2026.5.20. 盗まれた誇り
STOLEN
PRIDE Loss, Shame, and the Rise of the
Right 2024
著者
アーリー・ラッセル・ホックシールド(Arlie Russell Hochschild)
米国ボストン生まれの社会学者.カリフォルニア大学バークレー校名誉教授.フェミニスト社会学の第一人者として,ジェンダー,家庭生活,ケア労働をめぐる諸問題にさまざまな角度から光をあてて,多くの研究者に影響を与えてきた.早くから感情の社会性に着目し,1983年には本国で著書『管理される心』(世界思想社)を発表,その後も『セカンド・シフト』(朝日新聞社),『タイム・バインド』(明石書店)などを出版,感情社会学という新しい研究分野を切り開いた.『壁の向こうの住人たち――アメリカの右派を覆う怒りと嘆き』(2016年度全米図書賞ノンフィクション部門ノミネート作)では男性の感情に焦点を当て,現代右派政治の研究に一石を投じた.
布施由紀子(ふせ・ゆきこ)
翻訳家.大阪外国語大学英語学科卒業.訳書に,ローレンス・リース『ヒトラーとスターリン――独裁者たちの第二次世界大戦』,ベンジャミン・ウチヤマ『日本のカーニバル戦争――総力戦下の大衆文化 1937-1945』(以上,みすず書房),ティモシー・スナイダー『ブラッドランド――ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実』(筑摩書房)など多数.
発行日 2026.3.3. 第1刷発行
発行所 岩波書店
『26-05 壁の向こうの住人たち』参照
第1部 デモ行進
第1章
礼儀正しい声
2017年、ケンタッキーのパイク郡パイクヴィル市(人口7000人)の市支配人City Manager(市議会から任命された行政専門官)のブラックバーンのオフィスにハインバックと名乗る人物からデモ許可請願の電話がある。ググるとネオナチと判明
パイク郡は全米435の下院選挙区のなかでも2番目に貧しく、人口に占める白人の割合が最も高いケンタッキー州第5下院選挙区に含まれ、かつて石炭産業で栄えた地域の中心地
「第2次大戦はおれたちの石炭で戦った」との自負があるが、今日では石炭産業が去ってドラッグが入り込み、地域は深刻な問題に悩まされている。最近まで民主党支持だったが今やアメリカで最も急速に共和党への鞍替えが進む5つの郡の1つに
当時、国内各地で白人ナショナリストの抗議活動が起き、オルトライト(極右派)が跋扈
ヘイト団体の数が2000年以来954にまで倍増、過激派メディアも次々に誕生
ケンタッキー州はほぼすべての郡で銃規制の適用を拒否。「信念を貫く」州として自衛のための銃の使用を認め、銃による死亡者数が増加の一途を辿る
l 分断への旅
私は国内で深まりつつある政治的分断への懸念と、未知の土地への強烈な好奇心を抱いてパイクヴィルに来た。政治と感情の関係について社会学的なアプローチを試みる
ルイジアナで「ディープストーリー」を見つけ出したが、当時は「壁の向こう側」の怒りがその後も高まり続けて憎しみに変わり、「報復」まで取り沙汰されるようになるとは思ってもみなかったが、今や対話が完全にストップし、1861年当時のようだという
2020年の大統領選挙では、ある1つの認識が衝撃的な力でアメリカ右派の心を掴み、国民を2分した。それは選挙が「盗まれた」という認識。60%(民主党の90%と共和党の23%)が選挙は公正だったと考えていたが、トランプは「盗まれた」と断言し、復讐を誓った
ケンタッキー州は中道だったが、近年、右派へと移りつつある。なかでも第5下院選挙区は、'96年には全体の中でほぼ真ん中だったが、’23年には全米で2番目に最も保守的な選挙区になった。'16年も'20年も80%がトランプに投票
アメリカでは古くから共和党が政府の福祉政策に反対する反税派富裕層の支持を集めてきた。今もその傾向は不変だが、今日では多くの白人貧困層も共和党に惹きつけられている
2014年の「幸福度指数」ランキングで第5下院選挙区は最下位。州は予算の38%を連邦政府の支援に依存し、第5下院選挙区住民の36%が自ら反対するメディケイドを受給
'20年の選挙では、白人投票者の58%がトランプを支持、その中には白人男性の61%、大卒資格を持たない白人男性の71%が含まれていたのは、従来の常識では理解しがたい
こうした風潮によるストレスが最も顕著にみられるのは若い男性。ブルーカラーの男性は薬物やアルコールの依存症、自殺念慮など、いわゆる絶望の病に最も屈しやすいのは通説
この小都市と、住民のうち主として男性に重点を置くことで、その中に「完璧な嵐Perfect Storm(いくつもの災害が重なった最悪の事態)」を見出す。多くの赤い州にも共通する
1964年にはアメリカ人の77%が連邦政府は正しいことをすると信じていたが、'23年には16%に激減。共和党・民主党を問わず、連邦政府への批判が高まる
法の規範も憲法も無視、アメリカ政治の基本原則とされる「権力の抑制と均衡」をも滋賀に掛けに「強い男」がリーダーとして希求されるのは、世界的な傾向
l 誇りと恥
政治の根底に流れる感情、特に誇りと恥に焦点を当てる。政治化された感情を理解するには、人々がどんな体験をし、何を気にかけているのかを知らなくてはならない
地域の多くの人は「プライド・パラドックス」に捉われていた。勤勉と個人責任を重んじる生き方に強烈な誇りを持っていた。失敗すれば恥となるが、厳しい経済環境が成功の機会を減らし、その分失敗しても恥と思う機会も減少。そこに彼らのジレンマが生じる。いわれのない恥を感じた場合はどうすればいいのか、様々な対処法を考えた。恥を内に向けるか、感情を外に吐き出すか、さもなければ独創的な解決策を見出す
アメリカ人は物的経済だけではなく、それと同等に重要な「プライド経済」をも生きている
なぜなら、誇りと恥は常に個人的なものに思えるが、こうした感情はより大きな社会環境に根差しているからだ。地域の誇り、労働倫理の誇り、バッドボーイの誇り、回復者の誇りなど、多くのことを誇りの根拠にしているが、町の主たる誇りの源(=稼ぎのいい仕事)がなくなったとき、あるいは古くから受け継いできた技能や習慣が役立たなくなり、価値が低下した時には何が起きるか、問題の解決策が見つからない中、住民の喪失感や恥の感情が、政治家が探している「鉱脈」になったとすれば、そこで一体何が起きるのだろう
l 上から下まで、左から右まで
様々な角度から「完璧な嵐」を理解しようとして、様々な階層の人々と話をした
ネオナチによるデモの情報はすぐに全米に拡散し、安全保障省からも要警戒の知らせが来たが、ブラックバーンはすべてを勘案してデモの許可を出す
第2章
善良な市民
一見穏やかな平和な街に見える。「共和党穏健派支持層」の町ともいわれる
l ダーツが当たったのか、いいカモだったのか
ネオナチによる集会が開かれることに対し、住民たちは、たまたまここが選ばれたとする説と、ケンタッキー東部が格好の標的とされたという説に分かれた
デモ隊は2つの考え方を持ち込む。1つは人種、もう1つは非民主主義的な力の行使
「白人」が重要な要素ではなかった。多くが自ら混血と考えていたが、失業などによって不安が生じると、他の人種への敵意が搔き立てられる可能性があることも示唆
甚大な被害を被った地域に連邦政府が支援の手を差し伸べているが、あまりにも規模が大きく、無駄が多く、胡散臭いほどに「おせっかい」だという不満の種になっている。連邦政府最大にして比類なき支援事業は、陸軍工兵隊が’73~’87年に建設したパイクヴィル・カットスルー(山を切り拓いて鉄道と道路を通した)で、アメリカ国内で最大の土木プロジェクト、今では当地自慢の観光名所になっているが、連邦政府の支援の記憶はない
l 地元の思い、遠い夢
ブラックバーンが呼んだ助っ人の中に元民主党州知事('95~’03)のパットンがいた。地元出身で、教育と雇用の推進に成功し、現在は地元大学の名誉学長
ネオナチといえど、言論の自由は認めるが、マスクや頭巾の着用は条例で禁止
第3章
プライド・パラドックス
アンドリュー・スコットは、一族が古くからの共和党員で、広大な土地の採鉱権を買い炭鉱会社に売却して富を得た成功者。パイクヴィルの隣町コール・ラン市長
l レンズごしに見た誇りと恥
誇りと恥は、私たちが外の世界に示すアイデンティティと、それに対する世界の反応の接点を明らかにする。私たちは誰もが誇りを持ちたいと願い、恥を恐れている
「役に立っている」という感覚としての誇りに着目。実際、プライドの語源は「役に立つ」で、人やグループ、共同体が共有する目的に利することを表す
恥とは、自分が他者の目から見て何か間違ったことをしてしまったという感覚で、恥の感情が特に重要なのは、すでに心の内に持っていてそこから解放されたいと願っている自己不全感をかき乱し、それが政治的な訴えの根拠となる可能性があるから
子供が物的経済の中に1つの場所を割り当てられ、そこで自立を遂げていくように、我々はプライド経済の中でその様な場所が与えられる。1つの地域や社会階層の中で、ある人種、あるジェンダーの人間として生まれ、その事実が、より広いプライド経済の中で私たちの価値を増したり減じたりする。こうした特性の1つ1つに、熾烈な競争の末に得られる特権意識がついてくる。アパラチアの炭鉱地帯は、かつては全米が必要とする電力の大半を供給していたが、やがて衰退の時を迎えた。炭鉱の仕事に対する誇り、不屈の精神や専門知識、国の重要な地域に対する誇り、そうしたものがすべて変わってしまった
我々は、物的経済とプライド経済の両方に生きている。物的経済の変化には細心の注意を払うが、プライド経済の重要性とそれが国の物的経済の中で果たす役割については、頓着
しないか過小評価していることが多い。両者は往々にして自分では全く気づかないような形で連動している。貧しいことと、貧しさを恥と認識せざるを得ないこと。そして多くの人はその損失を補うために政府から支援を受けることも恥だと考える
自分自身の誇りの感覚が、個人の意思や願望とは遠くかけ離れたものからの影響を受けやすいことには、朧気にしか気づいていない。自然に親しむ生活や田舎の暮らしを誇りに思う気持ちは、広く共有される文化の中で田舎の生活自体がどう見られるかによって、高まりもすれば沈みもする。多くの人の頭の中では、田舎の暮らしは単調で進歩がなく、時代遅れといったイメージになっている。1971年に「Rural Perge田舎の追放」と呼ばれる現象が起き、大手テレビから地方の暮らしをテーマにした連続ものの放送が打ち切られ、都会の視聴者をターゲットにした番組を提供し始めた。こうしてプライドは、パブリック・ナラティヴにも埋め込まれている
人の人生にはほかにも変化を余儀なくされる側面があり、その多くもまた誇りの対象となる。望ましい体型、誇りを持てる体型にさえ流行がある。人は無意識のうちに社会の中で絶えず変化を繰り返す文化と密接に結びつくものを誇りとしている
l プライド・パラドックス
誇りの根拠として最大のものはアメリカンドリーム(1931年作家のアダムスが考え出したことば)への近さだが、よい機会に恵まれにくく、しかも期待値の高い赤い州と、多くの機会に恵まれ、期待値がさほどでもない青い州というパラドックスが潜む
赤い州では、アメリカンドリームに届かない人が恥を感じやすく、その苦境に陥ったものは恥への反応として以下の3つの「行動」のうちの1つを選択する
まずはパラドックスそのもので、2つの部分から成り立ち、1つは居住地域における経済的機会の存在と、もう1つはそうした機会を求める責任にまつわる文化的な信条
パラドックスの第2の部分は、勤勉の徳や、個人の経済的運命に対する本人の責任をどう捉えるかという考え方に根差している。アメリカンドリームは個人主義が前提だが、勤勉という古いプロテスタントの倫理に忠実な人は共和党派の方に多い。アメリカンドリームは、若者自身が単にしっかり頑張るだけではなく、父親以上に頑張り、親世代より高い地位に上ることを示唆している。近年、共和党と民主党では次第に見解が分かれ、この3年間で貧困の原因を本人の努力不足と考える人の割合が、共和党では47%から56%に増加する一方、民主党では29%から19%に減少。経済的に恵まれた地域に暮らす民主党支持者は、運を左右するのは「より大きな環境」だと考えている。
全国各地で、名状しがたいほど痛ましいプライド・パラドックスが生まれている。赤と青の2つの経済圏、2つの文化圏に分かれているということ。共和党支持者は、より厳しい環境にありながら、無意識のうちに、誇りを持つ資格に厳しい条件を付けている
l 構造的な恥から個人的な恥へ
恥という感情はじわじわとくる。解雇された時は上司や大気浄化法を持ち込んだオバマ政権を批判するが、恥を忍んで失業保険を受給、それが底をつくと家族から責められ、自分を恥じる気持ちが増す。地元では怠け者と呼ばれ、ネットでもこき下ろされ、恥のことは忘れ、煮えくり返るような怒りしかない
l 誇りの危うさ
ケンタッキー東部住民の暮らしは、長らくアップダウンを繰り返してきた。開拓者として貧しい生活を送り、それを恥ずかしいと思っていたが、石炭が住民を貧困から救い、富裕層が最も多く集中している区域となりプライド経済の頂点に立つ
l 失業
石炭の需要は1990年代に一気に減少。2000年には電力の52%が石炭だったが、'23年には16%にまで落ち込む。石炭産業の自動化も進み、'90年に石炭関連産業の雇用は3.5万人だったが、10年後には1.4万人に、'20年には3800人に減少
重機を使って山頂部を吹き飛ばす山頂除去採掘と、土砂の川床投棄により水質汚染を招き、野生動物が被害を受けた。元炭鉱作業員は、失業だけでなく、仕事と同等に大切なものを失ったことでも傷ついた。それは自分の能力や知識の価値が認められなくなったこと
第2次大戦終戦から15年の間に、住民1人当たりの所得が全国平均の半分となる
人口も減少、多くの白人が北部工業地帯に移住したが、南部から移住した黒人が北部の黒人に侮られたのと同様、北部生まれの白人にヒルビリー(山育ちの田舎者)と呼ばれてしばしば見下された。決定的だったのは、豊かな青い州でグローバリゼーションの恩恵にあずかる人々の生活ぶりを見てしまったことで、なぜ彼らは俺たちより楽な暮らしをしているんだ? 経済的困窮が自分の責任だとしたら、一体俺たちはどんな間違いを犯したのか
第4章
みんなを助けにきたんだぜ
白人ナショナリストたちのデモ隊は市の郊外に結集
l マシュー・ハインバックのメッセージ
彼らのメッセージは、地域住民のアメリカンドリームを不当に奪ったユダヤ人や黒人、移民、民主党に報復して恥を雪ぐ、というもの。KKKの元最高幹部を人種差別主義者として非難しないトランプに、政界からの追い風を感じている
l トランプ支持者の集会で
1年前の大統領選でトランプはケンタッキー州ルイヴィルで集会を開き、そこでハインバックは、抗議者を暴力で追い出そうとしたとして、執行猶予付きの有罪判決を受けるが、その条件を守らず、全米各地の極右主義勢力をまとめて世界に訴えようとしていた
l 相矛盾する目標
ハインバックは2つの矛盾する目標を持つ。1つは抑制的な戦略で不当な喪失を被った白人たちの苦しみと怒りに寄り添いパイクヴィルを急進派の町にすること、もう1つは集まった極右各団体はそれぞれに異なる目標を持っていて全体を取りまとめるのは容易ではないため、それぞれに自由にやってもらうこと。事前に集合して軍隊式の予行演習を行う
l よそ者
ハインバックはメリーランドのカトリックの中流家庭の生まれ、95%は白人で全米で11番目に豊かな郡。父親が孤高の存在だったり、父親から虐待されたりして育つと、男の子は自分が「失敗者」だと感じながら育つとされるが、ハインバックもその1人で、密かにナチ親衛隊に憧れ、ロシア正教会に改宗すると余計に白人ナショナリズムに傾倒
l 恥から身を守る盾
ハインバックは、民族に基づく恥を不当に押し付けられていると感じ、それに対して極めて強い感受性を持っていた。リベラル派のせいで、自分がドイツ系であることにもアイルランド系であることにも、白人であることにも誇りを持てずにいるという
現実の恥、想像上の恥を消し去る1つの方法は、人種の誇りが徐々に失われつつあるという感覚を強くすること。白人であることを誇りにしようと、自分の失われた―盗まれさえした―誇りを取り戻すべく行動を起こす。その1つが南部連合歩兵連隊の再現劇の上演
奴隷制やホロコーストについては認めず、何も恥じることはないといい、彼にとって過去の過ちを認めることは、今アメリカやドイツで生活する白人キリスト教徒全員を、永遠に這い上がれない恥辱の泥沼に突き落とすことに他ならない
l 取消し警察
大学で白人学生連合を組織、卒業後はブルーカラー労働者となって政治の世界へ
ハインバックがパイクヴィルに提案したかったのは、屈辱を非難に、非難を復讐に転換すること。傷ついた誇りを探り当て、それに火をつけて激しい炎を掻き立てること
第5章 インサイダーとアウトサイダー
パイクヴィルでは、黒人や移民などの存在を誇りとしていたが、1963年にバージニアに行った時には、まだ黒人が差別されたが、一緒にいた白人の先生や仲間は何も行動をとらず、黒人学生は差別そのもの以外にも仲間の態度に傷つけられた
l ふたつの道の物語
ルース・マリンズの話は、言葉と画像で一族の過去に遡る。政府の人種分離撤廃策の変遷を経験し、南北戦争後の黒人解放運動の波に乗ってアメリカの首都まで行って働き、また戻ってきた。一方、ハインバックはルースが進んだ道を逆走してきて、除外される者の屈辱を再びこの地に持ち込もうとしていた
l ホロコーストからケンタッキー東部へ
地元の公民権専門の弁護士ジョン・ローゼンバーグは、地元の高校などで人種統合の完全実施に尽力。86歳で、家族の多くをホロコーストで失う。ハインバックにとっては、ホロコーストの記憶は人種差別にまつわる記憶と同様、恥と罪を想起させるので、なかったことにする必要のあるものだが、ローゼンバーグが記憶を語る目的は、人々に思い出してもらい、警告すること。ホロコーストを逃れ、無一文でアメリカに着き法律を学ぶ
l マスジッド・アル=ファルークと9.11
ドクター・バッジ―はイスラム教徒。’76年にインドから医療過疎地に派遣される特別ビザの外科医としてケンタッキー東部に移住
マリンズの最もつらい思い出は肌の色に関係。ローゼンバーグの場合はユダヤ難民であること。バッジ―の場合は肌の色と宗教、訛りに加え移民としての在留資格に関りがある。3人ともそれぞれに誇りを傷つけられてきたが、それぞれ道を乗り越え、アメリカンドリームを達成して、その過程で歓迎を受け、誇りを持つことができた
しかし今は新たな危機が迫る。多数決主義ナショナリズムの風が吹き荒れ、アメリカでは白人ナショナリズムが、独自のプライドによって自分たちの主張を正当化している
第2部 名もなき人々
第5章
自助自立の誇り
名もなき住人たちの中で典型的な1人がアレックス・ニューズ。40歳で炭鉱労働経験者を祖父に持つ。住民の80%と同様、'16年と’20年の選挙でトランプに投票
l 臨機応変の才
アレックスは父方の祖父から臨機応変の才を受け継いだようで、何でも屋として働いたが、景気後退の波をもろに受けて転落、破産してIRSへの滞納金が12万ドルを超えた。すべてを失って教会に行く。新天地を求めて住民が去っていく中の残留組で、立ち直れない
1900~'70年の間に800万人が南部から他の地域へ「大移住」しているが、’90年代には多くの白人移住者が仕事を失ってUターン。同じ州内でも都会人が田舎者を見下していた
l 自責の旅
アレックスにとって、自らの失敗の責任を引き受けることは、成熟した強い人間、信頼に足る男であることの証であり、そのように考える男であることを内心誇りに思っていた
同時に、恥の感情と怒りにも対処しなくてはならなかった
貧困が、「個人の力が及ばない環境」のせいだと考える人の割合は、富裕層46%に対し貧困層56%で驚くほど変わらない。まさにプライド・パラドックスそのもの
l マーガレットとの出会い
ドミニカ人女性と2度目の結婚。アレックスは、彼のような男が陥りがちな人種問題の罠について意見を述べる。黒人の暴動は、誰も助けなければ立ち上がるのは当然だというが、彼はただ無視されるだけではなく、黙っていろと言われているように感じた。ハインバックはまさにそうした感覚に訴えようとしていた
l 芝生ポリス
アレックスは、州や連邦政府に不満を持つ。行政当局は、石炭採掘税がなくなった穴埋めに新たなルールの導入で違反者に多額の罰金を課してくる。たまたま芝生を刈らなかったという罰金はよその家の間違いだったが、政府の過剰介入には怒りしか感じない
l 気がかりな友人
同じ価値観を共有するが、より気が短い友人のことを気に掛けるが、デモには参加しないらしいのでほっとしている
第6章
アウトローの誇り
更生中の受刑者にもインタビュー。アレックスと同様に不遇の境遇にあるが家族はなく、1本筋の通った無法者であることを誇りとし、トランプがKKKを認めたと信じて支持
l KY-5で投票しない住民
ケンタッキーの受刑者数の人口比は国際的に見ても突出して高い。10万人当たり930人。全米では664人、イギリスでは129人、カナダでは104人。受刑者の大半はいつか釈放されるアメリカ市民であり、人口や有権者数に組み入れられる(重罪は投票権剥奪)
‘16年、地方部の2633の小さな郡でトランプが勝利、ヒラリーが勝った489の郡よりも遥かに刑務所人口が多く、単位人口当たりの受刑者数が多かった
l 最悪のレイシスト
インタビューした受刑者にとっては常に人種が最優先事項だった。人種ごとにグループを作っていがみ合った
l ワルはいいことか
受刑者にとってワルはいいことだったが、最近では逆転
l 人種的アイデンティティの混乱
人種の分離を自然の摂理と言いつつ、黒人の女の子に愛情を感じ、人種的な混合は不回避
l 誇りのヒエラルキー
受刑者にとっては、腕力と人種が誇りの基盤だったが、序列の最下位
l 思いもよらない関係
白人男性の受刑者は、同じ房に閉じ込められた黒人やメキシコ人と仲良くなった
第7章
サバイバーの誇り――都市最貧地区と峡谷集落
デイヴィッド・メイナードは地元の貧乏白人に属し、金持ち階級の娘シェイと禁じられた恋を成就させる。白人ナショナリストのデモを嫌悪し、同じようにトランプを支持するが、その背景は異なる
l 貧しい白人ならば
デイヴィッドにとって貧困は不名誉の烙印で、結婚相手の両親からはトレーラーに住むTrashだと蔑まれていたが、反対を押し切った結婚生活は、この土地には例外的に幸福
l ふたりの愛の軌跡
学校もろくに出ず体も弱かったデイヴィッドは、アンドロイドのデザイナーとして成功したシェイを助けることで幸せを掴む
l デトロイトのゲットー(貧困な黒人)とムーアズ・トレーラーパーク(貧困な白人)
デイヴィッドは、人種のことよりも貧困こそが、白人・黒人共通の問題だという
全米435の下院選挙区の中で白人の人口比が最も高いKY-5では、非ヒスパニックの白人が人口の94%、外国生まれは0.7%。一方、ニューヨークのブロンクス区のNY-15選挙区では白人の割合が2%のみでヒスパニックや黒人が圧倒的だが、両者は世帯収入の中央値も3万ドル半ばで近似、子供が貧困に陥っている家庭の割合も10%前後と似ている
他方、メディケイドの加入者やフードスタンプの受給率はKY-15が高い
国全体で見れば、貧困状態にある人の割合は、黒人では26%に対し、白人は9%
南北戦争終結から100年間、ジム・クロウ法は黒人の職業選択の自由を制限し、給料の良い仕事を労働者階級の白人のために確保。ニューディールによる改革と労組の勝利は多くの人々に賃金上昇と労働時間の改善をもたらしたが、社会保障に関しては、当時の黒人労働者の大半が含まれていた家内労働者と農業労働者は適用外とされた。現在黒人世帯の資産は、白人世帯の12%であり、富の格差は1968年以来少しも変わっていない
デイヴィッドは、この地の貧しい白人と黒人の違いは、音楽の好みだけというが、一緒に力を合わせて環境改善に動こうとはしない
l どうすれば「ひとかどの人物」になれるのか――欠落した物語
デイヴィッドは、白人中間層の成功物語と、人種差別の犠牲になった黒人の物語の狭間に置き去りにされた物語の範疇で、白人だから特権があるから、それで前に進めるはずだってことになる。それが出来なければ、ほとんどのアメリカ人の目には、まったく値打ちのない人間に見える。そうした「欠落した物語」は、プライドの問題を提起する
デイヴィッドは、苦境にめげず頑張り抜いたサバイバーの誇りを体現している。シェイを助けながら、生きてムーアズ・トレーラーパークから出られたのは人生最大の成功だが、その誇りは、義理の両親には認められないし、プライド経済の基盤となる考えを共有する人々の目にも価値あるものと映らないことがわかっていた
信頼出来る政党がない状態で、デイヴィッドは自らのアイデンティティを、裕福になって成功する夢の代わりに、虐待からの完全な回復を果たす夢(=感情のアメリカンドリーム)に求め、回復こそ誇りの源だとした
l フェイク・レイシスト
極左派は、白人には人種の話やひどい目に遭った話をする権利はないと思い、自分たち以外はレイシストと呼ぶ。共和党支持者のなかでも、白人に対する偏見が増えたと思っている人が半数にも上る。デイヴィッドは保守からもリベラルからも拒絶された気持ちになり、左派に近いのに受け入れてもらえない意味で自らを「フェイク・レイシスト」と呼ぶ。
l 結婚
教会に通わない2人は映画館で結婚式を挙げる。語るに値する名誉ある物語はないが、サバイバーであること、結婚に漕ぎつけたことが誇りだったが、かすかに傷つけたのはシェイの母親と祖母が「メイナード家の人たちは馬子にも衣装」と言ったこと
第8章
自分も引き込まれていたかもしれない
一族が炭鉱労働者だったトミー・ラトリフは42歳。デモの時大学生をやり直していた
l 階層の存在に気づく
ミドルクラスだと思っていたところ、テキサスにいた親類が来てレッドネックと言われた
父親からしゃべるのを禁じられたため、大学に入ったが成績不良で退学、自分のせいだと思って二度と大学には戻らなかった
l 少年時代に出会った黒人たち
ほぼ白人ばかりの世界で過ごし黒人のことは何も知らなかったが、テレビで黒人の家庭が自分の家庭と同じように荒れていて、それを見ていた人がみな笑ったことを不思議に思う
l カスケーディング――負の連鎖
トミーが成長するにつれ、両親は失業からアルコール漬けとなり、フードスタンプを申請するのを見て、そんな階層になってしまったと思う
カスケーディングとは、危機や喪失がさらなる凋落を引き起こす可能性を持つ経験プロセス
l 十人十色のどん底
トミーは結婚し洗礼を受けるが、交通事故で職まで失い、空き缶を集める仕事で恥ずかしい思いをする。世界が真っ暗になり、どん底を経験する
l 過激派の誘惑
トミーは、自分を恥じる人々が、「外部」にわんさといる敵のせいにしようと持ち掛ける声に弱いこと、が気になっていた
l 運び屋のアリ
マリファナ中毒からの回復センターにいる時、地面でアリの行列を見て引き戻された
どん底まで落ち、とことん自分を恥じたが、ハインバックとは違って、それを人種的な標的への非難にすり替えることを拒み、前に進んで創造的な修復に向かう道を見つけようとした。私と会ったときは、すでに再婚して幸せをつかみ、学士号を取得して卒業、再就職
第10章 死線をさまよって
同じくケンタッキーのホーラー(谷間)出身の40歳のジェイムズ・ブラウニングは、デモの頃は3回も過剰摂取を経験したヘロイン中毒のホームレスだったが、薬物依存症からの回復プログラムを受け、数年後の今はまともな職に就いている。トミーとも回復プログラムで出会い、親交を深める
l この国のプライド経済、下から見上げた景色
ジェイムズは、ある時点で自分の気持ちを知覚する感受性を失ったが、やがて自分の気持ちを聞き取るとはどういうことかを理解し、感受性を取り戻した
祖父が炭坑の事故で死んだ後、父が苦労して成功し、子供たちにミドルクラスの教育を受けさせた。政府の権威と距離を置き、自立して生きることを大切にし、家族やホーラーの中で問題が起きた時は、警察に頼らず自分たちで解決した。黒人や移民はよそで暮らし、女には女の役割がある、そういう文化の中で育つ
l 誰にも言えなかった秘密
ジェイムズの少年時代には2つの秘密があった。1つは彼が8~11歳の頃2人の大人から屈辱的な行為を何度も受けていたこと、もう1つは多額の寄付で名高い篤志家サックラー一族が支配する製薬会社が、鎮痛剤だとする嘘の広告で、怪我をした炭鉱労働者や困窮家族など弱い立場にある人に売り込んでいたこと
l 規制を嫌う州と企業投資
製薬会社は、規制を嫌う州に重点的に進出。ケンタッキーでも規制薬物の処方を監視する州の医療当局への購入報告が義務付けられていなかった
のちに同社が販売したオキシコンチンは、常用すればヘロインと同様の禁断症状が出ることが分かったが、販売員に特別報奨金を払って売りまくったため、すぐに拡散
l 恥のサイクル
ジェイムズは、子供の頃に自分の身に起きたことを恥ずかしく思っていたので、恥に向き合わずに済むよう強がって薬にも手を出したが、薬をやることが恥ずかしくなるという恥のサイクルに嵌る。そこでトミーから依存症者の間に序列があり、隠れたヒエラルキーを下へ下へと転落していった過程を教えられ助けられる
l プライドの種類
直接的なプライドは、自分が他者の「役に立つ」「助けになる」存在であることに基づく
謙虚なプライドと肥大したプライドを区別。プライドをひけらかすのはよくないと考える
依存症者の回復を支援している仕事に誇りを感じている
l 移民と黒人――おれたちと何が違う?
'17年のデモは、白いアメリカを望んでいた。トランプはメキシコ移民を追い返せという
ケンタッキー東部の人々がより良い仕事を求めて他の州へ行くと、まるでメキシコ移民のように見下される。自分たちは見下されたくないのに、どうして移民を見下すのか
l フッドからホーラーまで、移住組と残留組
ジェイムズは、黒人とアパラチアの白人の間には繋がりがあると考える。アパラチアの白人たちは、祖父や父がそうであったように、石炭会社にいいようにこき使われ、やがて捨てられ、黒人と同じように列の最後に追いやられた。自分たちと多くの共通点がある移民や黒人をトランプは見下せと言っているが、そのトランプに投票しようとしている
白人の「残留組」であるジェイムズの家族の間では、黒人たちは温かい歓迎を受けていたが、「白人の特権」について話そうとした途端家族全員が”特権”という言葉に反発して怒り出す
l 地下社会のコネクション
ジェイムズは12年に及ぶヘロイン漬けの日々を振り返り、黒人のドラッグ地下社会と個人的な接点を持った体験について語る
l ロッククライミング
ジェイムズはトミーの支援を受けて立ち直り、今は支援の側の仕事に就く
かつての趣味だったロッククライミングを再開し、頂上まで行くと誇らしい気分になる
第3部 雷 鳴
第11章 テスト・ラン
‘17年、厳重な警戒のなか、デモ隊の到着は1時間以上遅れた
l 顔を見せなかった人々
デモの参加者も反対者もほぼ全員が市外から、多くが州外から訪れていた。インタビューした人の大半は顔を見せていない
遂にキャラバンが到着、怒号が飛び交い、団体のリーダーたちが演説を始める
l 誇りと恥に決着をつける
1時間半後にイベントは終わり、デモ隊は町はずれに帰る。ハインバックには警官から刑事召喚状が渡される。逮捕されたのは3人だけ。暴力行為は全くないまま、パイクヴィルのブラックバーンは反対派の言論の自由を守ることに成功
連邦の国土安全保障省の予想に反し、デモは200人の反対派とごく少数の地元の新メンバーを惹きつけただけに終わる
デモ行進は誇りと恥に決着をつける場となる。デモ隊は白人であることのプライドを誇示、反対派は野次やプラカードでデモ隊を辱めようとした
今回のデモは、3か月後の大々的なデモのテスト・ランに過ぎなかった
第12章 流動的な政治観
デモから3年、何度も新たな集会の許可申請が出た
3か月後のシャーロッツヴィルの大集会は武力衝突に発展、多数の死傷者を出す
ハインバックは、不倫騒ぎの暴力沙汰で逮捕され、所属団体から追放された上に、子供の養育費の支払いのためとうとうまともな職に就く。大集会の被害者からの訴えで、生涯にわたって収入の半分を被害者に払い続けなければならなくなった
l 何を変えるのか
ハインバックは、アイデンティティの核であった政治的組織に決別しようとしていた。視野が広くなり、多様性を認めるようになったというが、元ネオナチ活動家としてイギリスなどからは渡航を禁じられ、正教会からも破門され、裏切り者として白人ナショナリストからも信用されない、故郷に戻ってもよそ者扱い、家族からも縁を切られたまま
介護の仕事をして初めていいことをしたという気分で家に帰れる経験をしたという
人種に対する考え方は変わったが、崇拝する人物はヒトラーからプーチンに代わっただけ
l 右寄りの世界で「左」へ動く
人種的正義を求める運動が活発化。'20年のブラック・ライヴズ・マターによる抗議活動は全米550か所で50万人が参加、1日限りの抗議活動としてはアメリカ史上最大級の規模
参加者のほとんどは白人。93%は平和的なものだが、パイク郡で私が話を聞いた人たちは、暴力を伴った7%を強調するメディアを視聴していた
右派でも暴力的なグループが行動を起こしていた。この10年で倍増、その2/3は白人至上主義者や極右過激派によるもの。KKKのような古い組織が衰退し、新興グループが台頭
特に右派では、これまで岩盤支持層と見られていた人々の間に分断が広がる。トランプに反旗を翻し、ケンタッキー州下院議員は連邦脱退を仄めかし、「国家の離婚」を呼びかける
l 政治的ホームレス
ハインバックは白人ナショナリストをやめて就職したが、かつての敵方だったアンティファに過去をばらされたため失職。組合に訴えたが手が回らず、「社会的なスキル」を使って医療クリニックの受付の仕事を見つける
第13章 瓶のなかの稲妻
'20年、ケンタッキー東部愛国者連合がトランプ支持のキャラバンを実施、車列は30㎞を超え、翌月の大統領選ではトランプの得票率80%を達成。主催者は、「トランプのような男がいれば瓶のなかに稲妻をとらえたも同然」という
l 怒りの陰に
2019年にはほとんどのアメリカ人が自分の国では分断が進み、怒りが膨らんでいると感じるようになっていた。全米の70%がヘイトクライムやスピーチが増加したと考えている
‘20年の大統領選の結果を覆そうとする「盗みを止めろStop the Steel」運動の参加者は、不参加の共和党支持者から民主党支持者、やがて連邦政府全体に対し、次第に怒りを募らせていった。パイク郡では多くが距離を置いていたが、「我慢の限界」という人もいた
l 秩序の美しさ
ホーラーで育ったロジャー・フォードは熱心なトランプ支持者。ルイジアナと同様、トランプに魅了された人々のほとんどは、社会に最下層ではなく、成功を夢見て大志を抱いているか、うまくいっているとはいえない地域ですでに成功を収めている階層に属していた
l 無秩序の恥
ロジャーは、民主党は何かにつけ過度に寛容で秩序を重んじないと考える傾向がある
最も当惑しているのは、民主党がジェンダーの流動性を容認、あるいは奨励さえしているように見えること。あまりに多くの困難な問題に直面している地域では、余計な問題でしかなかった。民主党は締まりのない手ぬるい、恥知らずの政党に成り下がって見えた
ロジャーは自分が「法と秩序」を重んじる男であることを誇りとしていた
ロジャーは議会襲撃事件を耳にした時、真っ先に意識に上ったのは、法と秩序ではなく、法を犯してトランプ支持者の名誉を傷つけようとしたのはアンティファのメンバーに違いないと思い、メディアが議会への乱入を「針小棒大に」報じたのだと感じる
富の二極化は数十年前から次第に顕著になったが、政治的問題としての階層間の不平等は、貧困そのものとは違って、トランプ支持者の間では滅多に話題にならなかった
l ビスケットに混入した髪の毛
普通は顰蹙を買うような性格上の欠点(利己主義、ナルシシズム、復讐志向、冷酷さ)がパイク郡の人々には有用と感じられる。ビッグでタフ。打撃を受けやすい地域とその暮らしを守るという妥当な目的のためなら、強引な手法も悪くない。目的な手段を正当化できるとし、トランプは地球上の様々な問題解決のために神が遣わしたとまでいい、いわばビスケットに混入して焼き固められた髪の毛みたいなものであり、唯一無二の存在だという
l ディープストーリー ――ガキ大将の登場
私は前著『壁の向こうの住人たち』で、政治的な談話の裏に、そして理想や真実の概念を巡る意見表明を超えたところに、誰もが「ディープストーリー」を持つと書いたが、それは感情が語る物語で、良識に基づく判断も事実も取り除かれている
右派のディープストーリーの主役は、アメリカンドリームを目指して長い列に辛抱強く並ぶ男性。列の前の方に並んでいるが、なかなか前に進まず、後ろにいる黒人たちには気づかない。その列に割り込む高学歴の女性や黒人がいる。割り込み屋の中に悪いガキ大将がいる一方、自分たちを守ってれる良いガキ大将もいる
左派の友人たちにこの話をすると、その悪いガキ大将こそ、全国の労働者に質の良い働き口を与えて中間層の再建に役立ったのではなかったかといい、むしろ青い州より赤い州の労働者を助けたはずだという
l 盗まれたという物語
なぜここでは多くの人たちが'20年の選挙が盗まれたとするトランプの主張を擁護したがるのか。「盗まれた」というストーリーが広く受容されるのと同時に、それが事実ではないことを示す法的な証拠がいくら積み上がっても、彼らが信念を曲げなかった
トランプは、’12年の選挙の時からスピーチの中で、何かが「盗まれた」という疑惑を表明
'23年にはアメリカ人の33%、共和党支持者の63%が、'20年の選挙が盗まれたと信じ、「盗みを止めろStop the Steel」と呼ばれる運動が始まった
‘22年の世論調査で、「トランプが憲法を停止させ自分を大統領に復帰させるべきと主張したが、このような発言をする人物には大統領選に再出馬する資格がないと思いませんか」との質問に、全体では51%が資格がないと答えたが、共和党支持者では17%しかいない
l 赤毛の継子
頑なに「盗まれた」と言い張る多くの人々は、連邦政府のすることすべてを信用していない
ロジャーのように高学歴で各地を旅してきたビジネスマンです「盗まれた」と信じる。彼は、嘆くと同時に不満も感じていて、他の地域に比べてインフラ整備など最後まで待たされる、この国にとっては赤毛の継子みたいなものという。彼のプライドは、パイク郡をより豊かにし、住民たちが出ていかなくてもすむようにするために奮闘していることにある。最も強く誇りとしていることは、危機に晒されたこの地方部の故郷、あまりに多くが失われた、あるいは「盗まれた」様に感じられる、この地域を守る役割を果たしていること
l 失った、盗まれた、裏切られた
喪失には明確に3種類あり。1つは石炭関係の仕事の消滅、2つ目は伝統や土地や創意工夫の才など、個人がまだ保持しているものの価値の減少、3つ目は都市生活の価値の高まりに比べた場合の地方の暮らしの価値の低下(相対的喪失)
加えて、都会の裕福に思える地域からいわれのない侮蔑を受ける屈辱もあった
悲嘆の中には常に、喪失に耐え抜いた不屈の精神への評価自体が失われてしまうのではないかという不安が埋め込まれている
l ハリウッド映画の影響
映画のスクリーンもまた、彼らを打ちのめした。スクリ-ンで描かれる田舎のイメージは、プラスからマイナスへと変化してきた。’72年公開の《脱出》によりアパラチアの住民が排他的で暴力的な人々として描かれ、文化的なイメージが一気にどす黒いものへと変化
SNSでは、「ヒルビリー」「レッドネック」といった侮蔑的な言葉が現れ、怒りを煽る
l ハンガー・ゲーム
ベストセラーのディストピア小説を原作とした映画《ハンガー・ゲーム》(2012年公開)には、ケンタッキーの田舎にあって貧しくて、都市部の利益に適うように利用されて犠牲になった地区が描かれる
l 恥を撃退する4段階の儀式
恥は偶発的な喪失を通じて、プライド・パラドックスに入り込む。誇りの文化そのものと、厳しく守られてきた個人主義の倫理(成功は自分の手柄、失敗は自分の責任)が相俟って、恥という痛ましい結果を生む。アメリカンドリームを志向する文化では、敗者は置き去りにされて恥に苦しむ
そこに良いガキ大将のトランプが登場。大統領選出馬前から恥を撃退する儀式を完成させていた。第1段階は、公然と挑発的な発言をする。第2段階では有識者たちがその発言を非難し辱める。第3段階ではトランプが侮辱された被害者として振舞う。第4段階ではトランプが自分を侮辱した人々に向かって怒鳴り返す。最後の段階で、過剰に侮辱されたという感覚が一気にカタルシス(抑圧からの解放、発散)を招く
l 「盗まれた」――失われたものに対する権利
この国は民主党には、プライド・パラドックスの苦悩に効果的に訴えかける強力なストーリーがない。責任は自分にあるとするプロテスタントの倫理的認識は、被害者意識と恥と非難と報復に的を絞る価値観へと変化していった
多くのアメリカ人は、自分の信じていたもの、大切にしていたものが実際に失われた状態にある。このような喪失は、何をもっともらしいと感じるか、感覚そのものを変えてしまう。この地域に暮らす、本来は思慮深かった住民たちも、トランプの論法に真実味を感じるようになった。トランプは毎日のように被害者意識を口にする中で、感情の針を「喪失」から「盗まれた」へと動かした。時とともにそれが中心的な主張になる
「失った」ものが「盗まれた」ものへと変換されると、問題は恥から非難に変化する。恥から非難への転換が起きると、悲しみが怒りに変わり、鬱屈が激怒へと変わる。まるで電流が走ったように。「瓶のなかの稲妻」とはそういうことだったのかもしれない
第14章 危険な波
'15年からトランプは「石炭を取り戻す」と公約していたが、大統領の任期中にケンタッキー炭鉱業界の求人数は減少。時給労働者の賃金も減少
議事堂襲撃の人々の大半はパイク郡のような地方部の出身ではなかったが、ロジャーは地方部に住む白人がこの事件の責任を問われるのではないかと恐れていた
l プライドが地に堕ちるとき――誇り高き愛国者から危険な犯罪者へ
事件のあと、被害の概要と総額の概算が発表されると、多くの誇り高き熱狂的な愛国者は、自分たちが国民世論の場に引きずり出され、人々の非難とショックと恐怖と怒りを浴びようとしていることを悟る。ロジャー率いるケンタッキー東部愛国者連合の一部の会員がトランプ支持を表明するためにワシントンまで行ったものの、今や恥を背負う身となった
議事堂襲撃に加わったのは、過激論者ではなかった。地方部の住民も都市やその近郊の住民に比べて暴力を容認しない傾向が強い
l プライド崩壊への対処法
国民の暴力に対する非難への反応にはすべて、恥への強い抵抗が見られた
トランプが体現しているある種の残酷さを冗談だと笑ってしまえば、トランプの恥も、彼の話を聞いていた聴衆の恥も、蒸発してなくなる
l 起訴――愛国の英雄か反逆者か
事件のあと、FBIの捜査令状が発布され、1265人が起訴され718人が有罪に。誇らしさで一杯だった人が一転して恥ずかしい思いをするはめなった。起訴された中に30人のケンタッキーの住民がいた。みな善良な市民だった
トランプ自身も人生初の起訴に直面。挑発し、刑事訴追という公の侮辱を受けた後、被害者として振る舞い猛然と抗議。恥の撃退法を見事に実践
l ダメ男と別れられない妻のように
「被虐待有権者症候群Battered
Voter Syndrome」(パートナーから執拗に虐待を受けながら逃げられない女性の心理状態を指すBattered Woman Syndromeをもじったもの)だという男性は、自分がトランプを選んだのだから仕方がないという
トランプの恥撃退法には、5つ目の最終ステップがある。トランプは自分を侮辱した者を攻撃することにより、繰り返し約束していた敵対者への「報復」に向けて支援の基盤を固める。新しい職員は憲法や法の支配ではなく、トランプ自身に忠実であることが求められる
‘20年にトランプの勝利を信じ、プライドが「盗まれた」と感じた多くの人々にとっては、未解決のプライド・パラドックスと、そのために生まれた不当な恥を捨て去りたいという思いがすべての始まりだった
第15章 共感の橋
様々な調査で、共和党支持者と民主党支持者は自分たちが思う以上に同じ見解を共有していることが明らかになっている。平均的な一般市民は、男女ともに党の指導層より穏健な考え方をする傾向にあり、互いに相手を過大視している。そのような結果は、政治的分断を超えて両者が歩み寄れる可能性があることを示唆。保守の方がリベラルよりも、他者への許容度が異なる相手と個人的な繋がりを持っている人が多い
l 橋の上段――立ち上がり、還元して、手をさしのべる
橋渡しになる人の生きざまには誇りと恥に関係した上段・下段2つのパターンがある
パイクヴィル大学専任牧師のミュージックの物語は、二重構造の橋の上段に位置する
白人にも黒人にも同じように接する
l 下段――どん底に落ちて、立ち上がり、手をさしのべる
ブラウニング(第10章)の物語は、もう1つのパターン。どん底に落ちてから更生し、今では更生支援センターで働き、アフリカ系アメリカ人に手をさしのべる
l 国民的ストーリーのヒント
上段は「ノブレス・オブリージュ」、下段は「同じ舟に乗る仲間」
いずれも何らかの共通項があって、異なる人種同士、最低辺層同士をつなぐ橋渡しの役を果たしている
第16章 表 土
本書の始まりは'17年のパイクヴィルでのデモ。その主導者、町を守ろうとした住民、被害に遭う恐れのあった住民、「名もなき人々」、皆が今や国レベルの主要な問題となった「本物のアメリカ人」の人種、宗教、出生率について、様々に相容れない考え方を持っていた
喪失や不当に奪われたり盗まれたりした誇りを巡る苦闘から、私たちは何を学べるか
ヴァージニアとケンタッキー両州知事は、2003.6.14.をハットフィールドとマッコイ両家の和解の日と定め、'17年ハットフィールドの当主が、両家が相違を乗り越えて和解できたのだから、「アメリカも分断を解消して1つになる道があるはずだ」と述べた
「ハットフィールド家とマッコイ家の争い」は、1863~1891年にアメリカのウェストバージニア州とケンタッキー州の州境付近で起きた、2つの大家族による長期間の血みどろの抗争です。アメリカ史上最も長く激しいもの。盗まれた豚を巡る争いが発端。この出来事は、現在でも「終わりのない泥沼の争い」を意味する慣用句として使われています。
l 地域から国へ
南北戦争の再現劇上演の数は南部の方が多い。ケンタッキーでも、南部連合の記念碑の方がはるかに多く、そのうちの1つは、皮肉にも戦争終結後、敗北した南部の人々に向かって「すべての遺恨を捨てよう」と呼びかけたジェファーソン・デイヴィスを記念する高さ約100mの巨大なオベリスク。勝利の喜びよりも、屈辱の痛みや癒しの希求、誇りを失った不安の方が遥かに強い力を持っていたのだろう
l 国から世界へ
デイヴィッド・キーンは、『恥―ある感情の政治学と力』の中で、ドイツ、スーダン、シェラレオネ、イラクの歴史において「恥」にまつわる感情が果たしてきた潜在的な役割について考察。紛争の最中には、食糧不足、民族間の争い、経済的衰退、あるいはそのすべてが混合した状況が起こり得るが、そこには常に屈辱感と、屈辱への抵抗、復讐欲が存在するという。プライドの喪失が喪失のすべてではないし、すべての戦争がプライドの喪失によって引き起こされるわけではないが、戦争で亡くなった人々は、失われた誇りを無視すれば将来どのような事態を招くかを深く考える機会を提供してくれる
l 分断されたアメリカ
私たちが直面している葛藤は、グローバルノースとグローバルサウスの間で起きていることとよく似ている。パイク郡のような地方部の一帯がグローバルサウスによく似た状況に陥り、北の都市部の周縁と化している。かつては地方に暮らしていた貧しい人々数百万人が都市に移住。アッパー・サウスと呼ばれる、ケンタッキーやテネシーのような南部でも北寄りの地域では多くの人が中西部や北部の工業地帯に移っていった。そして残留組は、自分たちがどのように見られているかを知っている
アメリカの忘れられた地域に救済はやってくるのか。現在景気は上向き、ケンタッキー州知事は大型投資の誘致を約束するが実現は未知数。人々の話題もガソリン価格や移民の話
この国は行き詰まっているようだ。'24年の選挙を11か月後に控えたこのころ、アメリカ人の半数が暴力の嵐が吹き荒れることを覚悟していた
l どれほどビッグな人物なのか
トランプ支持者との対話の中では、ほとんど「ファシズム」という言葉は出てこなかったが、「トランプ、ファシズム、2024」で検索すると1000万件以上がヒットする
トランプの暴言を実現させないためには、短期的には冷静に話し合ってみること、長期的には不均衡なプライド・パラドックスを解消すること。アメリカンドリームの概念を修正し、その夢を目指す機会を均等にすればどちらも実現することができる。アメリカンドリームの共通概念では、若者は親より「多く」稼ぎ、所有し、「多く」のことをしなければならない。しかしそれより、十分な物資を蓄え、強固なコミュニティを築き、この脆弱な地球を大切にすることを目標としてはどうだろうか。極端なまでに過剰な富を減らし、中間層を再建し、私たちの民主主義を守るガードレールの強化に努めるのだ。そうした目標を誰もが平等に目指せるようにすることで、最も手痛い打撃を受けた地域に蔓延する恥の感情を和らげることもできるだろう
l 山腹で
ケンタッキー州出身でこの地に留まる著名な哲学者ウェンデル・ペリー(82)は、「私たちは、人と自然の繋がりが断たれたその先に暮らしている」と言う。自然のそばで暮らす者は自然の価値を評価せず、都市部の人は自分たち自然破壊していることを知らない
山頂除去採掘法により山腹に捨てられる頂部の土は「表土Overburden」と呼ばれるが、山中に埋もれる石炭のみが価値を持つという考え方で、その上に生きてきた命のすべてを投棄する。Overburdenには「過度の負担」の意もある
アメリカでは今、多くの労働者が自分を表土のようだと感じている。自然と同じく、こうした労働者にも、彼等の生活の環境を破壊した経済マシンが残していった傷跡が見られる
深まりつつある分断の修復を目指す第1歩は、「表土」の顔の1つ1つを認識することのようだ。今取り組むべき課題は、傷の修復と、新たに構想し直したアメリカンドリームに到達する道を広げることであり、第2の課題は、アメリカの民主主義が電撃的な攻撃を受ける深刻な可能性に対し警戒を怠らないこと。「表土」が苦しみを感じるようになれば、そこに目を付けた政治的リーダーによって扇動され、恐ろしい目的に利用されて、多くの人々を傷つける結果を招きかねない。そのようなリーダーは、アメリカの最も貴重な資源である、公正な選挙や、特定の指導者ではなく公務に忠実な政府職員に対し、理不尽極まる異議申し立てをしてくるかもしれない
別れのとき
2023年末には、ケンタッキー東部の政治的景観が真っ二つに割れていた
州知事は民主党だが、’16年、’20年の大統領選ではトランプが60%と圧勝、州議会でも共和党が多数を占める
l マシュー・ハインバック
インディアナ州で共和党支持者を勧誘する活動に従事。時給23ドル。トランプではなくニッキー・ヘイリーを推す。将来は家族ともどもロシアへの移住を考える
l アレックス・ヒューズ
膨大な借金を返すためにドミニカ人の奥さんが働き、アレックスは主夫に。今は年収15万ドルの新しい仕事に就く
l ワイアット・ブレア
KKKの忠実なメンバーだったが、回復プログラムを受講し、減刑措置を受け出所したが、すぐに再犯で刑務所へ
l デイヴィッドとシェイ――メイナード夫妻
デイヴィッドのモンスター・アートが人気上昇中
l トミーとメラニー ――ラトリフ夫妻
‘22年大洪水の被害に遭い、土地家屋が水没。プライドそのものが水に流されたように感じた
l ロジャー・フォード
'20年のトランプ支持のパレードを企画したロジャーは、気候変動を否定するわけではなく、他の燃料と組み合わせて石炭産業の生き残りを図ろうと考え、さらには太陽光発電にも手を出している
l ジェイムズ・ブラウニング
同じ依存症カウンセラーの女性と再婚し、薬は完全に抜けて幸せな暮らしを得た
あとがき
大統領に返り咲いたトランプの暴政ともいえる新政策の連発が始まる
KY-5では、かつてはこぞってルーズベルトのニューディールを熱烈に支持し、クリントンに投票したものだが、’16~'24年にはトランプに投票。ただ、45%は投票に行っていない
本書に登場した人々はトランプの新政策をどうとらえているのか。彼らは特異なパラドックスに直面している。州予算の38%が連邦の補助金で賄われ、その多くがKY-5に支給されるが、トランプに投票した人々は、連邦政府の補助削減を目論む男を支持する羽目になっている。トランプを信頼し、生活を良くしてくれると期待している。自らのフードスタンプ打ち切りを恐れてはいるが、政府の支出削減には賛成
予想もしなかった形で次々と縁が繋がり、本書で取り上げた人たちのほとんどがお互いに少し親しくなった
岩波書店 ホームページ
内容
「盗みを止めろ!」石炭産業の空洞化で職と誇りを奪われた男たちの喪失感を埋めたのは、アルコール、薬物、そして政治だった。トランプの支持基盤を追った『壁の向こうの住人たち』から8年。経済に加え、感情のアメリカンドリームの梯子からも転落した人生の物語を聴き、分断を乗り越える糸口を探る社会学者の旅は終わらない。
盗まれた誇り A・R・ホックシールド著
トランプ支持者の恥の意識
2026年4月25日 2:00[会員限定記事] 日本経済新聞
トランプの支持基盤を追った話題作『壁の向こうの住人たち』出版から8年、徹底した現地調査で知られる社会学者はアパラチア地方に移住し、トランプを支持する労働者層の男性の感情の理解を試みた。
著者が訪れたケンタッキー州パイクヴィルは、全米の下院の中で2番目に貧しく、人口に占める白人の割合が最も高い選挙区にある。人々に豊かさと誇りをもたらしていた石炭産業が衰退した後、その空隙を酒と薬物が埋め、深刻な社会問題に悩まされている。
著者が出会った人々は皆、勤勉と個人責任をとても重視している。社会の最下層ではないが、経済構造の変化故に、アメリカンドリームを実現するのは困難だ。誇りを喪失し、敗者としての恥を背負い込んだ貧しい人々は、福祉拡充を訴える民主党ではなくトランプを支持した。
トランプは2020年大統領選挙が盗まれたと繰り返し主張する。また、相手を侮辱し、自分が侮辱され、被害者となり、侮辱し返すというショーを繰り返す。被害者としての立場を強調するトランプの主張を聞く中で、人々の喪失の経験は「盗まれた」という被害者意識に転化する。恥の感情に苦しみ、二大政党から見捨てられたと感じていた有権者は、トランプを通して、悲しみを怒りに変換した。そしてトランプは、自分を侮辱した敵対者への報復に向けて支援の基盤を固めようとしている。
本書の議論は17年に起きた白人至上主義者のデモ行進への対応を軸に展開される。興味深いのは、トランプに投票した人々の中でも白人至上主義に賛同する人は少ないことだ。著者によれば、地方部の住民は暴力を容認しない傾向が強いという。また、当該デモの首謀者の人生も激変し、ユダヤ人高齢者施設で働いたり、黒人を仲間と考えるようになったという。
著者は分極化した米国のメディアで取り上げられることが少ない人々の声に耳を傾けることで、危険な時代を鋭く分析するとともに、分断を乗り越える道筋を提示する。分断が強調される陰で「共感の橋」を築こうとする人がいる事実に、著者は希望と可能性を見出(みいだ)す。
過剰な富を減らして中間層を再建し、夢を目指す機会を平等にすることが民主主義の破壊を防ぐためには必要だという著者の主張に耳を傾けたい。
《評》成蹊大学教授 西山 隆行
原題=STOLEN
PRIDE(布施由紀子訳、岩波書店・3960円)
▼著者は米社会学者。カリフォルニア大バークレー校名誉教授。著書に『タイム・バインド』など。
「盗まれた誇り」書評 米社会を描き出す感情の袋小路
評者: 高谷幸 / 朝⽇新聞掲載:2026年04月18日
盗まれた誇り──喪失と恥と右派の躍進著者:A.R.ホックシールド出版社:岩波書店
感情社会学のパイオニアとして知られる著者は、近年アメリカの政治的分断に懸念を抱き、分断の在処(ありか)を探究するようになった。その二作目となる本書は、東部アパラチア山脈の裾ケンタッキー州パイク郡が舞台だ。
この地域は、下院選挙区の中で二番目に貧しく、白人の割合が最も高い。炭鉱の閉鎖に続き、グローバル化の打撃を受け、経済の衰退と薬物危機の拡大を経験してきた。それに伴い、政治的にも共和党支持が多数派となり、トランプ氏への投票が最も高い地域の一つとなった。トランプ政権副大統領J・D・バンス氏の自伝『ヒルビリー・エレジー』で有名になったように、この地域の白人は「ヒルビリー」と呼ばれ蔑まれる傾向もある。
バンス氏の自伝がヒルビリーに焦点を当てたのに対し、本書は、この地域で「上から下、左から右」まで多くの立場の人びとに話を聞き、かれらの経験や感情を内側から理解しようとする。
著者が特に着目するのは男性の感情、具体的には誇りと恥だ。共和党支持の州では、アメリカンドリームを達成する機会が減少する一方、その機会を得ることに対する個人の責任や勤勉という文化信条が根強い。この地域の保守派にとっても、成功は誇らしく、失敗は恥ずかしいものだ。
このような機会と信条のギャップからなる「プライド・パラドックス」の下、人びとはままならない経済環境とその帰結に誇りの喪失と謂(いわ)れのない恥を感じている。そこでは、薬物や酒に頼り恥を内に向けるか、外に吐き出すか、あるいは独自の解決策を見出(みいだ)すほかない。最終的には、誇りが「盗まれた」と感じてしまうかもしれない。実際、かれらの苦難につけ込み、白人ナショナリストが来て、排外的なデモという「解決策」を提示さえした。
本書が描き出すこの感情の袋小路は、トランプ政権下で、また世界各地で、ますます出口を失っているようにみえる。
◇
A.R.Hochschild 米カリフォルニア大バークリー校名誉教授(社会学)。著書に『壁の向こうの住人たち』など。
◇
布施由紀子訳
(インタビュー)トランプ氏の「感情の捕獲」 米社会学者、アーリー・ホックシールドさん
2026年5月8日 5時00分
トランプ米大統領の「誇りを取り戻そう」という呼びかけが、2期目は「誇りは盗まれた」となり、支持者たちが抱える「恥」を「怒り」に転換している――。8年ぶりにインタビューした社会学者アーリー・ホックシールドさんはそう語った。保守的な土地に通い、人々の感情を解読することで、何が見えたのか。
――前回2018年夏のインタビュー後、ケンタッキー州に通ったのですね。
「新著『盗まれた誇り』は、ケンタッキー州にある全米で2番目に貧しく、白人の割合が最も高い選挙区が舞台ですが、トランプ氏の最も熱烈な支持層、非大卒の白人層の物語です」
「要点は二つ。彼らがどう感じたいと望んでいたかという『感情の素地』。そしてトランプ氏がその感情をどうつかんだかという『感情の捕獲』です」
――まず、感情の素地とは。
「喪失の物語です。人間は『新しいものを手に入れるため』よりも、『一度持っていたものを失った後にそれを取り戻すため』に倍の代償を払おうとする。人々がカリスマ的な政治指導者にひかれる傾向を考えるとき、まずこの喪失に目を向けなければなりません」
「それは仕事の喪失、機会の喪失、居場所の喪失、何より『誇り』の喪失でした。彼らは非常に誇り高く、『私たちは貧しい』とは言わない。彼らの文化で貧困は恥だからです。その代わり『どれだけ工夫して乗り切ったか』を語りました。しかし外部からは貧困層としか見られませんでした」
「グローバル化は勝者と敗者を生みました。非大卒の白人たちは、都市部の大卒白人や、自分たちより貧しかった黒人が上昇していく中で、敗者となった。この喪失感がトランプ氏を受け入れる素地となりました」
――では「感情の捕獲」は。
「民主党の前大統領バイデン氏は『あなたのために作ったインフレ抑制法を見てほしい』と実績を語る。一方、カリスマ指導者は『私が何をするかではなく、私自身を見ろ。私があなたの代弁者であり、あなたを救い上げる』と語りかけます」
「トランプ氏は、民主党と(従来の)共和党が提供しなかったものを彼らに与えた。『感情の捕獲』の3要素です。第一に『承認』。『私は誇り高かったあなたが、今はどれほど見下されているかを知っている』と語りかける。私は薬物依存の回復施設で元炭鉱労働者の男性に会いました。彼は『炭鉱を復活させる』と叫ぶトランプ氏を見て、うそとわかっていたが、自分のことを理解していると感じた、と語りました」
「第二に、トランプ氏が厳格な父の元で『恥をかかされた男』ということ。没落階級が抱える『構造的な恥』の鉱脈を掘り当てる天才です。『あなたの誇りは消えたのではなく、盗まれたのだ。私が泥棒に報復する』という物語で、『恥』を『非難』へと変換する。鬱々(うつうつ)とした『消極性』を『積極行動』へと反転させる」
「第三に『恥の撃退儀式』を提供する。(1)彼が異常な発言をする。(2)メディアが非難し恥をかかせる。(3)彼が『見下されている私を見ろ。あいつらは私を通してあなたを攻撃している。私が恥を引き受ける』と主張し、身代わりの被害者となる。(4)『あなたたちのために報復する』と語る――というように」
「米国の半分、民主党支持層は、(1)と(2)を聞いている。しかし、共和党側やグローバル化の敗者は(3)と(4)を見ている。つまり、米国人は感情の面で同じ大統領すら見ていないのです」
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――とはいえ、「失われた」が「盗まれた」に変わるには飛躍があります。
「それがトランプ氏のやってのけた手品です。人々は他人を責めたがっていた。恥という感情を抱え続けるのは苦痛で、生き延びるには何らかの誇りが必要です。そこで彼は『(喪失について)自分を責めるな。盗んだのはあいつらだ』と語りかけた。あいつらとは誰か? それは教育を受けた人々、民主党員、移民、最終的には『あなたと似ていない誰か』。どんどん拡大しました」
「物語は今、『あいつら』を罰してやるという『報復』に移っています。1期目は『誇りを取り戻せ』という多幸感が中心だったのが、今は『敵を探し出して激怒しろ』という段階に来ている。私たちがどこへ向かっているのか恐ろしくなります」
「第1次世界大戦で敗れて賠償金を課せられ、国全体が喪失感と屈辱にまみれていたドイツで、ヒトラーも人々の『恥』を巧みに利用したのです」
「ただ、イラン戦争や物価高に直面し、『戦争に巻き込まない』『エプスタイン文書を公開する』といった約束を彼が破るさまを見て、共和党から無党派層へと離れる人々も一部で出てきています。『感情の捕獲』の魔法が、少しずつ解け始めている感覚もあります」
――人々は、「誇り」を得ることを政治に求めるようになったのでしょうか。グローバル化やデジタル化の時代に誇りを感じることが難しくなり、その埋め合わせを欲している?
「現在の米国では相反する現象が衝突しています。一つは、経済の硬直化。先進国で、米国は今や階層間の移動の可能性が最も低い国です。一方、若者の6割が『億万長者になりたい』と答えている。機会が極端に減ったのに野心は高い」
「人工知能(AI)革命前夜の今、今後5~6年でエントリーレベルの仕事の60%が消滅すると予測されている。ホワイトカラーの業務でも半分以上でAIの性能が人を上回る。私が炭鉱離職者らに見いだした『喪失』と『恥』、そこから右翼政治に絡め取られるということが、世界中のホワイトカラー層にも起きる危険があるのです」
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――経済を「プライド経済」「物的経済」に分類していますね。
「物的経済とは収入や家の価値といった数字です。プライド経済とは『自分は高い地位/低い地位にいる』という感覚です。私たちは両方に生きている。プライド経済の重要性について過小評価していると、見落としてしまうことがあります」
「例えば、ジェンダー。トランプ氏は、カールした長い髪の『スーパーウーマン』を最前列に置き、人々を再ジェンダー化している。そこに新たな『誇り』を結びつけています」
「経済的に落ち込んだ地域に向けては、『あなたは米国生まれの白人で、異性愛者の男性だ』と言い、価値が高いことだ、と語りかける。(現代社会では)そうした肌の色や性別に特別な価値は認められませんが、彼はその値札を付け替えているのです」
「彼は『生得的地位』、生まれつきの属性の価値をプライド経済の中で上げようとしている。ある種の『偽りの階層移動』です」
「物質的な豊かさや数字ばかりに目を向けていると、人々の感情面で起きている変化を、私たちは見落としてしまいます」
――バイデン前政権は「物的経済」では仕事をしたが、「プライド経済」への配慮が足りなかったと?
「その通り。政権の幹部から電話がありました。『巨額の予算を保守的な州に用意したが、私の声が届かない』と言っていた。トランプ氏による『感情の捕獲』に阻まれているのです」
――「プライド経済」の論理も理解できる「バイリンガル」になることは、民主党が勝つための戦略だということですね。
「そうです。相手の感情の論理を解読するバイリンガルにならなければなりません。分断を終わらせるためには、社会の感情を解読する必要があります」
――トランプ現象は米社会で定着したのでしょうか?
「そうは思いません。今は激しい流動期です。多くの人々が幻滅もし、混乱もしているので、それが完全に固まって、ニューノーマルとして定着したとは思いません」
「私は、地域レベルの活動に希望を抱いています。調査した地域で、トランプ支持者と反対派が会って話したいと集まりました。『全ての意見に賛同する必要はない』というスタンスで。希望がないようにも見えた地域で『共感の橋』が築けることに私は希望を見つけました」
――民主党やリベラル層はどうすべきでしょうか?
「ある研究によると、自分と意見が違う相手との会話を自分から打ち切ってしまう割合は、保守派よりもリベラル派の方がはるかに高い。皮肉な矛盾です。左派は自分たちを多様性に開かれていると誇る。また複雑な世界だから他の言語を学びたいという傾向が強いのに、実際には違う考えの人々に耐えられない。警戒システムの電源を切って他者の声を聞く訓練が必要です」(聞き手・金成隆一)
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Arlie
Hochschild 1940年生まれ。カリフォルニア大学バークリー校の名誉教授。近著に「盗まれた誇り――喪失と恥と右派の躍進」。「壁の向こうの住人たち」など。
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『壁の向こうの住人』でルイジアナを中心にトランプ支持者たちの考えに迫ったホックシールドが、今度はケンタッキーでアパラチアの人々の考えに迫った本。
ケンタッキーにはKY-5と呼ばれる全米でも2番目に貧しく、近年、急速に保守化が進んでいる選挙区があります。ホックシールドはそこでトランプ支持者の実態、そして必ずしもトランプを支持するわけではないが不満を持っている人々の声を拾い、彼らがどのような状況にあり、何を考えているのかを明らかにしようとしています。
2016年の大統領選挙で最初にトランプが勝ったときは、「まあ、こういうこともあるだろう」と思いましたし、白人労働者の民主党からの離反というのも十分に理解できました。
しかし、2020年の敗北と2021年の議事堂襲撃事件を経ての、24年の大統領選挙での勝利は個人的には飲みにくいものであり、トランプ支持のしぶとさには驚かされました。
本書は、そんなトランプ支持のしぶとさの一端を明らかにしています。
また、トランプ支持者が生まれてくる土壌、それが育つメカニズムについても、人々の声から抽出を試みており、非常に興味深いです。
データ分析だけでは見えにくい、同時にジャーナリストでは誇張されやすい実態を、さまざまな人へのインタビューを通して明らかにしています。
本書は、ケンタッキー州のKY-5の中にあるパイクヴィルという街に、マシュー・ハインバックというネオナチでもある人物からデモを行いたいという要請があったところから始まります。
パイクヴィルでは基幹産業であった炭鉱の閉鎖が進み、白人男性の間で薬物の蔓延も進んでいますが、こうした街がネオナチに目をつけられたのです。
炭鉱の町と言うと、日本でも夕張に見られるように衰退しているわけですが、日本とアメリカの大きな違いは、アメリカでは1980年代まで石炭採掘は儲かる仕事であり、90年代から急速に衰退していったというところです。
だから、炭鉱の閉鎖に伴って周辺で再就職しようと思ってもすでに製造業も衰退しており、サービス業しか残っていない状況でした。
ホックシールドは、彼らの「誇りと恥」の感覚に注目します。
彼らは炭鉱から解雇通告を受けたとき、まずは上司を非難し、大気浄化法を制定したオバマ政権や民主党を非難します。しかし、失業手当が底をつき、つまらないサービス業につかざるを得なくなり、それでも妻に金を渡せなくなると自分を恥じる気持ちが強くなってきます。以前は福祉に頼る人間を見下していたのに、今は自分がそうなっていると。
しかも、貧困の原因を「本人の努力が足りないこと」と感じる人は、民主党支持者が2014年29%→17年19%に対して、共和党支持者は2014年47%→17年56%となっており、共和党支持者の多い赤い州は、より過酷な経済危機に直面しているだけでなく、旧弊な個人主義にも囚われているのです。
第4章ではパイクヴィルで白人主義者のデモを行おうとするマシュー・ハインバックに注目しています。
両親はともに教師で本人も大卒ですが、父のルーツであるドイツ、母のルーツに関係する南部連合がリベラルによって攻撃されていると感じ、次第に白人ナショナリストになっていきました。
ハインバックは教師になることもできましたが、白人ナショナリズムを捨てることができずにあきらめました。
著者に言わせると「彼のなかでは、夢をあきらめたことを誇りに思う気持ちと、夢を求める者に対する侮蔑の念が混ざり合っていた」(74p)という状況です。
ハインバックがパイクヴィルに提案したかったのは、屈辱を非難に、非難を復讐に転換することだった。彼にしてみれば、バラク・オバマの大統領選出、ブラック・ライヴズ・マターの台頭、キング牧師記念日の制定、歴史的施設の改称、南軍英雄の銅像撤去、人種史のカリキュラムの刷新と言ったものは、ことごとく”誇り泥棒”のしわざとしか思えなかったのだ。(75p)
第2部「名もなき人々」では、パイクヴィル周辺のさまざまな人の話が紹介されていますが、わかりやすいのが第6章のアレックスの話です。
アレックスは非常に器用な人物で、家屋塗装、機械の修理、IT系の仕事、タトゥー・パーラーの経営など、さまざまな仕事をこなしてきましたが、景気後退の波に飲み込まれる形で仕事を失ってしまいます。
アレックスは自分の経営判断のミスを認めており、失敗の責任を引き受けることこそ成熟した人間のあり方だと考えています。
アレックス自身の口から、はっきりとそういった言葉が出ているわけではないですが、だからこそ、貧困を人種などのせいにする人間や風潮に腹が立つのでしょう。
アレックスは就職支援プログラムで仕事を得ることができ、また、ドミニカ人の恋人ができたことで再び誇りを取り戻し、白人ナショナリズムのデモから距離を取ろうとしていますが、自立の精神を強く持っているがゆえに他者を攻撃するということは十分にありえるのです。
第8章でとり上げられているデイヴィッドはパイクヴィルの中でも特に貧しい地域のトレーラーハウスで育っており、自らも障害をもつなど困難を抱えていますが、やはり白人ということで自分の境遇は理解されないと考えています。
離婚が多く、周囲にはヤクの売人もいて…という境遇はスラムの黒人と似ていますが、デイヴィッドには「ストーリー」がないのです。
「おれとしては、自分は白人だ、だから特権が与えられているってことしか言えない。おれは最初からそういう特権があるから、それで前に進めるはずだってなるんです。でも進めなかったらどうすればいいのか。おれは、人種差別のせいで何も手に入れられなかったわけじゃない。怠け者でばかだったから何も残ってないんです。言い訳ができません。」(161−162p)
デイヴィッドは二大政党の双方に違和感を感じています。
「民主党は肌の色とジェンダーと性的アイデンティティしか気にかけていない。だからおれは民主党を支持しません。共和党は愛国心と税金のことしか頭にないんです。レイシストか金持ちが多くて、社会階層があるなんて思いもせず、おれに自力でがんばれと言ってくる。だからおれは共和党とも合わないんです。(164p)
そんなデイヴィッドは自分のことを自嘲気味に「フェイク・レイシスト」だと言っています。自分はレイシストではないが、こういう話をよそですれば白人の自分は「レイシスト」だと思われてしまうからです。
第10章で紹介されているジェイムズは薬物中毒に陥っていた人物です。
アメリカに蔓延するオピオイドをはじめとする薬物中毒についてはアン・ケース/アンガス・ディートン『絶望死のアメリカ』に詳しいですが、これらの鎮痛剤(本書で中心的にとり上げられているのはオキシコンチン)は、規制の緩い州、つまり共和党が強い赤い州で蔓延しました。これは薬の処方に際して規制の強い州(青い州)では州の医療当局への書類の提出が必要なのに対して、緩い州では必要ないからです。
こうした中でジェイムズは薬物に手を出し、徐々に強い薬物へと手を出し、3回もオーバードーズを経験してしまいます。
ジェイムズは薬物と「恥」の関係について次のように述べています。
おれは自分の恥に向き合わずにすむよう、薬に手を出しました。すると、今度は薬をやっていることが恥ずかしくなる。つまり、恥のサイクルにはまってしまったんです。(202p)
また、この章では大学まで行ったジェイムズの姉のアシュリーが家族や親戚がいる中で、「白人の特権」について話そうとすると、全員が烈火のごとく怒り出し、父に叩き出されたという話が印象的です。
決して豊かではない中でまじめに働いてきた人々には、「特権」という言葉は侮辱以外の何物でもなかったのです。
第11章では、本書が焦点を当てた2017年4月30日のパイクヴィルでの白人ナショナリズムのデモの顛末が描かれていますが、結果としてこのデモの小規模なものに終わりました。
3000〜6000人が集結するという予想もありましたが、100人前後の白人ナショナリストと約200人の反対派が集まっただけでした。地元の人々はほとんど通りには出てこなかったのです。
ハインバックはこのあとのシャーロッツヴィルのデモで死傷者を出す騒ぎを起こすのですが、パイクヴィルに関しては不発に終わったと言えるでしょう。
本書ではパイクヴィルの人々に話を聞いていますが、どちらかというと政治(対立)から距離を取っている人が多く、熱烈なトランプ支持者は少ないのですが、第13章でとり上げられているロジャーは熱烈なトランプ支持者です。
父親はパイク郡の保安官を務める傍らで教師もしており、その生活は安定していました。著者は「ドナルド・トランプに魅了された人々のほとんどは、社会の最下層 〜 読み書きができず、つねに腹をすかせている層 〜 ではなく、成功を夢見て大志をいだいているか、うまくいっているとは言えない地域ですでに成功をおさめている階層に属していた」(254p)と述べています。
ロジャーはトランプが自己中心的なナルシストだと認識していますが、そのトランプの欠点は次のように聖書のエピソードを結びつけられて正当化されています。
神はたまにご自分の仕事を成し遂げるのに、欠陥のある者を使者として選ぶことがあります〜ノアは飲んだくれでした。アブラハムもそうです。ダビデは自分が姦淫した女の夫を殺し、彼女と結婚しました。彼らには欠点がありましたが、神はご自分の目的のために彼らを利用されたのです。この理屈でいけば、トランプの道徳的な欠点 〜 ナルシシズム、頑固さ、復讐好き、屈辱を断じて受け入れない姿勢 〜 は神の道具であったと言えるのです(261p)
ここまでくると、トランプがいかに嘘をつこうと、スキャンダルを起こそうと、その支持が揺るがないというのもある程度理解できます。
この章では、著者なりのトランプの行動パターンも分析されています。
まず、トランプは公然と挑発的な発言をします(「メキシコは犯罪者を送り込んでいる」など)、これに対して有識者が反発しトランプを非難します。すると、トランプは侮辱された被害者としてふるまいます。そして、あなたがたもこうした目に合うかもしれないというのです。最後にトランプは自分を侮辱した人々に怒鳴り返します。トランプが悪いにもかかわらず、この段階で支持者にはカタルシスが発生するのです。
トランプがバカげた発言をやめない裏にはこうしたメカニズムのようなものがあるのです。
第14章では、2021年1月6日の議事堂襲撃事件とそれに対する反応がとり上げられていますが、その中でトランプにあきれながらもトランプ支持から完全に縁を切れない人の心理が「ダメ男と分かれられない妻」という喩えを使って説明されています。
最初は『いいさ、トランプはおれが選んだ男なんだから』と思っていました。『石炭火力推進、人工妊娠中絶反対、銃規制反対、反税、愛すべき男だ、そうだろう?』ってね。だがしばらくすると、彼はきちんとした人たちに喧嘩をふっかけるようになりました。それでもわたしは最初は『まあ、いいさトランプはおれが選んだ男なんだから』と思っていました。そこへ1月6日の事件です! 『もうがまんならない。あいつとはおさらばだ』と思いました。しかし民主党の連中が寄ってたかってトランプを攻撃するのを見てると、たまらなくつらくなるんです。連中があれをやるたび、わたしはトランプに戻ってしまう。(308p)
第15章では民主党支持者と共和党支持者の分断がとり上げられています。両者の間には価値観の違いがありますが、実際にはそれを互いに過大に見積もっています(例えば、共和党支持者に「ほとんどの警官は悪者だ」と考えている民主党支持者はどれくらいるか? と聞くと50%と答えるが、実際は15%(313p))。
ただし、人種問題については大きな溝がありますし、「政治的な意見が異なることがわかるとすぐに関係を断ってしまう人の割合は、保守的な共和党支持者よりもリベラルな民主党支持者のほうが多い」(314p)そうです。
しかし、著者が話を聞いたパイクヴィルのどん底を経験した人々の中には、異なる人種、異なる立場をこえてつながりを持つ人もいます。「共感の橋」がかかる可能性はあるのです。
「あとがき」では、第2次トランプ政権がスタートしたあとのことも少しフォローされていますが、トランプが無茶苦茶なことをやっても、その支持が変わらない人もいます。
イランとの戦争の泥沼化もあり、さすがにトランプ支持も徐々に剥落していくとは思うのですが、その任期はまだ半分以上残っています。
そして、ポスト・トランプがどうなるのかも含めてトランプ支持者の動向とアメリカ社会の状況については今後も注視していかなければならないでしょう。
そのためにも本書は重要な本です。
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