学習院コレクション 霞会館記念学習院ミュージアム 2025.6.23.
2025.6.23. 学習院コレクション 芸術と伝統文化のパトロネージュ
編者 霞会館記念学習院ミュージアム
学習院は1877年華族子女の教育機関として開校。1949年学習院大学が開学、その付属研究施設として1975年に設立されたのが学習院大学史料館。史料館では開館以来、史・資料の収集・保存、調査・研究、展示・公開を行い、数多くの展覧会も開催。貴重な皇族・華族ゆかりの品々を始め、古文書、絵画、工芸など25万点を超えるコレクションを収蔵する史料館が、2025年3月装いも新たに「霞会館記念学習院ミュージアム」として歩み始める。本書ではミュージアムの学芸員陣がテーマを選定し全体構成に参画、解説文などの執筆を行うとともに、学内、学外を問わず学習院大学資料館にゆかりのある研究者に執筆を呼び掛け、実現したのがこの1冊
発行日 2025.2.10. 初版第1刷発行
発行所 世界文化社
² 華麗なる皇室文化の象徴
高貴なる装い、幸せを贈る慣習――皇室の祝事に際し、女性皇族は服制に準じたドレスをお召しになる。そして慶びを分かち合うためにボンボニエール(菓子器)を贈られる。慶事に相応しい意匠にとんだ西洋由来の小さなボンボニエールは、現在では日本皇室特有の工芸品
丸形鴛鴦文 皇太子ご結婚祝宴――皇太子明仁殿下と美智子様のご結婚祝宴
丸形鳳凰文 平成ご即位饗宴の儀
八稜鏡形梅立涌文 北白川能久親王妃富子の孫永久(ながひさ)王と徳川祥子(さちこ)結婚――永久王のお印「玉」と祥子妃のお印「紅梅」。立涌(たてわく)に梅は婚儀の際の祥子妃の着用した五衣(いつつぎぬ)の文様でもあり、この意匠は貞明皇后のデザイン
洲浜形松波文 高松宮結婚披露宴――洲浜は川の清らかな砂が積もった浜辺のこと。吉祥の形として用いられる
色絵香合形柏文 清子内親王結婚記念――蓋には黒田家の紋(柏)、側面には清子様のお印「未(ひつじ)草」
² 学習院コレクションとは 長佐古美那子(霞会館記念学習院ミュージアム学芸員)
1. 学習院事始め――和魂漢才 京都で生まれた学び舎
学習院の始まりは、公家の退廃を嘆いた光格天皇の指示で1847年、京都御所東側日の御門(建春門)前に学問所が設置され、'49年孝明天皇から「学習院」の名を下賜
漢学と国学が教授され、武士も登院。1870年閉鎖
2.華族の学び舎の始まり――神田・虎ノ門・四谷そして目白へ
1869年に華族が誕生、天皇の勅諭「智を開き才を研く」を得て、’74年「華族会館」創設
'77年子女のための学校を設立、明治天皇より「学習院」の名を賜る
10月17日、開学の地は神田錦町。一般の子女も含め、男子196名、女子59名
当時の正門は、現在学習院女子大学の正門(重要文化財)
実物教授(実物や標本などに触れたり、見ることによって五感を使って具体的に学ぶ教育法)が採用された
'84年、宮内省所管の官立学校となる
'88年、神田校舎の焼失により、虎の門の工部大学校跡地に移転
'90年、3年前入学の大正天皇の通学の弁も考慮して四谷に移転。’94年地震で罹災
‘08年、目白に移転。前年第10代院長として乃木希典が就任。全寮制
3.学習院はじめて物語――制服・袴・ランドセル
制服――華族と一般の服装の違いによる軋轢回避のために制定
ランドセル――通学カバンと定め、徒歩での登校が推奨される
'85年、女子は華族女学校へ。スカート状の海老茶の袴が制服に
4.学習院の歴史
学習院目白校舎百年の記憶――英国をモデルとした郊外での寄宿学校設置を目指す
設計は、文部省技師久留正道(「学校建築の父」)。関東大震災で焼失。1930年中等科教室建築。設計は旧朝香宮邸と同じ権藤要吉
第1章
芸術のパトロネージュ――天皇家を筆頭とした芸術愛好者たちのパトロネージュの賜物
美術を育てデザインする――島尾新(学習院大学文学部哲学科前教授)
パトロネージュの動機は2つ。1つは権威の誇示。もう1つは蒐集
ジャンルを超えた「総合性」こそが学習院コレクションの特徴
² 「絵画」――貴族文化の広がり
l 物語絵
源氏物語 須磨・松風図屏風(江戸中期)
洛中洛外図小屛風(江戸前期)
こもちひじり物語絵巻(室町後期、紀伊新宮藩主から下総国結城藩主水野家旧蔵)
コレクションと複製――京谷啓徳(学習院大学文学部哲学科教授)
王侯貴族が自らの邸宅のギャラリーを飾るために、名品の複製が盛んに作られた
l 模本
餓鬼草子絵巻(模本) (江戸時代、天皇の食膳を司る内膳司・濱島家旧蔵)――原本は国宝(平安時代末期)
伴大納言絵巻(模本) (江戸時代、濱島家旧蔵)――原本は9世紀の応天門の変を題材とした国宝(出光美術館蔵)
百鬼夜行絵巻(模本) (江戸後期、徳川譜代大名石川家家老・牧家旧蔵)――原本は重文、京都大徳寺蔵
l 歌仙絵
三十六歌仙絵巻(江戸時代、濱島家旧蔵)――歌仙絵の名品「佐竹本三十六歌仙絵」から
三十六歌仙額(江戸時代、山階宮家旧蔵)――済範法親王(後の山階宮)が門主を勤めた勧修寺門跡の鎮守社に伝えられた額
「美の玉手箱」を開くとき――近藤壮(学習院大学文学部哲学科教授)
天賦の才に恵まれた芸術家でも、「パトロネージュ」がなければ存在し得ない
学習院コレクションに浦上玉堂の「空山静寂図」があり、孤高の芸術家とされるが、文人ネットワークを通じた様々なパトロネージュという視点から見ると、新たな玉堂像が浮かび上がる
学習院コレクションという「美の玉手箱」にも、そこに込められた人々の思い――パトロネージュの息吹を感じ取ってほしい
² 「工芸」――職人への庇護
明治時代、絵師や工芸職人の生活は一変。幕府や大名家の庇護を失い、新たな創作の道を模索。同じ頃、我が国の工芸品は海外で注目され始め、絵師から転じて工芸品製作や陶磁器の輸出を手掛けるものも多くいた。彼らにより「超絶技巧」と呼ばれる作品が製作され、世界へと発信された。その流れを支援したのが天皇家を始めとする宮家。昭和戦前期にかけ、工芸の伝統と製作は皇族・華族等のパトロネージュによって護られた
l 金彩
l 蒔絵
l 彫漆
l 牙彫
l 銀器
² 「芸術」――学習院の役割
我が国初の美術学校「工部美術学校」設立に携わった後の工部卿・山尾庸三(1837~1917)旧蔵の絵画・彫刻作品が収蔵されている。その卒業生の松室重剛は学習院の西洋画教師となるが、その教え子の武者小路、志賀直哉、柳宗悦らが1910年『白樺』を創刊、大正期の芸術分野に与えた影響は大きいが、その代表格が、戦前期に学習院で学んだ三島由紀夫で、学習院が芸術分野で果たした役割は大きい
l 西洋彫刻――山尾庸三像・少女像(1879~82、いずれもヴィンチェンツォ・ラグーザ)
l 西洋画――山尾忠次郎像(1880~83、アキッレ・サンジョヴァンニ)、春の太陽(1878、アントニオ・ファンタネージ)
l 『白樺』――関東大震災による廃刊までの160号を所蔵
「みみずく」(木下利玄、1898~01)――佐々木信綱に師事、初等科で武者小路と同級
l 文学者
学習院と工部美術学校の縁――戸矢浩子(霞会館記念学習院ミュージアムEF共同研究員)
工部美術学校は、1876年工部省に設置された日本初の官立美術学校
6年で閉校。イタリアから教師を招き、西洋の技法を伝える
初代校長が大鳥圭介。第3代院長に就任、本郷移転後の工部大学校の跡地に学習院移転
工部美術学校の収蔵品を譲り受けただけでなく、人材と教育も引き継いだ
学習院が育んだ文学者たち――冨田ゆり(霞会館記念学習院ミュージアム学芸員)
白樺派は、学習院の同窓生が中心という稀な流派として注目
彼らに刺激されて、学習院では創作活動が盛ん
三島は、学校誌『小ざくら』や校友会雑誌『輔仁会雑誌』に投稿、'41年中等科5年次に『花ざかりの森』で文壇デビュー
第2章
伝統文化のパトロネージュ
古からの儀式・行事・伝統文化を現代まで存続させてきたのが天皇家とそれを支える人々
1975年開館の学習院大学史料館では、それらの関連史料・作品を蒐集、研究を続けてきた
これらの史料を検証し、後世へ伝え守ることも、伝統文化のパトロネージュの1つ
皇室、華族文化を伝える一殿堂として――皿井舞(学習院大学文学部哲学科教授)
正倉院宝物は756年崩御の聖武天皇の49日に、光明皇太后がゆかりの品々を東大寺の大仏に捧げたことに始まる。京都仁和寺の宝蔵には宇多上皇の宝物があり、藤原頼道の平等院宝蔵には中国と日本の名品が収蔵。鳥羽天皇の勝光明院。後白河上皇の蓮華王院宝蔵は絵巻物が多く残るなど、パトロネージュを体現した宝物コレクションは多い
皇族や華族が日本の様々な伝統文化を守る担い手であり続けてきたこと、それと同時に時代に合わせて新しい文化を取り入れて、、創造してきた担い手でもあることを伝える場として、霞会館記念学習院ミュージアムがその役割を担っていく
² 「伝来」――受け継がれたもの
数百年のs歴史を持つ名家が数多く存在し、美術品などが受け継がれてきた。当館にはそれらの名家から10万点を超える古文書類が寄贈されている
l 御宸翰(しんかん)――霊元天皇筆和歌懐紙(江戸中期、桂宮家収蔵の資料を皇后宮大夫・香川家が旧蔵)
l 御写真――皇太子嘉仁親王御署名入御写真(明治後期、皇太子より山階宮菊麿王へ下賜。菊麿王は皇太子妃節子(さだこ、貞明皇后)の姉)
l 宮家のアルバム――1887年、嘉仁親王が皇嗣として初めて学習院へ入学、その皇子たちも学習院へ
l 仏典
l 文書
写真から見る皇族の人々――白政晶子(霞会館記念学習院ミュージアム学芸員)
皇族御写真は多様で、来歴も様々。特に写真を趣味とした山階宮菊麿王の資料群は貴重
世襲親王家――伏見宮家、桂宮家、有栖川宮家、閑院宮家
伏見宮家――伏見宮家(邦家親王)、梨本宮家
伏見宮家(邦家親王)――山階宮家、久邇宮家、小松宮家、北白川宮家、華頂宮家、東伏見宮家
久邇宮家――賀陽宮家、朝香宮家、東久邇宮家
北白川宮家――竹田宮家
名家にのこる古文書――丸山美季(霞会館記念学習院ミュージアム学芸員)
朝廷関係では、平安時代末期から続く堂上家の西園寺家に伝来した文書がある
武家文書では、陸奥国棚倉藩主阿部家の文書がある。徳川譜代で維新後は子爵
乃木希典と学習院――吉廣さやか(霞会館記念学習院ミュージアム学芸員)
1907年、第10代院長就任。翌年迪宮(さちのみや)裕仁親王初等科入学。中等科以上の目白移転、寄宿舎開寮。初等科は四谷、女学部は永田町
² 「文化」――守り続けたもの
皇室や宮家、華族の日常生活で用いる品々には、彼等の文化や伝統として、長年守り伝えられるものが多く存在。金属製の昆虫などの教育標本や置物、玩具類、旅行用具や理髪道具などの日常品も、往時の華やかな暮らしを垣間見せて興味深い
「御爪箱」など、現代へと受け継がれた慣習や、皇后好みの柄を織らせた「御好裂(おこのみぎれ)」は伝統工芸の高度な技術を後世へ伝えるための施策の一つであり、下賜された家々では、それを用いた瀟洒な小品を作らせて、皇室の文化・伝統を守り伝えた
l 御爪箱――徳仁親王(学習院大学史料館客員研究員)
爪切り道具を納めた漆塗りの方形の箱。皇族が7歳ごろまで使用。2つで1セット。鋏が用いられ、手と足別々に用意。七草の日に七草を入れた水に手を浸し年の初めの爪を切る
l 教育――
華族の教育と学術研究――越坂裕太(霞会館記念学習院ミュージアム助教)
皇族・華族には「皇室の藩屏」たるに相応しい「品位」が求められ、「相当ノ教育」を重視。そのための教育機関として整備されたのが学習院で、中等教育までを保障
各家庭独自の教育も施され、家風や文化的資産を活かした教養も重要
阿部正功(まさこと、1860~1925)――草創期の人類学・考古学の発展に尽力
山階芳麿(1900~89)――鳥類研究所創設
徳川林政史研究所、徳川生物学研究所(クロレラ培養)、柳沢統計研究所(国勢調査導入)
西欧社会の道徳律に影響され、各地の学校開設や奨学金に私財を投じて青少年教育を支援した例は多い。文庫や美術館など。教育・学術研究面から郷土や国家の発展を支えた
l 遊具
l 身繕い
l 御好裂
l 洋食器――香蘭社
朝香宮邸のアール・デコ――パトロネージュの近代化と国際化 吉田紀子(学習院大助教)
西洋近代のパトロネージュは、王侯貴族とキリスト教会の手から各国政府と産業資本家の手に移行。20世紀にはヨーロッパの芸術家が世界のパトロンとの関係を築く
1933年、朝香宮自邸に実現したアール・デコ建築と室内装飾は、両大戦間期にヨーロッパの装飾芸術家たちが我国と結んだ唯一無二の関係から生まれた。パリ滞在中にアール・デコ様式に間近に接した夫妻がアンリ・ラパンを起用して宮内省意匠寮に造らせた
世界的な景気後退期に、国境を超えたパトロネージュの側面を指摘できる事業となる
重鎮ラリックの豊潤な照明デザインや、若手アングランのエッチング・ガラスによる扉と引き戸など、大客室と大食堂にアール・デコ様式の多層的展開が忠実に転置された
² 「儀礼」――引き継がれたもの
伝統的な儀式・行事の中にも西洋文化や慣習を取り入れている
上皇后陛下所用の「ローブ・モンタント」は、洋装のドレスでありながら、「佐賀錦」が用いられているのも、西欧文化を取り入れつつも、日本固有の伝統技術の重要さとその美を広く発信したいと願う、皇室の意識の表れ
明治に始まり、伝統的慣習として広く知られるのが慶事の際に贈られる「ボンボニエール」。金工製、木製など、いずれも美術工芸品であり、掌の宝石と呼ぶに相応しい魅力に溢れる
l 挿華――大嘗祭などの祭儀や行事に際して宮中から参列者に下賜された
l 装束
l 石帯
l 檜扇
l ドレス――天皇の洋服礼装は1872年、皇后の洋装化は1886年。翌年、大礼服(マント・ド・クール)、中礼服(ローブ・デコルテ)、通常礼服(ローブ・モンタント)という洋装服制制定
l ボンボニエール――皇室初は1889年、帝国憲法発布式で下賜。明治維新で職を失った刀剣職などの伝統工芸技術を継承・保護し、海外へ宣伝する役割も果たす。皇室の慣習として現在も継続、海外でも日本皇室特有の工芸品として認識されている
皇室の儀礼――田中潤(霞会館記念学習院ミュージアムEF共同研究員)
即位礼における天皇の装束は大陸風の礼服(らいふく)だったが、明治天皇は束帯を用い、大正天皇以降現在の様式に整えられた
自国に根差した文化的土壌の上に立憲君主制による近代国家の建設を進めていく姿の発信こそが、対外的に有効だとの認識がもたれ、伝統的な装束による儀式に活かされた
近代国家初の大正天皇の大礼(即位式・大嘗祭等)は、国力を傾けた一大国家行事であり、高御座(たかみくら)や装束・調度品の新調には工芸・染織など様々な伝統産業の粋が集められた。皇室の儀礼は、政治的・外交的目的のみならず、文化的な面においても重要な役割を果たしてきた
手袋がつなぐものがたり――彬子女王(学習院大学元客員研究員、京都産業大学日本文化研究所特別教授)
三笠宮妃殿下からいただいた革製手袋は、北白川宮妃富子殿下ご所用のものと同じ、フランスのGrant Perrin製で、手の甲の幅が5.5㎝しかない
パトロネージュが産んだユニークな逸品
1915年から皇室では予備品としてボンボニエールを何種類か作り置きして、外国賓客の宮中午餐などの際に下賜される
パトロネージュと芸術家――荒川正明(学習院大学文学部哲学科教授)
陶芸世界でのパトロン
板谷波山――日本独自の陶磁スタイルを確立、陶芸界初の文化勲章受章。東京高等工芸校長の手島精一と東京美術学校長の正木直彦は、波山に皇室の慶事に寄せて宮家に献上する陶芸作品の制作を任せて育てる。久邇宮家も波山を重用。昭和天皇ご大典に際し、皇后から各宮妃殿下へのご贈品とする花瓶(葆光彩磁花卉文花瓶)の制作も委嘱
霞会館記念学習院ミュージアム案内
学習院大学史料館は、学習院大学の付属研究施設として1975年設立
2025年、霞会館記念学習院ミュージアムとして再生
建物は、前川國男設計の「旧大学図書館」を博物館施設としてリノベーション
掲載作品リスト
謝辞
あとがき
世界文化社グループ ホームページ
学習院コレクション
芸術と伝統文化のパトロネージュ
寄贈された25万点以上から日本が見える――。華族文化、美の玉手箱
内容紹介
霞会館記念学習院ミュージアムが収蔵する25万点以上のコレクションから、「日本皇室特有の工芸品」として世界から認識されている「ボンボニエール」や皇室から下賜された優美な「ドレス」をはじめ、精選された至宝をこの一冊に。
他に類を見ない美が「絵画」「工芸」「芸術」「伝来」「文化」「儀礼」の6つのパートで競演。
日本人が大切にしてきた美意識を詰め込んだ「美の玉手箱」です。学習院ゆかりの執筆陣に加え、彬子女王殿下ほかご寄稿。
学校法人 学習院 ホームページ
霞会館記念学習院ミュージアム
展示の紹介
ここでは、最新の展覧会開催情報や、近年当館で開催された展覧会をご紹介しています。
掲載しているのは、チラシやパンフレットまたは図録のうち、配布が可能な無料のもののみです。有料のものやミュージアム・レター等は刊行物のページをご覧ください。
紙面でのパンフレットの入手を希望される方は、事務室までお問い合わせ下さい。
最新展示のお知らせ
学習院コレクション「芸術と伝統文化のパトロネージュ2-まだまだ開く玉手箱-」
霞会館記念学習院ミュージアム開館記念展「学習院コレクション 華族文化 美の玉手箱芸術と伝統文化のパトロネージュ」のご好評にお応えして、開館記念展でお披露目できなかった作品とその他25万点に及ぶ当館収蔵品からパトロネージュに相応しい作品を展示いたします。
学習院の教育理念は今も昔も「豊かな人間性」を育むことにあります。そのため教育教材にも一流の史料・作品が使われています。今展では教育教材に使用されていた、そして現在も使用されている標本類をはじめとする史料・作品の中から「こんなものも教材?」と思わず唸る逸品をご紹介いたします。
また、当館コレクションの代表の一つ「ボンボニエール」も数多く展示いたします。
まだまだ開く学習院コレクションの玉手箱をお楽しみください。
会期:令和7年(2025)6月23日(月)~8月2日(土)
会場:霞会館記念学習院ミュージアム 特別展示室
リニューアルオープン記念展 学習院コレクション
華族文化 美の玉手箱
芸術と伝統文化のパトロネージュ
- 開催期間:2025年3月14日(金)~2025年5月17日(土)
- クリップ数:47
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この展覧会についてABOUT
THIS EXHIBITION
学習院大学史料館は、昭和24(1949)年に開学した学習院大学の附置研究施設として昭和50(1975)年に設立されました。開館以来、史・資料の収集・保存、調査・研究、展示・公開 を行い、数多くの展覧会も開催しています。
コレクションは古文書、絵画、工芸など25万点を超え、なかでも皇族・華族ゆかりの品々は、我が国の歴史と伝統文化を語るうえで欠かせない、貴重な史・資料、美術品群といえるでしょう。そして、2025年3月、学習院大学史料館は「霞会館記念 学習院ミュージアム」としてリニューアルオープンします。リニューアルオープンを記念した特別展「華族文化 美の玉手箱 芸術と伝統文化のパトロネージュ」が、2025年3月14日(金)から開催されます。
古来より、芸術の創作と発展には王侯貴族らをはじめ、それぞれの時代に活躍をした人々が重要な役割を担ってきました。豊富な知識と高い美意識を持った彼らは、優れた芸術作品を収集し、才気溢れる芸術家を見出して、その能力が発揮できるよう惜しみなく援助しました。現在世界有数といわれる各国の博物館コレクションは、こうした人々の芸術への関心と愛好により築かれたものが数多く含まれています。芸術の発展は、彼らによる芸術作品の保護と、芸術家への支援「パトロネージュ」なしには語れません。
わが国もまた、天皇家をはじめとする多くの「パトロン」により、独自の文化や芸術が育まれ、これまで連綿と受け継がれてきました。彼らは伝統儀礼を重んじつつ、日常生活においては歌や文学、書画といった芸術を好み、優れた芸術作品の誕生に大いに貢献しました。わが国の芸術、伝統文化も天皇家をはじめ、国家を支えた人々などのパトロネージュにより発展を遂げてきたのです。
霞会館記念学習院ミュージアムには、天皇家、皇族、華族の学び舎であった学習院ゆかりの史・資料、美術作品など約25万点が収蔵されています。本展ではそのコレクションの中から、芸術と伝統文化のパトロネージュをテーマに6つのコーナーを設け、絵画、工芸品、古文書、文学資料など約100件を展覧します。
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