戦争と西洋 西谷修 2025.8.31.
2025.8.31. 戦争と西洋 西側の「正義」とは何か
著者 西谷修 1950年生まれ。哲学者。東京大学法学部卒業、東京都立大学フランス文学科修士課程修了。明治学院大学文学部教授、東京外国語大学大学院総合国際学研究科教授、立教大学大学院文学研究科特任教授を歴任。東京外国語大学名誉教授。20世紀フランス文学・思想の研究をベースに、グローバルスタディーズ、戦争論、世界史論、クレオール文化などを広く論じる。著書に『戦争論』(講談社学術文庫)、『夜の鼓動にふれる』(ちくま学芸文庫)、『戦争とは何だろうか』(ちくまプリマー新書)、『アメリカ 異形の制度空間』(講談社メチエ)、『私たちはどんな世界を生きているか』(講談社現代新書)など
発行日 2025.6.15. 初版第1刷発行
発行所 筑摩書房 (筑摩選書)
初出 トイビト
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第1章 世界戦争とは何だったのか
l 世界戦争から80年
2022年、ロシアによるウクライナ侵攻で世界は新たな混乱期に入ったと言われた
第2次大戦以降、西側を軸として作られた世界的な安全保障体制が、冷戦終結後30年を経て西側に吸収・統合されなかった旧社会主義諸国やイスラーム諸国から「新たな挑戦」を受けている
2度の世界戦争を経験して以後、戦争はいけない、戦争は「悪」である、というのが1つになった人類世界(国際社会)の基本原則になったはず
にも拘らず、「戦争当たり前」の機運に世界が流されているが、その機運が蔓延しているのは「西側」世界だけ
l 戦争と人間を考える
本書の目的は、人々が現在の事象をどう理解し受け止めて対処すべきか、その判断に資する見方を示すこと
20世紀の戦争とは基本的に「世界戦争」。世界=人間世界
戦争が世界化し、国の行なう戦争は国民生活の全てを動員する「総力戦」「全体戦争」となる
古くから現代にいたるまで繋がる存在の根本テーマが浮かび上がる。「人は1人では死ねない」「死は未完了である」・・・・。そこから、このような限界状況を生み出した「世界戦争」とは何だったのか、どのようにして生じたのかを考えることになる
l 「世界戦争」を準備したもの
戦争とは人間の集団的行動の特異様態なので、戦争とは何かを「人類学的」に考える
地域的であるはずの集団間の抗争が世界全体を巻き込むようになった背景には、この5世紀あまりの間に展開された「西洋の世界化/西洋による世界統合」がある
「西洋」自身は自らを、先ずは神の意志を体現する「文明」であり、他社を「野蛮な因習」から救うのは「救済」だと見做したので、その統合は独善的に進んだ
一方、西洋世界内部では宗教(キリスト教)が棚上げされ、現世では合理的・技術的に物事が進められ、内部の戦争を抑止して外部への展開のドライブとする国家間秩序(ウェストファリア体制)が作りだされ、そのプロセスは一般に「世俗化」と呼ばれる。それ以降、「海の彼方は自由」という約定(海洋自由の原則)と、「先占取得」(先に手を付けたものが権利を得る)の法理の下、西洋諸国は争って世界に進出。その過程で、「戦争は国家間で行われるもの」という規範が出来る。それがいわゆる「国家間=国際秩序」であり、全世界が西洋化するプロセスの1局面という意味合いを持つことになる→ヘーゲル「全体性の哲学」
日本もこの秩序における1つの主体となることを選び、西洋化することで自ら「文明世界」の一翼を担うことを目指す
l 世界化の成就と崩落
世界化のプロセスは「闘争の歴史」であり、「歴史の完了」は世界全体の「戦争化」として実現
「進歩の時間」は消尽され、「未来」を持つためには、西洋にとっても世界にとっても、原理の変容を余儀なくされる。そこから戦後の蘇生のための様々な原則が模索され、法理念が鋳直され、国際的な規範も作り直された→非戦、人権(生存権)、相互承認、共生(民主主義)
最終兵器の登場によって戦争は技術的に「不可能」になったにもかかわらず、その技術を政治化することで「不可能」な戦争が新たに開始される。それが「核抑止」の下での「冷戦」であり、それ以降も、この世界的な「戦争レジーム」は更新されてゆく
コラム① なぜ、「西洋」の語を用いるのか
「西」という現代語の背後には「Occident」というこの地域に伝統的なラテン語が控えている。古代ローマ帝国の東西分裂にまで遡り、西側をOccident、東側をOrientと呼ばれ、地理的・歴史的な「東・西」区分の発祥
ローマ帝国の分裂はそのままキリスト教のローマ・カトリックとギリシャ正教の分裂を生んだが、それが20世紀には、新たな「自由主義・資本主義」と「社会主義・共産主義」とのイデオロギー対立にほぼ置き換えられた。イデオロギーとは世俗の神学に他ならない
「西洋」とは、その制度体の自称であり、単純な地理的な意味で使うことは出来ないもの
第2章 戦争と西洋――〈世界戦争〉への道
l 戦争は政治の「例外状態」
「戦争」の定義はなく、漠然とした了解の上に「戦争論」も成り立っている
クラウゼヴィッツの言う「戦争は別の手段をもってする政治の延長」という定義にしても、「政治」の定義はされていない
「戦争」が積極的・実証的に規定できないのは、「戦争」と呼ばれるものがあらゆる冷静な把握の可能性を壊し、個々人の意志を超えてあらゆる秩序を混乱の坩堝に投げ込むからだ
人間が普通の人間であることが「平時」なら、戦争はその人間が集団ごと非人間化してしまうのが「非常時」
l クラウゼヴィッツの「絶対戦争」
破壊そのものが自己目的化してしまうのを「純粋戦争/絶対戦争」と呼んだ
実際に起こりうる戦争は、国家間秩序の下、強制力の発動は、一定の政治目的を実現するための手段なので、目途がつけば政治のプロセスに復帰するはずだが、「世界戦争」では敵の根絶によってしか戦争は終わらない
l 「西洋」とその外部
哲学は普遍的認識=言説を目指すが、「普遍性」には実は「西洋」製という刻印が打たれている。へーゲルの「全体性」も「西洋」が前提であり、その哲学は「西洋」という揺るぎないアイデンティティー(自己同一性)として確立されたもの
日本の場合、科学知では原理的に技術的であるため、適応すれば西洋世界でのプレーヤーたり得るが、非技術的領域(=制度的領域)では適合同化は容易ではなく、綻びが露呈
l 「西洋」と「西側」
「西洋」は、現在も「西側」のように形を変えて世界の構造やそれについての理解を強く拘束している
l 「西洋」の誕生と自己確立
西側では、11世紀に一連の教会改革を経て、ローマ教会が独自の宗教的権威を作り上げ、教皇が世俗諸権力を前に自らを現世の至高者と決めた。事後的な自己把握として来歴の物語を作りだす。それが「西洋」の「アイデンティティー」
l 「西洋」の世界進出と国際秩序
「西洋」の成立はラテン・キリスト教の確立と不可分だったが、その後実際に「世界布教」を担ったのは世俗の人々。政教分離の体制を作り、世俗化しながら本格的に世界進出を開始
それは、全世界の「改宗=キリスト教化」の試みであり、「西洋文明」の外部への波及、それぞれの地域の征服と支配、西洋的制度システムの輸出とそこへの統合のプロセス
「発見」による「名付けと領有」の二重性を象徴するのがコロンブスの所作。「発見」主によって新しく名付けられることを西洋の日常語では「バプタイズ(洗礼)」という。自然に委ねられた罪ある状態から神の恩寵の世界に迎え入れ、神の秩序の中に新しい存在を持つに至る
西洋は内部的にも独自の発展を遂げる。法国家体制の整備と産業経済システムが形成され、30年戦争を経てウェストファリア体制と呼ばれる主権国家間秩序を形成する。主権国家間の相互承認がそのまま抑止の仕組みにもなるというある意味危うい均衡が出現
l 世界戦争はヨーロッパから
第1次大戦は当初「ヨーロッパ大戦」と呼ばれ、植民地分割を巡る抗争だったが、世界規模に波及、総力戦となって、ドイツの国家崩壊やロシア革命によって戦争が終結
第1次大戦後にはすでに「西洋の没落」が語られたが、それは世界を領導して繫栄する西洋が、その繁栄の頂点で内部から破綻するということの不安な自覚でもあった
第3章 「冷戦」の基本構造
l 戦争のイデオロギー化
冷戦期は、戦争と国家間関係のあり方を大きく変容させただけでなく、世界認識のイデオロギー化を進め、現在の世界に浸透する見方(歴史否認)を準備した重要な変化の時期
戦争はいつもそれを正当化するために様々な理念=イデオロギーを生むが、戦争そのものに理念はない。あらゆる理念を廃絶するのが戦争
戦火をあげない冷戦は、ラジカルに「理念」化された戦争で、それが双方の「正義」として掲げられるがゆえに、戦争の現実を逆に徹底的に非人間化した「代理戦争」の典型
l ソヴィエト連邦とは何だったのか?
「人民が権力を執る」という擬制の下、全権力をソヴィエト共産党という一元的組織が掌握し、事実上帝国を継承して各地の人民を組織管理する、史上初の多民族の広域国家
l 米ソの非妥協的対立と「西洋」の更新
欧米で共産主義が恐れられたのは、ソ連の体制が欧米の社会原理になっている私有財産権を否定するものだったからで、それが私的権利(自由)の根本否定と見做された
アメリカは封建制の時代を持たず、「無主地」に「持てる者の自由」を原動力として切り拓かれ、それを社会原理として作られた、「私的所有に基づく自由」の権利化・制度化が、この「連邦国家」の屋台骨だったため、共産主義ソ連との対立はヨーロッパ諸国以上に非妥協的なものとなる
第2次大戦もまずはヨーロッパ諸国間から起こるが、その背後に新たな諸勢力の対立が醸成されており、戦後秩序の主軸(主導権)はその対立を演じる国々によって担われる。それを、ソ連を除いた「西側」の観点から見るなら、世界秩序形成の主導権は「古い西洋(ヨーロッパ)」から「新しい西洋(アメリカ)」へと決定的に入れ替わったということ
「古い西洋」から「新しい西洋」とは、モンロー主義以降のアメリカの自己規定であり、「新世界」の地政学的言い換えである
第4章 核兵器とは何か
l 戦火を抑える「冷たい戦争」
相容れない主要国同士が、直接に戦火を交えることはないが、国際関係そのものは両陣営の対立状態を枠組みとして、世界情勢は戦争の論理で動いていた。双方の影響圏の確保・拡大を巡って、地域限定の「代理戦争」が起こった。その最大のケースがベトナム戦争
「戦争の原則禁止」が国際規範となり、アメリカはCIAを組織して、世界規模での非公然の工作活動を「非軍事的」に行うようになった。ソ連はすでに秘密警察組織KGBを持つ
冷戦を決定的にしたのは、核兵器の出現
l 究極兵器としての原子爆弾
戦争に勝つには、敵の戦争遂行能力を破壊しなければならない。そこで都市爆撃が始まる
開発者が結果に責任をとれない、先端技術の最初のもの。全体を知る者はごく僅かしかいない。あらゆる先端技術分野での技術者の仕事はそのようなものになる
核兵器は戦争そのものの論理が求めた兵器ではあるが、現実的にも、道徳的にも、「使えない」兵器。「理性」が生み出したものだが、「理性」は己の規(のり)を超えて「狂気」と戯れるしかない状態に陥っている
l 「使い途のない否定性」
全世界を照らし出す理性の過剰な光を具現するような、「使い途のない」兵器にも拘らず、実際に使用され、「戦争を終結に導いたもの」として正当化され、トルーマンは「文明の勝利」として称賛。核技術は存続するために、人類とその文明に役立つものとして示さねばならなくなり、潜水艦の動力源や「民生用」の発電技術として転用されるが、自然の結界を破る人間がコントロールできない技術であることに変わりはない。にも拘らず、それをもう1つの戦争技術であるプロパガンダPRによって無理やり正当化して普及させ、経済成長に欠かせないエネルギー源として産業システムの中に組み込んでゆく
l 「キューバ危機」
宇宙開発は、人類の夢を担うものとも謳われたが、その推進力は科学技術による新たな次元の「征服」衝動だと言っていい。「西への漸進」(アメリカの西部開拓)の「フロンティア」が地表から宇宙空間へと転移したもの
キューバ危機は、両首脳の直談判により、トルコのミサイル撤去と引き換えにキューバのミサイルを撤去することで辛くも核の衝突は回避されたが、却て核配備競争は嵩じた
l 核の抑止力
「冷戦」では、米ソが手打ちしても、その争いに巻き込まれた小国、独自の歩みを切り拓こうとする小国は、一方に傾いたことの「罪」を永遠に許されず、存在を否定される
「核抑止」の論理の極限は、「相互確証破壊MAD」として定式化されている。'65年、米国防長官マクナマラが打ち出したもので、相手の先制攻撃による破壊を免れる核弾頭があれば、それによって十分な報復攻撃ができるので、そのような態勢を整えておけば先に攻撃した国も甚大な被害を被るため、理論上(合理的に考えて?)核戦争は起こらないという想定
コラム② 「ベトナム戦争」について
アメリカが核兵器以外のあらゆる無差別殺傷兵器を使い、住民虐殺行為も行った「汚い戦争」だったが、同時に国内では黒人の公民権運動の広がりとも重なってアメリカに「新しい自由」の機運を引き起こすきっかけにもなった(ウッドストック・ロックやヒッピー文化等)
ベトナム戦争は、米ソの「代理戦争」だが、ベトナム人にとっては、「祖国解放戦争」
ホー・チ・ミンも、共産党を足場にしたが、根本の目標は西洋の植民地支配からの脱却であり、アメリカがそれを「共産主義から自由を守る」という名目で抑え込もうとしたもので、アメリカは撤退後も十数年にわたって経済制裁を科し、「人権外交」を掲げて国際社会から締め出す「兵糧外交」を続けたが、西洋的な戦争の世紀を生き抜いて自立を勝ち取る
第5章 西洋の次なる「敵」と新しい「正義」
l 「冷戦の終結」がもたらしたもの
1989年12月、米ソ首脳のマルタ会談により冷戦終結を宣言。イデオロギーによる世界分断の時代の終りであり、核兵器によって抑止されていた水面下の「世界戦争」が、もはや制約のない、万人の生存をかけた「自由」な経済的競争に取って代わられた
国家を主体としその主権に結ばれたはずだった近代の「戦争」の構造は、ここでさらに大きな変質を蒙る
l 「東西」分割の更新
東西対立は、もともとはヨーロッパの分断が主軸。ドイツの分断が原点だが、ヨーロッパの分断線には、ヨーロッパの形成そのものに関わる古くからの歴史的経緯があった
ローマ帝国分裂に遡る「東西」区分を起源とするが、基軸は、アメリカによって更新された「西」がロシアに軸を移した「東」と対峙する、古い構図の反復・更新でもあった
ドイツが冷戦終結とともに統一され、EUの中軸国となったことによる錯綜が、後のヨーロッパ意識に大きな歪みを生じさせることになり、結局それが後のウクライナ戦争で露わになる
l ヨーロッパの「火薬庫」
冷戦の終結は、とりわけヨーロッパにとっては福音だったが、東欧圏の崩壊が「解放」したのは俄か復興の排他的ナショナリズムと克服されたはずの民族紛争。バルカン半島は民族紛争が泥沼の内戦状態を引き起こし、イスラーム戦士団の流入で事態は一層複雑に
バルカン半島はかつて「ヨーロッパの火薬庫」とも喩えられ、再び混迷の火床となる
l ユーゴ崩壊と「民族浄化」
ドイツは「1民族1国家」の原則を楯に、一気の統合に走り、ユーゴ崩壊の口火を切ったクロアチアの独立をいち早く承認すると、ユーゴの分裂は決定的となって民族間抗争に入る
民族が混在し、そのために文化的にも豊かだったサラエボのようなところが最も激しい破壊と殺戮の舞台となり、「民族浄化(エスニック・クレンジング)」が始まる
ドイツがクロアチアの独立を承認することによって、バルカン半島が俄か民族主義の修羅場になることを促したが、それが「東側」の崩壊を決定づけた
l NATOの「人道的介入」
混乱収拾のために国連PKOが介入するが機能不全で、冷戦終結とともに役割を追えたはずのNATOを投入。NATOは、アメリカの庇護の下にヨーロッパの安全保障を担う新たな役割を見出す。この時の口実が「人道的介入」で、戦争が「道徳的」に要請されるようになった
「敵」を「悪」「非人間」と規定すると、それを撲滅するための破壊行為は「善」として際限なく正当化されることになり、それ自体が「人類」の域を超える破滅的な殲滅戦になる
戦争に道徳を持ち出すのは最悪。力の対決に過ぎない戦争を正義で飾って、その破壊と暴力を無制約化するもので、「人道的戦争」など本来あり得ない
l 湾岸戦争
'79年のイラン・イスラーム革命が中東状況に変化をもたらす
イラン・イラク戦争で英米の支持を得たイラクは、隣国クウェートの併合を企てるが、同国は英米が石油確保の要所として’61年に立ち上げたものであり、米英の逆鱗に触れる
‘91年の湾岸戦争は、冷戦後のアメリカ1強体制の下での「世界新秩序」の最初の試行
l 新たな「正義」の醸成
世界の多くの国(人々)がこの戦争を容認・指示したのは、精油まみれの海鵜の写真などにより醸成された「国際的」世論があったからだが、その後フェイクニュースであることが判明。国際舞台での虚偽情報の演出やメディア動員によって戦争の「正義」が演出されていた
この種の「戦争」が、社会主義/共産主義は「悪」だとするイデオロギーに代わる、新しい「独裁者からの解放と民主化」のイデオロギーの下で起こる。それが「人道性」を掲げるだけに、その「民主化」戦略は益々倒錯的なものになる
「アメリカの戦争」は「正義」を僭称するが、その犠牲となって押し潰されるのは、周辺化され、「人間」の視野から排除されてきた諸地域の無数の「小さな人々」
コラム③ 非同盟諸国会議と第三世界
'55年、初のアジア・アフリカ会議開催。平和10原則を採択、国際政治的に「第三世界」と呼ばれるグループを形成。国連が実質的に「国際社会」を代表するという理念を実質化する上で大きな力となる。国連総会の意思決定にそれらの国の意向が反映されるようになると、しばしば先進国にとっての足かせとなったため、先進国は首脳会議G7を組織し、冷戦後はより経済に重点を置いたが、今では「西側」の政治や軍事を主導する会合に変容
第6章 戦争とメディア
l マス・メディアが「想像の共同体」を作る
近代の戦争は、メディアと切り離すことが出来ない。戦争が「国民戦争」になって以来、国は曲がりなりにも国民の同意を取り付けなければならない。その同意を醸成し、機運を高め、戦争の遂行を支える上で、メディアが不可欠の役割を果たす
国民とは「想像の共同体」。「縁なき衆生」が情報を共有することによって各人が自分の外に広がる想念(想像)の世界を共有し、それが1つの潜在的な共同意識になる
l ドメスティックなナショナル・メディア
マス・メディアは国民教育とともに始まった。マス・メディアは基本的にドメスティックであり、メディアが共通のバイアスのかかった「想像界」を作る
メディアを通してのPR(宣伝)は「思想の市場淘汰」の方法でもある
l 報道の自由とイデオロギー
戦争の現実を伝えることが「反戦的」効果を持ったり、報道が時の権力にとって都合の悪い真実を暴き出すこともある。それらの経験から「報道の自由」や「メディアの公共性」が自覚されるようになり、それがメディアをドメスティックな土壌から自立させる。そのためには「他の視点」がいつも必要。とりわけ世界戦争以後は、メディアは多様な見解や「他者」の見方も伝え、時の権力に流されない客観的で「自由」な報道、複合視点に立った報道をすべきとか、人類的視点に立った報道への要請が広まる
イデオロギー対立下では、敵対を鼓吹する役割をメディアに担わせ、道具として使われる
l グローバル・メディアとそのカウンター
19世紀後半から登場したグローバル・メディアも、先進国で作られたグローバル情報を発信するだけだったが、'80年代以降は各地の事情に即したそれぞれの地域の情報を各地から世界に供給する分散型のグローバル情報サービスへと方向転換している
l 「グローカル」メディア、アルジャジーラ
湾岸戦争時に開設されたアルジャジーラは、カタールのアラビア語の衛星テレビ局で政府出資だが、目的は官製メディアではなく、アラブ世界の出来事を、現地から現地の視点で伝えるためのテレビ局で、現代的な客観報道の訓練も受けた人々が関与。効果は絶大で、9.11ではウサマ・ビンラディンのインタビューを世界に配信
l 「メディア・ウォール」を破る
既存のグローバル・メディアによって「ユニラテラル(一方向的)」に覆われ見えなくなる「メディア・ウォール」が破られ、覆われていた事実・報道が配信されると、様々な功罪両方の反応を惹起する
コラム④ プロパガンダからPRへ――E・バーネイズの役割
フロイトなどによる大衆心理の新知見を基に「大衆操作」や「マス・コミュニケーション」の技法を作り広めたのは、フロイトの甥でアメリカで活躍したバーネイズで、彼が構想していたのは「同意を生み出す工学」。最初「プロパガンダ(情宣)」としたが、スターリンやゲッペルスに使われたのを嫌って「Public Relations」と言い換える。情報流通の市場化によって社会的「同意」を形成。社会的嗜好(ブーム)を作りだすことが出来る
デジタル情報化社会では、「受ける」情報が流通力・拡散力を持ち、情報の正確さは二の次となり、「ポスト・トゥルース」という状況を作りだす
バーネイズの最初の仕事は、「新世界」に自足していた国民をヨーロッパ対戦への参戦に「同意」させるための国家情宣活動に携わったこと。その時のキャンペーン標語は「(アメリカが)ヨーロッパに民主主義をもたらす」であり、それ以降世界の戦争に深く関与するが、その際の口実はいつも「(ナチに抗して)アメリカが自由をもたらす」「(専制国家に)アメリカが民主主義をもたらす」であり、それがいつも海外派兵へのコンセンサスを作って来た
アメリカの対外戦争は常にイデオロギー戦争だったということ
第7章 「テロとの戦争」はいかにして起きたか
l 「アメリカの世紀」
20世紀は「アメリカの世紀」。第2次大戦後は西洋(オクシデント)世界の中軸を担う
原爆によって得た力を背景に、「偉大な正義」として威力行使を続け、それをソ連の存在が正当化した
l 中東地域のイスラーム化
ソ連が崩壊し、「所有に基づく自由」のレジームが歴史的正当性を得ることになったが、そこに挑戦してきたのがアラブ・イスラーム勢力
l 西洋化とイスラーム
イラン・イスラーム共和国の出現がムスリム諸社会に自尊表明の「希望」を与える
植民地支配の時代から、困窮する民衆の生活を広く支援してきたのがイスラーム同胞団
l 「9.11」の衝撃
「テロとの戦争」が無理筋。「戦争」は合理的なルール(戦時国際法)に則って行われるもので戦争そのものには正邪はないというのが基本的考え方だが、「テロリスト」というのは究極的な正邪判断であり、それも私人に対する判断・断罪で戦争には馴染まない。それをアメリカ大統領が「正義の執行」を行うのは、まさに「帝国」の論理
国際社会は、アメリカのパニックと逆上に辟易しながらも、それを受け入れる
コラム⑤ イスラーム社会と政教分離
イスラームに政教分離はなく、信仰が世俗生活に浸透しその規範となっている。そこにキリスト教原理である「世俗化」を持ち込むことは、人々の社会的生存基盤を破壊することになるため、西洋化への反発から、逆に宗教意識が先鋭化し原理主義が政治化して現れる
キリスト教は三位一体の教義(ドグマ)を信じる「イズム」だが、イスラームは生活実践と区別されず、「イスラミズム(教義)」ではなく「イスラーム」なのだ
イスラーム社会の場合、植民地からの独立・民族解放は、近代化を不可避にするが、「自立」は必ずしも西洋化の方向には向かわない
第8章 「テロリスト」という非存在
l 「第三の立場」の排除
「テロとの戦争」は、戦後の国際秩序を宙吊りにする
司法と行政が一体化し、その一体化が立法を不要にする、まさに独裁・専制体制の特徴
米大統領が国際社会に対して二者択一を迫り、「第三の立場」を排除
l 圧倒的「非対称」の戦争
「非対称性」は戦争の内実にも現れ、「敵」を皆殺しにする目的を隠そうともせず、コラテラル・ダメージ(巻き添え)も許され、やればやるほど新たな「テロリスト」を生む
この異常な「戦争」の概念が、戦争関係の論者たちによって、新たな戦争の形態として追認されてきたのは驚くべきこと。9.11が「なぜ」起こったのかを一切問わずに、「強者の論理」をまったく無批判に受け入れている。学者の知的怠慢が曝け出されている
l 「テロリスト」に人権はない
「テロリスト」を本質概念(決めつけ)とすることで、国家(既成秩序)の側は公衆操作と権力発動の大きな手段を手に入れる
「テロリズム」とは犯罪学の用語。動機不明な集団殺傷などの事件を、理由や背景を問わずその犯行形式で裁くために用語化されたものだが、90年代から徐々に国際政治用語に昇格
国家を超えた「普遍的人権」が認められる世の中にあって、「テロリスト」と規定すれば、「敵」はあらゆる人権保護の埒外になる。国家(超国家)にとっては極めて都合の良い概念
l 「テロリスト」指定の裏側
国際法も払いのける超国家アメリカが「テロリスト」と認定するから、他国もその指定に従うだけで、逆は成り立たない
第9章 戦争の「民営化」
l 「自由の国アメリカ」の力と繁栄
冷戦後の一気に進んだ大きな変化が、戦争の「民営化」。経済社会政策のネオ・リベラリズムへの転換が軍事領域にも拡大
l ケインズ主義の行き詰まりと新自由主義の台頭
ハイエクやフリードマンらの新自由主義は、ラジカルな社会改造プロジェクト
l 国家の「民営化」
'73年、ベトナム線厭戦の空気に対し、フリードマンの提言を受け入れ徴兵制廃止
徴兵に代わり、任意の「雇用」にする。国家は会社の複合体となり、徴兵制廃止は国民幻想の下に組み立てられた近代国家そのものの「民営化」の第1歩とも言える
l 戦争の「民営化」
冷戦終結後の米軍縮小に伴い膨大な失業者が発生し、「民間軍事会社」が続々誕生する
「テロとの戦争」以後、米軍は多くの戦争業務を外部委託し、ブラックボックス化する
l ネオコンとネオリベの同行
アメリカの私的営利追求の「自由」のためにあらゆる社会的拘束の一掃を求める「ショック・ドクトリン」が、国家の変容に伴って戦争のあり方そのものを深く変質させる
ネオリベは「自由」を標榜し、「ネオコン」は「保守」と見做されるが、アメリカの掲げる「自由」は、「他」を消滅させて行く「自由」であり、それを続けることが世界におけるアメリカの地位を確保し「保守」し続ける道だというのだから、両者は別物ではなく、アメリカ自ら国家創設のときから持つ「新世界」の形成原理
コラム⑥ アメリカ合州国
アメリカは、イギリス国王の勅許の下、植民地経営権を得た民営会社(マサチューセッツ植民会社、ニューイングランド植民会社等)によって、それぞれに開発された13の植民地が連合して宗主国のイギリスの支配を排して連邦政府を作ることで成立したので、連邦政府とは民営各州の持株会社のようなもの。ヨーロッパ型の主権領邦国家とは全く違った国家形態であり、「西半球」を「自由」の領界とすることを宣言(モンロー主義)。この「国」が後の国際関係の中で、「例外性」を主張するとともに、「例外的」と見做されるのはこのため
もともと「アメリカ」は、ヨーロッパに形成された国際法秩序において、「海の彼方は自由」(海洋自由の原則)とされた「例外領域」(先占取得が可能)に作られた
日本は、他の西洋列強と同等の「異国」としてアメリカに出会ったため、その「例外性」よりも国民主体の政体の特徴から「合衆国」と呼んだが、成り立ちに関して重要な誤解を生む
[閑話休題]加速する時間の先に
「テロとの戦争」が、冷戦に代わる世界の戦争レジームになって四半世紀
膨大な情報の量に押し流され、「時の終り」が近づき、ポスト・ヒューマンだけが残るその「夢」の最も児戯的な形が「火星移住」では?
第10章 「アフガン戦争」とは何だったのか
l 「テロとの戦争」の端緒
アフガニスタンのようにイスラーム主義組織が「実効支配」する国は「破綻国家」で、国際秩序には属さない。そのタリバーンがウサマ・ビンラディンを匿っているという理由で、アフガンをタリバーン支配から「解放」すべく、アメリカとその「同志国」による攻撃開始
l アフガニスタンとはどんな国だったのか
ペルシャとインドに挟まれた山岳地帯で、国民国家の形をとったことはなく、諸部族結束による王国だったが、'70年代に共和政革命が起こる。冷戦下で’78年共産党政権ができると、伝統部族が反発して反政府勢力が拡大、ソ連の介入が始まる。アメリカも「反共勢力」に梃入れ。伝統的にイスラーム化していた諸部族は「無神論ソ連に対して」闘う
'89年、ソ連撤退後は統治権力の空白下での内戦に陥る。その混乱を収めたのが新興勢力のタリバーンで、’90年代末には諸民族を平定してほぼ全土を掌握
l 「最貧国」への「報復」
アメリカの「報復」に、NATOも初めて集団的自衛権発動で応える。統一ドイツも戦後の外交軍事方針を根底から転換させられ、初の海外派兵に踏み切る
l 「解放」すなわち体制転換
グローバル世界秩序にとって望ましい政権を作って体制転換を図ることがアフガニスタンを「解放」することになるというアメリカの論理だが、誰のための「解放」か?
超大国アメリカの政治指導者たちの傲岸と独善がこれほど露わに晒されたことはない
l 「テロとの戦争」は続く
アフガニスタンには直接選挙で選ばれた大統領の下に新政権が発足するが、部族利害の絡んだ利権構造が生まれ、さらなる混乱状態に
'18年、アメリカとタリバーンの間で米軍撤収が決まるが、政権は蚊帳の外
l 「虫けらの国」の放棄
アメリカは、アフガニスタンの海外資産を凍結し、復帰したタリバーン政権に厳しい経済制裁を科す。'21年米軍の撤収が完了。国連の難民高等弁務官事務所がアフガニスタンの人道危機を喚起したが、翌年ウクライナ侵攻による同国支援の喧騒にかき消されてしまう
第11章 イラク――「ならず者国家」の市場解放
l イラク戦争への道
イラクも、もともと西洋諸国と同様に形成された国家ではなく、第1次大戦中のサイクス=ピコ協定により信託統治領メソポタミアとしてイギリスの管理下に置かれたが、現地アラブ人の反発が強く、英国がメッカの太守ハーシム家を立ててイラク王国とした人工国家
第2次大戦後、民族・宗派を超えてアラブ国家統合を図る世俗主義のバース党が全権を掌握。イランのイスラーム革命に乗じてイランに侵攻するフセインを米英が支援。’88年国連の調停で終結
l クウェート侵攻の論理と湾岸戦争
‘90年、イラクはクウェートに侵攻。本来イラクの領土であるべきだったものを取り戻すという名目での軍事行動だったが、米英の逆鱗に触れ失敗
l イラクという「悪の枢軸」
湾岸戦争は冷戦後の世界秩序管理の試金石で、アメリカが「世界の警察官」を演じるという
中東・アフリカ地域の随所で、アメリカ軍基地がイスラーム過激派組織の攻撃を受ける
アメリカは、イラン・イラク・北朝鮮を「テロ支援国家/ならず者国家」として焦点化し、「悪の枢軸」と呼ぶ
l 「衝撃と恐怖」作戦
敵を極度に悪魔扱いし、戦争を懲罰的に構えるのは、冷戦以来のアメリカの戦争の特徴
l 「奴を捕えたWe got him!」のメディア・スペクタクル
夜明けのバグダッド大空襲は世界中にテレビ放映。その後も部隊に同行取材(エンベッド取材)させ、戦場光景を配信させる
ブッシュの勝利宣言にも拘らず、米軍占領統治への抵抗は拡散して広がる
l 国家資産の「自由化」と「テロリスト」の掃討
戦後アメリカがやったのは、国家資産や外交関係の「自由化」および社会制度の「民主化」だけで、事業の全体は主として米英の巨大企業に委ねられ、収拾のつかない混乱に陥る
l イスラーム国の出現
広大な無秩序の空白地帯を抑えたのがイスラーム原理主義の1勢力ISISで、「テロとの戦争」で「育成」された「人材」を糾合し、カリフを名乗る人物が立って、イラクにイスラーム国家の復活樹立を主張
コラム⑦ イラク戦争と「ショック・ドクトリン」
「ショック・ドクトリン」とは、戦争・災害・飢餓・体制転覆等によって社会に引き起こされる「破壊的ショック」を利用し、その「空白」に「自由市場」を植え付けるための「実戦的教説」のことだが、ナオミ・クラインは、それが長くアメリカ政治経済の海外進出のやり方だったことを暴く(第9章)
第12章 文明のための「衛生的」な戦争
l 「テロとの戦争」のパラドックス
テロリストの殲滅を目的にしたが、却てテロリストを世界に拡散させ、「テロリスト狩り」を口実とした強国の一方的な武力行使を世界に広げさせた
l グローバルな監視社会化
外地でのテロ退治が国内にテロを呼び込むというパラドックスは、当初から明らか
「テロとの戦争」体制は、国内外での監視(予防)社会化を避けがたくし、国家の統治権力は膨れ上がる。ネットによる社会の情報化が事情をさらに複雑にする
l 世界秩序を保つ外科手術としての戦争?
湾岸戦争の新しさとして「清潔な戦争」ということが言われた。泥沼のベトナム戦争の頃の凄惨なイメージが払拭され、精密誘導兵器による空からの外科手術のように手際よく、血や腐臭のような要素を洗い去った装いをとる。それは「戦争の正義」を演出するのにも貢献
人体を冒す病巣を文明の精華たる医療技術が適切に処置する。このような治療パラダイムとして「文明のための戦争」が演出される。「公衆衛生のための戦争」とでもいおうか
l 「悪」を駆逐する近代医学
西洋近代医学の軸となっているのは科学技術だが、その科学技術は「自然の解明」を課題とし、自然がもたらす禍の「克服」を使命ともしてきた。自然は人間に障碍をもたらす。悪/欠陥であり、それを人間は克服して善用し、役立つ資源に転化して文明世界を築く。それが近代の「啓蒙」という文明の基本的姿勢でもある
近代医学のもたらした実用的効用は目覚ましく、西洋の世界進出とともに、西洋医学は各地の所謂伝統医療を「迷妄」として駆逐し、各地社会の医療意識と体制を近代化してきた
l 免疫が「テロ」を予防する
フセインのような「邪悪な独裁者」は世界秩序を脅かす危険な病原であり、秩序を保つためには技術を結集して正しく「除去」しなければならない。湾岸戦争を可能にしたのは、そういう西洋的な思考のパラダイムが生み出す「気分」だったと言っていいい。「テロリスト」とはそのようなパラダイムにおける病原体であり、「社会防衛」のための第一の除去対象であり、「病気」(=テロリズムやテロ事件)の再発を防ぐには、社会に予防措置を講じること、そして恒常的に「免疫力」を高めることが必要ということになる
第13章 核の恐怖とテロリズム
l 異次元を開く技術
近代戦争に使われる兵器の進化は著しかった
原爆は異次元の兵器。人間の力では制御できない「不可能」の領界を開いた
l 科学文明のターニング・ポイント
核兵器は限界越えの「究極兵器、戦争そのものを不可能にする「最終兵器」
核兵器の出現が、政治権力や技術開発、人間社会のあり方の、「文明」のあり方のターニング・ポイントになった
今や戦争とは、根底では国家間の抗争というより、「文明」の担い手がその安全のために「闇」の浸潤を掃討する実力行使でしかない。だが、「文明」は征服したはずの「闇」の回帰に怯えて、その「光」をますます暴力的にしている
l 「聖なるもの」の威力と怖れ
人類学者なら、その最終兵器に善悪を超越した「聖なるもの」の回帰を見ることだろう
この兵器を手にした者は、その力を我がものとして全人類を睥睨し平伏させることが出来る。アメリカは実際そのような国家となったが、国際政治の上でもアメリカは他と違う例外的国家であり、世界の「例外状態において決定する者」と見做される
自分がこの「聖櫃」を守りかざして潜在敵を脅し続けない限り世界の平和と秩序は守れない。だからアメリカは常に「敵」に優る核兵器を保有し続け、他国がそれを持とうとするのを許さない。それが、アメリカが世界に共有させようとする核拡散抑止体制である
l 「コナトゥスのない敵」と抑止論の破綻
抑止論とは、脅しと抑制のゲームで、その前提にあるのは、あらゆる存在は自己の存続を追求する、という西洋近代の最も基本的な合理性のテーゼ。スピノザは存在のこの「傾向」を「コナトゥス」(「存在への固執」とか「自己保存の原理」)と呼ぶ
存在合理性に対する「信頼」が、核抑止論の有効性を支えていたが、自爆攻撃はその前提を蔑ろにし、抑止論が通用しなくなる。アメリカでは「カミカゼ」という
l 「世界外―非存在」エイリアンの砂漠
共産主義という悪魔の次は「コナトゥスを持たない非人間」で、世界に普遍化したと見做される西洋的世界、グローバル秩序にとっての敵であり、世界のあらゆる国々はこの価値観や見方を共有しなければならない。それが「西側」の要請となった
人間でないと見做された「エイリアン」たちを破壊し抹消する先端兵器をアメリアが開発するが、エイリアンには大した武器はない
ハイデガー以来、人間の基本的なあり方は「世界―内―存在」だとされ、人は常にすでに世界のうちにいるが、「コナトゥスのない存在」は、存在としてさえ認められないどころか、「世界的内存在」の安寧のためには存在させてはならない世界の異物だ
l 「テロル(恐怖)」の正体
西洋文明の特徴の1つは、他を征服し同化するという自己の習性が、常に「敵」に投影されて、「敵」を悪魔化するということ。そこに「赦(ゆる)し」や「放擲(ほうてき)」はなく、「テロル(恐怖)」は自らの姿勢/方法のうちにある。「テロル」とはその際限のない暴力のこと
第14章 ウクライナ戦争が炙り出す〈西側〉の欺瞞
l 「西側(オクシデント)」の再浮上
中国・ロシアの台頭が「脅威」だと言うが、それは米欧にとっての脅威に過ぎず、世界全体にとってはむしろ恩恵でさえある。アメリカが経済制裁を科すと、経済関係はすぐに軍事的対立と連動
l 「この道」はどこに導く道なのか
‘80年代、サッチャーは「この道しかない」と断言して「身を切る改革」に着手したが、「この道」とは、米英が歴史的に獲得した世界での主導的地位を保持して「繁栄」を確保するに至る「道」であり、自由主義の「自由」というのも、富を持つ者が政治的・国際的制約を受けずに、更なる富を獲得・増殖させる「自由」で、かつてそれは帝国権力と結びついた世界統治の原理だったが、グローバル化によって「自由」の権利主体が、ナショナルな政治主体(国)ではなく、その枠を超えた私的主体(多国籍企業」に取って代わられた
義和団の乱後の北京議定書以来、西側は幾重もの誤魔化しを重ねないと、中国を「政治的かつ道義的」に非難することなどできない、ましてや中国の正統性を承認しておきながらイデオロギー的に非難するなど、イデオロギー的詐欺行為と言わざるを得ない
l ロシアとウクライナ対立の前段階
フルシチョフもブレジネフも東ウクライナの出身で、東部では民族帰属意識は希薄
'08年、ブッシュがグルジアとウクライナのNATO加盟方針を明言、冷戦解消時の黙契であるNATO不拡大を無視し、ロシアが標的であることを公然と表明したため、プーチンも西側との協調を最終的に断念して大ロシア主義に走る
'14年、ウクライナでの「マイダン動乱」で、米有力政治家などの公然の介入で反ロシア新政権が成立すると、東ウクライナでの抗議デモを民兵により「制圧」。プーチンはクリミア占拠・併合で対応。東ウクライナは2州が独立を宣言し、内戦状態に入り、独仏の仲介で2度のミンスク合意に至るが、相互不信から膠着したまま内戦状態が続く
l 「第三者の立場」はない?
ロシアのウクライナ侵攻はそうした鍔迫り合いの果て。ロシアの軍事侵攻は国連憲章違反だが、西側諸国はロシアを「悪魔化」し、ロシアに強い経済制裁を科すとともに、ウクライナに武器援助をおこなう
国家間紛争を仲裁するのは第三者だが、この「戦争」では第三の立場は許されないという
それは、「テロとの戦争」以来のアメリカと西側諸国の戦争論理そのものであり、国際法を事実上反故にするもの
l 公論・メディアの一方向性
歴史的コンテクストを無視し、「なぜ」を問わない
「プーチン=残酷な独裁者」からしか議論が始まらず、異論を排除、そんな風潮が西側世界の公論やメディアの解説を染め上げる。「マイダン革命」のドキュメンタリ-を作ったオリバー・ストーンは、それが「ロシア寄り」だとして過去の業績や信用を失いメディアから排除された。西側のメディア状況はあからさま翼賛状態というしかない
l 「平和会議」という戦争支援談合
西側諸国による平和会議でも、話し合われたのは「平和」ではなく軍事支援計画
一方で、ロシアに対する経済制裁は、ロシアへのエネルギー依存度の高い西側諸国にとっては自分の首を絞めるもの。各国内での不満が高まり、「極右/反EU」政党が台頭
l 「西側」を外から見る
戦争初期のトルコでの調停では、プーチンの要求はミンスク合意(紛争2州に特別な地位を与える)とあまり変わらないもののようだったが、その後ウクライナは、この「戦争」を「侵略戦争」と意味づけたためクリミア奪回にまで拡大
「非同盟諸国」や「第三世界」からこの情勢を見れば、米欧/西側諸国の独善的「正義」の悪あがきに見えるのでは
l 「レコンキスタの時代」とヨーロッパの欺瞞
レコンキスタ(=再征服)は、中世末期のイベリア半島で起こった数世紀に渡るキリスト教圏の「失地回復」運動
ロシアのウクライナ侵攻や中国の東アジアでの軍事展開を、西側指導層は「失地回復」の動きと見做すが、何という倒錯と混乱、あるいは自己都合の利権防衛意識か
今の移民・難民問題は、かつて西洋諸国の植民地支配が、各地を荒廃させ西洋諸国が繫栄し現在の地位を築いてきたその歴史的遺産であり、地球環境問題にしても、「西洋」が外部から侵略されているということではなく、西洋文明の世界制覇がもたらした結果である
「世界戦争」で経験した「世界の崩壊」を恐れてアメリカの庇護の下で指導者の座に居座ろうとする欺瞞が、今非西洋世界から見ればあからさまになり、ヨーロッパの独善が露わになている。それがウクライナでの戦争で明らかになった、というのがヨーロッパの現状
コラム⑧ フランケンシュタイン症候群
フランケンシュタイン・コンプレックスとは、人間が創造主になりかわって人造人間や人工生物を作ることへの願望と、その被造物によって人間が亡ぼされるのではないかという怖れとが、入り混じった複雑な感情のこと
自分が作ったつもりのものが、思いもよらぬ「怪物」であるとわかった時、それが自分の産物であることを否認し、むしろその「異物」に自分の世界が脅かされていると感じて、その「恐怖の元(テロル)」を抹消しようとする。それが文明のフランケンシュタイン症候群
第15章 イスラエル――ガザ攻撃に見るアメリカとの相同性
l ガザ攻撃とウクライナ戦争との違い
2つの戦争は全く性格が異なる。ウクライナは国家間戦争だが、ガザは国家を持たない「難民」を国家の軍隊が「テロリスト」掃討の名の下に蹂躙している
アメリカも、イスラエルの「自衛権」として擁護
l ハマスはなぜ攻撃したのか
‘22年末、汚職失職から復帰したネタニヤフがパレスチナ自治政府管理下のヨルダン川西岸への違法入植を軍の支援で強化推進したことに対し、ハマスが直接攻撃を仕掛けたもので、これを「戦争」とするのは、両者はあまりにも非対称
近代国際法と戦争法は、非武装の市民の攻撃を禁止し、むしろ戦闘からその保護を要請しているが、イスラエルのガザ攻撃はその制約を取り払って殲滅戦を正当化する。それあっグローバル世界でアメリカが発動した「テロとの戦争」の最大のメリット
l ジェノサイド――未来を絶やす
西側メディアもジェノサイドともいうべき国家暴力を批判、国連も「前例のない人道危機」と警告したが、イスラエルは同国を脅かすものはナチスと同罪とし、その安寧を脅かすハマスは容認できないばかりか、子孫まで根絶やしにすると言う
l オスロ合意以降の抵抗運動のイスラーム化
冷戦期はパレスチナの抵抗運動も「民族解放闘争」と意味づけられ、主としてソ連の支援を受け「パレスチナ解放機構PLO」が担っていたが、冷戦終了でPLOは後ろ楯を失い、湾岸戦争でイラクを支持したため「国際社会」の信用も失う
'93年、クリントンの仲介でオスロ合意(2国家案)。PLOがイスラエル国家を承認して武装闘争をやめ、その代わり近い将来のパレスチナ国家建設に向けて暫定自治政府を作りヨルダン西岸とガザを統治するという内容で、国連の承認も受ける
2年後、イスラエルの強硬派がラビンを暗殺、政権を握って両地区に多数の入植者を送り込んだため駆逐されたパレスチナ人は「イスラーム解放運動(ハマス)」の主導で民衆蜂起(インディファーダ)に出る
アメリカが「テロとの戦争」を打ち出したことは、イスラエルのやり方にお墨付きを与えるようなもの。大統領令で世界の「テロ組織」を指定、もちろんハマスも指定
l 「テロとの戦争」の隠れた原型
オバマは黒人奴隷の問題を「アメリカの原罪」としその克服(贖罪)を訴えたが、「自由世界」が「先住民の排除と抹消」の上に成立したことの方がよほど根本的
l アメリカとイスラエル、国家創設の相同性
イスラエルは、アメリカ合州国と国家創設の原理を同じくしている
アメリカが旧約聖書に基づく崇高な使命の神話の上に成り立つように、イスラエルもまたユダヤ・キリスト教の「聖典」を根拠とし、先住民の一掃の上に自分たちの存在の「自由」の制約されない国を作る。アメリカがイスラエルを最後の1国になっても擁護し続けるのは、イスラエルの「建国」戦争を否定することは、自らの存立原理を否定することになるから
第16章 ヨーロッパと反ユダヤ主義
l キリスト教世界の成立とユダヤ人
ユダヤ人(ヘブライの神の掟に従って生きる者)は、72年ローマ帝国によるユダヤ王国の滅亡とともにその地を追放され、離散を余儀なくされる。住む場所を剥奪され、「書物(旧約聖書)」だけを共通の拠り所とし心の住処に異教の地に移り住んだ
l 「神への信」の錯綜、ユダヤ教とキリスト教
神話的部分は共通。ユダヤ的な神との関係(掟の遵守)を刷新しながら「信仰」を確立。刷新を象徴するのが「割礼」に代えて「洗礼」を採用。因習的な神の掟の縛りは各人の人格的な「信」に転換され、それがキリスト教を「万人に開かれた」精神的信仰にした。それ故、広域の諸部族を統合したローマ帝国の共通の「宗旨」たり得た
l 異教徒としてのユダヤ人
十字軍を境に、ローマ教皇庁が権威を高め、イベリア半島でのレコンキスタは、異教徒イスラームを追放したが、イスラーム王国化で繁栄を支えていたユダヤ教徒をも追放
20万のユダヤ教徒は国外逃亡したが、残ったほぼ同数の富裕層ユダヤ人は、改宗をしたが、「異端尋問」にかかり、一部が辛うじてヨーロッパ各地に逃れるものの、各地でもユダヤ人の差別・憎悪・迫害が顕在化
l 「反セム主義」の誕生
ゲットーからユダヤ人を解放したのはナポレオン。教育、情報流通・法的統治の下での自由な経済活動の3領域の開放が進むが、それら領域で伝統的に能力を蓄積していたのがユダヤ人で、一般国民の反感を買う。そこに登場したのが「反セム主義」
l 宗教的カテゴリーから「人種」概念へ
「ユダヤ人」はもともと、キリスト教的な信仰を受け入れない「異教徒」だったが、改悛することでキリスト者になれるとした
ヨーロッパ人が外の世界に進出するようになると、征服や討伐が横行し、習俗を異にする「人種」の概念が生まれ、それが人間間の区別(差別)の枠組みになり、ヨーロッパ内部にも跳ね返ってくる。人間の違いは「信仰」によるものではなく、生存様態や身体の特徴で識別される「人種」の違いであり、その違いは「文明度」で格付けされる
さらに18世紀末に、イギリス植民地インドの言語研究から、インド・ヨーロピアン語族という観念が生まれ、その語系の共通の担い手として「アーリア人」が想定され、ゲルマン諸族がその継承者だという考えが生じる。ヨーロッパは、基本的にアーリア人によって担われているが、今やその発展を脅かす異物が混入、それが別系語族の「セム人」だという
セムとハム、ヤペテは大洪水を生き延びたノアの息子たちだが、言語学はこれを語族区分に用いた。セム語族は西アジア系、ハム語族はアフリカ系とされる。ヘブライ語もアラビア語もセム語族だが、当時ヨーロッパで問題とされていたユダヤ人の異質性を際立たせるために、「高貴(アーリアの語義)」で優れたアーリア人(ヤペテの子孫に擬される)に対して、それとは違うハム語族としてユダヤ人が括られる。比較言語学の俗流化がアーリア人とセム人とを対比させ、ユダヤ人に関する一見学問的な新たな識別法を供給した
そのような風潮を背景に、19世紀半ばから非宗教化するヨーロッパ社会で再び活性化したユダヤ人排斥の運動は、近代の人種・語族概念を援用して、「反セム主義」と呼ばれる
こうして「ユダヤ人」は宗教的カテゴリーから、近代の疑似科学的な「人種」カテゴリーになった。となるとユダヤ人は改宗させてもユダヤ人には変わりなく、その存在が「問題」だとしたら、その解決は「人種抹消」しかない。人種的「反セム主義」を生み出したのは、ドイツのみならず、世俗化・合理化・科学化・産業化の中でも、ユダヤ人差別を自己画定/自己展開の歪んだ動力として手放さなかったヨーロッパ自身なのだ
l 神話的ナショナリズムとしてのシオニズム
ユダヤ人が迫害され続けたのは、国民国家化したヨーロッパで「国を持たない民」だったからで、「ポグロム」と呼ばれるユダヤ人迫害は、辺境のキリスト教社会ではほとんど習俗化
ユダヤ人がまとまって安住できる国家の創設を夢想、『旧約聖書』の記述に基づき「シオンの地」(エルサレム、神殿の丘)にユダヤ人国家を作ろうとした運動をシオニズムといい、19世紀後半ハンガリーのテオドール・ヘルツルが主導、ユダヤ人のパレスチナ移住が始まる
ユダヤ人国家の建設は、建国の当初から「創設の暴力」(レヴィナス)を「自衛権」として主張し、戦争で国を作り守りかつ広げる戦いを続け、その「暴力」はナチによる「ホロコースト」の受難によって正当化される
l ヨーロッパ的「反ユダヤ主義」の欺瞞
キリスト教的伝統の上に立つヨーロッパ社会は、ユダヤ人を「包含しつつ排除する」という錯綜を抱えている。「セム族」とはアラブも含むことから、「反セム主義」をヨーロッパでは、今では中東のアラブ人、ムスリムに負わせている
「反ユダヤ主義」とはヨーロッパ自体の「内なる敵」であり、イスラエルこそが「ユダヤ的なもの」を徹底的に否定しようとする「反ユダヤ主義」国家なのだ
l 「西洋」とイスラエル
「シオンの地」での「ユダヤ人国家」の建設がユダヤ問題の「解決」だとされたため、パレスチナには新しい「国なき民」が生み出され、その「先住民」の意志を国家安全に対する「脅威」としてイスラエルは殲滅しようとし、それを自らの権利と主張する
第17章 〈世界戦争〉80年後の世界
l デジタル式思考が排除する「第三項」
「なぜ」と問うことを禁じるのが、デジタル式思考の基本的特徴。「0」か「1」に決めつけて第三項は排除
「西洋先進国」は、「できなくなった」はずの戦争を、再び「すべき」戦争へと「再起動」させるのに成功したかのよう
l 出来ない戦争が再び正当化される
戦争は国家間ではなく、「正当」な権利・権限を持つ国家と、未だに国家を持たない地域民との自立を巡る争いになる。戦争は再び、「テロリストの撲滅」という論理を得て正当化される。この「戦争」回帰が、いわゆる歴史修正主義(歴史否認)と足並み揃えていたことや、その「歴史の抹消」が情報のデジタルIT化と共に「言論/表現の自由」の名において果たされてきたことに注意すべき
l ヨーロッパの「なすべき戦争」
現在の戦争は道義的に「やらなければならない」戦争とされる。やらなければやられるという論理で、EU/NATO諸国が掲げる一方的な主張だ
ウクライナの戦争は、反ロ親西派が牛耳るウクライナを使った、米NATO諸国の対ロシア戦争であり、NATOにとってはヨーロッパ防衛戦争だということになる
l イスラエルの「建国戦争」
イスラエルの「建国戦争」は、建国の際に掃討・追放した難民の存続を嫌って根絶を図る戦争、「テロとの戦争」へと変化した
l メディアは戦争をどう語るか
世界のメディアはイスラエルの首長を追認するのみで、なぜそういう状況になっているかの説明はない
l ユニラテラルな報道
アメリカは公然とイスラエルを支援するが、メディアは「アメリカが後ろ楯」とは言わない
だが、「先住民」は根絶できず、世界は決定的な分断を見ることになる
l 何が回帰しているのか?――「西洋の没落」
今ここで回帰しているのは、文明が野蛮を制する征服戦争でも、西洋諸国が世界を統合する植民地獲得戦争でもない。その地の先住民を追放・根絶し、そこに自分たちの富と力と繁栄を築く、もう1つの西洋化、つまり「新世界」アメリカ建国型の戦争である
アメリカは成功したが、それ以外はうまくいかない
西洋によって周辺化されていた国々が勢力を蓄え、国際社会での重要度も増している
彼らは、戦争によって先住民を掃討し、それに対する抵抗を「国家の権利」の名の下に殲滅しようとする独善国家の暴力を見ている。それでは、グローバル世界における諸国・諸地域の共存は成り立たない
l 「戦争の文明」の転換期
最強国アメリカの「力の正義」の論理が、グローバル・メディアにも浸透しているため、「戦争」の見方も倒錯してしまうが、現在起きているのは、西洋文明の戦争による世界化という「発展」が、遂に臨界を超えたということ。破滅的崩壊に至るのか、あるいは脱西洋的・複合的グローバル性へと変容させるのか、そんな転換期なのだ
新興勢力も、地域的・世界的影響力を持とうとはしても、かつての西洋のように世界制覇など夢見てはいないだろうが、彼らが「西洋」に取って代わることを恐れて、「西洋」はその恐怖を「敵」に投影し、それが現代の世界に浸透する「再戦争化」の傾向を生み出している
[付論]2025年初頭、今、アメリカで何が起こっているのか?
l トランプ再登場と西側世界のパニックのなぜ?
アメリカに「専制君主」出現?
彼らの「敵」は、アメリカをダメにしたエリートたちのシンジケート「ディープ・ステート」と、そのイデオロギーである「グローバル民主化」勢力
l ヨーロッパへの介入とアメリカン・イデオロギー
トランプにうろたえるのは、「民主国家vs専制国家」のイデオロギーを掲げ受け入れてきた人たちで、その原型は、「ナチズムから自由世界を守る」という第2次大戦時のアメリカのヨーロッパ戦線参入のスローガンにある
トランプはその図式を認めない。第1次政権で「ディープ・ステート」を破壊できなかったトランプは、第2次政権発足で「敵」の解体を始める。軍やCIA、政官産学結託の解体など
l アメリカの「政変」――国際関与派(グローバル・エリート)とラフな不動産屋
トランプこそが「アメリカの自由」の権化。アメリカの場合、「自由」は基本的に「私的」であり、「分かち合う」ものではない
ヨーロッパ渡来の白人が、先住民をいないことにして土地を強奪、私的所有権を金科玉条に、それに基づく「自由の国」を作った。自然の大地全てを「不動産」に転換。何でも物件化したら自由処分も売買もできる。「素晴らしい新世界」建設のキーマンが、不動産屋だった
l イデオロギーとエリート・シンジケート
l グローバル関与派と「西側」(ヨーロッパ)
トランプの「敵」は、まず国内の「グローバル民主化派」であり、対外的には「アメリカを戦争に引き込んだ」ヨーロッパ。また、世界を都合よく分断するエリートたちの「イデオロギー」を認めない。国内の「グローバル民主化派=世界秩序関与派」は、理屈で「アメリカの正義」を演出し、トランプを危険視する
l 日本のとる道、自立と第三の道
いまアメリカで起こっているのは、かつて「アメリカの栄光」を作ってきた2つの「アメリカ」が分裂し、「国際社会」を巻き込んで互いの潰し合いをしている(アメリカの没落)
日本はこれを機に本当に「自立」すべきだろう。アメリカに盲従した結果が「失われた30年」
「脱亜入欧」やG7に縋りついては未来はない。「西洋の没落」後の世界作りに積極的に貢献すべきだろう
あとがき
第2次大戦から80年。最近の風潮は、「今」に適応しようと右往左往するか、闇雲に前を向くだけで、人々も世の中も自分たちが浮かぶ今の「時」の流れの厚みを知ろうとしない
前世紀の世界戦争も、いつの間にか平板で雑多な情報の集積と片づけてしまい、歴史に学ぼうとしない。なぜこういうことになるのか、それを明らかにするためにこの80年の「戦争」の展開と変遷を辿り直すことにした
筑摩書房 ホームページ
戦争と西洋——西側の「正義」とは何か
世界はなぜ、破滅に向かうのか。
第二次世界大戦終結から80年。再び〈世界戦争〉の危機が迫っている。この間に起こった戦争の経緯を分析し、「正義」の戦争が世界に何をもたらすのかを検証する。
内容紹介
20世紀に世界は二度の全面戦争を経験した。主権国家が並び立つ国際秩序を確立した〈西洋〉が、外部を征服し「世界化」したそのとき、世界中を巻き込む大戦争が起こったのだ。総力戦と化した戦争は核兵器を生み、戦争は人類破滅を招きかねない「不可能」なものとなった。にも拘わらず、世界大戦終結から80年、世界はふたたび全面戦争への傾斜の上に立っている。冷戦終結が世界の平和をもたらすはずではなかったのか? なぜこうなったのかを西洋精神史を参照項に検証する。
今、世界には再び「戦争やむなし」の気配が蔓延している。〈世界戦争〉以前のように領土的野心をもつ「帝国主義国」や、独裁者の指導する「侵略国家」が登場しているからと。その「蛮行」を許さないため、「自由な秩序」を守るために、抑止に足る軍事力を備え、戦争の準備をしなければならないと。
世界の動静が、そのように世界戦争以前の状況に戻ったのか、あるいは、〈世界戦争〉が起こったということの真の意味を忘れ、その「恐れ」を拭い去り、再びそれに備えさせることで、「現勢」を維持しようとする政治的・イデオロギー的力学があるのか、その事情を以下の考察で解き明かしてゆきたい。――――――――――――第一章より
朝日新聞2025年8月16日掲載
〈オススメ〉西谷修『戦争と西洋 西側の「正義」とは何か』
限界状況を生んだ20世紀の世界戦争。その時代の思想家らの研究を起点に戦争を問い続けてきた哲学者が、戦後80年の年に放つ一冊だ。
西洋の世界進出と支配の歴史をたどり、特に東西冷戦後の30年余に焦点を当てる。たとえば9・11後、テロリストとの対決へ向かった米国の動きは、スピノザが言う「コナトゥス」、存在への固執または自己保存の原理であり、近代思想の合理性のテーゼにほかならないという。「『敵』を悪魔化する」のが西洋文明の特徴の一つで、服従しない敵は根絶するとも。
一面的な議論とみる向きもあるだろう。著者は第三者の立場を心がけたと記すが、正直、傾きも感じる。だが再び戦争や殺戮が世界を揺るがす今、構造を「歴史的時間の厚み」の中で照らし出す意義は小さくない。=筑摩選書・1925円(藤生京子)=
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