90歳。何がめでたい  佐藤愛子   2026.5.16.

 2026.5.16. 90歳。何がめでたい

 

著者 佐藤愛子 1923.11.5.()大阪生まれ。甲南高等女学校卒。『戦いすんで日が暮れて』(1969,直木賞)、『幸福の家』(1979,女流文学賞)、『血脈』(菊池寛賞)、『晩鐘』(2015,紫式部文学賞)。エッセイの名手

小説「血脈」やエッセー「九十歳。何がめでたい」などで波乱に富んだ人生をユーモラスに描いた作家です。大正末期の大阪で生まれ、父は作家・佐藤紅緑、異母兄に詩人のサトウハチローがいます。戦時下の結婚、夫の麻薬中毒、離婚、借金苦を経験し、自伝的小説や社会批評を軽妙な筆致でつづる作風で人気を博しました。

 

発行日           2016.8.6. 初版第1刷発行            2017.4.3. 第15刷発行

発行所           小学館

 

初出: 『女性セブン』 201549.16日号~201662日号 (隔週連載)

本は、字が大きくて読みやすい

 

目次

l  こみ上げる憤怒の孤独

1960年生まれの長女が、私の日々のありよう、次々に起こる故障を見て、「長生きするって大変」としみじみ言う。数えの方がはるかにシンプル

声が大きい上によくしゃべるので、他人は私を元気なばあさんだと思い込む。90を過ぎて何が困るといって、これが一番困る

家から地下鉄の駅まで約15分、歩みが遅くなって躓くことが多くなった

 

l  来るか?日本人総アホ時代

讀賣新聞で、マイナンバー制度開始を知るが、何のことだか分からない。大体スマホを知らない。スマホなどあると、アホになる

年寄りが敬意を払われなくなったのは、急速な「文明の進歩」のためだと思っている

新幹線が3分速くなったからといって、何がめでたい

進歩というものは、「人間の暮らしの向上」、ひいては「人間性の向上」のために必要なものであるべきで、我々の生活はもう十分に向上した

「文明の進歩」は暮らしを豊かにしたかもしれないが、それと引き換えにかつて我々の中にあった謙虚さや感謝や我慢などの精神力を摩滅させて行く。進歩が必要だとしたら、それは人間の精神力である

 

l  老いの夢

耳が20代の人の半分しか聞こえていないと言われたり、膝がガクッときたり、全身が痒くなったり、歳月とともに傷んだ肉体は戻らない

ポックリ死が夢になる。現実には掴めないことをわかっていてこその「夢」だが、私たちの「夢」はとうとうそこまで来てしまった

 

l  人生相談回答者失格

田舎での近所付き合いに悩む相談とその回答を読んで、自分にはとてもそんな婉曲的な回答は無理だと思う

 

l  二つの誕生日

戸籍上の誕生日が聞かされて思い込んでいた日と違うので、戸籍に合わせることにしたが、時々それを忘れて「五日」と書いてしまい、慌てて五の上に二十を書き入れ不審がられる

高島易学によれば、大正12年生まれの亥年は、「亥の年は極まりよろしく 大望も貫くほどの強き気性ぞ 後前(あとさき)見ずの気早にて 人に憎まれ損もするなり」とある

亥年は勇猪、遊猪、疲猪、出猪、荒猪に分かれ、自分は荒猪に相当

 

l  ソバプンの話

医療大学の女子学生が、実習で一緒になった男子学生の不潔な臭いに悩んで人生相談へ

私の女学生時代、近くの男子校に通う遠藤周作氏が「ソバプン」と渾名されていたことを思い出す。そばに行くとプンと臭う

降りかかった不幸災難は、自分の力でふり払うのが人生修行というもの

 

l  我ながら不気味な話

世田谷の古い住宅地に住んで60年以上

昔は吠える犬がいい犬で、その職分を果たしていたが、今では吠える犬はバカモンと邪慳

にされ、悲しく憤(いきどお)ろしい思いを抱えている

赤ちゃんや子供たちの声ですらうるさいという人がいる

町の騒音は生活に活気がある証拠なのに、人々は黙々と動く、それを不思議とも思わずに。そう思いながら、同じように従っている私の不気味

 

l  過ぎたるは及ばざるが如し

子供のころから自宅以外の便所に入ることが出来なかった

漸く今頃はお世話になるが、複雑すぎて使い方が分からない

 

l  子供のキモチは

11年前、小学校の生徒の蹴ったサッカーボールが校外に飛び出て、老人が避けようとして転倒、骨折で入院したが、1年後に肺炎で死亡。遺族は少年の両親に賠償請求、裁判所も親の監督責任を認める。東日本大震災でも、判断が裏目に出て園児を乗せて避難しようとしたバスが津波に飲み込まれ、裁判所は園長などの責任を認めた

わが国には昔から「運が悪かった」という言葉があり、不慮の厄災にあった時など、諦めて耐えるという「知恵」を誰もが持っていた。「不幸」に対して謙虚だった

司法は人間性を失い、情を捨て、観念のバケモノになった

11年経って漸く最高裁が正しい判決を下したが、少年にとってはあまりにも長い年月

安全対策などという前に、少年の心の内を考えるべきだ。損得よりも寛容な心を持つ人間が増えさえすれば起こる問題ではない

 

l  心配性の述懐

昔の親は心配性で、子供が夜外に出ることなど許さなかった

「心配」の量と質は現代に至って半減した。人の情が文明の進歩とともに変質するのは自然の成り行きだろうが、その変質を「進歩」と呼ぶべきかどうか、私は迷う

 

l  妄想作家

'69年アポロ月面着陸の日の前日、虎の門病院分院に入院中の川上宗薫を見舞いに行ったところで、『戦いすんで日が暮れて』が直木賞受賞の報を聞く。夫の会社が倒産して借金取りの応戦に日々追われていてそれどころではなかったが、ゼニが入ると言われて即座に受ける。その日のことは鮮明に覚えていて、満月にもうすぐ到着すると言っていたし、その後も折に触れてこの話をしてきたが、ある時その日は満月ではなかったことを指摘され愕然。脳裏に焼き付いた光景はすべて妄想だったのか。我ながらゾッとする

 

l  蜂のキモチ

8月は北海道浦河町の山荘で過ごす

すずめ蜂を駆除するが、攻撃しない限り刺されることはないというのにかわいそう

 

l  お地蔵さんの申子

浦河に来て40年。地元の漁師たちと気が合うので、ここへ来るとほっとする

一番の知り合いの店の脇に子授け地蔵があり、その頭を撫でたら子が授かった。そのことを私が本に書いたら全国から人が来るようになった。今度はその時生まれた息子の嫁探しを本に書いてくれというので、この原稿になった。義理は果たしたので、あとは知らない

 

l  一億論評時代

テレビアニメ「サザエさん」の放映35周年に新聞が募った感想文の中に、「波平の子供を理解しようとしない古い父親像には理不尽さと不快感を覚える」というのがあったが、マンガというものは人間の機微を捉えて、それを面白がるゆとりから生まれたもので、登場人物の粗忽や間ヌケや失敗、悪戯や嘘や頑固を笑えばいいもの

いったいいつからマンガは人間を論評する場になったのか

 

l  グチャグチャ飯

玄関前に捨て去られた子犬を飼う羽目になったが14年経って死んだ

ドッグフード万能の時代に、昔ながらの残飯に汁をかけたご飯を与えていたためか、「腎不」と言われて死んだのが不憫

 

l  覚悟のし方

新聞の「人生相談」を愛讀。人生が垣間見え、回答者の価値観、生きてきた軌跡が窺われる

20代の女性が歳の差婚を家族に反対されたという相談。最相葉月が「一生添い遂げる意志を曲げないと誓い、何度でも両親を説得しろ」と回答しているが、私は、同じ「覚悟」でも「一生曲げない覚悟」ではなく、長い年月の間にやがて来るかもしれない失意の事態に対する「覚悟」が必要。それさえ身につけていれば何があっても怖くない。私はそんなふうに生きてきた。そして今の私がある。後悔などしていないので、人の相談にもその様に回答する

だから回答者にはなれない

 

l  懐かしいいたずら電話

一時いたずら電話や無言電話に悩まされ警察にも行った

当節はフリコメ詐欺電話ばかり。あの頃が懐かしい

 

l  思い出のドロボー

「あの人に会いたい」という番組を思い出す。私が会いたいと思う人は、恩師などの「麗しい」話題の人ではなく、「ヘンな友人」。ある日突然訪ねてきた身寄りのない女の子を可哀そうに思って家に泊めたら、実はドロボーで、なけなしの預金30万円を引き出された。この体験を聞いた私の友人は全員私の人の好さと過失に呆れ果てた

 

l  思い出のドロボー(承前)

忘れかけた頃にその時世話になった刑事が来て、苦笑しながらその後の顛末を話す

犯行のあと、娘は資産家で1人暮らしの老婦人の間借り人となる。三和銀行の頭取の姪だと名乗り、伯父の世話で銀行に就職、我が家から盗んだ金で家具調度をそろえた後、突然広島の母が倒れたといっていなくなり、荷物を実家に送り返してくれと言われ、自腹を切って送り返した。娘が実家に戻ったところを警察に逮捕されたが、父親が金の出所が佐藤愛子と知って、金を掻き集めて警察に返してきたという

自分の損失と怒りを忘れ、その金の受け取りを拒否。刑事も嬉しそうだった

テレビ嫌いだが、その娘か、せめてあの時の老婦人を探してくれるのなら、「あの人に会いたい」に出てもいい

 

l  悔恨の記

中年女性からよくアクセサリーなどの不用品引き取りの電話がかかってくる。とっておいたガラクタでも役に立つのかと来てもらうと、古本やガラクタなど目もくれず、金製品はないかという。3度目に来た正直者そうな朴訥の青年に、売るものの代わりに食べ余していたスイカを、おなかが痛いというのに無理やり食べさせた。捨てずに済んだスイカを思い勝利の気分に浸る。これは宿痾というべきか妄執というべきか、重症の捨てられない病

 

l  懐旧の春

まだ花粉症という名称の生まれる前、「春先のハナ風邪」と私たちは呼んでいた。医学名がないくらいだから治療の方法もない。鼻を垂らしてティッシュの箱を抱えているだけ

昔は蛔虫がいて、IgE抗体を人の腸内で食ってしまったために花粉症がなかった

歳を取ったら治ると言われたがなかなか治らず、漸く91歳の春になりクシャミが止まる

 

l  平和の落とし穴

昔の人生相談は、男社会ゆえの不平等、理不尽の中に身を置かされた弱い女性の涙ながらの相談ばかりで、回答も判で押したように、我慢・忍従を説き、やがて幸せな日は来るというもので、ほとんど役に立たなかった

今は女性の立場も強くなって、知的になり、主体性も身につけたはずなのに、いい歳をしながら、散歩中の犬が道端で糞をしたのを怒鳴られて気が萎えたとか、どうでもいいようなことを相談してくる。平和になって依存心が生まれたということか。とんだ落とし穴

 

l  老残の悪夢

テレビの調子がおかしくなったと電気屋に言ったら、すぐに本社から修理に来て、リモコンをちょっといじったら直ったが、それだけで4500円請求され驚愕

夏の40日間、東京の家は冷蔵庫だけつけて閉めたままだったが8000円の請求

合理主義の名のもとに、勝手に決まりをつけてぼったくる

非人間的な進歩に追いつく力を失った老いぼれは、無駄ゼニばかりを出さされる

 

l  いちいちうるせえ

高嶋ちさ子の「ゲーム機バキバキ事件」がネットで炎上したという

当節は味噌もクソもいっしょくたにして文句を楽しむ人がイチャモンをつけて留飲を下げる趣味というか生き甲斐というか、呆気にとられるばかり

 

l  答えは見つからな

子どもに自殺と頭痛はないという通説は本当だったような気がする

先生やお父さんは怖いもの、頼りになるのはお母さんだった。叱ったり叱られたりしながら、親子は密着していたし、そこには「情」があった

教師から高校推薦を出せないと言われ、親にも話をしないまま自殺した事件を聞いて、なぜ親と子の間にこんな隔絶が生じたのだろう

 

l  テレビの魔力

橋下が民間人に転進して羽鳥と組んで新番組をやるという。「日本の未来を真剣に考えてトークする」と銘打っていたので、珍しく興味をもって見たが、まるで町内会の寄り合いの茶飲み話。後日低視聴率を橋下の賞味期限切れのせいとしていたが、番組の構成者が視聴者をナメていたせいで、テレビは自分たちのいい加減な構成力を反省したほうがいい

 

l  私なりの苦労

ある雑誌のインタビュアーにいきなり「人生で最も大切なことは何か」と訊かれて戸惑う

これまで次々と災難を引き寄せてきたが、どう考えても私の我儘や協調性のなさや猪突猛進の性のために降りかかった苦労であることは明らか

 

l  私の今日この頃

テレビのバラエティの台詞を聞き取ろうとして渋面になっているのを孫に指摘された

この1年で聴力はさらに悪化したが、補聴器は煩わしいのでつけないと決めた

目も悪い。膝からは時々力が抜けてよろめく。なのにまだ生きている

ものいわぬ婆ァとなりて 春暮るる

 

l  おしまいの言葉

25歳で小説を書き始め、最後の長編小説『晩鐘』を書き上げたのは88歳の時。もう何もかもおしまいという気持ちだった。あとはのんびり老後を過ごせばいいと思っていたが、いざのんびりの生活に入ると気が抜けて楽しくない

そんな時女性セブンから連載の話が来て、隔週ならと引き受けた

人間は「のんびりしよう」なんて考えてはダメだということが、90歳を過ぎて漸くわかった

 

 

 

紀伊国屋書店

出版社内容情報

待望の単行本がついに発売。実にめでたい!

『九十歳。何がめでたい』というタイトルには、佐藤愛子さん曰く「ヤケクソが籠っています」。20165月まで1年に渡って『女性セブン』に連載された大人気エッセイに加筆修正を加えたものです。

大正12年生まれ、今年93歳になる佐藤さんは2014年、長い作家生活の集大成として『晩鐘』を書き上げました。その時のインタビューでこう語っています。
「書くべきことは書きつくして、もう空っぽになりました。作家としての私は、これで幕が下りたんです」(「女性セブン」201525日号より)

その一度は下ろした幕を再び上げて始まった連載『九十歳。何がめでたい』は、「暴れ猪」佐藤節が全開。自分の身体に次々に起こる「故障」を嘆き、時代の「進歩」を怒り、悩める年若い人たちを叱りながらも、あたたかく鼓舞しています。

自ら災難に突進する性癖ゆえの艱難辛苦を乗り越え92年間生きて来た佐藤さんだからからこそ書ける緩急織り交ぜた文章は、人生をたくましく生きるための箴言も詰まっていて、大笑いした後に深い余韻が残ります。
ぜひ日本最高峰の名エッセイをご堪能ください。

【編集担当からのおすすめ情報】
収録されたエッセイの中には、15年に大阪・寝屋川市で起きた中学1年の少年少女殺害事件や、16年に発覚した広島・府中市の中学3年生の「万引えん罪」自殺問題から、高嶋ちさ子さんのゲーム機バキバキ事件や橋下徹元大阪市長のテレビ復帰に至るまで、折々の出来事と世間の反応について歯に衣着せぬ物言いで迫ったものもあります。

とりわけそうした時評からは、怒れる作家と称される佐藤さんのあたたかな眼差しが心に沁み入ります。世間で論じられていた視点とは全く違う、佐藤さんならではの視点にも注目してください。

 

内容説明

御年九十二歳、もはや満身創痍。ヘトヘトでしぼり出した怒りの書。全二十八編。

 

 

松竹映画


STORY

断筆宣言をした90歳の作家・佐藤愛子(草笛光子)は、新聞やテレビをぼうっと眺める鬱々とした日々を過ごしていた。同じ家の2階に暮らす娘・響子(真矢ミキ)や孫・桃子(藤間爽子)には、愛子の孤独な気持ちは伝わらない。
同じ頃、大手出版社に勤める中年編集者・吉川真也(唐沢寿明)は、昭和気質なコミュニケーションがパワハラ、セクハラだと問題となり、謹慎処分に、妻や娘にも愛想を尽かされ、仕事にプライベートに悶々とする日々。
そんなある日、吉川の所属する編集部では愛子の連載エッセイ企画が持ち上がり、吉川が愛子を口説き落として、晴れて担当編集に!
このふたりの出会いが、新たな人生を切り開く――?!

 

 


『九十歳。何がめでたい』『九十八歳。戦いやまず日は暮れず』シリーズ累計167万部突破! ついに映画化決定!

佐藤愛子さん コメント

  • 草笛光子さんには50年ほど前に対談でお目にかかったことがあり、その際、お互い別れた夫の悪口を言って大いに盛り上がったのを覚えています。
    今回、映画化にあたって、実に久し振りに二度お目にかかりましたが、相変わらずお綺麗で、私とはまるで違う。私はあんな上品じゃありませんからね。
    この厄介な私を演じるなんて、大変だなァ、気の毒だなァと同情申し上げたい気持ちでいっぱいです。
  • 九十歳を過ぎ、『晩鐘』という小説を書いた後は、もう私の胸の中にあるものを総ざらえで出し切ったと思って、毎日ぼんやり過ごしていたんですが、そんな時に女性セブンから連載エッセイの依頼がありました。
  • 特に新しいことを考えて書いたわけでも、何か特別な思いを込めたものでもなく、相も変わらず憎まれ口を叩くという、そんな気分でしたかね。私はいつも自然体を心がけているだけです。
  • そんな『九十歳。何がめでたい』を原作にして、どんな妙ちくりんな作品が出来上がるのやらと楽しみにしています。

草笛光子さん コメント

  • あっという間に90と言う数字が目の前にやってきました。
    みなさんに「90歳おめでとうございます」と言われるので、私90歳? なんですよね?
  • 毎日、老いと闘っていますが、90歳と闘ったら損。闘わないように受け入れて90歳を大事に生きてみようと思います。90歳は初めてで最後、大事な一年を大事に生きます。
  • そんな年に佐藤愛子先生を演じることになり、「まさか! とんでもないことになりました!」という想いです。
  • 佐藤愛子先生の明快に物事をおっしゃる作品は、とても気持ちが良いと思っていましたので、そのリズムを軸にして演じたいと思っています。
  • いよいよクランクインを迎え、大変なことですが、私は私なりに正直に一生懸命やります。
    大事に演じ大事に生きます。

 

 

 

佐藤愛子さん死去 102

「血脈」「戦いすんで日が暮れて」

2026516  日本経済新聞

「血脈」などの小説で知られ、エッセイストとしても活躍した作家の佐藤愛子(さとう・あいこ)さんが429日、老衰のため死去した。102歳だった。告別式は近親者で行った。喪主は長女、杉山響子さん。

1923年大阪府生まれ。50年に同人誌「文芸首都」に参加し、その後文学仲間と同人誌を新たに創刊した。「ソクラテスの妻」と「二人の女」がそれぞれ芥川賞候補になるなど作家として地位を確立した。

69年、自身の体験を基に夫の借金返済のために奔走する妻の姿を描いた「戦いすんで日が暮れて」で直木賞を、79年「幸福の絵」で女流文学賞を受賞。鋭い人間観察で、ユーモアと哀愁を交えた小説を次々と発表した。

父で作家の佐藤紅緑、異母兄で詩人のサトウハチローら佐藤一族の壮絶な生涯を描いた大河小説「血脈」は12年をかけて完成させ、2000年に菊池寛賞を受賞。自らの人生を総括した小説「晩鐘」で15年、紫式部文学賞を受けた。17年には旭日小綬章を受章した。

エッセーの名手としても知られた。16年に発表した「九十歳。何がめでたい」はベストセラーとなり、後に映画化された。100歳を超えても新著の刊行が続いた。

杉山さんら遺族は15日、小学館を通じてコメントを発表し、佐藤さんの最後の言葉が「本当にありがたいねえ」だったと明かした。「わがまま放題、天衣無縫に生き抜いた102年でした。こんな幸せな人生はないと思います」とつづった。

19905月、日本経済新聞に「私の履歴書」を連載した。

 

批評性・ユーモアに支持

自分見つめる姿勢、作品に

評伝

2026516 日本経済新聞

ベストセラーになった大作「血脈」は父で作家の佐藤紅緑、異母兄の詩人サトウハチローら3100年に及ぶ一族への鎮魂歌だった。そのとき、小紙の取材に対して、元夫で実業家・作家の田畑麦彦が事業に失敗して会社が倒産し、巨額の借金を背負ったときのことを振り返っている。「負債を背負って後を考えず、がむしゃらに働いた。紅緑の奔放さですね。ハチローは豪放に見えるが、その奔放さはない」。自身が最も紅緑に似ているとの思いがあった。

その借金返済に苦闘した経験をモチーフとした作品「戦いすんで日が暮れて」で直木賞を受賞している。もっとも、「私の履歴書」では「直木賞受賞は人が思うほどめでたいことではなかった」と振り返っている。真っ先に債権者からの祝電が届き、「戦いすんで日が暮れるどころか、私には新たな戦いが始まったのだった」。

「血脈」に関するインタビューでは、若い頃にある詩人から「女性は感情で動くので小説は書けない」と言われ、悔しい思いをしたことを明かしている。「以来、肝に銘じました。怒ってもそこで自分を見つめようと」。「血脈」や田畑を取り上げた「晩鐘」などの自伝的小説は、いずれも自己を客観的にとらえるところから生まれた。

「九十歳。何がめでたい」に始まる「老い本」が人気を集めたのも、そこに社会への批評性とともにユーモアが込められているからだ。それは悲劇的な自伝的小説にも喜劇性をもたらした。そのユーモアこそ自分を客観視する姿勢によって作られたものだろう。

(中野稔)

 

 

佐藤愛子さん死去 「九十歳。何がめでたい」「血脈」 102歳

2026516日 朝日新聞

 ベストセラーになったエッセー「九十歳。何がめでたい」や自伝的な長編小説「血脈」などで知られる作家、佐藤愛子(さとう・あいこ)さんが4月29日、老衰で死去した。102歳だった。葬儀は近親者で行った。

 <評伝>

 怒りが創作の原動力だった。身の回りでなぜか騒動がよく起きる。だまされたり裏切られたり。そのたびにぷんぷんとした怒りを文章にぶつけてきた。日々の苦しみが大きいほど、文章にはおかしみと笑いが生まれ、語りは吸引力を持った。

 1923年、大阪生まれ。69年、夫の借金返済に追われる体験をもとにした「戦いすんで日が暮れて」で直木賞を受賞した。

 2016年に出した「九十歳。何がめでたい」はミリオンセラーに。気持ちを聞くと「本が売れて、何がめでたい」。喜ぶどころか、対談やインタビューで振り回されてへとへとになったと迷惑そうな顔。世間への不満から編集者の失敗まで悪口は尽きず、サービス精神旺盛だから目の前の人を笑わせずにはいられない。

 最後の長編「晩鐘」刊行時の取材では「人間がわからない」と繰り返していた。「あの人はいったいどういう人間なのか」。この疑問が家族をはじめ身近な人々を小説に書きたいと思わせていた。

 代表作である大河小説「血脈」は、兄サトウハチローの視点で書き始めると繊細さが新たに見えてきたと語っていた。父で作家の佐藤紅緑(こうろく)やハチローの数々の愚行を再現する筆からは楽しくて仕方がない様子が伝わってくる。激情に駆られてアホの道を突っ走るのは佐藤家の系譜なのだ。こう笑っていたが、誰が読んでもおかしいのは文章の真剣さにも理由がある。

 エッセーは軽やかだが、言葉には厳しかった。自分の文章に納得がいかず、「読み返すとどうにも我慢出来ないお粗末さ」と原稿用紙を捨てる日もあった。最後に取材したのは100歳のとき。「書き出すと気に入らないんですよ」と文章への厳しさは一貫していた。「書けなくなるまで、死ぬまで書きます」。こう話す、大きくて芯の通った声を覚えている。(中村真理子)

 

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