不機嫌な英語たち 吉原真里 2024.3.29.
2024.3.29. 不機嫌な英語たち
著者 吉原真里 1968年ニューヨーク生まれ。東京大学教養学部卒、米国ブラウン大学博士号取得。1997年よりハワイ大学アメリカ研究学部教授。専門はアメリカ文化史、アメリカ=アジア関係史、ジェンダー研究など。著書に『アメリカの大学院で成功する方法』『ドット・コム・ラヴァーズ──ネットで出会うアメリカの女と男』(以上中公新書)、『性愛英語の基礎知識』(新潮新書)、『ヴァン・クライバーン国際ピアノ・ コンクール──市民が育む芸術イヴェント』『「アジア人」はいかにしてクラシック音楽家になったのか?──人種・ジェンダー・文化資本』(以上アルテスパブリッシング)、共編著に『現代アメリカのキーワード』(中公新書)、共著に『私たちが声を上げるとき──アメリカを変えた10の問い』(共著、集英社新書)、そのほか英文著書多数。
『21-12 日本語が亡びるとき』(水村美苗)の英訳
発行日 2023.9.30. 初版
発行所 晶文社
『24-03 親愛なるレニー』参照
1.
ミリョンとキョンヒ
小学校のころピアノを一緒に習っていた朝鮮人姉妹
2.
The Plastic Wrapper
3.
ある日、とつぜん
小学校5年で、父がカリフォルニアに転勤。Sunnyvaleに住んでOrtega Elementary Schoolに通う。言葉が分からないままに、徐々に溶け込んでいく
4.
いなり寿司の発表
2002年、ハワイ大学でカリフォルニアの小学校の同級生に出会うが、全く記憶がないが、相手は普段英語を離せない私が突然いなりずし制作の発表を英語でやり始めたのを見て驚嘆したと話す
5.
ピアノ・レッスン
アメリカに行ってピアノレッスンを再開。Theory and Compositionのレッスンの先生が同性愛者だったことが後でわかる。レーガン政権で生き難い時代だったうえに、恋人が自殺し、母がお悔やみを言ったら泣き出したが、大人の男の人が泣くのを初めて見た
6.
ハイウェイの向こう側
夏休みには、秋から通うJunior
High SchoolのSummer schoolに行く
親友がJewishだったり、台湾からの移民だったり、多様性に直面
能力別のクラス編成で、私の英語力の向上とともに、7年生の後半になると、すべての科目で一番上のクラスになり、交友関係も学力に応じて形成されるようになる
7.
こちら側の人間
英語が上達すると、両親の英語をバカにし、両親が自分に日本語で話しかけてくるのに苛立つ。さらに1年下で新しく来た日本人女の子にわざと言葉で意地悪したら、日本の姉妹都市から来た4人の交換留学生のダサい姿をバカにした。彼らに対する苛立ちは、嫌悪感やら恨みやらに形を変えてどんどん膨らんでいった。せっかく努力してアメリカ人の仲間になったのに、この田舎っぺたちが元のfresh-off-the-plane(飛行機から降りたばかりの)の座に私を引きずり下ろすのが許せなかった。3日間で彼らが姿を消すと心底安堵
8.
Love, Always
20年もたって中学のyearbookを見返すと、様々な思いが脳裏をかすめる
9.
On Not Becoming Asian American
10.
レベッカの肖像画
カリフォルニアでの2年半の生活の後帰国、横浜郊外の私立マンモス校に帰国子女で編入するが、余りのギャップに愕然とするもすぐに溶け込む
オランダの女の子が編入、世話役になったが、1日で来なくなり、先生も自分もほっとした
11.
ブドウと水着
大学を卒業してからまたブラウン大に留学。ハーバードに留学する彼と一緒だったが、いつの間にかすれちがい
12.
ニューヨークのクリスマス
13.
On Being Interpellated as Asian
American
14.
The Chinese Boy
Chinese Americanの指導教官の息子のベビーシッターをすることになる。プールで着替えをしていたら、白人の女の子が子どもを見て” The Chinese Boy”と叫び、母親が私の顔を見て”Oh, I’m SO sorry!”を繰り返していた
15.
カシオの腕時計
大学にいた朴訥な中国人が、いつの間にか起業して成功したら、スマートなビジネスマンでXiang(シャン)という名前だったのに、Jamesという名前に変わっていた
16.
山手線とナマチュウ
大学時代に日米学生会議に参加して知り合ったベトナム難民と付き合う
結婚しようと自分から言ったが、相手はベトナム難民の経験のある女性と結婚すると言って分かれる
17.
On the Matter of Eggplant
18.
詩人のキス
ハワイ大学のjanitorはpidginを話す人が多い
19.
Kitchen & Bath
ハワイで買ったマンションのキッチンをリフォーム
20.
On Becoming a Woman of Color
21.
お向かいへのご挨拶
ハワイ大学の学生を連れて日本の提携校へ1年間通う
22.
父とイチロー
帰国中に父が亡くなる。骨折して、術後の経過が悪く、施設で最期を迎える
23.
続 私小説
サバティカルで内堀通りに住んでいた時、東北大震災に遭う。ちょうど水村美苗の『日本語が亡びるとき』の英訳の仕事を一通り終えたところ
24.
What I Write About When I Write
in English
当初本書を構想したときの題名は、『続私小説on left and right』だった
晶文社 ホームページ
些細な日常が、波乱万丈。
カリフォルニア・ニューイングランド・ハワイ・東京を飛び交う「ちょっといじわる」だった少女にとっての「真実」とは
透明な視線と卓越した描写で描かれるちょっとした「クラッシュ」たち。
【水村美苗さん(作家)推薦!】小さい頃のアメリカ体験が優れた資質に火をつけ、英語がもう一つの母語となった希有な女性――その瑞々しい筆で綴られる思い出話は、おかしく、哀しく、そして驚きに満ちている。私たち日本人が日本人であることの意味をいかに考えずに済ましているか、済ましていられるかを考えさせる。
(著者に会いたい)『不機嫌な英語たち』 吉原真里さん
2023年11月4日 5時00分 朝日
■ふたつの言語のはざまで ハワイ大教授・吉原真里さん(55)
バイリンガルには、複数言語を使えて格好いいというイメージがつきまとう。でも、当事者は必ずしもそう考えていないようだ。アメリカ研究を専門とするハワイ大教授の半自伝的私小説は、英語で考える自分と日本語で考える自分が時に交差し、時に引き裂かれて、アイデンティティーを問い続ける姿を描く。
昨年刊行した『親愛なるレニー レナード・バーンスタインと戦後日本の物語』で、日本エッセイスト・クラブ賞や河合隼雄物語賞を受け話題となった。今回初めて小説の形を選んだのは「社会や学問における正論とは違う、私にとっての真実を記しておきたかったから」という。
前半は主に、親の転勤でアメリカに渡り英語を覚えるまで、後半はいったん帰国し、自分の意思でアメリカに移ってからの話。題名が予告するように、英語を身につけることへの賛美とは無縁な七転八倒だ。
たとえば、仲間の日本人男性3人とニューヨークへ旅した時、駐車場で新しいバッテリーがあがり、車の持ち主は係の黒人男性の落ち度を疑い弁償を要求。英語が堪能とはいえ自分が男性なら望まぬ交渉役を強いられただろうか、相手が白人なら仲間は強硬な態度に出ただろうか、と自問する。「日本人は女性と男性で英語への関わりが違う。アメリカ社会やアメリカ人との関係性も女性と男性で違うと改めて感じました」
東京大を卒業後、米国ブラウン大で博士号を取得、1997年、ハワイ大に職を得た。アメリカ暮らしは通算34年間、日本で過ごした時間より長くなった。英語の自分と日本語の自分は離れていると感じることも多い。「アジア人、女性、大学教授のような属性が交差して私になっている。でも見え方は、相手や状況によって変わる」。書き進めるうちに改めて感じた、自らの姿だ。
(晶文社・1980円)
(文・星野学 写真・桐生真氏)
「不機嫌な英語たち」吉原真里さんインタビュー
著者は語る
2023/11/09 文藝春秋 2023年12月号
吉原真里氏
〈自分がそれなりに英語を解するようになると、アメリカに来たばかりの頃は親が英語で用を足すのを見ていたく感心したのをすっかり忘れて、私は両親の英語を心底ばかにするようになっていった〉
著者の吉原さんはニューヨークで生まれ、東京で子供時代を送った後、11歳から2年半ほどカリフォルニアで過ごした。東京大学卒業後、アメリカの大学院へ進学し、現在はハワイ大学で教授として教鞭を執る、日本語と英語という複数の言語話者だ。
本書は幼少期の記憶から、10代に送った“異国”での生活、米国移住後の恋愛遍歴などを赤裸々に綴った半自伝的な私小説。これまで『親愛なるレニー』『ドット・コム・ラヴァーズ』などのノンフィクションをものしてきた著者にとって、初の書き下ろし小説となる1冊だ。
「私が普段、大学でしている研究は“正論”を書くことが目的です。間違っていたり、不道徳的なことは書けません。でも、小説なら私のなかの“真実”を表現することができる。嫌われてもいいという覚悟で書きました」
吉原真里『不機嫌な英語たち』(晶文社) 1980円(税込)
両親に連れられ、全く言葉が通じない状態で現地の学校に入れられた「私」は授業についていけず友達もできなかったが、英語を覚えることで小さく孤立した世界を拡げていく。やがて「私」は両親や後から転入してきた日本人の同級生の未成熟な英語を軽蔑するようになる。
「前半は幼心に芽生えた、英語ができることによって生まれる“不当な優越感”を表現できたと思います」
大学卒業後、今度は自らの意志でまたアメリカへと渡る。ふたたび米国の地を踏んだ「私」は、自分自身と同じように英語が母語でない人々と出会い、交流するようになる。日系、ベトナム系、中華系、サモア系、エルサルバドル移民など、英語をゆるやかな蝶番として、人種や文化を巡るすれ違いが描かれていく。
「気に入っているのは、自宅のキッチンとバスルームのリフォームの様子を描いた章です。その過程で触れ合ったサモア人や先住ハワイアンの男性とのちょっとしたやりとりに、人種やジェンダー、階層、言語、コロニアリズムなどの交差が詰まっていると思うんです」
本書のなかでは日本語と英語、そしてハワイのピジン英語など複数の言語が交錯する。「私」と登場人物たちのあいだの唯一の共通言語である英語を媒介とすることによって、逆説的に世界の多様さや不均衡を浮かび上がらせる小説だ。
Wikipedia
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