血脈 佐藤愛子 2026.6.6.
2026.6.6. 血脈(けつみゃく)
著者 佐藤愛子 大正12(1923)年大阪生まれ。甲南高等女学校卒業。戦後「文芸首都」の同人となり小説を書き始める。昭和44(1969)年「戦いすんで日が暮れて」で第61回直木賞を、昭和54年「幸福の絵」で第18回女流文学賞を受賞。平成12(2000)年、父の作家・佐藤紅緑、異母兄のサトウハチローを始めとする佐藤家の人々の凄絶な生の姿を描いた大河小説「血脈」の完成により第48回菊池寛賞を受賞。平成27年「晩鐘」で第25回紫式部文学賞を受賞。平成29年、旭日小綬章を受章
発行日 (上)2001.1.10. (中)2011.2.10. (下)2021.3.10. 第1刷
発行所 文藝春秋
上巻初出 『別冊文藝春秋』188~190号、192,3号、195号、197,8号、200,1号
中卷初出 『別冊文藝春秋』203~214号
下巻初出 『別冊文藝春秋』221~224、226~232号
第1部
第1章
予兆
大正4年秋、横田シナが初めて茗荷谷の洽六を訪ねて来た時に道で八郎とすれ違う。それが佐藤家の混乱の端緒
洽六は雅号を紅緑といい、新聞小説を書かせれば当代人気随一といわれている大衆小説家
その前は松竹新派の脚本を書き、その前は子規門下の俳人、さらに前は新聞記者
今は小説を書く傍ら、「新日本劇」という小劇団の顧問
茗荷谷の邸は400坪あり、常に大勢の人が出入り
神戸の聚楽館で女優業をスタートしたシナは、聚楽館が映画館となったため失業、すでに佐藤家の食客になっていた役者の元安サカラッキョの紹介で、一緒になっていた三浦ともども洽六を訪ねる。シナは島村抱月・須磨子の芸術座に行きたかったが、とりあえずの東京での足掛かりとして洽六を訪ね、夫婦揃って居候となる
八郎の母は、寒くなると赤ん坊のワタルを連れて茅ヶ崎に保養に出かける。その部屋にいつの間にかシナがいた
洽六は、8年前から中富坂に元芸者の真田いねを囲っている
洽六は、よりにもよって醜女のハルと一緒になり4人の子供をもうける。やきもち焼だがいねの存在だけはもう諦めている、いねは洽六の浮気沙汰を知っても平気でからかうだけ
いねは洽六からシナの話を聞いて興味を持ち、連れ歩くと同時にすっかりシナに心を許し、洽六にもいい女だと報告するとともに、シナには芝居の世界のふしだらさを話す
シナと三浦は兄妹との触れ込みだったが、元安からどうも兄妹ではないらしいと聞かされ、最初に見た時から惹き寄せられていた洽六は、三浦の女だったことに怒りを持ち、頭の中からシナのことが離れなくなる。手籠め同然に関係を結び、正月ハルが戻ってくると、いねのところにシナを居候させる
新日本劇の甲府・名古屋への旅公演が決まり、シナは準主役に抜擢、三浦は役を降ろされる。公演は洽六の新聞小説「鳩の家」のお陰でまずまずの首尾となり、シナも抜擢に応える
帰ってくると、西五軒町の家が用意され、シナは洽六の「世話を受ける女」になった
次は東京の本郷座での公演。台本は洽六の人気沸騰の小説『虎公』で、シナが主役。世間では須磨子のようにシナが紅緑を篭絡したとの評判がたつが、シナは何も洽六に頼んだことはなく自分の実力で行きたいと思っているのに、洽六は夢中で、シナを喜ばせることで頭がいっぱい。洽六はシナが演じる時のことを考えて、自分の理想の女を小説に書く
『虎公』の主役のために、洽六はシナに「三笠万里子」という名を考える
八郎はこの春から早稲田中学に入学、野球部に入る
本郷座のあと旅公演が決まり、大阪・神戸までは客の入りもよかったが、広島・岡山では新聞の読者もなく不入りとなり、座長が役者を連れて姿をくらまし、新日本劇は解散
洽六は、シナの機嫌を取るためにいねと手を切る。手切金は500円
明治41年、劇作家として成功し脚光を浴びていた頃に洽六の家に寄寓するようになったのが福士幸次郎。当時洽六は、読売新聞の演芸欄に演劇記者として劇評を書いていたが、このくらいなら俺でもといって書いたのが新派で上演されてたちまち人気が沸騰。お召の上下を着流すようになって、夏目漱石が「俺も一生に一度くらいしてみたい」と皮肉った
幸次郎は洽六同様弘前の出で、洽六の創作活動のため助手として紹介された。フランス語や短歌・俳句の素養があり、洽六に気に入られ、他の書生と区別されていた
洽六は、シナのために日本座を立ち上げ、信州巡業中にハルが洽六の9人目の子・久を出産(女児4人が夭折)。ハルは、洽六が勤めていた河北新報勤務の社主・一力健次郎の妻の妹で、才気煥発の洽六に対し、あまりにも愚鈍だったのがお互いの不幸の始まり
シナは、一旦は洽六から逃れてはみたものの直ぐに見つけられ、芝居に戻る
日本座は大阪、九州へと長期巡業に出るが、大阪公演のあとシナは妊娠、代役は久松喜代子。洽六とシナは大阪で仮住まいに
シナに子(六郎)ができたのを機に、洽六はハルとの離婚を決意するが、間に入った幸次郎はなかなかストレートに言い出せない
喜美子の容態が悪化し、洽六は枕辺に。隣家の杉浦重剛の息子といい仲になったが、洽六の行状が災いしたのもあって、息子は徴兵逃れでメキシコに逃げてしまう
喜美子が肺病で死に、ハルとチャカとキュウは転居、八郎は早稲田の寄宿舎へ、ワタル密蔵伯父さんのところに預けられる
第2章
崩壊の始まり
大正7年、佐藤家は皆バラバラに正月を迎える
八郎は早稲田には行かずに、大阪の父の火宅を訪ね、居候しあんがら悪さばかりして事を起こしたので、父も我慢できずに勘当、幸次郎に連れられて小笠原諸島の父島へ。洽六は日本座を率いて福井に
洽六の行動は中央劇壇の批判を浴び、帝劇での脚本使用が中止され、小説の注文も減り、金の工面に汲々とする
洽六は家族を犠牲にして、自分1人の幸福を掴んだ筈だったが、新生活には苦悩が増えただけ。演劇に対する情熱はとうに萎えていたが、シナを望む限り、惨めな結末を迎えると分かっている巡業を続けなければならなかった
シナが浅草の観音劇場に出ることになって洽六とともに上京
六郎が死去。シナが芝居をしたいのを叶えるために洽六が北海道巡業をするが、その間シナの実家に預けていた息子が亡くなり、失われてみて初めてシナに母性が芽生え、芝居は一時中断して洽六との家庭生活に入り、翌年には早苗が生まれる
幸次郎が初恋をしたのを知った八郎は、幸次郎の下宿に行き、詩人仲間の話を聞く。三木露風の詩にはリズムがない、リズムを通して露風の精神が見えたことがないと言って批判
八郎は、仏人のハーフのイマオの勧めと、萩原朔太郎の詩を読んで感銘を受け、ため詩作を始める。日本のフランソワ・ヴィヨンになると言い、放浪詩人の気分を味わっていた
洽六とシナはまたしても九州に巡業に出るが、すべて同じことの繰り返しで、今にどこかでトヤをせざるを得なくなり、解散ということになるのは目に見えている。大阪に戻って落ち着いたと思ったら、シナは浅草の新派悲劇の常打ち小屋で洋装の似合う若手女優を探しているという話を聞き込んで食指を動かし、遂に洽六に別れを切り出す
シナの演劇活動に洽六は一切口を出さないという約束で別れ話は収まり、シナは常盤座に出て、念願の翻訳劇《サロメ》に出演。東京の新しい住まいに八郎も引き取られた
洽六とハルの離婚が月100円の養育費を払うことでようやく成立、ハルは節と久を連れて仙台の実家に帰る
洽六は漸くシナに愛がないのを悟り別れる決心をする。そこに外務省から情報局嘱託として1年間、ヨーロッパ各国の映画の研究に行く仕事が持ち込まれ受ける決心をする
第3章
彷徨う息子たち
兵庫県武庫郡鳴尾村は苺の特産地として有名。洽六は、関東大震災の報を得て予定を2か月切り上げて帰国、大阪毎日の経済論説員だった兄密蔵のいる鳴尾村に居を構える。夙川の東亜キネマから撮影所長の話が来て受けたが、すぐに辞めて、大衆小説の人気作家に戻り、娯楽雑誌の王者を目指す講談社の各誌にとってなくてはならぬ存在になる
シナは、洽六を見送った後、孕っていることに気づく。隠し事を持ったまま別れるのはいやだと、洽六に手紙を書くと、堕すことは認めないと返事があり、ずるずる日がたって女児誕生。末娘愛子の誕生によってシナはしっかりと洽六に結びつけられた
洽六の勧めで、愛子誕生の翌年、神戸で翻訳劇に出演。シナにとっては最後の舞台となる
ハルが死去。八郎は結婚して女の子が2人いる。久を預かる
大正15年、八郎の初の詩集『爪色の雨』が洽六のところに送られてくる。今東光の口添えで出版、西城八十や宇野浩二、北原白秋らが出版を祝ってくれた。ペンネームを片仮名に
久のほかに食客が1人転がり込んできた。菊田一夫で、18歳、天涯孤独だという
節は親の名を騙ってあちこちで借金を重ね、洽六も諦めて早く徴兵になればと願い、甲種合格で近衛師団に入隊したが、そこでも親に金を無心し、金で子分を作って上官を丸め込んだ。2年して除隊すると、さらに放蕩の生活が嵩じて、借金のつけが洽六に回ってくる
弥は、洽六が密蔵の近くに来ても密蔵の家にとどまり、菅沼久弥という級友を作って悪さばかりしていたが、ある日菅沼が村同士のけんかで敵方だった今津に転居、森繁という苗字になった。密蔵が死んで父親の元へ戻り、ようやくゆきと従姉の監視から逃れる
久も小学校を終わると洽六のもとに引き取られる
節が結婚する気になった相手は神戸のカフェの看板娘。京都から阪妻が口説きに通うほどだったが、洽六が正式な仲人を立てて申し込むと受け入れた。節は、定職がないのも中学を出ていないのも、三笠万里子に家族を滅茶滅茶にされた復讐だと言い訳し、定職に就くが長続きせず
洽六は、今は少年少女小説家として全国的に熱狂的な読者を持つ存在。少年倶楽部の発行部数を5割増しの45万部に引き上げ、稿料は雑誌全体の1/2を占める。当初大衆作家で低い評価しかなかったがそれなりの自負を持っていたが、編集長に、「日本の将来を担う子供たちのための本を書けるのはあなたしかいない」と説得され書く気になった
洽六の権力嫌いと社会の矛盾への憤りは、大人子供の読み物の区別なく、一貫して流れるモチーフ。金食い虫の子供たちを支えるために書き続ける
八郎は、がぜん売れっ子になり、ヴァンプの女優歌川るり子を追い落とし、くみ子との離婚を言い出すが、くみ子と洽六が承知しない
弥は、4人兄弟の中で唯一高等学校を卒業して早稲田学院に入るが、ダンスに現を抜かしている間に落第、兄や父から罵倒されて自殺しようと服毒するが未遂に終わる
洽六は、シナの機嫌を取るために、甲子園五番町にシナの思うままに豪華な家を新築
第4章
明暗
弥は大連に行き、久は刃傷沙汰で感化院送りとなるが、脱走して節のところに潜り込む
キュウは仙台で職に就き、そこの事務員大江輝子と恋仲になり結婚、婿養子となる
ドラ息子たちがいなくなって、洽六にはシナと娘2人の平穏な暮らしが戻り、競走馬を飼い始めるが、小説の方は徐々に依頼が先延ばしになったり、連載の休止の話がき始める
洽六の小説の根底に流れるものは常に正義と人道、社会の矛盾への怒りであり、それは通俗だが単に風俗や恋愛や心理描写に留まらず、それらをすべてひっくるめたその時代と社会機構を描いている。小説というものは惰弱なもの、青少年にろくなことを教えないと毛嫌いしている教育者なども、佐藤紅緑だけは読むべきものとして推奨したのはそのため
だが、家庭の平和のみを願うようになって、新しい収穫がないままに穀倉の蓄えは減っていき、登場人物は類型化し、正義人道のモチーフは10歳の愛子でさえ先が読めるほどにパターンになり、想像力の衰えは隠しようがなかった。洽六は疲れ、才能の迸りは涸れつつあった。彼自身気づかなかったが、気力の衰えが目立つなか、ようやく私小説に目が向き、「不良少年の父」を書いてみようかといって、編集者を喜ばす
久が相愛の妻と服毒自殺を図り、佐藤紅緑の息子と各紙が暴露。妻は一命をとりとめたが久は死去。あちこちに借財を残したうえ、妻の兄が慰謝料を要求するつもりだという
結局久は金に困って行き詰まったようだ。洽六は結婚に際しまとまった金と毎月の生活費の足しを節経由で送ったが、節がほとんどを久に渡さなかった
洽六は、私小説など最初から軽蔑しており、「不良少年の父」もモデルは俳句を添削指導していた頃の弟子の1人だった千家元麿。元司法大臣の尊福(たかとみ)が小間使いに産ませた庶子。17歳の頃何の理由もなく突然機嫌を損ねると暴れ出し手がつけられなくなる。洽六の言うことだけは素直に聞いた。同類に対する本能的な嗅覚からかもしれない
第2部
第1章
兄と弟
『不良少年の父』は大ヒットとなり映画化
八郎は超売れっ子になってるり子の家と蘭子などの家を回って歩く。くみ子は自由を求めて遂に離婚を決意。子供たちはるり子が引き取る
弥の不品行が続き、シナは珍しく病の床につくと肺病に罹患。芸者崩れのダンサー・ユキと結婚、遺産の前取りを言い出して相手の遠縁の事業に投資
洽六は少年の頃から英雄に憧れて東西の英雄伝を読み耽り、上野図書館の特別借覧券を使って読み漁った本は何百巻にもなり、当時の洽六は恐ろしいと言われるほどの記憶力の持ち主で、一度読んだ本は何頁にどういうことが書いてあると人に教えることが出来たほどだった。蓄積された知識を飯の種にしようとは考えなかったが、杉浦重剛が創設した右翼系の『大日』から『英雄論』執筆の誘いが来る。原稿料はないに等しかったが、嬉々として書いたのが『英雄群像』。その続きは『少年倶楽部』の連載へと引き継がれる
るり子は男の子を2人作り、洽六は上京して対面。子規門下の四天王と言われた当時の弟子たち、佐藤惣之助(流行作詞家として成功)、伊藤韋天(新興宗教の教主の息子)などを訪問、肋骨、虚子、鼠骨らと酒を飲み、洽六の至宝の子規書翰巻物に各々賛す
シナは、何事にも興味を見出せず、家のことはすべて女中たちがやってくれるのせ、ただ火鉢の前に座って火を熾すのみ。ときどき書斎から出てくる洽六にお茶を入れるのが仕事。新聞を丹念に読んで、軍部の突出と政府の無策を詰り、愛子を掴まえては戦争批判や天皇批判をするのが愛子には不愉快でたまらない
少年倶楽部の編集部から原稿の書き直しをさせられ絶縁
第2章
衰退
昭和15年、早苗が婚約。早苗の出した第1条件が「帝大出」。近衛首相の東亜経済研究所勤務。早苗は気に入っているが、シナは弱者への思い遣りがないと言って不満
戦争が始まって間もなく、洽六が腹痛と下痢で寝込む。すっかり無気力になった洽六に、シナは無常感を感じ、胸が引き裂かれるように悲しかった
忠は、疎開で千葉県岩井の中学に入り、佐藤紅緑の孫、サトウハチローの息子だと紹介される。姉のユリヤは国の早婚の勧めに盧ってさっさと結婚、鳩子は同盟通信を解雇され岩井に来る。八郎は幼少時の大火傷の後遺症と、肥満のため心臓に疾患があると偽って徴兵を逃れる
節夫婦が鳴尾に戻ってきて、昔の仲間との交流が復活。仲間を誘って洽六に俳句の教えを乞う。仲間の1人正岡忠三郎は、子規の戸籍上の後継者
愛子は、陸軍経理学校の守田悟と見合い。実家は岐阜の宿場町の素封家で医院。結婚式は昭和18年12月名古屋で質素に。節夫婦と早苗夫婦が出席、八郎は来ず、弥は入営
洽六とシナは老夫婦だけになって鳴尾の20年の生活に終止符を打ち、愛子が紹介してきた興津の家を終の棲家にして転居
弥の入営中にユキは男と駆け落ち、弥は毛髪と爪を親父に渡してくれと早苗に託す
早苗の2人目と愛子の最初の子の出産が重なり、興津に迎える
40年来音信不通だった真山青果から手紙が来る。洽六の食客だったが愛想をつかして出ていき、後に前進座を率いて日本を代表する劇作家になっていた。興津のすぐ隣の清水への空襲が激化したため、勧められるままに真山等のいる蓼科へ疎開
終戦の詔勅を蓼科で聞く。直後に節が広島の原爆で死んだ知らせが来る
第3章
敗戦
敗戦後初の正月は、興津に戻って老夫婦だけで祝膳を囲む
喜美子が死ぬのを待ち受けていたかのように、洽六が家を出たのが30年前。その間に詰まっている波瀾、喜怒哀楽は通常の夫婦の一生分をもってしても足りないかもしれない、怒涛のように生きた30年。シナを獲得するために周囲の者をすべて踏みにじり、流し去り、シナまでも怒涛に溺れさせ呑み込んだ。そうして流れ着いたところがここか。力の限り生き抜いて辿り着いたのがここだったのか。まさしく今、彼は老残の身
去年暮、『令女界』の俳句欄に洽六の昔の俳句が載ったが、その作者紹介には「故佐藤紅緑」とあったが謝罪の一言もない
縁側で日にあたりながら、弥の幻を見る。公報はないが死んだに違いない
愛子の夫が終戦処理が終わって千葉から引き揚げてきたが、モルヒネ中毒になっていることが判明。それを隠蔽しようとする夫の実家の両親に愛子は反発
八郎一家が岩井から本郷弥生町に引き揚げてくると、戦災から家を守っていた蘭子は別の家を借りて出ていく。八郎作詞の《リンゴの唄》が松竹映画《そよかぜ》の主題歌に使われてから流行り出し、疲れ果てた人々を励ました
るり子もモルヒネ中毒だったのを八郎が強引にやめさせたお陰で治ったのを見て、愛子も望みを持とうとするが、周囲は離婚を勧める
忠は予科練から戻ってきたが、梅毒の2期。姉たちと同じ西村伊作の文化学院に入学
八郎は、NHKの和田信賢の「話の泉」で人気を博し、絶頂期を迎える
早苗一家は、東中野の村木の実家に義兄弟たちとともに同居。村木が元々共産主義に傾倒していたことがわかる。早苗は3人目を堕ろし、愛子も2人目を堕ろそうとしたが、結局は長女を授かる
シナにとっては洽六の存在そのものが耐え難かった。かつては包容力と実行力に満ちていたので一目置いていたが、今は失望が軽蔑に変わりつつあり、敬意のカケラもなかった
昭和22年、洽六夫妻は興津の家を追われ、八郎との同居を決意。八郎にとっては何も変わらず、るり子は歓迎。鳩子が結婚して出て行ったので部屋は空いていた
昭和2年に洽六が書いた少年少女小説の一大傑作『あゝ玉杯に花うけて』の再販が決まり、今更忠君愛国でもないというシナの批判をよそに次々に版を重ね、たちまち10万を越えた。その勢いに乗って他の出版申し込みもあり、シナはこれで引け目を持たずに八郎のところへ行けると決心した。まだ地方から東京都への転入の制限があり、鳩子の舅に手をまわして切符を入手
るり子が脳溢血で死去。八郎は初めて心に痛手を受ける
愛子は、八郎の人間としての欠陥が、世俗的な力によって帳消しにされていることに我慢がならず、手紙で八郎の利己主義を散々罵った。危うく仲違いになるところを救ったのはるり子。シナと愛子は八郎の悪口を言い合う
上馬に終の棲家を購入して転居
第4章
洽六の死
シナの人生を支えていたものは愛ではなく自尊心と生来の生真面目さで、シナが洽六に尽くすのは人並み以上に強い義務感からと思うが、その義務感がどこから来たのかはシナ自身にも分からない
洽六は、脾臓が肥大して余命3か月を告げられ、家族が呼び寄せられる
何度か危機を迎えるが乗り越え、ようやく八郎が一族を従えて見舞いに来ると、恩賜の煙草を持ってきて、天皇陛下と一緒に食事をしたという。「開かれた公室」を内外にアピールするために、辰野隆の推薦で徳川無声と八郎が一緒に参内、好き勝手な話をしてきたというと、洽六は話も聞かずに感涙にむせんで嗚咽。「佐藤家万代の栄誉にして余が一身及父母の一大光栄なり。単に人の親としての大歓花たるのみにあらず、佐藤家累代の名誉として金石に勒(ろく)すべき光栄なり。感激胸に塞がりて嗚咽者言う能わず」と日記に書き、この日を最後にペンを持つことはなく、日記帳は二度と開かれなかった
ある日突然シナと愛子を呼んで体を起こしたかと思ったら、「南無阿弥陀仏」と唱えたので2人は驚愕、その後暫くして静かに息を引き取る。半年前に書いた最後の遺言では、八郎を相続者としていたが、真田の子を含めて全員が相続を放棄し、すべてをシナが引き継ぐ
第3部
第1章
渦の行方
シナを苦しめる存在は消え、空白の中に放り出された自分がいるだけ。自分の一生は何なんだったのか? シナはアルバムを見ながらその思いと向き合わずにはいられない
アルバムを終わると日記に目を通し、身勝手にもシナの悪口ばかり書いているのに憤慨したが、愛子は「暇だからこんなことに腹が立つのだ」といって相手にしないのでまた憤慨
悟に愛想を尽かして出てきた愛子に、小説で身を立てよと勧めたのはシナ
婚家先のあれこれへの不満を綴った愛子の手紙に、洽六は「才能とはこういうものだ」と言っていた。愛子はそのうち小説らしきものを書くようになり、同人雑誌の仲間ができる
忠が漸くカメラの密売から本格的なカメラ屋に転進。友人の妹と結婚して長男恵が誕生
愛子はシナと喧嘩して家を出て、放浪の旅へ。聖路加でアルバイトして忠にばったり
八郎を囲む同様の勉強会・木曜会が立ち上がる。一方で蘭子ともどもヒロポンの中毒になっている。四郎五郎も中学生には通っているがヒロポンを使う
愛子は文学仲間の田畑麦彦兄妹と同居を始める。田畑は実業家の息子で、愛子が傾倒
早苗は、雄介がGHQ関連の仕事について景気がよくなり、三鷹に家を建て独立、陽子をピアニストにしようとする
愛子にとって小説を書くことは職業を得ることではなく、生きる目的になっていて、それも田畑に認められたい一心で書く。5歳も下の田畑と結婚することになる。田畑も放蕩息子で実家は諦めていた
木曜会は続いているが、八郎の勝手気儘から弟子が次々に辞めていき、八郎にもかつてのような活気がなくなっている。11年間書き続けたコラムも書く気力がなくなり自然消滅
第2章
花吹雪
愛子の『ソクラテスの妻』が芥川賞候補になった記事を見て、与四男は初めて愛子が異母妹だと知り、2人で会い意気投合
シナは、愛子夫妻と太子堂に広い一軒家を買って一緒に住む
早苗は、鈍感な夫との生活に疲れ、精神に異常を来して精神病院に入院
昭和38年の八郎の還暦祝いが福田屋で盛大に行われる。八郎が言い出して祝賀金を頼んで回ったときは、大半が断ったが、八郎から声がかかると皆前言を翻して集まった。一時は詩藻が衰え始め、我儘のために人から顰蹙されることが多くなっていた八郎だったが、満座の賑わいを見ると彼がまだあらゆる面で十分に力を持っていることがよくわかる
5年前にTBSの連続ドラマ《おかあさん》のイントロで流す『おかあさんの詩』が爆発的に売れた。嫌いで憎んでいたハルのことを思い出すと、詩はいくらでも湧いてきた
忠はカメラと熱帯魚の店をやっていたが、少し繁盛してくると女を作り、富美子は恵を連れて家を出る。五郎は屑屋が嫌になって女を作って典子のもとを去る。四郎は八郎の口利きで『おかあさんの詩』を200万分も出した出版社で働くが
真田与四男は、若い頃の風来坊から共産党に入り、戦前に転向して戦後は自動車組合の委員長に。3人目の女房が康子
昭和37年、誠二(田畑)の『嬰ヘ短調』が河出書房新社の文藝賞を受賞したが、内容は愛子にも皆目見当のつかない、溢れ出る言葉だけを綴ったもの。親の遺産で食っている誠二の金を目当てに、文学仲間が次々に来ては無心をしていく。誠二は金を作ろうと投資して大損し、遺産も底を突きだした。社員教育の教材を作る会社を興そうという話に乗って騙され借財を作り、毎月入ってくるようになった愛子の原稿料まで持ち出すようになる
会社は手形を乱発して倒産、誠二の実家は誠二と縁を切り、誠二は愛子に偽装離婚を持ち掛ける。愛子も誠二に懇請されるままに高利貸しからの借金を重ねる
昭和41年、八郎は紫綬褒章を受章。四郎夫妻だけが祝いに来る。作詞家協会の会長に
昭和44年、愛子が誠二との破産の経験を書いた『戦いすんで日が暮れて』で直木賞受賞
八郎はニュースでそれを知るが、愛子の小説には女には珍しい情熱とユーモアがあり、それは親父から出てオレを通して愛子へと流れた感性で、やがて一応は食っていける作家になるだろうとは思っていたが、祝う気はなかった。自分に意見した唯一の存在だが、佐藤家の人にしては唯一八郎に泣きついて来ないことには感心していた
早苗は2度の入院のあと自宅に戻り、俳句を書き始めるが、才能はなさそう
川上宗薫が愛欲小説を書いて長者番付に載った時も、恥ずかしいと思わないかと愛子は腹を立てながら、愛子自身も面白半分の「色どり作家」になっていた
シナはだんだん老耄して、聖路加病院で小腸に良性の腫瘍が見つかり、さらに心筋梗塞を発症。昭和47年死去
第3章
彗芒(すいぼう、彗星の尾が引く光)
昭和48年、八郎が一番頼りにしていた弟子分の菊田一夫が死ぬ。居候になってから47年が経っていた。八郎にコキ使われながら浅草軽演劇の脚本を八郎の代わりに書いているうちに才能が開花。菊田の死のショックで八郎の詩才が一緒に消えてしまったようだ
八郎が勲三等瑞宝章受章。「勲章下げて喜ぶ奴はインポだ」と言っていた八郎が子供のように喜んだ。直後に不整脈で聖路加に入院、大事には至らないと退院が決まったが、退院の日で叙勲伝達の日に突然死。葬式には忠も五郎も来たが四郎に追い返され、五郎は翌年初胃癌を知らされないまま死去
勘当されていた忠の抵抗で、2年経って漸く家裁の調停が成立して遺産相続が行われる
金の分配が行われた直後、アル中だった忠が突然血を吐いて死去。蘭子も兄弟も遺体の引き取りを拒否、愛子だけが後始末をする。遺産の現金1400万円は半年でなくなり、株券は行方不明。遺骨も蘭子が八郎の墓に入れるのを拒む
忠の妻富美子は血の滲むような思いをして働き恵の学資を貯えたが、高校の頃から遊びだし、辛うじて入った東海大学も中退。恵は父を憎んだ
第4章
宿命
愛子は漸く気が付いた。洽六の血を引くものは皆、滅びるべくして滅んでいく宿命を負っているらしい。八郎以外は皆せいぜいのらくらして暮らす金を欲しただけ。洽六が欲望に任せて家庭を放棄したのが諸悪の根源ではあるが、皆にも狂気の血が流れている
早苗がシナの遺産相続のことで愛子に相談。遺産は、愛子と同居している家の借地権と家屋のシナの持ち分1/3と現金500万。早苗は自分は現金、愛子は不動産でどうかという
愛子は、別に金は要らないが、不動産は愛子が苦労して誠二の借金のかたになっていたものをすべて返済して抵当権を抹消したものであり、早苗が一方的に取り分を決めることに憤りを禁じ得ない。早苗が初めて自分の権利を主張するのを目の前にして2人の間は決裂
村木は経済大学の教授に落ち着いたが、苦労して買った土地をある日早苗が突然半分よこせと言い出す。さんざん口論の挙句、早苗が勝手に処分して1400万円を手にする
逸郎が結婚して、愛子と屋根続きの早苗の持ち分に住むことになる。逸郎は画家崩れで、妻美和子が注文婦人服を縫って支えていた
与四男は、藤沢に移住、念願の舞台脚本に専念。骨太の男たちを描く社会派の書き手として演劇界の一隅にその存在を認められていた。前年に吉川英治の『親鸞』を脚色して、前進座が全国巡演しており、小説にもない親鸞の後半生をオリジナルで書こうとしていた
突然寝たまま脳梗塞を起こし、一命はとりとめたが下半身不随に。さらに糖尿から視力が急低下。言葉も失いかけるが、食事制限の効果で糖尿の数値が下がり視力が回復
従順だった早苗が突然変異のように無言で反抗的な気配を醸し出すのを村木は持て余していた。陽子も芸大のピアノ科を卒業、在学中は期待されていた才能も心因性の肩の故障で失い、今は子供相手のピアノ教師。結婚相手もないまま両親とは別世帯にして独立する
早苗は村木の甥の結婚式にも出ず、雄介から渡された生活費に対する義務だけは果たして、村木家とは関係なく生きると宣言。村木は離婚を決意するが、早苗は応じない。若い頃に戻ったかのように、外で自分の趣味仲間との楽しい毎日を送る
与四男は言語障害をある程度克服し、自宅に戻って周囲の助けを借りながら『続・親鸞』を完成。前進座はそれをもって北海道巡業に出て、与四男夫妻も同行。興業は成功。続いて民芸から独立した演劇集団「銅鑼」から脚本を頼まれ、かつて非合法の中でプロレタリア詩劇を書いたころの青春を呼び覚まして、『雪の下の詩人たち』を書き、全国ツアーに出る
与四男は間もなく急性リューマチになって歩けなくなり、『雪の下・・・・』が最後となる
小石川高校の校長を最後に定年退職した幸男も、看護の手伝いに来る。私生児だった与四男にとって幸男は父親代わり。幸男と康子に見守られて昭和54年死去
蘭子は雑誌の依頼で『お蔵の家の思い出』を書き、6年前に死んだ八郎との馴れ初めを書く。辛いことはすべて消え、八郎からの束縛もなくなり、何一つ不足のない、いうことなしの老後を過ごす
カズ子も節の死によって新しい生命力が腹の底から湧きあがり、幸福を手に入れた。割烹旅館「さとう」は繁盛し、創価学会の地区の幹部に。年下の愛人伊豆伍郎を作る
五郎の妻の典子は大塚に飯屋を開き、学生や労働者相手に人気がある
由子も、以前よりも若々しくなって元気に4人に子供を育てる。土屋家の墓に入った五郎の命日には、典子と一緒にお参りする
富美子も忠が死んでほっとした。忠から逃げ回る日々は終わり、自らの英語力で生計を立てる。過去を思い出し、今の暮らしの平穏に気付き、悪夢から覚めたように一息つく
康子は悔いも思い残すことも何もない、十分与四男に尽くした満足感の中で、子供相手の習字の先生をして静かな日々を送る。与えられた現実を自分なりに受け止め消化している
妻たちは1人も欠けていなかった。夫の死によってかつて味わわされた苦悩の分量に比例した平安を得ていた
誠二が愛子の前から姿を消してからだいぶたつ
第5章
暮れて行く
早苗は、金婚式を前に自室で倒れたまま息絶えていた。村木が葬式代をケチったのでささやかな見送りだった。姉妹の愛憎は終わる
村木は、早苗との結婚生活を総括した挨拶状を友人・知己に送り、愛子にも早苗についての考えを聞こうとし、娘や息子にも自分のどこがいけなかったのかと質問したが、不可解のまま10か月後に死去
カズ子は、早苗の死の4年前、84で死去。乳癌の進行を信仰で快癒を目指したが不首尾に
蘭子は、平成になって間もなく食道にポリープができ、癌と分かって入院。それでも最後にスキーに行ったり花見をしたりしながら息を引き取ったのは平成6年。いつの間にか周囲に知らせずに蘭子と四郎の養子縁組が出来ていて、遺産の大半は四郎が継いだ
最後に残ったのは愛子77歳、四郎63歳、ユリヤと鳩子も70歳を超えた
男たちを苦しめた情念の奔流は、追々に死に絶えていくことで漸く鎮まりつつあるようだった。四郎は男たちの中で唯一の生き残りとして、かつて蘭子が館長をしていたサトウハチロー記念館を引き継ぎ、多額の遺産を取得して穏やかに暮らしている。それがどんなに無情で利己的なやり方であったにせよ、とにかく荒ぶる血を受けた最後の男は漸く平和を掴んだのだ
鳩子は夫に先立たれた後、糖尿病から来た眼病で視力を失い、1人娘の園子に介護され、ユリヤも立居に不自由するようになって、出戻りの長女国枝の世話になっている。愛子だけは1人娘を嫁がせた後、人に干渉せずされず、孤独に徹することで平和を守ってきた
恵は八郎の長男忠が遺した1人息子で、洽六から数えて4代目の佐藤家の嫡男。もう1人洽六の曽孫として五郎と典子の長男俊郎がいるが、暴走族に入ったと聞いたが消息不明
恵は結婚ご夫婦そろって焼肉店で働くが、体を壊して以来鬱病を発症、仕事もせずに母親と妻の働きに身を委ねるばかり。愛子に発破をかけられて漸く見つけてきた仕事が引き売りの八百屋。それも愛子からあれこれ問質されると、無計画の思い付きであることがすぐにばれる。佐藤家の血が恵の中にも流れていることを恵の顔は語っていた。父や叔父や大伯父にあった過剰なものの気配は消えているが、恵はやはり彼らの「はらから」だった。自分が何をしたいのかわからず、何がよくてこうしているのかもわからず、人に理解されることを望まず、孤独に徹し切れず、自分で自分をどうすることも出来ない執拗な呪縛に恵みも囚えられている。愛子は「可哀そうに」と思って見ている。思わず「恵――」と呼んでいたが、続く言葉は出てこなかった。捜したが、いうべきことは何もなかった
あとがき
今から13年前、『別冊文藝春秋』編集長から勧められて、私の一族に流れる「毒の血」を書こうという気持ちが動いた。紅緑やサトウハチローに好意を抱く人たちにとって、『血脈』はどんなにか失望させ、憤らせることだろうと思ったが、書くのを躊躇うという気持ちは起こらなかった。書きながらいつもそのことが気にかかっていた。暴露小説だと批判されるかもしれないと思いながらも書くことは私にとって必然だと考えるようになっていった
紅緑は人一倍高い理想を持ちながら、どうすることもできない情念の力に押されて、我と我が理想を踏みにじってしまう男だった。ハチローは感じやすくセンチメンタルで、無邪気な人間であるが、その一面、鋼鉄の冷たさと子供のエゴイズムを剥き出しにした。若い頃の私は紅緑の小説を造り物だと批判し、ハチロ-の詩を嘘つきの詩だと軽蔑していたが、『血脈』を書くにつれてだんだん分かってきた。欲望に流された紅緑も本当の紅緑なら、情熱込めて理想を謳った紅緑も本当であることが。ハチローのエゴイズムには無邪気でナイーブな感情が背中合わせになっていたことも
書き終わった時、私の中には、この始末に負えない血に引きずられて苦しんで死んでいった私の一族への何とも言えない辛い哀しい愛が湧き出ていた
世間の誰もが理解しなくてもこの私だけにはわかる。我がはらからよ
森繁久彌--弥の鳴尾時代の悪友、旧姓菅沼
千家元麿――洽六の俳句添削指導時代の弟子
一力健次郎――夫人の妹が洽六の最初の妻ハル
菊田一夫――八郎の家に居候、浅草では八郎の代筆
横溝正史――『新青年』編集長。節と知り合い、「講談雑誌」に執筆の紹介
l 弥六(津軽藩士、勝海舟、福沢諭吉門下で学ぶ、脱藩)
妻・志な――長男・密蔵(最初の妻との間に娘2人、二番目の妻・ゆき)、次男・洽六、長女・そみ(楠美、子3人、夫と死別、洽六宅に同居)、三男・毅六、次女・そで
志なの最初の夫・弥六の兄――長男・清明、長女・そわ(洽六の母親代わりとなって子供たちを育て、佐藤家を取り仕切る)
l 洽六(佐藤紅緑)
最初の妻・ハル――長女・喜美子、長男・八郎(サトウハチロー)、次男・節(たかし、チャカ、妻・カズ子は神戸のカフェの看板娘)、三男・弥(わたる、妻ユキはダンスホールのダンサー)、四男・久(ひさし、キュウ、妻・輝子は新聞社の同僚)
2番目の妻・シナ(三笠万里子)――長男・六郎(夭折)、長女・早苗、次女・愛子
妾・真田いね(文芸芸者)――長男・幸男(父親は財界の有力者、妻・くめ)、次男・与四男(劇作家大垣肇、妻・康子、紀州の本家に嫁いで離婚)、長女・英子(父親は小役人)
l サトウハチロー
最初の妻・くみ子(女優の卵、シナの付け人)――長女・ユリヤ(夫・三沢利政、長男・国枝、長女・旗子)、次女・鳩子(夫・佐藤赳夫は文部省、長女・園子)、長男・忠(妻・友人の妹富美子、長男・恵、妻・洋子)
2番目の妻・るり子(歌川、女優)――長男・四郎(妻・鈴枝、娘2人)、次男・五郎(妻・典子は八郎に憧れてきた八郎のお手付き、長男・俊郎、妾・土屋由子、子4人)
3番目の妻・蘭子(江川、浅草の踊り子)
l 早苗
夫・村木雄介――長女・陽子、長男・逸郎(妻・美和子)
l 愛子
最初の夫・守田悟――長男・剄介、長女・素子
2番目の夫・佐々誠二(田畑麦彦、父は実業家で60代で早逝)――長女・響子
出版社内容情報
佐藤愛子といえば、やはり『血脈』!
それは、妻子ある佐藤紅緑が、新進女優を狂おしく愛したことに始まった。
大正から昭和へ、因縁の炎が佐藤家を焼き尽くしていく。
圧倒的迫力と感動の大河長篇。
圧巻の三部作を、読みやすくした新装版で刊行。
【旧版からの変更点】
①人名・地名・難しい字に、ふりがなを増やしました。
②登場人物の系図を栞にして、上・中・下巻に挟み込みました。
(上)のあらすじ
物語は大正4年、当代随一の人気作家・佐藤紅緑が妻子を捨て、新進女優の横田シナを激しく愛したことに始まる。父親・紅緑への屈折した思いを胸に、散り散りになっていく八郎、節、弥、久の4人の息子たち。シナのつれなさに苦悩する紅緑が半ば別れを覚悟した矢先、シナの妊娠が判明。大正12年、愛子の誕生で、シナは紅緑と離れられぬ宿命をようやく受け入れる
(中)のあらすじ
昭和9年、四男・久が女と心中を図り、死んだ。サトウハチローとなった長男・八郎は、いまや売れっ子詩人で、あちこちに女を囲っていた。次男・節と三男・弥は相変わらず、親に金の無心を続けている。戦争の足音とともに紅緑に忍び寄る老いの影。敗戦を迎え、節を広島で、弥をフィリピンで失った。ハチローは「リンゴの唄」を始め、次々とヒットを飛ばしていた。息子たちの放蕩から解き放たれた時、紅緑の生命は輝きを失っていく。
(下)のあらすじ
紅緑が亡くなり、シナは過ぎ去った40年を思う。そして娘・愛子に「佐藤家には毒の血が流れとるから、気をつけなさい」と諭す。夫と別れた愛子に、小説を書くことを勧めたのは、シナだった。ヒロポン中毒の八郎の家で繰り返される佐藤家の因縁。愛子は再婚するも夫の会社が倒産し、多額の借金を背負う。シナが世を去り、八郎が急死。佐藤家を焼き尽くす因縁の炎の行方を見据えるのは、残された愛子であった。
内容説明
物語は大正四年、人気作家・佐藤紅緑が妻子を捨て、新進女優の横田シナを狂おしく愛したことに始まる。父親への屈折した思いを胸に、散り散りになる八郎、節、弥、久の四人の息子たち。シナのつれなさに苦悩する紅緑が半ば別れを覚悟した矢先、シナの妊娠が判明。大正十二年、愛子の誕生で、二人は離れられぬ宿命を受け入れる。
末息子の久が心中を図り死んだ。サトウハチローとなった八郎は、いまや売れっ子詩人で、所々に女を囲っていた。節と弥は相変わらず、親に金の無心を続けている。戦争の足音とともに紅緑に忍び寄る老いの影。敗戦を迎え、節を広島で、弥をフィリピンで失った。息子の放蕩から解き放たれ、紅緑の生命もまた輝きを失っていく。
紅緑を看取り、シナは過ぎ去った四十年を思う。夫と別れた愛子に、小説を書くことを勧めたのはシナだった。ヒロポン中毒の八郎の家で繰り返される、佐藤家の因縁。愛子は再婚するも夫の会社が倒産し、多額の借金を背負う。シナが世を去り、八郎が急死。佐藤家を焼き尽くす因縁の炎の行方を見据えるのは、残された愛子であった。
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Media
佐藤家の荒ぶる血
豊田 健次 (文藝春秋社友)
『「血脈」と私 佐藤家の人びと』 (佐藤愛子 著)
『血脈』が刊行された折(平成十三年)に、頼まれて著者へのインタビューを行った。その記事は「オール讀物」(四月号)に載り、このほど、『血脈』の手引書、案内書、あるいは“目で見る佐藤家の人々”ともいうべき『「血脈」と私』に収載されることになった。
当時、毎日新聞の書評欄の一角に「マガジンラック」というコラムがあり、ひと月に一度、小文を草していた。
そこに次のような文章を書いた。引用させていただく。
佐藤紅緑とその一族の栄光と悲惨を描いた巨編、佐藤愛子の『血脈』(文藝春秋)。その長さ(計三千四百枚)と値段(上・中・下巻、各二千円)にもかかわらず、売れ行きは好調のようだ。
名著『楡家の人びと』の著者北杜夫が「斎藤茂吉一族にも奇人変人が多いが、佐藤家にはとてもかなわない」と嘆声を発しているように、登場人物の性格・行動は尋常ではない。紅緑(こうろく、洽六)、ハチロー(八郎)以外にも、子や孫やその女たちがなかなかの役者なのである。
モデルが多彩であれば良い小説が書けるというものではない。作者の人間観照、人物造型の巧みさが、この物語を豊かなものにしているのだが、それ以上に作者の“霊的能力”ともいうべき特異な才能にも注目しなければならないだろう。
『オール讀物』四月号のインタビューで作者はこう言っている。「なんだか書かされたという感じがありましてね。だからこれは、いちいち憑依(ひょうい)されてたんじゃないかと思う」
『新潮45』四月号で連載二回をむかえた佐藤の「私の遺言」によれば、心霊に目覚めたのは、北海道山荘で“超常現象”をはじめて体験した二十五年前からのことだそうだ。
前出の小説雑誌で“霊体質者”は語る。
「……もう人には理解できないだろうから言わないというくらいの、心霊の苦しい経験をしまして、それがやっと鎮まったんですよ。その苦しい経験もみんな、この『血脈』を書くためのものだったんじゃないか。そういう気がしてるんです」
いま、本書に収録されているインタビュー記事「“かく生きてかく死んだ”佐藤家の人びと」を読みかえして、多少の不満――この箇所はもっと詳しくお聞きすべきだった、この辺には別の挿話をはさむべきだった、などなど――はあるが、まあ一応、インタビュアーとしての責は果したのではないかと、安堵はしたものの、心残りがないわけではない。
インタビューをする前に、『血脈』の中からキーワードをとり出し、メモをとった。
たとえば、「小説作法」――視点の問題――「私」の視点では書かない。主人公の視点(よりそった)、憑依―霊的能力―イタコ―魂しずめ―恐山(おそれざん)。「風土性」―津軽―韃靼(だったん)―荒ぶる魂――
右のことばの意味するところは、『血脈』および本書を読んでくだされば、ご理解いただけると思うが、「韃靼」とは何か。「韃靼海峡を蝶が渡る」のダッタンであり、司馬遼太郎さん晩年の傑作「韃靼疾風録」のダッタンである。
インタビュー記事のなかに、こんな会話が出てくる。
――佐藤家の男たちは、乱暴者だったり放蕩者だったり、女にダラシなかったり……。
佐藤 詐欺師だったり。
――ありとあらゆることをやる人物が次から次と出てきます。なかでも洽六は、あれは普通じゃない、韃靼人だと言われたりしていますね。これ、韃靼人が聞いたら怒るでしょう(笑)。
佐藤 あれはもう人間離れしてるっていうことでしょうねえ。若い頃、私は母によく、「あんた、気ィつけなさいよ。佐藤一族いうのは普通やない血筋の家やから」と言われましたよ(笑)。
このとき、私は司馬遼太郎さんから聞いた次のような話を思い出したのである。
「韃靼疾風録」のダッタンは女真――満洲族のこと。
歴史上には、ヌルハチを始祖とする後金(後の清朝)として姿を現わす。天城山心中で世間をさわがせた愛新覚羅慧生さんは、清朝最後の皇帝、溥儀(ふぎ)の姪に当るが、愛新とは黄金(アイシン)のことである。
古来、金一族は東北地方に渡来し、今氏となって日本に土着した。津軽で今姓を名のる人たちは、これら女真族の後裔ではあるまいかと、途方もない仮説を述べ、よって、今東光さんにも女真の血が流れているのではと、本人を前に申し上げたところ、和尚は「そうですか」と破顔して否定も肯定もしなかったというのだ。
佐藤一族にも、ダッタンの荒ぶる血が色濃く流れているのではと、うかがってみたかったのである。
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