娘が母を殺すには 三宅香帆 2025.6.26.
2025.6.26. 娘が母を殺すには
著者 三宅香帆 文芸評論家。1994年生まれ。高知県出身。京都大学大学院人間・環境学研究科博士前期課程修了。著作に『(読んだふりしたけど)ぶっちゃけよく分からん、あの名作小説を面白く読む方法』、『推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない―自分の言葉でつくるオタク文章術』、『文芸オタクの私が教える バズる文章教室』、『人生を狂わす名著50』など多数。
発行日 2024.5.15. 第1刷発行
発行所 PLANETS/第2次惑星開発委員会
まえがき
大学生の頃から、ずっと見ているSNSアカウントがある。
医学部に入学し、大学卒業後は研修医として努力を重ね、いまは立派なお医者さんとして働いている女の子のアカウントだ。
彼女はコスメが好きで、お洋服が好きで、そして素敵な実家に住んでいる。どういうきっかけで私が彼女を知ったのかはよく覚えていないのだが、たまにアップされるお洋服やバッグや靴は、いつもセンスが良くてかわいくて、なんとなく好きになった。
世間から見たら彼女は、裕福な家庭に生まれ、高収入の仕事に就き、趣味も充実している、恵まれた女の子に見えるだろう。世間というよりも、私はそう思っている。素直で、真面目で、努力家な女の子。そしてその努力が実り、何不自由ない生活を送っている女の子。
SNSをフォローし始めた頃の印象で、つい私は「女の子」と書いてしまっているが、彼女はいまや30代半ばの立派な女医さんである。仕事に対する葛藤や「彼氏ができない」といった悩みがSNSに投稿されることもあるものの、たまにちょっといい買い物をして、素敵なカフェでお茶をして、家族で旅行して、日々を楽しく暮らしている。
しかし彼女がSNSで呟く言葉のなかには、ひとつだけ、いつも気になるものがある。
「お母さん」という言葉である。
お母さんに、「デブ」って言われた。
お母さんに、「あなたにまともな仕事なんてできるわけない」って怒られた。
お母さんに門限を設定されているから、飲み会に行くことができない。
お母さんに、「そんなんじゃ、彼氏なんてできるわけがない」って言われた。
お母さんに、「本当に結婚しないの? 彼氏いないの?」って聞かれた。
もう30代も半ばを過ぎた彼女の言葉には、しばしば「お母さん」が強い存在感を持って登場する。そしてどうやら彼女は、「お母さん」の満足を得ることができないなら、自分の人生を100パーセント肯定できない、と感じている。
私は不思議に思った。
彼女は安定した収入も、友人も趣味も持っている。その気になれば、実家を出ていくこともできるはずだ。母親に「デブ」と言われたからといって(たしかにショックだが)気にする必要はないし、門限を設定されたとしても「大人なんだからほっといて」と言えば良い話ではないか。それなのに、なぜ彼女は母の言うことをこれほどまでに聞くのだろうか。
しかし、どうやら彼女にとって、母の言葉は絶対的なものであるらしかった。
お母さんに肯定されないと、自分を肯定できない―そのからくりが、私の目には、とても不思議に映った。
そしていまも、私は彼女のアカウントを見つめながら、ずっと考えている。
彼女はどうすれば、「お母さん」の呪縛から解放されるのだろうか、と。
「母と娘の関係は、こじれやすい」
世間ではそんなふうに言われている。
母と娘の間には、外側から見てもわからない、ドロッとした複雑さが存在しているのだ。
なぜ母娘関係は複雑になってしまうのか。どうしたらこの複雑さを解消できるのか。
この問いについて私は、さまざまなフィクションを通して考察した― 小説、漫画、ドラマ、映画などのフィクションは、いつだって、その時代の問題を反映するからだ。
その結果辿り着いたのが、本書のタイトルになっている「母を殺す」という概念だった。
あまりに物騒なタイトルに、いささか驚いた人もいるかもしれないが、もちろん「母殺し」とは、物理的な殺人を意味するものではない。そうではなく、本書で主張したいのは、古来多くのフィクションが、息子の成熟の物語として「父殺し」を描いてきたように、娘もまた精神的な位相において「母殺し」をおこなう必要があるのではないか、ということだ。
とはいえ、このまえがきを読んでくださっている人のなかには「いくら抽象的な話と言ったって、『母を殺す』なんて……」と苦笑する人もいるかもしれない。
だが、本書の執筆を進めるなかで私は、やはり「母殺し」をメジャーな概念にすること以外に、母娘関係の複雑な問題を解決する方法はないのではないか、と思うようになった。
母娘の問題―それは、虚構を生きるヒロインたちの問題であり、現実を生きる女性たちの問題であり、SNSで私がずっと見ている女の子の問題でもある。
彼女はたぶん、私のことを知らないし、この本が彼女に届く可能性は極めて低いだろう。
それでも私は本書の執筆中、ずっと彼女に伝えたいと思っていた。
余計なお世話かもしれないが、あなたに必要なのは「母殺し」ではないですか、と。
第一章
「母殺し」の困難
1 母が私を許さない
・「それは母が、ゆるさない」
太宰治の『人間失格』より抜粋
それは世間が、許さない
世間じゃない。あなたが、許さないのでしょう?
そんな事をすると、世間からひどい目に逢うぞ
世間じゃない。あなたでしょう?
いまに世間から葬られる
主人公は、「世間というものは、個人ではなかろうか」と気づいた時から、自分の意志で動くことができるようになり、少しだけ「わがまま」になった、と回想する
私はこの小説を読むとき、「娘」たちのことを考える。それは「母の娘」たちのこと
「世間がゆるさない」という同じ呪文が「母」から「娘」に受け継がれていく
「娘」にとって、「世間」とは――ほかでもない「母」のことではないか?
・2018年の滋賀医科大学生母親殺害事件の存在
本書は、「母と娘」を主題としたフィクションを読み解く本
母と娘の関係は、こじれやすく、複雑なものになりやすい。とりわけ娘が母に向ける葛藤は、多くの小説や漫画にもしばしば描かれてきたが、母娘問題の本質的な解決策は提示してこなかった
どうすれば、娘は母の呪縛から逃れることができるのか?
本書は、娘が「母殺し」を達成する方法を、フィクション作品の中に見出そうとする
2018年の殺人事件はノンフィクション。母に医学部進学を強要され、9年もの浪人生活を強いられた娘が母を惨殺した事件で、『母という呪縛 娘という牢獄』として出版
娘の手記に、「私の行為は決して母から許されない」とあったのに違和感を覚え、母娘問題そのものという強い印象を受ける
・「私の行為は決して母から許されません」
母は頻繁に娘に対して「許さない」という言葉を使う
・なぜ「母から許されたい」と思ってしまうのか
母が娘を育てるにあたって授けた教育や習慣が、彼女自身を形づくっている。母は、娘にとって最も近しい、「規範」を与える存在。「かくあるべし」との価値規範を与える
それゆえに、娘の欲望が、母の与えた「規範」から逸脱するとき、母の許しが必要になる
親が子に規範を与えることは必要だが、成長の過程で子が手放すことも重要な行為
・ 大人になるとは「父殺し」をすることである
親から与えられた規範を手放すことで、子が親を超越することを、文学の世界では「父殺し」と呼んできた。最初にこの言葉を作ったのはフロイトで、息子が成熟するための通過儀礼とする。文学の3大傑作『オイディウス王』(ソフォクレス)、『ハムレット』、『カラマーゾフの兄弟』は、いずれも父殺しの動機が、1人の女性を巡るライヴァル関係だった
・どうすれば「母殺し」は可能になるか?
「父殺し」の前提にある父性原理とは、父が頂点に立つタテの規律で、父の規律から外れた人間は罰されるため、子は父を倒すことで、新たな規範を生み出す側に回る
「母殺し」の前提にある母性原理では、全員がヨコの平等の関係にあり、母の規範の範囲内にいる限り、子は優しく平等に愛されるが、規範の外に出た子を母は愛さない。そのため、母の規範を手放すことでしか「母殺し」を達成することはできない
・「できれば母/娘と仲良くいたい」
「母と娘が仲良くやること」が社会的に良しとされ、それが現代日本の娘の成熟モデルとして、私たちに刷り込まれている可能性があることを忘れてはならない
そのために、「母殺し」はますます難しくなっている
・「母と娘の物語」を読む
「出来れば仲良くやっていきたいが、なぜか仲良くなれない存在」である母娘の関係を描いた作品が年々増えている
2 母が死ぬ物語―「イグアナの娘」『砂時計』「肥満体恐怖症」
・「イグアナの娘」と母の呪い
母の死を契機に、母が自分に与えた規範と向き合う
・『砂時計』が見せる「母殺し」の困難さ
母の死と、「他者を幸せにする」という決意から、「心の弱さ」という母の規範を手放す
・「肥満体恐怖症」と母への愛着
母の死を契機に、一層母の規範を受け入れようとするケースもある
・「母を許せない自分」を愛せない
以上の3作に共通するのは、母の死後、娘たちが母を「許そう」と努力すること
3 「母殺し」はなぜ難しいのか?
・戦後日本の専業主婦文化が生んだ母娘密着
「母殺し」が難しいのは、「母を許さなければならない」という価値規範に娘が既に取り込まれているからで、その背景には、「母と娘が密着しやすい構造」の存在がある――夫婦のディスコミュニケーション、娘の経済的/育児リソースの貧しさ、母のキャリアに対する罪悪感(自分を産み育てるためにキャリアを犠牲にした母への)
・「母」が専業主婦じゃなくなっても
戦後の専業主婦文化が生み出した社会のジェンダーギャップが、母娘の密着関係を強化し、娘の「母殺し」を困難にしているが、専業主婦文化が薄れてもなお「母殺し」が難しいのは、「親のケアを担うのは娘」というジェンダーロールを娘たちが進んで受け入れている
・ ジェンダーギャップと娘にケアを求める母
「息子」は家庭から逃げられるのに、「娘」は出来ないのか。それは、家庭における扱われ方=与えられる規範が異なる点にある
日本のジェンダーギャップは、「娘」を親と対等の存在としてまなざす。そうした期待の視線の下で、娘は親をケアする役割を担い、いつの間にか、「母」をケアする娘が誕生し、母娘密着は永遠となる
・「母殺し」が困難な社会で
母娘密着の原因は以下の4点
①
母が夫より娘にケアを求めてしまうこと
②
娘の経済的自立が困難なこと
③
娘が母の人生に負い目を感じやすいこと
④
娘は息子より「しっかりした子」であり、親と対等な存在として育てられやすいこと
第二章
「母殺し」の実践
1 対幻想による代替――1970~1980年代の「母殺し」の実践
・『残酷な神が支配する』と母娘の主題
母が「弱さ」をもって子を支配すると、その支配から抜け出すのは難しい。「母は弱いから自分が支えなくてはいけない」とこは考える
・「母に代わるパートナーを見つける」という「母殺し」
母を諦め、母に代わる同性のパートナーを見つけるのも「母殺し」の1方法
・「ポーの一族」と永遠のパートナー
・落ちる母、飛ぶ娘
・山岸凉子のキャラクターはなぜ「細い」のか?
「細い」主人公は、「母殺し」が出来ずに自らを傷つける娘の姿
・『日出処の天子』の母の嫌悪とミソジニー
・「母と娘の物語」として読む『日出処の天子』
・母の代替の不可能性
・『日出処の天子』「ポーの一族」それぞれの代理母
・厩戸王子が「母殺し」を達成する方法はなかったのか?
2 虚構による代替―1990年代の「母殺し」の実践
・アダルト・チルドレンと1990年代
「母の代替となるパートナーを得る」のは、結局母の規範の内部に留まっているに過ぎないという限界がある。共依存的な支配関係に陥りやすい
・1990年代の「自由な母」という流行
・戦後中流家庭の「親」への抵抗
雇用機会均等法施行により、伝統的な家庭観を打破する「自由な母」の登場
同時に、「アダルト・チルドレン」という概念が登場、親は自分を庇護してくれるだけでなく、自分を傷つけ得る存在でもあることを広く知らしめた
・「母のような女になること」がゴールの物語
・「母殺し」の必要がない「理想の母」
・「理想の母」は母への幻想を強化する
・現実に「理想の母」は存在しない
・『なんて素敵にジャパネスク』と母の承認
・なぜ瑠璃姫の母は死んだのか?
・母のいない世界で、娘は自由に生きられる
3 母を嫌悪する―2000年代以降の「母殺し」の実践
・『乳と卵』が描いた、母への嫌悪
・川上未映子が『乳と卵』を描いた時代
・『乳と卵』の達成と限界
・「母殺し」の物語としての『爪と目』
・『爪と目』が浮き彫りにする「母殺し」の困難さ
・団塊ジュニア世代と「毒母」の流行
第三章 「母殺し」の再生産
1 自ら「母」になる――もうひとつの「母殺し」の実践
・『銀の夜』と母娘の「生きなおし」
・自己実現の規範の再生産
・「母殺し」の実践としての出産
・『吹上奇譚』と終わらない「母殺し」
・吉本ばななと「母になろうとする娘」
・『キッチン』とごはんを用意する「母」
・ごはんをつくらない「母」
・「大川端奇譚」の無自覚な娘
・母からの規範に気がつかない娘
2 夫の問題
・「母殺し」の実践と困難
・『凪のお暇』と母の規範の再生産
・夫の逃走、娘によるケア
3 父の問題
・シングルファザーの育児物語
・なぜ『SPY×FAMILY』のアーニャは人の心が読めるのか
・『Mother』の物語において「父」はいなくてもいい
・『カルテット』と夫婦のディスコミュニケーション
・坂元裕二の主題としての「コミュニケーション」
・『大豆田とわ子と三人の元夫』の提示したディスコミュニケーションの解決策
・「甘えさせる母」としてのシングルマザー
・3人の息子に囲まれた大豆田とわ子
・子どものいる夫婦の対等なコミュニケーションは描かれ得るか?
第四章 「母殺し」の脱構築
1 母と娘の脱構築
・母娘の構造
・「母殺し」の達成条件
母の規範を相対化し、自分の欲望を優先すること
・母娘関係の脱構築
「母殺し」に必要なのは、母と娘の2項対立の世界から、母娘以外にも誰かが存在している世界に移行すること。複雑な関係性を取り戻すという概念を哲学では「脱構築」と呼ぶが、そこで必要となるのは、娘の欲望
・新たな規範を手に入れる
・母の唯一無二性から脱却する『愛すべき娘たち』
・『私ときどきレッサーパンダ』と更新される「母殺し」
・ 母のコンプレックスが娘のチャームになる
・母の規範が破られるとき
・他者への欲望に気づくことで、母の規範を相対化する
2 二項対立からの脱却
・『娘について』が描いた「母にできること」
・母の規範、娘の幸福
・娘以外の他者を入れる必要性
・甘いケーキだけが幸福ではない
・母娘が、お互いを唯一無二の存在だと思わないために
3 「母殺し」の物語
・自分の欲望を優先する
「母殺し」に必要なのは、娘自身の他者への欲望
・厩戸王子はどうすれば「母殺し」ができたのか?
・ひとつの解を提示する『最愛の子ども』
・娘たちよ、母ではない他者を求めよ
・母娘という名の密室を脱出するために
・「母殺しの物語」を生きる
母殺しのプロセス
①
母の規範の存在に気づき、言語化する
②
母の規範よりも自分の欲望を優先したという成功体験を作る
③
①②を繰り返す
④
母の規範がどうでもよくなる=母の規範を手放す
あとがき
版元ドットコム
版元から一言
『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』で大ヒット中の三宅香帆の最新刊にして初の本格文芸評論。
『母という呪縛 娘という牢獄』など、ノンフィクションジャンルでも引き続き注目が集まっている「母と娘」という主題について作品分析をおこないつつ、現実を生きる「娘」たちへの具体的アドバイスにつなげます。
PLANETS ホームページ
10万部超えベストセラー『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』三宅香帆の最新刊!
「母」の呪いに、小説・漫画・ドラマ・映画等のフィクションはどう向き合ってきたのか?『人生を狂わす名著50』『文芸オタクの私が教えるバズる文章教室』の三宅香帆が、「母」との関係に悩むすべての「娘」たちに贈る、渾身の本格文芸評論!
「毒母」「呪い」「母がしんどい」「母が重い」――いまや社会現象となっている「母と娘の葛藤」は、フィクション作品の中でも繰り返し描かれ、その解法が探られてきた。
本書では、注目の若手批評家・三宅香帆の視点をもとに、「母と娘の物語」を描いた作品を分析し、「母娘問題」のひとつの「解」――「母殺し」の具体的方法を提示する。
「あまりに物騒なタイトルに、いささか驚いた人もいるかもしれないが、もちろん「母殺し」とは、物理的な殺人を意味するものではない。そうではなく、本書で主張したいのは、古来多くのフィクションが、息子の成熟の物語として「父殺し」を描いてきたように、娘もまた精神的な位相において「母殺し」をおこなう必要があるのではないか、ということだ。」――まえがきより
【本書で取り上げる作品一覧】
『イグアナの娘』『ポーの一族』『残酷な神が支配する』萩尾望都/『砂時計』芦原妃名子/『日出処の天子』山岸凉子/『イマジン』槇村さとる/『なんて素敵にジャパネスク』氷室冴子/『乳と卵』川上未映子/『爪と目』藤野可織/『吹上奇譚』『キッチン』『大川端奇譚』吉本ばなな/『銀の夜』角田光代/『凪のお暇』コナリミサト/『SPY×FAMILY』遠藤達哉/『Mother』『カルテット』『大豆田とわ子と三人の元夫』坂元裕二/『くるまの娘』宇佐見りん/『愛すべき娘たち』よしながふみ/『私ときどきレッサーパンダ』ドミー・シー/『娘について』キム・ヘジン/『肥満体恐怖症』『最愛の子ども』松浦理英子/『母という呪縛 娘という牢獄』齊藤彩
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