名人論 谷川浩司 2026.10.21.
2026.10.21. 名人論 稀代の天才たちはいかに戦ったか
17世名人が歴代の名人たちの「思考・直感・気力」に迫る
著者 谷川浩司 棋士。十七世名人(永世名人)。1962年生まれ。神戸市出身。5歳で将棋を覚える。73年4月、5級で若松政和八段に入門。76年12月、四段。82年八段。83年6月、加藤一二三名人を4勝2敗で破り、史上最年少(当時)の21歳2カ月で名人位を獲得。84年、九段。97年、羽生善治名人を4勝2敗で破り、二度目の復位。通算5期で十七世名人の資格を得る。2002年7月、公式戦通算1000勝。25年1月、公式戦通算1400勝を達成。竜王4、名人5など、タイトル獲得数は計27。棋戦優勝は22。12年12月より17年1月まで、日本将棋連盟会長。14年、紫綬褒章受章
発行日 2026.8.21. 第1版第1刷
発行所 PHP研究所 (新書)
はじめに
将棋界において名人位は古来、特別な意味を持っている
名人位以外の7つのタイトルはすべて戦後の創設
江戸時代の世襲制による名人は10人。1935年からは実力制となり、16人の名人が誕生。5期以上の永世名人は世襲時代も含め19人
2012年は名人誕生から400年にあたる
40期が1つの単位で、第1期は「名人=第一人者」の時代で、名人が圧倒的な存在。木村(8期)、大山(18期)、中原(9期)。ほかに塚田、升田、加藤一二三
第2期は、名人の勝率が55%という戦国時代。谷川、森内、羽生の永世名人のほか、中原、米長、佐藤康光、丸山、佐藤天彦、豊島、渡辺昭の6人の名人が誕生
第3期となる81期には藤井名人が誕生、新時代の到来を予感させる
私より先輩の名人経験者が中原だけとなった今、名人という言葉に向き合い、将棋界の歴史を振り返る中でこの言葉の意味を考えてみたい
序章 名人戦よりも過酷な順位戦
名人戦とは、前段階の順位戦を含めた、長く静かな戦い
A級は名人挑戦資格を持つ棋士10人。大山が在位44期でトップで、在位のまま死去。加藤一二三が36期、谷川が32期、升田が31期でA級のまま引退
順位戦の中で最も過酷なのがA級。総当たりで1局の重みが違う
名人戦で記憶に残るのは大山。69歳まで在籍。もう1人が阪田三吉(贈名人)。68歳で名人戦挑戦者決定シリーズに復帰し、ほぼ互角の成績を残す
第1章
将棋の歴史と「名人」
1612年、家康が将棋と囲碁の家元に俸禄を与え、大橋宗桂、大橋分家(宗桂の子宗与)、伊藤宗看(そうかん、大橋本家2代目の娘婿)の3家元が誕生
名人という言葉の由来は、和歌の世界で、定家が技芸の達人の意で使ったのが始まり
第2章
大橋宗銀、伊藤印達の「争い将棋」血涙五十七番勝負
家元3家は、毎年将軍の前で将棋を披露する御城将棋を行い、名人位を競った
1709年、大橋宗銀(14歳)、伊藤印達(10歳)が、名人位を賭け2年にわたり57番に及ぶ「争い将棋」を指す。2人ともその後早世しており、名人位には就いていない
対戦成績は印達の36勝21敗。途中宗銀が連敗したので駒落ちとなったのを含むが、実力は拮抗していた上に、対局を追うごとに2人の実力が急上昇していったのがわかる
第3章
江戸期から幕末、そして実力制名人戦まで
詰将棋文化の頂点に立つのが3代宗看と初代看寿の兄弟。2人の兄が夭折した伊藤印達
2人の詰将棋作品集は今でも古びることがない。「全問解ければ4段になれる」といわれる
「煙詰」は、盤上の駒がすべて消え、王将と攻方の2枚しか残らないもの
611手という超長編もある
数学者の岡潔も、宗看・看寿の作品を高く評価
10代将軍家治が熱心な将棋愛好家
1879年、十一世名人となった8代伊藤宗印は、幕末・維新期に長く空位だった名人位に就き、家元制度再建に挑む
1898年、空位だった名人位を実力で十二世を名乗ったのが小野五平。家元以外初の名人
1921年、小野の死後、同様に実力で名人位に就いたのが十三世関根金次郎。実力制名人戦への道を開き、「近代将棋の父」と呼ばれる。1927年には日本将棋連盟創設
1935年、名人位の実力制移行。翌年、木村義雄が初代名人に就位
第4章
木村義雄十四世名人と大山康晴十五世名人
1946年、第6期名人戦から順位戦が始まる
1952年、通算8期名人位に就いて引退した木村義雄が十四世永世名人に推挙
大山の持つ「全タイトル戦50回連続出場」は、空前絶後の記録。’57年の名人戦で升田に負けたところから始まり、’59年の3冠王を経て、'67年棋聖戦の敗戦まで続く
第5章
私と名人位
1982年度、初のタイトル戦となった名人戦で加藤一二三名人に挑戦し勝利
1997年、8歳下の羽生名人に挑戦して勝利し、通算5期となり、永世名人の資格獲得
第6章
羽生善治とその世代
羽生世代が本格的に名人位を争い始める。佐藤康光、丸山忠久、森内俊之などで、入れ替わり名人位に就き、私も3度挑戦したがいずれも敗退
私たちまでの世代が重視したのは、中終盤の「ねじり合い」で決まるという事。終盤の鋭さ、読みの深さ、寄せの速度が勝負を決める
羽生世代の特徴は、序盤の体系化
羽生は、'96年に全7冠達成、現在通算タイトル獲得は99期だが、名人戦は9期と意外に苦戦。森内という好敵手の存在が大きい。名人戦を得意とし羽生より先に名人戦5期達成
第7章
藤井聡太八冠の衝撃
2016年プロ入り最年少の藤井聡太がデビュー。いきなり加藤一二三を破り、以後29連勝
詰将棋選手権でも3連勝
2020年には渡辺明を破って初のタイトルとなる棋聖を獲得
2023年、全8冠達成
第8章 藤井八冠後の将棋界
現状は、上位棋士が皆強い中、1人だけに届かないという状況。かつての大山、中原、羽生がそうだった
2024年、藤井の8冠独占は8か月で終わる
2012年、電王戦開始。2017年、佐藤天彦名人が2連敗
AIが将棋中継で、局面ごとにどちらが有利か、リアルタイムで示す。最善手候補まで表示するが、その場で決断し、責任を負うのは人間。勝負の重圧の中で迷い、それでも次の一手を指す。その結果に責任を持つ
おわりに
「名人」とは何か
名人という言葉の中に、将棋界の長い歴史と、その歴史の中で育ってきた価値観が濃く宿っている
名人という言葉の中には3つのものが重なっている
①
技の高さ
②
その技に到達するまで学び続けた時間と数多く味わってきた失敗
③
その人に備わった(ママ)風格
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家元制度から実力制名人へ、升田幸三、大山康晴、羽生善治、藤井聡太……。十七世名人が名人位の重みと、将棋界の激闘の歴史を描く。
内容
将棋界において「名人」は、単なるタイトルではない。その歴史は1612年、徳川家康が初代大橋宗桂に俸禄を与えたことに始まり、400年以上にわたって受け継がれてきた将棋界最高の称号である。現代では竜王と並ぶ最高位とされるが、その重みは賞金や序列では測れない。名人とは何か。その称号を背負う者に求められるものとは何か──。
本書は十七世名人・谷川浩司が、自らの名人戦の経験を軸に、江戸時代から現代まで続く「名人」の歴史と本質をたどる一冊である。将棋はどこから日本へ伝わり、なぜ現在のような独自の競技へと発展したのか。家元制度の誕生、将軍家の御城将棋、命を削るように名人を争った若き天才・大橋宗銀と伊藤印達の五十七番勝負、詰将棋を芸術の域へ押し上げた伊藤宗看・看寿の偉業──。歴史の知られざるドラマをひもときながら、「名人」という言葉が持つ意味を掘り下げていく。
さらに、大山康晴十五世名人、羽生善治十九世名人、そして藤井聡太名人へと受け継がれる天才たちの系譜を、同じ名人経験者だからこそ見える視点で読み解く。勝負師たちは何を考え、どのような資質によって頂点へ到達したのか。思考力、直感、気力、そして時代への適応力──名人たちに共通する条件が浮かび上がる。
終盤では、AIが人間を超えた現代における将棋の価値にも踏み込む。最善手を示すAIが存在する時代に、人間が将棋を指し続ける意味とは何か。名人という存在はこれからどのような価値を持ち続けるのか。将棋界が直面する根源的な問いにも真正面から向き合う。
将棋ファンはもちろん、日本文化や歴史、そして「一流とは何か」を考えたいすべての人へ。400年にわたる名人の歴史を通して、勝負の本質と人間の知性を描き出す、かつてない「名人論」である。
谷川浩司十七世名人が書く「名人論」 「全力で戦う」と誓った大勝負
2026年9月13日 12時00分 朝日新聞
将棋の谷川浩司十七世名人(64)が8月、「名人論」(PHP新書)を出版した。江戸時代から現在の藤井聡太名人(24)まで続く将棋名人の歴史をたどりながら、「将棋の名人とは何か」を探っている。名人戦七番勝負を11期戦った谷川十七世名人本人による回想は、将棋史の貴重な資料でもある。
出版のきっかけは、加藤一二三名誉十段が1月に亡くなり、自分より先輩の名人経験者は中原誠十六世名人(79)だけとなったこと。それまでは「名人という言葉やその地位について語るのはおこがましいという思いがずっとあった」という。この節目に「将棋界の歴史を振り返る中で名人という言葉の意味を考えてみたい」と思ったそうだ。
徳川家康が将棋の家元に俸禄の支給を決めた1612年から400年の節目だった2012年の春、第70期名人戦第1局の前夜祭で8人の歴代名人が勢ぞろいした場面も心に残っていたという。「壇上に上がった際、自分は他の7人全員と名人戦を戦ったことがある『珍しい存在』だと気付いた」と明かす。
第70期将棋名人戦第1局の前夜祭で乾杯する(右から)佐藤康光、加藤一二三、羽生善治、中原誠、森内俊之、米長邦雄、谷川浩司、丸山忠久の歴代名人=2012年4月9日、東京都文京区の椿山荘
中原十六世名人とは3期、佐藤康光九段(56)とは2期、加藤名誉十段、米長邦雄永世棋聖(故人)、羽生善治九段(55)、丸山忠久九段(56)、森内俊之九段(55)とは各1期、名人戦七番勝負で盤をはさんだ。
第5章「私と名人位」は、そんなライバルたちとの名人戦の回想録だ。
当時名人だった加藤名誉十段に挑戦した第41期名人戦(1983年)では、21歳2カ月という当時の史上最年少記録で名人に。決定局後の記者会見で「実力よりも地位が先行していますので、タイトルは一年、預からせていただきます。そして来年の挑戦者に挑戦する気持ちで指したいと思います」と語った。
翌年、最初の防衛戦を制した後は、「これで弱い名人から並みの名人になれたと思います」。いずれも謙遜ではなく、「本音だった」と振り返る。
挑戦者に米長邦雄九段を迎えた第47期名人戦(1989年)では、第1局1日目の朝食を2人で一緒に食べることになった珍しい出来事を紹介した。
元号が平成になったばかりの名人戦ということで、名人と挑戦者が記念の揮毫をする扇子について、米長九段から「私が内平を書きますので外成を」と文字を指定された。そんな「異例中の異例」のエピソードも紹介されている。
谷川十七世名人は「外成の方が言葉が良いので、私はまったく不満が無かったです」と笑顔で振り返る。
羽生名人を倒した七番勝負
当時の羽生善治名人を倒し、通算5期獲得で永世名人の資格を勝ち取った第55期名人戦(97年)については、「『これを最後の名人戦と思って、全力で戦う』と私は心に誓った」と明かした。七番勝負を4勝2敗で制した後、「名人位とは単なるタイトルではなく、将棋の歴史につながり、棋士人生の意味そのものが問われる地位なのだ」と改めて感じたという。
続く第6章「羽生善治とその世代」では、当時の森内俊之名人に挑んだ第64期名人戦(2006年)について、「2勝4敗だったが、そのスコア以上に、内容では完敗であった」と生々しく記述されている。
インタビューで谷川十七世名人は「当時、森内さんが得意としていた『一手損角換わり』という作戦への対策が無く、即興みたいな感じで力将棋に持ち込んだ2局は勝ったんですが、がっぷり四つで戦って勝った感じではなかったこともあって、スコア以上に完敗でした」と補足説明してくれた。
思い浮かべる大名人の佇まい
サブタイトル「稀代(きだい)の天才たちはいかに戦ったか」からも分かるように、本書は単なる回想録ではなく、偉大な名人たちから「名人とは何か」を学ぼうとした研究の記録でもある。
「名人とは何か、と問われた時、私がまず思い浮かべるのは、大山康晴十五世名人の佇まいである」という記述に始まり、最も多く言及しているのが巨星・大山十五世名人(故人)だ。
大山十五世名人の言葉を基に、谷川十七世名人は「名人には名人としての佇まいが必要であること、派手なことを好まず、軽々しく喋りすぎず、長く地位を保つだけの節度と重みを持つこと」と、名人の条件を推し量っている。
藤井名人のデビュー当時についての描写は、棋士だからこそ書ける鮮烈な内容だ。
「強い若手が出てきた、というだけなら、将棋界はこれまでに何度も経験してきた。しかし藤井さんの場合は違った。『この人がどこまで行くのか』を見守るのではなく、『この人がいることで、自分たちの立ち位置、未来そのものが変わってしまう』と周囲に感じさせたのだ」とつづり、好敵手たちが藤井名人を脅威と感じたはずだと率直に書く。
藤井名人を「きらびやかな才能だけで勝っている人ではない」と分析し、「日々の積み重ねを愚直に続けられる」長所を「もう一つ別の才能」と高く評価。偉大な名人への道を歩み続けて欲しいという期待がこもってみえる。
「40期ごとの周期がある」
「実力制名人戦には40期ごとの周期がある」というのが谷川十七世名人の持論だ。
第1~40期は木村義雄十四世名人、大山十五世名人、中原十六世名人の3人が圧倒的な強さを示した、「名人=第一人者」の時代。第41~80期は谷川十七世名人、森内九段、羽生九段という3人の永世名人が誕生しながらも、他に7人も名人が誕生した名人戦の戦国時代。藤井名人が誕生した第81期から、また新たな時代が築かれるのでは、と谷川十七世名人は予感しているようだ。
巻末の「おわりに」で、「第一に、技の高さ。第二に、その技に到達するまで学び続けた時間と数多く味わってきた失敗。第三に、その人に備わった風格。この三つがそろった時、『名人』という言葉は最もしっくりくる」と、いわば谷川流「名人の3要素」を列挙。自らも「そうあろうとする努力は生涯続けていくつもりだ」と記し、なお前進する構えだ。
将棋や将棋名人の歴史について綴った第1~4章では、研究者としての大内延介九段や増川宏一氏らの著書を明記し、興味を持った人は原典も読めるよう配慮されている。
また、序章「名人戦よりも過酷な順位戦」では、「棋士の感覚では、名人戦とは七番勝負だけを指すものではない。その前段階として存在する一年間の順位戦。その長く静かな戦いを含めて、初めて『名人戦』といえるのである」と順位戦の重みを強調している。
「制度にはもちろんない」と断ったうえで、定員10人のA級にも「実は『A級1組』と『A級2組』が存在すると個人的には思っている」と記述した。名人・A級に連続32期も在籍した谷川十七世名人の言葉だけに重い。
「A級1組」は七番勝負の敗者と前期リーグでの好成績者らで構成。名人挑戦権を争う実力と勢いのある棋士たちで、30代ぐらいまでの若手が中心になることが多いという。一方、「A級2組」は、前期リーグ戦で負け越した棋士ら。まずはA級に残留しようと争う棋士たちで、A級には昇級したがそこで勢いの止まった若手や、ベテランたちだという。
インタビューで谷川十七世名人は「20代、30代のころはAクラスから落ちるなんて考えていなかったです。落ちたとしても、すぐに戻ってこられるだろうと思っていました。でも、40代半ばになると、『自分が(降級候補として)狙われているな』みたいに感じたこともありました」などと振り返った。
現在進行中の順位戦や、来春の名人戦七番勝負を観戦する際のガイドブックとしても楽しめそうな一冊だ。1270円(税別)。
この記事を書いた人
佐藤圭司
文化部|将棋担当・大阪駐在
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専門・関心分野
将棋・ポップ音楽
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