飼い犬に腹を噛まれる  彬子女王  2026.6.19.

 

2026.6.19.  飼い犬に腹を噛まれる

 

著者 彬子女王 1981年、故寬仁親王殿下の第一女子として生まれる。学習院大学在学中及び卒業後に、英国オックスフォード大学マートン・コレッジに留学し、女性皇族として初めて博士号を取得(専攻は日本美術)。京都産業大学日本文化研究所特別教授、一般社団法人心游舎総裁などを務める。著書に『赤と青のガウン オックスフォード留学記』(PHP文庫)、『新装版 京都 ものがたりの道』(毎日新聞出版)、『日本美のこころ イノリノカタチ』(小学館)などがある。京都在住

 

絵 ほしよりこ 1974年生まれ。関西在住。2003年から「きょうの猫村さん」をネット上で毎日1コマ連載。2005年に『きょうの猫村さん1』(マガジンハウス)として書籍化されベストセラーになる。2015年、『逢沢りく』(文藝春秋)で第19回手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞。その他の著書に『カーサの猫村さん』『僕とポーク』『BD』(いずれもマガジンハウス)などがある。

 

発行日            2025.10.9. 第1版第1刷発行

発行所            PHP研究所

 

 

初出     『京都新聞』 「現代のことば」 2018.8.2025.1.37回掲載

           『朝日新聞』「瑞穂のくに 日本がたり」 2016.6.2017.2.10回掲載

 

 

 「おおきに」の巻

雪の女王

私のお印は雪。三笠宮家は木偏のお印だが、難しい漢字しか残っていなかったので断念

妹も星。同様に名前の1文字目はウ冠が多いが、こちらも関係なくつけられた

彬子は、論語の「文質彬彬(ひんぴん)として然る後に君子なり」が由来で、内容である実質と外面の文飾とが程よく調和がとれて初めて君子といえる、との意味

通常は「雪様」で通っている

 

飼い犬に腹を噛まれる

大浴場をこよなく愛する

犬アレルギーなので、自分名義の雄犬を友人に飼ってもらっている

そこに子犬が産まれ、新しい飼い主に引き渡すことになった際、私が子犬を抱いていたことに腹を立てたのか、いきなり犬に腹を嚙まれ、男の嫉妬を身をもって知った

そのあと行った温泉旅行で、傷口が劇的によくなっていることを発見。温泉湯治の効能の奥深さに改めて感じ入り、ますます温泉好きに拍車がかかった

 

それは「皿」から始まった

2024年には、コロナ以来初のお初釜が三千家で執り行われ、京の新年が戻ってきた

あるお茶会の初日1席目の正客に招かれ芳名録に記帳しようとしたら、日付からと言われ一瞬緊張して「四月」が「皿」になってしまいパニックに。年号からと畳みかける友人に、真ん中に線を入れたらと思いついて何とか格好をつけた。その後は御手水(おてみず)。作法通り手を清めたが、カジュアルな服装でと言われてワンピースだったために手元にハンカチがない。友人が呆れ顔で、「誰か手ぬぐい持ってきて!」と言われてしまう。一事が万事、すべて裏目に。お菓子のきな粉を吸い込んで盛大にむせた

 

一番近くにいる他人?

私の一番近くにいる他人は、皇宮警察の護衛官で側衛という。ほとんど家族の一員のように思っている。要人警護の心構えを聞いて、自分も側衛に「この人を守れてよかった」と思ってもらえる人間にならなければいけないと思うようになった

担当を離れた今でも、何かあると相談したり、意見を求めたりする、信頼できる大切な「家族」の一人

 

「離合」って使う?

九州を中心に、西日本では自動車が狭い道ですれ違うことを「離合」という

初めて聞く言葉だったので、周囲の人に聞きまくったところ、「離合」という言葉は平安時代から使われているが、「鉄道用語」にもあって、駅の信号所で上り・下りの列車が行き違うときなどに使われ、特に九州は炭鉱が多く、単線区間が多いので列車の離合を見る機会が多かったため、この言葉が九州中心に普及した理由だと知る。交通標識にもある

 

入院で得た教訓

2022年、流行のウィルスに感染して入院。怒りから口唇ヘルペスを発症、免疫力が低下していたところをやられた。症状が軽快して退院する際、医者に注意事項を指示されたのに、つい忘れてしまい後悔。「医を信ぜざれば病癒えず」という諺の戒めを改めて知った

 

雨ノ日ノモノオモヒ

自分は「晴れ女」だと思っているが、かつてそれを凌ぐ雨男が側衛にいた。お互い競い合って勝負をしながら、後部座席と助手席で、勝った負けたとメールし合ったのが懐かしい

 

続「離合って使う?」

周囲に聞いて回ったため、皇宮警察の京都護衛署が署員全員にアンケート調査をしてまとめてくれた結果、広島以西、四国は瀬戸内海寄りで使われることが分かった

 

 「もぐもぐ」の巻

クリスマスの水無月

英国生活が長かったが、英国の食べ物で恋しくなるものはさほどないが、10月に来日する友人に土産に欲しいものと聞かれ、クリスマスに食べるミンスパイを頼んだことがある

京都人にとっての「夏越しの祓」の水無月のような食べ物

東京で英国式の教育が受けられるインターナショナルスクールの開校式に参列したところ、控室に英国風パイのお店のお菓子が置いてあった。ミンスパイも販売していることがわかり、その年の冬から、英国にいた時の様にクリスマス気分を味わえるようになって嬉しい

 

虎屋のねじねじ

2018年、建て替わった虎屋に三笠宮妃殿下をお誘いして尋ねたところ、父の親友で現虎屋会長の黒川光博おじちゃまが案内してくださった

妃殿下が、「昔紅白のねじねじの粽(ちまき)があって、貞明皇后がお好きだった」と言われ、会長が来年にはお届けすると約束され、以来毎年貞明皇后と妃殿下を思い浮かべながら、「玉襷(たまだすき)」と言われる粽をいただくのが恒例になった

1823年に「玉たすき」として光格上皇より銘をいただいたお菓子で、紅白の紐状に引きしまった粽の形を、美しい襷に見立てて名付けられたという

当時は、季節に関係なく注文するもので、生菓子が季節感を前面に出すようになったのは戦後のこと。懐石を伴わない大寄せの茶会が催されるようになり、料理に代わってお菓子が季節感を表すように変化したかららしい

粽は、「茅巻」の意で、古くは茅(かや)の葉で巻いた餅のこと。茅は葉先が剣のように鋭いことから、厄除けとされ、夏越しの祓でも茅()の輪をくぐる。粽を端午の節句に食べるのは、屈原伝説の関係もあるが、茅の餅で厄除けという解釈なのだろう

ここ数年本店限定で、外郎(ういろう)製のねじねじが販売されていた。コロナの厄除けか

 

「モーモー」ノ情報求ム

三笠宮殿下の御事績を調べている。成年までの20年間の『御側日誌』は珠玉の史料

つい目が行くのは献立、中でも興味深いのはおやつで、「モーモー」は謎。大正67年にだけ登場。日誌を書いた看護婦と同世代の女性が「アイスクリーム」だと言ったという情報を得たが、確証はない。求む!情報

 

「サトウ」と「シホ」

2022年、三笠宮崇仁親王展開催。三笠宮家は戦災で土蔵だけが焼け残り、貴重な史料が保存されている。なかでも私が好きなのは、「調味料二部作」と私が密かに呼ぶ殿下御自筆の童謡の短冊。澄宮殿下時代「童謡の宮様」と呼ばれ、様々な童謡を残されているが、そのうちの2作、「サトウ」と「シホ」。甘いものがお好きだった殿下が、砂糖より塩がおいしいと書いておられたが、理由は不明

 

森のきのこ茶会

秋の味覚の中で大好きなのはきのこ

梅雨の時期高知の山中に、シイノトモシビタケという光るきのこを見に行く

蛍は見られなかったが、光るきのこの傍らでお茶会をした

 

月みる月は

虎屋の社長から「月見饅(まん)」のことを聞く。大きな饅頭の真ん中に萩の箸で穴を開け月を見るという、成人の儀礼で、1860年に和宮様から虎屋に注文の記録が残る

公家の子女の成人の儀式の一種で、16歳に達した616日に饅頭を供えて月見をし、饅頭に穴を開けその穴から月を覗き見る作法と、辞書にも記載

虎屋に頼んでやってみることに。顔より大きな薯蕷(じょうよ)饅頭が届き、萩の箸で穴を開けて月を見てみるととてつもなく大きな宇宙を感じた

 

和菓子店逍遥

和菓子屋は季節ごとに合わせた和菓子があって、ひと月で大幅に品揃えが変わるのが楽しみでよく通う。中でも毎月欠かさず通うのが、たまたま立ち寄ったのがきっかけで行くようになった若夫婦でやっているこじんまりしたお店。最初はマスク姿で気づかれなかったが、身元が分かった後も見えないガラスが間に入ることもなく、変わらずに通っている

 

オヒシハナビラノヒミツ

私にとって、「御菱葩(おひしはなびら)」は新しい年が来たことを教えてくれる食べ物

花びら餅の原型で、元旦に両陛下への御祝詞のあと、御祝酒とともに頂戴する

台の白く薄い丸餅は食べず、ゴボウを切ったりして食べる作法が大変で、高松宮殿下が台ごと丸かぶりされていたと聞いて恨めしく思った

餅には、歳(とし)神様が宿ると言われ、それを頂くのは齢を固めることになる。ゴボウは歯固めの押し鮎の見立て、鮎は年魚ともいわれ新年には珍重。ゴボウは地中深く根を張ることから家の安泰を願うとともに、精気を養うという意味があり、味噌は邪気を払う

新年の歯固めの膳が時代を経るにしたがって一体化したものが御菱葩。そんな私の至福の時は、元旦の夜、温めなおした御菱葩を、高松宮殿下のように丸かぶりする瞬間

 

新米祭りの光と影

新嘗祭は、その年収穫された新穀(しんこく)を天皇陛下が天神地祇(てんじんちぎ)にお供えになり、御自ら食されるお祭り。古くは陰暦11月の2度目の卯の日に行われた。この日は「御夜長(およなが)」と言われ、祭りに参列出来ない女性も終わるまで慎みながら待つ

暦と共に生きる生活は、背筋が伸びるような感覚があり、よいものだと思う

 

田植えが伝えてくれること

「田植えが始まるとお米の味が落ちる」という友人がいる

 

 「きょうと」の巻

神様の名演出

英国人陶芸家と会って、リーチの話になり、セント・アイヴスの窯を作ったのが宇治・朝日焼の12世松林昇斎の次男で、三笠宮家と朝日焼は197514世の無煙登り窯に「玄窯」の銘をつけられたのが三笠宮妃というご縁があり、年2回の窯焚(かまだ)きの100回目に私が訪問。朝日窯訪問の後、宇治橋の袂の平安時代創業という茶店に立ち寄り、店先には秀吉が茶事で使った釣瓶がさらりと置いてあり、1919年に貞明皇后がご覧になったと書いてあったので、陶芸家に「私の曾祖母も見た」と英語で説明していたら、茶店の主人が「妻の叔父が三笠宮家で運転手をしていた」という。名前を聞いたら私も知っている人

すべて偶然の話だが濃い縁を感じる。運命の神様は粋な演出をされる

 

ぼんぼんの定義

京ことばの連載で「(ええとこの)ぼん」を取り上げることになったが、取材をお願いするのは勇気がいる。漸く茶筒の開化堂に引き受けてもらい、八木家親子3代の「ぼん談義」が実現。「ぼん」と「ぼんぼん」の違いの話になり、ぼんぼんは大切に甘やかされて育ったお金持ちの良家の息子で、「自分たちはそのへんのぼんや」となったが、奥様によれば、魚の骨はおばあさんが全部取っていたし、梨のじゃりじゃりした部分はかすを出していたと言い、後から息子も孫も同じように扱われていたことが判明。コラムには「ぼん」と書いたが、取材対象の虚偽申告であることが分かったため、コラムの表題を訂正する

 

送り火の夜に

夏は苦手、冷房も苦手だが、京都に15年以上もいると夏の京都の時間がいつの間にか体に深く刻まれてしまっている

送り火の日は、縁あって大文字山に登る。数十年前、台風で大文字だけ火がつかなかったことがあり、その悔しさが脈々と受け継がれ、何が何でも火をつける

 

コンチキチンを特等席で

函谷鉾(かんこぼこ)の役員を引き受けてからは、祇園祭が自分事になる

動く鉾に女性が乗ったのは自分が初めて

 

京の三大祭り

下賀茂神社の御手洗(みたらし)祭が好き。土用の丑の日の前後10日間、下賀茂神社の末社の御手洗社で足つけ神事が行われる。御手洗池に足を浸し、ろうそくをお供えして、罪穢れを祓う。首をすくめるほどの冷たい水に足を浸し、柔らかく甘いご神水をいただく

2つ目が祇園祭で、3つ目が上賀茂神社の夏越大祓式(なごしのおおはらえしき)。夏越大祓の情景を歌った「風そよぐならの小川の夕ぐれはみそぎぞ夏のしるしなりける」が読み上げられ、中臣祓詞(なかとみのはらえことば)が奏上される中、何万枚という人形(ひとがた)がならの小川に投流される

 

春愁

春という季節が苦手で逃げ回っているが、唯一楽しみにしているのが、彬姫桜の開花

広沢池の近くの植藤造園は江戸時代から御室御所(仁和寺)に仕えてきた家柄で、当代は16代目。桜守としても知られる。桜の季節には自宅の庭を開放しているが、そこで見つけたのが桜にしては珍しく甘い香りがする桜で、名前がまだないので「彬姫」にしたいと言われる。毎年春先に他の桜に先駆けて咲くのが楽しみ

 

 「わくわく」の巻

ゲレンデの教え

父は無類の新雪好き。自然のままの地形を「ゲレンデ」といい、自然の斜面を滑れなければ本当にスキーができるとは言えないと言い続けられた。毎年4月には八甲田に1週間以上山籠もり。中2の時から私も仲間入りして山スキーをしたが、側衛からは自分の思うように滑れないことにプライドを傷つけられるらしく、評判が悪い

 

「生きている」車

ラ・フェスタ・プリマヴェラというクラシックカーレースの名誉総裁を務める

何より素敵だと思っているのは、出場する車たちが「生きている」と感じられること

トラブルがあっても、人間の手で作ったものは大体人間の手で直るという。人類の歴史を未来に繋ぎ、残すことでもある

 

初めてのF1余話

鈴鹿のF1日本グランプリの御臨席願いが上がってきた

2024年からハースのチーム代表になった小松礼雄は、私が英国留学していた時の英語の先生を介して顔見知りだった

初体験で、一番びっくりしたのは、クラッシュのあとのコース整備のためにメインストレートを走り抜けるトラックのスピード。あんな高速で走る軽トラックは今まで見たことない

 

サブちゃんと甲子園

春明の高校野球の時期は私のポンコツ期間

府警に元高校球児の野球好き・サブちゃんがいてやたらと詳しく、サブちゃんと甲子園の話をしないと夏が終わらない

 

長い夏休み

少年脳の私が好きなものがもう1つ、ラグビー。父が日本ラグビーフットボール協会の名誉総裁をしておられたので、小さい頃から連れていかれた

2019年ラグビーのワールドカップが日本で開催され、世界のトップのプレーが日本でナマで見られる日が来ようとは、夢のようだった

 

赤白のジャージに染まる街

2023年フランスでのラグビーワールドカップに、日英協会と日本ラグビーフットボール協会の名誉総裁として応援観戦。ニースでの日英戦の熱狂は特に心に残っている

 

 「てしごと」の巻

たわし屋のぼんの贈り物

ゼミの教え子に三条の橋の袂のたわし屋のぼんがいる。独特の空気感を持っていて記憶に残る学生。たわしや箒の技術を受け継ぐ職人が少なくなり、自分で技術を学ぼうと職人に弟子入り。初めて作った箒を見せてくれたので、買おうとしたら、納得のいくものが出来たら買ってくださいといい、処女作はプレゼントしてくれた。いい教え子がいて幸せだと思える瞬間だった

 

金一封

隠れた趣味の1つが工場見学。人や機械がずっと同じ作業をしているのを見ているのが好き。新京極のあるカステラ饅頭屋の店先で、機械が焼き続ける様子を見ていると倖せ

先日国立印刷局東京工場を見学。紙幣の改刷は20年に1度。ベテランの彫刻担当者は、1㎜の間に10本の線が引けるそうで、「針研()3年、描き8年、美蘭(びらん)咲く(ビュランという特殊な彫刻刀で美しい蘭の花を彫る)のは18年」と言われる

紙漉き、インキ製造から始まってすべてを自社工場で造幣するのは日本くらい。それもほとんど手作業

「お金を包むという文化がある限り、紙幣はなくならない」といい、造幣技術が末永く未来に伝えられることを願う

 

俵のネズミ

神社でネズミと目が合ってびっくりしたら、権宮司が、「ネズミは大黒様のお使いなので、ご挨拶に出てきたのかもしれない」と言われた。この神社のご祭神は大国主命(別名・大物主神、通称・大黒様)だった

「神様に召し上がっていただくお米を自分たちの手で作りたい」との思いで、子どもたちに本物の日本文化を伝えるために始めた団体・心游舎(しんゆうしゃ)でお米作りに取り組むようになってから3年経つ。新潟の農家の方々の協力を得て神社に奉納する際は、80歳を超える古老が忘れられかけていた俵作りの技法を伝授してくれた

 

日本の神様は分業制

二十四節気の手作りカレンダーがある

それぞれにまつわる神様がいて、節気ごとに降臨するという

立春の頃には、若年神という若い稲の神様が自ら種まきを始める

秋分の頃には、久久年神(くくとしのかみ)が実った稲穂を支える

小雪には、庭高津日神(にわたかつひのかみ)が、庭に干してある収穫した稲束を明るく照らす

「年」というのは、元々稲の稔を表す言葉。ほとんどの神が稲作に関わっていて、米が無事育つよう見守っていて、各神様がお役目通りに、その節目に晴れたり、雨が降ったり、台風を受け止めたりする。神様の世界も分業制

古代から変わらないのが、神々とお米。お米と日本人の生活。四季の移ろい。変わらないものは美しい。

神代の昔から作り続けてきたお米。いつもお米が一番にご神前に上げられる。これは、お米が神々の世界と人間の世界を仲立ちするものであり、御霊代(みたましろ)でもあるから

米という漢字は八十八と書く。米作には88の工程があって、それぞれに神が宿る

 

稲が聞く音

8月は青々とした稲が一面に広がる。その田んぼの力を初めて実感したのは2016年夏

新潟の自然栽培の農家で「田んぼの草取り」に挑む。肥料も農薬も使わず、雑草と共生するが、イボクサだけは刈取りの邪魔をするので抜く

「稲は人の足音を聞いて育つ」と言われ、毎日田んぼに足を運び、大事に面倒見れば必ず応えてくれる。2時間の草取りだったが、翌日は筋肉痛で起き上がれなかった

 

茶碗のワンと、飯椀のワン

お茶を飲む茶碗とご飯を食べる茶碗では同じ呼称でも用途が異なる

陶磁器は熱伝導率が高く、熱いお湯もすぐに冷めるので、口元に持ってくるころにはちょうどいい温度に冷めている

ご飯は、本来漆の器で食すものだった。保温性が高く、最後まで温度を保ってくれる

汁椀がいまだに漆器で定着しているのに、飯椀が使われなくなったのは、江戸中期に安価な陶磁器が出回り、扱いの容易さから飯椀の代用品として広まったようだ

新米の季節、飯椀でおいしいご飯を召し上がれ

 

歳神様からのお年玉

例年、年の瀬にはお世話になっているお寺の餅つきに参加

正月には、歳神様が1年の良運と「年玉」という年齢を授けに来られる

お鏡さんは、歳神様のお御霊が宿る鏡であり、お供え物。歳神様から頂くのが年玉という名の小餅(お年玉の原点)

 

神様のお米作り

2016年、國學院の学生たちと、新潟県大月集落で弥彦神社に奉納するお米を作った

出来るだけ自分たちの手を使って作ろうというプロジェクト。手作業でやると自然と暦通り、新嘗祭の前にお米が干し上がるようになる

 

 「にっぽん」の巻

白雨(はくう)

白雨とは、雲が薄くて明るい空から降る雨。にわか雨

英国人の指導教授から言われて、初耳だったのに愕然

歌川広重の東海道五拾三次に、「庄野 白雨」がある

 

ニッポンのお菓子

太宰府天満宮幼稚園で、和菓子学習をやらせていただいて10年。子ども相手に和菓子とは何かから始まって、実際に一から作って奉納する数か月がかりのプロジェクト

幼稚園の誕生祭のお菓子を和菓子に変えたら、アレルギーの子供が同じものを食べられるようになって喜んだ

「黒文字」とは、日本原産のクスノキ科の落葉低木。枝葉や樹皮には柑橘系の芳香があり、「和製ベルガモット」と呼ばれる。美しい香りと殺菌作用から、茶道では高級な楊枝の材料として使われ、楊枝自体の呼称にもなっている

 

多様性の国、日本

2017年、愛媛の国体視察で、47全都道府県巡りの夢が叶う

旅するなかでよく思うのは、日本は小さな国なのに多様性に富み、まったく違う風土とそれに根差した文化を持つこと

多様性の原点は、神道にあると思う。万物に神が宿るという多神教である神道の思想が、日本人の根底に先祖代々脈々と流れ続けている。他者を許容し、共に生きていく。異なる文化を持つ人たちが、お互いを敬い、尊重し、支え合って、生きられる国。それが日本という国の懐の深さではないか

 

鬼には鬼の

鬼という言葉は、「隠(おん)」が変化したもの、隠れて人の目に見えないものとの意

太宰府天満宮の「鬼すべ神事」は、道真の曽孫菅原輔正が986年正月に始めた、その年の除災招福を願う祭。鬼すべ堂に籠る鬼を煙で追い出そうとするのを、「鬼警護」の人たちが守る激しい攻防戦が中心。語源の通り、人の目から鬼を隠すことで人間と鬼が共存している

 

田んぼのある景色

車窓からの景色で季節の移ろいを感じるが、中でもついその変化を目で追っているのが田んぼの景色。変化を眺めていると、心に直接訴えかけてくるような感動を覚える

海外でのお米との邂逅を経て、私はお米と日本という国の繋がりについて考えるようになり、お米が紡ぐ日本の物語を紐解いていくことが生きがいの1つになった

 

田んぼには神様がいる

2012年に「心游舎」創設。子どもたちに本物の日本文化を伝えるのが目的

神様に奉納するお米を自分たちの手で作ろうと、2015年新潟の農家の協力を得て田植えが始まる。みんなが田んぼに神様の存在を意識しながら楽しんだ

 

神様の飲み物

新嘗祭の時には、その年の新米で醸造された白酒と黒酒がお供えされる。白酒は甘酒のような白濁した酒で、それにクサギという植物を焼いた灰を混ぜたのが黒酒

 

「神話に学ぶ」ということ

出雲で神話の旅。揖斐川上流の八岐大蛇の住みかといわれる天ヶ淵を訪れる

神話が伝わっているということは、それなりの理由がある。その理由を考えることで、なぜそれを伝えなければいけなかったのかを理解することができる

 

●100年に1度のつながり

2024年は、歴代天皇の崩御から100年ごとの節目にあたる式年祭が多い年

暑さ寒さの厳しい時が多い

 

 

 

 

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──私は自他共に認める事件体質である。ささいなことから、めまいがするような大事件まで、日常的にいろいろ起こる──

プリンセスの日常には何かが起こる!

ベストセラー『赤と青のガウン』の「その後」の日常を綴った彬子女王殿下のエッセイ集。

挿絵は『きょうの猫村さん』のほしよりこ氏による描きおろし。

巻末には「絵日記 キャンパスのプリンセスを訪ねて」「スペシャル対談 彬子女王&ほしよりこ」を特別収録!

 

 

好書好日

彬子さまエッセイ集「飼い犬に腹を噛まれる」インタビュー 導かれるまま、ふわりふわり「文章自体が寄り道」

 イギリス・オックスフォード大学の大学院に留学し、女性皇族として初めて博士号を取得した三笠宮家の彬子さま。『赤と青のガウン オックスフォード留学記』(PHP研究所、2015年発売)は2024年に文庫版が発売され、39万部のベストセラーになった。近著となるエッセイ集『飼い犬に腹を噛まれる』(同)は新聞に掲載された47編や漫画家・ほしよりこさんの挿絵を収録。文章から垣間見える皇族の何気ない日常と親しみやすい人柄、ユーモアのセンスは本作でも健在だ。執筆のエピソードや、多忙な日常の合間を縫って書くご自身の文章のスタイルなどについて聞いた。

1981年、三笠宮家の長男・寬仁さまの第一女子として生まれる。学習院大学在学中及び卒業後に、英国オックスフォード大学マートン・コレッジに留学し、女性皇族初の博士号を取得(専攻は日本美術)。京都産業大学日本文化研究所特別教授、一般社団法人心游舎総裁などを務める。著書に『赤と青のガウン オックスフォード留学記』(PHP文庫)、『新装版 京都 ものがたりの道』(毎日新聞出版)、『日本美のこころ イノリノカタチ』(小学館)などがある。「和樂」、「Casa BRUTUS」、「サンデー毎日」など各種雑誌でも連載を持つ。

 

再評価され「書いておいてよかった」

 2015年に発売された『赤と青のガウン オックスフォード留学記』(以下、『赤と青のガウン』)が、SNSをきっかけに再注目されたことは記憶に新しい。彬子さまにとっても驚きであり、うれしかったと語る。

「率直な感想として、書いておいてよかったと思いました。私は日本美術に関する研究をしていますが、ジョー・プライスさんが伊藤若冲を見出したり、海外のコレクターが村上隆さんの作品に注目したりしたように、海外の方が着目したことによって日本でも注目を集めるようなケースがよくあります。美術史を勉強してきて、たとえ忘れ去られていたとしても、誰かが気づくことで再評価される、ということを見てきただけに、時間軸はもちろん違いますが、まさか自分がそれを追体験できると思っていなかったので、すごくうれしかったです」

 彬子さまが英国留学記を書くことになったのは、博士課程で学ぶために留学期間を延長するにあたって、父である寬仁さまから出された条件の一つが「留学記を出すこと」だったからだ。書かなければという焦燥感にかられ、留学中に日記のようなものを書き始めたが、ほぼ三日坊主。ようやく本腰を入れて書き始めたのは、博士論文をほぼ書き終えて一段落した頃からだという。帰国後、月刊誌「Voice」で留学記の連載が始まった。

「書き始めて割とすぐのタイミングで父がお隠れになりました。すでに次回分の原稿はお出ししていたのですが、何事もなかったかのようにその文章を載せる気持ちになれず、ご無理を言って追悼の文章を書かせていただきました(『赤と青のガウン』に収録された「特別寄稿 父・寬仁親王」)。ギリギリのタイミングでお送りした後、心配になってお電話をしました。担当編集者の方が電話口で『私にも娘がおりまして……』と感極まられ、父を思う娘の気持ちが伝わる文章が書けたんだな、とありがたく思いました」

 

「そのまま書いたらいい」すごく楽に

 その後、執筆の依頼が増えていった彬子さま。雑誌「和樂」の担当編集者に、「彬子さまの文章は、研究者らしく書こうとしなくても、研究者らしくなる。読者の方は、彬子さまの文章を通して、彬子さまの体験したことを追体験したいので、思ったことを思った通りに書いてくれれば、それでいいです」と言われたことも、文章を書く上でのターニングポイントになった。

「それまでは、学術的な要素を入れて研究者らしい文章を書かなくてはいけない、研究者だからいろんなことを知っていなければいけないと、すごく気負っていました。でも、初めて知ったということをそのまま書いたらいい、と言っていただいたことで、そこからとても楽に文章が書けるようになりました」

 イギリスという日本から遠く離れた場所で、日本美術が専門ではない教授陣から指導を受けたこともプラスに働いたという。

 

「私の指導教授は中国美術や考古学が専門でしたので、日本のことに詳しいわけではありません。織田信長や豊臣秀吉が……、などと書いたら『Who are they?』などと言われます。だから、『戦国時代の有力武将であった〜』などと枕詞をつける必要がありました。専門家以外の人でも内容をしっかり理解して面白いと思ってもらえないと、説得力ある論文と言えないよ、と指摘されたのです。私は、専門的な知識を持たない方たちにきちんと理解してわかってもらえる文章を書いたり、話をしたりする修行を、博士論文の時にしていたのだと感じています」

 公務や日々のさまざまなことに追われ、書く時間を確保するためのやりくりに苦労するものの、書くこと自体に困ることはないという。

「テーマをどうしよう? ということは結構考えます。移動中に側衛さん(皇宮警察の護衛官)に、『次は6月号なんやけど、何がいいと思う?』と話しかけ、あれがいいんじゃないか、この話をしたら? のように決めることもあります。それが決まれば、そのあとはそんなに難しくはありません」

 

導かれるままに歩く「文章自体が寄り道」

 彬子さまが書くエッセイは、何気ない日常の様子や気付きにあふれている。また、本人が「自他共に認める事件体質」と自負するように、思いがけない出来事がいろいろと起こり、それがまたエッセイのネタとなる。そして、文章を書く時は構成や流れを全く考えずに書き始めるという。

「私は導かれるままにふわりふわりと歩いているような寄り道体質で、文章自体が寄り道。だから、最終的に書こうと思っていたことを書けずに終わってしまった、違う目的地に着いてしまった、こんな話にする予定じゃなかったのにな、ということはよくあります」

 散歩や寄り道好きであるということは、本書に収録されたエッセイからもよくわかる。散歩の途中でたまたま見つけた和菓子屋に足繁く通い、京都の住まいの近くにある和菓子屋にもよく足を運んでいるという記述がある。

 

「京都では、日本の伝統や文化が日常の中にあることを肌で感じます。コロナ禍の時に和菓子屋さんをたくさん見つけたので、その話を東京の友人にしたら、『うらやましいです。東京ではなかなか生菓子を売っているところがなかったから』と言われました。コロナでお茶のお稽古がなくなってしまったかららしいのですが、それはたぶん京都でも同じだったと思います。でも、京都では日常的に生菓子を買って食べる人たちがいらっしゃって、それが根付いている。京都ではお茶のお稽古とは関係なしに和菓子屋さんは生菓子を作り続けていたのだと実感しました」

 ある時、彬子さまがある和菓子屋で並んでいた時に、その目の前で「お菓子を食べたい!」と駄々をこねる子どもとその母に遭遇した。

「『お店混んでるからやめとこか? スイミング遅れるし』とお母さんが言ったら、その子が『いややー、食べるー!』って押し問答していて、結局並んでいたんです。スイミングに遅れてでも、ここの和菓子を食べたかったんでしょうね。子どもの頃から生活の中に和菓子があるのなら、この子が大きくなっても絶対に和菓子を買うはず。こういう光景を日常的に見られるのも、なんだかうれしいと思いました」

 

ちょっとズレているところが「自分と合う」

 本書は漫画家のほしよりこさんとの共著で、表紙と本文にほしさんの愛らしく温もりのある挿絵が散りばめられている。巻末にはほしさん描き下ろしの「絵日記 キャンパスのプリンセスを訪ねて」と、二人の対談も収録されている。

 ほしさんのロングセラー『きょうの猫村さん』は、かねてから彬子さまも愛読し、共通の知人を通してつながりがあったこともあり、出版社から挿絵について相談された時に、彬子さまは「ほしよりこさん!」と即答した。

「ほしさんの作品はちょっとズレているところがあって、こう来るんだろうなと思わせておいて、違う角度から攻めてこられるところが自分と似ているんじゃないかと思いました。実際にお会いしてみて、考え方や何を大事に思うか、といった芯になる部分がやはり似ているなと。絵日記もあとで拝見して、そこの部分を描かれるのか、こういうところが面白いと思っていらっしゃったんだな、というように、ほしさんの視点が面白いなと感じました」

  

 彬子さまは、挿絵の人選だけでなく、本書の本文用紙も自身で選んだ。ブックデザイナーの名久井直子さんから提案されたのは3種類で、選んだものが「OKプリンセスN」という用紙だった。

「造本やデザインなどは基本的にはお任せするのですが、触感を大事にしたいので、ページのめくりやすさや、めくっている指の腹が触れた時に気持ちのいいものを、と思ってこの紙を選びました。この紙は黄味がかっていたのですが、もう少し白っぽい紙もあり、『白い方が、挿絵がきれいに出ます』ということだったのですが、この紙のほうが暖かみがあると思い、これを選んだら、偶然プリンセスという名前だったのです」

 

自分の興味が「如実に表れている」

 本書には、20162025年に朝日新聞と京都新聞に掲載されたエッセイ47編が収録されている。奇抜な書籍タイトルとなったエピソードも収録エッセイの1編だが、読み返してみて「食べ物の話が多い!」ということに気付いた彬子さま。

「お米をテーマにした連載が入っているので、その割合が大きくなるのは当然のことなのですが、お米以外でも食べ物の話が多くて、自分が何に興味があるかが如実に表れているなと思いました」

 発売前から重版がかかり、現在は5刷まで重ねている本書は、食べ物はもちろんのこと、彬子さまの身の回りのことや、気付いたことが丁寧に記されており、くすっと笑えると同時に、改めて日本に息づく文化や伝統の魅力も再発見できる。

「ある読書芸人さんがラジオでお話されていたのですが、その方は、『赤と青のガウン』、『新装版 京都 ものがたりの道』、『日本美のこころ イノリノカタチ』と刊行順に読んできたけど、もし彬子女王殿下の本を読んだことがない人におすすめの本を聞かれたら、『飼い犬に腹を噛まれる』を紹介すると言ってくださっていました。この本には今まで発売されたすべての本のエッセンスが詰まっているから、入門編のようなもので、これを読んでみて、例えば留学時代の話が面白いと思ったら『赤と青のガウン』、日本文化の話に興味がわいたら『日本美のこころ』などという感じでより深めていくことができるはず、という話をされていました。それを聞いて、すごくよくとらえてくださっているな、と思い、うれしかったですね」

 

 まさに、彬子さまの要素がいろいろ詰まっている一冊と言える。

「この本は一編一編が独立しているので、どこから読んでいただいても、どこでやめていただいても、表紙から裏表紙まできっちり順番に読まなくてもいいので、お好きな時にお好きなように読んでいただけたらいいなと思っていますし、私が興味を持っていることに関心を持ってくださると、とてもうれしいです」

 

吉川明子(よしかわあきこ)ライター・編集者

2008年からフリーランスのライター・編集者として活動。旅と食べることと本、雑誌、漫画が好き。ライフスタイル全般、人物インタビュー、カルチャー、トレンドなどを中心に取材、撮影、執筆。主な媒体に「BRUTUS」「クロワッサン」「mi-mollet」「朝日新聞デジタルマガジン&」「ステラnet」「週刊朝日(休刊)」など。

篠田英美(しのだひでみ)

フォトグラファー。時々執筆も。埼玉県出身。慶應義塾大学卒業。こども時代にメキシコ、アメリカで暮らし、日本との時差を意識した経験から地球や宇宙に思いを馳せる作品多数。衣食住など、暮らし全般や手仕事に関心を持つ。

 

 

 

 

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