会話の0.2秒を言語学する 水野太貴 2026.5.4.
2026.5.4. 会話の0.2秒を言語学する
著者 水野太貴 1995年生まれ。愛知県出身。名古屋大学文学部卒。専攻は言語学。出版社で編集者として勤務するかたわら、YouTube、Podcastチャンネル「ゆる言語学ラジオ」で話し手を務める。言語学オタク。同チャンネルのYouTube登録者数は36万人超。著書に『復刻版 言語オタクが友だちに700日間語り続けて引きずり込んだ言語沼』(バリューブックス・パブリッシング)、『きょう、ゴリラをうえたよ 愉快で深いこどものいいまちがい集』(KADOKAWA)がある。
発行日 2025.8.25. 発行
発行所 新潮社
まえがき
l 日々繰り広げられる、0.1秒単位の競争
話者が交代するまでの発話を「ターン」と言い、話者の交代を「ターンテイキング」という
ターンテイキングには平均して0.2秒しかかからない
人は400ミリ秒(0.4秒)以上待たされると、興味を失う可能性がぐっと高まる(ドハティの閾値)――ウェブサイトやアプリの開発にとっては死活問題
本書のコンセプトは、ヒトはわずか200ミリ秒でターンテイキングしていることに関するリーサーチ結果を楽しくシェアすること。本書が扱う中心的な問いとは、「ヒトがわずか200ミリ秒でターンテイキングを行うには、言語にまつわるどのような知識が頭の中に必要で、具体的にはどんな処理が必要か?」⇒200ミリ秒の謎
l 言語漬けの青春
l 謎解きの鍵は「文脈」から
発話された分は、しばしば解釈が割れる。文とは、文脈によって異なるニュアンスを持つ
第一章
コミュニケーション上手になるための「語用論」
l イギリスの裁判所を揺らした発言
1952年のイギリス中央刑事裁判所は、”Let him have it, Chris!”の解釈で割れた
泥棒に入った2人の若者が警官に発見された際、1人が相棒に叫んだのがこの一言。Chrisは発砲し警官を射殺。裁判所は”Let him have it.”(イディオムで、(人を)ぶちのめす)を殺人教唆と解釈し、Chrisは未成年だったので少年院に送られ、教唆した方は絞首刑の判決で、2か月後に刑を執行。弁護側はhimは警官でありitは銃だと弁護したが敗訴。45年後、裁判官がこの一文の曖昧性に十分注意を向けなかったと判明、控訴院は判決を破棄
l 大ポカした就職面接「会いたい人は?」
「ヒトは文をどう解釈しているか?」が最初の疑問
出版社の入社試験面接の鉄板質問がこの一文なのに、文面通り自分の会いたい人を挙げても、入社試験は通らないが、日常会話ではこういうすれ違いは滅多に起こらない
l 謎まみれの解釈メカニズム
発話のうち、文脈によって変わってしまう部分を「解釈」、変わらない部分を「意味」と呼ぶ
「あなたよりお姉さんの方が礼儀正しかった」という例では、「姉があなたより礼儀正しい」というのが「意味」で善意も悪意もなくニュートラル、イヤミだと捉えるのが「解釈」
「解釈」のメカニズムは謎まみれ。なぜイヤミに感じられるのか? 文脈とは何か?
「文脈の解剖」を通して全容を解明しようとする学問が「語用論」
l ことばとは、世界への働きかけである
語用論の出自は哲学。一見自明のことを論理的に解明しようというのが哲学
先方に事実を伝えるだけの発話はほとんどない。大半は事実を通して聞き手や世界へ働きかけている。オースティンの「言語行為論」では、「言葉を通じた働きかけの5つ類型」を挙げる: ①依頼、②提案/要求、③拘束(約束)、④(影響力の)行使、⑤判定(評価)
l 「させていただく」を「食べログ」で研究する
「させていただく」という言葉の地域差を調べる研究。もともと関西方面から東京に来て用法が拡大。本来は相手の許可を必要とする時に用いられたが、許可を要しない場合でも使われるようになり、一部に顰蹙をかっている。「食べログ」のデータで使用分布と用法を調べると、今や東京で最も多く使われていることが判明
l 「会話は強調して行なえ」グライスが説いたこと
ある発話に対して、人はなぜ、どうやってその働きかけの解釈を特定できるのか?
グライスは、文それ自体がさす事態と、文自体には表現されていないがそこに含意されていることに分けた ⇒ 「意味」と「解釈」
さらに、人が会話する上で自然と従っているルールを提案 ⇒ 「協調の原理」といい、「会話はお互いが協力して行なう」ものとし、4つの公理からなるとした:
① 量の公理: 必要とされるだけの十分な情報を与えよ。必要以上の情報を与えるな
② 質の公理: 間違っていると思うことや、十分な証拠がないことを言うな
③ 関連性の公理: 相手の発話と関連性のあることを言え
④ 様態の公理: 不明瞭な表現や曖昧な表現、冗長な表現を避け、順序だった言い方をせよ
l 福本伸行『アカギ』(麻雀漫画)でわかる語用論
4つの公理にあえて違反することで話者は何かを伝えようとしている。Yes/No疑問文に対し、相手に配慮して直接Noと言わない代わりに、関連性のない話をして婉曲に断る
こういう推論ができるのは、相手が「関連性の公理」に違反したから
l 「それはそれ、これはこれ」「知ってる人は知ってる」(トートロジー)がなぜ成立する?
一見何の情報も与えていないような表現が成立するのは、量の公理に違反しているからこそで、事情が異なるので同一視すべきでないとか、事情通の間では有名とかの解釈になる
l 芸人のボケを語用論してみる
協調の原理からわざと逸脱するのが「ボケ」、それを戻す(修復)のが「ツッコミ」
l 発話の解釈を導き出すには?
4つの公理のうち、どれから逸脱しているのかを機械的に判断する方法がないし、元々ある発話の解釈をどうやって導き出せばいいのか分からない ⇒ グライスの語用論の限界
l 発話の解釈はコスパで決まる
その限界に挑戦したのがスペルベルとウィルソンの関連性理論(1986)。「人間の認知は、関連性が最大になるようにできている」との前提に立ち、自分に大きく関係する情報に神経が集中する ⇒ 「情報の有益性」と「処理労力の小ささ」の2側面があり、情報の有益さが大きいほど関連性が高くなり、回りくどい言い方より直接的に言われた方が労力が低くなり、労力が小さいほど関連性が高くなる
発話も、少ない労力で、コストに見合う解釈を求めて推論し、割に合う結論が出た段階で解釈をストップする。あり得るすべての解釈を列挙して検討したりはしない
l コミュニケーションモデルは「暗号解読」から「推論」へ
以前のコミュニケーション観は、話し手が言語という型に翻訳して発話するのを、聞き手は一定の解読規則を用いて相手の思考を復元する ⇒ 「暗号解読モデル」
関連性理論では、話し手が受け手の処理労力に見合うだけの関連性がある言い方で発話し、聞き手は関連性の高い解釈を見つけるまで推論する ⇒ 「推論モデル」
コミュニケーションが上手な人とは、相手が正確な解釈を迷いなく導けるような、上手なヒントを与えらえる人のこと
l 文脈を科学する3つの知見
オースティンの言語行為論
グライスの協調の原理
スペルベル、ウィルソンの関連性理論
人は会話の中で発話を聞いて文の意味を理解すると、それを踏まえて解釈し、応答する。この間わずか200ミリ秒
第二章
ことばには“奥行き”がある
l インドの新聞に躍った見出し「ドナルド・トランプの死」
2024年、選挙集会中のトランプが狙撃された時、インドの新聞には”Donald Trumps(打ち勝つの意) Death”という洒落の利いた言葉遊びの見出しが躍る
文の意味が単語の結びつきによって曖昧になる → 単語の意味は明白でも、並べ方のせいで解釈が異なる (例) 警官は叫びながら逃げる男を追った
l 言語学者が最も注目する「単語の並べ方」
単語を並べるルール ⇒ 「統語論」(文法)
「なぜ言語には文法があるのか」「文法によって意味が通じるのはなぜか」という根源的な問いは、言語学の中心的な問いにはならなかった。言語毎の個別文法の整理が中心
l 天才ソシュール(1857~1913)の言っていたすごいこと
言葉の実態は関連するほかの要素によって決まる、他の似た言語と関りを持ちながら体系を成している ⇒ 構造主義
l 未知の言語の記録に燃えるアメリカ構造主義言語学
文字を持たないアメリカ先住民の言語を記録に残そうとして生まれたのが構造主義言語学
誰が調べても同じ書き方になり、誰がその記録を見ても同じような理解になる記述法を確立しようとしたのがブルームフィールド
l 引用ランキングトップ10で唯一存命。言語学者チョムスキー(1928~)の仕事
チョムスキーは、米国の軍事行動を批判する思想家として著名だが、言語学者としての最大の功績は、言語学の分析対象を文法に絞ったこと
子どもは親の呼びかけや会話を聞いて言葉を覚えるが、親の発話だけを暗記しているのではなく、単語を並べる抽象的な規則が本能的に備わっている。子供がNGルールも聞かずに文法を習得することから、「生成文法」と呼ばれる理論を構想したのがチョムスキー
l 難解なのにハマる人が多い「生成文法」
生成文法のコアは樹形図
チョムスキーは、「自然な文を作り出せて、かつ文法的にヘンな文を作り出さないようなルール集を作ろう」と考えた
l 文は何から出来ている
文は名詞句(主語)と動詞句(動詞)から成り立ち、動詞句には場合によって名詞句(目的)と動詞句がある
文の構造を把握するために次元をまたいでいる
l 樹形図の上がる下がるに興奮する
文の下に名詞句と動詞句があり、さらにその下に名詞句や動詞句がぶら下がる。その階層を上がったり下がったりすることに一定のルールを設けると語と語の繋がりが明確になる
l 文の理解には二次元的な情報が必要だ
一次元とは横(同じ階層)方向への広がり、二次元とは縦(上下の階層)方向への広がり
人間の言葉は、立体的な広がりを持つ文(階層を超えた文)も線状的な音声に置き換えざるを得ない。手話の方が顔や眉の動きを加えるので、同時に複数の情報を処理できる
l 視覚思考者(ビジュアル・シンカー)が教えてくれること
視覚科学で最大の謎は、「網膜は二次元の物体なのに、なぜ網膜に達した光刺激は三次元の像として認識されるのか」だというが、言語を理解する能力もそれに近い。耳で文を聞くと、単語が順番に一次元的に聞こえているが、それを理解する際には二次元的に処理している
ヒトは言語を使って考えているとも限らず、少なからぬ人が、絵や図などのビジュアルを用いて考えており、実際に脳の視覚的な回路を用いているという ⇒ 視覚思考者
l 伝言ゲームにはノイズが入るもの
甲州から広まったジャガイモが行く先々で異なった名前になったように、ヒトがコミュニケーションをするうえで、相手にうまく意図が伝わらないのはしょうがない。話し手の言語化も聞き手の解釈も、不安定な土台の下で行われている
第三章
あなたは「ネコ」の意味さえ説明できない
l 君の言っているのとぼくの言うのとは意味が違うんだよ
見坊豪紀と山田忠雄は東京帝大国文科の同期で、『明解国語辞典』を共同で編纂した仲だが、改訂版編纂にあたり、用例の収集に熱中する見坊にしびれを切らした山田が単独で『新明解国語辞典』を編纂し1972年出版。見坊も制作人の1人としてクレジットされていたが、序文に「見坊に事故あり、山田が主幹を代行」とあったのを見て、事故に遭っていない見坊は激高。山田は古文研究のスペシャリストで、明治期に「事故」という言葉が、「不注意で起こる人災」以外に「何かの実現を妨げる、都合の悪い事情」の意で使われたことを知って書いたと思われ、現代的な意味で理解した見坊と訣別。『新明解国語辞典』初版の「意味」の項目の用例として挙げられているのが表題の一文
l 意味の研究、難解すぎる
語が多義であるがゆえに、数十年来の友人が訣別してしまうことさえある
l 「見えないものは扱わない」学派もある
単語の意味を説明することはできないのに、なぜか問題なく運用できている
目に見えるものでもその意味は見えない、ましてや「時間」とか「動く」のように目に見えないものになるとお手上げ
l 意味は要素を列挙しても分からない
人間の特徴として「2足歩行、かつ動物」を挙げても、2足歩行の人だけとは限らない
l 指さしたらあとは「ネコ」の意味なんて知らない
「意味とは、言葉が現実世界のモノを指示する現象」という仮説も、「頭にネコを思い浮かべる」時の「ネコ」は現実世界のどのネコに対応しているのか、と考えると十分ではない
l 難解で地味だけど重要な形式意味論
形式意味論では、「『ネコ』の意味が分かるとは、『ネコの集合』を理解しており、かつ必要に応じて適切な個体を1つ取り出すことができること」と捉える
l 類似性を見つけてまとめるカテゴリー化
意味の理解には集合の知識が活きる。名詞以外の動詞や形容詞、副詞でも同様に、意味を集合として捉えているとされる。「投げる」という出来事の集合が「投げる」の意味となる
僕たちは言葉を使う上で、とにかく集合、つまり個別の事柄を1つのカテゴリーとしてまとめ上げる力を利用して運用している
集合の知見を活かすのは、具体的なものに対しては有効だが、「時間」とか「愛」といった目に見えない概念についてはどうか
l 「言語は比喩でできている」認知意味論(レイコフとジョンソンの認知言語学)
抽象的な意味を持つ単語を、具体的なモノへの比喩を通して理解している
時間を(が)、「浪費」「節約」「使う」「かかる」は、すべて「お金」に対しても使える動詞だということは、時間をお金に準えることで、当たり前のように同じような表現を使っている
「毎年印刷される本の数は上昇」「収入が落ちた」「規定年齢以下」などの表現は、「『より多きは上、より少なきは下』という枠組みに従った比喩」を用いたもの
l 僕たちは「時間」を比喩を通して理解している
人間の思考過程の大部分がメタファーによって成り立っている
「時間とは何か?」という問いに対する答えとして、「お金」や「川」のようなものと言えば分かり易いが、日本語における時間のモデルは1つではない。時間が川のように流れ、川上に向かって立ち止まっているとしたら、過去が前で未来が後ろになるが、「未来に向かって動く」という場合は、「川」の場合と前後が逆転する
l 日本語の単語の意味も考える
集合にしてもメタファーにしても、「言語一般の意味」を扱う際の理論であり、各国言語に共通するものだが、それとは別に「日本語の単語の意味」を考える必要がある
「帰省」と「帰郷」。全く同じ意味なら形式は2ついらないが、「帰省」は唐の詩人朱慶余の漢詩を出展とし、「故郷に帰って親の安否を気遣うこと」の意がある
l 「近づく」と「近寄る」はどう違う?
「付き添う」と「寄り添う」を比べると、後者は心情的な傾斜が感じられ、意志・意図があると考えられる ⇒ 「近寄る」時には目標の存在がわかっていて、それに接近することが主体によって意図されていなければならないが、「近づく」にはその制約はない
(例) 夏が近づく、危険な場所に近づく/近寄る
言葉の意味を理解するには、言語一般に見られる意味の原理以外にも、個別言語の意味に関する知識を知る必要がある
l 検索エンジンの予測のように、頭に浮かぶ言葉
文の意味はどう考えるのか。形式意味論は単語の意味ではなく、主に文の意味について考える時に使われることが多く、文も集合論的に扱い、「文の意味とは、文が表している内容が、世界と対応が取れているか否か」と考える
脳はある語を聞くと、意味的に近い語も活性化させる。「ネコ」と聞けば「鳴く」「野良」「ペット」などを思い浮かべる。似た響きの語も思い浮かべる。検索エンジンに1文字ずつ打ち込んだ時に、次々と予測が切り替わるのと同じ
l 言語はコミュニケーションのツールの1つに過ぎない
意図の伝達は刺激を用いて行われており、言語はあくまで刺激の1つ。外にもジェスチャーや声音、間などの情報も重要
コミュニケーションとは、最大の効果(相手の意図を読み取ったり、自分の抱いている誤解を修正するなど)を、最小のコストで得る推論こそが本質。その推論を行う手掛かりは、言語だけでなく、ジェスチャーなどの手がかりを総動員して関連性の高い解釈に辿り着く
第四章
言語化の隠れた立役者たち
l 「なぜサッチャーはこうも頻繁に話を遮られるのか」論文(1982)
サッチャーのイントネーションは、ある特定のフレ-ズの終りに急激に下降する特徴があった。これは英語話者にとっては「自分の話がもうすぐ終わる」という信号になる。その結果、相手はすぐに次の質問を始める ⇒ この話から分かることは、1つは文以外にも様々な手がかりを使って目の前の相手に意図を伝えたり、読み取ったりしているということと、もう1つは、そのほとんどが無意識に行われていて気づかないということ
「下降に要する時間」にムラがあったため、終わらせる意図が的確に伝わらなかった
l 自殺予防センターで生まれた「会話分析」
1960年代半ば、会話に注目した新しい社会学が構想され、「会話分析」という学問に結実
きっかけは、自殺予防センターにかかってくる電話で、相談者が名乗りを避けるために工夫していることに気づいたこと。コミュニケーションにおける言語以外の手がかりについて、ジェスチャーやフィーラー(「えーと」のように発話の合間に挟み込む言葉)などに注目
l 雨粒が水面に落ちる過程
会話分析とは、物事を観察するスピードを変えてみることで、普段は気づかない複雑で興味深い現象が目の前に存在していることに気づく学問。会話を録音し、発言だけでなく、沈黙や抑揚、発話の重なり、発話の速さ、笑いなどを書き起こす。この手法によって明らかになった驚きの事実の1つが、話者の交代に関する精緻なメカニズム
l 会話分析の研究者が最初に注目したこと
会話の順番交代=ターンテイキングがリズミカルに行われていること
l 会話の順番交代は先読みできる
いつ、だれが、次の話し手になるのかを決める仕掛けが発話ごとにあれば、会話におけるスムーズな順番交代が可能になる。発話が終わりそうなタイミングを聞き手が把握できるよう、話し手は驚くほど多様なヒントを出している
ホワイトノイズ(周囲の騒音を消す音のカーテン)が途切れた時の反応が1秒半かかるのに、会話が途切れた時の反応は0.2秒
終らせるヒントの1つが、日本語では基本的な語順が主語→目的語→動詞なので、動詞が聞こえてきたら文が終わる。声の高さも発話の終りが近づくに連れ徐々に下がるのも、話者の姿勢、視線やジェスチャーなどもヒントになる
l 聞き手の沈黙時間を話し手はどうとらえるか
「発話が終わりそう」というサインを受け取った聞き手は、交代のチャンスを窺い、相手の会話の内容を瞬時に理解し、受け答えを高速でまとめ上げたら、相手の発話が終わってから200ミリ秒以内に発話を始める。「聞き手の沈黙時間が長いと、話し手は対処し始めてしまう」。基本的には会話の中で沈黙が1秒を超えると、話者が違和感を覚え、それを解消しようとする
l 「はい」より「いいえ」の方が沈黙が長い
イエス・ノー疑問文に対する回答時間は、イエス・ノーの回答だと平均150ミリ秒に対し、「知らない」とか「調べてみる」などの回答だと平均650ミリ秒。さらに、肯定的な回答は平均35ミリ秒に対し、否定的な応答だと平均60ミリ秒
l 沈黙は重要な情報となる
「依頼」に対する応答でも事情は同じ。700ミリ秒以上たってから始まる応答はだいたい肯定的でないばかりか、肯定的でない応答をする場合は、語り出しの段階で呼吸音や舌打ちの音が現れたり、フィーラーが挟まることが多い
依頼から応答までの時間差が600ミリ秒までなら「気乗りしている」と感じる
l なぜリモート飲み会は定着しなかったのか
通信のラグがあるビデオ通話は会話に不向き。ターンテイキングにかかる時間を計ってみると平均487ミリ秒で、音声送信にかかるラグ30~70ミリ秒を加味しても手間がかかり過ぎ。対面の会話では言語以外のヒントもあるがビデオ通話では使えないことが多い
会話における沈黙はそれ自体が雄弁なサインだが、フィーラーも重要なサイン。アナウンサーはフィーラーを消すよう訓練されているが、フィーラーの機能の1つは、発話のターンの保持。また、フィーラーを出していれば他の人がアシストしてくれる可能性もある
l 「あのー」と「えーと」の違い
「伝える内容やイメージ自体が湧かないので脳内で考える」 → 「えーと」(相手は不要)
「伝える内容が決まったので、適切な伝え方を考える」 → 「あのー」(必ず相手がいる)
l 「うーん」はどんなときに使うか
聞かれたことに対する回答に自信がないときに出がちなのが「うーん」で、課題の解決が出来そうだと思っている際にはもっぱら「えーと」が用いられる
l 僕たちがフィーラーを口にするわけ
フィーラーは、洗濯機のノイズと同じ
「心の中(洗濯機内)を間接的に覗ける」。洗濯機は蓋をしてスタートボタンを押すと中を直接目で確かめることはできないが、ノイズを聞けば中で何が起こっているかを理解できる
作業を進めるうえで自然にノイズが発生し、それを僕たちが勝手に解釈しているに過ぎない。フィーラーも僕たちが無意識に発するノイズだが、結果的に相手に情報を伝えている
l 電話中についしているジェスチャーの正体
フィーラーと同様な役割をするのがジェスチャー
ジェスチャーは、他人のためだけでなく、自分のためにも行っている
ジェスチャーは、会話のターンを相手に渡すつもりがあるかないかを示すこともできる
話だけでなくジェスチャーからも情報を取り入れ、その2つをまとめて話を理解している
l ジェスチャーを封じられるとフィーラーが増える
自分のためにするジェスチャーとは、言語化の促進。ジェスチャーを抑制されると沈黙の割合が増える。使い慣れない外国語を使うときもジェスチャーの頻度は増える
ジェスチャーは、空間とか形状のような物理的なもの、あるいは出来事を言葉にする際に、そのアシストをしている
日本語では、オノマトペを使う際に、ジェスチャーも一緒に出やすい
l 言葉とジェスチャー、どっちが先か
言葉とジェスチャーには共通の祖先がいて、お互いが配慮し合っているという
l あまりに鮮やかな実験
言語とジェスチャーには、元になる共通のイメージがあり、そのイメージはお互いが関わり合いながら作られる
l オノマトペは「言語化されたジェスチャー」
オノマトペはからだ的な言葉で、ジェスチャーとオノマトペは同期しやすく、特別の言語
イメージ的な情報を扱う「からだ的思考」と、発話の基となる抽象的な概念を扱う「分析的思考」があって、それぞれ全く異なる特徴や強みを持ち、お互いが手助けし合いながら非言語的情報をうまく加工して言葉にしたり、ジェスチャーにしたりする ⇒ 「相互配慮」
しゃべる時にジェスチャーをすると、非言語的な思考の言語化を促進する
l 言語のサブ的要素が言語化に役立つ
これまでの要点:
①
我々は会話する際、ジェスチャーや視線など様々な形で相手にサインを送っている
②
ターンを保持する際にはフィーラーが使われる
③
フィーラーは自分のために用いることもある。考えをまとめたり、伝え方を模索したりする際の”ノイズ”という側面もある
④
ジェスチャーも相手に情報を伝えるほか、自身の言語化を促進する機能を持つ
⑤
ジェスチャーの源と発話の源はお互い関わり合っており、一方がもう一方にフィードバックを与えながら情報を加工している
ジェスチャーやフィーラーといった、言語に対してサブ的な要素と思われていたり、不要だと思われているものが、実は言語化に大いに役立っている。その割にPodcastからは編集で消されている。自然言語の曖昧性を補うのがジェスチャーやフィーラーで、僕たちは無意識のうちに五感が勝手に作動し、情報を処理し統合してくれる。自然言語の曖昧さは、こうしたサポートありきの設計なのだ
言語の不完全性を示すジョーク;
「牛乳1つ買ってきて。卵があったら6つお願い」 ⇒ 6つ買うべきは卵なのか牛乳なのか、文字だけでは特定できない
l 僕らは日々ものすごいことをやっている
会話というのは難しい。言葉や身振りを理解して、意味のある文を作り出し、応答するというだけでも実はとてつもなくスゴいこと
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話し手 |
「あのさ、昨日のあのテレビ、見た?」と話しかける |
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聞き手 |
【文構造の解析】 単語の切れ目を解析。語と語がどのように結びつき、どういった文構造になっているのか分析する (第2章) |
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【意味の理解】 文に使われている意味を、脳内で検索。脳は各単語に意味的に関連する他の語についても拾い出す。「テレビ」は「テレビ番組」を指すことや、「あの」が指す対象についても考える。これらを踏まえ、文の構造をもとに、文の意味を決定する (第3章) |
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【語用論的な推論」 この発話がどういう文脈でなされたかを考える。イエス・ノー疑問なのか、何かしらの言語行為なのかを考え、認知負荷が少なく、関連性が最大になるように処理をし、推意を導き出す (第1章) |
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ここまでが発話の理解。ここから発話の産出 |
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【ターンテイキングの準備】 相手の発話の意味や解釈が導き出せたら、自分がターンを取れるタイミングを窺う。相手の発話のイントネーションや視線、ジェスチャーなどに注意を払い、発話が終わるサインを見逃さないようにする (第4章) |
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【応答内容の整理】 どう応答するか、発話の内容を考える。フィーラーやジェスチャーを無意識に出しながら、言語化を促進させることもある (第4章) |
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【応答内容を文にする】 脳内で単語を集め組み合わせて文にする。相手のことを考えながら適切な形式に調節してから発話する。意に反する内容を話すこともある (第1,2,3章) |
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【応答】 応答内容を口にする |
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ここまでで平均200ミリ秒 |
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終章 世界は広い!驚きのコミュニケーション
l なんでそうなる?あの国この国
コミュニケーションにおける正解は、万国共通ではない。文化にも大きく影響を受ける
出会いや別れの挨拶のない民族、尋ねられた人の居場所がわかっていても噓を教える民族、狭いエリアで平等を重んじる社会を築く人々のメンタリティも全く異なる
l 日本でも違う、東北と近畿
10万円貸してと言われて貸したら、「助かったわー」、「よかった」と言われたが、東北や九州の一部地域では、お礼の代わりにこう言って喜びを表現傾向にある
東北地方で常識とされるコミュニケーションの1つに、「用件を単刀直入に伝える」があるが、京都に代表されるような、婉曲的に物事を伝えるコミュニケーションとは真逆
同じ日本国内でも、地域差は想像以上に大きく、思ってもいないところに潜んでいる
l 自閉スペクトラム症ASDの子どもは津軽弁を話さない?
l コミュニケーションの「普通」って?
コミュニケーションにおける常識は、近畿と東北といった地域差でも、定型発達とASDといった発達特性によっても異なる
l 「彼女は海が好きだ」「彼女は海が好きだった」今も付き合ってるのは?
常識的には前者だが、後者でも可能性がある。今も付き合っている彼女が、「昔は好きだった」と言っているようにも取れる
l 「ね」と「よ」の違いは難しすぎる
上記のような語用論的推論を日常的に使っている。その代表例が終助詞「ね」と「よ」
「田中君には姉ちゃんがいるよ」と「田中君には姉ちゃんがいるね」 ⇒ 前者は田中君に姉がいることを知らない人に対して、後者は姉がいることを知っている人に対して使う
「よ」は聞き手が知らない情報に、「ね」は聞き手が知っている情報につけるので、「ね」は共感を得るためにも使われる
英語でも既知情報にはtheをつけ、未知情報にはa/anをつけて区別する
l 発話における「普通」を考える
コミュニケーションでは意図理解のほかに意図伝達があり、そのためには発話が必要
吃音を知って、カタカナ語をやたらと使う人を咎める気がなくなった
l 発音時の自分の舌、唇、口の動き
「案配」「案外」「案内」の「案」はすべて音が違う。「m」「n」「ŋ」の違い
l 自己紹介のたびに気が重くなる吃音当事者
母音→破裂音という並びだと吃音が出やすいので、他の言い方に変えて話す工夫で回避
l たまたまできる発音という不思議
言葉を操るときに、想像以上に多くのことが自動的に行われているが、それは発話の面でも同様で、スムーズに、自動的に発音できる方が不思議。吃音の人に対して、こちらのペースに合わせろと要求できる権利は全くない
l 日本語話者の会話は世界的せっかち
世界の10言語を比較すると、日本語の応答にかかる時間はぶっちぎりで短い、平均でわずか7ミリ秒。「刹那」の原義が13ミリ秒。最も長いデンマーク語は468ミリ秒
これはあくまでイエス・ノー質問の場合の平均だが、日本語話者は相手の発話が終わるより前にかぶせて話し始める、食い気味の応答が多いため、平均がかなり短くなっている
l 会話の流暢さと能力主義の関係
スムーズに分かり易く説明されると、その内容を信じやすくなるバイアスがある(流暢性バイアス)が、現代では流暢さは能力主義と密接に結びついているように感じる
就活の面接でもプレゼンでも同じだが、まずは自分自身がなぜ話せているのかを知っておくべきで、それは巡り巡って他者理解につながる
l 言語学を学んで分かった、言語の限界
会話のターンテイキングがなぜ200ミリ秒で完了するのか、そのメカニズムを知りたいところから始まった探求が辿り着いた結論は、「普通に話せないのがおかしいとは限らない。むしろ普通に話せるのは、ある意味奇跡」
僕にとっての言語学の魅力は、ひとえに「言語化力の相対化」
何でもかんでも言語化できるわけではない、むしろ言語化できることなどごくわずかでしかない。言語学とは、言語化に対する過剰な信頼を相対化できる学問
l 「自分と出会い直す」という希望
言語学を学ぶと、「自分はこんなに複雑なことを自然と行っていたのか」と驚く
自然科学では、自分とはかなり違った他者を知ることで、自分が全く意識していなかった常識に気づける。ASDの人のコミュニケーションを知ることで、「自分がしたのは、ややこしくて回りくどいコミュニケーションだったのではないか」と気づいた
新潮社 ホームページ
ゆる言語学ラジオスピーカーが、言語学の魅力をオタク目線で伝える!
会話で相手と交替するまで平均0.2秒。この一瞬にどんな高度な駆け引きや奇跡が起きているのか──言語学の歴史を大づかみに振り返りつつ、「食べログ」レビューからお笑いに日銀総裁の会見、人気漫画まで俎上に載せ、日常の言語学をわかりやすく伝える、待望の書き下ろし。なぜうまく話せないのか。悩んでしまうあなたの必読書!
最高の浅瀬弾丸ツアーみたいな本
堀元見 波 2025年9月号より 単行本刊行時掲載
良質な知識エンタメには、必ず良い問いがある。
『会話の0.2秒を言語学する』はそれを改めて実感させてくれる本だ。
「会話のターンが切り替わるわずか0.2秒の間に、脳内で何が起きているのか」という問いは極めて分かりやすく魅力的で、読者を自然に言語学の世界にいざなってくれる。語用論だの統語論だの意味論だのという、門外漢からは何をやっているかすら分からない言語学のジャンルに次々に足を突っ込んだかと思ったら次々に離脱する。ひとつの問いを追いかけていくうちに、なんとなく色々なジャンルを浅く広く知れて得した気分になる。七つの海の浅瀬で遊び回る弾丸ツアーみたいな本だ。
著者の水野と僕はもう5年近く「ゆる言語学ラジオ」というYouTubeチャンネルをやっている。僕たちは昔からこういう「浅瀬弾丸ツアー」みたいなコンテンツが好きで、その共通点があったから、一緒に知識エンタメYouTubeを始めた。
世間ではゴチャゴチャにされがちだが、「教養系YouTube」と「知識エンタメYouTube」はまったく違うものである。前者は勉強のためにマジメに見るイメージで、そこには崇高な目標がある。VUCA(変動Volatility、不確実Uncertainty、複雑Complexity、曖昧Ambiguity)の時代を生き抜く21世紀型人材になるために見ている人が多い。一方、後者はエンタメとしてゆるく見るイメージで、特に崇高な目標はない。VUCAの時代を生き抜くためにではなく、おもしろいから見ている人が多い。僕たちは後者の方が好きだったので、後者として始めた。
知識エンタメに必要なのは、魅力的な問いだ。問いがしょぼいとエンタメとして成立しない。「語用論とは何か?」ではダメだ。ほとんどの人が気にならない問いでは、エンタメにならない。
本書の問い「会話のターンが切り替わるわずか0.2秒の間に、脳内で何が起きているのか」は、世界中の人に関係があり、言われてみると誰もが気になる魅力的なものだ。そして、徹頭徹尾この問いに沿って議論が展開されるので、各ジャンルの浅瀬にしか立ち入らない。「語用論の全体像」みたいなものを深く理解する必要がなく、問いに関係ありそうな知見だけを浅く拾っていく。これがありがたい。
「網羅的である」というのは専門書においては良いことだが、知識エンタメにおいては悪いことだ。「A氏が提案した7個の法則」みたいなのが出てきたとき、全部を丁寧に解説されると僕は飽きてしまう。「おもしろい法則だけ教えてほしいな。ひとつかふたつでいいから」と思ってしまうのだ。勉強したいのではなくおもしろがりたいだけの人間はとかく不真面目である。全容など知りたくないので、とにかくおもしろいところだけ見せてほしい。本書は、そんな下世話なニーズを満たしてくれる。
水野は、浅瀬弾丸ツアーを率いるのに最適なツアーコンダクターだ。彼は「会話の0.2秒」を軸にして、正しくルートを設計してくれた。立ち寄るスポットを過不足なく選定し、それぞれのスポットでの正しい観光ガイドもつけてくれた。「英国の元首相サッチャーはやたらとインタビュアーに会話を遮られる。それは彼女のイントネーションのせいだった」のように、興味深い具体例から自然とその海に入れるようになっている。彼の観光ガイドのお陰で、浅瀬にしか入っていないのに、その海の楽しさは十分理解できる。弾丸ツアーだからこそ、コンダクターの腕が問われるのだ。
そして、彼に連れ回されるままに色々な海を見ていくと、なんとなく世界全体の見取り図ができ、自分なりの感想が湧いてくるだろう。「会話ができているの、奇跡だな」と素直に思うかもしれないし、「この会話の仕組みをハックすれば営業成績を上げられる」と思うかもしれない。豊富な参考文献が収録されているので、気になる海があればもっと深く入ってみてもいいだろう。ツアー旅行で満足した後は、自分なりの旅を設計すればいい。ちなみに僕は大学でコンピュータサイエンスをやっていたので、「俺もコンピュータを題材に同じ本を書けるな。Amazonの購入ボタンをクリックしてからの0.2秒で何が起きているか、という本を書こうかな」と次作の構想を膨らませてしまった。そういう刺激に満ちた本である。
ところで、水野と飲んでいると「人間的な深みがほしい。俺の人生は浅すぎる」とよく言っている。彼は浅瀬弾丸ツアーを極めすぎて、人生においても浅瀬から出られないらしい。彼が人生の深みを犠牲にして書き上げた至極の浅瀬弾丸ツアー本を、あなたもぜひ手にとってみてはいかがだろうか。
インタビュー/対談/エッセイ
ゆる言語学ラジオのふたり対談
YouTube登録者数37万人超の「ゆる言語学ラジオ」。人気のふたりがほぼ同時期に本を出した!
「言語」に興味を持つ人が最近よく聴いている人気のラジオ、「ゆる言語学ラジオ」。ラジオ、とは言ってもYouTubeやPodcastで定期的に配信中の動画/音声で、なんと毎週、すでにその数437本(現在時点)。堀元見が言語学オタクの水野太貴にツッコミを入れながらテンポよく話を聞く。
コンビのこのふたり、5月に堀元が『読むだけでグングン頭が良くなる下ネタ大全』を、この8月には水野が『会話の0.2秒を言語学する』を共に小社より刊行。
え、ほぼ同時期にそれぞれ力作を書いたのには、なにか企みが?
30歳になる前に本を出す
水野 やっと出せましたよ、『会話の0.2秒を言語学する』(以下『0.2秒』)。僕は誕生日が8月31日なんですけど、30歳になる前には出したくて、頑張りました。
堀元 発売日が8月27日ですか。ギリギリやないか。
水野 それでもなんとか。なんとか、だけど20代(笑)。書下ろしで、この2年間社交を断って取り組んできました。内容を読んでもらったと思うんですけど、どうでした? 実は、編集者と監修の先生以外では堀元さんが最初の読者で、他の評価をまだ聞いていない段階でのこの対談なんです。僕も編集者だからわかるんですけど(水野は出版社の編集者でもある)、編集者は褒めてくれるけれど、仕事だから信用ならないんですよ(笑)。
で、読んでどうでした? うわ、でも、それを聞くのめっちゃ怖い。
堀元 そっか、みんなからの評価がまだ来てないのか。この『0.2秒』ね、いい本だよ、めっちゃいい本。
水野 え、「めっちゃ」が付く? 「堀元見推薦」をもらえますか?
堀元 うん。何がすごいかって、引っかかるところがない。引っ掛かりがない、じゃなくて、つまずくところがないって意味ね。普通はこのレベルの難易度の内容だと、「ここ難しくてよくわかんない」って立ち止まるけれど、この本は立ち止まるところが全然なかった。語用論や生成文法の話って言語学の中でも難しいでしょう。難易度の高い、言語学の挫折しがちなところの基本をスムーズに理解させたのはすごい。何言ってるかわかんねえなって箇所がひとつもなかった。
水野 確かに、他にも「ことばとジェスチャー、どっちが先か」がテーマの第四章、「ジェスチャー独立仮説」と「ことばが先仮説」の話とかだって、ややこしいですよね。
堀元 普通のサイエンス本だとあのレベルの内容でつまずくんだけど、それがなかったのよ。なによりも、「例」が多いのがいい。
水野 レイ?
堀元 「例」よ、「例」。我々は、わからないことを知るときに「例」が欲しいんですよ。本を読んでいても先生の話を聞いていても「どんな例がありますか」と聞きますよね。直接先生に実例を聞ける場合は良いのだけど、本を読んでいるときは相手がいない。それがいつも嫌なのよ。抽象的な話が続いて具体的な例が欲しいぞとなるんだけど、「難しくなってきたから例を挙げて説明しましょう」っていう気の利いた本が少なくて。
例えば確かにややこしい第四章のジェスチャーと言語化の話のあたり、例と抽象の行き来の量がえげつない。ここまでやってくれてありがとうっていうくらい。
水野 え、そんなに? 「swing」と「ひもを使ってビルからビルへ飛び移る」の話を実験の例として挙げたあたりですね。イラストを描いてくださった竹田嘉文さんにも、ここはご苦労をおかけした難所でした。
堀元 実験の紹介という「例」でディテールまでわかって読みやすい。はーなるほど、「swing」っていう語彙があるかないかでこんな違いがあるのだな、って。同じことを表現するのに日本語は説明的になってしまう。その後に抽象的な話がきて、仮説には3つ目の「相互配慮仮説」がありますよ、と話が深まっていく。
水野 抽象的な言語学の話は、わかりにくいから、伝える順番が大事です。
堀元 その例までの距離の近さが、読んでいて、読者と著者の水野さんとでシンクロするんですよ。完全に正しいタイミングで全て必要な場所に例を入れてくれて、これまでにない読書体験でした(堀元による詳しい書評はこちら)。
水野 で、褒められている?(笑)
堀元 褒めてる褒めてる。あのね、例抽象例抽象例抽象レイチューショーレイチューショーレイチューショー、この繰り返しでこそ読者には入ってくるんですよ。水野さんは、言語学オタクである以前に「言語学の例オタク」であるのかもしれない。
水野 そうなのか! これまでにも本は出していますが、この難易度で単行本一冊分の文章量を書くのは初めて。年明けくらいに書き上げて、そのあと内容の順番を入れ替えたんですよ。年明け段階では、大まかに現状の章でいうと、「二章 統語論→三章 意味論→一章 語用論」だったんです。二章については、編集者から「わかっていないかも、ごめんなさい」と難度を指摘されたくらい。その構成が現状の順番に固まったのがこの3月でした。伝えたいことの難易度と書き口の難易度をいかに離していくか、これにはかなり配慮しました。それがレイチューショーと堀元さんが呼ぶ実態かも。
堀元 そうだったんだ。結果としては易しく書いてあると思ったけどな。 日銀総裁の発言と円急騰の関係に話が及んだ例では、現実世界の面白さに関連していくから、読者が自分の暮らしにつなげやすくなっているよね。各章の冒頭に例があるのもよかった。
水野 やっぱりレイチューショーなのか。でもそこは確かに意識して書きました。『言語を生みだす本能』のスティーブン・ピンカーの書き方も参考にして。例えば、ってまた例を出していくわけだけど(笑)、
堀元 いいよいいよ(笑)。水野さんの「例」のストック量がすごいことは知ってる。日々気づいたら、メモっているよね。いい意味で下世話なのよ。
水野 それ、堀元さんでしょ。でさ、例えばなんだけど(笑)、まえがきについてはウサイン・ボルトの速さ世界一に、会話のターンテイキング(相手が返事をして話者が交替すること)の速さの奇跡を重ねました。
第一章についていえば、イギリスで起きた強盗殺人事件の裁判で問題になった「Let him have it, Chris!」の例をいれました。「let him have it」は「(人)をぶちのめす」の意味なのですが、警官が撃たれたときに、ふたりの泥棒仲間のうち、ひとりが相方に叫んだ。素直に読むと「警官を撃て」という殺人教唆になるのですが、「let」を「させてやる」、「him」を「警官」、「it」を「銃」だとすると「銃を警官に渡せ」となる。結果として前者の「ぶちのめせ」だと解釈され、発言したほうは絞首刑、実際に撃ったほうは未成年だったこともあり少年院送りになっただけ、という例なんです。
堀元 面白い例だよね。本全体にあるのはこの例の密度のすばらしさだね。「ゆる言語学ラジオ」のなじんだテンポなんだなとも思う。
水野 大絶賛やん。この後、推薦謝礼とか請求されるのかな(笑)。
堀元 もちろんお金をくれるならウェルカムですよ(笑)。
水野 「ゆる言語学ラジオ」の運営も全部やってくれている堀元さんには頭が上がりません。
堀元 本の中で、未知の言語の発音は別の言語話者からは違う音に聞こえるという例で、日本人が英語で発音区別しにくいRとLも挙げていたね。「選挙(election)」と「勃起(erection)」を日本人が発音するとアメリカ人はびっくりする。
水野 あえて深掘りはしていないんですが、「ゆる言語学ラジオ」で話したから書いておきました(笑)。こういう下ネタに近づくなら、『読むだけでグングン頭が良くなる下ネタ大全』(以下『下ネタ大全』)について話をしたいところですね。
堀元 さっき水野さんを下世話だといいましたけど、「下世話」とは身近なことに興味を持っているという意味なんです。抽象的なことばかり語って目の前の現実を考えなくてもいいと思っている人が多い中で、水野さんも俺もそれは嫌だと思ってる。具体的なことをもっと俺は伝えたい。
水野 確かに堀元さんは、ニュースを見聞きするたびに、「これで関連するあの株が上がらないかな」って話してる気がする。さっきのランチでもそうだった(笑)。
堀元 そんな話してないです(笑)。
水野 『下ネタ大全』は、ニュースをどこか遠い国の話で終わらせずに、なにか身近なところで適応させたいという堀元さんの姿勢がぜんぶ出ている本だと思う。だから下ネタで終わる本ではない。書評ではこう書いたんです。
「幸運なことに、著者の堀元さんは面白い雑学を見極めるセンスと、それを適切に配列し、良質なコンテンツに変える構成能力に長けている」(「波」2025年6月号掲載。新潮社HPの『下ネタ大全』書籍ページで無料で読めます)。
もう、その通りの意味です。
堀元 ありがとうございます。
水野 高尚に言うと、この世界って、面白いところだと僕は思うんです。でも、多くの人はその面白がり方を知らなくて損をしている。それなら、僕が感じた面白さだけでも伝えておきたい。そんな世界観で、「下ネタだって、料理をしたらこんなに面白くなるよ」と示したのが『下ネタ大全』なんじゃないかって。だから、下ネタでもなんでも、どんなテーマでも堀元さんは書ける。そこに置いてあるガムテープのことだって、堀元さんは調べ抜いてそれなりの読み物を一冊書けると思う。
堀元 確かに書けるな。「紀元前には」って粘着剤の歴史を追うところからはじめられそう。
水野 「その時代のガムテープ」の存在を無理やりにでも言い張るようなレトリックを駆使してね。『下ネタ大全』も同じで、とある具材を料理する堀元流の手法を提示してくれたのだと思う。
とはいえ、現時点では下ネタこそ、その手法をいかんなく発揮できるテーマではあったってことかなと(笑)。
堀元 書評で触れてくれていたけれど、「女性器が開くオノマトペ『くぱぁ』の原形は紀元前5世紀にあった」って紀元前の話を、そういえば『下ネタ大全』の中で書いている。ちなみに「くぱぁ」はエロ漫画由来でここ30年で広がった、女性器を指で開くときのオノマトペですけどね。
水野 そこから古今東西の文化比較に入って、「女性器を見せつけることは魔除けであり、英雄的であり、誇り高き行為であった」と結んでいく。現代を生きる我々の価値観の偏狭ぶりさえ指摘しているんだからすごい。下ネタの本なのに、その後も続いて最後にはこちらの教養が問われていく。
だからぜんぜんいやらしくない。って、周りの女性が何人かそう言ってましたよ、全員が編集者だけど(笑)。
『下ネタ大全』を読んで、YOASOBIの「アイドル」とか、Mrs. GREEN APPLEの「ライラック」みたいな本だとも思ったんです。手数が多くて転調もするし、リズムも変わる。飽きさせないようにできていますよね。だから、この本は一気読みするのではなくて、じっくりと読むべき本だなって。
堀元 確かに、エゴサしていると「1部ずつ読んでいます」(全体で「医学」「秘部」「聖水」「房事」「公民」「技術」「交流」の7部構成となっている)とか「トイレに置いています」っていう感想が多かったかも。
水野 トイレ本って、うれしいよね。原稿自体は「小説新潮」で毎月連載で書いていたんですよね。
堀元 そう、だから一話完結で、その密度と面白さの強度をまとめていきました。目指すはチョコの詰まった「トッポ」、あのお菓子ね。だから、ミステリー小説なんかだと「一気読みできる!」っていうことが仰々しく帯にあるけれど、この本は「一気読みできない」のが良し。
でも、「うるさい本だ」っていう感想もあって、「本って無音だけどな」と思ったこともあったな。
水野 それ、要らない(笑)。
堀元 ボケをしっかり入れてM‒1グランプリ(漫才頂上決戦)にも出られるような造りにしたかったから、結果は出せたってことかな。現代漫才に影響を受けた本なんだな。
水野 そっちか! M‒1ではボケ数を上げたほうが点が高くなる。ハイテンションな単独ライブみたいなもので、結果としては、リサーチ力とレトリックが駆使された堀元スタイルの決定版になっている、っていうことかな。雑学情報が満載なんだけど、ChatGPTには絶対に書けない構成であることは確かです。
堀元 3行だけでも、読んだら笑ってほしいんだよね。でもその路線を追求していくと、ロールモデルは高田純次さんしかいなくなる。
水野 ハラスメントにならないあのギリギリ感、同じくらいの年のおじさんが無防備にまねすると大変なことになる。すごい人だよね。
堀元 俺もさ、だんだん毒を抜いてキャラを変えていって、58歳くらいでやっと高田純次になっていくことがこれからの道なのかもしれない。
水野 たださ、堀元さんの人生は後で考えるとして、『下ネタ大全』に話を戻すと、「官能小説辞典を読んだら、官能小説みたいな声が出た【官能小説の表現】#130」を思い出すんですよ。
エロ表現について警察が検閲チェックをするようになって、むしろ小説家のほうは、猥褻だと判定されない比喩表現を求めて切磋琢磨、いつしか、結果としてジャンル全体が発展していた、っていう話です。その表現の多様性は、文化の持つ底力を体感させるために有用なのだ、という点で、『下ネタ大全』の構成と同じだと思います。
堀元 検閲、されていないけどね(笑)。
(ほりもと・けん 作家とYouTuberのハイブリッド)
(みずの・だいき 編集者)
【担当編集者が選ぶおすすめ回】
「ゆる言語学ラジオ」は初めて、という方はYouTube公式から、以下のタイトルで検索してみてください。
その1:単語はすごい【リメイク1】#212 まったく初めて見る人はこちらからがお勧め。何気なく使っている単語のすごさがわかります。
その2:赤ちゃんの言語習得が無理ゲーすぎる【赤ちゃんの言語習得】#107 赤ちゃんの言語習得を語った人気シリーズ。言語習得はノーベル賞級の功績だ、という言葉はなるほど。
その3:絵で物事を考える「視覚思考者」にはどんな世界が見えるのか?【ビジュアルシンカー1】#322 感想がいまだ多い回なのだとか。違う世界が見えてきます。
【ゆる言語学ラジオはどんなふう?】
「ゆるく楽しく言語の話をするラジオ」としてはじまって5年目、ふたりがコンビで重ねてきた動画本数は437本。他にもチャンネルは増えていき、いまや9つに及ぶとか。どんなジャンルでも、「springはなぜ春もバネも意味するの?」といった身近な疑問からスタートするのが常だ。
2023年6月には、池袋に「ゆる学徒カフェ」を開業。土日ともなると満席で、早押しクイズイベントや原稿執筆会など、行けばその日に行われている収録を垣間見ながら楽しめる、リアルな場所となっている。
波 2025年9月号より
単行本刊行時掲載
(売れてる本)『会話の0.2秒を言語学する』 水野太貴〈著〉
2026年1月24日 朝日新聞
■さすがの話術と楽しむ目線
私の知るかぎり、本書は初めての「言語学者ではない人が書いた、本格的な言語学ノンフィクション」だ。何よりもまず、言語学という分野で非研究者がこういう本を出すことが、とんでもない離れ業であることを強調しておきたい。
なぜかというと、一口に言語学といっても、統語論、意味論、語用論を含め多くの下位分野があり、また各分野の中でも理論が乱立し、それぞれの専門性がきわめて高いからだ。言語学者であっても、なじみのない分野や理論のことは自信を持って語れない。
研究者にとってすらハードルの高い仕事を、研究者ではない人がやってのけるのは並大抵の苦労ではなかったはずだ。だがその甲斐(かい)あってか本書には、研究者が書く本にはない味わいがある。
まず感銘を受けたのは、著者が読者と一緒にこの広大な分野を横断する上で「会話の0.2秒」という、日常的かつ意外性のある謎を提示したこと。研究者の関心がしばしば専門外の人々のそれから乖離してしまうことを考えると、これは著者ならではの英断だったと思う。
具体例やエピソードも豊富で、読者の頭が疲れそうなタイミングでテンポ良く話題を切り替える話術はさすが。個人的に面白かったのは、とくに難解な部分に触れるときに、著者が「なんで頭のいい研究者たちが寄ってたかって、誰でも理解でき、使いこなせている現象についてこんなに小難しい議論をしているのか?」という目線で楽しもう、と提案している部分。こんな提案、研究者からはたぶん出てこない。
言語学を面白がりながらも、言語学に対して誠実であろうとする思いが至る所に感じられる。著者は間違いなく、「言語学を愛し、言語学に愛された男」と言えるのではないだろうか。
川添愛(言語学者・作家)
*
『会話の0.2秒を言語学する』 水野太貴(だいき)〈著〉
*
新潮社・1760円。25年8月刊。5刷5万3千部。著者は出版社の編集者で、YouTubeとポッドキャストの番組「ゆる言語学ラジオ」の話し手として人気。「本書の面白さが、SNSを中心に口コミで広がっていきました」と担当者。
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