世にもあいまいなことばの秘密  

2024.10.22. 世にもあいまいなことばの秘密

 

著者 川添愛 1973年生まれ。九州大学文学部卒業、同大大学院にて博士号(文学)取得。2008年、津田塾大学女性研究者支援センター特任准教授、12年から16年まで国立情報学研究所社会共有知研究センター特任准教授。専門は言語学、自然言語処理。現在は大学に所属せずに、言語学者、作家として活躍する。 実績 著書に『白と黒のとびら』『自動人形の城』『言語学バーリ・トゥード』(東京大学出版会)、『働きたくないイタチと言葉がわかるロボット』朝日出版社、『コンピュータ、どうやってつくったんですか?』(東京書籍)『ふだん使いの言語学』(新潮選書)など。

 

発行日          2023.12.10.  初版第1刷発行 

発行所          筑摩書房 (ちくまプリマー新書)

 

はじめに――本書を手に取ってくださった皆様へ

「ハイタ―(漂白剤)を買ってきて」と言われて台所用を買ったら、洗濯用が欲しかった

「毎日暑い。明日はマイナス6度」だと、今日との気温差で言ったら、「氷点下6度」と受け取られた

「勉強しない大学生」も、受け取る人によって様々に解釈できる

言語学の立場からは、私達が発する言葉のほとんどは曖昧で、複数の解釈を持つ

考え方が違いすぎるために対話が出来ない人たちがいる一方、ものの考え方はそう変わらないのに言葉の解釈の違いだけで対立するケースも少なくない

言葉のすれ違いを察知し、ある程度の対処ができるようになるには、言葉を「多面的に見る」ことが必要。その際役立つのは、曖昧さがどういうときに起こるかについての知識

 

1      「シャーク関口ギターソロ教室」表記の曖昧さ

l  「しばいがかった」――仮名と漢字の曖昧さ

「芝居がかった」と書こうとしたら「司馬懿(しばい)が勝った」と変換

日本語は同音異義語が多く、平仮名だけの表記では解釈が1つに決まらない

漢字・仮名の「交ぜ書き」はかえって読みにくい。読点を挿入して区分

l  「この先生きのこるには」――どこで単語を区切るのか

「ここではきものをぬいでください」は、漢字使用で単語の切れめが分かる

「シャーク関口ギターソロ教室」は、ギター教室かと思ったら」、口(くち)ギターだったというコント。「外国人参政権」も同様

l  「粒より小餅」――発音すれば分かるけど

比較ではなく、「粒選り」の意。アクセントが違うが書き言葉だと分らない

文章の音の高さの変化を表すイントネーションも言葉を理解する上で重要な役割を果たす

「いいよ」など、書き言葉を読み書きする時に留意が必要

 

2      OKです」「結構です」辞書に載っている曖昧さ

l  「微妙」な味とは?――肯定的な語義と否定的な語義

「忖度」――もともとは「相手の真意を推し量ること」だが、悪いイメージになった

「議論が煮詰まる」――結論に近づく意だが、若年層では「行き詰まる」と悪い意味に捉える人が多い

「拘り」「やばい」――否定的なことばが肯定的な意味でも使われるようになった例

l  「雪が降ってるみたい」――「推量」が「例え」か

「みたいだ」のように、助動詞にも複数の異なる意味を持つものがある。文章の内容によってはどちらか一方にしか取れない場合もあり、また、「どうやら」とか「あたかも」などを添えれば誤解されない場合もあるが、短い書き言葉では混乱を招く

l  「止められますか?」――受け身、尊敬、可能、自発

間違えられやすい助動詞の代表格は「()れる」

「ら抜き言葉」も、可能の意味がはっきりして曖昧さを軽減する効果はある

l  「大丈夫です」――承諾か、断りか

婉曲的な言い方もすれ違いの原因

l  「やらせを疑っていません」――あった? なかった?

「疑う」という動詞の曖昧さに起因するので、「疑っていない」と言っても同じ曖昧さが残る

l  「危ない」は危ない

形容詞でも「危ない」などの言葉は曖昧。脈絡を明示しないと誤解を生じる

 

3      「冷房を上げてください」普通名詞の曖昧さ

l  「友達を連れてくる」――単数か、複数か

普通名詞全般に共通して見られる曖昧さの1つが単複の区別

「たち」や「ら」をつける場合にも、全員が同じ属性を持つ場合と、特定の人に焦点を当てた場合の両方の解釈が起こりうるので曖昧

l  「日本人はマナーが良い」――一部か、全体か

l  「先生が変わった」――特定のものか、役割・性質か

l  「ギターの音を下げて」――どの側面のことを言っている?

音量か音程か。「音」という言葉の曖昧さに起因

l  「テストがない」――出来事か、物体か

l  「お酒を控えて」――提喩と換喩

普通名詞が比喩的に使われる場合

特定の種類のものを表す言葉が、それを含むより広い範囲のものを表す現象を「提喩(シネクドキ)」といい、「お酒」「ごはん」などがあり、その逆は「花」(「お花見」といえば「桜」)

「何かを表す時に、それに関係の深い物事の名前を使うこと」を「換喩(メトニミー)」といい、政界のことを「永田町」というなど

l  「奥さん」――「誰にとっての」を必要とする名詞

 

4      「私には双子の妹がいます」修飾語と名詞の関係

名詞に修飾語がついた表現を「名詞句」と呼び、修飾語がついたために生じる曖昧さがある

l  「誰の絵ですか?」――自由すぎる「AB

助詞「の」は多くの意味を表すことができる。文脈が共有されないと幾つもの意味に解釈可能で、英語の「of」の「’s」より幅広い

l  「お医者さんの奥さん」――「AであるB」か、「AにとってのB」か

固有名詞が来る場合は問題ない

l  「〇〇氏の名誉棄損」――行為者か、行為の対象か

Bが行為や出来事を表す名詞の場合は曖昧化

l  「勉強しない大学生」――限定的修飾、非限定的修飾

修飾語と修飾される名詞の修飾関係に2種類あり、全般に当てはまる場合を非限定的修飾

 

5      「政府の女性を応援する政策」構造的な曖昧さ

l  「有名な女性の肖像画」――修飾先はどれ?

句や文の内部構造が解釈に影響する――複数の構造があてはめられれば解釈は曖昧化

l  「年賀状を送った人」――関係節の解釈

名詞を修飾する表現の中で文っぽい形をしたものを「従属節」と呼び、中でも名詞を修飾するものを「連体修飾節」と呼ぶ。そのうち、「太郎が好きな人」のような「その修飾先の名詞にまつわる出来事や状態、関係性などを述べたもの」を「関係節」とよぶ

関係節のどこに修飾先の名詞が入るかによって関係節の解釈が影響される

l  1920年代にアメリカで起こった事件を映画化」――従属節の外側か、内側か

映画化がいつ行われたか。「1920年代」が「アメリカで起こった」という従属節の外か内かによって解釈が変わる。解釈を固定するには、多く含まれる情報を切り分けることが必要

l  「頭が赤い魚を食べる猫」――に挑戦!

構造の違いによって5通りの解釈

 

6      2日、5日、8日の午後が空いています」やっかいな並列

l  「メロンと桃のコンポート」――「ABC」の解釈

並列表現は、「構造的なあいまいさ」を含め、いくつかの種類の曖昧さを伴う

l  「山田さんと田中さんと佐藤さんが仲違いをした」――「ABC

法律文では、「及び(若しくは)」は単独の名詞同士を繋げるときに使い、「並びに(又は)」は「及び(若しくは)」によって作られた「かたまり」を繋げるのに使う

l  「櫻井さんと相葉さんが結婚した」――分けるのか、分けないのか

「それぞれ(が結婚)」をいれると「分ける解釈」になり意味が明確になる

l  AさんとBさんがハワイ島とマウイ島から」――11に対応させる解釈

l  「ピザ・トースト」――中黒「・」の曖昧さ

「か(or)」か「と(and)」により意味が異なる。片仮名の間に入れるのはケースバイケース

 

7      20歳未満ではありませんか」否定文・疑問文の曖昧さ

l  「すぐに走って逃げてクマを興奮させない」――どこからどこまでを否定するのか

文の中に否定表現があると、否定の範囲によって文全体の意味が変わる

「ない」という否定が「走って逃げて」に及ばないと、逆の意味になる

l  7割以上の問題に正解できなかった場合」――数量表現と否定

7割以上の問題」が「なかった」の影響範囲にあるかどうか。範囲内なら70%の正解が必要だが、範囲外なら正解が30%で合格。否定表現を避けると曖昧さも消える

l  「~ではありませんか?」にどう答える?

否定形の疑問文では答えに迷う

l  「オードブルって何ですか?」――定義か、詳細か

答える場合には、詳細に関する質問だと思って答えた方が無難

 

8      「自分はそれですね」代名詞の曖昧さ

l  「それ、僕です」――「それ」や「彼」の解釈

人間の言葉には、「同じ表現の繰り返しを出来るだけ避ける」という性質があり、その1例が「代名詞」の使用だが、具体的に何を指すか相手に伝わらないと言葉のすれ違いを生む

不審者の通報で駆け付けた警官が通報者に尋問した際、「それ、僕です」と答えると、「それ」が曖昧なために不審者扱いされかねない

l  「君か!」――ゼロ代名詞の解釈

主語や目的語のない(ゼロ代名詞)質問は誤解を生みやすい

文中のどこにゼロ代名詞があるかが分かりにくいときも曖昧さが生じるー花子は太郎を褒めたが、(花子は)次郎は(太郎を)褒めなかった

l  「自分を過大評価している」――「自分」は何を指すか

一般に「自分」は、同じ文の中にある「主語」を指す傾向があるが、同じ文中に主語が複数あると曖昧になる

 

9      「なるはやでお願いします」――言外の意味と不明確性

l  「お風呂に入らない子はだあれ?」――言外の意味

曖昧さをなくしたとしても、言葉には「言外の意味」があり、「不明確性」がある以上、言葉のすれ違いはなくならない

l  「なるべく早く」――言葉の不明確性

曖昧さの一種。副詞(なるべく)がぼんやりしているうえに、形容詞(早く)も具体性を欠く

言葉の具体的なイメージは人によって異なることからも、言葉の不明確性はなくならない

 

10   曖昧さとうまく付き合うために

l  曖昧さは何重にも重なる

l  短い言葉に注意する

どの情報を伝えたいのかに留意

助詞を省略したり、無暗にゼロ代名詞を使ったり、句読点を省いたりすると分りにくくなる上、可能な解釈が何通りにも増えてしまう

他人に指示や依頼をする場合は、理由や目的まではっきりさせると、曖昧さが軽減

l  言いたいことを予測してもらうには

一番重要なことは出来るだけ早く言うのが有効。結論を早めに予告

相手が先を予測できるような伝え方をすることは、すれ違いを防ぐ上で重要

接続詞や副詞を適切に使う

l  文脈の影響を考慮する

文脈がはっきりしていれば、言葉があやふやでも理解できる。逆に、話の流れが急に変わったりすると誤解を生みやすい

l  第三者の目を入れる

重要な文書の場合は、公開する前に第三者に見てもらう

話し手と聞き手の協力関係をどう築くかが重要な課題

 

おわりに――曖昧さは悪いものではない

l  曖昧さはどの言語にも見られる

l  曖昧さには良い面もある

 

 

 

 

 

筑摩書房 ホームページ

内容紹介

「この先生きのこるには」「大丈夫です」これら表現は、読み方次第で意味が違ってこないか。このような曖昧な言葉の特徴を知れば、余計な誤解もなくなるはず

「結構です」YESNOどっち?

「それですね」どれやねん

「この先生きのこるには」先生!

こうして誤解は広がっていく

「冷房上げてください」「大丈夫です」。言葉には、読み方次第で意味が変わるものが多々あり、そのせいですれ違ったり、争ったりすることがある。曖昧さの特徴を知り、言葉の不思議に迫ろう。

先日、パソコンで文章を書いていたときのことです。「芝居がかった」と書こうとして、「しばいがかった」と入力し、仮名漢字変換をしたところ、思いがけない変換結果が出てきました。それは「司馬懿が勝った」というものです。

一瞬戸惑いましたが、すぐに「司馬懿(しばい)」が三国時代の中国の軍師であることを思い出しました。曹操に仕え、諸葛亮(しょかつりょう)孔明のライバルと紹介されることも多い人物です。「芝居がかった」とのかけ離れ具合もさることながら、「司馬懿が勝った」がそれだけで一つの文をなしていることに驚きました。しかも、まったく無意味な文ではなく、実際にありそうな状況を表しています。改めて、日本語はどういう表記をするかによって意味が大きく変わるのだなと実感しました。【本文より】

 

 

好書好日

2024.01.17

「大丈夫です」「冷房を上げて」……SNS、メール時代の必読書! 川添愛『世にもあいまいなことばの秘密』より

「汚職事件」を「御食事券」と勘違いしたり、「人気がない」が「にんき」なのか「ひとけ」なのか分からなかったり、日本語のあいまいさはときにすれ違いの種になります。話題作『言語学バーリ・トゥード』の著者であり、言語学者の川添愛さんによる『世にもあいまいなことばの秘密』(ちくまプリマー新書)はあいまいさの特徴を知り、言葉を多面的に見られるようになるための知識を身につけ、言葉の不思議に迫る一冊です。本書より本文の冒頭部分を公開します。

「しばいがかった」――仮名と漢字の曖昧さ

  先日、パソコンで文章を書いていたときのことです。「芝居がかった」と書こうとして、「しばいがかった」と入力し、仮名漢字変換をしたところ、思いがけない変換結果が出てきました。それは「司馬懿(しばい)が勝った」というものです。

 一瞬戸惑いましたが、すぐに「司馬懿」が三国時代の中国の軍師であることを思い出しました。曹操に仕え、諸葛亮孔明のライバルと紹介されることも多い人物です。「芝居がかった」とのかけ離れ具合もさることながら、「司馬懿が勝った」がそれだけで一つの文をなしていることに驚きました。しかも、まったく無意味な文ではなく、実際にありそうな状況を表しています。改めて、日本語はどういう表記をするかによって意味が大きく変わるのだなと実感しました。

 日本語の書き言葉では、平仮名、片仮名、漢字が使われますが、「しばいがかった」のように、平仮名だけの表記では解釈が一つに決まらないことがあります。とくに日本語には、発音が同じでも意味が違う「同音異義語」が数多く存在します。たとえば「こうしょう」という音を持った語は、「交渉」「高尚」「公称」「鉱床」「校章」を含め、五〇個近くあるそうです。漢字を使わずに仮名で書くと、どの「こうしょう」なのかが分かりづらくなってしまうでしょう。「おしょくじけん」も、そのままでは「汚職事件」なのか「御食事券」なのか分かりません。日本語は漢字まで覚えなければならないので面倒ですが、漢字で書くことで、同音異義語の曖昧さが解消されているのです。

 ただし、「漢字を使いさえすれば曖昧ではなくなる」というわけではありません。たとえば、「大人気」という言葉を見て、皆さんは真っ先にどのような「読み」を思い浮かべますか? おそらく多くの人は「だいにんき」を思い浮かべると思いますが、私はかなりの頻度で「おとなげ」を思い浮かべてしまいます。

 「大人気」の中に入っている「人気」も、「にんき」なのか「ひとけ」なのか曖昧です。「人気がない」という言葉も、文脈が分からなければ、誰かについて「人気(にんき)がない」と言っているのか、どこかの場所について「人気(ひとけ)がない」と言っているのか分かりません。つまり漢字で書いたがゆえに曖昧になる例もたくさんあるのです。

 選挙のポスターなどで、候補者の名前の一部が平仮名で書かれているのをよく見かけます。私の名前(川添愛)を例にすると、「かわぞえ愛」のような表記です。これも、読み方の曖昧さを避けるためでしょう。候補者の立場からすれば、自分に投票してくれる人が名前を正しく書いてくれないと困りますから、読み方を覚えやすく、書きやすいように工夫しているのだと思われます。

 難しい漢字を平仮名で書く例もよく見られます。伝染病など、よくないものが広がることを「蔓延(まんえん)」と言いますが、「蔓」という字が難しいので、よく「まん延」と書かれます。このように平仮名と漢字をミックスした表記は「交ぜ書き」と呼ばれ、「かえって読みにくい」と批判されることもあります。哲学者の古田徹也さんの著書『いつもの言葉を哲学する』(朝日新書)には、「手が打たれないまままん延」という面白い例が紹介されていました。これを読みやすくするには、「手が打たれないまま、まん延」のように、読点を入れた方がいいでしょう。

 先日は、新聞で「夢のジェンヌヘ研さん 宝塚音楽学校、一一一期生入学」という見出しを見ました。私は一瞬、「え! 歌手の研ナオコさんが宝塚に入学したの?」と驚いてしまいましたが、少し考えて、「あ、〝研さんっていうのは〝研(ナオコ)さんのことではなくて、〝研鑽(けんさん)のことか!」と気づきました。つまり「夢のジェンヌヘ研さん」とは、タカラジェンヌになるために研鑽する、という意味だったわけです。

 「さん」という表現は敬称としても頻繁に使われますので、「研鑽」の「鑽」を平仮名で表記したものとして認識するには、ちょっとした頭の切り替えが必要です。こういう表記もそのうち何の問題もなく理解できるようになるのでしょうが、私は慣れるまでに少し時間がかかりそうです。

「この先生きのこるには」――どこで単語を区切るのか

 文のどこでどの文字を使うかということは、読む人が「単語の切れ目」を探すときに重要になってきます。英語では単語と単語の切れ目につねにスペースが入りますが、日本語ではそのような書き方をしません。日本語で単語の切れ目を見つける際には、平仮名、片仮名、漢字の使い分けが大きなヒントになります。

 平仮名だけで書くと、どこが単語の切れ目か分からなくなることがあります。それを示す有名な例に、「ここではきものをぬいでください」というものがあります。この例は、「ここでは きもの(着物)を ぬいでください」とも読めますし、「ここで はきもの(履き物)を ぬいでください」とも読めます。この場合、「ここでは着物を脱いでください」あるいは「ここで履き物を脱いでください」のように漢字を使って書くと、単語の切れ目が分かりやすくなります。

 もっとも、漢字と仮名が混じっていればつねに単語の切れ目が分かるというわけではありません。先日、誰かがネットに「この先生きのこるにはどうしたらいいか」と書いているのを見て、一瞬戸惑ってしまいました。というのも、私はこれを「この先生(せんせい) きのこるにはどうしたらいいか」と読んでしまい、「『きのこる』ってどういう意味だろう? きのこに関係する活動か何かかな?」と疑問に思ったからです。もう一度読んで、これが「この先(さき) 生きのこるにはどうしたらいいか」であることに気づきました。「この先、生きのこるには」のように読点が入っていれば、私も戸惑うことはなかったでしょう。

問題:「今年金いくらもらえる?」という文にも、二通りの「単語の区切り方」があり、それに伴う二つの異なる読み方と意味があります。どんな区切り方か考えてみてください。(答えは本書の巻末にあります)

 「単語の切れ目」を考えたときに思い出すのは、お笑いトリオのロバートのコント「シャーク関口ギターソロ教室」です。このコントでは、ギターを習いたい人(ツッコミの山本さん)が「シャーク関口ギターソロ教室」にやってきます。彼はその教室のことを「シャーク関口(せきぐち)ギターソロ教室」、つまり「シャーク関口さんという人がやっているギターソロの教室」だと思っているのですが、コントの中で、実は「シャーク関(せき)さんという人がやっている〝口(くち)ギターソロの教室」だということが明かされます。つまり、「シャーク関 口ギターソロ教室」だったわけです。結局、山本さんはギターソロを習えず、口でギターの音を出す「口ギターソロ」を習う羽目になってしまいます。「漢字と仮名の間を単語の切れ目だと思いやすい」という私たちの傾向を利用した、巧みなコントだと思います。

 ちなみに、「外国人参政権」という言葉は、少し前まではコンピュータにとっては難しい言葉でした。学校で社会の勉強をした人は、これが「外国人 参政権(がいこくじん さんせいけん)」のように切れるということが分かるでしょう。しかし、昔のコンピュータは、これを「外国 人参政権(がいこく にんじんせいけん)」と区切ってしまうことが多く、研究者を悩ませてきました。高度に発達した今のAIはこのような失敗をほとんどしなくなっていますが、機械に言葉を扱わせるための研究の歴史には、このような苦労もあったのです。

 


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