日航123便墜落の新事実  青山透子  2018.7.24.


2018.7.24. 日航123便墜落の新事実 ~ 目撃証言から真相に迫る

著者 青山透子(とうこ) 元日本航空客室乗務員。国内線時代に事故機のクルーとして同じグループで乗務。その後、官公庁、各種企業等の接遇教育に携わり、専門学校、大学講師として活動。東大大学院博士課程修了、博士号取得。曾祖母が仙台藩重臣の家系、曾祖母の父は貴族院議員で第1回衆議院選挙当選

発行日          2017.7.30. 初版発行          2017.10.10. 9版発行
発行所           河出書房新社


序章 あの日何が見えたのか
2010年『天空の星たちへ――日航123便」あの日の記憶』出版、事故原因の疑問をまとめたが、その後も腑に落ちない出来事が多数あり、いまだに疑問となっているところから、改めて事故原因を掘り下げてみる
事故調査報告書と説明書の多くの矛盾点と、政治的決着を優先させたことに対する疑問
11年国交省の外局である運輸安全委員会が、「事故調査報告書についての解説」を出して追加説明をしているが、同じ結論の繰り返しに過ぎず、裁判が一切行われないことから、国交省側の一方的な主張に過ぎなかった
海底に沈んだとされる垂直尾翼周辺の部品に対する海底捜索調査も不十分なまま
墜落前の日航機を追尾する航空自衛隊のファントム(F-4EJ)2機があった
墜落後に、ジェット機の燃料とは異なる成分のものが山中にばら撒かれていた可能性について、遺体が炭のように炭化してポロポロになった状態の意味するのは? 捜索に入った消防団員の話では、ガソリンとタールの混ざったような蒸した匂いがしたという
重要証拠の圧力隔壁がほぼそのままの状態で見つかっているのに、遺体収容優先から、事故調査員が来る前に重機で5分割してしまったのはなぜ? ほかにも隔壁が発見されているが、いずれも現場保存が蔑ろにされている
墜落後、何人も目撃情報があったのに、墜落位置が特定されたのは10時間後 ⇒ 米海兵隊員が墜落情報から19:15墜落現場を発見し、海兵隊のヘリを現場まで誘導、20:50には海兵隊の救援ヘリが降下中なのを確認、その後日本の救援機が来たとの理由で基地帰還の命令があり横田へ帰ったが、その際上司から他言無用との命令があったもので、一晩中墜落場所不明の報道に驚いたという

第1章     1985812日の記録
後部座席からオレンジ色の物体が近づいて来るのを見た乗客がいる
16:24衝撃音の直後に機長が緊急事態のコード「スコーク7700」を発信したのも謎
急降下し始めて酸素マスクが降りる、救命胴衣着用開始
Critical 11 ⇒ 離陸時3分、着陸時8分が最も危険、航空機事故のほぼ80%はこの間に発生
中曽根首相は、軽井沢から帰る特急の中、すぐに官邸に行って対策の指示を出し、国民に対し政府の正式見解を出すのは、事態の調査遺漏なき状態で、万全を期してから発表するので、それまでは発表不可と指示したと回顧録で述べる ⇒ 日航は、燃料切れとなる21:35墜落確定、炎上中と正式発表
中曽根はまた、米軍もレーダーで監視しているので、防衛庁と米軍でやり取りがあったというが、勝手に両者が連絡を取り合うことはあり得ない、防衛庁長官は加藤紘一
中曽根は10日後の822日に政権発足1000日を迎えることに汲々として、御巣鷹に来たのは114日、黒沢村長は元海軍少佐で中曽根より階級が上、自分の選挙区
更に、そのころ何回か米大統領レーガンに電話していると著書に記すが、レーガンの日記には何の記述もない
山下徳夫運輸大臣の場合 ⇒ 23:00総理府内の航空機事故対策本部の第1回会議主催、会議の後の記者会見で、後部ドアが原因とみていると発表
自らは、福岡からの帰りに乗った同じ飛行機が墜落しているのに運命を感じたろう
13日に遺族の待機場所を訪れ、日航からの説明の後、遺族に陳謝
日航の対応 ⇒ 20:20羽田に対策本部。羽田の遺族控室で遺族に詰め寄られた町田副社長(元運輸事務次官)は思わず「北朝鮮からのミサイルに打たれた」と叫び後に失脚
緊急放送の中に20:00頃「現地救助に向かった自衛隊員が銃撃され死傷者多数出た模様」というのがあり数分後に「誤報」とされたが、2010年頃まで動画投稿サイトで流れていた
21:251次現地派遣団結成

第2章     新たに浮かび上がるあの日の証言
ボーイング社が修理ミスを認め、圧力隔壁が事故の原因となっているのに、事故原因を追及すると戦争になるという噂が出始めた
89年「事故の真の原因究明は法廷で」という26万人の署名も空しく、関係者全員不起訴となり、検察審査会に申し立て、「不起訴不当」となったが、法的拘束力なく検察も無視
当時の社内関係者の間でも、運輸省や政府の様々な圧力や言動から、事故原因は圧力隔壁以外にあると考えられている
11年山下元運輸相から著者の本を読んだということで面談の申し入れ ⇒ 事故機から見たオレンジ色の物体の写真を見せた際の反応は、わざとらしいリアクションで、自衛隊無人標的機や練習用ミサイルの話もしたが、何も動揺することはなかったが、別れ際に「日本は何でもアメリカの言いなりだからね。遺族が再調査を望むのならぜひすべきだと思う」と、意味不明、意味深な一言を残した
目撃情報が多数あるが、公式発表と異なる部分がかなりある ⇒ 藤枝市で18:30頃超低空を飛ぶジャンボを目撃した際、お尻の手前に真っ赤な円筒形のようなものが貼りついているように見え、その5分後に目の前を飛ぶ2機のファントムを見たという。公式発表では焼津上空が高度24,900ft、ファントムの出動は19:05
他にも新幹線や高速道路から超低空飛行のジャンボが目撃されている他、18:40頃自衛隊員が吾妻郡の上空を低空飛行しているファントム2機を目撃している

第3章     「小さな目は見た」というもう1つの記録
事故後1か月以内に書かれた上野村の小中学校の事故についての文集
墜落前に何らかのものを見たという子供が51%いた。中で1人だけ、18:45頃ジェット機2機と大きい飛行機1機を見たという
中学生の文集では、真っ赤な飛行機が飛んでいたというのがあった
墜落場所を上野村と特定できて報告したにもかかわらず、ニュースでは場所不明と報道
米軍は18:45に横田基地への緊急着陸準備を完了、災害即応部隊を結成しているし、公式発表された飛行ルートでも横田基地へ着陸しようとした動きがある
日本で唯一の落下傘部隊である第一空挺団は、18:40に災害派遣待機命令が出たが、実際に投入決定されたのは翌朝。にもかかわらず当日夜の現場には十数機のヘリが目撃されている
焼死体の中には完全炭化したものもあり、手で触るとポロポロと崩れてしまうくらいだったという証言があるが、山中に放り出された生身の肉体が炭化するほど焼けるものか?
単にジェット燃料だけではそこまで炭化はしないはず ⇒ DNA型鑑定における法医学の第一人者押田日大名誉教授が、死体検案に当たった際撮影したビデオを警察に任意提出しているが返却されていない
5年の公訴時効成立直前に前橋地検が最終的に不起訴の裁定をしたが、担当の検事が一部遺族を対象に説明会を開催、修理ミスかどうか疑わしく、事故調査報告書も曖昧で、真の事故原因はわからないと説明した
 
第4章     33回忌に見えてきた新たな事実 ~目撃証言からの検証~
15年東京新聞で、858月下旬にNTSB航空事故調査部の元幹部が墜落現場で修理ミスの痕跡を見つけて日本側に伝えたが、日本側が発表しないので、ニューヨークタイムズに情報を提供したものとの記事が出る。ボーイング社の利益を損なわないよう、事故機特有の問題だということを明らかにして同型機の安全性をアピールするのが目的
1次報告書にも隔壁のことには言及なく、事故原因を米国側が意図的に先に出したことが分かり、世論は一気に圧力隔壁説に傾いていく
墜落現場でガソリンとタールの臭いが充満していたとの証言 ⇒ ガソリンとタールを混ぜてゲル状燃料にして人体に噴射すると、人体は炭化するまで燃え尽きる。それは軍用で歩兵が背負う武器にしか使われず、陸自化学防護武器隊にあった
赤い飛行機はミサイルである可能性が高く、必ず自衛隊か米軍が関与しており、墜落現場の特定に時間をかけている間に墜落の状況を確認し、ミサイルの痕跡を消すためにゲル状燃料が使用されたとする説明が最も目撃証言に近い結論となる

終章 未来の目は見た
1971年雫石事故では、仮想敵に追跡されたという話もあり、かつては自衛隊が民間機を仮想敵と見做して訓練したという話が公然と言われていた
日航社内でも、123便以外の事故の生のボイスレコーダーは社員に公開されているが、123便のだけは乗員側が要請しても、遺族への配慮という理由で公開されない
事故の犠牲者への供養は、まだ生きている関係者が「真実を語ること」






(売れてる本)『日航123便 墜落の新事実』 青山透子〈著〉
2018.5.26. 朝日
 死者の無念胸に、執念の調査
 1985年8月12日は波乱の一日だった。「グリコ・森永事件」の犯人による終結宣言と「三光汽船」破綻(はたん)の発覚。「戦後最大級」を冠した未解決事件の節目と倒産劇が重なった。そして、夜には航空史上最悪の「日航機墜落事故」が起こる。
 午後6時56分、東京発大阪行きのジャンボ機が群馬県の御巣鷹山に墜落。乗員乗客524人のうち、生存者はわずか4人だった。当時、日航の客室乗務員だった筆者の青山透子さんの胸にあるのは、最後まで職務を全うした先輩たちを含め、亡くなった方々の無念。「圧力隔壁修理ミス」という事故原因に疑問を持ち、執念で証言と資料を集めて大胆な仮説を展開する。
 墜落前、ジャンボ機が小型ジェット2機に追尾されている様子を福祉関係の女性、自衛官の男性、小中学生の男子の計4人が、別々の地点で目撃していた。うち大人の2人は、ジェット機が戦闘機の「ファントム」だったと証言。だが、自衛隊の公式記録では「ファントム」の出動は墜落後になっている。
 筆者は、現場に漂ったガソリンとタールの臭い、歯や骨まで炭となった「完全炭化」の遺体についても疑念を抱く。元自衛隊関係者や大学の研究者らに取材し、臭いと「完全炭化」の原因が、軍用のゲル状燃料である、との回答を得る。
 事故犠牲者が撮った空の写真にある黒っぽい物体。画像専門家が拡大したところ、物体はオレンジ色で向こう側に熱の波動が確認されることから、ジャンボ機の方へ向かっている、と推定できるという。
 墜落現場確定と救出の異常な遅れ事故機機長が米軍横田基地と交信した可能性ボイスレコーダーが完全公開されない現状事故原因がアメリカ側から漏れたこと――など筆者が浮き彫りにするピースをつなぎ合わせると「事件」の絵が浮かぶ。
 異論のある読者はいるだろうし、力んだ推測表現の数々が惜しいものの、筆者の思いの強さと取材力に圧倒された。
 塩田武士(作家)
    *
 河出書房新社・1728円=17刷10万部。17年7月刊行。担当編集者によると主な購読者層は40~50代。この墜落事故に、関心を抱き続けている人が多いようだという。



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