ではないだろうか。こうした意味で、ナチス認識はその裏返しである「私たちの社会はこうあるべき」という、「政治的正しさ(ポリコレ=ポリティカル・コレクトネス)」と密接につながっている。

l  「歴史に善悪を持ち込むな」は正しいか? 

そしてまさにこの点にこそ、少なくない人びとが「ナチスは良いこともした」と語りたくなる原因がある。 一つには、「物事にはつねに良い面と悪い面があるのだから、たしかに戦争やホロコーストなどは悪いことだったかもしれないけれども、探せばいろいろと良い面もあったのではないか」という、それ自体としては真っ当な疑問がある。民主的に選ばれた政権だ、アウトバーンを作った、失業率を低下させた、経済を建て直した、歓喜力行団で誰でも旅行に行けるようにした、有給休暇を拡充した、禁煙政策を進めた、先進的な環境政策をとった、制服が格好いい、などなど。本書で詳しく検討するように、これらには事実認識として誤っているもの、事実関係は間違っていないが各々の政策が置かれている歴史的文脈への理解が不十分なものが数多く含まれている。さらには、多くのドイツ人が熱狂的にナチ体制を支持していたのだから、少なくとも当時は「良い」ことと思われていたのではないか、という意見もある。「当時の人びと」の価値観はけっして一枚岩ではないし、支持していたことと「良い」と思われていたことはイコールでもないのだが、ともあれきちんと考えてみる必要のある意見ではある。 ただし「歴史に善悪を持ち込むな」「尺度は時代や文化で変わる」という、しばしば見られる(そして一見正論に見える)議論については、ここで一言述べておく必要があるだろう。 私たちが過去を振り返るとき、そこにはつねに「切り取る」という行為が付いて回る。たとえば、朝起きて顔を洗い、ヒゲを剃ってからご飯を食べる。家を出て駅に向かい、職場に到着する… …。いずれも私自身の「過去」であるが、そのような「過去」を普段の私は振り返ろうとは思わないし、記録したいとも思わない。あまりにありふれていて、振り返る必要を感じないからだ。しかしたとえば東日本大震災のときに自分はどのような生活を送っていたか、コロナ禍のもとで何を感じていたかということは、後になって振り返る必要を感じるかもしれない。「平時」ではない時期に生じる「断絶」や「変化」に、歴史研究者としての「私」が強い関心をもち、そうした一側面を「切り取る」ことに大きな意味を見出すからだ。 歴史家E・H・カーは『歴史とは何か』のなかで、もう少し高尚な例を用いて同様のことを説明している。カエサル以前も以後も何百万人もの人びとがルビコン川を渡っていたかもしれないが、そのことを誰も何とも思わない。カエサルがルビコン川を渡ったという事実が指摘されるのは、歴史家がそこに大きな歴史的重要性を見出すからこそなのだ、と。 何が言いたいかといえば、過去を「切り取る」ときに自分のその時々の立場性とまったく無縁でいることは不可能だし、そもそもそれは歴史研究の現実と著しく乖離している、ということだ。「歴史的事実は「純粋なまま」でわたしたちのところにはやって来ない。なぜなら歴史的事実は純粋な形態では存在しないし、存在しえないから(1)」だ。何を注目に値する問題と見なし、何をどのように切り取るか。そこに一人ひとりの主体性や個性が発揮される。 しかしだからといって、どのように切り取っても叙述しても自由ということにはならない。切り取り方や叙述の仕方の妥当性(そして、そもそも切り取ってきたものが「正しく」過去を反映しているか)は、厳しいチェックの目にさらされる。キャロル・グラックが指摘するように、過去は「歴史家や社会が歴史を語るべく選択した物語の中に… …隠れて存在する(2)」のだ。過去は単なる「素材」であって、現在の立場や必要性からそれを自分の好きなように「加工」してよい、ということにはならないのである。 善悪を持ち込まず、どのような時代にも適用できる無色透明な尺度によって、あたかも「神」の視点から超越的に叙述することが歴史学の使命だと誤解している向きは多い。端的に言ってそれは間違いだし、そもそも不可能である。誰もが社会のなかで生きていて、そこから何らかの影響を受けており、それぞれに価値観をもっている。人びとがそれぞれに過去を自分の立ち位置から切り出してくるなかで、切り取られてきたものの妥当性を相互チェックするというのが学問本来のあり方だろう。「無色透明」な歴史叙述という不可能な到達点をめざすのではなく、自分にも他人にも色があることを認めた上で、相互チェックによって誤りや偏りを正していくということである。

l  〈事実〉〈解釈〉〈意見〉という三つの層 

実はもう一つ、少なくない人びとが「ナチスは良いこともした」と語りたがる理由がある。そういう主張によって、現代社会における「政治的正しさ(ポリコレ)」をひっくり返すことができるのではないかと考えられているのだ。ただし、これについては本書の「おわりに」でもう少し詳しく説明することにして、ここではさしあたって、次のことを確認するにとどめておきたい。すなわち、「ナチスは良いこともした」という主張には、歴史学の立場から丁寧に「話せばわかってもらえる(かもしれない)」次元と、議論する者それぞれの立場性に絡む「話してもわかり合えない(かもしれない)」次元の両方が含まれている、ということである。 歴史的事実をめぐるこうした問題を別の観点から整理すると、〈事実〉〈解釈〉〈意見〉の三層に分けて検討することができるかもしれない。 歴史学は何らかの形で事実性に立脚しなければいけない。それに反するものは主張の根拠とすることはできない。この点にはほとんどの人が同意するだろう。ここで「事実」ではなく「事実性」という言葉を使ったのは、たとえば1933130日にヒトラーが首相に任命されたという揺るぎない「事実」だけでなく、先ほど述べたような、当時の人びとがどう思っていたかという「心性」のような問題も歴史学は扱うからだ。その場合、日記でも手紙でも、裁判記録でも聞き取り調査でも、とにかく検証可能な何らかの形の根拠にもとづいていなければならない。もちろん過去のすべてが記録に残っているわけではないから、推測を迫られることもあるが、そうであっても、すでに明らかになっている事実性に矛盾するような推測は許されない。 そういう意味で、本書でも後で説明するように、「ヒトラーはアウトバーン建設によって経済を回復させた」という主張は、端的に言って事実に即していないし、「ナチスの制服が格好いいのはヒューゴ・ボスがデザインしたからだ」というしばしば見られる主張も、根拠のあるものと見なすことはできない。ボスが制服を卸していたのは事実だが、デザインしていたという事実は確認されていないからだ(ボスがファッション・ブランドになったのは戦後のことで、ナチ時代は制服を卸す縫製工場の一つにすぎなかった)。 もっとも、こうした〈事実〉のレベルで片付けられる問題は、実はそれほど多くない。歴史学においておそらくもっとも重要な、しかし社会においてしばしば非常に軽視されがちな点が、二番目の〈解釈〉の層、歴史研究が積み重ねてきた膨大な知見である。 たとえばナチスの家族政策を例に考えてみよう。ナチ体制下では将来の兵士や労働力を産み育てることが強くもとめられ、出産に対して様々な報奨制度が存在した。結婚に際しては貸付金が与えられ、子どもを一人産むごとに返済額が四分の一ずつ免除された(つまり四人産めば全額免除となった)。全国母親奉仕団が母親学校を開催し、主婦・母親としての訓練を施した。全国25,000カ所の母親相談所では、母親への助言や情報に加え、乳児の下着や子ども用ベッド、食料品などの現物支給も行われ、1,000万人以上の母親がそうした支援を受けた。会社内には幼稚園が設けられ、ケースワーカーが生活問題全般の相談に乗った。親衛隊の「生命の泉」では未婚の母への支援も行われた。これだけ〈事実〉を列挙すると、「やっぱりナチスは良いこともしたではないか」と感じる人が多く出てきても不思議ではない。現在の政府によるお粗末な子育て支援よりもはるかに充実しているではないかと、羨ましく思う人もいるかもしれない。事実、「女性に様々な配慮をしていたナチス・ドイツは、子育て大国だったのだ」と主張する本も出版されている。だが歴史研究が取り組んできたのは、こうした家族政策がどのような文脈で、どんな政策とセットで行われたのかという問題だ。 ナチスの家族政策に関して忘れてならないのは、こうした支援策の対象となったのが、①ナチ党にとって政治的に信用でき、②「人種的」に問題がなく、③「遺伝的に健康」で、④「反社会的」でもない人びとだけだったという点である。社会主義者や共産主義者などの政治的敵対者やユダヤ人、障害者や「反社会的分子」とされた人びとは、そこから排除されていた。しかもナチ体制下では、地方保健機関の発行する「婚姻健康証明書」で遺伝的健康が証明できなければ結婚できなかったし、(3)子どもを産まない「繁殖拒否者」には罰金が科されていた。さらに障害者に対しては、まずは強制断種(40万人)、さらには「安楽死」(30万人)という名の殺害が行われた。同性愛者も迫害を受け、5万人に有罪判決が下されている。そのうち強制収容所に送られたのが5,00015,000人、死者は3,000人程度とされる。ナチスの家族政策は、こうした人種主義的な「民族共同体」を構築するための手段の一つだったのだ。さらに言えば、結婚資金貸付制度も当初は女性が仕事を辞めることを給付の前提としていた。ナチスは少なくとも政権初期段階では「反女性解放」を掲げる体制でもあった。「目的や文脈などはどうでもいい、良いものは良いのだ」と感じる人も、ひょっとしたらいるかもしれない。たしかに三つ目の層である〈意見〉は最終的には個人的なものであるから、そのような考えをもつこと自体を止めることはできない。ただしそこでぜひとも知っておいてもらいたいのが、ドイツ語の「Tunnelblick」という言葉である。そのまま日本語に訳すと、「トンネル視線」とでもなるだろうか。自分にとって都合の良いところ(この場合は「ナチスの良いところ」)だけを照らし出し、それ以外が見えなくなっている状態を指す。〈解釈〉という層が非常に重要である理由が、まさにこの点にある。歴史研究の蓄積を無視して、〈事実〉のレベルから〈意見〉の層へと飛躍してしまうと、「全体像」や文脈が見えないまま、個別の事象について誤った判断を下す結果となることが多いのである。そうした目的や文脈を含めてもなお「良いこと」と強弁することは可能かもしれないが、現代社会においてそれが共通了解となることはおそらくないだろう。これは一般読者でも研究者でも状況は同じである。一次史料ばかり収集しても関連する研究文献をきちんと読み込んでいなければ、研究者ですら思い違いを免れない。歴史学で卒業論文を執筆する学生が「研究史が何よりも大事だ」と耳にタコができるほど聞かされるのも、基本的には同じ理由による。 もちろん、歴史研究者も万能ではない。思い違いをすることもあるし、他者の批判を受けてようやく認識の不足に気付くということもある。しかしだからといって、〈解釈〉の層を飛び越してよいということにはならない。〈事実〉から〈意見〉へと飛躍することの危うさは、何度でも指摘しておく必要があるだろう。〈意見〉をもつことはもちろん自由ではあるが、それはつねに〈事実〉を踏まえた上で、〈解釈〉もある程度はおさえたものでなくてはならない。 二棚二二年度から高等学校で「歴史総合」が始まり、歴史事象について自分の〈意見〉をもつようもとめられることが増えていくだろう。その際、〈事実〉〈解釈〉〈意見〉という三層構造は、「歴史的思考力」の前提としていよいよ重要になってくるはずである。

l  本書について

このように、本書はこれまでの70年以上にわたるナチズム研究の成果を踏まえて、「ナチスは良いこともした」論の検証を行うものだが、関連する事実関係や研究史の流れを一冊にすべて盛り込むことは、もとより不可能である。そこで本書では、巻末に読書案内を掲載し、関心をもった読者がさらに理解を深めるための日本語文献を紹介している。それ以外の参考文献についても、岩波書店のHPPDFファイルとして掲載している。参考にしていただければ幸いである。 本書の執筆にあたっては、「はじめに」、第三章、第六〜八章を小野寺が、第二章、第五章、「おわりに」を田野が、第一章、第四章を共同で執筆した上で、相互に目を通して加筆修正した。両者の研究者としてのスタンスには多少のズレがあるが、できるだけ相互に意見を擦り合わせた。もちろん、最終的な文責は両者が負っている。 最後に、「ナチ/ナチス」の呼称について説明しておきたい。日本では「ナチス」という呼称が定着し、あらゆる場面で「ナチス」と呼ぶことが一般化しているが、本来「ナチス」は複数形である。組織や団体としてのナチスを指す場合には単数形、あるいは形容詞である「ナチ」が適切だ。したがって本書では、とくに複数形であることを意図しない場合には、「ナチ党」「ナチ体制」「ナチ・ドイツ」「ナチ家族政策」など、できる限り単数形で表記した。他方、携わった様々な人びとを含意する場合には「ナチス」とした。とはいえ、両者の間に明確な境界を引くことは難しい。「ナチス党」「ナチス体制」は明らかにおかしいとしても、「ナチ家族政策」と「ナチスの家族政策」という表記はどちらもあり得る。さらに、社会的な議論に言及する際には、慣用的な意味で「ナチス」と表記せざるを得なかった箇所もある。前記を原則としつつも、最終的にはケースバイケースで判断したことをお断りしておきたい。

(1)E・H・カー(近藤和彦訳)『新版 歴史とは何か』岩波書店、2022年、30頁。

(2)キャロル・グラック(梅﨑透訳)『歴史で考える』岩波書店、2007年、3頁。

(3)武田知弘『ナチスの発明 特別編集版』彩図社、2008

 

第1章    ナチズムNationalsozialismusとは?

l  ナチズムを「国民社会主義」と訳すべき理由

高校教科書の訳語は「国民社会主義ドイツ労働者党」となっているが、Wikipediaなどでは「国家社会主義」となっており、いずれもNationの訳語としては妥当だが、歴史研究者が「国民社会主義」にこだわる理由は以下の3

   「国家社会主義」とは、「国家主導の社会主義体制」という全く別の内容を意味し、国家権力が生産手段を国有化する社会主義体制のことで、ナチズムに一定の「社会主義」的な要素が含まれていたのは事実だが、ナチスの「社会主義」はかなり特殊な意味合いを帯びる

   「国家社会主義」という訳語は、ナチズムの本質を見誤っている。ナチズムは、国民・民族を優先する思想で、国家は国民・民族に仕える道具でしかない

   「国家社会主義」という訳語によって、人びと=国民のナチ体制への協力を見ないようにしようとしているのではないかという疑念

1980年代までのナチ研究は、ナチ体制はヒトラーの思想が上意下達されていく全体主義体制だったとする「意図派」と、機能(幹部)エリートたちが様々な形で体制に関与することで成り立つ多頭制的な支配だったという「機能派」に分かれていたが、いずれも議論の対象は基本的にエリートに限定。ところが、90年代以降学界を席巻している研究の枠組みは、「普通の人びと」による同意、協力、支持、少なくとも黙認があったからこそナチ体制が成り立っていたという「賛同に基づく独裁」論で、人びとは強制・洗脳があったとしても、それぞれが「主体性」と「動機」をもって様々な形でナチ体制に協力していたことが明らかになっていった

その背景を考える上で欠かせないのが、「民族共同体」という概念

l  「民族共同体」とは何か?

1次大戦開戦当初、ドイツで多くの人々が口にしたのが「城内平和」で、挙国一致の意

敗戦後、ヴァイマール共和国が成立しても暫くは内戦が続き、ドイツの内部対立は激化。その後一時安定したが、世界恐慌以降は再び殺伐とした混乱状況となる。その中で「民族共同体」をスローガンに支持を広げたのがナチ党だが、その裏には、ユダヤ人、シンティ・ロマ、政治的敵対者、同性愛者や障碍者など、「共同体の敵」を徹底的に排除する思想があった

包摂と排除のダイナミクスこそがナチ体制の本質であり、ヒトラーにとってナショナリスト=国民主義者(自民族が他民族に対し自己主張できること)でありということと、社会主義者であるということはほぼ同義であり、「民族共同体」の構築によって国民の支持を取り付け、それによって「敵」に対する戦争や暴力を可能にすることを目指した。これこそがナチズムの訳語が「国家社会主義」ではなく「国民社会主義」でなければならない理由

l  ナチズムは「社会主義」か?

ナチが掲げる社会主義は、ドイツ民族・国民のためだけの社会主義であり、民族至上主義・人種差別主義と結びついた社会主義にほかならず、本来の社会主義と明白な敵対関係に立つ

社会的平等を目指す「社会主義的」な政策が導入された背景には、労働者を懐柔して階級闘争から引き離し、格差のない「民族共同体」に統合しようとする狙いがあったが、究極的には侵略戦争という目的に奉仕するもので、労働者を軍需産業につなぎ止めておくための社会政策的譲歩でしかなかった

2次大戦後の冷戦期には、ナチズムをスターリニズムと同様「全体主義論」の枠組みでとらえる見方もあり、反共産主義のイデオロギーとして注目されたが、現在では、複雑な支配の実態に注目するアプローチに取って代わられている

欧米におけるポピュリズムの台頭を受け、ナチスが親労働者的な政策を取った点に着目して、「左翼ポピュリスト」と規定する者もいるが、ナショナリズムの本質を見誤らせる

「ヒトラーは社会主義者だ」という主張は、ナチ党名に「社会主義」「労働者」が含まれていることもあって、「事実」に依拠した適切な「意見」であるかのように思われがちだが、歴史研究の積み重ねという「解釈」の多くを無視し、飛び越すことによって成り立つ「意見」に過ぎない

歴史研究において何が適切な「解釈」とされているのかを踏まえて自分の「意見」を形成する努力を放棄すべきではない。それによって初めて、様々な政治的意見を持つ人びとが一定の幅を持った認識を共有することができる

 

第2章   ヒトラーはいかにして権力を握ったのか?

ヒトラーが選挙を通じて広範な支持を得たのは間違いないが、いくつかの留保がつく

l  ヒトラーは民主的に選ばれたのか?

   ナチ党が単独過半数はおろか、保守勢力との連立を図っても過半数には満たず、ヒトラーの首相就任は議会の選出によるものではない

   首相指名は大統領の権限に基づくもので、大統領周辺の保守勢力との提携が鍵を握る

   ナチスの権力掌握の過程では、宣伝活動と並行して暴力の行使も大きな役割を果たす

世界恐慌後の選挙で18.3%の支持を得て第2党に躍進、ヴァイマール体制への最大の反対勢力として、ナチ運動が草の根レベルにも浸透、党の準軍事組織である突撃隊は左翼勢力との街頭闘争で存在感を発揮し、若者を惹き付け、32年の選挙では37.4%の支持で第1党に

共産党も14.6%を獲得、両社合わせた反議会勢力が過半を占め、国会は麻痺状態に

大統領は独自の権限で首相を指名するも、いずれも政権運営に行き詰まり、次の選挙でナチが党勢を後退させ、代わって共産党の脅威がさらに高まると、ヒンデンブルクは右派連立政権を構想、首相にヒトラーを選ばざるを得なくなる。保守派に見通しの甘さがあったのは確か

ヒトラーは、ナチ運動の暴力的なダイナミズムを背景に、就任直後に国会を解散、総選挙とし、政権党の地位を利用して大規模な宣伝活動により「国民革命」の遂行を訴えるとともに突撃隊を補助警察に任命し、反対派の弾圧を行う。選挙の得票は43.9%だが、逮捕された共産党議員票を棄権と見做して「全権委任法」を制定、立法権を政府に移譲、「法の支配」を空洞化

ヒトラーによる急速な「強制的同質化」が進んだのは、国民の多くが、積極的歌消極的かを問わず、新体制にこぞって忠誠を誓うようになったため

ヒトラーの権力掌握は、民主主義の自己破壊を本質とするもので、議会制民主主義の終焉を望んだ民意を背景に遂行されたという意味では基本的に「民主的」といえるが、ナチの支持率が過半数に満たなかったのは、国民が1党独裁を望んでいなかったのも事実で、それが可能になったのは憲法の制度上の脆弱性や物理的な暴力行使によってであった

「ヒトラーが民主的に選ばれた」という議論は、そうしたナチスの暴力性を覆い隠してしまう

l  ナチスの宣伝は効果的だったのか?

ヒトラーの権力掌握には、ナチ・プロパガンダの絶大な威力が発揮されたと言われる

1920年代後半まで、急進右派の弱小政党だったナチ党を際立たせていたのは、大衆を熱狂させることのできる演説家で、政治的・組織的な手腕にも長けた指導者を有していたこと

『わが闘争』でも「宣伝と組織」の重要性を説いていて、ベルリン大管区長のゲッペルスによる街頭での流血騒動を通じて世間の耳目と若者の支持を集める作戦が奏功。一方で、反ユダヤ主義的言動を抑制し、階級の枠を超えた国民統合の必要性を強調した穏健路線も前面に打ち出し、危機に面した国民の不安や願望に応えることにも成功。重点対象となったのが北ドイツで拡大しつつあった農民の過激な抗議運動

国民世論の変化は、政府によって大規模かつ組織的に展開されるようになったプロパガンダの成果。ゲッペルス宣伝大臣は「総統神話」の形成に注力し、ヒトラーは国民統合の象徴と化す

l  ヒトラーにも優しい心があったのか?

ナチ体制を支えた決定的な要因は何よりもヒトラー個人の圧倒的な人気であり、彼のカリスマ性。その中には民衆と分け隔てなく交流する人間的なイメージもあったところから、近年でも「ヒトラーにも優しい心があった」との主張がしばしば繰り返され、同調者も少なくないが、それはあくまでナチスの宣伝が作り上げたイメージで、宣伝に乗せられた迂闊な反応と言わざるを得ない。人々の共感と信頼を搔き立てるこの親密なイメージが、ヒトラーの暴政を可能にした原因の1つだったことは明らかで、民衆のそういう心情こそナチ体制にとって重要な政治的資源だった。併せて、女性も政治的に利用されたグループといえる。男は感情を殺し、女子どもは感情を爆発・歓喜させるという、「感情のジェンダー化」というメカニズムが作り出され、ナチ体制への熱狂的な支持を強調しているので、こうしたナチ体制による政治的演出を真に受けてると、「感情のジェンダー化」という固定観念もそのまま受け継いで仕舞い兼ねない

 

第3章   ドイツ人は熱狂的にナチ体制を支持していたのか?

ナチズム研究では1990年代以降、「賛同に基づく独裁」論が一般的。人びとがナチ体制に同意・協力した理由は様々だが、反ユダヤ主義政策を軸に、ドイツ人の多くが熱狂的にナチ体制を支持していたのかどうかを検証する

l  ドイツにおける反ユダヤ主義

ドイツにおいて反ユダヤ主義が広がった決定的な転機は第1次大戦

19世紀末~20世紀初頭のグローバル化の中で、付随する社会のゆがみをユダヤ人のせいにする動きはヨーロッパ全体で根強いものがあったが、特に第1次大戦で劣勢になったドイツでは、敗北の原因をユダヤ人に帰す反ユダヤ主義的な煽動や暴力、差別が急速に拡大

「社会的反ユダヤ主義」は、当時ドイツに限らず多くの国に存在したが、ナチ党の暴力的な反ユダヤ主義とは必ずしも相容れないし、ヴァイマール共和国でも「政治的反ユダヤ主義」への動きは稀薄であり、政治的に利用する意思がなければ差別が助長されることはなく、その意味で、反ユダヤ主義を「国是」として掲げたナチ体制は、それまでとは決定的な「断絶」を画した

l  「民族共同体」への包摂によって得られる利益

「社会的反ユダヤ主義」が一定程度人びとに受容されていたからこそ、ナチスが容易に反ユダヤ主義政策を推進することができたのは事実だが、ナチ体制下のユダヤ人迫害から、人びとが様々な「利益」を得ていたのも事実――失職、財産没収のほか、反ユダヤ主義はカネになった。ニベアも創業者がユダヤ人だったために競合他社から誹謗中傷される。青少年や子供たちは集団でいじめの対象とした

l  様々な圧力

ドイツ人が、ユダヤ人との関わりを「自発的」に回避するようになり、明示的な命令がなくとも、ユダヤ人の社会的な排除が日常的なレベルで進行

以上をまとめると、当時のドイツ人の多くがナチ体制を支持する理由は少なからずあったし、反ユダヤ主義それ自体も少なくない人びとによって受容されていた。人びとは様々な利益も享受していた。それは「民族共同体」への統合というナチ体制の政治目標に沿ったものであり、その背後には「共同体の敵」とされた人々の排除があった。これらは、ナチ体制を熱烈に支持していたがゆえに利益にあずかれたというより、ナチ体制の政策に「乗っかる」ことで、政治目標とは縁遠い個人的な利益が得られたという面が大きい。加えて、ナチ体制では「強制」という側面も忘れてはならない。ナチ体制は同意と強制のハイブリッドによる現代的独裁だった

ある体制を「支持する」とはどういうことか――体制の主張やイデオロギーをそのまま受容するということを必ずしも意味しない。道徳的に「良い/悪い」を判断するだけでなく、「利益になるかならないか」という現実的判断も大きく絡む。「当時イツ人の多くが熱狂的にナチ体制を支持していたので、良いことと思っていた」という極度に単純化した議論では、体制と人びととの「ズレ」、実利性や強制的側面などが見えにくくなってしまう

 

第4章   経済回復はナチスのおかげ?

ナチスの経済・労働・家族・環境・健康政策を取り上げ、「良いこと」もしたのかどうかを、①政策のオリジナリティ、②目的、③結果の3つの視点から検討する

「良いこと」の筆頭が経済政策。アウトバーン建設に代表される大規模公共事業などの雇用対策によって失業率は急減、ほぼ完全雇用を実現、国民総生産も急増し、体制の安定化に寄与

l  アウトバーン建設と雇用創出計画

   アウトバーン建設の歴史的背景

ナチ政権の初期の雇用創出・失業対策は、前政権を引き継いだもの。目玉としたアウトバーン建設も、前時代に民間組織によって構想され、一部で実施していた計画を継承したもので、総延長7,000㎞の全国道路網に拡大し、失業撲滅の一大事業として宣伝

   アウトバーン建設が目指したいたもの

政権が重視したのは中長期的なモータリゼーションの促進で、軍事目的という説は否定的。薄い舗装で軍事車両には不向き、大半の路線は国境から離れたところを通り、建設は途切れ途切れで、41年までには全計画が中止となり、「軍用道路」としての役割を果たしていない

ナチ政権にとって決定的に重要だったのは、アウトバーン建設のもたらすプロパガンダ効果であり、「民族共同体」を可視化するうえで格好のシンボルだった

   どの程度景気回復に効果的だったのか?

景気上昇ムード醸成に一役買ったことは否定できないが、雇用創出効果は最大でも年12万、'35年までで50万人程度であり、総失業者600万人を考えれば効果は限定的

ナチ政権下の失業者減少の最大の理由は、前政権時代にドイツ経済が景気の底を脱し、様々な景気対策の効果が現われ始めていたことや、若年労働者を軍事訓練を兼ねた労働奉仕に徴用(35年から義務化)したために若年労働力の供給が減少、また’35年から一般徴兵制が導入されると1年間の兵役が課され、軍の兵力が急増、さらには女性の結婚奨励策が女性就労者の削減を後押しした結果50万人ほどが離職、労働市場の状況が改善された

失業解消と景気回復に決定的に寄与したのは、戦争準備のために異常な規模とテンポで進められた軍備拡張だった

l  軍需・戦時経済

   巨額の負債で賄われた軍需経済

ヒトラーの最優先事項は、武力の増強と、それによるドイツの生存圏の拡大、そのための資金調達を空前の規模の公債・手形の発行に頼る。38年には軍事支出が国家支出の61%、国民所得の21%に膨張、ドイツ経済は好景気に沸き、労働市場も完全雇用を実現したが、インフレと財政破綻の危機を抱え込み、綱渡りの体制が続く

   収奪の経済

ドイツ経済を支えたのは、i)占領地からの収奪、ii)ユダヤ人からの収奪、iii)外国人労働者の強制労働

   「軍備の奇跡」という神話

軍需大臣のシュペーアが自ら回顧録の中で作り上げた、大胆な合理化により兵器の大増産に成功したとする神話が人口に膾炙しているが、軍需生産に関する決定権を集中させ供給体制の合理化・効率化によって大増産を実現したというが、増産実現の要因は弾薬生産用の鋼鉄の配分を大幅に増やしたことで、合理化や再編は主たる要因ではない。労働力不足を補うために捕虜や囚人、ユダヤ人の強制労働に依存

 

第5章   ナチスは労働者の味方だったのか?

「良い政策」として取り上げられるのが、労働者向けの様々な福利厚生措置の導入。それまで富裕層に限られていた財やサービスを労働者にも手の届く安い価格で提供し、国民全体の消費生活水準の底上げを図る一連の取り組みを実施――有給休暇の拡大、格安の旅行やレジャーの提供、安価なラジオ受信機や大衆向けの自動車の生産など

政権を握ったヒトラーにとって、最も重要な政策課題が、就業人口の50%以上を占める労働者層の取り込みであり、労働者層を階級闘争から引き離し、「民族共同体」へと統合して、労働者に民族・国民全体の利益のため奉仕させる総動員体制の確立が最優先の課題となる

既成の左翼政党や労働組合を解体し、ナチ党付属の労働団体であるドイツ労働者戦線を設立

労使双方が公益のために協働する権威主義的なヒエラルヒーが導入され、短期間のうちに労働者を強制的な管理統制のもとに置くことに成功。その管理維持・円滑化のために各種の福利厚生措置を導入。その1つが歓喜力行団で、余暇活動を労働者の手の届く料金で広く提供であり、安価で魅力的な消費財の普及、国民車の開発などが挙げられる

l  ナチスの発明だったのか?

「世界に先駆けて8時間労働を実施し、有給休暇を義務付けた」というのは正しくない。18時間労働は、欧米各国の労働者の要求により、1919ILOにより国際的基準として確立されていたし、逆にナチ体制下では軍需景気により労働者不足が生じると労働時間は急増。有給休暇もナチ時代に法的な義務付けは行われていない

歓喜力行団の活動も、イタリア・ファシスト党の余暇組織の模倣で、ナチスのオリジナルでないどころか、当時の科学的管理法に掉さすものであり、余暇を十分とって活用し、疲労回復や健康増進に役立てるという労働科学的な視点は既にヴァイマール時代の合理化運動で採用済み

安価な消費財の提供で生活水準の向上を図るのはアメリカを理想とするものだし、国民車もフォードの追随であり、大衆車の開発の必要性は以前から認識され、一部は発売済み

l  政策の目的は何だったのか?

目的の1つは、労働者を全面的に管理・統制し、政治体制の安定化を図る

もう1つの目的は、様々な優遇措置を講じて労働力を維持・強化し、国家目的への動員を図る

いずれも国家にとって有用な「民族同胞」にのみ社会的給付を保証するものであり、労働者を淘汰・選別する手段に他ならず、「良い政策」とは程遠い

l  社会政策の実態

いずれも約束倒れか、部分的実現に留まり、消費生活水準の向上にも社会的格差の解消にも寄与しなかった

歓喜力行団は年間1,000万人以上に旅行の機会を提供したが、大半は日帰り~数日間の国内旅行者で、開戦とともに余暇活動は大幅に削減、クルーズ船も病院船に転用。国民車も、積立金を支払ったにも拘らず、ついに1台も納車されずに、開戦と共に軍用車生産に転換

ナチ政権が当初から侵略戦争に向けた軍需生産を優先した結果であり、景気上昇と雇用拡大により国民全体の所得は増加したものの、実質賃金は低下、所得格差は拡大

ただし、ナチ政権は民間消費の大幅な削減には及び腰で、軍事的必要性に反してでも消費物資の供給を一定の水準に維持するよう努めたことも重要で、ナチスが描き出した消費社会の夢は、実際に広範な国民の間に大きな期待を呼び起こし、無視できない社会的統合力を発揮し、景気上昇と雇用拡大が急速に進んだことで、成功ムードと向上への期待は膨らんだ

将来の消費を現在の宣伝で先取りするというこの「バーチャルな消費」こそ、戦後の大量生産・大量消費社会を支えるメンタリティを形成したものといえる

 

第6章   手厚い家族支援?

ナチスが当初強く求めていたのが、男性が外で働き、女性は家庭内で家事や子育てに専念するという「伝統的」家族観への復帰であり、女性の社会進出が進む中、一定の共感を得られた

世界恐慌で失業者が急増すると、共稼ぎは「二重の稼ぎ」として批判されたため、ナチスは「母親」であることを物心両面で称賛。「母の日」を国民的祝日として祝い、子どもの数によって「母親名誉十字章」を授与するとともに配給カードを追加支給するなど優遇、結婚資金貸付制度では子供1人産むごとに1/4の返済を免除。だが36年以降総力戦への準備が始まると、前線に大量の男性兵士を送るために不足となった銃後の労働力として既婚女性も動員

l  ナチ家族政策の歴史的経緯

「母の日」が始まったのは1907年のアメリカで、20年代にはドイツにも移入され、30年までには公的な祝日として定着。叙勲についても、フランスで20年以降全く同じ仕組みの制度が存在したし、母性を褒め称え出産を奨励する政策は戦間期のヨーロッパに共通して見られる。背景にあるのは、都市化、子育て費用、女性の社会進出等による少子化進行への強い危機感

家族支援策の先行例はイタリア・ファシズムの全国母子事業団(1925年設立)

いずれも、よそからの「借り物」をかなり徹底して実施した

l  ナチ家族政策が目指したもの

目的は、①戦争遂行のための「民族共同体」と、②人種的に純血な「民族体」の構築

l  そして子どもは増えたのか?

子どもは出生率(1.472.03)、出生数(99140)とも増加したが、結婚の49%増を下回ったし、戦間期の20年で1家族当たりの子どもは減少(2.31.8)、親衛隊員の61%が独身で、既婚隊員の家族あたりの子どもは平均1.1

子どもが増えたのは結婚の増加によるもので、出産奨励策にもかかわらず多くの夫婦にとって子どもは2人で十分だった。ヨーロッパの他の国でも出産奨励策はうまくいっていない

 

第7章   先進的な環境保護政策?

1935年、「帝国自然保護法」制定――①自然の景観をパッケージとして保護・育成、②No.2のゲーリングを責任者とした、③各省横断的な取り組み体制の構築、などで画期的な試み

1933年、「動物保護法」では、動物をそれ自体のために保護しなければならないとし、1934年の「森林荒廃防止法」では「恒続林」という考え方により、森全体の生態系に優しい自然的再生を目指し、農業でもダイナミック農法(有機農法)を積極的に取り入れ、「ムダなくせ闘争」は食品ロス削減を目指したもの、いずれも評価し得る要素だけを意図的に抜き出した

l  ナチ環境保護政策の歴史的経緯

ナチの環境政策でオリジナルなものはほぼ皆無

ヨーロッパでは、19世紀末から自然保護の意識が高まり、市民運動として広がり始めていた

ドイツも、アメリカに次ぐ工業大国へと変身するなか、市民運動「郷土保護運動」が勃興するが、それが目指したのは「古き良きドイツ」への回帰を狙ったナショナリズム運動で、以後60年代までドイツにおける環境保護運動は右派による運動で、現在の動きとは質的に大きく異なる

l  ナチ環境保護政策が目指したもの

最も重要な目標は「民族共同体」の構築であり、私益より公益を優先し、アーリア民族を基軸に、包摂と排除がワンセットになっていた。動物保護政策の中核をなす屠殺法の規制は、反ユダヤ主義政策で、ユダヤ人の屠殺手法を禁じたものだし、動物を保護しながら、ユダヤ人の扱いは動物以下だった。ヒムラーが有機農法に関心を示したのは、東方入植地の整備や強制収容所での農業生産への導入のためだった

l  ナチ環境保護政策は「成果」を挙げたのか?

自然保護区は増加したが、総力戦準備が佳境に入ると、森林伐採は強化され、保護林は減少

動物保護も、科学の発展のためには動物実験も容認

食料生産援助事業もほとんど効果はなかったが、経済的な実利よりも、日常のあらゆる場面で民族体のことを考えるという精神的な側面にあったことを考えれば、有用だったとなる

戦争は「究極の自然破壊」にほかならず、第2次大戦を引き起こしたナチ体制の政策の一部を抜き出して「良いこともした」と主張することに、いったいどれだけの意味があるのか

 

第8章   健康帝国ナチス?

ナチ党は、政権奪取と共にアルコール撲滅運動に乗り出すとともに、タバコについても禁煙対象を広げていった。がん撲滅の試みも、無料の集団検診などが導入された

l  ナチ健康政策の歴史的背景

オリジナルなものはない

健康に関する意識が社会的に大きく変わったのは19世紀末頃で、社会の急激な変化に対して、文明批判が高まる。反アルコール運動は、英米に遅れて1883年「酒類乱用防止協会」創設、反タバコ組織の創設は1904年。がん研究はナチスの遥か以前からドイツが最先端

l  ナチ健康政策が目指したもの

表面的な目的は、健康被害や道徳的退廃、経済的損失といったものの回避だが、根底にあるのは「民族体」という、ドイツ民族を1つの「身体」として捉え、その健康は個人の問題ではなく、民族全体に関わる問題として、民族としての健康体の維持を目指したところにある

アルコール患者や障碍者への断種、安楽死や、外国人労働者を保護対象から排除するなど、健康政策につきまとう残虐性を相対化してはならない

l  結局のところドイツ人は健康になったのか?

アルコールはタバコの消費量は、ナチ体制の初期に減少傾向が見られたが、それは景気低迷によるもので、景気回復とともに消費量は増加に転じる

健康よりも国家財政への打撃が懸念され、戦争遂行のための「生産性」を引き出すには酒・タバコは不可欠。がん研究にしても、ユダヤ人や共産主義者が研究室から追放され、戦争の長期化で研究どころではなくなった

 

 

おわりに

l  ナチスは良いこともした?

2021年、筆者(田野)が「ナチスの政策で肯定できるものはない」とツイートしたところ、炎上したのが本書執筆の背景

ナチスの個々の政策を詳細に検討すると、一見先進的に見える政策も様々なまやかしや不正、搾取や略奪と結びついていたことは明白であり、近年の研究ではそこにナチズムの犯罪的な本質を認める見方が定説化している

にも拘らず、聞きかじりの生半可な知識をもとにナチスの政策を「肯定」するのはなぜか。彼らは、ナチスの悪業を繰り返し教えられ、ヒトラーを「悪の権化」と決めつける「教科書的」な見方に不満を抱き、「良いこともした」といった「斬新」な主張に魅力を感じているのだろう

l  ポリコレへの反発

「肯定」者たちを動機付けているのは、ナチスを「絶対悪」としてきた「政治的正しさ(ポリコレ)」の専制、学校を通じて押しつけられる「綺麗事」の支配への反発だろう

マルクス主義や共産主義の蛮行や残虐行為、中国の人権問題などを持ち出し、ナチスの戦争犯罪を相対化しようとする主張(“Whataboutism”の「そっちこそどうなんだ」論法)もある

彼らの多くの場合、学校的な価値観への反発が「教科書に書いていない真実」への盲信に直結し、ナチズムが実際にどんな体制であったかについては無関心であることが多い

学校などで学ぶ「歴史知識」とは別に、過去に対する感情的なイメージが「歴史意識」を作り、その意識こそが、学んだ「歴史知識」をどのように解釈し、利用するかを決定する

l  専門家の責任

ナチスの免罪に繋がる不正確な情報の氾濫を食い止めるためには、専門知識を持つ研究者によるチェックが欠かせないが、専門知識が軽視される昨今の状況から啓蒙活動には限界がる

最新の研究成果を踏まえつつ、広く一般に紹介するような入門書が必要

l  「ならず者国家」としてのナチ体制

近年のナチズム研究で広く支持されているのが「民族共同体」論

「民族共同体」は、健康で生産性の高いドイツ人=「民族同胞」を包摂する一方、「共同体の敵」を排除するという2面性を持っていた。労働政策や環境政策でも同様の2面性が見える

包摂と排除という2つの側面が分かち難く結びついていたということも見逃せない

数々の目玉政策が頓挫したのは、来るべき侵略戦争のために軍備拡張を優先した結果であり、開戦後のドイツは占領地から徹底的に収奪することで、国民向けの物資供給を維持した

まさに、「ドイツ人は最初は借金で生活し、次には他人の勘定で暮らした」が、そこには「ならず者国家」としてのナチ体制の本質が現れていると言える

 

 

 

 

紀伊国屋書店 ホームページより

出版社内容情報

「ナチスは良いこともした」という言説は、国内外で定期的に議論の的になり続けている。アウトバーンを建設した、失業率を低下させた、福祉政策を行った――功績とされがちな事象をとりあげ、ナチズム研究の蓄積をもとに事実性や文脈を検証。歴史修正主義が影響力を持つなか、多角的な視点で歴史を考察することの大切さを訴える。

内容説明

「ナチスは良いこともした」という言説は、国内外で定期的に議論の的になり続けている。アウトバーンを建設し失業率を低下させた、進んだ福祉政策や家族支援政策を導入した―功績とされがちな事象をとりあげ、ナチズム研究の蓄積をもとに事実性や文脈、結果を検証。歴史修正主義が影響力を持つなか、多角的な視点で歴史を考察することの大切さを訴える。

 

 

 

 

「ナチスは良いこともした」という逆張り その根底にある二つの欲求

有料記事

聞き手・田中聡子2022528 500分 朝日

 「ナチスは良いこともした」――。そんなSNSでの発言に対し、ナチズムを専門に研究する田野大輔さんは「間違っている」と指摘してきました。すると、自分が批判にさらされてしまう、という経験が田野さんにはあるそうです。なぜネット上にナチスを肯定的に捉える言葉が広がるのか。その背景について聞きました。

たの・だいすけ

1970年生まれ。甲南大教授。ファシズムを体験する講義が話題に。著書に「ファシズムの教室」など。

 私が専門とするナチズムの領域には、「ナチスは良いこともした」という逆張りがかねてより存在します。絶対悪とされるナチスを、なぜそんな風に言うのか。私はそこに、ナチスへの関心とは別の、いくつかの欲求があると感じています。

 ナチスを肯定的に評価する言動の多くは、「アウトバーンの建設で失業を解消した」といった経済政策を中心にしたもので、書籍も出版されています。研究者の世界ではすでに否定されている見方で、著者は歴史やナチズムの専門家ではありません。かつては一部の「トンデモ本」に限られていましたが、今はSNSで広く可視化されるようになっています。

 それらが「良い政策」ではなかったことは、きちんと学べば誰でも分かります。たとえば、アウトバーン建設で減った失業者は全体のごく一部で、実際には軍需産業の雇用の方が大きかった。女性や若者の失業者はカウントしないという統計上のからくりもありました。でも、こうやって丁寧に説明しようとしても、「ナチスは良いこともした」という分かりやすい強い言葉にはかなわない。対抗するならば、「それ、ナチスが信じ込ませたかったストーリーだからね」ぐらいでしょうか。「ナチスを批判するならウイグル問題も批判しろ」と、悪を相対化しようとするのも、よくあるレトリックです。

 ツイッターで私が「ナチスの政策で肯定できることはない」と発言すると、多くの反発がありました。私にナチスの「良い政策」を示し、「こんなことも知らないのか」とばかりにあざ笑う人もたくさんいました。そんな反応を見て、逆張りの根底にある二つの欲求に気づきました。

「逆張り」の根底にある欲求は、陰謀論や「歴史戦」にもつながっていると田野大輔さんは指摘します。かつてはドイツの人たちにも、そんな欲求が広がったことがあったそうです。

l  正しいことへの息苦しさ

 一つは、「正しいこと」に縛られずに自由にものを言いたいという欲求です。ナチスの政策について知りたいわけではなく、ナチスは悪といった「正しさ」を息苦しく感じている。もう一つが、「他の人が知らないことを知っている」と誇示し、知的優位に立とうとする欲求です。この二つの欲求は、近年問題になっている陰謀論にはまる動機とも、共通しているように思います。

 重要なのは、こうした逆張りは、需要があるから存在しているということです。ナチスについての暴論をなぜ少なからぬ日本人が称賛するのかと言えば、「正しい歴史」をひっくり返すための突破口として最適だからでしょう。世界中のだれもが認める「ナチス=悪」が絶対じゃないとなれば、日本の戦争責任だって絶対じゃなくなる。それを信じたいという需要があるから、存在しているのです。

 ドイツにも、自国を正当化したい、という需要はありました。たとえば、戦後、ナチスで軍需相だった人物が戦時中のことを自省的に記した回想録が出版されると、ベストセラーになりました。戦後、世界中から残虐行為を責められ、なんとか自己正当化したかったドイツの人たちにとって、「良きナチスもいたのだ」という話は歓迎されたのです。ところがその後の研究で、その人物が強制収容所の建設やユダヤ人の移送に関わっていたという事実が暴かれ、いまでは彼が「良きナチス」として描かれることはありません。

l  「見方は自由」ではない

 私もかつてはこの人物の記述を自著で参照したことがあり、裏切られた思いがあります。そういう不快な事実であっても、イメージを突き崩されることこそが研究者にとっておもしろい。そうやって、絶えず検証を続けてゆくのです。欲求に合致しているものだけを受け入れる姿勢とは、相いれません。

 私はナチスの逆張りに対しては「間違っている」と言い続けてきましたし、これからも言い続けなければいけないと考えています。信じたい人たちを説得することは無理でも、「もしかしたらそうなのかも」と思っている人たちに、専門家の姿勢を示すことはできます。

 「しょせんSNSの世界の話じゃないか」と思う人もいるかもしれません。しかしいずれ現実の世界に拡散し、より多くの人の目にふれるかもしれない。そして「どちらが正しいか」の判断が人気投票に委ねられてしまいかねません。様々な見方すべてに、等しく価値があるわけじゃない。妥当性の高いものと低いものが存在しています。「逆張りの自由」を看過するわけにいきません。(聞き手・田中聡子)

    ◇

 1970年生まれ。甲南大教授。ファシズムを体験する講義が話題に。著書に「ファシズムの教室」など。

 

 

 

(取材考記)ナチス検証本 史実の風化、あらがい学ぶ 平賀拓史

202394 1630分 朝日

 

 ドイツの医学者ティル・バスティアンがホロコースト否定論に抗して著した「アウシュヴィッツと〈アウシュヴィッツの嘘(うそ)〉」(白水社)。その編訳者あとがきで、不気味な未来が予想されている。

 広島と長崎の存命被爆者もすでにゼロとなったある日、報じられた「スクープ」。広島への原爆投下はなかった。現地の土を調査した科学者によれば、当時、大量の死傷者を出すほどの放射線は降り注いではいなかった――。社会に確かな知識がなければ、この「スクープ」を目にした人々はたやすく動揺し、「それまで史実とされてきたことに疑念を抱くかもしれない」と編訳者は警告する。

 2回の原爆投下があったこと、数十万人に及ぶ膨大な死傷者が出たことは、無数の生存者の証言や、専門家による研究の積み重ねで明らかで、言うまでもない。だが、生存者が年々減っていく中で、そうは言っていられない日がやってくるかもしれない。話題のブックレット「検証 ナチスは『良いこと』もしたのか?」(岩波書店)を読んで、そんな思いを持った。

 アウトバーンの建設やフォルクスワーゲンの開発といった「実績」を挙げてネットで広まる、「ナチスは良いこともした」という言説。その「実績」が看板倒れだったことや、ナチスの政策がユダヤ人やマイノリティーの理不尽な排除を前提としていたことを、的確に指摘していく。

 これらは、何人もの研究者が議論を重ね、論文や書籍で幾度も論証してきたものだ。著者の一人、東京外国語大准教授の小野寺拓也さん(48)は、「これだけ悲惨な出来事が過去にあった。そこから学ぼうとしない限り、似たようなことは繰り返される」と説く。

 この本が人文書としては異例の売れ行きを見せていることは、明るいニュースだ。都心をはじめ各地の大型書店で店頭に並び、来店者の目を引いている。「男女や年代問わず、幅広い層が手に取っている」とジュンク堂書店池袋本店の阿部初音さん(33)。同店では小説や写真集なども含めた書籍の総合ランキングで、1位も獲得した。

 お盆に広島平和記念資料館を訪れると、海外の観光客も交えた長蛇の列ができており、人々の飽くなき関心を感じた。風化にあらがい、知ろうとすること。根拠のないことにはしつこくても「違う」と言い続けること。当たり前のことだが、この不断の努力を続けていきたい。

 (文化部)

     *

 ひらが・たくじ 1992年生まれ。文化庁取材などを担当。大学・大学院ではドイツ近代史専攻。「歴史を学ぶことはバックミラー。バックミラーのない車に乗りたいですか?」という恩師の言葉を反芻している。

 

 

【書評】『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』(岩波書店)

三城俊一/歴史ライター

20231119 18:34

 SNSやYouTubeなどでは、しばしば「ナチスは良いこともした」という話を見かけます。

 第二次世界大戦を引き起こし、ユダヤ人の虐殺を行ったナチスは、学校ではもちろん悪として教えられます。

 一方、歴史教科書では研究の進展に伴って記述が変わることがあります。教科書の内容が絶対というわけではありません。

 また、「学校では教えない(教科書には書いてない)○○」というコンテンツには一定の需要があります。「自分が新たに知識を得て、常識が書きかわる」経験は楽しいものです。こうした心理が、「ナチスは良いこともした」という話が広まってしまう背景にあるのかもしれません。

 ネット上で見かける「ナチスのした良いこと」には、以下のようなものがあります。

・高速道路網のアウトバーンを建設して、世界恐慌から立ち直った。
・労働者に娯楽を与え、出生率を上げる対策も行った。
・先進的な環境保護・動物愛護政策を行った。
・国民の健康のためにタバコや飲酒の害を訴えた。

 しかし、これらは歴史学の場で、すでに検証を経て否定されたものばかりです。

 本書は、歴史学者がどれだけ否定しても繰り返される「ナチスのした良いこと」についてコンパクトにまとめ、反論した良書です。

 本書では、「ナチスのした良いこと」を否定する際、いくつかの視点を提示しています。

  ナチスのオリジナルではなく、前政権や他国の政策を参考にしていた。

数字で検証すると大した効果はなかった。

一見して良いことに見えるが、背景に非人間的な優生思想・人種差別思想がある。

 例えば、有名なアウトバーンについて。高速道路の建設は、ヒトラー政権以前のドイツ政府がすでに構想していました。失業対策としても、ドイツ全土の失業者が最悪で600万人だったのに対し、アウトバーンによる雇用創出は1934年に38000人に過ぎないなど、景気対策の効果は限定的でした(上のに該当)。「ナチスはアウトバーンによってドイツ経済を復興した」というのは、ナチスによるプロパガンダが生き続けている側面が大きいのです。

 また、家畜の屠殺方法などを規制した動物愛護政策についても注意が必要です。伝統的なユダヤ教徒は、鋭利な刃物で家畜の首を切る「シェヒター」という屠殺方法で採った肉しか口にできません。できるだけ痛みを与えない方法ではあるのですが、ナチスは「野蛮な方法」として非難し、反ユダヤ主義を煽動しました。家畜の屠殺方法の規制は、ユダヤ人迫害と表裏一体だったのです(上のに該当)。

 インターネットに流布しているいい加減な情報に騙されないようになるなら、900円強という価格も安いものではないでしょうか。この時代に明るくない方にもお勧めの一冊です。

 

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