3.11大津波の対策を邪魔した男たち 島崎邦彦 2023.9.20.
2023.9.20. 3.11大津波の対策を邪魔した男たち
著者 島崎邦彦 1946年東京都生まれ。68年東大理学部地球物理学科卒。74年理学博士(東大)。70年東大地震研究所助手、80年助教授、89年教授。09年定年退官、名誉教授。95~12年地震調査委員会委員、長期評価部会会長。01~04年海溝型分科会主査。06~08年日本地震学会会長。12~14年原子力規制委員会委員長代理
発行日 2023.3.31. 第1刷発行 2023.4.14. 第2刷発行
発行所 青志社
まえがき
3.11大津波と原発事故はどのようにして起こったのか、なぜ止めることが出来なかったのか。この災害は人災
大津波の警告は2002年夏すでに発表されていたが、対策はなされなかった
大津波の調査や裁判は、隠されていた事実を暴いた。原子力ムラの動きだ
津波に弱い東京電力の原発が福島県にあるのに、「福島県沖では大津波は起こらない」と、警告を捻じ曲げる動きが3.11まで続く。本書はその様子を追う。捻じ曲げた人たちは、3.11大津波後も、2002年の警告は信頼できず、自分たちに責任はないという。その背後では原子力ムラの動きが続いているのだろう
2002年の警告は、専門家たちが集まって知恵を出した成果だが、防災担当大臣が発表に反対し、内閣府の防災担当が発表を止めようと圧力をかけ、発表はされたが対策不要と読める文章が入れられた
内閣府が担当する国の中央防災会議の津波対策は、大津波の警告を無視したが、被害が最も大きかったところは、大津波が来たところではなく、大津波の対策をしなくても良いとされた地域だった。大津波の正しい対策を中央防災会議が邪魔をしたために多くの命が失われた。こんなことが許されて良いのだろうか
東京電力は福島原発が津波に弱いことを知っていて対策をしなかった。その代わり、対策の延期を専門家の先生に根回しし、役所に延期を認めさせただけでなく、これまで大津波に襲われたことはないと言いはじめた。だから対策せずに済ます、これが東京電力の「対策」で、大津波の対策ではなく、対策不要と役所に言わせた
津波の警告が発表されよとしていた時、東京電力は秘密会議でその内容を、対策をしなくて良いように変えさせた。あと1歩のところで3.11大津波が起こった
第1章
東京電力、ウソで保安院の要求を断る
l 地震学の専門家として告発する
過去の地震を議論し、今後の可能性を予測するのが長期評価部会の役割(島崎部会長)
文科省の地震調査研究推進本部(地震本部)は2002年7月、『三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価について』を取りまとめ、「日本海溝沿いの三陸沖~房総沖のどこでも津波地震が起きる可能性がある」と指摘。30年以内に20%と数字も提示
報告を受けて保安院(エネ庁傘下、エネルギーの安全を所管、12年廃止)は電力各社に津波の高さの計算を要求し、堤防を越える津波への対策を促す
東京電力は、「福島県沖には津波地震が起こらない」というウソ交じりの報告書を使って保安院を騙し、計算をせず
今でも「30年以内、20%」の状況にありながら、3.11の教訓が生かされていない
l 3.11の大津波は人災だった
2002年8月1日、東北地方の新聞各紙に大きく「津波地震」の見出しが載り、保安院が動く。保安院原発稼働の可否決定は、内閣府の原子力安全委員会でもチェックされる
2008年、東京電力が子会社に津波の予想される高さを計算させた結果は15.7m。3.11の大津波の高さは15.2mで、敷地の高さが10m。対策をしておけば事故は起こらなかった
l 2002年8月1日
保安院からの津波調査要求に対し、東京電力は電力各社に対し回答を用意する旨連絡
l 2002年8月5日、保安院からの要求
東北電力は、1896年明治三陸地震を元に津波の計算をした結果を保安院に報告
東京電力は、『原子力発電所の津波評価技術』(2002年2月刊)に基づき、「福島県沖には津波地震が起こらない」と主張し、要求を突っぱねた
l 隠された事実
「長期評価」は、過去の地震を調べて、どの領域でどのくらいの規模の地震が起きるかを決めたものだが、「津波評価技術」は個々の地震について詳細を調べたものではなく、津波がどう伝わるかの計算をしたもので、地震に関して深く議論したものではない
東京電力は、「津波評価技術」を元に津波の高さを計算し、対策を講じていたので責任はないと主張するが、それ自体自ら都合のいいように書き加えた報告書であり、地震の発生予測に関しては「長期評価」に依拠すべきは明らか
l 谷岡・佐竹論文の怪
政府や東京電力が根拠とした谷岡・佐竹論文は、『津波地震はどこで起こるか』(1996年『科学』)で、明治三陸地震が起こった場所は、海底の様子が特異だったが、今のところ三陸沖で確認されただけだという報告で、1つの例を示しただけなのに、保安院は東京電力の主張を鵜吞みにしたばかりか、裁判でもそれが証拠として認められている
l 政府、4省庁の報告書
1993年の北海道南西沖地震(M7.6)を機に、4省庁(建設省河川局、運輸省港湾局、水産庁、農水省構造改善局)による計算結果の報告書と対策の手引き、津波予測マニュアル作成
97年の報告書によれば、福島第一原発の津波の高さは6.4m、「倍半分」と言われ最大で計算値の倍、最小で半分とされることから、最大12.8mの津波が来ることを想定すべき
この報告書に代わるものとして電力各社が資金提供し事務局も担って土木学会に津波の調査・研究をさせた結果が「津波評価技術」で、予測しうる最大級の津波ではなく、過去の記録の高さだけに備えるようにした内容だったが、刊行から半年後には保安院説得に役立つ
第2章
不都合なる津波評価
l 「津波評価技術」
土木学会の津波評価部会には、電力会社やその関係者も参加。過去400年間に津波地震が発生した記録のある場所で発生することを前提とした津波の計算をしたもの
関係者間で共有されたが、議論された記録もなく、サイトで公開されたのは3.11後
l 東京電力に都合の悪い海溝型分科会
02年5月、地震調査委員会の長期評価部会傘下で、海の地震は海溝型分科会が、陸の地震は3つの活断層分科会が長期予測を担当したが、津波評価部会の事は誰も知らなかった
l 地震と津波の専門家たちの関係
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経歴・関係 |
長期評価 |
津波評価部会 |
島崎邦彦(地震) |
東大地震研教授 阿部と同級 |
部会長 |
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首藤伸夫(津波) |
東北大災害制御センター教授 通産省原発技術顧問 |
災害マニュアル委員会委員長 |
主査 |
阿部勝征(地震) |
北大助教授、東大地震研教授 通産省原発技術顧問 |
地震調査委員会委員長代理 海溝分科会委員 保安部会委員 |
委員 |
佐竹健治(地震) |
東大地震研教授(島崎の下) 北大阿部研出身 谷岡の指導教官 |
海溝分科会委員 |
委員 |
今村文彦(津波) |
東北大教授(首藤研出身) |
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委員 |
l 「津波評価技術」と「長期評価」
大地震の予測には2つの方法がある
1つは、大地震の周期から予測する方法。頻発する場合に適用
もう1つは、繰り返しの間隔が長い場合には、地震地体構造が同じ地域として広く捉えて周期を考える方法で、過去の動きを示す地層の特徴などが使われる
1960年代末にプレート・テクトニクス理論によって大地震などの地球表面の動きが説明できるようになると予測の精度も上がる
津波地震の予測には、2つ目の方法が使われ、「津波評価技術」では予測の精度が低い、プレート・テクトニクス理論以前の古い地震地体構造の考え方が使われ、過去に津波地震が起こった場所のみで津波地震が起こると結論した
「長期評価」での予測には、プレート・テクトニクス理論が使われ、プレートの沈み込む場所近辺で津波地震が起こることが分かり、日本海溝沿いの海域を津波の発生場所とした
第3章
発表を事前につぶす動き
l 内閣府の圧力
02年7月「長期評価」が完成するが、防災担当大臣(村井仁)が発表に反対し、地震本部事務局に圧力をかけ、前書きに1段落を挿入させた。以後も内閣府からの圧力は続く
中央防災会議の事務局となっている内閣府防災担当が、地震本部事務局に圧力をかけ、報告書に「対策をしなくても良い」と読める1段落を入れさせて発表
95年の阪神・淡路大震災で、防災のために働く現場に地震のことが伝わっていなかったとの反省から作られたのが地震本部で、所轄外の大臣が関係するのは介入するのは不可解
l 原子力ムラの掟
内閣府の圧力には原子力ムラが関係している――津波地震の警告が次第に歪められていく
l 「発表内容を変える」内閣府からの突然のメール
事務局からの連絡があり、前書きに「データに限界があり、防災対策の検討など評価結果の利用にあたっては留意する必要がある」との一文が追加され、「長期評価」に泥を塗られた気がしたが、文科省の担当課長は発表直後に異動し、抗議の相手がいなくなった
l 上から目線の内閣府に抵抗する地震本部
内閣府から文科省宛ての圧力は、「あやふやな情報を公表して無用の混乱を生むことを懸念する」とある。さらに前書きに文科省と入れろという。その理由は、地震本部の評価結果だと防災上使わなければならないとの誤解を与える恐れがあるので、あくまで文科省の調査研究の成果発表に過ぎないという立ち位置を明確にさせるためという。さすがにそれは削られたが、さらに防災対策をするかどうかは検討が必要との文言を入れさせられた
地震本部の構成:
①
本部長 遠山敦子文科大臣
②
政策委員会 委員長:伊藤滋 早大教授
③
地震調査委員会 委員長:津村建四朗 日本気象協会顧問
l 大臣どうしの軋轢
防災担当大臣から文科大臣(遠山敦子)に申し入れがあったことは記録に残っているが、内閣府防災担当は知らなかったと言い、前書きは文科省が入れたものと主張
l 津波や地震の警報をゆがめる動き
防災担当大臣は活断層の発表を批判、2001年の信濃川活断層発表の際にも、すでに対策は取っているので発表に注意する必要はない旨の資料を記者クラブに配布していたが、今回大臣が動いたのは、特に「津波地震」が大問題だったということ
そこまでしたのは、97年の4省庁報告書で東京電力の福島第一原発が津波に弱いことが明示されていたためで、原子力ムラによる津波対策を邪魔する動きは加速し、中央防災会議の津波地震の無視へと続く
「長期評価」の発表を止められなかった内閣府防災担当は、津波地震の警告を歪める動きを続ける
第4章
問題は津波地震
l 原発は大丈夫か?
「長期評価」発表にあたり、内閣府から圧力がかかる――津波地震の危険性を警告する内容を隠した。圧力をかけた内閣府の下記文書は残っているが、政府事故調はそれを隠した
①
国家機関として発表する情報については正確性を期すため(地震本部の)政策委員会(内閣府防災担当も委員)で審議されるべき
②
報告書の内容は、極めて少ない情報量によって推定されたもの
③
実際に地震が発生していない地域について推定したもので、発生が保証されているわけではない
④
情報の性質や信頼度も併せて、正確に社会に伝わるようにすることが不可欠
l 問題は津波地震
内閣府が問題としたのは「津波地震」(上記の②と③)
津波地震の数が少ないということは重要な情報で、発生の間隔が長いということを意味
日本海溝に沿う地域には、津波地震が4個入る広さがあり、そのどこかで起こる。過去400年間に3回しか津波地震は起こっていないところから、同じ場所で平均して530年に1回津波地震が起こることになる
内閣府が問題としたのは、福島県沖~茨城県沖など過去に津波地震が起こっていない地域で、高い津波への備えの必要性を認識していた福島第一原発への影響を懸念したのだろう
l 内閣府の圧力について話す
「長期評価」への内閣府からの圧力について周囲に発信し始めたが、3.11の後でもメディアは無視。ようやくメディアが予測の正しさを報道をし始めたのは3.11から半年後
その直前、東京電力による「長期予測」を使った津波の「試算」がスクープされていた
徐々に、内閣府の圧力を告発する記事も出始める
l 政府事故調の知らん顔
政府事故調の聴取に対し、内閣府も文科省も圧力文書の存在を否定。文科省は聴取後に文書を見つけて提出したが、事故調はないことにし、最終報告書には、「一般論的な問題意識から前書きが挿入された」と結論付け、内閣府が関与したことは認めた。政府事故調委員の柳田邦男が『文藝春秋』に内閣府による圧力を告発していることについても言及せず
l 「長期評価」後の地震調査委員会のタブー
「長期評価」発表後の地震調査委員会では、「津波地震」という言葉は1度も使われず、海溝型地震では津波が重要だとの発言に対し、地震本部事務局が「津波については省庁連絡会8津波対策関係省庁連絡会議」がやっていると、まるで内閣府防災担当のような回答をした
「長期評価」発表の際、内閣府防災担当から配布された記者発表資料では、「評価結果の内容・信頼度を吟味した上で必要な防災対策を検討」とあり、地震本部発表の信頼度を貶めている
地震調査委員会の津村委員長も阿部勝征委員長代理も事務局もこぞって原子力ムラに忖度
第5章
津波や地震に備える必要がない、とは
l ねじ曲げられた「長期評価」
内閣府防災担当は、津波地震のうち、明治三陸地震だけに備えればよいとして、一般の人向けの防災対策まで捻じ曲げる――原発の津波地震対策を回避しようとすると、一般向けの防災対策においても、津波地震対策は必要なしとしなければならない
内閣府の防災計画によれば、東北~関東の太平洋岸で対策が必要なのは、三陸北部地震、明治三陸地震(津波地震)、宮城県沖地震の3つで、明治三陸地震より南では津波地震対策は必要なしとした
l 中央防災会議
1959年の伊勢湾台風をきっかけに作られた中央防災会議(首相が議長)は、防災基本計画を策定するが、問題ごとに専門調査会を作る。2001年から地震防災の調査会も作られ、最初は東海地震に関する調査会、次いで東南海、首都直下地震、03年海溝型地震と続く
l 10メートルを超える津波が出ないように
東海地震の調査会でいきなり阿部座長代理が津波地震を否定する発言をしたので当惑
海溝型地震の調査会でも、冒頭阿部座長代理が、「これまでの調査会はどの地震の対策をするのか決まっていたが、今回は三陸沖~房総沖のどこに起こるかわからないとなると福島~茨城まですべてに10mを超す津波に備えることとなるが、そうならないような工夫が必要」だと指摘、事務局がその工夫を提案することになる
l 福島県沖の津波地震は対象外
内閣府の防災担当は、歴史上起こった地震の対策だけに限定しようとしたが、それでは大きなエネルギーをため込む周期の長い地震ほど対策から漏れてしまう。記録に残る地震より、むしろその隣で起こる大地震に備えるべきなのに、調査会は過去に起きていないことを根拠に福島~茨城沖では巨大津波は来ないものとして意見をまとめた
l 北海道ワーキンググループの役割
03年の十勝沖地震や千島海溝の巨大津波の検討を目的に設置された北海道WG(座長:笠原稔北大教授(地震))は、いつの間にか海溝型調査会のウラ会議へと変わっていく
l 福島県沖の津波
WGでは慶長三陸津波(1611年)と延宝暴走津波(1677年)を取り上げ断層モデルを作る
両者とも少しずれた福島県沖での津波の影響が懸念されたため、防災対策は繰り返し起こった地震に限定するよう方針転換し、津波を起こした地震は除外
l 三陸の津波地震
事務局は、対策すべき地震として、明治三陸地震を選び、断層の似ている慶長三陸津波の繰り返しだとみなす。中央防災会議では関東地震は1703年と1923年に起こり、その間隔が220年なので関東地震の対策は当面はしないとしたが、三陸の場合は1611年と1896年なので285年あるにもかかわらず、対策すべき地震に選んだ
慶長津波の断層を見れば、明治三陸津波の地震で北側が破壊されたので、警戒すべきは残る南側のはずだが、事務局は誤魔化した。被害のなかった所にこそ警戒情報を出すべき
l 防災の対象とする地震とは
防災対象は繰り返し起こった地震に限定し、明治三陸地震、宮城県沖地震、三陸地方北部地震の3つとなったが、海溝型調査会では反対が多く、北海道WGの笠原座長も三陸や房総の過去の資料を十分調べていないことを認めた
内閣府防災担当は、時間切れを理由に、3つの地震に限定する当初提案を押し通す
l 中間報告の記者会見で消えた福島県沖の津波地震対策
2005年、中央防災会議の海溝型調査会が開かれ、対象を3つに絞った事務局案が通り、その後の記者会見でも発表され、変えられない方針となり、福島県沖の津波地震は消えた
その後の調査会で、明治三陸地震が繰り返した場合の津波計算をし、最大死者数2700人という想定で防災計画が立てられることになる。空しい数字
l ゆるい対策の地域で大多数の人が犠牲になった
100年前に津波地震が起こった同じ場所でまた起こるから備えようという対策は間違い
政府の委員会において「備えなくても良い」とされた津波に襲われて多くの人命が失われた
対策をする3地震による津波の高さを比べた資料によれば、明治三陸地震の繰り返しが起こると岩手の宮古や大船渡で20mを超えるとある。3.11の結果によれば、犠牲者の比率が高いのはそれより南の大槌や陸前高田、女川で想定の2~6倍の津波に襲われている
明らかに中央防災会議の対策が誤っていた。専門調査会は災害と想定の食い違いへの反省をしたが、間違えた原因の追及がなければ何も変わらない。政府の最大の過ちの1つ
第6章
津波の予見性
l 信頼度と確実性も内閣府に都合のいいように強制された
内閣府防災担当からは、地震ごとに信頼度をつけろとの圧力がかかる
『日本の活断層』(1991年刊)には確実度が付されているのを勘違いして、地震調査委員会でも津村委員長・阿部代理共々信頼度をつけるよう事務局に検討を指示
l 紛糾する調査委員会幹部打ち合わせ
活断層の発表では、地震発生可能性を「高い」「やや高い」「それら以外」の3段階に分類、資料の信頼性を「高い」「中程度」「低い」「非常に低い」で示していたが、その上に全体の信頼度を示せというのは、何のためか不審だったが、内閣府に押されて信頼度をつけることに
l 確実度が信頼度に
数値には誤差を含むため、確実度を示したが、いつの間にか信頼度にすり替えられる
なぜ確からしさ(確実度)が、地震の起こりやすさの高さ(切迫性)に結び付くのか不可解
信頼度が低ければ、「信頼できない」と言って対策をしなくて済むからだろう
l 信頼度をめぐるフラストレーション
もともと活断層では信頼度をつけて発表、その上さらに発生確率の信頼度をつけろというのはおかしい――日本中の活断層約100カ所の調査結果を順次発表する中でのさらなる不可解な注文にフラストレーションがたまる
海溝型分科会では、圧力回避のために地震の回数で信頼度を決めることにし、日本海溝沿いの津波地震の信頼度(A~Dの4段階)は、起こる場所がC、マグニチュードがA、起こりやすさがCとなり、真ん中より少し低いくらいの信頼度となった
信頼度が低ければ、対策をしなくて良い、ということなのだろう
l 阪神・淡路大震災後の新指針
95年の阪神・淡路大震災直後、原子力安全員会は新たな安全検討会を作るが、当時の指針のままで大丈夫だと結論
2006年、ようやく原子力安全員会が新指針を採択、初めて津波対策が盛り込まれた。当時はおよそ1万~10万年に1回程度の稀な事故に対して備えなければならないと考えられていたので、「長期評価」の530年に1回起こるとされる福島県沖の津波地震は桁違いに起こる可能性が高く、当然対策をしなければならなかった
l 新指針による見直し
見直し(耐震バックチェック)の対策は電力会社に任せろという主張が通って、保安院は09年を見直し報告の期限とする
その間にも07年新潟中越沖地震が発生、柏崎刈羽原発で想定の4倍の揺れにより放射性ガスが漏洩。東京電力は、柏崎とともに福島の見直しを始める
l 最も対策が必要とされた福島第一原発
06年、インド洋大津波を機に関係者間で原発の災害対策に関する勉強会が始まる――福島第一原発では14mの津波で電源が使えなくなることが判明。07年の東京電力による原発各社の津波対策の調査結果でも福島第一原発だけが余裕がないことが指摘されている
l 見直しの中間報告の問題点
保安院への報告の中間報告が08年に求められ、津波は後回しにして、まずは地震の揺れの見直しだけでよいことになった。見直しに際しては「長期評価」が使われた
l 福島第一原発の津波計算
東京電力社内の見直しでは、福島第一原発での津波の高さを7.7m以上とし、さらにそれを上回る可能性があることが認められ、最高は15.7mと出て対策を検討したが、他社とも共同研究することにして、対策も放置したまま報告書を先送りにした
l 専門家に意見書を書かせる
3.11後、非難した人々が東京電力特にを訴えた裁判で、国からは証拠として専門家の意見が出されたが、多くは「長期評価」は信頼できず、対策をするほどではないと書いた
仙台高裁は、こうした専門家の意見に依拠した国の主張を認めなかったが、東京高裁(2021.1.21.)は認めて、国の責任はないとした
l 仙台高裁判決(2020.9.30.)
津波の予見性を認め、「3.11大津波後の専門家たちの意見は無意識にバイアスがかかっている。このバイアスは事故を防げなかった自分たちを正当化するもの」と指摘
「長期評価」の津波地震の予測は、十分な根拠があるのかということが、原発事故に関する東京電力の経営陣が起訴された刑事裁判で争われ、一審判決は、津波の予見性はなく全員無罪、高裁(2023.1.18.)も同様
l 「長期評価」をめぐる裁判
上記判決の趣旨は、日本海溝に沿う海域が北と南で異なるのに「長期評価」は津波地震がどこでも起こるとし、また北部海溝には堆積物があって南にはないことが分かっているのに、「長期評価」では堆積物の議論をしていないので、津波地震の予測の根拠は十分なものではなく、津波の予見性はないとしたが、おかしな点や矛盾点がいくつもある
堆積物はあってもなくても津波地震は起こりうる。現に延宝房総地震は堆積物のない南の房総沖で起こっているし、日本海溝の北と南で異なるという考えはプレートテクトニクス理論以前の古い考えで、日本海溝に沈み込むプレートの形状は北から南まで大差ない
第7章
痛恨、津波マグニチュード8.2
l 「長期評価」はなぜ書き直しされたのか
「長期評価」には、次の茨城県沖の地震のマグニチュードは6.6~7.0、30年以内に起こる見込みが高い(発生確率90%程度)と書かれ、その通り08年茨木県沖でM7.0の地震が起こったところから、新たに「長期評価」に加えるべく見直しに着手。島崎が部会長だった長期評価部会で検討。マグニチュードの値も変わっていれば直すよう指示
阿部勝征はマグニチュードの専門家。津波の高さから知ることができる津波マグニチュードの考案者。津波と揺れからの2つのマグニチュードから津波地震を定める方法も提案。津波マグニチュードの方が揺れからのものより0.5以上大きい場合、その地震を津波地震とした。「長期評価」でも津波マグニチュードを使い、明治三陸地震の津波マグニチュード8.2も阿部論文(1988年)の値だが、03年の科学誌には8.6とあり、今回の見直しに際し本人に確認したところ、8.2のままでよいとの回答。その背景は次節にて詳述
l 東京電力と阿部勝征さんとの会合
東京電力は土木学会に津波地震の検討を依頼、15.7mの津波予想は隠し最終報告を先送り
08年、東京電力は、保安院耐震・構造設計小委員会委員長の阿部勝征に接触。小委員会の目的は、電力会社の新指針による原発見直しの報告書の精査にあり
その際阿部は、「地震本部は福島沖~茨城沖の地震評価見直しの予定はない」と断言。「長期評価」見直しの議論の前だったにもかかわらず断言したことは、明治三陸地震の津波マグニチュード変更の意思がなかったということだろう
l 福島第一原発に打ち上げる津波の高さ
津波の高さ(浸水高)は海岸が水浸しになった時の海水の深さ(地面からの高さ)をいい、津波が陸上を遡って届いた高さは打ち上げ高(遡上高)といって、それを予測する方法も阿部が開発――日本海溝沿いで津波地震が起こる場合、津波マグニチュードが8.2の場合打ち上げ高の最高値は5.6m、8.6なら14m、9.0なら32m
津波マグニチュードが8.6以上なら福島第一原発が大事故を起こす恐れがあることはわかっていた。だが8.6以上の数値に変えるチャンスがありながら見過ごした。数値を変えていれば津波対策が進んだかもしれなかった
l 阿部論文を詳しく紹介する
03年の『津波地震とは何か―総論』と題した阿部論文では、明治三陸地震の津波マグニチュード8.2は実際の値より小さく、前からわかっていたはずだという。さらに説明図はマグニチュード9.0を示している。打ち上げ高から計算された津波マグニチュードは9.0で、阿部も3.11直後にそれを認めている
第8章
東京電力が影で動かす「新・津波評価技術」
l 東京電力による専門家への根回し
08年東京電力は、土木学会を利用して「新・津波評価技術」を作ろうとし、それができるまで報告書の提出延期を申し出る一方、保安院の阿部や津波評価部会にも根回し
一部の委員は、福島県沖に津波地震を考えない理由を説明する必要があると発言
l 見直しの中間報告が認められた
新指針による原発見直しがなかなか進まないなか、中間報告は保安院と原子力安全委員会により承認
l ないがしろにされた「長期評価」
津波地震が福島県沖で起こらないとするのはもう無理な状態になって、電力各社は別の動きに出る――日本海溝沿いの北と南では津波地震が違うことにしようと南北分断を考え、北へ注意を向けさせようと画策
南の津波地震は1677年の延宝房総地震で、揺れは小さかったが大津波で大勢の人が亡くなった――断層モデルは茨城と千葉北部の津波の記録から作られ、津波マグニチュードを8.0から8.3に改訂。東京電力は同規模の地震が福島沖で発生した場合の福島第一原発での津波の高さを計算し13.6mとなることが判明したが対策はせず。日本原電は東海第2発電所に対策をし、3.11では事故を起こさずに済んだ
l 間に合わない対策
15.7mの津波に備えるための防潮堤の工事は4年の歳月と数百億円が必要で、東京電力では検討を始めたが、武藤副本部長がこの対策をひっくり返す。新評価基準の出来る12年末までには必要な対策を終えて報告書を出すのが暗黙のルールだが、基準ができるまで何も対策をしないと決めたのは、津波対策をしなくても良いと保安院が認める状況を作り出そうとしていたのではないか
l 対策をとるのも1つ。無視するのも1つ
東京電力から津波対策について相談された阿部のアドバイスは津波堆積物の調査で、どこでも津波地震が起こるなら原発沖合でも起こったはずだから、堆積物を調べれば過去に津波が来た証拠があるはずで、津波が来なかったことが分かれば、対策を取らなくても済む
l 東京電力の津波堆積調査
貞観地震の津波堆積物の調査は、産業技術総合研究所が2005~09年に行い、東北大のグループの調査では原発から北へ2㎞の浪江町で堆積物を発見しているが、原発の南では調査はされていない
l そして対策はされなかった
09年東京電力は堆積物を調査、3.11直後の学会で発表。福島の浜通り5カ所で調査した結果、原発の北では発見されたが南では発見されず、それをもって標高4~5mの津波はなかった可能性が高いと結論付け、原発は6.1mの津波に備えていたので対策は不要としたが、堆積物がないからといって津波が来ていないと言い切るのは行き過ぎ
新しい調査結果が発表されると新しい断層モデルが作られるが、産総研も東北大も調査を終えている以上、東京電力の調査が最新となり、それに基づく断層モデルが力を持つ
l 貞観地震の断層モデルは使えない
貞観津波は早くから調査が進み、断層モデルも改良されていったが、3.11直前の津波評価部会で、東京電力は貞観地震の断層モデルは成熟度が低い(諸元の不確実性が高い)ため時期改訂で取り込むのは時期尚早との結論を引き出し、自らの最新モデルを「新・津波評価技術」に使わせようと根回し
一方、地震本部は貞観津波への警告を発表する予定で、「長期評価」の改訂でも、「地震の震源域は少なくとも宮城県沖と三陸南部海溝よりから福島県沖にかけての海域を含み、M8.3程度と推定」と書かれたが、東京電力は「貞観地震以外の地震がどこで起こったかは分かっていない」と主張、「貞観地震が繰り返している(固有地震)と誤解されないようにしてほしい」とも注文を付け、「固有地震の判断にはさらなる調査研究が必要」との一文を追加させ、貞観地震に注意するようにとの警告を弱くした
「長期評価」にはさらに、「貞観地震の断層モデルは、今後の新しい知見によって改良されることが期待される」と改訂され、福島原発の南で新しい堆積物が見つかっていないという東京電力の新しい知見を使った断層モデルを示唆している
第9章
陸の奥まで襲う津波
l 貞観地震の大津波
869年の貞観地震は、揺れがひどかったので津波地震ではない。多賀城城下での被害と白河関より北で大揺れしたことしか記録に残っていないので詳細は不明だったが、1454年にも津波の記録が見つかる
契りきな かたみに袖をしぼりつつ 末の松山 波こさじとは 清原元輔
l 5年計画の調査でわかった貞観津波
2005年の宮城県沖地震M7.2が固有地震か否かの判定のため、産総研と東北大でちょうさを実施したが、その際貞観地震についても調査し、大津波が確認されるとともに、その前にも同じような津波が、1500年頃にも津波が起こっていたことが判明
l 保安院と東京電力の貞観地震に対する根深い相違
福島第一原発の中間報告に対し、保安院の委員会で産総研が、貞観地震が分かっているのに言及しないのはおかしいと指摘したが、津波は最終報告で検討することになっていた
l 「長期評価」第2版(案)
津波堆積物の調査結果では、大津波が来たのは紀元前390年頃、430年頃、869年(貞観)、1500年頃の4回で、同じような地震によるものかどうかははっきりしないが、繰り返し発生しているのは事実で、「長期評価」改訂に際しては、強い警告を発する必要があった
l 強い警告になるか
「長期評価」第2版(案)は次々に警告の度合いを薄めるよう改変されていく
l 秘密会合での書き換え
改変の裏に存在したのが地震本部事務局と東京電力との秘密会合であることが判明
「貞観地震の地震動について判断するのに適切なデータが十分ではないためさらなる調査研究が必要」との文章が付け加えられた
政府事故調は、書き換えについては批判しなかったが、東京電力に対しては国家機関による予測を真摯に受け止めないと厳しく批判。一方国会の事故調は両者を批判
第2版は書き換えられたが、直後に3.11大津波が発生してご破算となる
第10章
こうして3.11津波地震の真実は隠された
l 想定外ではなかった
3.11後、地震本部事務局は、想定外の地震だと発表。想定していた地震の警告は、直前の事務局と東京電力との秘密会合によって遅らされ3.11に間に合わなかった
秘密会合も含め、全体像が判明したのは大津波から8年後
l なぜわざわざ秘密会合を開いたのか
阪神・淡路大震災を機に、新指針(耐震設計審査指針)ができ、過去5万年間に動いた断層を活断層とした前の指針から、過去12~13万年間と期間を広げた
長期評価部会では、それをさらに40万年にしようとして、地震調査委員会でも承認され、2010年11月には公表されたため、東京電力と保安院が慌てて、原子力ムラの会合そのものである秘密会合が翌年初からスタート。事務局は地震の強い揺れの研究者である清水建設社員(石井透)で文科省に技術参与として出向中。参加者は地震本部事務局と東電、中部電力、清水建設、時に内閣府防災担当など
2019年、原発事故を検証するサイトの中でジャーナリストの木野龍逸が資料を暴露
l 電力会社と意見交換をしたい
秘密会合の内容の多くは、活断層で起こる地震の新しい調べ方で、「活断層の長期評価手法(暫定版)」は原発の審査員から猛反発を受けたまま放置
文科省の地震本部が、東京電力や原発の建設会社に尋ねるのはなぜか? 自らの調査結果の発表に対する圧力を回避するためではないか。特に3.11直前の会合は、公表前の「長期評価」改訂版を電力会社に説明し意見を聞いたもので、その結果書き換えられた
地震調査委員会は、95年の阪神・淡路大震災の反省から設置されていながら、東京電力の言いなりになってしまい、対策をしていれば防げたはずの事故を防げなかった
l 2011年2月17日の秘密日程
2月17日に長期評価部会長の私のところに、「長期評価」第2版の地震調査委員会での証人が遅くなるとの通知があり、事務局から東京電力と東北電力に対し、評価結果の事前説明の案内が発出されている
l 保安院と地震本部事務局の秘密会合
2月22日に保安院と事務局の第1回会合が開かれ、事務局は「長期評価」第2版を4月に発表すると話す。その後保安院は東京電力に貞観津波対策を聞き、高さ15.7mを聞き出す
地震本部が電力側と直接話し合うことなど、2002年には思いもよらなかった
原子力ムラの動きを抜きにしては考えられない
l 3.11臨時地震調査委員会
3.11の夜臨時の地震調査委員会(委員長・阿部勝征)開催
l 後出しジャンケン
委員会で事務局が用意した地震の評価文には”想定外”と書いてあり、阿部が「貞観地震については検討していた」と異議を唱えた
私は、長期評価部会の部会長として、「長期評価」第2版を3月9日の委員会に出す予定だったが、他の議題のために出せなかったと説明
地震は想定されていたという意見が相次ぎ、津波の警告をなぜ早く発表できなかったのかとの意見が多く出された。貞観地震の再来の可能性も示唆されていた
文科省は、これらの意見を「後出しジャンケンのように思われる」として評価文への記載を拒否。最終的に評価文は、「宮城県沖から茨城県沖まで個別の領域については評価していたが、すべての領域が連動して発生する地震については想定外だった」
「想定外」なる言葉が独り歩きし始め、警告を遅らせた事務局の責任をうやむやにし、広く責任をあいまいにする言葉となっていった
Wikipedia
島﨑 邦彦(しまざき くにひこ、1946年3月13日 - )は、日本の地震学者・地球科学者。学位は、理学博士(東京大学・1974年)。東京大学地震研究所教授を経て、東京大学名誉教授。日本地震学会会長・地震予知連絡会会長を歴任。 元原子力規制委員会委員長代理。防災功労者防災担当大臣表彰。鉱床学者・島﨑英彦は実兄[要出典]。
経歴・人物[編集]
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1946年 東京都にて誕生
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1964年 東京都立日比谷高等学校卒業
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1968年3月 東京大学理学部地球物理学科卒業
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1970年3月 東京大学大学院理学系研究科修士課程修了
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1974年3月 理学博士(東京大学)(学位論文「Crustal
deformation caused by an underthrusting oceanic plate in eastern Hokkaido and
the Nemuro-oki earthquake of June 17, 1973(海洋プレートの引きずり込みに伴なう北海道東部の地殻変動と、1973年6月17日根室沖地震)」)
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1974-1976年 カリフォルニア工科大学研究員[1]
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1980年9月 東京大学地震研究所助教授
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1989年1月 東京大学地震研究所教授
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2000年
- 米国ワシントン州知事感謝状、米国オレゴン州知事感謝状
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2006年5月-2008年5月 日本地震学会会長
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2007年
- 防災功労者防災担当大臣表彰
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2009年3月 東京大学退職
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2009年4月 地震予知連絡会会長
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2010年 日本活断層学会会長
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2012年9月19日 原子力規制委員会委員(委員長代理)に就任した[2]。同職に専念するため、地震予知連絡会長、地震防災対策強化地域判定会委員、地震調査委員会委員、交通政策審議会委員など他の要職を辞任した。
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2014年9月18日 原子力規制委員会委員(委員長代理)を任期満了退任
ほかに、地震調査研究推進本部地震調査委員会委員、同長期評価部会部会長、地震防災対策強化地域判定会委員、交通政策審議会委員、同気象分科会会長、中央防災会議専門委員、日本活断層学会副会長、震災予防協会理事などを歴任した[1]。
研究・著作[編集]
単著[編集]
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「3・11 大津波の対策を邪魔した男たち」(2023年、青志社)[3]
編著[編集]
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「あした起きてもおかしくない大地震」(集英社)出版:2001/7 ISBN
978-4087812367
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超巨大地震,貞観の地震と長期評価 (PDF) 『科学』
2011年5月号 Vol.81 No.5 岩波書店
共著・分担執筆[編集]
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「古地震を探る」(古今書院)編:太田陽子 出版:1995/7 ISBN
978-4772216524
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「地震と断層」(東京大学出版会)編:松田時彦 出版:1994/ ISBN 978-4130607063
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「活断層とは何か」(東京大学出版会)編:池田安隆 出版:1996/1 ISBN
978-4130633093
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「地震・津波と火山の事典」(丸善) 監修:東京大学地震研究所 編:藤井敏嗣、纐纈一起 ISBN
978-4-621-07923-2
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「東大教師が新入生にすすめる本」(文藝春秋) ISBN
978-4166603688
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「イミダス2007, 地震・火山」(集英社)
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「地震がわかる。」(朝日新聞社)
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「地殻ダイナミクスと地震発生」(朝倉書店) 著:菊地正幸 出版:2002/11
978-4254167269
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「地震防災の事典」(朝倉書店)編:岡田恒男、土岐憲三 ISBN 978-4-254-16035-2
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「地震荷重-内陸直下地震による強震動と建築物の応答」(日本建築学会 編)2000/8 ISBN
978-4818905191
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「イミダス特別編集:日本列島・地震アトラス,活断層」(集英社)
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「新編 日本の活断層」(東京大学出版会)活断層研究会 編 1991/3 ISBN
978-4-13-060700-1
·
「日本の地震断層パラメターハンドブック」(鹿島出版会) 佐藤良輔
(著)、岡田義光
(著)、鈴木保典
(著)
1989/3 ISBN
978-4306032323[1]
主要論文[編集]
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異常地震活動の統計的検出法 (1) 地震 第2輯
Vol.25 (1972) No.1 P.16-23, doi:10.4294/zisin1948.25.1_16
·
地震発生の周期性について 地震 第2輯
Vol.25 (1972) No.1 P.24-32, doi:10.4294/zisin1948.25.1_24
共著・分担執筆
·
竹内均、島崎邦彦、浜野洋三、地震の発生とチャンドラ運動 測地学会誌
Vol.14 (1969) No.1 P11-13, doi:10.11366/sokuchi1954.14.11
·
島崎邦彦、竹内均、地震の発生とチャンドラー運動 (II) 地震 第2輯
Vol.23 (1970) No.1 P41-48, doi:10.4294/zisin1948.23.1_41
·
飯田昌弘、宮武隆、島崎邦彦:今後必要な強震観測: 中規模ないし大規模アレイの必要性]
地震工学研究発表会講演概要
Vol.18 (1985) P77-80, doi:10.2208/proee1957.18.77
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島崎邦彦、松田時彦編『地震と断層』 地学雑誌 Vol.103
(1994) No.6 P719a, doi:10.5026/jgeography.103.6_719a
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中田高、島崎邦彦:活断層研究のための地層抜き取り装置 (Geo-slicer) 地学雑誌
Vol.106 (1997) No.1 P59-69, doi:10.5026/jgeography.106.59
·
原口強、中田高、島崎邦彦ほか:未固結堆積物の定方位連続地層採取方法の開発とその応用 応用地質
Vol.39 (1998-1999) No.3 P306-314, doi:10.5110/jjseg.39.306
·
中田高、島崎邦彦、鈴木康弘、佃栄吉:活断層はどこから割れ始めるのか 活断層の分岐形態と破壊伝播方向 地学雑誌
Vol.107 (1998) No.4 P512-528, doi:10.5026/jgeography.107.512
脚注[編集]
[脚注の使い方]
1.
^ a b c 島崎邦彦のプロフィール / Niko's CV
3.
^ 「「大津波の警告は妨げられた」 元原子力規制委、島崎氏が出版」『東京新聞』、2023年4月1日。2023年4月1日閲覧。
関連項目[編集]
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地球科学者
外部リンク[編集]
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島崎邦彦のホームページ / Niko Shimazaki
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科学技術情報リンクセンター J-GLOBAL
ID:200901072549935809 島崎邦彦 Kunihiko Shimazaki
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YouTube 島崎邦彦 地震予知連絡会会長 2011.5.12-- 日本記者クラブでの講演「3.11大震災 震災後の地震発生予測」(約1時間32分)
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