人口で語る世界史  Paul Morland  2020.6.15.


2020.6.15.  人口で語る世界史
The Human Tide ~ How Population Shaped the Modern World          2019

著者 Paul Morland ロンドン大に所属する気鋭の人口学者。オックスフォード大で、哲学、政治、経済の博士号。国際関係論の修士号を取得。ロンドン大で博士号取得。ドイツ、英国の市民権を有し、フランス語も堪能。マルチカルチャラルなバックグラウンドを持つ。本書は、アカデミックな裏付けのもと、一般読者向けに書き下ろされた

訳者 渡会圭子 翻訳家。1963年生まれ。上智大文卒

発行日           2019.8.30. 第1刷発行
発行所           文藝春秋


人工を制する者が、世界を制してきた
l  アングロ・サクソンは、なぜ世界の覇権を奪えたのか
l  猛追するドイツとロシア。人口膨張の驚異が各国を戦争に駆り立てる
l  ヒトラーによる優生学。人口増との大いなる矛盾の行方
l  日露戦争に勝利した大日本帝国は、世界の人口大国へ
l  超大国アメリカの出現、人種・移民問題を端緒とする翳りとは
人口の大変革期に当たる直近200年を叙述。全く新しい歴史書の誕生!


第1章        人口が歴史を作ってきた Population and History:Introduction
人生は残酷で悲惨で、そして短かった――イギリスで農業・産業革命が起こるまでは。18世紀、世界人口は10億人に満たなかったが、今や70億超へ。この200年に起きたことを人口観点から語ろう
l 18世紀までの世界――飢え、病気、災害、打ち捨てられる女子どもたち
l 野蛮な社会から文明社会へ
l 18世紀の世界人口は10億人未満だったが、今や70億人超に ⇒ 物質的状況、栄養、住居、健康、教育レベルが大きく向上したのは、経済と同時に人口に関わることでもある
1800年前後にブリテン諸島と近親のアメリカ、大英帝国から始まった人口増加のプロセスは、先ずヨーロッパへそして全世界へと広がる。アフリカ以外で平均寿命が60歳を下回る地域はない。20年前の世界平均が今では世界のほとんどの地域での最低限の数字となっている。これが成し遂げられたのは、最も基本的でもっとも複雑な条件が組み合わされたお陰。手を洗う習慣の普及、給水設備の充実、初歩的だが重要な妊婦と出産への介入、医療全体の質と食生活の向上、そして女性が教育を受け、命を救う技術が発達して実践されなければ、どれも不可能だった。農学から輸送の分野にまで及ぶ科学と技術の進歩も不可欠
l この200年を人口で忌憚なく読み解く ⇒ 過去200年の間に人口動向が大きく変わり、それが世界を変えている。これは国家の盛衰、そして権力と経済力の大変化だけでなく、個人の生活がどのように変わったかについての話でもある。人口の潮流の物語は、長所も短所も語られるべきだが、同時のその本質が伝えられなければならない。人類の輝かしい勝利であることは間違いない。奴隷制やガス室も忘れてはならないが、今では子どもの健康についての不安から解放され、豊かで長生きできる生活を送れるようになった事実に目をつぶるべきではない。人口の増加によって人間の創造力や発明力が高まり、ワクチンの発明や人間の月面着陸につながった。そして不完全ながら、民主主義と人権意識が広がった
l 人口要因がますますダイレクトに響く時代へ ⇒ 本書はまた、歴史における人口の役割について書いたものだが、人口動態、つまり出生率や死亡率の上昇や低下、人口規模の拡大や縮小、移民の増加といったことがすべての歴史を決めると主張するものではない。むしろ人口は、それ自体が他の要因によって動かされるもので、物質的なもの、観念的なもの、そして偶然など、いくつもの複雑な要因がある。1800年代から人類は次第に自分たちの数をコントロールできるようになり、驚く程の効果を挙げた

第2章        人口とは軍事力であり経済力である The Weight of Numbers
人口増の原動力は、乳児死亡率、出生率、移民の数。歴史の流れに甚大な影響を与え、経済と帝国の運命を左右し、今日の世界の基礎を築いた。無数の大衆の希望、愛、恐怖もが詰まった数字を読む
l 1800年頃にブリテンで起きた大変化 ⇒ 18世紀末から19世紀初めに、人口学的に歴史の大きな断絶、根本的な変化があった。アングロ・サクソンは、トマス・マルサスが発見し規定した人口増加への制約を免れつつあった。産業革命によって人口学上の必然的な変化が起こり、地理と歴史の両面から、世界的かつ永続的な変化が始まる。産業の発達による人口急増によって軍事力や経済力が高まり、移住者が押し寄せた。こうした人口の変化が起こす事件が既存の秩序を脅かし、乱し、ひっくり返すという1つのパターンを生み出した
l 人口動向の歴史 ⇒ シーザーの頃の世界人口は250百万、1837年ビクトリア女王即位時は10億、それが戴冠後200年たたない間に7倍になり、世界を大きく変える影響を与えた。世界に広がった傾向の1つは幼児死亡率の急低下であり、もう1つは1人の女性の生む子どもの数の大幅減少。これらの現象が世界に急速なスピードで拡散
l アフリカ等始まり、アフリカに戻る ⇒ 人口増加の急激な加速と、現在では突然の減速が起きていることを知れば、世界は大きな分岐点に立っていることが分かる。世界を比較すると、国や大陸ごとにはっきりとした違いがある。本書はヨーロッパ北西部で起こった人口動向の大変化から始まり、短時間で世界中にどれほど大きな影響を与えてきたかを語る
l 人口増加の原動力の一つ目の要因は、乳児死亡率 ⇒ 19世紀初頭、6人に1人しか1歳の誕生日を迎えられなかったが、現在では300人に1人しか死亡しない
l 2つ目の要因は出生率 ⇒ 上記同様の期間に1人の女性が産む子供の数は5人から1930年代2人まで減少、戦後は上昇したが、21世紀には世界中で出生率が低下
l 3つ目の要因は移民 ⇒ 19世紀の人口爆発がなければ、ブリテン人が世界中の広大な領地に定住することもなく、英語が通じる土地の多さとか自由貿易の規模など、現在グローバルと見做されているものの多くを生み出すこともなかった
l 人間の数と軍隊の力 ⇒ 人類の歴史の中で、人数の重要性を伝える最も分かり易い例は軍隊。兵士の数の背後には、その社会全体を構成する人の数がある。人口が軍事的な強みへと転換されていくうちに、人口動向が世界の歴史に大きな影響を与えるようになった
l ナポレオン曰く、一番愛する女性は「一番多く生む女」 ⇒ 国際問題の中では、人口の重要性が認知されていることが多い
l 人間の数と経済力 ⇒ 軍事力以外で、一国の力を決める最も重大な要因は経済規模。経済規模と人口の比例関係は、産業革命で一旦崩れたが、工業化の拡散によって、人口規模が経済規模を左右するようになっている
l 人口転換が経済の先回りをすることも ⇒ 安価なテクノロジーと私的公的な慈善活動のお陰で、人口転換が先行することもある
l 人間の数はソフトパワーへも影響 ⇒ 人口が多い国の方が、文化面で多きな役割を担える可能性が高い
l オバマ、そしてトランプを選んだのは誰か ⇒ 2008年のアメリカが50年前と同じような白人国家だったらオバマはあり得ず、予測されている2040年のアメリカの民族構成からするとトランプのような白人ブルーカラー労働者を擁護する候補者の勝つ可能性はほとんどない
l 移民人口の急増とブレグジット ⇒ 0515年の間に移民人口の急増した地域では脱退に投票。ケベックの独立投票も、出生率の低下が投票結果を左右した可能性が高い
l チェチェン族やアルバニア人、出生率の高さゆえ支配層へ異議も ⇒ 人口構成は、特に国家内部の争いの要因として重要度が増している。少数民族の出生率のほうが高いため、支配力の構造変化は、それに対する異議が起こっている
l デモグラフィック・エンジニアリング ⇒ 政治と民族の関わりが強くなると、人口の民族比が極めて重要になる。同国内での民族集団間の対立が増加する原因
l 人口学の基本は、出生数、死亡数、移民 ⇒ 粗出生率は一定人口に対する出生数、粗死亡率は一定人口に対する死亡数。人口統計学では何れも1,000人当たりで示される
l 1人の女性が生涯で生む数=合計特殊出生率Total Fertility Rate ⇒ 粗出生率と粗死亡率の利点は、シンプルで人口がどのくらいの速さで増加/減少しているかわかることであり、欠点は一国の年齢構成を考慮していないことで、それを調整するために人口統計学では合計特殊出生率と、平均余命(平均的な人があと何年くらい生きられるか)を調べる
l 合計特殊出生率と粗出生率、南アとイスラエルの場合 ⇒ 南アでは女性の教育向上などで結果的に出生率が大幅に低下したが、最近まで出生率が高かったため全人口に対して若い世代の占める割合が高い。これは前の世代が子どもを多く生んだことを反映。イスラエルは先進国でありながらこの2030年で1人の女性が生む子の数が増加している。粗出生率は南ア22(1,000人当たり)に対しイスラエル21と南アが僅かに多いが、それは南アの女性の方が多く子を生むということではない。むしろ出産可能な年齢の女性の数が多いということ。イスラエルでは1人の女性が平均3人以上の子を生む。南アでは1970年代後半の合計特殊出生率が5人と高かったのに対し、イスラエルは南アより1.5少なかった。現在イスラエルの全人口に対して、出産可能年齢の女性の数は少ないが、それぞれが生む子の数が多いので、合計特殊出生率は高いが、粗出生率はそれほど高くない
合計特殊出生率はある瞬間の状況を示すのによい指標であり、特定の時期の出生率に何が起こっているかを知ることができる。最も信頼できる指標はある集団あるいは世代の完結出生児数だが、これが分かるのは集団の女性全てが出産可能年齢を過ぎてから。1870年代と1890年代に生まれた女性の出産数は、どちらもそれ以上子どもを生むことはないので比較できるが、1970年代と1990年代ではどちらの集団もまだ出産可能年齢にあるため比較は難しい。それでも合計特殊出生率は、今出生率がどのような状況にあるのかを判断するのに最も適した指標
粗出生率と粗死亡率は人口全体についての生の情報であり、一方、合計特殊出生率は平均寿命と同様、人口の特定の構造を知るための尺度。日本とギニアでは粗死亡率は10でほぼ並ぶが、平均年齢はギニアの方が遥かに低いとすれば、ギニア人は若くして死んでいるということ
人口の年齢構成は、子どもと65歳超の人々の割合を調べることでも分析できる。ごく単純な方法は、年齢の中央値を調べると、ギニアは19歳未満に対し日本は46歳を超える
l 人口データの読み解き方 ⇒ 様々な時代の全人口の規模を調べるには、データの分析とそこから推定することが必要。国連では、国と大陸ごとの出生率、合計特殊出生率、平均余命、年齢中央値などのデータを1950年分から公表し、21世紀末まで続けられる見込
l 社会を読み、変化を説明し、個人を物語る ⇒ 人口統計学が世界をよりよく理解するためのツールとしての力を持つのは、各種の数字を3つの面から見ることができるからで、第1は、それ自体が社会についての意味深い何かを伝えていること。UAEの死亡率の低さは最近の人口急増と平均寿命が医療と公衆衛生の広まりによって長くなっていること、更には膨大な数の移民人口のお陰
2に、連続するものの一部と見ると、特別な変化を説明できること。1982年のケニアでは年間4%近く人口が増加していたが、2000年には2.5%に減少したのは、合計特殊出生率が7から5に減少したため。人口急増は続いているがそのスピードが落ちている
3に、データは何百万もの個人の物語の集まり。個々の物語がデータを説明するものであると同時に、データもまた個々の物語を説明する
l 希望、愛、恐怖が数字には詰まってる ⇒ 人口学の前提とするのは、1つは人間の命は本質的に善でありそれ自体に価値があること。もう1つは女性が自身の妊娠についてコントロールできれば、集団として賢明な決定が行われるということ。教育と技術のツールが与えられていれば、普通の人々が社会や世界全体のために一番望ましい決定を行うはず

第3章        英国帝国主義は人口が武器となった The Triumph of the Anglo-Saxons
人口増が土地の生産力を上回ると悲惨なことに――そんなマルサスの罠から抜け出した英国(ブリテン)。農業・産業革命で人口大国となり、新大陸、豪州、NZへ次々移民、帝国主義をひた走る
l サンフランシスコ市長がアイルランドで生まれた時、サンフランシスコは存在しなかった ⇒ 第12代市長マッコピンは1834年アイルランド生まれ。そのとき500人だったサンフランシスコの人口は1897年死んだときに30万。地球の反対側迄渡って富を成して新しい社会の代表となる、そんな話はごく普通のことだと思われていた。すべて人口の爆発的増加から生じ、現在の世界を作り上げた
l イングランドが先陣を切る ⇒ 工業生産の急激な発展が先か、人口増加の大波が先か。確かなことは、膨大な数の工場労働者がいなければ産業の発展や世界規模の生産は不可能だが、大量生産と輸出が可能だったからこそ、増え続けた人口を養うことができた。ブリテンで始まったことが全世界を巻き込んで国から国へ、大陸から大陸へと広がってその土地の根底を揺るがせた。人口爆発によって、ブリテンから移り住んだ人々、更にはヨーロッパからの移民が世界を支配するようになり、やがて彼らがその土地から撤退を強いられた時も、人口爆発が大きな役割を果たしている
ブリテン諸島は、人口学上の革命が始まった場所 ⇒ 18世紀にイングランドから始まり19世紀を通じて進んだ人口拡大は、工業化と都市化と同時に起きたという点で前例のないこと。又、長期にわたって人口が増え続け、全世界に展開したことも革命的
l マルサスの『人口論』(1798年刊:人口増加がそれを養う土地の能力をいつか必ず追い越し、そうなれば悲惨な状況と大量の死が待っていると主張) ⇒ 土地の養える能力を超えて人口が増えると、戦争や飢饉、病気によって土地が養えるまで人口が減少する
l マルサスはしかし、農業革命を目撃していなかった ⇒ 近代的な農業技術の導入と、輸送手段の出現により、広大な土地が農地として使えるようになり、増え続ける人口への食物の供給が可能となって、人口増加を加速したが、マルサスの時代はまだその入口
l 当時のインテリは、人口増加を嫌悪 ⇒ インテリ層は、人口増加を国家にとっての恵みとは捉えず、人が拡散して大衆的な文明と環境が生まれたことを嫌悪。ニーチェも、「人間の大半は存在についての権利を持たず、彼等は高尚な人間にとっての災いである」という
l 人口増加の離陸期をどう説明するか ⇒ なぜこの時期イングランドで人口増加が起こったのか。出生数が死亡数を大幅に上回っていたが、膨大な数の移民が海外の帝国領土を目指して出ていったため相殺されたが、それでも100年で人口が4倍になっている
l 女性の結婚年齢が早まり、下水道、鉄道などインフラも整う ⇒ 19世紀半ばまでに平均26歳が23歳になった。と同時にビクトリア時代の道徳意識の高まりにより婚外子が減少。合計特殊出生率も19世紀初頭までの100年で456前後にまで増加。反対に生活環境の改善で死亡者が激減し、同じ期間で平均寿命が10歳も延び、40歳を超えた
l 実は乳児死亡率はそれほど下がっていない ⇒ 他の国では人口増加の大きな要因が乳児死亡率の低下にあったが、この時期のイングランドではそれほどでもなく、大きく下がったのは1900年以降
l 人口で後れを取るヨーロッパ大陸、避妊法を知っていたフランスの農民 ⇒ 1800年フランスの人口はブリテンの4倍近かったが、1900年には僅か25%の差に。イングランドが大量の移民を輩出していたことを勘案すると更にその違いは顕著。フランスでは1人の女性が生む子どもの数が少なく、農民たちが避妊の方法を知っていた影響が大きい。他に人口が急増していたのはデンマークとスコットランド
l 新大陸からのジャガイモで人口が跳ね上がったアイルランド ⇒ 19世紀におけるアイルランドの人口減少は、逆の例外の中の例外だったが、エリザベス1世の時代アメリカから入ってきたジャガイモのお陰で19世紀初頭には人口が4倍に増加
l だが、ジャガイモが疫病に襲われ、飢饉へ ⇒ 1845年の疫病でジャガイモ飢饉に陥った上に人種差別が加わって支援も断ち切られ、7年で100万の死者。その後も数十年で何千万もの国外脱出が起こり、アメリカの北東部の大都市を大きく変えた。アイルランドの中の例外が北部のアルスター地方で帝国の工業化の一部を構成、人口が急増
l 人口増+産業隆盛でブリテンは世界の工場へ ⇒ 19世紀におけるブリテンの帝国主義的拡張は、世界のワークショップとなったことと密接に結びつく。人口増加が産業の隆盛を助けるという好循環が続く。経済成長の半分は純粋に人口増加の影響だったことが分かる
l 女王と母国のために――帝国に人を送る ⇒ スペインは中南米を征服するも、先住民の集団を壊滅させただけだったが、ブリテンは急増した人口を背景に征服した土地に住み着く。移住を促す動機は種々だが、多くの成功物語が大きな誘因となったのは間違いない
l 大陸を先住民から奪い取れた理由 ⇒ マルサスの制約を免れたブリテンの力こそが、大陸の領地を先住民から奪った秘密。数の力と新たなテクノロジーの組み合わせ
ブリティッシュ・エンパイアについて重要なのは、スコットランドとアイルランドがヨーロッパ以外の土地への移住者を送り出す上で、人口と比べて不釣り合いなほど大きな役割を担っていたこと
l カナダへの移民、フランス系カナダ人のゆりかごの復讐にめげず ⇒ カナダは農地への集中的な移住に最適。移民のお陰で第1次大戦開戦時の人口は700万と半世紀で3倍増、大半はイングランド、スコットランドとアイルランドからで、人口の半分はその系統。ケベックに集中していたフランス系カナダ人によるゆりかごの復讐”(高い出生率により、カナダでブリテンに負けた仇討をしているという意味)にもめげず、1867年の自治領制定前後にも移民が流れ込み、先住民は30人に1人未満にまで減少。第1次大戦中にはカナダからの食糧がブリテンの生命線となる一方、カナダの男たちは旧母国の兵士に志願
l オーストラリア、ニュージーランドへ進出 ⇒ 第1次大戦までの100年で、オーストラリアにおけるヨーロッパ人の数は1万人未満から400万人を超えるまでになり、大半がブリテンからで、たちまち先住民は駆逐され全人口の2%に縮小
ニュージーランドでも第1次大戦までの50年で10倍の100万となり、先住民は全体の5%。両国とも大戦中は母国に食糧と多くの兵士を提供し、戦後は新たに工業化されたブリテンを中心とする世界貿易システムの必需品を提供する巨大な穀倉となった
l 南アでマンデラ大統領が生まれた理由 ⇒ アフリカ大陸の大半はヨーロッパ人の移住先として向かないと考えられていたが、気候がまだましな南アは例外で移住対象とされたが、移住者が先住民に対して優勢になったことはなく、白人人口が漸減したことがマンデラが大統領になれた背景にある。世紀の変わり目のゴールドラッシュの時でも白人人口は5人に1人でその後も変わらなかったが、1990年前半のアパルトヘイト廃止の頃は白人人口が13%で白人支配には限界が見え、新生南アでは10%を切る
l アメリカのアングロ・サクソン ⇒ UKにおいては、アングロ・サクソン5世紀ごろのドイツとスカンジナビアからの移民を指すが、独立当時のアメリカ合衆国では、イングランドとは違うということでアングロ・サクソンと言う言葉が使われた。新大陸の領土を拡張していく背景には人口の後押しがある。1820年には10百万だった人口が新たな移民と高い出生率で1900年には76百万に急増
l 奴隷制度の暗黒面 ⇒ 合衆国における人口急増は、ブリテンとドイツからの移民。奴隷制は、先住民の排斥・虐殺と並んでアメリカの暗黒面の1
l アングロ・サクソンの傲慢 ⇒ 人口の競争で優位を占めていたからこそ生じた姿勢で、最初にマルサスの罠を脱出した強みは、永遠に続くと思えたが、人口増はイングランド人に特有のものでもなく、新たな世界を作ったが、その支配権を独占したわけではなかった

第4章        猛追するドイツとロシア The German and Russian Challenges
人口トップのアングロ・サクソンに続けとばかり、ドイツは詩人の国から血と鉄の国に変貌。同じくロシアも大膨張を始める。人口脅威が、各国を戦争へと駆り立てる。ゆりかごが世界を揺らす
l 西部戦線に異常が起きたのはなぜか ⇒ 第1次大戦の西部戦線で証明されたのは数の力。人口競争における唯一の必勝法は、ほんの少し早くスタートを切ることでトップを走るアングロ・サクソンを最初に烈しく追い上げたのはドイツとロシア
l イングランドの失速 ⇒ 19世紀後半の変化で最も重要なのは、女性が生む子どもの数が減少したこと。乳児死亡率の低下が原因
l ディケンズの世界から、清潔な世界へ ⇒ 乳児死亡率低下のあと出生率も低下するのは人口潮流の基本的なパターン。19世紀の間にディケンズ的と考えられていた状況――下水溝、工場で働いたり煙突掃除をしたりする子どもたち――が変わり始める。1914年には公衆衛生も大きく向上、乳児死亡率が10人に1人に低下
l 避妊の歴史 ⇒ 経口避妊薬の登場は数十年あと。古代の人口増加率の低い背景には何らかの避妊法が存在していたが公にはされなかった
l 「もう私は欲しくありません」 ⇒ 産児制限の受容と、優生学者の出現
l イングランドの人口増加速度が落ち始めた ⇒ 人口増加を左右する3つの要因とは、①出産可能な若い女性の数、②死亡数、③移民
l 詩人の国から、血と鉄の国へ――目覚めたドイツ ⇒ 政治的統一と人口増加が躍進の原因。人口では、常にドイツがUKを上回る
l UKによって舗装された道を、速いスピードで後追いする ⇒ 1880年から1913年の間にドイツの製造業はブリテンの1/3のレベルから肩を並べるまでになった
l 田舎、下層階級では大家族が続いた ⇒ 人口増加とともに都市化も進む。カトリックとプロテスタントとの間にも格差。前者は大家族主義で人工的な産児制限を受け入れる時期が遅かった
l 国外へ送り出すブリテン、国内に留まるドイツ ⇒ ドイツでは家族の人数は減っていたがまだ大家族で、死亡率は急速に低下したため、人口は急増。海外への移住者は減少
l 膨張するロシア、20世紀初めの人口はUK3倍に ⇒ ブリテンのもう1つの脅威がロシアだったが、農民が農奴から解放されたのはまだ1860年代で、工業化は限定的、都市化もまだ始まっていなかった
l 『アンナ・カレーニアン』のヒロインは、列車=機械に殺された ⇒ ロシアは膨大な人口の力によって周囲を飲み込み、世界最大の地続きの政治的統一体を築くことができた。大半は貧しい農民だったが、生存率や死亡率が改善すれば人口規模は大きく変わる可能性を秘めていた
l 新たな移民――イタリア人、ユダヤ人などアメリカへ ⇒ 1880年台400万人のイタリア人がアメリカに移住
l 反マルサス主義人口減少への懸念 ⇒ 反マルサス主義の最初の兆候が現れる。それは人口が減り過ぎることへの懸念で、ライバルの国との比較で心配されることが多い
l 社会的ダーウィニズム、優生学者の出現 ⇒ 国家もダーウィンのいう動植物と同じように生存競争をしているとするイデオロギーが広がり、適応力のないもの、弱者切り捨てを主張する者も出てきた
l 背景にはドイツの人口増加への対抗心が ⇒ 人口増加の停滞に対するブリテン内での不安の声が広まり、フランスでも同様
l 一方、ドイツはロシアの人口増を懸念、第1次大戦へとつながる ⇒ 無限にも思えるロシアの人口増加が現実的な脅威
l ゆりかごが、いかにして世界を揺らしたか ⇒ 第1次大戦前の数十年で、ヨーロッパ主要国の人口とそれに対する見方が、20世紀初頭の大災害の1要因となったのは間違いない。経済大国になるためには相対的に人口が多く、かつ国全体が繁栄している、あるいはそうなりつつある必要があった
l 1次大戦は数が物を言った ⇒ ロシアも開戦直前までには大規模な都市化が進行。ドイツ軍は組織化においても訓練度においてもブリテンやフランス、ロシアを凌駕していたが、数の劣勢は否めない
l 若い大国は好戦的 ⇒ 人口は戦争の結果だけではなく、原因にも影響を与えた。人口が増加していたということは、ヨーロッパの社会、特にドイツとロシアは若かったということ( “ユースバルジ現象=人口ピラミッドで若年層が膨らむこと)

第5章        ヒトラーの優生学 The Passing of the ‘Great Race’
「我々を救うのは哺乳瓶だ」。人口が運命を決めると考えたヒトラー。ヨーロッパの人口増は減速。やがてを上げたい差別的風潮が起きる。優生学と人口増という、大いなる矛盾の行方
l ヒトラー曰く、「我々を救うのは哺乳瓶だ」 ⇒ 社会的ダーウィン主義(それ自体がマルサス主義にルーツを持ち、民族憎悪とユダヤ人排斥主義という妄想の基礎に上に築かれた)信奉者のヒトラーは、人生とは土地と生活手段を巡る民族間の戦いと見做し、ドイツの人口増加を進めると同時に世界的な非白人の増加を懸念。人口こそが運命を決めると考えた。第1次大戦の原因の1つは、相互依存と人口に関わる競争に基づく恐怖心と懸念
l 戦争、スペイン風邪、そして人口 ⇒ 戦争や疫病にも拘らず人口は増え続け、1930年代にはヨーロッパの人口増加が緩やかになってきた
l ヨーロッパの大減速 ⇒ 19世紀末から20世紀初頭にブリテンを襲った人口動向の大変化は、1人の女性が生む子どもの数の減少と出生率が人口置換水準と呼ばれる長期的に人口を維持するのに必要な出生数(およそ2人強)を下回った低下として現れ、ドイツに波及
l ロシアの出生率低下 ⇒ 出生率が急激に低下したのがロシア
l 平均寿命の延び ⇒ 出生率低下の背景には都市化もある。ブリテンでは計画的出産が推奨されたことも。死亡率も下がり平均寿命も延びる
l 移民せずヨーロッパに留まる ⇒ 人口変化の要因である移民について、大戦後最大の移住先だったアメリカが移民割り当て法を実現
l 欧州から新大陸への移民が流れる ⇒ 1930年代には移民が急減、出生率低下を補って、ヨーロッパの人口増加の減速に歯止めがかけられた。ヨーロッパ内での移動は大規模に行われており、最大のものが迫害されたロシアのユダヤ人。国内での移動は辺境地域から工業中心地への移動が目立つ
l 「赤ん坊が生まれなくなってしまう」――人口減少への悲観 ⇒ 大戦間のヨーロッパでは、出生率の急激な低下と人口増加速度の大幅な下落
l 血統の向上を ⇒ 人種差別的な姿勢が公然と取られるようになる。アメリカ合衆国では国民の質についての懸念が広がり、白人の将来への悲観的な見方から反移民法へと動く
l 『グレート・ギャッツビー』に見る差別主義 ⇒ 人種的偏見に満ちた著作が広がる
l オーストラリア、NZでのアジア人排斥 ⇒ ブリテンは植民地での人口構成にも懸念、白豪主義へと発展
l 経済的排除から人種的排除へ ⇒ 民族構成の懸念は、当初経済的な理由からの労働運動によって安い労働力を排除しようとしていたが、次第に人種的なものへと変質
l 欧州流を取り入れた日本人が、やがてヨーロッパに向かってくるのではという脅威 ⇒ ヨーロッパにとって中国人やインド人は”100万人の群れだったが、急激に人口を増やし西欧化した日本人は特別な脅威として見られた
l フランスは移民受け入れに熱心 ⇒ 人口面での弱みに悩み続けていたフランスは、1907年の徴集兵がドイツの半分以下だったこともあり、積極的にヨーロッパの他の地域からの移民を受け入れ。更に出産奨励策によって出生率の引き上げを図る
l 人口と独裁者――人口増大目標と大規模虐殺の矛盾 ⇒ 第1次大戦後、古典的自由主義は後退し、最小国家という理想と個人の優位は通用しなくなった。国家の介入が戦争努力として不可避になったためで、人口についての目標を定め、そのための政策を実行することが広く受け入れられる
l ムッソリーニは促すも効果はいまいち ⇒ ムッソリーニは、避妊と中絶について教会の教えを支持し、土地、穀物、強いリラと併せて人口を4つの国家的戦い1つと位置づけ、人口の50%増を宣言するも、効果は遅々として進まず、1920年からの30年間で10百万増加したが、それは死亡率の低下と平均寿命が延び、海外移住者が激減したことによる
l ヒトラーは出産奨励、ただし純血種を ⇒ ヒトラーは人口をとても気にしていた。特に人口基盤の拡大を目指し、「子を生む価値のある」女性で数以上の意味を持った
l そして700万人の命が奪われた ⇒ 現実のナチスの人口政策は混乱。伝統的な道徳観を守ることと、価値ある民族を増やす政策の間にはジレンマ。婚外子も奨励
l 偉大なるヨーロッパのパワーの終焉 ⇒ 大戦間の植民地支配力の減衰は、ある程度人口学的な土台があり、ブリテンに限ったことではなかった。ヨーロッパの人口増加が停滞する一方で、非ヨーロッパ人の人口がいずれ増加することは、かつてヨーロッパの人口増加を加速させたのと同じプロセスで行われることが目に見えていた
l 2次大戦、なぜドイツはソビエトに破れたのか ⇒ 第2次大戦が始まると、アメリカとソビエトの前でヨーロッパの存在感は光を失っていることが鮮明に。ドイツがソビエトに破れたのはロシア軍の膨大は数の兵士と広大な土地のせいであり、ロシアの人口急増とドイツの人口増加の減速が直接響いた
l 超大国、アメリカの誕生 ⇒ 20世紀初頭、ドイツの人口はアメリカの3/4だったが、第2次大戦突入時には1/2未満になっていた。アメリカの人口がヨーロッパのあらゆる国の数倍に達し、軍事面だけでなく経済面でもヨーロッパの優位は終わりを告げた。より大きな市場とより大きな規模の経済の可能性を持っていたアメリカは、絶対的な経済規模よりも決定的な要因となったのは人口規模

第6章        ベビーブーマーの誕生とアメリカの世紀 
The West since 1945  From Baby-Boom to Mass Immigration
戦争が終わり、帰還したGIたちが家族を作り始めた。反抗精神かつ大量消費のベビーブーマーたち。女性は教育機会を得る。一方、メキシコからの移民も、オバマ、そしてトランプの当選につながる
l 人口学の常識を覆した、戦後アメリカのベビーブーム ⇒ マルサスも、ポスト・マルサスも予想できなかったのが第2次大戦後のベビーブームで、新たな人口の形となる
l 大戦間の米国は出生率が落ち込んでいた ⇒ 支配者層の関心は、人口増加よりも移民を減らしてアングロ・サクソンのアイデンティティを守ることで、人口の増加率は1%を切る。入国管理が強化された
l 帰還したGIたちが家族を作り始めた ⇒ 50年代後半には合計特殊出生率が2強から3.5迄回復。年間人口増加数は20年間で倍増
l 好景気が早婚を後押し ⇒ 人口増加と好景気は、環境が適切であれば好循環のサイクルにはまる。女性が第1子を生む平均年齢が低下し、早婚と大家族が経済的成功の証に
l 西側諸国へと広まる ⇒ 好景気とベビーブームがセットになって西側全体に広がる
l 反抗精神と大量消費主義――ベビーブーマーたちの影響力 ⇒ 余に若者が溢れ、ティーンエイジャー時代の幕開け。ロックンロールなど初めて大衆若者文化Mass Youth Cultureと呼べるものが現れた。出生率は1980年頃に底を打っていたが、それ以降社会の年齢構成が大きく変化して、楽観的な若者文化が全体的に退行したと言える。イギリスでは階級はもう投票行動を予測する上での有力な材料にはならず、今や票の動きを予測する決め手となるのは年齢
l 漸くピルが一般的に ⇒ 65年頃から避妊用ピルが入手しやすくなり(FDAの認可は60)、先進国での出生率が下がり始める。アメリカでは出生率のピークは50年代後半
l 教育を受ける機会を得たベビーブーマー女性 ⇒ すぐに結婚して母となるよりも、高度な教育を受けて職業を持つことを望むのが普通になり、核家族化と晩婚化に伴い、女性自身の考え方も女性に対する姿勢も変化し、女性の視野も広がり教育の機会も増えた
l いわば第2の人口転換だった ⇒ 女性1人当たりの子どもの数は2人未満で、多くの社会傾向が現れ、第2の人口転換と言える
l 「子宮を神にゆだねる」――バイブル・ベルトの伝統観 ⇒ バイブル・ベルト(南部のキリスト教篤信地帯)に家族と女性の役割に対する伝統的な考え方が残っていたおかげで、粗出生率が大幅な下落を避けられた。宗教性と出生率のつながりが存在
l ラテン・アメリカからの移民 ⇒ アメリカの出生率を押し上げたもう1つの要因は、メキシコからの膨大な移民
l テンポ効果 ⇒ 20世紀末から一部の先進国の出生率がやや上昇しているのは、人口統計学でテンポ効果と呼ばれるもので、社会の意識が変わり、女性が教育を受けて仕事を持つようになり、出産の時期を遅らせること。生む子どもの数を減らすことではない
l 子だくさんマンマは遠い昔の話に ⇒ 南ヨーロッパでもこの数十年は世界的傾向と同じく合計特殊出生率は低レベルになっている
l カトリックでも救えない ⇒ 前世紀半ば、ヨーロッパで特に出生率が高かったのは仏西伊などカトリックの国々で、低かったのはプロテスタントの国(スウェーデンやUK)だったが、女性、結婚、出産に関する意識の変化によって出生率の低いカトリックの国が現れた
l 平均寿命を延ばすベビーブーマーたち ⇒ 現在のUKでは100歳以上が15千人で10年間で3倍増
l 高齢化する西洋社会 ⇒ 社会の年齢を知るのに一番よく使われるのは平均寿命(出生時平均余命)と中央値。1950年以降で西欧は10歳以上も延び、粗出生率の低下と相俟って、社会の高齢化が進む
l 介護と年金はどうなるか ⇒ 社会の高齢化と犯罪の減少の関連性は証明されているが、高齢者の数が増えれば介護や医療の需要が増え、その分野の労働者に過剰な負担がかかることと、多額の年金負担が労働者を圧迫し制度の維持が困難に
l メキシコからの波 ⇒ 低い出生率と不足する労働力を補うために、ヨーロッパと北米の国々は発展途上国からの人口をすごい勢いで飲み込んでいる
l トランプ曰く「メキシコの壁を」 ⇒ アメリカで最もドラマチックな変化を遂げたのはカリフォルニア州で、802010年の30年でヨーロッパ系白人の比率が70%から40%に激減。アメリカのポピュリズムの説明としては、ラストベルトの経済的な恨みより、急激な民族構成の変化を根拠にして、数が減っていく単一の民族集団の異議申し立てであるとした方がうまく説明できる。トランプの壁も、人口問題の壁と考える方が分かり易い
l 南の発展途上国からくる人々 ⇒ 西洋の人口推移もUSに似ていて、戦後のベビーブーマーが60年代半ばに終わり、その後は南の発展途上国から大量の移民がやって来る
l フランス・ドイツへも大量移入 ⇒ 先住民族の出生率が低かったため、民族構成が大きく変化したのは同じ
l メルケルとル・ペン ⇒ ドイツでは人口の30%が外国生まれか戦後に移住してきた人の子孫。特に多いのが南欧や南のイスラム国からの移民。メルケルは移民を受け入れようとして苦戦し、ル・ペンは移民を阻止しようとして支持を高める
l ブリテンから出て、ブリテンに戻る
l ヨーロッパは後退しているのか ⇒ 膨大な数の非ヨーロッパ人の流入と共に、ヨーロッパ系の出生率の低下は、ヨーロッパが権勢を誇った19世紀後半には想像もつかなかった形で世界を変えている。ヨーロッパ人が世界を回り始めたのは15世紀だが、世界中の土地を支配できるようになったのは、急速な人口増加が起こり、技術と産業が発達した19世紀に入ってから
l 追い上げられる西洋 ⇒ ヨーロッパの人口増加と経済的、政治的支配を可能にした技術は、ヨーロッパだけに留まることはなく、ヨーロッパ人による支配の終焉の兆しは第1次大戦開始頃からあった。西洋(アメリカとNATO加盟国)20世紀半ばには世界経済の約2/3を支配していたが、21世紀半ばには40%位になる可能性が高い

第7章        ロシアと東側諸国、冷戦の人口統計学
Russia and the Eastern Bloc from 1945
The Demography of Cold War Defeat
レーニン、スターリン、2つの大戦、内戦、飢饉。にも拘らず人口増は加速し、のち失速。ソビエト連邦ゆえ、宗教と人種が多様。内陸アジアでは増え、アル中自殺男性も多いロシア人は減る
l 老チェルネンコから若きゴルバチョフへ――最高指導者交代の意味 ⇒ 85年ゴルバチョフが指導者になったのは54歳。それ以前の長老政治はソ連中心部の人口面での弱体化を端的に表していた
l アフガニスタンはロシアの10倍のスピードで人口増加 ⇒ ソ連が支配しきれなかった原因でもある
l 都市化、女子教育、そして中絶手術 ⇒ 革命後典型的な人口転換を経験、死亡率が下がった後出生率が下がり、人口の増加速度が遅くなる。第2次大戦後も合計特殊出生率は低下し続け70年代に人口置換水準に達し、さらに下がる。避妊法は中絶だけ
l 戦争・飢饉・粛清と、人口モメンタム ⇒ 1人の女性の出産ペースは落ちても、前の世代に人口が増えたため、子どもを生む若い女性はたくさんいるうえ、死ぬ確率が高い老人が人口に占める割合が小さかった。ヒトラーを撃退するまでに膨大な命が失われてもなお人口は増え続けるという強力な人口モメンタムがあったが、70年代以降人口増加は減速
l ソビエト連邦の事情 ⇒ 移民の流出入がほとんどなく、人口的には閉じられた社会で、平均寿命が延びない
l タジキスタン、ウズベキスタンで増える ⇒ 辺境地域、特にムスリム人口が多い地域が近代化の道を歩み始める
l 減り始めたロシア人 ⇒ ロシア人の人口増加が伸び悩み、少数民族の数が増えたことで、人口に占めるロシア人の割合が必然的に減り始める
l 反マルサスのマルクス ⇒ 党の方針は常に出産奨励。マルサスをブルジョアの擁護者として、人口抑制は不要とした
l を上げたい思惑も ⇒ ソビエトの軍隊の問題はさらに深刻で、中央アジアから集めた新兵の3/4がロシア語を話せなかった
l 民族的不均一とソビエト連邦の崩壊 ⇒ 人口問題が経済と民族という面から、連邦崩壊に一役買っていた。経済面では労働力の増加が抑制され、成長鈍化の重大要因となったが、連邦を構成していた国がバラバラになり、それぞれの民族意識が高まり、人口面でのロシア民族の存在感が弱まっている
l ロシアは死にかかっているのか ⇒ ロシアの合計特殊出生率は90年代初めまでは1.5強だったが、後半になると1.25まで低下し、それ以降何故か1.66まで回復。出生率は低いまま。昔からある人口増加抑制文化も影響。大家族主義への嫌悪の裏返しでもある
l 多い一人っ子、テンポ効果の余地 ⇒ 出生率は低いが、出産時期を遅らせるというテンポ効果はあまり見られず、第1子出産年齢は2223そこそこで、まだテンポ効果が起こる余地がある、ロシアの特徴としては、女性が子どもを1人しか生まないこと
l アルコール依存、自殺、ロシア男性の低い平均賃金 ⇒ ロシア人男性は198901年に平均寿命が64から58歳と短くなった。伝染病や寄生虫による死も多い
l 人口減が地政学にも影響 ⇒ 人口減少が最初に現れるのは辺境の地。過疎地が顕著
l プーチン曰く「我が国が直面している最も重大な問題は、人口問題」 ⇒ 06年の発言で、目的は出生率の向上
l 民族構成の変化 ⇒ 1959年、ロシア共和国の人口の83%がロシア人だったが、2010年には78%に低下。「多民族・多宗教」を標榜しながら、血統主義を採用
l ロシア以外の正教国 
l ルーマニアの一時的な出生率上昇 ⇒ ルーマニアは東側ブロックのどの国よりも、人口こそ経済成長の源というばかりでなく、国の威信でもあると認識、1960年代後半に出生率低下に気づいて妊娠中絶を禁止したのが功を奏したが、ショック療法に過ぎなかった
l ユーゴスラビア紛争 ⇒ 90年代の国内紛争に人口問題が関わる。人口構成の中で増加するムスリムに対し、減少したセルビアが事を構えた。宗教や民族が違う人々の集団で違う時期に人口転換が起こると、社会が不安定化する典型的な例
l 正教会の世界も危機に ⇒ 出生率の低下に加え、EU加盟で国外に移住する機会が増えたこともあって、ブルガリアでは人口が急減、特に田舎の人口の減少が顕著

第8章        日本・中国・東アジア、老いゆく巨人たち
Japan, China and East Asia  The Ageing of Giants
人口増と工業化で日本は列強の一員へ。戦後も奇跡の成長を遂げるが、少子高齢化の最も深刻な国へ転落。毛沢東の大躍進と文革の大混乱を経て、中国は世界一に。だが一人っ子政策の後遺症が襲う
l 日露戦争がヨーロッパに与えた影響 ⇒ 日露戦争は、本質的に優位であると思っていたすべてのヨーロッパ人にとって衝撃的。日本の勝利の要因は戦略的なものだった。近代以前の人口動態を抜け出した最初の非ヨーロッパ人が、近代に入って初めてヨーロッパ人の鼻をへし折った大国になったのは偶然ではない
l 徳川期の農業改革で先ず増え、そして止まる――間引きと禁欲 ⇒ 日本では政治的に安定していた徳川初期から人口が増加したが、17世紀半ばには30百万前後で増加は止まり、1846年までの人口増加率は100年で5%程度。中絶と嬰児殺し、禁欲と別居が低出生率の文化を生み出した
l コストが低く熟練した労働者の存在――工業化への潜在力 ⇒ 鎖国の終焉と共に、工業の発展と人口増は緩やかだったが、19世紀後半から20世紀初頭に加速、1920年までに粗出生率が1,000人当たり25.4人から35.7人に増加
l 人口と工業の組み合わせで奇跡が起きた ⇒ 工業と国力が人口増加と表裏一体なのは日本でも同じ。1920年以降に始めて近代的な人口調査が行われ、出生率が少しづつ低下して都市化が進み、死亡率が急速に低下して人口転換の理論通りに人口は急増
l 大日本帝国とナチスドイツは、人口政策が似ていた ⇒ 日独の国家主義者は、貿易に依存せずに自国民を養うための余分な土地の必要性を訴える。人口増加を理由に帝国主義的拡大を正当化
l 1945年の日本人口は、まだ世界最大級だった ⇒ 1895年時点でドイツ皇帝が黄禍と言う言葉を使い、ロシア、イギリスも脅威の根底にあるのが東アジアの人口動態と認識したうえで警戒の言葉を発している。敗戦時の日本は工業や道義は崩壊したが、人口はまだ世界最大級で、急激な人口増加に伴う人口モメンタムという重大な強みがあった
l 戦後の短いベビーブーム、そして合計特殊出生率1.3へ ⇒ 終戦後の空前のベビーブームは、西欧に比べても、一気に人口が増えたが、短期で終わってしまった。47年の粗出生率は34.3まで上昇、合計特殊出生率も4.5となったが、その後急激に低下し、現在でも女性1人が生む子の数は1.3人だし、合計特殊出生率は1.5未満
l 仕事と育児が両立しない文化、男女格差も先進国最下位に近い ⇒ 低出生率は一般的に、収入の増加、都市化、女性の教育、特に高等教育と相関関係がある
l 平均寿命の延びが出生率低下を補っていた ⇒ 日本の人口統計学上の特徴は出生率の異常な低下と、平均寿命の延びで、人口減少が遅れている
l 中央値46歳、「史上最も早く高齢化の進んだ国」 ⇒ 日本は出生率が低く高齢化する社会のモデルケース。中央値はイタリア、ドイツと並んで世界最高(米国より9歳高い)
l 経済後退、そして年金、介護、医療へも影響 ⇒ 急速な高齢化が経済に大きな影響を与えている。日本が世界一年齢が高く高齢化が急速に進んでいるという事実と、債務残高GDP比が世界ワーストであることとは関連がある
l 中国――初めて人口が10億を超えた国 ⇒ 人口規模に工業の進歩が重なって世界の大国の仲間入りを果たす
l 西洋より早くマルサス的限界に達していた ⇒ 紀元2年と17世紀半ばの人口がほぼ同じで60百万。その後急激に増加
l 大躍進のがけ声とは裏腹に ⇒ 25年にわたる毛沢東の時代の人口動向の変化は、首尾一貫性のない人口政策によって生まれた極端なケースで、当初毛沢東は「何よりも大切なのは国民」だといいながら、増えすぎて飢饉が起こると抑制に転じ、文革では死者が多く出たが人口の潮流をせき止めることはできなかった
l 一人っ子政策 ⇒ 76年の毛沢東の死から数年後、近代化政策に着手したが、人口抑制が重要な要素となった。81年に始まった一人っ子政策は2015年まで続く
l 一人っ子政策開始当時からの誤り ⇒ 開始時は既に人口が10億を超え、出生率は既に急速に低下していた。頭から押さえつけなくても他の国と同じような動きをしていた
l 中国のジェットコースター ⇒ 桁外れの規模、急速な人口増加と出生率の低下、中国建国以降、壮大な人口変化の途上にある。政策には一貫性がなくても、死亡率が低下し人口が増えたのちに出生率が低下して人口が安定するという、典型的な人口変化の経過をたどっている
l 男児が増える弊害 ⇒ 中国家族の高齢化、都市化に加え、一人っ子政策と胎児の性別判定による選択的中絶により男の数が多くなる現象も起きる
l 迫りくるインド ⇒ 中国の人口増加の速度は著しく減速、インドが急追。1970年代1.5倍だったものが今は7%まで接近
l 少子化韓国、豊かになる前に高齢化するタイ ⇒ 東南アジアで人口50百万超が5か国(韓国、ベトナム、ミヤンマー、フィリピン、タイ)、それにインドネシアを加えアジアン・シックスと呼ぶが、人口合計は7億に近い。20世紀半ばから人口が急増、65年間で4倍となったが、現在は減速

第9章        若く好戦的な中東と北アフリカ
The Middle East and North Africa
The Demography of Instability
1990年、イエメンの人口中央値はなんと14歳。石油、政治の腐敗、民主主義の欠如、女性差別などに加えて、若年人口層の多さが、この地域を政情不安定なものにしているのではないか
l アラブの春――26歳青年の焼身自殺に見る若年人口の急増 ⇒ 2010年、チュニジアで青年の焼身自殺を機に「アラブの春」として知られる反乱の連鎖が始まり、チュニジア、リビア、エジプト、イエメンの政府が倒れ、シリアとバーレーン政府にも大きな圧力をかけたが、その後に起こったのは民主化や解放ではなく、反動と無秩序、そして内線
l 民族浄化と宗教浄化の歴史 ⇒ 中東でも人口は戦争と飢餓があると減り、平和な時には増加するのは、近代化のプロセスが始まった時。オスマン帝国の支配下の人口動向は、国境が変化し続けていたので把握が難しい
l アルジェリア、チュニジア ⇒ ヨーロッパ人の移住者が、1830年にはアルジェリアへ、その後チュニジアにやってきた
l エジプト ⇒ オスマン帝国崩壊後、この地域で一番人口が多い国であるエジプトは、この地域の人口動態がまだ近代以前の状態であったことを示す好例
l イスラム教、石油と政策 ⇒ イスラム教の役割は重視しなければならない。ムスリムが少数派として住んでいる地域では出生率が比較的高い。女性教育への抵抗と、そのために起きる女性の識字率の低さが高い出生率と関連
l 「こんな地獄に子どもを送り出したくない」――出生率が低下し始めたイラン ⇒ 1979年のホメイニ体制は出産を奨励していたが、出生率が上昇すると産児制限が導入
l 中東と北アの問題点 ⇒ 人口動向は中東や北アフリカの社会経済的な欠点から切り離すことはできず、多くの場所で政治的腐敗を助長。国家の破綻と内戦は、若年層が多く人口が急増している土地、特にその人口が経済にうまく組み込まれず、社会に生産的な寄与をする機会がない所で起こりやすい。中東と北アフリカは、特に政情不安、民主主義や人権の欠如、そして社会経済的発展の遅れと関係する問題を多く抱えている
l 腐敗と女性差別が繁栄を妨げている ⇒ 同程度の収入の国と比較すると、アラブの国ではいずこも人材開発が圧倒的に遅れている。教育、特に女性に関しては遅れが顕著。この地域の害は人口学的なものだけではなく、民主的な制度が十分浸透しない多くの場所では、石油も起業家精神より利潤追求の文化を育むという害悪のもとになることが分かっている。金が集まる所に近い地位に就くため、腐敗が蔓延る文化が社会の下方へと染み込む
l 増える子どもたち、教育の機会は少ない ⇒ 若い層が多く人口が急増しているが、経済成長と社会的進歩が伴っていないため、人口増が経済発展に結びつかない
l 若年失業率が社会不安へ ⇒ 中東で出生率が急速に低下すると、経済発展のチャンスが増えるはず。従属人口指数(小さいほど生産人口が多い)1980年の90超から今年は60未満になると推定されているが、この「人口ボーナス」は生産人口に対して子どもの数が減っているときに当てはまると考えられ、トルコの経済成長の要因の1つとされた
出生率が低下すると女性が解放されて就業できるようになり、経済が女性を労働者として取り込むので有効とされるが、アラブでは当てはまらない。民主主義すら機能していない
l シリア内戦は人口学的な戦いでもあった ⇒ 1946年フランスから独立した時シリアの人口は300万だったが、60年後の内戦前夜には20百万を超えた。死亡率の下落と下がらない出生率の結果だが、人口構成の変化が内戦に直結した
l そして若者はドイツへ向かう ⇒ 教育レベルが低く、政治的に取り残され、世界経済に加われない若者の急増は、不安定な状況を招きやすい。移民が生じる原因は様々だが、若者が多く機会や仕事がない、あるいは人が多すぎて競争が激しい社会から出ていくというパターンは変わらない。1970年、イスラム教徒は世界人口の15%だったが、2010年には23%に、今世紀半ばには30%に近づくと予想。キリスト教に並ぶ世界最大の宗教へ
l アラブ人とイスラエル――対立の人口学 ⇒ 両者の対立の中心には人口の問題があり、3つの視点から見ることができる。①委任統治領パレスチナとイスラエルへの大量のユダヤ人流入、②ユダヤ人とパレスチナ人の出生率、③1967年の6日戦争(3次中東戦争)でイスラエルが獲得した領地の行く末
l 大量のユダヤ人が流入 ⇒ 各地での反ユダヤ主義によって押し出されたユダヤ人と、シオニズムの故国としてのイスラエル国土に吸い寄せられたユダヤ人によって、19253万、19356万超の移民が流入。ユダヤ人にとってのホロコーストは、人口学的な面から言うと、近代の戦争や災害は人口の潮流を逆行させることはできないという原則の例外で、世界全体ではユダヤ人の数は現在でも以前のレベルには戻っていない。全人口に占める割合では150人に1人だったのが今では750人に1
l 競争的生殖 ⇒ パレスチナ、イスラエルとも極めて出生率は高い。競って人口増に取り組んだ結果であり、平均寿命の大幅な延び(50代半ば→70代半ばへ)と乳児死亡率の低下(1/5)が寄与。出産を奨励する文化が根付いている
l ヨーロッパのように落ち着く日は来るか ⇒ ガザ地区とヨルダン川西岸地区の行方次第。現在の中東と人口の年齢構成が同じだったころのヨーロッパは、暴力的で荒廃した大陸だったことから、中東の人口動向がヨーロッパと同様になれば、現在のヨーロッパのように平和になるという希望が持てる







第10章     未来の主役か、サハラ以南のアフリカ
Nothing New Under the Sun? Final Frontiers and Future Vistas
現在、人口学的に最も強烈な砂嵐に襲われている。今後40年間は、ナイジェリアはじめアフリカの人口増が、世界へ最大のインパクトを与える。それは、我々が見てきた人口の歴史から予測できる
l 太陽の下の国、ラテン・アメリカ ⇒ 人口の潮流の顕著な特徴は、グローバルであるということ。ブリテンだけの現象のように見えたものが、人種、民族、宗教、大陸を問わず、世界中で共通している。いつ起こるかというタイミングの問題。ラテン・アメリカは南米、中米、カリブ地域という3つの全く異なる地域に分けられ、文化的にも人口学的にも異なる。戦後の60年で一気に遅れた地域から近代化された地域になった
l 最大国ブラジルの出生率低下――侮れないテレビドラマの影響力 ⇒ 出生率の低下と都市化が密接に結びつく。核家族を特徴とする近代的な生活を描くドラマの影響も大
l 女性1人が生む子の数が1.5強に落ち込んだキューバ ⇒ 近隣諸国に比べて経済発展が高い水準にあったため、早い時期に出生率が低下、革命の前から女性1人の生む子の数は4人未満だったのが、一時革命で増えたものの70年代には人口置換水準に達し、現在はヨーロッパとの比較でも最低レベルに近い
l メキシコはアメリカへ入るより、アメリカから出る人が多くなった ⇒ メキシコの生活水準の向上と共に、2012年くらいから、アメリカからメキシコに入る人の方が多くなっているので、トランプの壁の目的に疑問がある
l 多様な宗教の南アジア、2027年にはインドが中国を抜いて世界1へ ⇒ 1920年代には人口が減少、飢饉がまだ人口動向に大きな影響を与えていたが、独立の前後から着実に増加し始め、現在では4倍に。ラテン・アメリカとの違いは宗教の多様性であり、それは人口学的に大きな意味を持つ。宗教と出産が結び付いている
l 印度の行き過ぎた家族計画 ⇒ インド全体での出生率の低下要因は、一般的なもののほかに、政府の人口抑制のための強硬的な方針もある。印度は家族計画を公共政策に不可欠とした最初の国の1
l サハラ以南のアフリカ ⇒ 人口の潮流に関してこれまでの大きなサプライズは、マルサスの罠から抜け出したことで、抜け出せば急速に死亡率が低下して人口が急増、最終的に出生率は人口置換水準に向かって低下
l 世界全体から2倍の速さで増加 ⇒ サハラ以南のアフリカは人口転換の最後のフロンティア。2017年の合計特殊出生率が4以上の48の国と領土のうち41がサハラ以南のアフリカ。出生率の上位10か国のうち9がアフリカ。平均寿命の短い30か国はすべてサハラ以南。乳児死亡率が特に高く、年齢中央値が極めて低い30の国のうちサハラ以南以外は2つだけ。サハラ以南の人口は世界全体の2倍の速さで増加中。人口転換の初期
l エイズが寿命を縮めていた ⇒ 南アの寿命(60歳弱)が延びなかった理由はエイズ
l 若い大陸 ⇒ 乳児死亡率と平均寿命が向上している。年齢中央値は18歳前後
l これから40年は、アフリカの人口増加が世界へインパクトを与える ⇒ アフリカの人口爆発は、人口の潮流の現象の範囲内ではあるが、注目に値。1800年以降の人口に関して、最も変化が大きいのはアフリカの出生率低下の速度だが、人口モメンタムが維持されるとまだまだ人口は大幅に増加するので、出生率低下速度が地球の人口がどこまで増えるかに計り知れないほどの影響を与える。サハラ以南では1950年以降人口が180百万から10億近くに増加
l ナイジェリアの将来性 ⇒ 信じ難いほど人口が増加しているのがナイジェリア。ブリテンから独立した1960年の人口は45百万だったが、現在では180百万。急速に都市化が進んでいることを勘案すると、アフリカだけでなく世界でも大きな影響を与えるだろう
l 人口動向の未来、1つ目は増加するグレー(高齢化) ⇒ 出産の減少と寿命の延びが重なって社会がどんどん高齢化する
l 平和で活気がなく低リスクな社会 ⇒ 年齢中央値が20歳前後の社会(1960)40歳を超える社会(2100年予測)とでは根本から違う。社会の若さとその内部での暴力や犯罪には強い相関関係がある。純粋に高齢化による変化として、活力が失われ、革新的でリスクを恐れない行動を避ける傾向
l 年金と介護がプレッシャーに ⇒ 高齢者の増加数に注目。高齢者福祉が進む先進国の社会保障制度に大きなプレッシャーとなる。支援比率”(高齢者人口を労働年齢の人口で割る)50年で倍に。発展途上国でも、国が豊かになる前に高齢化が来る可能性もある
l 人口動向の未来、2つ目は増加するグリーン”(環境にやさしい世界へ) ⇒ 人口の爆発的増加と生活水準の大幅な向上が、環境に大きなダメージを与えたが、人口増加率の低下でより環境にやさしい星になるチャンスが生まれている。効率性が人口増加速度を上回ればサステナビリティが高まる可能性がある
l 人口動向の未来、3つ目は減っていく白” (白人の減少) ⇒ 人口転換を経験する時期が遅いほど、その程度は激しくなり、早い時期に人口転換を迎えた人々は増加率も低く、世界の人口に占める割合が減少し始めている
l テクノロジーによる想像外の未来も ⇒ テクノロジーと人口動向は相互に係り合っている。将来の人口動向は既にある程度まで進行中で、世界的な伝染病の流行や集団移動がなければ予測がつくが、科学技術によってサプライズが起こる可能性は否定できない。マルサスの法則が2回も破られた要因はテクノロジーだった。人間を養う地球の生産能力は飛躍的に向上し、対照的に人口の増加は人々の選択によって安価かつ容易に抑えることができた
社会の流れも意外な方向に進むかもしれない。最近の日本に現れた草食系の若者が出生率の低い社会の一般的文化の一部になるかもしれない。セックスや人間関係への関心の低さが西洋の若者で普通になっていることを示す証拠もある。性別にしてもLGBTQの認知の高まりが人口動向と、当然ながらその測定法に大きな影響を与える可能性もある
将来何が起こるにせよ、1つだけ確かなことは、これ迄と同じように、人口動向と地球の運命はこれからも互いに関わり続けるし、人口が歴史の方向性を左右し続けるだろう





人口で語る世界史 ポール・モーランド著
現代社会の力学構造を解説
日本経済新聞 朝刊 2019119 2:00 [有料会員限定]
本書は、近代以降の世界史を人口の観点から通覧し、現代の世界情勢の基底にある人口学的ダイナミズムをわかりやすく解説した作品である。
著者は専門家らしい慎重さを維持しながらも、きわめて骨太のパターンを近代以降の世界に見ている。近代以前の世界はそれぞれの地域が、生産性の上昇を人口増が食いつぶすことで経済成長を阻む「マルサスの罠(わな)」によって支配されていた。そこからの脱却が近代化を起動する。そして近代化は、医療や特に女性への教育の普及を通じて、多産多死から多産少死、少産少死へと至る人口転換を引き起こす。人口転換が起こったタイミングとそれにともなう人口増加が工業化とうまく結びつくかどうかがそれぞれの社会のパフォーマンスを決める。
この割り切った世界史の見方の背後には、ある種の自然主義的態度がある。著者は人口を政治的に制御することの困難を繰り返して指摘している。人口は人為的な変化に対する粘性がきわめて高く、その意味でむしろ地政学的な条件に近いのだ。
本書は、一見したところの印象とは異なり、あらゆることの原因を人口に求めるものではない、しかし世界史の基本的な流れが人口動態と強い相関関係にあり、したがって人口に注目することが変化を予測する上で信頼度の高い近似を提供することを強力に示唆している。
他方で著者は、人口動態は普遍的なパターンが認識されると、それを裏切る別のパターンが始まるとも述べている。人口転換後の社会で、家族規範の脱標準化や価値観の個人化が進み、出生率が低下する「第二の人口転換」はそのような新しいパターンの一つとなりつつあると言えそうだし、テクノロジーの進歩がさらにそれを裏切る未来をもたらすかもしれない。
とはいえ、既知のデータから世界人口の高齢化はほぼ既定の未来であり、ある意味で日本がその先頭を走っていることは著者も認める通りだ。それへの直接の処方箋は本書にはない。どこまでも突き放した記述があるだけだ。むしろ本書のメッセージは、所与を所与として捉え、そこから戦略を考えることにあろう。
《評》立命館大学教授 山下 範久
原題=The Human Tide
(渡会圭子訳、文芸春秋・2200円)著者は英ロンドン大の人口学者。オックスフォード大で哲学、政治、経済、国際関係論を学ぶ。存済み


文藝春秋
本村 凌二 東京大学名誉教授。博士(文学)
1947
年、熊本県生まれ。1973年一橋大学社会学部卒業、1980年東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。東京大学教養学部教授、同大学院総合文化研究科教授を経て、20144月~20183月まで早稲田大学国際教養学部特任教授。
専門は古代ローマ史。『薄闇のローマ世界』でサントリー学芸賞、『馬の世界史』でJRA賞馬事文化賞、一連の業績にて地中海学会賞を受賞。著作に『多神教と一神教』『愛欲のローマ史』『はじめて読む人のローマ史1200年』『ローマ帝国 人物列伝』『競馬の世界史』『教養としての「世界史」の読み方』『英語で読む高校世界史』『裕次郎』『教養としての「ローマ史」の読み方』など多数。

『人口で語る世界史』(文藝春秋)
2019/10/19
内容紹介:
大英帝国の出現は産業革命と農業革命による人口爆発ありきだった。一方、優生学ゆえ人口増に失敗したナチ。画期的な歴史教養書。
少子高齢化時代を読む手がかり
この数年来、評者は現代日本の最大の問題は「少子化」だと思っていた。年金や労働力はもちろん、安全保障の問題にもかかわるからだ。本書を読んで、私の素朴な印象も的外れではなかったと意を強くしている。
原題を『人間の潮流』という本書は、副題には「いかにして人口が現代世界を形成したか」とある。18世紀には世界の人口は10億人に満たなかったのに、今や70億を超える勢いにある。いったいこの200年間に何がおこったのだろうか、とは誰もが問いたくなる。だが、意外にも、個々の地域や国ごとにはともかく、この問題に地球規模で取り組んだ研究者は少ないという。
農業生産は少しずつしか増えないのに、人口は急速に増加するために、食料生産は追いつかなくなる。名高いマルサスの『人口論』の鉄則と思しき主張だが、彼は工業生産の繁栄地から離れた田舎に住んでいたせいで、自分の理論が破綻していくことに気づかなかったらしい。
飢饉、疫病、戦争などがあり、やがて平穏な時期が訪れる。そのなかで人口が下がったり上がったりする。歴史のなかでありふれた出来事だった。ところが、19世紀の英国(ブリテン)で前例のないことがおこる。イングランドから始まった人口の増大が長期にわたってつづき、それには工業化と都市化がともなっていたのだ。人口増加率は加速し、新大陸への大規模な海外移住があったが、50年間で倍増し、次の50年間でもさらに倍増した。
まず、劣悪な環境にあった都市部でも、やがて乳児死亡率が低下する。下水道が敷設され、コレラの流行も深刻にならなかった。蒸気船が航海し、鉄道が地域をつなぎ、道路も整備される。輸送技術の進歩で食物の調達が容易になり、人々は健康になり、公衆衛生もよくなった。このために死亡率が大幅に下がり、人口全体がますます急増する。
このイングランドの人口転換のパターンが、世界各地で追随され、くりかえされる。それが19世紀以降の世界史なのだ。その先陣を切った英国(ブリテン)は「世界の工場」となり帝国主義へ突き進むが、その武器はなによりも人口だった。海外移住が盛んだったために、北アメリカやオーストラリアなどにもアングロ・サクソンの覇権が生まれた。
この趨勢に黙っていなかったのが、ドイツとロシアだった。ゲルマン民族とスラブ民族の猛追が始まり、それが第一次大戦の背景にあるという。経済学者ケインズにはそれが見えていたらしく、「歴史上の大きな事件は、人口増加とその他の根本的な経済的原因が、時間がたつにつれて変化することで起こる」と語っている。
日本も例外ではなく、20世紀初めまでは3000万人前後だった人口が急増し始め、1920年代半ばには倍増した感がある。この人口規模と工業化の進展が植民地拡張を正当化する動機になった。戦後も人口増大はつづき、高度経済成長の大きな支えとなる。中国もまた終戦直後の数年間で1億人以上も人口が増え、52年には6億人になり、81年には10億を超えてしまった。教育が普及し避妊法が入手できると、女性の賢明な選択で出生率は低下する。その点で中国の「一人っ子政策」はそもそも誤りだったという。その後、インド、ラテン・アメリカ、北アフリカも人口転換の道を進み、今やサハラ以南のアフリカがその舞台となりつつある。
このようなグローバルな人口動態を見すえつつ、少子高齢化の先頭を走るわが国の将来を考える。本書はその手がかりにあふれており、速読を許さない迫力がある。



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