ザ・ワン・デバイス  Brian Merchant  2019.10.8.


2019.10.8. ザ・ワン・デバイス iPhoneという奇跡の"生態系はいかに誕生したか
The One Device ~ The Secret History of the iPhone           2017

著者 Brian Merchant ジャーナリスト、編集者。デジタルメディア”VICE”系列の科学技術雑誌『マザーボード』で記者、編集者を務めつつ、同系列のオンライン・フィクション雑誌『テラフォーム』を創設。また、ガーディアン、スレート、ワイアード、アトランティックなど多数の有力誌に寄稿。本書の取材のため、人の住むすべての大陸を訪れ、その内容をiPhoneに記録。iPhoneで撮影した写真は8000枚、インタビューの録音時間は200時間、取材メモは数百ページに及ぶ。さらに取材旅行中、家に残した家族とフェイスタイムで数十回のビデオチャットも行った。現在2冊目の本を執筆中。オートメーションへの反発から機械を破壊した1800年代の「ラッダイト運動」と、その現代版がテーマ。ロサンゼルス在住

訳者 倉田幸信 1968年生まれ。早大政経卒。朝日新聞記者、週刊ダイヤモンド記者、DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー編集部を経て、08年よりフリーランス翻訳者

解説 長谷川貴久 パロアルトインサイトCTO。シリコンバレーのアップル本社でSiriのデータサイエンティストとして、様々な機械学習のモデルを実践。パロアルトインサイトでは、クライアント企業向けに機械学習のモデルの構築と実践に加え、アプリ開発やクラウドインフラの設計などを行っている。ジョージア工科大コンピューターサイエンス修士、ハーバードビジネススクールMBAAWS認定ソリューションアーキテクト

発行日           2019.7.10. 第1刷発行
発行所           ダイヤモンド社

解説
アップルに脈々と受け継がれる、技術革新のバトン             長谷川貴久
iPhoneのガラスの画面やMapsiPhoneを何度も生まれ変わらせることができるApp Storeなどのキラーフィーチャーは最初から細かく設計され順序だてて開発されたものではなく、臨機応変に対応したことによって生まれたもの
スマホの先駆けとされる「サイモン」とiPhoneの最大の違いは、「タイミングが悪かった」と説明されているが、同じチームを08年にもってきてiPhoneを超えるプロダクトを作れと言っても難しい
iPhoneの成功の背景には、「妥協しない心」があった。それが「サイモン」との大きな違い
ソフトとハードの融合にしても、かなりの試行錯誤の繰り返し  秘密主義の会社で、知る必要があるもののみが知ることができるという“need to know basis”が徹底されているため、大きな障壁が生まれる中、融合が成功裏に進むのは、デザインチーム(HI)のステータスを最も高くしているから
アップルが注目している大きな領域  AI、ヘルス、AR、自動車

序章 解体
07年タッチ操作できるワイド画面のiPod、革命的な携帯電話、画期的なインターネット通信機器の3機能を合体したiPhoneが登場
iPhoneの真の姿を2つのルートで描きだす
1つ目はセクション14で、開発に貢献した無名の開発者たちを描く
2つ目は14の章で、iPhoneの素材となっている技術や原材料を暴き出し、この究極のデバイスを可能にした頭脳と肉体を探る

セクション 1 天才たちの秘密プロジェクト~他社技術のマルチタッチがiPhoneの原型を生むまで
ユーザーインターフェースUIにもデザインがある  オランダ人のソフトウェア・デザイナーでUIの天才児バス・オーディングと、英国人デザイナーのイムラン・チョードリーが97年アップルのヒューマンインターフェース・グループで出会い、そこにアップルの失敗した携帯情報端末PDAニュートン開発を手伝っていたグレッグ・クリスティーが加わり、MacOSの刷新とUIデザインの開発を担当
マウスの使い過ぎで手首を痛めたエンジニアが、フィンガーワークスを使い始めたのが、「マルチタッチ・フィンガートラッキング」という静電容量式センシングを使った技術で、既に創業者がアップルにも売り込んでいたが、どう商品化するか考えつかなかった
それまでのタッチ式技術は「抵抗膜方式」で、複数のレイヤーを重ねた構造のため、精度も低く誤作動が多かったが、静電容量式では人体の電気化学を利用して指が触れた場所を知る方式のため、触れた場所をかなり正確に特定できる
アップルが、よその企業を詳しく調べてUIのヒントを得るのは、決して珍しいことではない  79年ゼロックスの研究所を訪問したアップルは、初めて見るウィンドウやアイコン、メニューといったグラフィカルUIに目を見張り、マッキントッシュに流用している。因みにマイクロソフトのウィンドウズもゼロックスからきている

第1章     電話とコンピュータの合体 スマホに至る道を示したまえとサイモン
1992IBMのボカラトン研究所のエンジニアだったフランク・カノバ・ジュニアが史上初のスマホ「サイモン・パーソナル・コミュニケーター」を考案、特許を取って試作機を作り、94IBMが発売  iPhoneの中核的機能をほとんど搭載
iPhoneは既存技術の集合体であり、優れたパッケージングの勝利
スマホの一番根本にあるイノベーションは、電話機にコンピュータを組み込んだことで、現代のタッチスクリーン式携帯電話のほとんど全機種は、サイモンに盛り込まれたイノベーションの影響を受けている
サイモンはレンガほどの大きさで、テンキーと9つのキーにまとめたアルファベットのパネルを持ち、発売されなかった後継機「ネオン」では本体を横にすると画面も横向きになるというiPhoneの旗印ともいえる機能まで搭載
カノバは、IBM初のノート開発チームに属し、コンピュータの小型化が目標。90年代初頭世界最大の携帯電話メーカーだった近所のモトローラ支社から、互いの製品を合体させる働きかけが来て、デスクトップ・コンピュータに無線機を搭載するアイディアが浮かぶ
多くの機能を1つのデバイスで出来るようにするワン・デバイスを訴求する
人類初のテレグラフは、望遠鏡を使って視覚で情報を遠くに伝える腕木式信号機で、フランス革命の最中仏墺間で軍事情報を伝達するのに使用。それが急速に普及したのは1837年モールス信号を商用化したのがきっかけで、初めて電気をコミュニケーションに利用した画期的なアイディア。その方法は羽谷時間をかけて変化を続けてきたが、特に19世紀の最後の1/4の変化は重要で、その間に20世紀のマスメディアの5つの原型である電話、蓄音機、電灯、無線、映画が発明された。この5つこそスマホの主たる構成要素で、全ての受け皿となったのは電話
コンピュータも歴史的に見れば巨大なメモリーを搭載した瞬間テレグラフ装置に過ぎないと言える
最初が電話、次いで電話の移動を実現したのが自動車電話でスウェーデンの発明家エリクソンの成果。彼の名前を冠した会社が世界有数の携帯電話会社に成長
1917年携帯電話誕生  フィンランドのエジソンと呼ばれた発明家エリック・ティーガーシュテットが特許を取得
現代的コンピュータと現代的携帯電話が作れるようになった最初のきっかけは、今のコンピュータに不可欠のトランジスタをベル研究所が発明したことで、現代的な携帯電話も製造できるようになった
1994IBMはサイモンを発売したが、95年にかけて5万台しか売れず、生産を打ち切ったが、サイモンとiPhoneには、機能や理念に共通する部分が極めて多く、ほとんど普遍的とさえ思える何かがある

第2章     マインフォン~鉱山電話 iPhoneの原材料を掘り返す
ボリビアの古い植民都市ポトシにあるセロ・リコ山は、16世紀に全世界で産出される銀の60%を占め、世界最大級の都市にまで発展。現在は掘り尽くされて山全体が都市を巻き込んで崩壊の危険にあるが、未だに僅かな錫や鉛を見つけるために鉱山労働者が働く
国営会社EMピントか民間精錬所OMSAで採掘された錫の半分は電子機器の内部の部品をくっつけるはんだの原材料。原始的な道具で掘り出された金属が、最終的に現代の最先端のデバイスに使われている。両社は、アップルのサプライヤー責任報告書に記載
iPhoneの出発点は、往々にして過酷な状況下で苦労して部品に使う元素を掘り出している何千人もの鉱員
iPhoneの化学的成分の分析 ⇒ 24%がアルミ(筺体)0.02%がタングステン(振動子やスクリーン用電極)5%がコバルト(バッテリーの主成分)0.01%が金、ヒ素、0.01%がガリウム、酸素(15)・水素(4)・炭素(15)が多いのは合金に含まれるから、6%がケイ素(シリコン、マイクロチップ)0.51%が錫(製錬業者の半数はインドネシアの島)
レアメタルのほとんどはモンゴル自治区がほぼ唯一の生産地。有害廃棄物に満ちた湖が採掘現場で、環境汚染が深刻化
iPhone1台を作るために必要な金属を得るために34㎏の功績を掘り出さねばならず、台に含まれる金属の原料価格は合計で約1ドル(うち半分以上は僅かに含まれる金の価格)。掘り出された34㎏の鉱石のうち92%は、1台の重さの僅か5%を占めるに過ぎない各種金属を得るためにつかわれている ⇒ 微量の希少元素のために大量の採掘と製錬が必要
原料は、原始的な道具を手に、死の危険と隣り合わせの環境で働く鉱員によって供給され、さらに1台のiPhoneのために100リットルの水が汚染され、20.5gのシアン化物が使われる(金の分離のため)

第3章     iPhoneはキズがつかない~ゴリラガラスが生まれるまで
1950年代初頭、コーニング社は合成ガラス・セラミックスを開発 ⇒ 感光性ガラス開発のためガラスの表面に珪酸リチウムを塗布、間違って900度まで温度を上げたところ、割れない安全ガラスが誕生。自動車のフロントガラスから始まって、ミサイルの弾頭にも使用、電子レンジ用の調理皿「コーニングウェア」としてドル箱に
さらに透明で強いガラスの開発が進められ、素材を化学的に強化する「イオン交換」という新技術を使った強化ガラスを発明したが、性能はよくても価格が高過ぎて実用化せず
06年、初代iPhoneお披露目の4か月前になって、プラスチック製の画面が傷だらけになったのを見たジョブズがコーニングに掛け合って、さらに進化して「ゴリラガラス」と名付けられた強化ガラスを始めて量産させ、iPhoneのうち数少ない米国製の部品として使用
ゴリラガラスの技術は、単にiPhoneの画面に使用されただけでなく、多くのことがタッチスクリーン上で処理されるようになる新しい世界を開拓

第4章     マルチタッチの発明者は誰か?~アップルに飲み込まれた無名の天才
マルチタッチ ⇒ 人間とコンピュータの新しい対話方法で、アップルのENRIチームが開発した新技術。元は世界最大の素粒子物理学の研究所CERN(欧州原子核研究機構)の研究者だったデンマーク人のベント・ストゥンペが粒子加速器の制御盤として1970年代初頭に開発したタッチスクリーン技術を応用したもの。CERNWWWの生まれた場所でもあり、iPhoneがずば抜けていた理由の1つが、WWWの豊かな情報の海をマルチタッチで自然に快適に泳げるようにしてくれた点にある
マルチタッチは極めて重要な発明ながら、共通基盤のない、全く異なる業界や研究分野のアイディアを寄せ集める必要があったため、発明に貢献した人々が注目されていない
タッチ技術のルーツは電子音楽 ⇒ 技術を媒介に独創的なアイディアを表現してきた歴史が最も古いのは音楽家で、シンセサイザーは19世紀末まで遡る。指先によるタッチの微妙なニュアンスを検知できる電子回路が開発され、静電容量式タッチセンサーが作られた。1965年には英空軍レーダー研究所が空の交通整理を効率化するための装置として、現代的なタッチスクリーンを備えた初めてのデバイスを考案
初めてタッチ技術がコンピュータの操作に使われたのは、60年代に始まったコンピュータによる教育支援システムPLATOで、伝言板などの機能を端末の画面に触れて操作するもので、画面四隅の光センサーが画面を覆い、タッチすると光線が遮られるため触った場所を検知できるというシステム。WWWのできる前、80年代までには米国中西部の大学を中心にネットワークが広がり、「タッチ操作のできるコンピュータ」というコンセプトを世間に知らしめた
1999年、手首に持病を抱えたウェイン・ウェスターマンがデラウェア大で書いた博士論文は、マウスとキーボードに代わる新しいタッチパッドによって持病を克服した入力方式を提案、特許を取って「フィンガーワークス」という会社を立ち上げ独自の製品を同じ持病を抱える患者に提供、05年にはコンシューマー・エレクトロニクス・ショーでベスト・イノベーション賞を受賞
同年、アップルにより買収され、透明のディスプレイ上で機能する製品に仕上げられ、iPhoneに装着されたが、「フィンガーワークス」が開発を続けていればもっと豊かな入力方法が生まれていたかもしれない ⇒ タッチ技術の使い勝手を高めたのはアップルだが、億万長者が自分たちが発明したと誇らしげに語って拍手喝采を浴びる陰には、様々な技術が集積された製品の実現に貢献した多くの発明家やエンジニアがいる

セクション 2 極秘プロジェクト”Q79”の始動~「唯一無二のデバイス」の最初の姿
03年、ジョブズにマルチタッチの画面を見せた時には拒否反応すら見せたが、それがヒントになってジョブズが開発を先に進める
ヒントになったのはソニーの「スマートスキン」
持ち運べるタップ式タブレット製品には懐疑的で、開発の方向性が定まらないままに、開発の中核メンバーは退社してしまったが、04年末にタッチスクリーンだけの携帯電話を作ると決定して、一気に加速

第5章     薄くて長持ちのバッテリーを求めて~現代生活の燃料源に迫る
チリのアタカマ砂漠は、南極と北極を除き世界で最も乾燥した場所。そこのアタカマ塩原は世界最大のリチウム埋蔵地。採取をするのはチリの資源会社SGQ、元国有で、現在は独裁者ピノチェットの義理の息子が所有、硝酸カリウム、ヨウ素、リチウムの世界最大級の生産者
リチウムは金属の中で最も軽く、固体元素としては最も密度が小さい。他の物質と容易く反応して化合物となるため、自然状態で純粋なリチウムは存在しないが、アタカマでは高濃度に凝縮されたリチウムの塩湖と、極度の乾燥した気候とが結び付いて、昔ながらの天日干しだけで貴重な金属が手に入る。埋蔵量も莫大で世界の1/4を占める
リチウムイオン電池の開発が始まったのは1970年代、石油の代替燃料として電池が注目され、水素電池の登場が電池の開発競争を刺激
1970年代初頭、スタンフォード大のスタンリー・ウィッティンガムが硫化チタンの薄膜を使ってリチウムイオンを貯める方法を発明、繰り返し充電できる蓄電池への道を開く。世界最大のエネルギー会社への変身を企図していたエクソンからの誘いに乗って入社してリチウム電池を開発するが、電極の過熱と爆発の危険をクリアできず
MITのリンカーン研究所のジョン・グッドナイフは、1980年に正極にコバルト酸リチウムイオンを用いた電池を開発、軽量かつ大容量で安定性も高い製品を作る
90年代初め、ソニーがハンディカムにこの新型電池を採用、商品化の先鞭をつけ、その後は充電型バッテリーを持つ殆ど全てのカメラへ、ノートパソコンや携帯電話へと拡大

NATURE 2019.10.10.
ノーベル化学賞が「リチウムイオン電池の父」に授与されることの価値
2019年のノーベル化学賞が、リチウムイオン電池の開発に貢献した旭化成名誉フェローの吉野彰ら3人に授与されることが決まった。いまや世界のインフラともいえるリチウムイオン電池のが受賞することは、わたしたちにとって極めて大きな意味と価値をもっている。
携帯電話から電気自動車(EV)まで、あらゆる電子機器にとって重要な部品であるリチウムイオン電池──。その発明によって、テキサス大学オースティン校のジョン・グッドイナフ、ニューヨーク州立大学ビンガムトン校のスタンリー・ウィッティンガム、そして旭化成名誉フェローで名城大学教授の吉野彰がノーベル化学賞を授与されることが決まった。リチウムイオン電池は1991年に商用化されて以来、現代の電子機器には欠かせない部品となった。軽くてエネルギー効率が高いことから、携帯電話やノートPC、デジタルカメラにバッテリーを搭載できるようになったのだ。
しかも小型のセルを大量に接続してひとつのバッテリーのように扱えるうえ、充電と放電のサイクルを幾度となく繰り返せる。このため、トヨタ自動車の「プリウス」のようなハイブリッド車やテスラ車に代表されるEV、そして電動バイクの心臓部となり、持続可能なクリーンエネルギーにおける重要かつ信頼のおける部品となったのだ。
風力や太陽光といった再生可能エネルギーは、地球環境を破壊する温室効果ガスを発生しない代わりに、その信頼性と安定性は石油やガスといった資源から得られるエネルギーと比べて低い。再生可能エネルギーとリチウムイオン電池を組み合わせれば、風でタービンが回るときや太陽光がソーラーパネルに当たるときに発電した電力をバッテリーに充電しておき、発電できないときには放電することができる。つまり、電力網を安定化できるのだ。ある試算によると、リチウムイオン電池の世界市場規模は約360億ドル(約38,700億円)とされており、それが2026年にはおよそ1,100億ドル(約118,200億円)になる可能性があるという。
基礎技術を完成させた吉野
どのような電池でも、その原理は大まかに言えば同じと言っていい。負極(アノード)とよばれるマイナスの電極から出てきた電子が電解質(たいていは液体)を流れ、プラスの電極である正極(カソード)に達する。この流れを回路に組み込みことで、電子機器が動くというわけだ。
1970年代の中盤、当時エクソンに勤務していたウィッティンガムが、非常に軽くて反応性の高い金属であるリチウムを負極材として使う手法を発見した。これは素晴らしい発見だった。リチウムは電子を放出しやすいだけでなく、この新しい電池は電子をチャージすることができたのだ。しかし残念ながら、この新しい電池は破裂しやすいという弱点を抱えていた。
その弱点の解消につながったのが、オックスフォード大学に勤務していたグッドイナフの発見だった。彼は1980年に研究チーム[編註:当時は留学生だった東芝エグゼクティブフェローの水島公一を含む]とともに、コバルト酸リチウムを正極材として使うことで、従来よりも安定した電池をつくれることを発見したのだ。
同じ1980年代に吉野の研究チームでは、さらに複雑な炭素ベースの物質を電極とすることで、リチウムイオンを内部に閉じ込めながら電池に流す方法を研究していた。吉野はさらに、古い型の電池とは違って発火しない(少なくとも、古い型の電池ほど簡単には発火しない)ことを示すための試験方法も開発した。吉野が開発したハイテクな手法、それは重いものをその上に落とすという方法である。
もちろん、リチウムイオン電池にもまだ課題はある。確かに丈夫にはなったが、それでも制御するソフトウェアに問題があったり、外部の筐体が破損したりすれば発火の可能性が残るのだ。まさにその電子を放出しやすいという電気化学的な性質のために、リチウムは酸素に対して高い反応性をもつ。つまり「よく燃える」のだ。リチウムイオン電池が航空危険物として扱われ、飛行機の手荷物として預けたり航空便で送ったりできないのは、このためである。
そして世界の人々は、もっと優れたバッテリーを求めるだろう。さらに軽くて小型で、しかも急速に充電できる強力なバッテリーの素材──それは炭素をケイ素に置き換えるのかもしれないし、液体の電解質ではなく高分子を使えばいいのかもしれない。そもそもリチウムの採掘が環境に優しいとはいえないので、リチウムに依存する必要がなくなれば素晴らしいことだ。
とはいえ、この記事だっておそらくリチウムイオン電池で動いているガジェットで読まれているのだろうから、今回の受賞は誰もが納得するはずである。
リチウムイオン電池の改良は続いているし、研究者はそれに代わるものを探している。それでも、ワイヤレスイヤフォンやスマートフォン、ノートPCのある未来的な世界は、リチウムイオンなしでは存在しえないだろう。
また、政府や産業界では、現在の気候変動の危機的状況を悪化させないエネルギーの利用方法を見つけ出そうとしている。その際にはバッテリー技術が鍵になるはずだ。
「運輸や電力網などが環境に与える効果という点で考えると、まだ開発の緒についたばかりだと思うのです」と、ノーベル委員会の委員であるオロフ・ラムストロームは発表後に語っている。「リチウムイオン電池だけでなく、将来発見されるであろうほかの種類の電池もそうなのです」。ときには文字通り、知識はパワーとなるのだ。

第6章     世界で最も使われているカメラ~手ブレ補正を発明した日本人技術者
盗み撮りは、写真の世界では昔から大きなテーマだったが、iPhoneが簡単にしてくれた
1888年コダックの宣伝文句: あなたはボタンを押すだけ。後はすべて私たちがやります
現代のアップルによるiPhoneのカメラ機能の売り文句: 技術面は私たちにお任せください。あなたは美しいものを見つけてシャッターボタンを押すだけでいいのです
マス・マーケットを念頭に、使い勝手を良くし、巧みな宣伝を仕掛け、アマチュ写真家の世界を生み出したのがコダックの成功の秘訣だったが、1世紀以上も経ってアップルが同じ戦略を使っている
iPhone6のカメラは8メガピクセルで、ソニー製のイメージセンサーと光学式手振れ補正モジュール、アップル製の画像処理プロセッサが使われている。200を超える部品からなり、レンズの良し悪しよりも、センサーやソフトウェアといったレンズ以外の勝負になっている
ノートパソコンに外付けしていたカメラを内部に取り込むことから始まる
iPhoneは本体が軽いため、内蔵カメラでは「光学式手振れ補正機能」が最大の売り物。開発者は大嶋光昭博士というパナソニックの研究者で、ビデオカメラの映像のブレを補正するために振動ジャイロスコープを使って商品化に漕ぎ着けたが、当時日本ではビデオカメラの小型化のほうが優先されたため、1988年アメリカ市場で発売し大ヒットとなる。94年にはニコンが、95年にはキャノンもカメラに導入

第7章     動きを読み取るセンサー~iPhoneはいかに自分の居場所を知るか
iPhoneの画面が本体の向きに応じて正しく回転できるのは、VSGという極小の振動型ジャイロのお陰。他にも多種多用なセンサーが搭載されている
l  加速度センサー ⇒ 持ち方に応じて画面のタテ・ヨコが切り替わる。1920年代に発明されたセンサー。ノートパソコンを落とした瞬間、それを検知してハードディスクの電源を切り、データを守る役割を果たす
l  近接センサー ⇒ 耳に当てると画面がオフになり、離すと自動的にオンになる
l  GPS(全地球測位システム) ⇒ あらゆるものへの近接をGPSによって検知
デンマーク人兄弟によって発明されたグーグルマップは、iPhone発売の直前に搭載が決まった
l  磁気センサー ⇒ 原型は方位磁石。ジェスチャー認識アプリが必要とする情報を与えたり、「シェイク」は「取り消し」を支持する入力方法として実用化されている(=モーショントラッカー機能)M7チップの働きだが、ほとんど電力を消費しないので、バッテリーが切れた後でも歩数の計測などは実行(居場所を常時アップルに伝え続ける)
l  周囲光センサー ⇒ 周囲の明るさに応じて画面の明るさが自動補正される

第8章     世界を変えた剛腕”ARMチップ~iPhoneの頭脳はどのように育ったか
「パソコン生みの親」アラン・ケイは、ゼロックスPARC(パロアルト研究所)を率いてプログラム言語「スモールトーク」を開発、グラフィカル・ユーザー・インターフェイスGUI誕生の下地を作り、バカでかいメインフレームしかなかった時代に、コンピュータを「学びと創造の柔軟なツール」として使うべきだと初めて世の中に訴えた先導者の1人。彼らの想像力のお陰で、今では普通の人が気軽にコンピュータを使えるようになった。そうした想像力を蒸留して得られた極上の産物が「ダイナブック」というコンセプトで、シリコンバレーにもっとも古くから伝わる概念上の文化遺物。性能と柔軟性の高い携帯型コンピュータで、1977年に論文発表
ジョブズは、最後までケイを尊敬し続けたが、84年にケイはMacを「批評に値する初めてのコンピュータ」と評価したが、iPhone発表の時は画面の小さいのに不満
1947年に発明された20世紀最大のイノベーションともいえるトランジスタの小型化により、最新のLSIチップには1つにつき数十億個のトランジスタが使われ、機械とデジタルをつなげる懸け橋になっている
トランジスタを使った初めての民生品は補聴器で、製品に内蔵されたトランジスタは1
携帯に使用されるうえでの制約は電力消費量で、80年代初頭イギリスの企業が半ば偶然から生み出した低消費電力チップARM:Acorn RISC Machineが威力を発揮
RISCとは、縮小命令セットコンピュータの略語で、UCバークレーの研究者が考案したCPUの設計思想
ARMは、2016年ソフトバンクグループが買収
サラに「SoC:system on chip」という、基本的に1台のコンピュータのすべての構成要素を1つのチップ上に搭載したものが開発され、あらゆる電子機器に応用
アイコーンが業績不振になった際、アップルが吸収。当初はアップル初のモバイル機器ニュートンに活用しようとしたが失敗、97年ノキアが携帯電話として初めて採用し成功
07年の初代iPhoneには157万個のトランジスタを乗せたARMチップが内蔵されiOSを構成、その上で動くアプリの使用を可能にしたが、当初アップルが位置付けたのは、①タッチ操作のできる大画面iPod、②携帯電話、③インターネット通信機器、の3つでアプリの文字はどこにもない。当初ジョブズはアップル以外の者がアプリを作ることを禁止
初代iPhoneの出荷時の基本アプリは16個のみ、うち2つはグーグルとの共同開発。基本が「電話」「メール」「サファリ」「iPod」で、「テキスト(SNS)」「カレンダー」「写真」「カメラ」「ユーチューブ」「株価」「地図(グーグルマップ)」「天気」「時計」「電卓」「メモ」「設定」ですべてだったが、アプリの外部デベロッパーからの強い要請とiPhoneの思わぬ売り上げ不振から、電話が途中でアプリの誤作動によって中断されるのを極端に恐れたジョブズも、外部アプリをアップストアで一括管理するやり方で、外部アプリの導入に踏み切る
アプリとは、データを簡潔に可視化する装置 ⇒ 地図や天気、ゲームなどすべて膨大なデータを取り込んでは小さなインターフェースでユーザーに示す
アプリケーション・エコノミーの市場規模は、16年で510億ドル。5年前にフェイスブックが10億ドルで買収したインスタグラムの市場価値は今や350億ドル。アップストアの15年度の収益の85(345億ドル)はゲームによるもの。サブスクリプションも無視できない規模
せっかくスマホが、人間とコンピュータの間に生産的でクリエイティブな対話をもたらすような設計が可能な技術力に裏付けされているにも拘らず、消費者至上主義によって消費のためのデバイスに成り下がっているのが現状

第9章     ワイヤレス接続~ネットワークはハワイとスカンジナビアで生まれた
世界に数百万棟ある電波塔によって支えられるワイヤレス・ネットワークの原点となる技術は100年以上前に誕生。1800年代末に創業のベル電話会社は1984年に分割され、1社独占の世界から多種多様な民間企業がサービス提供する世界へと移行したことが、結果的にiPhoneを生む
1973年、携帯電話の試作機登場。80年モトローラが世界初の商用携帯電話発売
携帯電話のネットワークは国営が大半だったが、例外が北欧携帯電話システムNMTで、1981年北欧4か国が設立。さらに92GSMとして欧州8か国で開始、3年後には欧州全域に拡大。現在では世界213か国で携帯通話の90%をカバー
WiFiは学術研究の成果 ⇒ 1968年ハワイ大学で、無線によるインターネット接続の萌芽としてALOHAネット誕生。高速のUHFチャンネルの割り当てを受け、すべてのクライアントが同じ周波数帯にいるハブと同時に通信できるシステムを作ったが、90年代テクノロジー企業が集まってこの仕組みを標準化し、WiFi:wireless fidelityと名付ける
携帯電話の新しい使い方として、ノルウェーの若者たちが使い始めて普及したのがテキストメッセージで、160文字を限度としたショートメッセージサービスSMS機能を携帯に搭載することを義務付けさせた
NTTドコモが開発した「iモード」は、定額制のインターネット接続サービスで、当初ターゲットとしたビジネスマンではなく、若者の興味を引き、米国より10年も早くスマホが爆発的に普及
電波塔のメンテナンスのために、毎年多くの人命が失われている。世界一危険な作業現場とされる

セクション 3 iPhoneの内部へ~スライドしてロック解除
2000年代中頃、アップルには5つもの携帯電話がらみのプロジェクトが同時並行して走っていた ⇒ iPhone開発がジョブズの正式承認を得てスタートしたのは04年末辺り
iPodiTunesとセットで売り出された後、iTunesWindows版ができて爆発的に売れたが、そのあとの商品に悩んでいた
モトローラのCEOと仲が良かったジョブズは、04年モトローラの新製品、ロッカーと提携した”iTunes携帯を発表、iTunes経由でiPod機能を乗せようとしたが評判は不芳
当時はまだキャリアが携帯電話の仕様を牛耳っていて、アップルが思うようなものは作れなかった
iPodWiFiに繋いでネットサーフィンをしたりしているうちに、ホームボタンやスクロール、マルチタッチなどが合わさったデモ機によりジョブズがようやく決心して携帯電話プロジェクトが発足したのが04年末。ロッカーの出来が悪かったのも自前開発を後押し
iPodをベースに携帯電話を作るチームと、マルチタッチ技術とMac用ソフトの融合から迫るチームの2つを作って競わせる
iPodフォンのネックは、ダイヤル式電話と同じ09の数字と”ABC””DEF” といったアルファベットの組み合わせをクリックホイールで選択する電話番号の入力方式だったため、タッチスクリーンの応用が決まる
オペレーティングシステムについては、iPhoneをモバイルコンピュータとする方向感が決まり、iPod のリナックスに代わってMacOSをベースに専用のiOSが開発される
慣性スクロール機能を、スリム化したOSでも実現することが可能となってiPodフォンの構想は潰れた

第10章     「ヘイ・シリ」~史上初のAIアシスタントは誰か
アップルのAIアシスタント「Siri」は、恐らくHAL9000以降最も名の知れたAI
Siriはいくつかの技術の集合体 ⇒ 音声認識ソフト、自然言語UIAIパーソナルアシスタントが合体
1960年代後半、人が話しかける言葉を認識するコンピュータ・システムを開発 ⇒ 米国防高等研究計画局ARPA(DARPA)の資金で進められ、560ワードで、約92%の認識率を達成
発話障碍者のためのAI活用を研究、発話補助具と呼ばれる装置のために人工知能を使ったインターフェースを開発
Siriプロジェクトが始まったのは初代iPhoneが発売された翌年。音声認識技術が実用的になっていた。Siriに声を与えたのは68歳の女性の声優
Siriのアプリをアップストアで公開したところ、即座に大ヒットとなり、アップルが2億ドルでSiri社を買収

第11章     セキュアエンクレーブ~ハッカーやFBIからiPhoneを守る
iPhoneのパスコードを見破るために総当たりをしても破られないように設計 ⇒ 10回連続で間違えると、暗号解除キーが自動的に削除される仕組み
ISによるテロの際、押収されたiPhoneのロックを外すようFBIから要求されたアップルは、「ロックを解除したくてもできないし、する気もない」と声明を出す
利用者個人のパスコードは、iPhone内部の「セキュアエンクレーブ(安全な隔離地帯)」に格納され、それぞれiPhoneに固有のIDナンバーと結びつけられている ⇒ FBINSAがテック企業に対し、それぞれの製品にバックドアを仕込むよう圧力をかけるのを回避するための仕組みで、利用者のセキュリティを高めている
A7チップに仕込まれたセキュアエンクレーブとは、アップルのサーバを介さずに暗号化とプライバシーを処理するためだけにiPhoneに埋め込まれた、2台目の補助コンピュータのようなもの。iPhoneとこの補助コンピュータがデータ交換するやり方は、アップルでも政府機関でも、利用者の最重要データが誰からもアクセス出来ないような仕組み
ハッキングの最初期の歴史的出来事は、1903年、後に無線通信の研究でノーベル賞を取ったイタリアの発明家マルコーニが公開無線実験をした際、安価なメッセージ送信手段が発明されると困る電信会社が近くにラジオ塔を立てて妨害、新技術に安全上の大きな欠陥がることを知らしめた
現代のようにテクノカルチャーとしてハッキングが始まったのは、60年代の電話のタダ通話。電話会社が決まった周波数の音を長距離電話の合図として使っていることを突き止め、その音を受話器に吹き込んで長距離につないでいた
初代iPhoneは、AT&Tの契約者専用だったが、すぐにハッカーによってその縛りが解除され、ユーチューブによって世界中に広まった
他にもiPhoneの弱点を研究してセキュリティシステムを破り、あたかも自分のパソコンのように自由に使う「ジェイルブレイク」が頻発
公衆WiFiに接続している最中は、決して大事なデータを入力してはならないし、信頼できるWiFiにだけログインすべき。またスマホのOSは最新のものにアップデートしておくことが重要
アップルペイやIoTアプリ、ヘルスキットなどを売り込むためには、利用者に自分のデータが安全に守られていると信頼してもらう必要があるため、アップルのセキュリティに対する考え方は重要

第12章     メイド・イン・チャイナ~地球上で最も儲かる製品の組み立てコスト
iPhoneの構成部品を作る工場や完成品の組み立てを行う工場はほとんどが中国にある
製造の大部分を行うのが「フォックスコン」として知られる台湾企業の鴻海精密工業で、中国本土におけるダントツで最大の雇用主。従業員130万人
2010年頃、厳しく劣悪な労働条件から自殺者が相次いだことで有名
アップルが求める製品を作るには、外国の労働力の圧倒的な規模、勤勉さ、柔軟性が必要で、単に労働コストが安いというだけではない
中国の最新工場で生産するのと米国での生産の差異は、最終的には最新型iPhoneを少しばかり早く、安く利用者の手元に届けられるというだけの差に過ぎないが、その差を生むためのコストは、何万人という労働者の生活の質の低下なのだ

第13章     「セル」フォン~マーケティングのための徹底的な秘密主義
新製品発表会は、アップル神話とマーケティング戦略の中心的存在
iPhoneが人類の歴史上で最も売れたデバイスになった理由の一端は、発表会のようなプレゼンテーションにある。マーケティング戦略には以下の3つの要因
    新製品を秘密のベールで包んでわくわく感を高め………
    その新製品の発表会を神々しいほど見事に行い………
    清潔でピカピカのアップルストアで近日中にその新製品を売り出す
目玉商品の存在感を高める差別化の手段の第1は「秘密主義」で、それ自体が歴史的背景を持つ1つのイノベーション
従業員の不満で最も多かったのが社内の秘密主義で、お互いの間に不必要な壁ができたというのが不満の理由
秘密主義の成果の1つは、会社初のメッセージをしっかりコントロールし、世間の関心を製品自体に集めることができる ⇒ 世間やテック系メディアに対して「取材なし、公式コメントなし、透明性なし」で通すという新常識を打ち立てた。ジャーナリストに対し、公式発表を受け入れるしかないと教育している

第14章     ブラックマーケット 使用済みiPhoneの運命
オンライン市場は、巨大なブラックマーケットの一部として機能している可能性がある
リサイクル業者に渡ったiPhone ⇒ 転売できないものは、まわりまわってEウェイストの集積地に集まってくる。もともと197080年代にかけ、大量生産されたプラスチックや鉛など有毒化学物質を含んだ消費者向けの電子機器の捨て場が深刻な問題になり、有毒廃棄物の商人が台頭。86年にEウェイストの焼却灰を積んだ船が各国から引き取りを拒否され海洋投棄したのを契機に、89年には「有害廃棄物の国境を越える移動およびその処分の規制に関するバーゼル条約」が採択されたが、実効性は低い
深圳には、iPhoneの部品を販売する闇市場や、それらを組み立てて模造品を作る職人が集まる地区がある

セクション 4 ザ・ワン・デバイス~秘密主義と社内政治でめちゃくちゃになったアップルの内情
社内にスタートアップ企業を興し、完全に外部から遮断、必要なものは無条件に与えた
初期のiPhone開発チームは2025人。必要に応じ社内から人材を1本釣り
優れたデバイスとなった要因は、独自技術として開発された「マルチタッチ」と「コア・アニメーション」 ⇒ アニメーションするユーザー・インターフェースは、滑らかな操作感の土台となるものであり、マルチタッチを生かすアプリをデベロッパーが開発できるのはコア・アニメーションという土台のお陰
スキューモーフィズム ⇒ デジタル世界のものを現実世界の同じものに似せるデザインのことで、初めてiPhoneに触った人でもすぐに使い方が分かるようにするための仕掛けの1つ。初期のメールは切手のアイコンで住所録もついていた。ユーザー・マニュアルが必要になったら開発者の負けとまで言われた
ネットブラウザ・サファリiOS移植 ⇒ 当時携帯端末からネット接続した際の標準規格はWireless Application Protocolだったが、通信データ量を抑えるためにウェブサイトの簡略版しか閲覧できなかったし、従量制プランによるデータ通信料が法外に高かった。最終的にAT&TiPhoneの独占キャリアとしてアップルと契約することになるが、最初にAT&Tに認めさせたのはトランスペアレント(データ内容を加工せずにそのまま送る)なデータ通信システムで、回線スピードよりデータの質を重視したものであり、次いで、パーシステント・コネクション(持続的接続:効率性を高めるデータ通信の技術)の採用を決断させる。携帯電話は単にネット接続を必要とするコンピュータに過ぎないのだから、コンピュータがネットから得られるものは全部提供すべきと主張して、AT&Tを説得
物理キーボードの廃止 ⇒ 不器用なユーザーでも指先でスクリーン上のオブジェクトを正確に操作できるようにするため最小判定サイズが決められ、QWERTY配列のバーチャル・キーボードは最初から問題外。もともとQWERTY配列は、早く打ち過ぎて機械を壊さないよう非効率な配置にされている。90年代初めにアップルが発売した携帯端末ニュートンの手書き認識機能は誤変換が多すぎて使い物にならず
User Interfaceグループは、最後の最後まで周囲に中身を見せようとしなかった
本体デザイン ⇒ Industrial Designグループが極秘裏に進めるが、ジョブズはなかなか首を縦に振らなかった
薄さを巡る攻防 ⇒ 薄さ重視が、バッテリー交換が不可能もしくは困難になるという新しいトレンドを生む
バッテリーの稼働時間を優先するために、サイズも大きく消費電力も食う3Gではなく2Gにしたことで、携帯としては初めてWiFiが使えるという大きなメリットを獲得
メイン・チップの中央演算装置CPUが、出荷1年前になっても未定 ⇒ iPodのチップを供給しているサムスンに5か月で作るよう依頼。通常11.5年はかかる新チップの開発を前倒しで間に合わせる
iPhone開発プロジェクトに巨大なジェンダー格差があった ⇒ 当初開発チームに女性は皆無、大半が白人。徐々にアップル全社とテック業界の平均値に近づいたが1015%に過ぎない。社会的マイノリティについても同様の状況。白人男性だけの指を這わせて画面選択や操作が開発されたのは事実
完成数か月前になってもメインチップにバグが多く、予定していたほどのメモリバンド幅が得られず、クラッシュを起こしていた
06年当時、アップルとグーグルの関係は良好。ジョブズがページに試作機を見せると、ページが感嘆して、グーグルマップの搭載を提案、ジョブズもその場でOKして搭載が決まり、同時にYouTubeアプリも開発し、基本的にクローズド・システムだった初代iPhoneの中で大きな売りになった ⇒ トップ同士の約束で契約書もないまま何とかなると始めたが、結果的に何とかならなかったのは周知の事実
グーグル検索も搭載することとなったが、検索フィールドが生み出した利益は、iPhone用ソフトの開発費をほぼすべて賄うほどで、アップルがiPhone開発にかけた総費用150百万ドルと報じられているので、サファリのデフォルト検索エンジンを巡るグーグルとの契約は実に実入りがよかった
実機テストは発表の直前までバグを山積させたが、071月のマックワールドでの発表の成功により、5か月後の発売までにほぼすべての問題を解決。スクリーンはプラスチックからガラスに変わる
初代iPhoneは搭載アプリが固定されていてユーザーは取捨選択できず、ネットワークはイラつくほど遅い2G、壁紙も含め何一つカスタマイズできず、それでいて高価。マイクロソフトのCEOは、「回線契約込みで奨励金がすべてついて500ドルとは、世界で一番高価な携帯電話だ」といって嘲笑
最高に人を惹きつけた機能は、サファリとグーグルマップで、それを画期的なUIが助けた
08年本体価格を下げ、アプリの取捨選択ができるアップストアを導入すると、世界中に拡散、その後も爆発的に使われるようになるが、根本部分がいかに変わっていないかを考えると驚かされる ⇒ 小さくなったMacであり、アップル外の世界で何十年もかけて開発されて来た多数の技術に立脚
技術の蓄積と同時に重要なファクターが ⇒ タッチスクリーンの実験的デモを実演できるようになったのは、iPodの後継製品を必要とする直前。フィンガーワークスもそれに間に合う時期に市販に漕ぎ着けたし、コンピュータ・チップARMの小型化もタイミングが合った。リチウムイオン電池の進化もカメラの小型化も、さらには中国の熟練労働者数の増加や、世界各地の各種金属類が安価になったこともタイミングよく起こった
それらをみなまとめてiPhoneに仕上げた巨大で非凡な才能集団がいたことが何よりの幸運 ⇒ 当初の中核メンバーで17年現在もiPhoneに深く関わっているのはジョニー・アイブただ1
l  トニー・ファデル ⇒ iPodの発案者で開発の中心人物、iPhone開発のエンジニア・チームのトップだったが、初代発売の翌年退社
l  スコット・フォーストール ⇒ MacOSの開発からiOSプラットフォーム開発を主導したが、アップル製の地図アプリ「マップ」を不完全なままリリースしたあとで追放
l  リチャード・ウィリアムソン ⇒ 「マップ」開発蹉跌により、15年仕えてクビ
l  アンディ・グリグノン ⇒ ファデルとともにiPod開発を主導後iPhoneへ、燃え尽きて初代発売後まもなく辞任
l  バス・オーディング ⇒ 特許を守るための裁判関係の仕事にうんざりして、13年テスラに転職
l  アンリ・ラミロー ⇒ ソフトウェア担当、iOS7投入後健康上の理由で13年退職
l  グレッグ・クリスティ ⇒ Human Interfaceのトップだったが14年退職
l  デイビッド・タップマン ⇒ 14年退職
l  イムラン・チョードリー ⇒ iPhone開発の父祖として最後となったが17年初退職
最初のコンピュータは人間。熟練の計算手が、天文学者や数学者のために長くて複雑な計算を代行。多くの場合、チームで行い例外なく手で計算。計算手は労働者で、特定の個人や組織のために働き、しかもその個人や組織に光が当たったとしても、個々の労働者の貢献が公に知られることはなかった
世界初の電子計算機=コンピュータENIACのプログラムを書いたのも6人の女性だが、その名は知られていないし、iPhoneはそもそもコンピュータを内蔵していることさえ隠している。iPhoneという史上最も売れたコンピューティング・マシンの原動力は人の労働にある、というのも、そこに投入された大量の努力と創意工夫をそれまでのコンピュータよりもさらに巧妙に隠しているからだ
コンピュータが人間の労働の産物だという認識から離れていくが、実際には今ほどコンピュータを生み出すのに多くの人々が関わる時代はない
「単独発明者」神話の誤りを指摘することは、ジョブズの果たした役割を矮小化することにはならず、ジョブズを除くすべての関係者が果たした役割の重要性を高めることになる








ザ・ワン・デバイス ブライアン・マーチャント著 壮大なiPhone開発物語
2019/9/7付 日本経済新聞
将来を予見して点と点をつなぐことはできず、後で振り返ってつなぐことしかできない、とは米アップルの創業者、スティーブ・ジョブズの言葉。
原題=THE ONE DEVICE
(倉田幸信訳、ダイヤモンド社・2000円)
著者はジャーナリスト、編集者。オンライン・フィクション雑誌を創設。米ロサンゼルス在住。
本書は、アップルのiPhoneについても壮大な計画に沿って進捗したのではないことを浮き彫りにする。iPhoneの開封には特別な道具が必要、ということに象徴されるアップルの秘密主義に挑んで得た結果は意外な事実。ジョブズは当初はタッチスクリーンにも携帯電話にも、さらには、アプリの搭載にも反対し、頻繁に考えを変えていた。無数の人々がiPhoneの誕生に関わっていたことも明らかにする。見過ごされがちな人々に一貫して目を向けている点も興味深い。
ボリビアの「人を食らう山」セロ・リコ山のスズ、最も生命から離れたチリの「月の谷」のリチウム等々、これらの原材料を採取する労働は前近代的であり、iPhoneを組み立てる中国の工場フォックスコンは閉鎖性と自殺、労働者の搾取で有名。ワイヤレス接続のための電波塔のメンテナンスは極めて危険な仕事であり、最後にiPhoneが捨てられるケニアの廃棄場では強烈な臭いが鼻を突く。
技術についても、商品化に成功していなかったマルチタッチ技術、世に出るのが早すぎたスマートフォン・サイモン、日本人が開発した手ブレ補正技術等々。iPhoneを既存技術の集合体にすぎないと断言し、先駆者たちに敬意を表す。
これらを通じて、ジョブズが「iPhone開発物語」の登場人物の一人にすぎないと帰結するが、同時に、彼のキュレーターや高いハードルの設置者としての偉大さやプロダクト・イノベーションのみならずビジネス・イノベーションにおける卓越性も鮮明となる。
本書によってジョブズ像を再構築できる読者は幸せである。地球規模の空間的広がりや100年を超える時間的広がりを凝縮した圧倒的な内容によって、常識が更新され、好奇心がかき立てられる。読了する頃にはこれまでに蓄積した知識と本書を融合して新たな自分を生み出しているに違いない。ジョブズに肯定的な人にも否定的な人にも読んでほしい一冊である。
《評》慶応大学教授 藤田 康範


Amazon
"至上最も売れた商品"iPhoneにはいったい何が詰まっているのか?
リチウム採掘場からブラックマーケットまで、世界中を駆け巡って描き出したiPhone開発秘話
iPhoneを創ったのは、スティーブ・ジョブズ」――誰もがそう思っている。だが、ジョブズの役割は、iPhone誕生までの壮大な物語のほんの一部にすぎない。その開発にまつわる話は、Apple社の秘密主義により、明かされないままだった。
iPhoneは驚くほど多くの人々や組織の「発明の集合体」である。様々な大学やスタートアップ企業、研究所、政府の助成金、さらにその生産には、ほぼすべての大陸の鉱山労働者、中国を筆頭とする何十万もの工場労働者が関わっている。
秘密のベールに包まれた開発の過程を要素分解し、執念で辿っていく。SONY幹部らが地団太を踏み、海外の競合も度肝を抜かれた iPhone誕生秘話を描き尽くした力作!














コメント

このブログの人気の投稿

近代数寄者の茶会記  谷晃  2021.5.1.

新 東京いい店やれる店  ホイチョイ・プロダクションズ  2013.5.26.

自由学園物語  羽仁進  2021.5.21.