権力者を訴追する  Steve Crawshaw  2026.8.4.

 2026.8.4. 権力者を訴追する 戦争犯罪と国際法廷の闘い

PROSECUTING THE POWERFUL War Crimes and the Battle for Justice   2025

 

著者 Steve Crawshaw 人権活動家、ジャーナリスト。『インディペンデント』紙で東欧革命とバルカン戦争を取材。その後、〈ヒューマン・ライツ・ウォッチ〉、〈アムネスティ・インターナショナル〉、〈フリーダム・フロム・トーチャー〉で指導的役割を務めた。30年以上にわたって、「人権と正義」というテーマで執筆と活動を続けている。

 

訳者 三浦元博 1950年、滋賀県生まれ。東京外国語大学卒。共同通信社勤務を経て、大妻女子大学社会情報学部に勤務。同大学名誉教授。
主要著書『東欧革命』(岩波新書、共著)、『バルカン危機の構図』(恒文社、共著)
主要訳書 セベスチェン『東欧革命1989』、レムニック『レーニンの墓 上・下』、サーヴィス『情報戦のロシア革命』、ドブズ『ヤルタからヒロシマへ』、ブルマ『廃墟の零年1945』、セベスチェン『レーニン 愛と権力 上・下』、カーショー『地獄の淵から ヨーロッパ史1914-1949』『分断と統合への試練 ヨーロッパ史1950-2017』、アプルボーム『権威主義の誘惑』、シャーウィン『キューバ・ミサイル危機194562 上・下』、ゲッセン『ロシア 奪われた未来』、アプルボーム『ウクライナ大飢饉』、オーウェン『暴走するウクライナ戦争』(以上、白水社)ほか。

 

発行日            2026.2.25. 印刷                3.20. 発行

発行所            白水社

 

序章

2023年、ウクライナのブチャ見たロシアによる虐殺

1992年、セルビア大統領のミロシェヴィチに、いつか戦争犯罪によって被告席に立つ可能性があるのかどうか問うたところ、彼はこの発想にびっくりした様子。その9年後、彼は人道に対する罪とジェノサイドの罪に問われてハーグにいた

1990年代に旧ユーゴとルワンダの戦犯法廷が創設されたのに続き、間もなく国際刑事法廷に関する合意が生まれた

チリのピノチェットがヘルニア手術でロンドンへ行って逮捕されると、ラテンアメリカの独裁政治に保証されていた刑事免責も後退。重大犯罪に責任のある政治家たちが、かつてないほど不安を抱かざるを得ないわけがあることがはっきりした

数十年の間、ニュルンベルク裁判と東京裁判は1回限りのものと思われていた。1945年の後、ナチの犯罪を訴追した関係国政府は自ら平然と犯罪を犯し、それらの犯罪が罰せられることはないと確信していた。彼等はジェノサイドにも目をつぶった。本書全体で説明する通り、今日では正義の裁きが実現される可能性は、多くの面で高まったのだ

正義の裁きという問題は、私の長年の関心事。拷問を常套手段とする軍事政権がラテンアメリカ各地に跋扈する時代、ソ連ブロック各地で異論を表明する人々が投獄や労働キャンプ送りにされかねない時代、それら双子の狂気に向き合う必要性と、それがとても無理なことが、私の考え方を方向付けた

1980年、ポーランドに住んでいた時に、幾百万もの人々が共産党政権に対し、考えられないような譲歩を迫るのを見た

1991年、強硬派によるクーデターが抗議す人びとによって頓挫させられ、ソ連そのものの終焉に繋がった時、ロシアにも楽観気分が漂うのを見た

ユーゴスラヴィアを初めて垣間見たのは1976年、名目的には共産主義だが緩やかな雰囲気に魅了されたが、'89年以降地域全体で生じる多党制民主主義に脅威を感じた政治指導者たちは、民族主義を権力維持の道だと考えた。’91,2年クロアチアとボスニアで本格的な戦争開始。以後4年にわたり、クロアチア勢力とセルビア勢力によって犯された多くの犯罪に対し、’93年に戦争法廷が創設され、責任を問う可能性は徐々に大きくなった

地理による制約を受けない新たな常設の国際戦犯法廷も出来つつあった

本書は、世界的な正義の裁きが変容する風景、そうした変革がどのように起きたのかと、変革に対する障害の物語を語っている

他者の犯罪を訴追してきた者たちが、自らと仲間には無条件の免責を望んだ

まず2023年にロシア大統領に対する起訴手続きがあった

2024年には、イスラエルのネタニヤフ首相とガラント国防相に逮捕状が出される

売電米大統領は「言語道断」と指摘、スナク英首相も「まったく無益」と述べた

米国その他の政府は、民主的に選ばれた指導者を重大犯罪で起訴するのは原則問題として誤っていると主張するが、民主的に選ばれた指導者は通常、重大な犯罪を犯さないものだというのは我々の期待だが、犯罪を犯したらそれを無視するのではなく、向き合わなければならない

ロシアとイスラルのケースは異なる状況下で起きたが、戦争の遂行のされ方という点では明らかな類似点がある

国際刑事裁判所ICCは、大統領や首相を含む個人を訴追することが出来る

国際司法裁判所ICJは、国家の犯罪を指摘する

ICJは、南アフリカの提訴に基づき、ガザのパレスチナ人の権利に対し「報復不可能な侵害が引き起こされる」という「現実の差し迫ったリスク」があると判定、併せてジェノサイドの扇動についても警告。その結果、世界から集めてきた尊敬が覆され、欧米諸国政府は、イスラエルを訴えた南アを非難し、判事たちが偏見を抱いたと批判

80年前、ジェノサイドを含む犯罪がニュルンベルクの戒めを通じて、ICC創設への道を間接的に切り開いたのは歴史の皮肉

プーチンとネタニヤフは起訴手続きの後でも、旅行計画は制限されるだろうが、差し迫って手錠をかけられる見通しはないものの、逮捕状は1つの強力なシグナルを送った

「報復の手を控え」させ、より危険の少ない世界を準備する手段が出来た

 

1章 「これはまったく矛盾している」

 ジュネーヴ、ルヴフ、ニュルンベルク、パリ(18631948

1859年、スイス人実業家アンリ・デュナンは、ナポレオン3世に拝謁するため、普墺戦争の現場のヴェローナに向かう。アルジェリアで水源不足に陥った自分の企業の苦境を訴えるためだったが、戦場で見た大虐殺におののき、戦争の法規を制定し紛争において一般市民を保護する上で重要な役割を果たす一連の国際的原則を提案。著書の『ソルフェリーノの思い出』の戦争描写は「ホメロスより千倍も優れている」と作家ゴンクール兄弟は評価

1863年、デュナンら慈善家の小グループの組織は、中立的な医療団を結成し、戦場における医療従事者と設備を表す標章に赤十字を用いる。翌年ジュネーヴ条約合意

戦争でも基本的ルールによる制約を受けなければならないという考え方は、古代ギリシャに遡る。1625年には、「国際法の父」グロティウスが『戦争と平和の法』を上梓

1863年、リンカン大統領は、ドイツ生まれの法学者フランシス・リーバーに合衆国軍のための一連の法規の作成を依頼。『戦場における合衆国軍のための訓令、一般命令(別名:リーバー法典)』はたちまち絵影響力を持つようになる

ジュネーヴ条約でも、当初から責任追及accountabilityを組み込もうとする試みもあったが、どの政府も義務には署名したが、強制には消極的。ヴェルサイユ条約でもドイツ皇帝を訴追する声は上がったが、ジョージ5世が自分の従兄でヴィクトリア女王の最年長の孫がバッキンガム宮殿の近くで裁判にかけられるかもしれないと考えて憤慨し実現せず

1次大戦中のオスマントルコによるアルメニア人虐殺が連合国から批判され、「人道に対する犯罪」という法律用語が生まれ、オスマントルコの軍事法廷が開かれたが、被疑者は誰1人投獄されず茶番に終わり、後に「失敗したニュルンベルク」と呼ばれる

すべての混乱した新機軸から見えてきた広い教訓は、刑事免責がシステムに組み込まれ続けていることで、’39年にヒトラー自身が過去と現在の刑事免責の関係を明らかにしたように、アルメニアの教訓から、責任を問われることはないので、あらゆる規則を無視するよう配下の将官たちに促した。今なお世界各地の紛争地域で、自信過剰な戦争犯罪者が同じことを嘯いている

ポーランド系ユダヤ人法律家のラファエル・レムキンにとって、個人的な犯罪と、訴追できない集団虐殺の間の断絶・矛盾は受け入れ難かった

1942年末から、集団処刑に関する報告がワルシャワからロンドンに届き始めた日から、殺害に関する沈黙が始まり、’44年末まで続いた。レムキンによって、「ジェノサイド」という新しい言葉を提案し、いつの日か裁きにかける方法を省察

194310月、米英露3国首脳によるモスクワ宣言で、ナチの残虐行為は虐待された諸国民によって訴追されると述べ、すぐにロシアが動いて、ウクライナのハルキウでナチの戦犯裁判開廷。ナチの行為を国際法、すべての文明国の諸法の愚弄と断定

戦時中は、連合国指導者たちも戦争犯罪者の即決銃殺を支持していたが、終戦が近づくにつれ、戦犯裁判を開くという原則でほぼ合意。罪状を何にするべきかは未定

重要な役割を果たした2番目の法律家は、ウクライナのリヴィウ出身のハーシュ・ローターパクト(ヘルツォクの大おじ)。今日我々の世界を作り上げている国際法の形成に貢献

1948年、「ジェノサイド犯罪の防止と処罰に関する条約」合意。条約が求めるジェノサイドを処罰できる「国際司法機関」創設は見送り

翌年、世界人権宣言採択。ローターパクトの'42年の国際人権法案の必要性を説いた演説が基調

 

2章 「罪はひそかに犯さねば」

 ケニア、アルジェリア、ヴェトナム、フランクフルト(195275) 
 カンボジア、チリ、ハラブジャ(197390

ニュルンベルクは、戦争犯罪と残虐行為がこれ以上無視されることはないというメッセージを送るはずだった。1950年のニュルンベルク諸原則合意は、未来のための概念的枠組みを作ったが、その犯罪を処罰できる法廷に対する関心は、自らへの跳ね返りを危惧する各国政府の間ですぐに消散

スターリンはすぐにヒトラーとの密約に基づきバルト3国を併合、反抗する住民数十万人をシベリア送りにしているし、英国統治下のケニアでも残虐行為がはびこっていた

フランスもアルジェリア人叛徒鎮圧の戦いでは、自らの犯罪に対する刑事免責を主張

米国は、ニュルンベルクで法の適正手続きを確かにするうえで中心的な役割を果たし、映画《ニュルンベルク裁判》(1947)はオスカー賞を受賞、「道徳的高潔性の見事な劇的表明」として米国が自らの原則を擁護したことに観客は満足したが、4年後にはヴェトナムに侵攻。高潔な原則は霧散

1958年、ニュルンベルクから13年経って沈黙の終りが始まる。ナチ親衛隊の元隊員たちがホロコーストの一環として数千人のユダヤ人を虐殺した罪に問われ、ウルムで裁判にかけられた。この裁判がドイツを覚醒させる助けになる。長い間ドイツは戦争犯罪に対して関心を示さなかったが、ウルム裁判の結果としてナチ犯罪追及センターが作られ、’63年にはフランクフルトでアウシュヴィッツ裁判が始まる

その後の年々、数千件の戦犯裁判が行われ、判決はたいてい軽かったが、主として服従を評価し続けるドイツの刑事責任の定義に関わる問題のためだった

判決は寛大だったが、社会への影響は大で、正義の裁きの原則に対する支持は着実に高まり、世界的に戦争犯罪を防止、処罰できる新たな組織の樹立を求める主唱国になる

オランダも、インドネシアが独立を主張した1945年以降の歳月に、人道に対する罪を自らも犯している

米国はヴェトナムで共産主義との戦いを名目に一般市民を殺しても構わないと考えていた

1973年にはチリのサルバドール・アジェンデ政権打倒に関与。’90年に民政復帰後でも、過去のピノチェット時代の犯罪が処罰されることはなかった

1985年のグアテマラでも、「反体制の犯罪者」や先住民に対する犯罪の規模には目を見張る。米国大使は、’82年のクーデターで政権を握った軍指導者を称えたが、ホロコーストの責任を問うには数十年を要した

イラン・イラク戦争終盤の1988年、イラクは国境のハラブジャに住むクルド人に対する化学兵器を使った「アンファール」(戦利品)作戦を発動。1925年のジュネーヴ議定書で毒ガスの使用は禁じられていたが、米国はイラクとの友好関係を尊重して黙認

チリからカンボジアまでは、刑事免責が標準であり続ける定めにあるように思われたが、ハラブジャの虐殺とアンファール作戦のジェノサイドは、ある意味有無を言わせない免責にとって最後の喘ぎ

 

3章 「万事段取りどおりに」ユーゴスラヴィア、ルワンダ(19912001

1992年、ボスニア問題とコソヴォでの迫害についてロンドンで国際サミット開催。ミロシェヴィチは、ジェノサイドとの攻撃に対し、戦争犯罪に対する責任を問うのは素晴らしいと応じ、自身の政策については平和に向けられた政策しかないと嘯く

ミロシェヴィチは、セルビアが長いこと不当な扱いを受けており、失われた尊厳と権威を回復すると宣言、スロヴェニアは連邦からの独立に動き、ボスニアではセルビア人勢力がカラジッチに率いられてセルビアへの併合を画策。ボスニアでは3民族が入り乱れて居住、流血なしには分離は困難で、「民族浄化」が必須

1993年、国連安保理は旧ユーゴスラヴィア国際戦犯法廷を設置。目的の1つは、将来の犯罪の抑止にあったが、2年後のボスニア東部スレブレニツァで起きた虐殺の抑止にはならなかったし、特にセルビア人によるイスラム教徒の隣人たちの殺し方は凄まじかった

設置から6年、起訴手続きはトップに到達。コソヴォの州対立が激化するなか、人道に対する罪でミロシェヴィチに逮捕状発布。その2か月後空襲がミロシェヴィチの敗北で終わり、さらに1年後の大統領選挙で負けると、セルビア警察によって逮捕されハーグへ送られ、判決を待たずに2006年獄死。その間にユーゴ紛争の犯罪実行犯数十人が有罪判決

カラジッチは'08年に拘束され40年の禁固刑に、ムラディチも’11年に逮捕され終身刑に

1994年のルワンダにおける集団殺戮でも、ルワンダの活動家による虐殺の告発に対し国連も米国も冷淡な態度をとり続けたが、ようやく国連安保理が国際戦犯法廷の設置を表決

'98年にはジェノサイドに対する世界初の有罪判決が下る。ルワンダもこれに対応して非公式ながチャチャ法廷を創設し10年間に50万人以上に有罪判決を下すが、逆に分断を恒久化したとの批判がある

 

4章 「時節到来の構想」
 国際刑事裁判所、ピノチェト、チャールズ・テーラー、イッセン・ハブレ(19982016

ベルリンの壁崩壊によって無数の人々が新たな希望の理由を見出した

南アではマンデラが27年ぶりに釈放

イスラエル人とアラブ人が顔を合わせる

米国は40年にわたりジェノサイド条約批准を拒否していたが、プロクシマイアなどの粘り強い運動の結果、1985年に批准

1つの重要な転機は1995年、国際法を通じた平和と正義の追求に注力する世界連邦運動が各地のNGOを集めた会合が開かれ、国際刑事法廷の構想実現へ向けて協議。常任理事国は消極的だったが、世界各国のNGOを中心に急速な広がりを見せる

1998年には、ローマでの国連全権外交使節会議に160か国政府代表が集結、「諸国家の拒否権によって妨げられない」行動の自由を持つ法廷を要求。120か国がICC創設のためのローマ規程に賛成、反対は米国など6か国のみ。クリントンは署名期限の2000年末ギリギリに署名を決断したが、その後のブッシュ政権は批准を拒否。米中ロが未加盟

2002年、60か国の批准を得てローマ規程が発効

2004年、西スーダンでの虐殺。虐殺自体は、焦点を当てるほど重大なものとは見做されなかったが、虐殺行為に関する情報を抑え込もうとしたことで、突然ニュース価値を帯びた

米国主導で安保理が責任追及を始めたが、それを実現する場所が新設のICCであり、米国はまだ異常な熱意でこれを忌避していた。報告書が、ICCのみが犯罪者を裁きにかける信頼できる方法だと結論付けた時、ブッシュはツークツワンクに陥る。気まずくなったブッシュ政権は安保理での反対は回避したため、安保理はICCへの付託を採択したが、スーダンをハーグに付託する件には中国とともに棄権。ロシアは、刑事免責に反対する戦いは「長期にわたる安定の要素の1つ」であり、「重大犯罪に責任ある者はすべて処罰されなければならない」と述べ賛成にまわる

ツークツワンク(Zugzwang)は、ドイツ語で「動きの強制」を意味するチェス用語です。パスができないルールの中で、どの駒を動かしても自分の状況が悪くなってしまう、逃げ場のない不利な局面

ICC創設の準備段階では、有効で公正中立な法廷を強く要求する上で、アフリカ諸国が重要な役割を果たす。当初承認した60か国の中でアルリカの占める比重も不釣り合いに大きかったが、数年もするとそれが上手くいかなくなった

当初の今後やウガンダの案件では機能したが、ケニアの2008年の選挙後の対立では、一旦ICCに付託されたが、証人に対する脅迫から起訴取り下げとなり汚点を残す

これまでのICCの有罪判決は少なく、それも民兵指導者に対するもので、国政政治家に対するものではなかったが、国内での正義の裁きが重要だという警鐘として行動できるなら、それもまたICCの業績になるだろう

ローマ規程が合意された時の重要な未完作業が「侵略犯罪」(ニュルンベルクでは「平和に対する罪」とされた)。戦争犯罪、人道に対する罪、ジェノサイド犯罪に並ぶ4番目のカテゴリーとして規定されたが、定義は未完のまま。’03年のイラク侵攻は定義の確定をさらに困難にしたが、驚くべきことに’10ICC締約国120か国は定義を確定し、’18年発効

米国は締約国でもないのに免責カードを要求、英仏が米国を後押しし、さらに4年後にはウクライナに侵攻したロシアも加わる

1998年、ローマ規程の合意から3か月後、国際刑事司法にとってもう1つの歴史的瞬間がロンドンで到来。スペイン市民の死亡事故を扱ったスペインの捜査判事が、英国で背骨の外科手術で入院中のピノチェットの逮捕とマドリードへの引き渡しを求める緊急要請を出し、ロンドンの1人の判事が要請を承認し、逮捕隔離された。「普遍的管轄権」が認められたもので、世界のどこであれ重大犯罪を犯した者の逮捕を可能にする原則が適用された初期の一例。その後判決はについて二転三転。高等法院は免責を認め、上級判事会は否定、アムネスティからの横やりでやり直した法服貴族会議でも否定し、領土外管轄権が最終的に認められたが、実際の引き渡しは未定のまま、脳障害の診断報告により英国政府は帰国を許可すべきだと決定、チリ空軍機で陸軍総司令官の歓迎を受けて帰国。チリでは最高裁が、認知症ゆえに裁判に耐えられないと裁定したが、後に頭脳明晰ぶりが露見。僚友たちの多くが訴追される中、ピノチェットの新たな訴追が認められ、91歳で死去した時は、自宅軟禁下、誘拐と拷問、殺戮で裁判を待つ身だった

普遍的管轄権の概念は広がり始め、'05年にはイスラエル軍の元司令官に、4年後には同国元外相にも逮捕状が出された

世界各地で権力の座を追われた独裁者たちが長年、終生快適な亡命生活を送っているが、責任追及への新しいドアは今や、かつてないほど開き始めた

リベリアのチャールズ・テイラ-を裁判にかけるのに10年かかり、チャドのハブレも’90年失脚後22年かかって特別アフリカ法廷にかけられ、終身刑に。国家元首としては初のレイプによる有罪判決

ハブレがカダフィと対立しているところから、敵の敵は味方だとして、レーガン政権はハブレに武器や資金援助などをしていたが、ケリー国務長官は、「チャドにおける過去の出来事と我々自身の関係について省察し、教訓を得る機会」だと述べる

 

5章 「ゲームのルールは変わりつつある」

 グアンタナモ、イラク、アフガンスタン(2001~)
 北アイルランド(19722010

新世紀が始まった時、国際的正義実現への義務に従うかどうかを決めるのは自分たち次第だと、なおも考える政府も存在。法に対する蔑視は世界にとって危険な帰結を招く

ジョージ・ワシントンは、英軍兵士の犯す犯罪に衝撃を受け、捕虜が人道的に扱われるべきだというとともに、他者の良心の権利を侵害しないよう配慮しなければならないと全軍に指示したが、そうした人道的原則は普遍的に適用されていたわけではない

9.11の後、米国指導部は、攻撃犯が人道を拒否した以上、米国も基本原則を放棄するという異常な結論に到達。米国の法廷の手の届かないところでの虐待が正当化された

容疑者を他国に送って虐待することが、グアンタナモの米軍基地にも拡大。自ら拷問の定義を変えて突き進んだことが、テロの拡散を可能にした

ニューヨーク・タイムズのアフガニスタン駐在の記者が、’03年初カブールのバグラム米空軍基地内での囚人虐待を報告したが、本社デスクは「本当とは思えない」との理由で1面トップ記事を14面の小さな記事に追いやった

‘04年、CBSがアブグレイブ刑務所の写真を放映、35年前のヴェトナムのミライの虐殺を暴いた記事がこれに続く

下級兵士らは訴追され投獄されたが、上官たちは報償され、退役時には殊勲賞さえ授与

アブグレイブの虐待は氷山の一角で、中核的な価値観が放棄される一方、放棄したことが否認された

拷問の容認とICCに反対する動きには1つの共通項があり、規則は大国の政府が押し付けるもので、従うべきものではないという信念であり、そうした無法ぶりは逆効果

モラル崩壊のほんの一例は、カダフィとMI62000年代初頭におけるテロ対策などでの緊密な協力関係から、MI6がリビアの反体制派の拉致に手を貸し拷問する。'18年にその事実を示す文書が偶然発見され、英国政府は謝罪に追い込まれる

‘09年、オバマ政権は1年以内のグアンタナモの閉鎖を約束したが、責任追及の兆しはほとんど見られず。オバマが「後ろではなく前を向く」ことを望むと言ったのは、過去の拷問があったことは認めるが、その責任を追及することはしないという意味だった

トランプが新たに任命したCIA長官のジーナ・ハスペルは、タイでの拷問の責任者であり、CIAの拷問を記録した92本の動画の破壊にも関わっていた。トランプは、アフガニスタンでの戦争犯罪のために米国の法廷で起訴されたり有罪になったりした米国兵に特赦を与えた。スペンサー海軍長官もトランプの刑事免責嗜好に異議を唱えたため解任され、ICCによる米国の戦争犯罪審理を担当するベンソーダ検察官らに対し個人制裁を発表

2019年、英国のジョンソン政権は「海外作戦法案」を成立させ、英国兵を「濫訴」から守るとして、作戦から5年経過以後の訴追からの免責を謳う。1年後に免責条項は削除されたが法案は残る

一般市民の死はこれまで否認されてきた。’14’18年の間イラクとシリアで米軍がISISの標的に加えたドローン攻撃では、米国は1400人の一般市民が殺害されたことを認めたが、英国は一般市民の死者を1人も出していないと言い張った

1972年、北アイルランドで「紛争」が始まって3年後、裁判なしの勾留に抗議するデモが暴力的対立に発展し「血の日曜日」となって、その後の年月、この地方で増大する暴力の波を引き起こすことになるが、当局が嘘をついたことが主な理由

血の日曜日の殺害とその後の隠蔽に対する怒りは、暫定アイルランド共和軍IRAにとって重要な新兵募集手段になり、若者が続々軍に入る。英国全土で治安の悪さが当たり前という状況が数十年続き、サッチャー首相も'84年ブライトンで危うく殺されるところだった

‘78年ベルファストの焼夷弾攻撃を経て、’98年「聖金曜日合意」で漸く北アイルランドが永久に変わる。血の日曜日の真相究明が約束され、12年かけて事件から38年後に漸く真相が公表された。キャメロン首相は、完全に正当化できなかったことを認める

 

6章 「だまされるのが嬉しい」

 プーチンとアサド:チェチェン、ジョージア、ウクライナ(19992014
 シリア、オープンソース調査、コブレンツ(201122

1999年、プーチンが首相就任直後、チェチェン共和国のイスラム教徒過激派叛徒がアフガニスタンに侵入し、爆破事件多発。プーチンはテロ追放を公約に猛攻撃開始。20年後のウクライナ侵攻の一環として悪名を馳せる「浄化作戦」を続け、殺戮とレイプを繰り返したが、国内での支持が高まったのみならず、国際的にも懸念はほとんど表明されなかった

2000年の大統領選挙でプーチンは圧勝、欧州諸国は「素晴らしい勝利」だと持ち上げる

チェチェンによる一連の爆弾テロは、その後ロシアによる口実作りの工作との疑惑が持ち上がるが、プーチンの就任を祝うサンクトペテルブルクの白夜舞踏会では「ロシアの勝利」が盛大に祝われ、欧米の首脳も一緒にやれる相手として扱い続ける。’03年にはバッキンガム宮殿に招かれ、女王と一緒の馬車に乗る

チェチェンでの拷問や強制失踪などを追っていた私の同僚がプーチンの犯罪を非難するよう英国政府に呼びかけたが、ブレア首相の冷淡な反応を知って、プーシキンの有名な詩『告白』から引用し、「私をだますのはたやすい。私はだまされるのが嬉しいのだから」と書く

犯罪の証拠が明らかになった時ですら、ブッシュは「彼の魂を感じ取る」といい、シュレーダーは「完璧な民族主義者」と言明、シラクはレジオンドヌール大勲章を授与

‘06年、プーチンの犯罪を追及したジャーナリストが2人も殺害。さらに2年後、プーチンはジョージアの独立に際し、南オセチアへの武力介入を主導し、同地区のジョージアからの独立を承認。ICCは犯罪捜査を開始、'22年に「ロシア連邦による占領を背景とした」拷問と一般市民の不法な移送を含む戦争犯罪容疑で、南オセチア当局者3人に逮捕状を出すが、各国政府は無関心どころか、ヒラリー・クリントンはラブロフと握手してリセット

さらに’13年、ウクライナのEUとの歴史的協定調印直前になって、モスクワからの圧力で取りやめとなり、マイダン広場で「尊厳の革命」として知られる抗議運動が爆発。翌年、大統領はロシアに亡命するが、プーチンは報復としてクリミア占領を宣言

‘20年、ICCはウクライナ東部で戦争犯罪と人道犯罪が犯されたと信じる「合理的な根拠」があると認定したが、プーチンの戦争は妨げられることなく続く

プーチンが戦争犯罪を犯したのは、旧ソ連領土内に限らなかった。'11年初めは中東と北アフリカ全域にわたる驚くべき変化の時期。チュニジアの「ジャスミン革命」、エジプトのムバラクの辞任、リビアにシリアと広がる

シリア国内での平和的抗議行動に対する殺戮が広がり、国連安保理もハーグに付託しようとしたが、ロ中が拒否権を行使。同国では'82年にムスリム同胞団の蜂起が鎮圧された際の証拠はすべて隠滅されたが、’11年の鎮圧の際の暴力はSNSによって世界中のトップニュースとなる

インターネット時代には、ファクトの確定は難しい。「何事も真実ではなく何事も可能」

真実と噓を識別する可能性も大きくなってきていて、実際に現場にいなくても可能に

以前は政府の独占物だった衛星画像が世界各地で標準的な人権擁護ツールになり、スマホの登場も状況を変える

デジタルの可能性が成熟し始めたのは2011年。フェイスブックは変化を促進したソーシャルメディアの一例。圧政者に対する反抗にエネルギーを与える助けになっただけでなく、調査のツールにもなった。デジタルの証拠を集めて説得力のある全体像をまとめること、偽情報と対決し真実を記録することがますます重要な役割を果たすようになる

2013年、アサド政権による化学兵器の使用は最悪の被害をもたらしたが、その映像を克明に調べ、分析した結果、紛れもなくシリア政府がロケット弾を発射していたことを突き止める。突き止めたのは英国の経営管理者、戦争や兵器とは全く無関係の第三者だった

オープンソースに基づく調査のデジタル追跡技術は、現場にいる必要もなく、ネット上の動画やフェイスブックその他の情報を解析して有力な証拠に結びつけていく

集団殺戮の実行犯たちはしばしば、細心な記録員でもある。SS殺人部隊指揮官たちの訴追は、もっぱらナチ自身の記録に拠っていた。アサドの体制も、自身の犯罪を熱心に記録していた。憲兵隊写真班の1人が身の危険を冒しながらも記録の一部をこっそり自宅に持ち帰っていた。その写真が公開されると、シリア当局はすべてを否認したが、犠牲者たちの関係者からの情報で、個別に訴追が始まる

2023年、ICJも動き出し、カナダとオランダからの要請に応えて、シリアが拷問その他の虐待を防ぐためのあらゆる措置を講じるよう要求

2019年、米国はシリア民間人保護法を導入し、アサドとその取り巻きに戦争犯罪で制裁を科し、'12年の米人ジャーナリストの死に対し3億ドルの支払いを要求

2012年、シリアその他の戦争犯罪者を世界各地で裁判にかけるために、新たに「国際正義と責任追及のための委員会CIJA」といNGO組織が設立され、政権内部の流出文書をもとに犯罪に関与した政権幹部などの訴追をバックアップ。創設者は元軍人でICCと旧ユーゴ及びルワンダ戦犯法廷の元捜査員だったビル・ワイリー。ピノチェット以降一般的になってきた普遍的轄権を活用して虐殺の中心人物の逮捕を支援

 

7章 「今でなければ、いつ?」 ウクライナ(2022~)

2022年、ロシアのウクライナ侵攻・占領による戦争犯罪の責任追及の実現がウクライナにとっては重要課題。ジュネーヴ諸条約とICCのローマ規程は根幹で、民間人を標的にすることを禁じているが、ロシアはまさにそれを実行しようと決めているようだった

ウクライナは、1933年にソ連によって政治的に作り出されたホロドモール(飢餓による死)を経験しており、今回の侵攻による暴虐はその延長線上のものと見做されている

ロシアによるウクライナ人の帰属意識の抹殺計画にはジェノサイド戦術が組み込まれているだけでなく、焚書など様々な形をとる

ロシアの戦争犯罪を裁く試みは、侵攻の3か月後に始まり、何人かのロシア兵が裁判にかけられたが、問題は何でもあらゆることが上から認可・奨励される筋道にある

プーチンの無法を非難するロシア人は、厳しい報復を受けている

新たに任命されたICCのカリム・カーン主任検察官は、侵攻開始の3週間後ウクライナを訪れ、ウクライナが犯罪現場であると宣言。同時にICJもウクライナの告発を受けて動き出し、ウクライナ勝訴の仮裁定を下し、軍事作戦の「即時停止」を要求

侵略者を犠牲者と位置付けるプーチンのやり方は、’39年のヒトラーの前例に倣ったもの

2023年、ICCがプーチンの逮捕状発給。容疑は、ウクライナ占領地域からの子どもたちのロシアへの違法な移送という戦争犯罪に関与した疑いで、子ども担当委員も同罪

翌年には、ロシア軍幹部への逮捕状も追加発給。罪状はウクライナのエネルギ・インフラへの攻撃に関連するもの。3か月後には国防相らへも逮捕状が出る

今日ウクライナで起きていることの背景には常に、近年シリアで処罰されずに犯された犯罪がある。アレッポでの反体制派勢力に対するロシアの犯罪は、プーチンの次なる戦争で時には同じ司令官たちによって再び使われる。条約で禁止されているクラスター爆弾が、アレッポの6年後にウクライナで数百人を殺害

 

8章 「アマレクを思い起こせ」 イスラエル/パレスチナ(2023~)

2023年、ハマスの武装グループの戦闘員がイスラエルを奇襲攻撃した際、ネタニヤフ首相は「アマレク」に言及し、ハマスの犯罪行為に対し、自らの明らかな犯罪行為で応えた

イスラエルのネタニヤフ首相らが、パレスチナの武装組織ハマスとの戦いを旧約聖書に登場する宿敵「アマレク人」の殲滅になぞらえたことで国際的な批判や議論を呼びました。旧約聖書のアマレクはイスラエルに敵対した容赦なく滅ぼすべき存在とされており、これを現代の紛争に引用したことが「過激な戦闘やジェノサイド(集団殺害)の意図の表れではないか」と問題視されています。

アマレクとは

·       旧約聖書(ヘブライ語聖書)に登場する古代の遊牧民。

·       イスラエルの民がエジプトを出て荒野を進む際に襲撃を受けた。

·       神から「アマレクの記憶を天の下から消し去れ」と命じられた宿敵とされる。

·       ユダヤ教の文脈では「絶対的な悪や暴力」の象徴として語られることがある。

ハマスとの関連

·       202310月のハマスによるイスラエル奇襲攻撃以降、イスラエル側の指導者が演説などで言及。

·       ハマスの戦闘員をアマレクに見立てて「完全に打ち破る・根絶やしにする」必要性を強調。

·       国内外の人権団体や国際司法裁判所(ICJ)などで、パレスチナ人全体の殲滅を正当化する危険なレトリック(比喩)であると厳しく批判されている

ヘルツォク大統領の大おじはローターパクトだが、ネタニヤフと共に人権を尊重するどころか、不法行為を非難する人々を非難した。国連事務総長の、双方の犯罪を非難した声明に対し、「テロリズムを正当化している」と非難し辞任を要求

多くのイスラエル人がネタニヤフの言葉に意を強くし、イスラエル軍が引き起こすどんな死もハマスの犯罪によって減殺、正当化されると信じている

力は正義なりはイスラエルの政策に織り込まれている。イスラエルの指導者たちは、「パレスチナ人を隷属状態に戻すための周期的虐殺」を「草刈り」と呼んで好んで語る

それでいて欧米首脳は、ウクライナを攻撃するロシアを戦争犯罪と非難しながら、イスラエルの同等の行為を一切非難することはせず、二重基準を取り続ける

2024年、すべてが変わる。ICCのカリム・カーン主任検察官は、2組の逮捕状発給を要請。1つはハマスの最高幹部3人に対するもの、もう1つはネタニヤフと国防相に対するもの。すぐにバイデンは「言語道断」と指摘、スナク英首相も理屈上は法廷を支持しながら、「まったく無益」と不満を表明。これらの「刺々しい反応と辛辣な言葉」には、正義のために作られた組織を叩きのめそうという意図が明確

カーンの起訴請求は、'08’09年、イスラエルに対するハマスのロケット攻撃と、イスラエルによる「キャストレッド作戦」と呼ばれた報復攻撃に対する、長年待たれた回答だった

同年、ICCの裁判官たちは全員一致で検察官の令状を承認

2023年には、南アフリカがICJに、イスラエルによるジェノサイドの疑いと、その扇動について判断を求める訴えを提出。米英共に提訴を非難するなか、裁判所は、イスラエルがジェノサイド行為を防止し、扇動を防止・処罰し、その措置について1か月以内に報告することを命じる。南ア自体、ウクライナでのプーチンの犯罪追及には及び腰であり、一貫して正義の守護者ではない

イスラエルはICJの決定を無視、ICJは毎月のように命令遵守を要求したが、イスラエルは南アに提訴を撤回するよう圧力をかける

ドイツはこれまで30年間、ICCを強力に支持する国の1つで、シリアの拷問犯を終身刑にしたり、ウクライナにおけるロシアの犯罪を非難してきたが、ガザ攻撃の進行中、ドイツにとってはイスラエルの側しかないとして、イスラエルの行動を批判する人を逮捕までしている

イスラエル軍によるガザ報復攻撃の後、英国とヨーロッパ各地で反ユダヤ主義とイスラム嫌悪による襲撃事件が急増

ウクライナは長年、自らをモスクワの植民地支配的振る舞いの犠牲者として眺めていたが、そのように見るグローバルサウスの国は少なく、南北の分断が深まる2024年には、2つの異なる戦争に対する姿勢の際立った違いが目立つ

ICJは、パレスチナ領土におけるイスラエルのプレゼンスを違法とし、パレスチナ人に賠償金を払わなければならないとしたが、イスラエルがそれに従う可能性はほとんどなく、イスラエルの無法ぶりが孤立していることをかえって際立たせた

ホワイトハウスは自身の専門家が集めた証拠を前にしても、国際法下の明らかな犯罪に目を閉ざすのみならず、ネタニヤフをワシントンに赤絨毯出迎え、彼はその演説を品位を保つためではなくICCを攻撃するために使った

自称「現実主義者」が、実際には単なる近視眼的であることは、あまりにもしばしば証明されてきた。戦争犯罪を犯した政治家をあえて批判することは、心地よい関係を築く上では面倒になる可能性があるが、声を挙げないことは、さらなる重大な結果を招きかねない

'24年の米大統領選の民主党大会では、親イスラエルのバイデンに対し「ジェノサイド、ジョー」の声が上がり、後任のハリスもバイデンと袂を分かつには及び腰。アラブ系アメリカ人が多数を占めるミシガン州ディアボーンでは、民主党の得票は'20年のバイデンの勝利と'24年のハリスの屈辱の間に2/3激減し、トランプの手に落ちる。’24年ハリスがトランプに負けた理由の1つは、重要な同盟国が犯した犯罪を非難しなかったこと

ガザ攻撃から1年、イスラエルはヒズボラの指導者を暗殺、「ガザのように」レバノンを破壊すると警告。さらにイラン、ヨルダンへと向かおうとしている

 

9章 「正義の気配がする」

ニュルンベルクに始まる「正義の連鎖的波及」は、「小さな流れとして始まりながらも、後に突然広まり、その航跡に多くの関係者を巻き込んでいく」1つの思想となって、周囲に影響を与え続け、世界各地で人々は信じ始めた

今では125か国がICCの締約国。マーティン・ルーサー・キングJrが言ったように「道徳の宇宙が描く弧は長いが、それは正義の方向へ曲がっている」

 

普遍的管轄権による裁判を要求する声は、ピノチェット以来、劇的に盛り上がってきた

'23年のリュブリャナ―ハーグ条約は、戦争犯罪とジェノサイド、それに人道に対する犯罪の捜査での国境を超えた協力を各国に義務付けている

人道に対する犯罪の防止、禁止及び処罰を初めて義務付け、ハーグのICJで強制できるようにする「画期的な新しい条約」も提案されている

国内機関が正常に機能する結果として、ICCの法廷にかかる裁判がなくなれば大きな成功

1985年のアルゼンチンでの歴史的な「軍事政権裁判」を草分けとして、正義の裁きは徐々に国内に戻ってきた。アルゼンチンの裁判所は、普遍的管轄権に基づく裁判を開き、世界の他の場所で犯された犯罪に対する正義の裁きを追求する上で重要な役割を果たしてきた

ICC創設以来20年間、残虐犯罪に対して出した有罪判決は5件だが、コンゴではICCの判決が起爆剤となって国内で訴追の動きが活発化、多くの犯人が有罪判決を受けている

バルカン諸国でも、訴追の一部がハーグからボスニアやセルビアなど地元に移された

国連安保理の拒否権制度を制限する試みがなされてきた。総会で拒否権行使の理由説明を求めることが決議され、良識を取り戻すための一歩となる

ミヤンマーでのロヒンギャ虐殺については、'19年ガンビアが世界のイスラム57か国を代表しミヤンマーをICJに提訴。ある国が別の国の人々のために国際法廷に提訴した最初のケースで、4年後に南アがイスラエルに対する提訴で倣うことになる

アウン・サン・スー・チーは証言に立ち、国内の武力紛争に取り組んでいるので、国際司法はミヤンマーには当てはまらないと主張したが、法廷は暫定措置に合意し、ジェノサイド行為の防止と証拠の保全などを命じた。ICCも軍事政権指導者の逮捕状を予定

新彊地方におけるウイグル人イスラム教徒に対する中国の犯罪についても、安保理が非難決議を採択する可能性はないが、’21年には民間法廷が中国をジェノサイドで有罪としており、翌年には遂に国連人権高等弁務官による新彊に関する報告書が公表された

今では、真実と正義を実現する多くの可能性を手にしているが、正義の女神の公平な天秤が伝える単純明快で説得力のあるメッセージを、もし各国政府が拒絶するなら、こうしたメカニズムの効果は減じられるか、無にされてしまう。その挑戦を受けて立ち、対処しなければならないのだ

 

10章 正義の天秤を公平に

本書は、過去100年間にあらゆる不利な状況に抗して、変革への並大抵ではない道を切り開いてきた人々に捧げるオマージュでもあり、また、今日とこの先の歳月に正義の実現を確かなものにするために、しばしば自分自身の生命の危険を冒して働いている被害者や活動家への賛歌でもある

彼らが直面している諸々の難題は非常に大きいが、正義の裁きは少なくとも安定のための枠組み作りの第一歩になる。逆に、正義の裁きの欠如と、その不正義感の結果として生まれ、くすぶり続ける怨恨は、不安定と新たな暴力の悪循環を生む土壌になる

国際法廷の存在は、世界各地で、新たな形の責任追及を求める人々に勇気を与えている

不屈の権利擁護活動の結果として、性暴力犯罪の訴追を含め被害者たちの観点が、今では裁判所の戦略に組み込まれている

フランスのアルジェリアでの残虐行為や英国の北アイルランドでの殺害、米国のアブグレイブなどでの虐待など、いずれも逆効果でしかなく、安全を損なう結果にしかならないし、同様に、米国とロシアが今日、集団殺害の責任を問われることから友好国を守る意思を共有するとき、両国は世界を一層危険な場にしていることに共同責任がある

1948年、イスラエル独立宣言の起草を依頼されたローターパクトの草稿には、「正義、世界平和そして人種と宗教に拘わらず、我々の土地に住むすべての人々に対する敬意と平等」について語り、ICJの国際法廷を尊重しなければならないことを強調。彼の大甥であるヘルツォグ大統領ら、イスラエルの指導者たちは、ローターパクトが推奨したこうした良き国際的市民性の中核原則に立ち返ることが有益だろう

権力者を訴追することは、ただ過去の犯罪の責任を問うという問題に留まらない。私たちの未来を安全なものにするという問題なのだ。各国政府は、正義の天秤を万人にとってより公平にする手段を、妨害するのではなく、促進する義務がある

 

終章 「諸国政府を悩ませ続ける」

2024年、シリアでは人々が、25年間の権力と13年間の残忍な犯罪的戦争の末に解放されたことをまだ信じられないでいたが、少数派への迫害は続き、新統治者たちの行状も不安を掻き立てている。元は国連指定のテログループだが、今では穏健派として振舞い、多くの国際的制裁が解除されている。市民社会組織の話し合いも各地で始まっている

国内の人権擁護組織では、アサド政権の暴虐を記録する途方もない作業が進められている

ウクライナ侵攻やガザ攻撃では、大国によるICCに対する執拗な攻撃が続き、国際司法の限界の声も上がるが、強力な国家やその友好国が重大な犯罪を犯したときにICCが行動することを拒んだら、ICCにとっては重大な危険がある。裁判所が強力であり続ける唯一の道は、それが設立された目的である道徳的・法的価値観に忠実であり続けること

 

 

訳者あとがき

初版は第10章で終わっていたが、'26年刊行予定の改訂版に収録するエピローグが追加された。アサド崩壊後のシリアやガザ攻撃への関心、トランプの国際法廷攻撃への危機感が背景にあるようだ

著者は1986年発刊の英国の高級紙『インディペンデント』で旧ソ連・中東欧を担当する記者として、東欧革命やソ連崩壊、ユーゴ崩壊と内戦の取材で健筆を振るった経歴の持ち主。その後、'02年に人権擁護団体「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」の英国代表を務めたのを出発点に、'10年からは「アムネスティ・インターナショナル」で、'18年からは「フリーダム・フロム・トーチャー」で重要な役割を果たす。現在は開発と紛争に絡む企業の責任を問うRAID(開発における人権と説明責任)の代表

国際政治のアクターとしての市民運動に寄せる著者の信頼は揺るぎない。1980年代のポーランドに始まって、チェコのハヴェル元大統領が言った「力なき者の力」が体制転換に繋がった様を現場で目撃してきた経験がその礎になっている

国際正義を実現する上で大きな障害の1つは、欧米諸国の二重基準だと著者は指摘。この矛盾が、ウクライナ侵攻を批判する国際世論の高まりに水を差している

 

 

 

白水社 ホームページ

プーチンやネタニヤフが逮捕され、国際刑事裁判所の法廷に立つ日はくるのだろうか? 法の支配と国際正義の歴史、現在を追跡する。

サヘル・ローズさん推薦!
希望と限界、正義の重さを紡いだ作品

プーチンやネタニヤフがハーグの国際刑事裁判所の法廷に立つ日はくるのだろうか?
〈ヒューマン・ライツ・ウォッチ〉〈アムネスティ・インターナショナル〉などで指導的役割を務めた人権活動家、ジャーナリストが、現場取材で数多の関係者の声に耳を傾けて執筆した、渾身のノンフィクション。
ジュネーヴ条約採択、ニュルンベルク裁判、東京裁判、冷戦期の衛星諸国や旧植民地における「戦争犯罪」「人道に対する罪」「ジェノサイド」の歴史を辿りながら、プーチンやネタニヤフがウクライナ戦争やガザ侵攻で国際刑事裁判所の訴追対象になっている現在までを網羅する。
プーチンやネタニヤフに対する起訴は、広い変化の時流の一環だ。20世紀のほぼ全体を通じて、戦争犯罪に対する刑事免責は当たり前のことだった。ニュルンベルク裁判はその原則の例外だった。しかしいまや「彼をハーグへ送れ!」という声は、権力を握る指導者は責任を問われるべきだと考える、世界各地の人びとから発せられている。
赤根智子氏が国際刑事裁判所所長、岩澤雄司氏が国際司法裁判所所長を務めるなど、今後日本が国際司法の場で果たす責務も問われている。

 

紀伊国屋書店 内容紹介

人権活動家・ジャーナリストの著者が現場取材で数多の関係者の声に耳を傾けて執筆した、渾身のノンフィクション。ジュネーヴ条約採択、ニュルンベルク裁判、東京裁判、冷戦期の衛星諸国や旧植民地における混乱の歴史を辿りながら、プーチンやネタニヤフがウクライナ戦争やガザ侵攻で国際刑事裁判所の訴追対象になっている現在までを網羅する。赤根智子氏が国際刑事裁判所所長、岩澤雄司氏が国際司法裁判所所長を務めるなど、今後日本が国際司法の場で果たす役割も問われている。

 

 

 

好書好日

「権力者を訴追する」 残虐行為の公平な処罰をめざして 朝日新聞書評から

評者: 川出良枝 新聞掲載:20260516

権力者を訴追する:戦争犯罪と国際法廷の闘い著者:スティーヴ・クロウショー

 国際刑事裁判所(ICC)が、ロシアのプーチン大統領とイスラエルのネタニヤフ首相に逮捕状を発付した。その存在感が一気に高まった瞬間である。
 戦争のさなかでも人として守るべき法がある。17世紀のグロティウスに遡る考えである。だが、戦争犯罪やジェノサイドを訴追し、公正な判決を下す法廷が存在しなければ現実味がない。
 本書はこうした機関の設立に向けて努力してきた人々の歩みに光をあてる。ニュルンベルク裁判、旧ユーゴスラヴィア法廷やルワンダ法廷、ついに初の常設機関としてICCが設立された。
 著者は英国のジャーナリストで人権活動家。政治家や法律家だけではなく、非政府機関の情熱的な後押しが残虐行為を裁く仕組みの実現に必要だった。凄惨な犯罪が行われた現場をたずね、声なき犠牲者の声をひろい、審判の帰趨に一喜一憂する。殺戮の責任を問われた権力者への突撃取材も試みる。アメリカの圧力に抗してイスラエル首相らを訴追したICCのカーン主任検察官の不屈の闘いも克明に記録されている。
 著者は、プーチンとネタニヤフが戦争犯罪に手を染めたという点で同列だとみる。だからといって、みえすいた口実によるロシアの侵略戦争と、ハマスのテロを発端とするイスラエルのガザ攻撃を安易に混同することはしない。この区別は重要で、戦争犯罪や独裁者によるジェノサイドを法的に裁くということは、あくまでもそこで行われた残虐行為を個人の責任として裁くことである。著者が認めるように、権力者の訴追は世界平和を生み出す魔法の杖ではない。目的は最悪の人道犯罪を公平に処罰するという一点に収斂する。
 米・ロ・中など非加盟国も多いICCは実効性を欠くという冷ややかな声もある。だが、少しずつでも人類は良い方向に向かっているという著者の楽天的なまなざしは、本書の大きな魅力である。
    
Steve Crawshaw
 英国のジャーナリスト、人権活動家。インディペンデント紙で東欧革命などを取材。その後、人権擁護団体ヒューマン・ライツ・ウォッチなどで活動。人権と正義をテーマに執筆を続ける。
    
三浦元博訳

川出良枝(かわでよしえ)放送大学教授(政治学)

1959年生まれ。東京大学名誉教授。専門は政治思想史・政治理論・国際関係思想。著書に『貴族の徳、商業の精神』(渋沢・クローデル賞)、『平和の追求』。共編著に『政治学』『西洋政治思想史』『主権と自由』など。20264月より朝日新聞書評委員。

 

 

国連広報センター

国際刑事裁判所(International Criminal Court: ICC)(www.icc-cpi.int)は独立した、常設の裁判所で、国際社会全体の関心事であるもっとも重大な犯罪、すなわち集団殺害犯罪、人道に対する罪、戦争犯罪に問われる個人を訴追する。また、2017年に締約国が行う決定によっては、侵略犯罪に対しても管轄権を持つことになる。刑事裁判所は、1998717日、ローマで開かれた全権大使会議で採択された「国際刑事裁判所ローマ規程」(https://www.icc-cpi.int/)によって設立された。ローマ規程は200271日に発効した。201611月現在、締約国は124カ国である。

刑事裁判所は法律的にも機能的にも国際連合から独立しており、国連システムの一部でもない。国連と刑事裁判所との協力は「交渉による関係協定」に規定されている。安全保障理事会は、ICCの締約国でない国に関することも含め、事態をICCに付託することができる。裁判官は18人で、締約国が9年に限定された任期で選出する。ただし、裁判もしくは上訴がすでに始まっている場合は、それが終了するまでその任に就く。いかなる場合でも同じ国から2人の裁判官を選出することはできない。

201611月、ICC10件の事態について捜査と訴訟手続きを進めている。中央アフリカ共和国(2件)、コートジボアール、ダルフール(スーダン)、コンゴ民主共和国、グルジア、ケニア、リビア、マリ、ウガンダである。ICC検察官は多くの事件で予備審査を行っている。ICC23の事件に関わっている。2016年、マリに関する事件で、アハマド・アル・ファキ・アル・マハディ被告に対する決定は、文化遺産破壊に対する国際裁判所の最初の有罪判決で、他方、中央アフリカ共和国事件のジャン・ピエール・ベンバ・ゴンボは、司令官としての責任と性的な、ジェンダーベースの暴力に対して有罪判決を受けた。

 

 

 

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