最後のダ・ヴィンチの真実 Ben Lewis 2021.1.19.
2021.1.19. 最後のダ・ヴィンチの真実 510億円の「傑作」に群がった欲望
THE LAST
LEONARDO ~ The
Secret Lives of the World’s Most Expensive Painting 2019
著者 Ben
Lewis 母国イギリスを中心に、著述業、ドキュメンタリー・フィルム制作者、美術評論家として活躍。主要紙に定期的に寄稿。著書に共産主義を揶揄した『ハンマーでくすぐる』(2008年)
訳者 上杉隼人 翻訳家(英日、日英)、編集者、英文ライター・インタビュアー、英語・翻訳講師。早大教育学部英語英文科卒、同専攻科(現在の大学院の前身)修了
発行日 2020.10.10. 第1刷発行
発行所 集英社インターナショナル
『サルバトール・ムンディ』の歴史
ü 1501~1517年頃制作?
ü 弟子たちによる複製画や同じ題材の絵も数多く制作されていた?
ü フランス王アンリ4世の娘ヘンリエッタ・マリアが、1625年イングランド王チャールズ1世に嫁ぐ際、『サルバトール・ムンディ』を持参?
ü ヘンリエッタ・マリアがチャールズ1世と結婚後は、チャールズ1世が所持?
ü ヴェンツェスラウス・ホラー(1607~77)がチャールズ1世の宮廷で『サルバトール・ムンディ』を見て、エッチングを制作?
ü 1649年のチャールズ1世処刑後はイギリス王家が保持? それともヨーロッパに渡る?
ü 1763年、チャールズ・ハーバート郷が競売会社プレステージに販売委託し、名もない人物に売り渡される?(マーガレット・ダリヴァレの説)
ü この1763年から1900年までの137年、『サルバトール・ムンディ』はどこかに消える?
ü 1900年のクリスティーズの競売において、ジョン・チャールズ・ロビンソンが購入し、フランシス・クック卿に転売?
ü 1958年6月、クック・コレクションの競売にかけられる。ここから2005年までの47年間、再び姿を消したように思われたが…
ü 1958年のクック・コレクションの競売でアメリカ人が買い上げて、アメリカに渡る?
ü 2005年、ニューオーリンズのセントチャールズ・ギャラリーで競売にかけられる?
ü 2005年4月、ロバート・サイモンとアレックス・パリッシュが購入
ü 2008年5月、ロンドン、ナショナル・ギャラリーにおいて、名高いダ・ヴィンチ専門家の前に披露される
ü 2011年11月、ロンドン、ナショナル・ギャラリーのダ・ヴィンチ展で一般公開
ü 2013年、イヴ・ブーヴィエの仲介により、ドミトリー・リボロフレフが購入
ü 2017年11月にクリスティーズの競売において、45,000万ドルで落札
ü 2019年10月~2020年2月、フランス、ルーヴル美術館で開催された「レオナルド・ダ・ヴィンチ没後500周年大回顧展」に出店が約束されたが実現せず
プロローグ
謎の人物。没後には、彼を忘れまいとその偉業を伝えようとする者たちに多くの謎と錯覚を残した
残した傑作絵画はすでに完成以前から色褪せ、破損していたものもある。長い歳月の中で何度も色が塗り重ねられ、全体が黒々としてしまったものもある
描き上げた点数は歴史上のどの画家より少なく、19点しか現存しない
アカデミックな芸術界では、この芸術家の作品を研究することに最大の敬意が示され、学者たちに何より名誉なのは、失われ、忘れ去られていたこの人物の絵画や彫刻を捜し出すこと
この人物は作品に署名も日付も記さなかった。弟子をたくさん持ち、彼等を自分と同じようなタッチで同じくらい巧みに描き上げられるまでに育て上げた。師匠の絵を模写した弟子たちの作品も数多く存在し、当時の記録に彼が弟子たちの絵に最後に手を入れたという記述が見られることもあって後世の者たちはさらに混乱
失われた作品を追い求めるのは危険に満ちた作業で、多くの賢い学者は、見落とされた断片や手稿に記された不完全な文章を研究することを選んだ
だが、埋もれた宝の魅力に抗えなかった者たちは数知れない。全生涯をかけた大発見は数か月ほど新聞を賑わせるが、どれも1年以内に学術的な物笑いの種に貶められた
第1部
1.
ロンドンへのフライト
2008年アメリカ個人美術協会会長のロバート・サイモンが3年前に約1万ドルで購入した『サルバトール・ムンディ(ラテン語で「世界の救世主」を意味)』をもってロンドンに向かう。ユダヤ系で50代、コロンビア大で美術史全般を研究、博士論文では『コジモ・デ・メディチ1世の肖像』の原画を発見したと主張。鑑定士の資格を取って古典絵画のディーラーとして名を馳せ、86年画商を開設、93年には当時石油王アーマンド・ハマー財団所有(現在はビル・ゲイツ)だったダ・ヴィンチの『レスター手稿』の鑑定も依頼されていた
ダ・ヴィンチの手によるものとして広く受け入れられた作品が最後に発見されたのはほぼ100年前の1909年、『ブノアの聖母』で、現在はエルミタージュ美術館に展示
サイモンの発見した絵は、ある段階で破損。中央に大きな傷が刻まれ、肖像画の最重要部分である顔の表面の色が板から削ぎ落され、絵は5つに割れお粗末な数本の棒を組み合わせた「クレードル」(格子状の補強材)で裏面が繋ぎ止められていた
1958年、ロンドンの競売上でこの絵を目にした美術史家は、自身の図録に「大破」と記す
サイモンの絵はサザビーズから5000万ドルの低評価を受けていたが、壊れやすいもので、絵が描かれた板はきれいに結合され、修復を施されていたが、表面に新たに塗られたニスの下には隠された欠陥があった。中央下に巨大は節があり、画板の専門家に確認したところ、見たこともない最悪の木材が使われているとのことだった ⇒ ルネサンス期のミラノの大工やパネル職人によってもたらされたクルミの木が使われていたが、なぜわざわざ節のある木を使ったのか不明で、膨張したり縮小したりするので時限爆弾を抱えているような危険な状態にあった
2.
埋もれた宝
オールドマスター(16~18世紀初に活躍した巨匠画家たち)の作品を扱う画商のアレックス・パリッシュは、2005年ニューオーリンズの名もない競売会社セントチャールズ・ギャラリーのオンライン図録で『サルバトール・ムンディ』を発見、それまでと同じようにサイモンに声をかけて折半で購入
アートの世界では毎年7月以降に各地でアートフェアが開催される
スイスのバーゼル
パリのFIAC
オランダ・マーストリヒトのTEFAF
フリーズ・ロンドン
アーモリー・アンド・フリーズ・ニューヨーク
香港、マカオ
パリッシュは、アメリカの中下層の生まれ、若くして美術市場の経験をし、コルナギ・ギャラリーに才能を認められ、「眠れる芸術品」を見出す才能を磨く。96年ロンドンにある世界最大のオールドマスター絵画の販売代理店リチャード・グリンのアメリカでの買い付け担当を委嘱され、全米に手を広げて売りに出された絵画のデータベースを作る
ダ・ヴィンチはインクと鵞(が)ペンで絵を描いたといわれる。16世紀に入ると、赤と黒と白のチョークを好んで使った。仕上げにグワッシュ(水で溶いて用いる不透明な水彩絵具)を使って白を強調することもあった。優れたスケッチ(下絵)をたくさん残したが、『サルバトール・ムンディ』では2枚しか残っていない。描き方から推測すると1500~10年頃
3.
感じる!
ダ・ヴィンチ研究で知られる高名な学者マーティン・ケンプ(1942~)は、ケンブリッジ大で美術史を学び90年オックスフォード大教授になると『レオナルド・ダ・ヴィンチ――自然と人間の驚くべき諸作』を刊行、レオナルドの手稿と絵画を分析し、レオナルドの考えと、それがどう展開していったかという物語を、筋の通った驚くべき簡素な形にまとめたもので、レオナルドは自然界に潜む数学的、科学的原則を理解し、あらゆる現象に適応する一連の共通法則があるに違いないと予測していたが、自然が余りに多様であまりに神秘的でつかみ取ることが出来ないものだという事実にぶつかり、晩年になって姿勢をがらりと変え、その事実が晩年に描いた洪水や大嵐の圧倒されえるようなダイナミックな一連の絵画に反映されているという
ケンプは、美術界における作品鑑定や制作者の特定方法を厳しく批判、商業主義や専門家のネットワークがしばしば学術的な知識よりも優先される場合があると警告
その一方で、美術史家としての「目」に備わる神秘的で瞬間的な力に頼ることが有効であるとも考えている。美術作品を見て何か「感じる」ものがなければいい出会いにはならない
レオナルドの絵画については、依頼主との契約書のほか、制作過程を目撃した人たちの証言もオーラル・ヒストリーの形で残されていて、それらが貴重な情報源となっている。完璧主義者だったため、指定日までに仕上げられないことはおろか、完成できないことも少なくなかったし、一方で新しい絵が出来上がった時な大変な話題になった。レオナルドの作品という明確な証拠の残されていない作品は比較的初期の『音楽家の肖像』と『荒野のヒエロニムス』のみ。1496年以降の作品で現在証拠となる記録類が確認できないのは『サルバトール・ムンディ』のみ。キリストという題材を考えれば、これは大きな謎
描き方や用いた技法から、『サルバトール・ムンディ』は活動期間の後期の1500~19年の間の制作と推定
神童と言われ、宮廷画家まで上り詰めるが、人生は順風満帆ではなかった。婚外子ゆえに公の教育は受けていない。ヴェロッキオに弟子入りし、20代前半までにその特徴的な描き方で才能を現わし、1478年には独立して創作活動を開始。初めての注文で描いたのが『東方三博士の礼拝』(1482年頃、未完。現・ウフィツィ美術館所蔵)で、知られている作品としては初の肖像画となる『ジネーヴラ・デ・ベンチの肖像』(1478~80)もこの時期
1482年ミラノに移り、初の注文作品『岩窟の聖母』を描く。モデルとなった女性の愛人であるミラノ公ルドヴィーゴ・マリーア・スフォルツァ(1452~1508)の依頼で作成したのが『白貂を抱く貴婦人』。『最後の晩餐』(1495~98)に取り掛かった1490年代に入るとノートにメモやスケッチを残すようになり、その1/4は現存
フランスのルイ12世が北イタリアを征服すると1500年にはフィレンツェに戻り、工房を与えられて安定を取り戻し、『モナ・リザ』(1503~05年頃)や『聖アンナと聖母子』(1503~16)の制作に着手
1506年、即位したフランスの統治者の招きでミラノに移り、『聖アンナと聖母子』や『糸巻の聖母』を描くが、後者はほとんど弟子たちの作品といえる
『サルバトール・ムンディ』もこの時期にフランス宮廷の依頼により制作されたと推測。キリストの長いカールした髪の描き方は特徴的、手や水晶球にも細部にこだわる画家の観察眼が表れている。レオナルド作品と思わせる特徴は数多くあるが、他の作品とは構成や顔の描き方が異なるという指摘もあるのも事実
4.
青の手がかり
ケンプはサイモンから『サルバトール・ムンディ』の鑑定・調査の依頼を受けて何年もかけて研究し、ダ・ヴィンチの作品に値すると結論 ⇒ 絵は「レオナルドの魔法」で、顔と手の対照的な描写に重要性を見出した。顔は柔らかく、手は鮮明に描かれている。レオナルドは芸術家として初めて濃淡遠近法を用い、遠くに行くほど色と輪郭をぼかして描いており、「消失の遠近法」を理解する画家ならではのものとした
一方でケンプの分析には欠陥も指摘され、キリストの顔も髪も同じ位置にありながら髪だけがっくっきりと描かれているのは自身が手稿に遺した記述と矛盾するし、最大の疑問は、救世主の衣装が刺繡の入った金色の帯で彩られているものの青一色しか使われていないことで、これを「青の手がかり」と呼ぶことにする
5.
ヴィンチ、ヴィンチア、ヴィンセット
Provenanceとは、1枚の絵がどこで描かれ、どのコレクションに加えられたかといった絵画の辿った歴史を示すもので、作品の真贋や質の高さの判断材料となり、来歴によっては絵の金額的価値が上下する。芸術の経済的価値における来歴研究は17世紀末には認識されており、王家は最高位に君臨
サイモンは自身でも来歴調査をこなす。最初の手がかりは絵の裏に残された「CC 106」で、19世紀の重要なコレクションであるクック・コレクションに迫る。当時イギリスでヴィクトリア女王を除けば最も貴重な美術品を蒐集していたといわれる布商人のコレクションで、1913年に目録が刊行されている
写真の技術が現代の美術史を作り上げたが、19世紀中頃から存在する美術専門写真館の中で最も有名なのがローマのアリナーリ
ケンプはサイモンに弟子のダリヴァレを紹介。彼女は過去の文献を数年かけて調べ上げる。過去の目録には、ダ・ヴィンチの名前も様々な綴りで書かれていた
17世紀前半、フェリペ4世のコレクションを筆頭にルネサンス絵画が多く集まっていたスペインを訪れて美術に目覚めたイギリスの王太子が、帰国して1年後にチャールズ1世として王位を継承、イタリア美術の収集に努め、1649年没時には3000点を所有。ダ・ヴィンチの作品は3点あり、うち現在真作と見做されているのは『洗礼者ヨハネ』(1513~16頃)のみ。『サルバトール・ムンディ』は39年作成の目録にはなかったが、10年後の1649年の所蔵目録には、「レオナルドによるキリストの肖像」との記述があるものの、価格は僅か30ポンド(今日の価格で3000ポンド)
第2部
6.
サルバトールのすり替え
17世紀のイギリスにはほかにも『サルバトール・ムンディ』と思われる作品が少なくとも3点各所蔵品目録に確認できる
①
1651年ジョン・ストーン(1620~67)が買い上げたもの。「イギリス連邦目録 1649~51」に記載
②
エドワード・バスが所蔵していたもの。①と同じ「イギリス連邦目録」に記載
③
ジェームズ・ハミルトン公爵(1606~49)の財産目録に記載
ほかに手がかりとして
①
レオナルドの原画をもとにヴェンツェスラウス・ホラーが1650年に制作した、「レオナルド・ダ・ヴィンチ 複製」の題字が刻まれたエッチング
②
『サルバトール・ムンディ』と題された絵で、現在ロシアの美術館にある
チャールズ1世の没後、連邦目録に従って売りに出されたが、ピューリタンのイギリスでカトリックの主題を扱った絵は魅力がなく、大半が売れ残り、王家の数千の債権者たちに現物支給の形で譲渡され、それが美術商を通じて現金化されていった
散逸した美術品を取り戻したのは1660年の王政復古で王位に就いたチャールズ2世で、議会文書にもストーンが「キリストの肖像」を含む多くの作品を戻したとの記載があり、1660年代半ば編纂の「ズアオアトリ目録」にまとめられた中に、『サルバトール・ムンディ』も「レオナルド・ダ・ヴィンチ。片手に地球を持ち、もう一方の手を掲げるキリスト」の記述で掲載
連邦目録にあるバス所有の作品も、「主の肖像、レオナルドによる半身画、80ポンド、1651年バスに寄贈」とあり、ラファエロの作品などとともにスペイン王の代理人に売却された
第3の『サルバトール・ムンディ』は、チャールズ1世の遠縁で美術取集仲間のハミルトン卿の生家チェルシーハウスに展示されていた絵をまとめた目録に、「レオナルダス・ヴィンセットによる片手に地球を持つキリスト」の記載がある。ハミルトンはクロムセルと戦って敗北し処刑されるが、美術品は直前に海外に持ち出されたか、国内に留まってチャールズ2世に献納されたか
ホラーのエッチングの存在は、とりわけ原画が散逸した際の複製画の持つ意義の大きさから、美術史におけるこの芸術家の重要性は計り知れない。350枚も残した複製画の1つが『サルバトール・ムンディ』で、唯一明らかに違うのは髭をたくわえているところ
サイモンとダリヴァレは、『サルバトール・ムンディ」の公式来歴を2019年後半まで提示しなかった。2011年にはロンドンのナショナル・ギャラリーが、15年にはサザビーズが、17年にはクリスティーズが、それぞれ非公開の文書をもとにレオナルドのものとして追認しているが、彼等は連邦目録とズアオアトリ目録、ホラーのエッチングから推定
チャールズ1世の所蔵品の裏にはほぼすべてに王冠の絵の下の両脇にCとRの文字を組み合わせた模様がぞんざいに押されているが、サイモンたちの絵画には見当たらず、19世紀中ごろまでダ・ヴィンチの『サルバトール・ムンディ』と思われ、現在はモスクワのプーシキン美術館に展示されている絵の背後にはこの印が確認できる
7.
復活
絵の修復には2つのステップがある ⇒ クリーニング(洗浄)と補彩(失われた色や形を再現)だが、基準やルールは全くない
サイモンたちの『サルバトール・ムンディ』は、ダ・ヴィンチクラスの芸術家によるどの作品よりもひどく傷んでいたため、購入後すぐに評判の修復家でニューヨーク在住のダイアンとマリオのモデスティーニ夫妻のもとに持ち込まれる
マリオは、蒐集家としてもその審美眼において敬意と高い評価を集め、1967年には美術コレクターのポール・メロンがダ・ヴィンチの『ジネーヴラ・デ・ベンチの肖像』を買い上げてワシントン・ナショナル・ギャラリーに寄贈するのを支援し、アメリカの美術館が初めてレオナルドの絵を手に入れるうえで大きな役割を果たす
ダ・ヴィンチの初期の作品の専門家でもあったマリオは持ち込まれた絵を見て、「オールドマスターの絵だ。恐らくレオナルドの後の世代の」と言い、引退していた自分のかわりにダイアンが修復を引き受ける
クリーニングすると、元の絵具の層の6割が失われている。肖像画の命である顔と目の損壊が最も激しかった。修復作業にかかる前にパネルの破損の保護の必要があり、ダイアンの教え子に任せ、出来上がったところで修復に取り掛かる。その過程で唇についた傷の修復の際、ルーヴルの『モナ・リザ』の高解像度詳細画像と見比べ、修復している絵がダ・ヴィンチの作品だと気づく
絵具のサンプルの高画像顕微鏡による写真や赤外線写真から、レオナルドがキリストの額に自分の手のひらを押し当てていることが明らかとなり、明暗の階調をより和らげるためにレオナルドが行った手法がこの絵でも用いられていることが判明
レオナルドには常に3~10人の弟子や助手がいたと言われ、現在リトル・レオナルドと呼ばれている彼等は10~50歳とまちまちだが家柄の良いものが多かった。ジョヴァンニ・アントーニオ・ボルトラッフィオ、アンドレア・ソラリオ、チェーザレ・ダ・セスト、フランンチェスコ・メルツィなどだが、最も知られているのが通称「サライ(小悪魔)」のジャン・ジャコモ・カプロッティで、1490年10歳で入門
成功を収めた画家が弟子たちに自身の作品の複製画を作らせる習慣があり、救世主キリストを描いた絵画も少なくとも20点は制作され、10代のキリスト、20代のキリスト、手の動きや水晶がない肖像画のみのキリストの3種類に分類され、サイモンたちの絵画は青年期の20代のキリストに該当するが、弟子たちが描いた同名の作品を見分けるのは困難を極める
8.
数多くの『サルバトール・ムンディ』
公式の歴史によれば、ズアオアトリ目録記載の通り、サイモンたちの『サルバトール・ムンディ』はイギリス王室に戻ったが、1900年までさらに不明となる
1660年以降イギリス王室のルネサンス絵画蒐集への関心は薄れ、所在も不明確のままだが、ロンドンの美術市場の拡大とともに同名の絵画の数が増えていく
18世紀末までに美術蒐集が王室から中流階級にまで拡散、1732年には南ロンドンで初めて一般向けの商業展示会開催。オールドマスターの作品を扱う競売が多く開催
1750~1840年代にかけて、イギリスの美術市場にダ・ヴィンチの『サルバトール・ムンディ』が何枚も出回り、少なくともダ・ヴィンチの作品を含むとされる競売が19回開かれ、同じ数の『キリストの頭像』と、ダ・ヴィンチの弟子ルイ―二によるとされる『サルバトール・ムンディ』が少なくとも3点出品されたことが確認されている
その間の競売記録を見ても本物はほとんどなく、サイモンたちの『サルバトール・ムンディ』の来歴もいくつかのストーリーが推定される
プーシキン美術館は『サルバトール・ムンディ』を1924年に入手したが、元々はロシアの地主モソロフの孫から買い上げたもので、その来歴については謎のまま
2017年クリスティーズはサイモンたちの『サルバトール・ムンディ』の来歴を一冊の図録にまとめるが、チャールズ1世の所蔵品だったことも含め、何れも推測の域を出ないにもかかわらず、ケンプやダリヴァレ、サイモンらの情報を根拠として断言している。疑問なのは、バスの『主の肖像』やプーシキンの『サルバトール・ムンディ』に一言も触れていないことで、クリスティーズの説得力は弱まり、商品価値は減じ、謎が残った
9.
天上会議
最初の修復作業が終わったところでサイモンは、逸品である公式認定を得るための対策を打ち始める。メトロポリタンのキュレーターや修復家にも見せたが購入申し入れはなかったが、ロンドンのナショナル・ギャラリーが興味を示し、企画中のダ・ヴィンチ展の目玉にしようと、事前に世界有数の美術史家たち5人を招いて意見を聴くことになる
専門家といえども、誰もがこれがレオナルド作品だという揺ぎ無い考えがあり、ことあるごとに自説の正当性を主張してきたが、作品鑑定史上最も正確な目を持つと言われたバーナード・ベレンソンでさえ、現在ではその鑑定結果の2割は間違いだったことがわかっている
会合終了後に公式発表はなく、制作者を鑑定する際に行われる公式過程が一切踏まれることはなかったが、レオナルドの絵であることにほぼ満場一致で同意が得られたとされるが、後からの情報では、確実にレオナルドの作品だと認めたのはケンプと、ワシントンの国立美術館でイタリア絵画のキュレーターとして高く評価されていたデイヴィッド・アラン・ブラウンだけで、誰の作品か尋ねられてさえいなかった人もいた。大半が同様に認めたのは、顔の損壊が激しく、誰が描いたものかもはや判断がつかないということだった
3年後のダ・ヴィンチ展での出展を約束したが、写真や保存に莫大なコストがかかり、競売に向けて動き出す
09年、ニューヨークでオールドマスターの作品を扱う美術商ワーレン・アデルソン(1942~)が絵の売上の33%を手にする見返りに10百万ドル前払いし、絵がアデルソンのギャラリーに架けられた。成功報酬方式で販売を委託したが、各国の公共施設はどこも食指を動かさず。ルーヴルでは契約寸前までいったが、真作でないと判断されるリスクを恐れたサイモンが拒否
11年開催予定のダ・ヴィンチ展の数か月前、サイモンはナショナル・ギャラリーの会合に参加した美術史家たちに『サルバトール・ムンディ』のプレスリリースの原案を送り同意を得る。ナショナル・ギャラリーも例外的に売り出し中の絵画と知って展示に応じ、「ダ・ヴィンチの作品として展示されるが、世界的に認められている作品数点と直接見比べることで、今回の新作が誰の手によるか検証する絶好の機会となる」とコメントし、カタログにも「サルバトール・ムンディとして知られるダ・ヴィンチのキリスト」とだけ記載したが、図録にはダ・ヴィンチの作品と明記。学術的な研究成果を慎重に踏まえたうえで、提示することが可能だと判断した結果であり、1つの見解を持ってその立ち位置を明確にした
5年後クリスティーズで競売にかけられた時のカタログには、「学者たちによる調査・研究の結果、ダ・ヴィンチの真作であり、この原画から多くの複製画や弟子が手掛けた作品が生まれた」と記載。根拠として、19年開催のルーヴルでの「ダ・ヴィンチ没後500周年大回顧展」の準備を進めていた同館のキュレーター、ヴィンセント・デリューヴィンの見解が引用されているが、同氏が16年別の展覧会のカタログに寄稿したエッセイでは、「どうやら最近発見されたようだが、保存状態が悪く、絵がどのように作り出されたか、遺憾ながら事情は知れない」と書いている
10. 史上最大のショー
2011年ロンドンのナショナル・ギャラリーでのダ・ヴィンチ展、「レオナルド・ダ・ヴィンチ ミラノ宮廷の画家」は、1939年ミラノでの回顧展以来最も多くのレオナルド作品を集めたもの。入場者は3か月で史上最高の32万余を記録
ダ・ヴィンチのものと一般に認識されている作品は14~19点あり、うち9点を集めた
展覧会の成功のカギは劇的な大きな物語を示すことに在り、今回はミラノ公スフォルツァの宮廷の場面で、女性の肖像画の展示室に2人の愛人、『白貂を抱く貴婦人』のチェチ-リア・ガッレラーニと『貴婦人の肖像』のルクレツィア・クリヴェッリが対峙。最後に『サルバトール・ムンディ』が世界初公開された
主題に合わせるために美術史から若干逸脱するところもあったものの展覧会に対する評価は最高だったが、『サルバトール・ムンディ』に対する反応は複雑で、万人が認めたものとはならなかった
第2段階の修復作業が進められる。第1段階は保守的な手法で行われたが、レオナルドの作品として認められたことで大胆になり、より創造的に絵を美術品として生き生きとしたものにしようとしたため、修復を管理する監視委員会を組織しなかったことも含め、物議を醸している。数点の複製画を参考に、特にオーブ(左手に持つ球体)は色を使わずに描いているため復元が困難、両目は特に損壊が激しく何度もやり直す
サイモンが十分な情報を公開しなかったことや、モデスティーニが修復作業の過程を信頼できる文書として残していなかったことも作品の評価、確定に疑問を残した
11. おい、クックは手放したぞ
20世紀前半、サイモンたちの『サルバトール・ムンディ』がロンドン郊外のクック卿の邸宅ダウティハウスにあったことは確かで、1907年の同家の目録に記載がある
フランシス・クックは亜麻布商人として「七不思議に次ぐ」と言われた財を成した大富豪の息子で、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館の初代美術収集部長だった美術商のジョン・チャールズ・ロビンソンと出会ってコレクションを始める
19世紀後半に美術市場は隆盛を迎え、景気後退から窮状に追い込まれたイギリス貴族たちが手放す所蔵美術品を吸収していくが、その中に『サルバトール・ムンディ』もあって、クックは120ポンドでロビンソンを通じて購入
1901年没した後には450点が遺され、子孫によって20世紀前半に売却され、多くは英米の各美術館に展示されている
クックの所蔵品を実際に管理したのは孫のハーバート・クック。弁護士をする傍ら、美術「愛好家(アマチュア=独学の鑑定家)」としてレオナルド作品の重要な鑑定家となり、『サルバトール・ムンディ』が日の目を見て、ダウティハウスに架けられている証拠写真が残るが、クック自身も含め、訪れた美術史家の誰の目にも止まらなかった
1939年ハーバート死去。同家の資産管理会社は経営難にあって第2次大戦とともに資産売却が始まる。売れ残った中に『サルバトール・ムンディ』があって、戦後は巡回展で見られたが、再び格下げされ、「ミラノ派、1500年頃」とだけ記載
大半の残った作品はアメリカの財団に売却、更に残った136点が1958年サザビーズの競売にかけられ、『サルバトール・ムンディ』は著名な美術商や美術史家たちの注目も集めない中ニューオーリンズの収集家ウォーレン・クンツが僅か45ポンドで買い上げ
第3部
12. オフショアの偶像(アイコン)
レオナルド作品の取引はごく僅かで、1879年『岩窟の聖母』が9,000ポンドの史上最高額を記録、1914年には『ブノアの聖母』がロシア皇帝ニコライ2世に150万ドルで買い上げ、1967年にはワシントンのナショナル・ギャラリーが『ジネーヴラ・デ・ベンチの肖像』を500万ドルで買い取り。1994年にはビル・ゲイツが『レスターの手稿』を3,080万ドルで入手
サイモンは、過去の事例に稀少価値を加味して、市場価格を125~200百万ドルと設定
ダラスの美術館やカリ肥料で財を成したロシアの大富豪ドミトリー・リボロフレフなどとも商談
美術品取引の仲介業者イヴ・ブーヴィエはスイス人で、美術業界の物流全体を本業とし、商品の保管や輸送を請け負う ⇒ 1888年設立のジュネーヴ・フリーポート(15万km2の保税倉庫)を活用、税務当局に把握されずに商品を動かすうちに、自らも美術品を扱うようになり、そこにサザビーズも加わってロシアの大富豪相手に高額の絵画を次々に仲介
サイモンたちがリボロフレフに接触したところ、価格を聞いてきて190百万ユーロの回答を得、リボロフレフはブーヴィエに相談したが、修復の多さから購入しない方がいいと言われ、諦めきれずにサザビーズを通じて現物を見ることになり、最終的にはブーヴィエに交渉を一任
2013年サイモンらとブーヴィエは、ピカソの後期の作品『喫煙者』(1964年、当時の時価12百万ドル)を入れた一部交換取引により80百万ドルで売却に合意。サイモンらは最後は資金繰りに困っていて受け入れざるを得なかった。翌日ブーヴィエはリボロフレフに127.5百万ドル+手数料1.275百万ドルを請求。ダ・ヴィンチ作品の販売価格の記録を塗り替え、ルネサンス絵画で最高額を記録
リボロフレフは、その後ブーヴィエが自分との絵画仲介で何千万ドルもの法外な中抜きをしていたことを知ることとなり、2015年にはモナコ大公を頼ってブーヴィエを詐欺とマネーロンダリングで逮捕させる。保釈後は世界各地でブーヴィエを相手に民事訴訟を起こし史上最大の美術詐欺事件に発展
サイモンたちは自分たちの代理人の立場だったサザビーズに対しても、ブーヴィエの意図を知っていたのではないかとの疑いから、2016年損害賠償を請求、サザビーズは守秘義務合意書への署名を条件に10百万ドルの和解金を支払う
リボロフレフも、2019年サザビーズに対し380百万ドルの損害賠償訴訟を提起
美術品の市場価格に絶対的なものはないこと、相対取引でいくらでも価格は動き得ること、関係者がそれぞれお互いをどれほど知っているかも立証不可能なこと、さらにはリボロフレフが違法な盗聴に基づく証拠を出したりモナコの政府高官に賄賂を贈っていたことが発覚して、逆にリボロフレフが尋問を受ける。最終決着は見ていないが、両者とも評判は地に堕ち、ブーヴィエは美術保管業務の会社を売却。ジュネーヴ・フリーポートも変化を余儀なくされ、会長は辞任し美術品の所有者の透明性確保ついて新規制を導入
リボロフレフは美術を愛しているとはいいながら、16年以降収集品を売却し始め、大半は購入時より数千万ドル安い価格で手放している。ただ、離婚訴訟は最初の判決で45億ドルの慰謝料とされたが、上訴審では娘の国外の信託を通して購入した資産は対象外との主張が認められ6億に減額されたので、美術品取引では10億ドル失ったものの離婚慰謝料では40億ドル浮かせることができた
『サルバトール・ムンディ』も勝ち組に入り、8年間で一躍名が知れ渡り、価格は劇的に跳ね上がる。この作品ほど急速に価値が上がったものはなかったが、4年後にリボロフレフがニューヨークのクリスティーズの競売にかけると決めた時にはさらに急上昇
レオナルドは晩年もフランス王ルイ12世、その後のフランソワ1世の寵愛を受け活躍。数学と科学に夢中
キリストの纏っている衣服が青一色であることが、フランス宮廷からの依頼であることを示唆。イタリア・ルネサンスの絵画では、キリストは必ずと言ってよいほど赤のチュニックと青のローブに身を包む。キリストの受難を描く際には、赤一色の場合もある。ドイツやフランドルの絵画でもキリストの衣服はこの2色で構成されるのが一般的。1色の場合は紫が用いられる。青1色はそれまでになかった色遣い。そこに理由があるとすれば、青色と金色はフランス王家、ヴァロア朝の色に他ならないということ
制作年は1501~17年と推定され、04あるいは05年に描き始め、17年より前に依頼主に納められたと思われるが、それはレオナルドがフランス宮廷に仕えていた時期とも一致
13. 19分間
2017年ニューヨーク、ロックフェラーセンターのクリスティーズ本社で『サルバトール・ムンディ』の競売実施。クリスティーズは、「最後のダ・ヴィンチ」と銘打って事前に世界3カ所で顔見世、また例外的にこの作品だけの別冊図録を作成。数週間前にはマスコミで贋作との意見が派手に踊る。あらゆる面で様々な規則と慣例を壊したが、その1つはオールドマスターの作品として競売にかけられるべきところを、正しくないカテゴリーである現代美術品の競売に初めてルネサンス絵画をかけた。タイミングよく競売対象として入手した、アンディ・ウォーホルがダ・ヴィンチの『最後の晩餐』の複製制作後に手掛けた『60の最後の晩餐』(1986)と一緒に競売にかけて、近現代美術にしか目を向けない世界有数の億万長者の美術コレクターたちに売り出そうとした。停滞していたオールドマスター市場に比べて現代美術市場はここ10数年で15倍ほど成長
今では普通になった高額美術品の競売でよくみられる第3者保証に手を付け、80~100百万ドルの保証がつけられた
75百万で開始された競売は、90百万ドルの音がついて、保証額に達したことが告げられると、僅か1分14秒で4年前の取引価格127.5百万を上回り、2分10秒で180百万となってそれまでクリスティーズの競売最高額だったピカソ『アルジェの女たち』(1955)の179.4百万を超える。通常5分もかからずに売却される中、電話参加者の2人が張り合って、最後は19分後に4億ドルで落札、クリスティーズの手数料50百万が加算される
保証額を1億ドルとすると、上乗せ分利益が350百万となり、第3保証者の取り分は85百万、クリスティーズも50百万の手数料に加えて上乗せ利益から85百万の取り分を得たはずで、リボロフレフが持ち帰ったのは135百万と見られる
多くの場合、高額美術品を高値で競り落とした人物は謎に包まれるが、今回は『ニューヨーク・タイムズ』が、サウジの比較的穏健派と見られているバドル王子が落札と報道したが、翌々日にはUAE政府が、前月オープンしたルーヴル・アブダビに展示するためにバドル王子を代理人として購入と発表。競り合った相手は上海サンライン・グループの会長で個人の美術館を持つ劉益謙夫妻が絡んでいると推測されている
ルーヴル・アブダビは1年後の公開を公表
14. ニューオーリンズに1軒の家がある
美術品の直近の所有者が明かされることがないのは普通のことで、サイモンたちも05年購入した相手を明かすことはなかった。13年にブーヴィエに売り渡すときも、サザビーズから売買の詳細や以前の所有者について一切口外しないという協定に調印している
クック・コレクションから売りに出された1958年から05年の買い上げまでの47年間が歴史上2度目の姿を消した期間。その間の手がかりの1つがクックの販売会に残された購入者リストにある「クンツ」という名前。ネット検索をすると、ルイジアナの大地主で文献や美術品の収集家、58年前後欧州への渡航歴もある所から競落した可能性はあり、相続人が05年ニューオーリンズの他の競売会社を通じて故人の絵を纏めて売りに出していた
05年当時のセントチャールズ・ギャラリーの図録には、2800点以上の中に『サルバトール・ムンディ』が、「ダ・ヴィンチ風の絵」として記載。サイモンたちが落札した4か月後に、ニューオーリンズはハリケーン・カトリーナに襲われ、絵は九死に一生を得た
図録には「1200/1800」と安値と高値の見積価格が表示され、中に挟まれた競売会社の原本とも思える売却品の売値リストには1175と落札価格が記載されていた
当時の競売会社の社長などに訪ねてみたが、誰も『サルバトール・ムンディ』について覚えていなかったし、ギャラリーの閉鎖とともに記録もすべて処分
図録にあった競売出品物の出所と思われる写真などを手掛かりに調べていくと、ルイジアナ、バトンルージュの地主バジル・ヘンドリー卿の屋敷に架けられていたものと推測、その前58年の競売ではフェリックス・クンツが購入しヘンドリーに売却したと推定
もう1人別のウォーレン・クンツで、1930年代ニューオーリンズで家具製造最大手として成功、宗教を題材とした美術品を集めていたとされ、その息子が家に架かっていたことを証言
15. 砂漠に立ち上る蜃気楼
ルーヴル・アブダビは世界で最も豪奢な美術館。2017年オープン。UAEが2007年に13億ドルでルーヴルの名前を冠する許可を得ると同時に300点の貸し出しを受けた
ルーヴル・アブダビ(Louvre Abu
Dhabi)は、アブダビ市街に隣接するサディヤット島の文化地区にあるルーヴル美術館の姉妹館。2017年11月8日にフランスのエマニュエル・マクロン大統領とアラブ首長国連邦のムハンマド・ビン・ラーシド・アール・マクトゥーム副大統領とムハンマド・ビン・ザーイド・アール・ナヒヤーン皇太子によって開館された。
本館はフランス政府とアブダビ市が30年間の契約の一環として建設。設計者はジャン・ヌーヴェル。契約にあたり、ルーヴルの使用料を30年で5億2500万米ドルを支払うことになった。
初お披露目予定日の2週間前、突然展示をやめると発表、理由は不明、その後も追加情報は一切ももたらされていない
UAEが落札を公表する前日、『ウォール・ストリート・ジャーナル』はバドル王子がサウジの実質上の支配者ムハンマド・ビン・サルマーン皇太子(1985~)の代理人として落札したと報道、ムハンマドは軽い認知症を抱えた国王に代わって権力を行使しつつあるが、内外での種々の軋轢を克服するために美術品を利用している節も窺える。文化的自由と政治的抑圧の組み合わせは、アブダビやカタールで試みられており、美術を利用して自由化の幻想を作り上げ、世界中のリベラルなネットワークを取り込んで政権維持に利用
各方面の話を総合すると、『サルバトール・ムンディ』はサルマーン皇太子が買い上げた最初の美術品で、トランプの娘婿クシュナー等の助言があったとされ、サルマーンはこの絵に描かれた透明の球体を自分が手にしつつある力の象徴と見たのかもしれない
近隣の敵対国カタールの王室が次ぎ次ぎと歴史上名高い美術品を落札していくのに対抗して、サルマーン皇太子も異例ともいえる高額の追加入札によってまで競り落としたのではないかと思われるが、イスラム国王朝の自分がキリストの肖像を買い上げたことで邪推するものが出ることを恐れて、同盟国に持って行こうとした。ただ、まだ絵はヨーロッパに留まったままのようだ
16. 壊れやすい状態
本書執筆中、『サルバトール・ムンディ』は姿を消したまま
ルーヴルなどによって最後に存在が確認された2018年秋以降、競売の数か月後にスイスに送られたが、恐らくジュネーヴ・フリーポートに保管されているだろう
修復したモデスティーニによれば、湿度を45%に保つ必要があり、長時間不適切な環境に晒されるとパネルが割れ兼ねないと心配
2019年、ルーヴル美術館が10月の「レオナルド・ダ・ヴィンチ没後500周年大回顧展」開催にあたり、『サルバトール・ムンディ』の貸し出しを持ち主に求めた。それに先駆け、サイモン、ケンプ、ダリヴァレの待望の1冊『スチュアート宮廷の「サルバトール・ムンディ」とレオナルド作品』が刊行され、モデスティーニも絵の修復に関する情報を網羅したウェブサイトを立ち上げた。この3つによって、『サルバトール・ムンディ』が蘇り、レオナルドの作品を多数所有する権威ある美術館に反論のないお墨付きを得て迎えられると期待されたが、ケンプの本が来歴を証明する新事実を提示することはなく工房の制作を思わせる結果に終わったし、修復の記録もキリストに髭がない事への明確な答えは見つからなかった
大回顧展は、『サルバトール・ムンディ』の展示スペースを設け、図録にも制作者不明のまま印刷されたが、初日までに何の連絡もなく、キュレーターはダ・ヴィンチのものとして展示するとは保証せず、絵が手元に届いたらレオナルドのものかどうか確認・判断すると言ったのに対し、サルマーン側は保証も要求しないどころか貸出自体も拒否
規制なき無秩序な美術市場と、その周辺に築かれた21世紀のグローバル経済によってもたらされた秘密主義の犠牲になったといえる。美術市場に蔓延る相互不信から、事実よりも派閥が優先され、情報の代わりに擁護がある、ディストピア的な業界の宿命
幻の傑作が発見されたとしても、それを鑑定するための今のシステムには馴れ合い的な要素が余りに強く、いかなる肯定的な評価も決して信用されることはない。確たる判断が示されることはまず期待できず、作品は真贋どちらともつかないまま果てしなく漂うだけ
おわりに
一見すると、我々は芸術の黄金時代にいるように思える。美術品の価格は今後ますます高騰していくだろうし、時とともに稀少価値が増し、手に入れたいと望まれることになる
だが、『サルバトール・ムンディ』が我々に伝えるのは、美術界はすべて良しというわけではないということ。美術の生態系に機能障害が生じていることを鮮明に象徴
腐敗と欺瞞の物語は、時折浮かび上がっては姿を消す
美術は自ずと金持ちが一般人にひけらかす、ただの贅を尽くした見世物と化し、我々の美術体験はなんと空虚なものになり果てているか
現代の美術界が抱える問題は、美術界が変わったということではなく、変わっていないということ。「これまでずっとそうだった」という言い方が当たり前にある
日本の読者へ 『サルバトール・ムンディ』は今どこに?
本書を通じて美術の世界の裏側で過去に起こったこと、今現在実際に起きていることについても理解していただけるだろう。美術界には美しい芸術作品と同時に、醜い欲望が様々な形でうごめいている
刊行後に分かったことは、ルーヴルの大回顧展に作品は出展されなかったが、キュレーターたちは真作であると結論付ける本の刊行も用意していたという
だが、ルーヴルはダ・ヴィンチの作品かどうか公式には何も表明せず、持ち主もまたダ・ヴィンチの作品であると確実に保証してもらえない限り貸し出しに応じる積りはなかった
ルーヴル内部でも意見が分かれたのが真相
サイモンたちの共著でも、真筆との主張を繰り返すのみで、望まれていたような重要な真実が提示されることはなかった
レオナルドが残したとされるすべての作品に共通するのは以下の4分類で、それぞれに大きな違いがあるし、工房も5~15あったといわれる
①
レオナルド自身の作品
②
レオナルドが工房の弟子たちと描いたもの
③
レオナルドが構想、あるいは下絵を描いたが、実際制作したのは工房の弟子たちで、最後にレオナルドが少しだけ手を入れたもの
④
レオナルドが全く関わっていない、弟子たちが工房で制作したもの
共著は学問的検証が一切見られず、主張の根拠が示されていない
20年6月、サウジが『サルバトール・ムンディ』を展示する美術館を国内に建設するとのニュースが流れた。200の美術館を建設し、サウジを偉大な美術王国に変えるという
自国の評判をよくしようとする政治的な狙いが透けて見えるのが気がかり
中東諸国は、「健全な美術」の国内普及を推進。美術品は検閲にかけられるが、偉大なる人間性を感じさせるものは問題なく受け入れていると主張する。実際に巨額な資金を美術に投入、ビエンナーレもオークションも開かれている。そうした文化的活動を行うことによって国家は自由化に向かっていると思わせようとするのだが、隠れ蓑に過ぎない。カショギの例を引くまでもなく、背後では人権問題の改善を求める人たちを何人も拘束している
世界の美術界の背後には必ずしも望ましくない現実がある。『サルバトール・ムンディ』はそうした多くの不都合な真実の象徴に過ぎない。そのことも知っていただきたい
最後のダ・ヴィンチの真実
510億円の「傑作」に群がった欲望
ベン・ルイス・著/上杉隼人・訳
¥3,200(本体)+税 発売日:2020年10月05日
13万円で落札された絵画は、なぜ12年で510億円になったのか?
アートの価値は誰がどのように決めるのか、価値と値段は比例するのか――。
最後のダ・ヴィンチ作品の発見として注目を集め、その後、史上最高額の510億円で落札され話題となった男性版モナリザ『サルバトール・ムンディ』。
その謎に包まれた足跡を追う中で見えてきた美術界の闇。衝撃のノンフィクション!
アートをとりまく桁違いの華々しさと、深い闇
この本には、中世の王侯貴族のコレクターたち、修復家、怪しげなディーラーから、現代の美術界の頂点から最下層にいる人びとまで、さまざまな個性的な人物が登場する。2005年に『サルバトール・ムンディ』を「発見」した美術商アレックス・パリッシュは、ニューヨーク近代美術館のギフトショップから美術の世界に入った、まさにその底辺にいた人物だった――。
さながら「男性版モナリザ」をめぐるミステリー小説
ギャラリスト、オークショニア、コレクター、修復家、批評家、そしてタックスヘイブンにあるフリーポートを使って誰にも知られず密かに絵画を売買する超富裕層の存在――著者の筆はそれぞれの仕事の詳細や理想、葛藤、プライド、そして欲を残酷なまでに赤裸々に描き出す――510億円の「傑作」男性版モナリザに群がった欲望の先に見えたものとは。
ダ・ヴィンチは自分の絵のたどった運命に満足しているだろうか
修復前の「大破」した状態の画像ほか、ダ・ヴィンチが『サルバトール・ムンディ』のために描いたスケッチや、弟子による複製画など、多数の貴重な画像をカラーで掲載。
特に、『サルバトール・ムンディ』の「修復」の各段階の画像を詳細に比較して見ることができるため、あまりの違いに驚愕するに違いない。果たしてこれは許される「修復」の範囲なのか、ぜひその目でお確かめいただきたい。
【内容】
没後500年を経て関心が高まっているレオナルド・ダ・ヴィンチ。その幻の名画『サルバトール・ムンディ(世界の救世主)』は、100年ぶりに美術市場に現れた当初、わずか1175ドル(約13万円)で売買されたが、その12年後の2017年にクリスティーズのオークションで美術品としては史上最高額である4億5030万ドル(約510億円)で落札された。
ダ・ヴィンチ最後の個人所有作品であり長年行方不明だったその名画はどこにあったのか、誰が落札したのか、そもそも本当にダ・ヴィンチの真作なのか――謎に包まれた「男性版モナリザ」に世界が注目した。
1500年頃に制作されたこの小さなキリスト画が、1649年のイングランド王チャールズ一世処刑後、20世紀にアメリカの無名で善良な美術愛好家の手に渡り、そこから再び表舞台に登場するまでを詳細に追う。
「大破」していた作品を修復した結果、真作と判定され、所有者となったロシア人大富豪により再びオークションに出品、サウジアラビアの謎の人物に落札された「最後のダ・ヴィンチ」の陰には歴史・経済・政治も絡む推理小説さながら様々な人物・組織がうごめいていた!
【書評】
■まるでアガサ・クリスティのミステリー小説を読むかのようだ
……………『ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス』
■美術市場の腐敗と恥部を暴露……………『デイリー・メール』
■1枚の絵が510億円もの値段で取引された「巧妙なトリック」を生々しく抉り出す……………『フィナンシャル・タイムズ
最後のダ・ヴィンチの真実 ベン・ルイス著 美術市場と値段の構図究明
2020/11/21付 日本経済新聞 朝刊
美術品の値段はどのようにして決まるのか。本書は、論理的な解説が極めて難しいこの問いに対して、1件の究極の事例をもとに答えを導き出すことを試みたノンフィクションである。
2017年11月、レオナルド・ダ・ヴィンチの作として「サルバトール・ムンディ」という肖像画が米国のオークションに出品され、約4億5000万ドル(約510億円)という驚異的な落札価格を記録した。現在世界で十数点しか残っていないダ・ヴィンチの油彩画が美術市場に出てくるだけでも大事件だった。
美術評論を生業とする本書の著者は、作品を再発見した美術商、修復家、キュレーター、コレクター、オークション会社の担当者などこの作品の市場価値の形成に関わった多くの関係者を取材し、各人が何をしたのかについて、克明に描き出している。
17年の落札に関しては、この作品が半世紀ぶりに市場に姿を現した05年には1万ドル足らずの価格だったことを米CNNなどが報じたが、本書では、米国ニューオーリンズの今は存在しない小さなオークションで、わずか1175ドル(約13万円)で落札されたことをつきとめている。
この作品の市場価格がそれほどまでに低かったのは、05年の段階ではダ・ヴィンチの作とされていなかったという理由が大きい。本書の主張で特に興味深いのは、過剰と見られる修復に触れていることだ。制作後数百年を経た古典絵画は作品の損傷が進み、修復が施されている例が多い。
この作品については、作者がはっきりしない中で、ダ・ヴィンチの作と想像しながら修復が進められ、画家の特徴的な技法「スフマート」を意識してぼかし素材を用いたなどの記述がある。修復の結果、極めて美しい画面が復元されたが、もともとの画家の表現と一致するものだったのかどうか。
ただ、それが必ずしも真贋の決着が着いていないこの作品の真作としての説得力を増しており、市場への影響が否定できないことがよくわかる。
美術品はその芸術性だけでこの世の中に存在しているわけではない。本書は、人と経済が美術品を生かしているということを知る参考書としても秀逸だ。
《評》多摩美術大学教授 小川 敦生
原題=THE
LAST LEONARDO(上杉隼人訳、集英社・3200円)
▼著者は英国の著述家、美術評論家。著書に『ハンマーでくすぐる』など。
「最後のダ・ヴィンチの真実」ベン・ルイス著 上杉隼人訳
公開日:2020/11/11
06:00 日刊ゲンダイ
レオナルド・ダ・ヴィンチの作とされる幻の名画「サルバトール・ムンディ(世界の救世主)」。青いローブをまとった救世主キリストは、左手の上に水晶のオーブ(宝珠)を載せ、祈りの右手を掲げている。
男性版モナリザとも称されるこの作品は、21世紀になって表舞台に現れた。発端は2005年、ニューヨークの美術商ロバート・サイモンとアレックス・パリッシュが、ニューオーリンズの競売会社の図録で「レオナルド・ダ・ヴィンチ風」と紹介されたこの絵を見つけ、1175ドル(約13万円)を折半して購入したこと。破損は激しかったが、高い鑑定眼を持つ2人はこの絵に動かされ、質の高さを感じ取る。その後、苦心して来歴を調査し、信頼できる修復家に頼んで後世の上塗りを洗浄し、外科手術のような繊細な修復を施していった。こうして、割れたクルミの木のパネルに描かれた傷だらけのキリストは、光輝を取り戻していった。
発見から12年後の2017年、この絵はクリスティーズのオークションで4億5000万ドル(約510億円)で落札された。これほど短期間で、これほど値が上がった美術品はかつてない。
これは本当にダ・ヴィンチの作品なのか?
ドキュメンタリーフィルム制作者で美術評論家でもある著者が、歴史の闇に沈んでいた「サルバトール・ムンディ」の運命を詳細にたどった力作ノンフィクション。修復家、研究者、批評家、キュレーター、収集家、大富豪、仲買人など、この絵に関わった人間たちが織りなすドラマはミステリーさながら。一枚の絵の来歴をたどる試みは、欲望うごめく美術界の裏側にある「不都合な真実」をあぶり出すことにもなった。
「サルバトール・ムンディ」はサウジアラビアのムハンマド皇太子が落札したといわれるが、今どこにあるのかさえわかっていない。隠された秘密の絵になってしまった。私たちがこの「傑作」を目にする日は、果たして来るのだろうか。
Wikipedia
『サルバトール・ムンディ』 (Salvator Mundi 世界の救世主の意) は、イタリアの美術家レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた油彩画。青いローブをまとったイエス・キリストの肖像画である。
概要[編集]
1500年ごろフランスのルイ12世のために描かれたとみられる。後に、イギリスのチャールズ1世の手に渡ったが、1763年以降行方不明となる[1]。
1958年にオークションに出品されたが、複製とされてわずか45ポンドで落札された。2005年に美術商が1万ドル足らずで入手した後、修復の結果ダ・ヴィンチの真筆と証明される[2]。2011年にはロンドンのナショナル・ギャラリーで展示された。2013年にサザビーズのオークションでスイス人美術商に8000万ドル(約90億円)で落札された後、ロシア人富豪ドミトリー・リボロフレフが1億2750万ドル(約140億円)で買い取った(この買い取り額について、後にリボロフレフは詐欺として美術商を訴えている)[3]。
2017年11月15日にクリスティーズのオークションにかけられ、手数料を含めて4億5031万2500ドル(当時のレートで約508億円)で落札された[4]。この額は、2015年に落札されたパブロ・ピカソの「アルジェの女たち バージョン0」の1億7940万ドル(約200億円)を抜き、これまでの美術品の落札価格として史上最高額となった[3]。
脚注[編集]
1. ^ “ダビンチのキリスト画、510億円=芸術作品で史上最高額-NY競売”. 時事通信. (2017年11月16日) 2017年11月19日閲覧。
2. ^ “ダビンチ絵画、510億円で落札 芸術作品として史上最高額”. CNN. (2017年11月16日) 2017年11月19日閲覧。
3. ^ a b “ダビンチのキリスト画に510億円、史上最高額で落札 NY”. AFP BB News. (2017年11月16日) 2017年11月19日閲覧。
4. ^ “「男性版モナリザ」が508億円 幻のダ・ヴィンチ作品が史上最高額で落札”. ハフィントンポスト. (2017年11月16日) 2017年11月19日閲覧。
絵画
受胎告知
**キリストの洗礼
カーネーションの聖母(英語版)
ブノアの聖母
荒野の聖ヒエロニムス(英語版)
**リッタの聖母
岩窟の聖母(ルーヴル美術館展示版)
白貂を抱く貴婦人
**岩窟の聖母(ナショナル・ギャラリー展示版)
最後の晩餐
*ミラノの貴婦人の肖像
**糸車の聖母(2つのバージョン)
聖アンナと聖母子
モナ・リザ
†アンギアーリの戦い
†レダと白鳥
サルバトール・ムンディ
関連作品
彫刻
ドローイング
手稿
他のプロジェクト
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