赦す人 大崎善生 2013.3.23.
2013.3.23. 赦す人
著者 大崎善生 1957年、札幌市生れ。将棋連盟(プロ対象)に勤務、機関誌『将棋世界』編集長(91~00)、2000年、デビュー作の『聖の青春』(夭折した天才棋士村山聖九段の評伝)で新潮学芸賞を、2001年『将棋の子』で講談社ノンフィクション賞を受賞。2002年には、初めての小説作品『パイロットフィッシュ』で吉川英治文学新人賞を受賞した。他の作品に『アジアンタムブルー』『ドナウよ、静かに流れよ』『九月の四分の一』『存在という名のダンス』『ランプコントロール』『ユーラシアの双子』『エンプティスター』などがある
夫人は元女流棋士。中学生の頃鬼六御殿で将棋を指して以来の顔見知り
発行日 2012.11.30. 発行
発行所 新潮社
初出 『小説新潮』2011年7月号~12年6月号に連載
第1章
御殿を追われて
96年64歳の鬼六は横浜桜木町の5億で建てた鬼六御殿から浜田山の借家に引越し
バブル最盛期は時価7億したが、売却した時は2億
その上、『将棋ジャーナル』という将棋雑誌に1億もつぎ込んで、借金が2億残っている
SM作家として最盛期には月500枚を書く流行作家で、年収1億は下らなかったが、断筆宣言して7年、さらに商品相場に手を出して大損、蒐集していた日本刀の大半が贋作
読者サービスに徹する職人気質の作家で、作品が読者と共にあるという意識が人一倍強かったため、時代の推移がもたらす文化や生活様式のどうしようもない変化が自分の作品世界にとっての致命傷になってしまったことに気付いて、迫り来る老いも意識した上での断筆だった。団流エロチシズムの原風景は、昭和初期辺りの和装の世界の中にこそあるのであって、いまさらその価値観を現代的に転換することはできないところから、自らを取り囲むすべての状況を打破し、自分を解放する必要性を本能的に感じ取った
60を過ぎてエロ小説を書き続ける自分を想像するとゾッと体が震えた
断筆後、将棋の世界に入り、小さな出版社から出した2冊のうちの1冊『真剣師 小池重明』がその後の鬼六の人生を大きく変える
第2章
少年時代
1931年彦根の映画館の息子として生まれる。映画館が鬼六の記憶の起源
看板女優と売れないシナリオライターが駆け落ち、故郷彦根に戻って作った子
父は家業を継いで映画館を経営するが、女癖の悪さと経営センスのなさから家業を捨てて大阪に夜逃げ
第3章
はじめての夜逃げ
戦時中も父親は相場と博打、戦後も定職はなく、鬼六もぐれ始め一時プロ棋士を目指す
高校2年に芦屋で見た同年代の美少女を犯してみたいと思ったのが、自分の中に暗黒の穴が開いていることを意識した始め
関西学院高等部の時、藤原歌劇団に憧れオペラ歌手になる決心。藤原の生涯こそ鬼六が後に標榜した”ただ遊べ、帰らぬ道は誰も同じ”を地で行くものだったが、街ののど自慢大会で、後にジャズ歌手となる実妹に負けて断念。次に目指したのは演劇。関学に行っても続け、その次が軽音楽。その時の同期のドラマーが高島忠夫
この頃『奇譚クラブ』という雑誌を見つけて、変態が自分だけの興味でないことを知る
父にそそのかされて商品相場に手を出すが失敗
第4章
純文学作家として
55年 親戚の援助で大学卒業。上京しブルーコーツのヴォーカルとなった妹の所に居候
56年 たまたま書いた短編が『オール讀物』の新人杯候補にノミネート ⇒ 『半七捕物帳』と井原西鶴しか読んでいない鬼六がどうして小説を書けたのか、特に文章修業もせず習作もないままで、それまでの人生を通じて文章にする内容を経験してきたということか
2作目も、親父のことを書いて翌年下期の新人杯で次席に
58年 最初の単行本『宿命の壁』という5編の短編集を発刊
58年 『奇譚クラブ』の懸賞小説に初めてSM小説を書いて1位入選
売れ始めたのをいいことに、また遊びの虫が出始め、さらに人助けで新橋の売れないバーを買い取り自堕落な生活を送る
その間、経済的にも対人関係においても八方塞の中でSM小説に没入していく中で、須磨利之という戦後SM文化を作り上げた巨人に出会う
その頃、鬼六が現実逃避のために書き殴った小説『花と蛇』が『奇譚クラブ』に掲載され、この小説が鬼六の人生を、ひいてはその後の日本におけるSM文化を大きく変えていく
第5章
教壇とSM小説
バーの売主の妹が三浦市三崎で教師をしていたが、鬼六の小説に惚れて、同じ学校の英語教師の欠員補充に引っ張り出す。鬼六は人生をやり直す積りでバーをたたんでついて行き、翌年そこで彼女と結婚するが、すぐに田舎の暮らしに飽きる
三崎に行くのと前後して『花と蛇』が大評判となり、自らは「自慰行為」というが、日本にかつてなかったSM文学というジャンルを確立する礎であり、戦後日本文学の裏の金字塔とまで持て囃される
子どもが生まれ、『花と蛇』の大評判に煽られ続編をとの要請を受けて、エロ小説家への転向を決断 ⇒ 団令子が好きだったのと鬼のように書く昭和6年生まれというところからペンネームは団鬼六。奥さんに内緒にするために原稿を学校で書く
83年妻の浮気で離婚、ヤクザを使って脅す
第6章
奇妙な隠遁生活
妻に内緒のつもりが、実はミルク代に困って『奇譚クラブ』の発行人に声を掛けたのは妻だったにもかかわらず、以後20年以上もの間隠しおおせてきたと思い込んでいた
65年洋画の翻訳の仕事を得て上京するが、会社の倒産で真鶴に隠遁、晴耕雨読でエロ小説を書きまくる
第7章
「エロ事師」開眼
65年の『花と蛇』を皮切りに、エロ映画の監督山邊信夫(信雄?)が、洋画の翻訳で鬼六の仕事ぶりを知って、専属脚本家に鬼六を指名、エロ映画界を席巻する最強タッグが誕生。監督には黒澤明の右腕として辣腕をふるった大プロデューサーの本木荘二郎(ピンクでは高木と名乗る)の名もあり、金銭トラブルから黒沢と訣別、流れ着いたのがピンク業界で、『7人の侍』の時には黒澤の撮りたいように撮らせるために2億を超える金を引き出したとされる大プロデューサーが、制作総額2百万が相場だったピンク映画の監督をするようになったという驚きの話もあった
84年 角川文庫に『花と蛇』を収録したのは当時社員だった見城徹(幻冬舎社長)だが、その後ふさわしからずとして絶版に ⇒ 現在は幻冬舎アウトロー文庫に完全版として生き残る
日本文学と刑法175条の闘いは暗く、そして長い ⇒ 48年永井荷風の『四畳半襖の下張』を皮切りに、昭和40年代の大流行作家の梶山季之は『女の警察』での摘発を始め3回も猥褻罪で検挙、川上宗薫、宇能鴻一郎、富島健夫のポルノ御三家等も敵発されているが、鬼六の小説は一度も摘発されていない。77年の富島の『初夜の海』が175条による小説家の摘発の最後 ⇒ 最後を読者の想像に任せて描写しなかったところが他との違い
69年独立して鬼プロ設立。ポルノ映画制作に進出
第8章
鬼プロの興亡
鬼六のアイディアにより発刊された『緊縛写真』シリーズは、71年に篠山紀信撮影による『緊縛大全』で集大成 ⇒ 鬼六プロデュース、篠山撮影、宇野亜喜良イラストのコンビによる女体緊縛という題材での本は大評判
70年代からSM雑誌の隆盛が始まり、鬼六の小説が巻頭にあることが新雑誌発行の必須条件のようになっていた
単行本1冊書く際の前金が1百万円
その頃、街でナンパした素人を載せたエロ雑誌を創刊、警視庁から摘発され、20万円の略式命令を受けるが、それがかえって売り上げを上げる結果に
印刷を請け負っていた会社が資金繰りに窮して鬼六が手形帳丸1冊白地で渡した後倒産、手形を不渡りにするため鬼プロも解散 ⇒ 債権者から切った手形の合計は20百万円で、売掛が30百万円あることを知らされ、余った10百万で海外旅行
第9章
不貞の季節
75年頃目黒の大鳥神社近くに鬼六屋敷があり、多勢の関係者が出入りしていたが、その中に2人目の正妻となる宮本安紀子が鬼六の秘書としていた
83年 妻の浮気を、相手の男の妻からの通報で知る。未成年の2人の子供のために赦そうとしたが、妻が開き直ったために離婚しかなくなる。引き取った子供に妻への慰謝料を払えと迫られ、20百万円渡す ⇒ それを元手に妻はブティックを開業。17年後に白血病で死去
長男の秀行は、慶應を出た後電通に就職
妻の後釜に座ったのが、演歌歌手としてデビューしていた元秘書の安紀子
妻の不貞を、自らも実名で書いた作品が、離婚後12年経った95年の『不貞の季節』
第10章 「新宿の殺し屋」現る
84年 角川文庫入りにより、SMが1つの文化として認められたという喜びは大きく、夢だった鬼六御殿の新築に乗り出す ⇒ 総工費5億をかけて87年完成
鬼六御殿に多くの棋士が出入り、鬼六は棋士と将棋を差すことでエロ小説を書き続ける日々の憂さを晴らすことが出来たし、エッセイのネタを仕入れる手段にもなった
そこに突然食いはぐれていた小池が現れ、鬼六は真剣で稽古をつけてもらう
真剣師(賭け将棋の棋士)・小池重明 ⇒ 47年生まれ。80年、81年とアマ名人戦連続優勝するが、裏街道を進み腕を上げて賭け将棋で勝ち続けたところから「新宿の殺し屋」の異名がついて恐れられるが、詐欺で失踪。92年肝硬変で死去
89年断筆宣言
89年『将棋ジャーナル』(日本アマチュア将棋連盟発行の月刊誌)が財政的に行き詰まり、鬼六に救済の要請が入る ⇒ とんでもない金食い虫となり、鬼六御殿まで手放す羽目に
第11章 すべてを将棋に
断筆後は、すべてを将棋に注ぎこむが『将棋ジャーナル』の発行部数は衰退の一途、94年廃刊。その年の春、著者は初めて鬼六と接触
鬼六は、好き勝手に裏の世界生きる小池の自堕落な生き方に翻弄されるが、最後は許してしまう
著者は、鬼六に『将棋世界』への対局レポートや寄稿を依頼
96年御殿処分、その直前に書いた『真剣師 小島重明』が予想外の売れ行きを見せる
第12章 最後の愛人
加えて、幻冬舎を立ち上げたばかりの見城から手付の20百万円をもって鬼六のすべての本をアウトロー文庫として収録するとの話が入り、さらに『小説新潮』から執筆の依頼
ペンネームも団鬼六のままでいいという ⇒ 『オール讀物』では、鬼六の友人のエロ小説家清水正二郎に胡桃沢耕史というペンネームをつけて直木賞を受賞させることに成功したという話があり、数年前同じ『オール讀物』から鬼六に小説執筆の依頼があった時にもその条件として団鬼六を使わないといわれ、屈辱に思っていた
その結果できたのが『不貞の季節』であり、『小説新潮』誌の売れ行きは跳ね上がるとともに、文藝家協会の「現代の小説1996」に選出
『真剣師 小島重明』も10万部を超えるヒットとなり、テレビ化もされ、95年度の「本の雑誌」ベスト5に
書き始めたと思ったら脳梗塞の発作
69歳で浜田山に安紀子夫人公認の愛人を見つけるが、02年に自殺され孤独の底へ
鬼六のSM小説『花と蛇』他の映画化がヒット
第13章 遊びの果てに
09年 知り合いの将棋写真家の弦巻勝の勧めがきっかけとなって本書を執筆することになり、鬼六に合うと喜んで承諾、早速鬼六と取材旅行に
10年 食道癌発見
11年5月 逝去。NHKに訃報がニュースとして流れる
評伝を連載にしてくれれば、毎月励みになっていいと言われ、しぶしぶ応諾して、最初の号の原稿を届けた矢先の出来事
芝増上寺での葬儀は盛大。見城と将棋連盟会長の米長、女優の谷ナオミの3人が弔辞
断筆までしてSMの看板を外すことに成功した鬼六が最後に書いた小説が『旅路の果て』という情緒豊かなSM小説だったことも忘れるべきではない。鬼六流耽美の極み
多くの人が息を潜めて読み継いでいく、それこそが大衆娯楽作品にとっての最高の勲章であり、鬼六の作品はそのような形でこれからも我々の身近にあり続けるのではないか
赦す人 大崎善生著 豊かな人生経験と独特の勝負勘
日本経済新聞朝刊2013年1月27日
力将棋という言葉がある。要するに、本でおぼえた知識の将棋ではなく、体でおぼえた体験の将棋で、混沌とした局面になればなるほど不思議な豪力を発揮するタイプを指す。晩年には将棋に入れこみ、道楽で「将棋ジャーナル」という雑誌の経営に財産を注ぎ込んで、ほとんど一文無しになってしまった、「鬼」こと『花と蛇』のSM作家団鬼六は、生涯から作家活動まで、そのすべてがいわば力将棋だった。本書『赦(ゆる)す人』は、その団鬼六の破天荒な人生を綴った評伝である。これがおもしろくないわけがない。
(新潮社・1900円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)
団鬼六の母親は、最初作家を志望し、後に松竹専属の女優になったという。この母親をめぐる人間関係だけでも、直木三十五、久米正雄、国木田虎雄(独歩の長男)、岸田劉生、芥川龍之介といった名前がぞろぞろ出てくる。育ちが違うな、と感嘆せずにはいられない。父親が金と女ですったもんだを繰り返していたというのも、業の深さを感じさせる。
本書で最も興味深いエピソードは、もともと小説家を志望していたのに、少しも小説が書けずに悩んだ経験を持つ著者が、団鬼六にどうやって文学修業をしたのかとその秘密をさぐりだそうとするくだりだ。団鬼六は、25歳で初めて小説を書いたときのことをこう語る。「筋書きも何も考えずにとにかく書き出したんや。そしたらうまいこと終(しま)いまでいってもうた」
これだから力将棋の人には勝てないな、とつくづく思う。無茶苦茶をやっているようで、そこには豊かな人生経験に裏打ちされた、独特の勝負勘がある。それを生命力と言ってもいい。それだからこそ、団鬼六が書いたものは読者をつかんで離さないのだ。
壮絶な人生だが、そこにはスカッと抜けた明るさがあるように感じられるのは、対象に対する敬意と憧れに満ちた著者のまなざしのせいだろうか。団鬼六がしばしば標榜した「ただ遊べ/帰らぬ道は誰も同じ」という小唄の文句どおりに、何も考えずにとにかく生きたら、「うまいこと終いまでいってもうた」ような生きざまは、他の誰にも真似できない、理想の一局のように読者には映るはずだ。
(英文学者 若島正)
ロマンを体現した男、団鬼六の生涯
『赦す人』 (大崎善生 著)
週刊文春 2013.01.28 07:00
ロマンということばを聞かなくなって久しい。日常や酒場での会話のみならず、活字の世界でも滅多に目にすることがなくなった。
本書の主人公、団鬼六はまさにロマンという情の世界を生涯を通して体現した人物であった。そして、昭和の遊び人であった。馬車馬のように働き、稼いだ金は全部まわりを喜ばせるために費ってしまう。口癖は「アホか」「テキトーに」。
著者が団鬼六の伝記を書くことになり、取材を重ねているという噂を耳にした時、まず感じたのはまたそれはエラい難儀な仕事だろうなあ、ということだった。なにしろ、団は希代の「ふかし」なのだ。サービス精神が服を着ているような人だったから、会話はどんどんおもしろおかしいほうに流れてゆく。私はよく酒の席で訊ねたものだった。「先生、そのはなしホンマでっか」答えは三通り、「本当や」「アホか、そんなん嘘や」「本当かどうかなんてどっちでもええやないか」同じことでも訊くたんびに三通りのどれかが返ってくるのである。
大崎善生も文中で何度もこのことに触れている。さぞかし困った場面もあったろう。だが、過去の思い出の地を訪ね歩くうちに、徐々に団の本音が出てくる。著者の踏み込みは限りなく鋭く、晩年の代表作『不貞の季節』がほとんど小説(つまり創作)であったことまでも引き出している。
本書はそういう点で、まさに無理が通れば道理が引っ込むという力業による伝記である。そのことを可能にしたのは、著者が、団のことを完全にリスペクトしているからである。作家としてはもちろんのこと、長く将棋雑誌の編集長を務めた経験から、仕事、遊び、人生観まであらゆる部分に大崎善生の愛が感じられる。
私はSM文学の巨人は実は純文学を書きたかったということは知っていた。その裏には何か途轍もない秘密があるんだろうな、とも感じていた。本書はその屈折ともいえる感情にぐいっと踏み込んでいる。
団鬼六はまた他人の転機の場を作った人間でもあった。団の持つ巨大な包容力は、知らず知らずのうちにまわりの人間に強い影響を及ぼし、結果的に当人の人生を良い方向に(ここが重要だ)変えることもしばしばだった。その意味では本書は作家大崎善生のひとつの転機となるかもしれない。
ロマンということばは聞かれなくても今や女子中学生がMとかSとかを普通に使う時代である。偉大なる先駆者のよろこびや苦悩を描いて本書は最上の一冊である。
新潮社書評
「鬼」と名乗った男は、何があっても、無限のやさしさで全てを受け入れた。
夜逃げ、倒産、栄華と浪費、また夜逃げ。団鬼六の波乱万丈の生涯は、しかし常に純粋さと赦しに貫かれていた。伝説の真剣師と交わり、商品相場を追い、金を持ち逃げされ、妻の不倫に苦しみ、その全てから小説を産んだ。出生から最期の日々まで、「異端の文豪」の唯一無二の人物像を描ききった感涙の長編ノンフィクション。

ノンフィクション作家、探検家角幡唯介のブログ
大SM作家団鬼六の評伝ノンフィクションである。大崎さん独特の情緒的な、対象にどっぷりと肩入れした文体が好きな人にはたまらない。『聖の青春』も『将棋の子』もそうだったが、大崎さんのノンフィクションは面白すぎて他のことがまったく手につかなくなってしまうという、こまったところがある。
この本もそうだ。おかげで、昨日から極地探検における天測の例を調べようと思っていたのに、机の上に山積みになった資料が全然動かなかった。タイトルは『赦す人』のくせに、全然赦してくれないのだ。
この本もそうだ。おかげで、昨日から極地探検における天測の例を調べようと思っていたのに、机の上に山積みになった資料が全然動かなかった。タイトルは『赦す人』のくせに、全然赦してくれないのだ。
相場、エロ、酒、小説、将棋と生涯を遊びつくし、稼いでは散財した変態作家・鬼六の奔放な人間像に引き込まれるのはもちろんだが、脇役陣もたまらない。たこ八郎に真剣師小池重明、黒沢明の敏腕プロデューサーとして活躍し、最後は自宅アパート野垂れ死にに近い形で発見された本木荘二郎など、破滅していった人間に、著者の深い愛情が注がれている。
昭和一桁世代に対する哀惜も本書の基調を成している。前半に「一期は夢よ、ただ狂え」という言葉が時折出てくるが、本当に狂うことができた昭和一桁世代に対する、それは共感の言葉である。狂うことができた人間こそ人間なのだという思いが根底にある。
こんな風に人間を書けるのは、大崎さんに人間の弱さをつつみこむ優しさがあるからだ。この本の中で書いているが、若い頃に作家を目指して将棋にのめり込み、人生を持ち崩しかけた経験が本人にあるためだろう。
赦す人というのはもちろん団鬼六のことだが、大崎善生本人が赦す人になっている。そんな本である。
こんな風に人間を書けるのは、大崎さんに人間の弱さをつつみこむ優しさがあるからだ。この本の中で書いているが、若い頃に作家を目指して将棋にのめり込み、人生を持ち崩しかけた経験が本人にあるためだろう。
赦す人というのはもちろん団鬼六のことだが、大崎善生本人が赦す人になっている。そんな本である。
Wikipedia
概要 [編集]
来歴 [編集]
学生時代 [編集]
滋賀県彦根市に生まれる。彦根生まれだが、1944年に父が大阪の軍需工場に勤め始めたため、中学から大阪育ち[1]。関西学院中学部・関西学院高等部を経て、関西学院大学法学部卒業。高島忠夫、キダ・タロー、藤岡琢也と同期であった。まれに関西大学卒業という紹介を見うけるが、この二つは全く違う大学であり誤りである。
デビュー後 [編集]
バーのマスターや中学校教員など、職を転々とし、1957年、文藝春秋のオール讀物新人杯に「親子丼」で入選し、執筆活動に入る。自身の先物相場や株取引の経験を元に、相場師を主人公とする経済小説・相場小説を執筆し、このうち「大穴」は、1960年に松竹で杉浦直樹主演で映画化されている。しかし、1961年頃に変名で『奇譚クラブ』に投稿した「花と蛇」が評判となり、官能小説の第一人者となる。
断筆宣言から復活へ [編集]
作風 [編集]
執筆するSM小説のイメージから「ハードポルノ作家」と呼ばれることが少なくないが、本人は一貫して「自分はソフトです。ハードじゃない」と主張している。実際、欧米SMやバイオレンスポルノのような肉体的暴力の描写は避ける傾向がある[4]。しかし、そのぶん精神的な責めのねちっこさは比類がなく、ハードという言葉をどのように捉えるかによるともいえる。
人物 [編集]
ペンネーム [編集]
初期は黒岩松次郎、花巻京太郎を使い、1963年の『花と蛇』再開時から団鬼六のペンネームを用いる。団鬼六の由来は、大ファンだった女優の団令子の姓の団、エロ小説の鬼という意味の鬼、昭和6年生まれだからという六の組み合わせである[5]。
将棋アマ六段 [編集]
将棋はアマ六段の腕前。死後、段位七段に昇段。1989年に日本アマチュア将棋連盟の機関誌『将棋ジャーナル』の発行を引き継ぐものの赤字が止まらず、1994年に同誌が廃刊となる。作家として復活したのは雑誌の発行により抱えた借金を返済することが原因であった。その後は『将棋ジャーナル』に書いていたコラムを『近代将棋』誌に移して執筆を続けた。1997年の『近代将棋』の継続危機にあたっては、ナイタイ・グループの圓山政則をスポンサーとして紹介した。2008年に将棋ペンクラブ大賞「功労賞」受賞。
家族 [編集]
ジャズシンガーで女優の黒岩三代子は実妹。母は国木田独歩の長男、国木田虎雄と大正末年に結婚して1927年頃離婚、大阪で直木三十五の弟子となり香取幸枝の芸名で女優として活動後、松竹演芸部にいた団の父と結婚した[6]。
著名人との親交 [編集]
とくに映画においては女優の谷ナオミと親交が深く、デビュー前から彼女を見出していた。また、元プロボクサーで芸人のたこ八郎がアシスタントを務めていた時期もあった。官能小説家との親交も深く、同じくSM小説の大家である千草忠夫は『花と蛇』のファンであり、当時住んでいた神奈川県三崎町を訪問している。
作品リスト [編集]
30代 [編集]
·
花と蛇
·
やくざ天使 耽美館 1969
·
鬼六談義 芳賀書店 1970
·
天保女草紙 耽美館 芳賀書店 (発売) 1970
·
団鬼六SM映画作品集 1-2 耽美館 芳賀書店 (発売) 1970-1971
40代 [編集]
·
鬼六写真メモ 耽美館 芳賀書店 (発売) 1972
·
緋縮緬博徒 桃園書房 1972
·
縄地獄 桃園書房 1972
·
黒薔薇夫人 桃園書房 1973 のち徳間文庫
·
花と狼 桃園書房 1973 のち文庫
·
番長流れ者 桃園書房 1974
·
深海魚 桃園書房 1974 「生贄」幻冬舎アウトロー文庫
·
白昼夢 桃園書房 1975 のち徳間文庫
·
新妻地獄 桃園書房 1975
·
妖美夫人 桃園書房 1975 のち文庫
·
黒い鬼火 桃園書房 1975 のち広済堂文庫
·
蝋人形 桃園書房 1976
·
夕顔夫人 桃園書房 1976 のち角川文庫、無双舎文庫
·
檻の中の妖精 桃園書房 1977.7 のち広済堂文庫
·
無残花物語 桃園書房 1977.2 のち幻冬舎文庫
·
肉体の賭け 桃園書房 1978.1 のち幻冬舎文庫
·
陰花の踊り 桃園書房 1978.8
·
闇の色事師 桃園書房 1978.11 「秘書」幻冬舎アウトロー文庫
·
幻想夫人 桃園書房 1979.1 のち富士見文庫、幻冬舎文庫
·
愛奴クラブ 桃園書房 1979.3 のち文庫
·
青い妖女 桃園書房 1979.5
·
妖花 桃園書房 1979.8
·
縄と肌 桃園書房 1980.1
·
愛の奴隷 笠倉出版社 1980.1 (ハスラー・ブック) のち徳間文庫
·
お柳情炎 笠倉出版社 1980.2 (ハスラー・ブック) のち幻冬舎文庫
·
緊縛魔 笠倉出版社 1980.2 (ハスラー・ブック)
·
毒あざみ 笠倉出版社 1980.2 (ハスラー・ブック)
·
憂愁の麗人 東京三世社 1980.2 (ワシの本)
·
隠花夫人 笠倉出版社 1980.3 (ハスラー・ブック) のちマドンナメイト
·
悦楽化粧 東京三世社 1980.3 (ワシの本)
·
狼の痴戯 笠倉出版社 1980.4 (ハスラー・ブック) のちマドンナメイト
·
阿修羅 桃園書房 1980.4
·
お竜地獄 東京三世社 1980.4 (ワシの本) のち無双舎文庫
·
花影夫人 東京三世社 1980.5 (ワシの本)
·
禁断の欲望 桃園書房 1980.6 「調教」(幻冬舎アウトロー文庫)
·
人妻しぐれ 東京三世社 1980.6 (ワシの本)
·
柔肌地獄 笠倉出版社 1980.7 (ハスラー・ブック)
·
純愛の檻 東京三世社 1980.7 (ワシの本)
·
色魔の季節 笠倉出版社 1980.8 (ハスラー・ブック)
·
地獄夫人 笠倉出版社 1980.8 (ハスラー・ブック)
·
鬼ゆり峠 第1-5巻 東京三世社 1980.8 (ワシの本) のち幻冬舎文庫
·
夜嵐のお絹 笠倉出版社 1980.9 (ハスラー・ブック)
·
恋獄夫人 東京三世社 1980.10 (ワシの本)
·
肉の顔役 桃園書房 1980.11 「紅薔薇夫人」勁文社 1994.3 幻冬舎文庫
50代 [編集]
·
嘆きの天使 東京三世社 1981.2 (ワシの本)
·
花の魔像 東京三世社 1981.3 (ワシの本)
·
鞭と薔薇 東京三世社 1981.5 (ワシの本)
·
黒髪絵巻 桃園書房 1981.5 「黒髪情話」勁文社 1998.8
·
鬼六あぶらんだむ 笠倉出版社 1981.5 のちケイブンシャ文庫
·
蛇の穴 東京三世社 1981.6 (ワシの本) 「美人妻」幻冬舎文庫
·
肉の花宴 東京三世社 1981.7 (ワシの本) 「鬼の花宴」幻冬舎アウトロー文庫
·
倒錯の鬼火 東京三世社 1981.8 (ワシの本)
·
闇の寝室 東京三世社 1981.10 (ワシの本)
·
白狐のお藤 東京三世社 1981.11 (ワシの本) のち無双舎文庫
·
生贄夫人・縛る 二見書房 1981.12 (サラ・ブックス)
·
鬼六ポルノ最前線 笠倉出版社 1981.12 (Hustler book)
·
虎と妖精 東京三世社 1982.1 (ワシの本)
·
女学生辱す 東京三世社 1982.3 (ワシの本) のちグリーンドア文庫
·
黒髪貴婦人 東京三世社 1982.4 (ワシの本)
·
蒼いおんな 東京三世社 1982.5 (ワシの本) 「悪女」幻冬舎文庫
·
肉の紋章 桃園書房 1982.6 のちマドンナメイト
·
肉の顔役 完結編 桃園書房 1982.9 のち幻冬舎文庫
·
緋の花 東京三世社 1982.10 (Washi novels)
·
歎きの色事師 1983.2 (桃園新書)「人妻調教」マドンナメイト
·
情炎の旅路 笠倉出版社 1983.8
·
耽美夫人の告白 1984.3 (桃園新書)
·
妖艶夫人の告白 1984.6 (桃園新書)
·
人妻蟻地獄 日本出版社 1984.8 (Apple novels)
·
地獄の天使 ミリオン出版 「美人妻・監禁」マドンナメイト
·
黄昏の縄師 大和書房 1985.5 (団鬼六暗黒文学選集)
·
女教師・愛の檻 富士見書房 1985.8 (団鬼六全集)
·
修羅の門 日本出版社 1985.9 (Apple novels)
·
修羅の花道 東京三世社 1985.11 (ワシの本)
·
蛇のみちは 団鬼六自伝 白夜書房 1985.12 「SMに市民権を与えたのは私です」勁文社新書
·
憂愁夫人 東京三修社 1986.2 (ワシの本)
·
人妻嬲り 闇の色事師 1986.4 (マドンナメイト)
·
愛奴夫人 富士見書房 1986.7 (団鬼六全集)
·
生贄姉妹 1986.7 (グリーンドア文庫)
·
続黒髪絵巻 無残花の章 1986.10 (グリーンドア文庫)
·
蒼い果実 富士見書房 1987.3 (団鬼六全集)
·
淫縛貴夫人 1987.6 (グリーンドア文庫) 「飼育」幻冬舎アウトロー文庫
·
悪徳の華 東京三世社 1987-1988 (Washi novels)
·
闇の乱舞 桃園書房 「監禁」幻冬舎アウトロー文庫、原題徳間文庫
·
女優・志摩子 1988.2 (グリーンドア文庫)
·
鬼六将棋三昧 三一書房 1988.5 (三一将棋シリーズ)
·
凌辱の祭壇 1988.11 (グリーンドア文庫)
·
果たし合い 三一書房 1989.9 (三一将棋シリーズ)
·
生贄の檻 1990.7 (グリーンドア文庫)
60代 [編集]
·
日本の名随筆 別巻 8 将棋(編)作品社 1991.10
·
新夕顔夫人 太田出版 1993.9
·
貴夫人被虐開股台 1995.2 (マドンナメイト)
·
鬼六人生三昧 三一書房 1995.6
·
鬼六将棋鑑定団 毎日コミュニケーションズ 1996.1
·
外道の群れ 責め絵師伊藤晴雨をめぐる官能絵巻 朝日ソノラマ 1996.5
·
異形の遊戯。 ワニマガジン社 1996.7
·
「わ印」名作集(編)イースト・プレス 1996.7 (幻の性資料 第1巻)
·
鬼六の不養生訓 朝日ソノラマ 1996.7
·
美少年 新潮社 1997.5 のち文庫、「不貞の季節」文春文庫
·
妖女 勁文社 1997.6
·
緋の花 徳間書店 1998.3
·
緋櫻のお駒 太田出版 1998.3 のち無双舎文庫
·
陽炎のお艶 太田出版 1998.7 のち無双舎文庫
·
告白 ベストセラーズ 1998.8
·
色欲是空 徳間書店 1998.9
·
鬼六の将棋十八番勝負 昭和・平成の強者たちに王手 KSS出版 1999.3 のち小学館文庫
·
最後の浅右衛門 幻冬舎 1999.6 のち文庫
·
檸檬夫人 新潮社 1999.6 のち文庫
·
外道の女 講談社 1999.7 のち文庫
·
蒼い鬼火 ぴいぷる社 1999.9 (かんのうシリーズ)
·
幻花の部屋 1999.10 (廣済堂文庫)
·
異形者 徳間書店 1999.10
·
曼陀羅の女 徳間書店 1999.12
·
アナコンダ 2000.3 (幻冬舎アウトロー文庫)
·
異形の宴 責め絵師伊藤晴雨奇伝 朝日ソノラマ 2000.4 のち幻冬舎文庫
·
空蝉の女 2000.5 (マドンナメイト)
·
怪老の鱗 奇人・変人交遊録 光文社 2000.6
·
情華の宴 2000.7 (マドンナメイト)
·
大穴 角川春樹事務所 2000.8
·
異常の季節 辰巳出版 2000.11 「肉の輪舞」ベストロマン文庫、河出文庫
70代 [編集]
·
一期は夢よ、ただ狂え マガジンハウス 2001.10
·
奴隷船 新潮社 2002.5 のち無双舎文庫
·
最後の愛人 新潮社 2003.10 のち無双舎文庫
·
生きかた下手 自伝小説集 文藝春秋 2004.3
·
牛丼屋にて 自薦エッセイ集 バジリコ 2004.4
·
新・修羅の花道 太田出版 2005.1
·
快楽なくして何が人生 2006.11 (幻冬舎新書)
·
枯木に花が バジリコ 2007.8
·
我、老いてなお快楽を求めん 鬼六流駒奇談 講談社 2008.4
·
地獄花 祥伝社 2008.12 のち文庫
·
SかMか 体の闇がわかる本 朝日新聞出版 2008.12
·
ただ遊べ帰らぬ道は誰も同じ 団鬼六語録 2009.3 (祥伝社新書)
·
往きて還らず 新潮社 2009.7
·
悦楽王 講談社 2010.2
·
シルバー世代の性愛学 2010.6 (ベスト新書)
·
死んでたまるか 自伝エッセイ 講談社 2010.11
·
鬼ゆり峠
·
原作のドラマ化したVシネ
·
女学生
·
手術は、しません―父と娘の「ガン闘病」450日― 新潮社 2011.8
TV出演 [編集]
関連項目 [編集]
·
たこ八郎
·
谷ナオミ
·
麻吹淳子
·
高倉美貴
·
杉本彩
·
小池重明
脚注 [編集]
3.
^ 1931年4月16日生まれは没年月日の2011年5月6日時点では80歳の誕生日が過ぎているが、死亡記事は79歳となっていた。戸籍上の生年月日の1931年9月1日なら2011年5月6日時点では79歳だった。
4.
^ 欧米式のSM小説を描いてきた作家としては砂戸増造がおり、1950年代から2001年まで主にマニア向け雑誌を中心にSM小説を発表してきた。砂戸の作風は精神面よりも肉体に対する暴力描写が顕著であり、団とは対照的な作風である。
作家の団鬼六さん死去 SM題材の「花と蛇」、将棋愛好
朝日 2011年5月6日
「花と蛇」など背徳の世界を描いた官能小説で知られる作家の団鬼六(本名黒岩幸彦〈くろいわ・ゆきひこ〉)さんが6日、胸部食道がんのため死去した。79歳だった。喪主は長男黒岩秀行さん。
滋賀県彦根市生まれ。関西学院大卒業後、雑誌の懸賞小説や新人賞に入賞した。一時は中学の英語教師も務めたが、SMを題材にした「花と蛇」を雑誌「奇譚クラブ」に連載して評判になり、著作に専念。1970年代には一躍、人気作家となった。作品の多くは日活ロマンポルノなどで映画化され、自身でもピンク映画を制作した。
将棋好きでも知られ、89年には雑誌「将棋ジャーナル」を買い取って発行した。「真剣師小池重明」など将棋の世界を扱った作品や「美少年」「最後の愛人」「往きて還らず」など文芸作品も多い。
04年ごろから腎不全で闘病生活を送り、昨春には小説誌に手記を寄せて食道がんになったことを明かしていた。
「花と蛇」SM小説の巨匠 団鬼六氏逝く
2011年5月7日

「花と蛇」などの官能小説で知られる作家の団鬼六さん(本名・黒岩幸彦)が6日午後2時6分、食道がんのため都内の病院で亡くなった。79歳だった。葬儀・告別式の日取りは今日7日発表予定。喪主は、長男黒岩秀行(くろいわ・ひでゆき)さん。昨年1月に食道がんと告知されたが、手術を拒否し、放射線・投薬治療による闘病生活を送っていた。
団さんは昨年正月にのどに違和感を覚え、診察を受けたところ、食道がんと告知された。妻安紀子さんによると、医師から「ステージ2」で手術を受ければ、5年生存率は60%と告げられたが、団さんは手術を拒否したという。放射線・投薬治療を選び、その後、入退院を繰り返していた。一時退院した今年4月10日に屋形船で隅田川を下りながら、親しい人たちと花見会を行った。しかし、5月2日に容体が悪化し再入院。3日ごろから意識が混濁し、6日午後、家族にみとられて息を引き取った。
安紀子さん 4月の花見会が生前葬のような会になりました。一緒にスカイツリーも見ました。本人とは夏にもう1度、花火を見に隅田川に来ようねと言ってましたが…。がんは肺にも転移して、68キロあった体重が47キロに減り、歩けないほど弱っていました。薬も10種類ぐらい服用していたけれど、薬負けしてしまい、最後はご飯も食べられませんでした。
病魔との最後の闘いの中、団さんは、4月18日には自らのブログに「日本人は決してへこたれない、立派な国民だ」と記していた。終戦直後の思い出に触れながら、東日本大震災から被災地が復興することを願った記述だった。
団さんは、昨年4月に小説雑誌に食道がんであることを公表した。手術を拒否したことを明かした上で「我は死なぬ為(ため)に延命するは望まず。大いに仕事し、大いに楽しみ、生を満喫するために死ぬまで生きることを欲す」と記した。04年から腎不全を患い、当初は人工透析を拒否したことでも話題になった。
関学大出身で、同期に故藤岡琢也さん、高島忠夫がいた。57年に相場師だった父親を題材にした「親子丼」が文芸春秋オール新人杯に入選。純文学を書きながらバー経営に手を出すが失敗し、ポルノ小説を書き始めた。雑誌に連載した「花と蛇」はサディズムとマゾヒズム(SM)を描いて話題を呼び、それまで未開拓だったSM小説の第一人者に。谷ナオミや杉本彩らが主演して映画化もされた。
将棋好きとしても知られ、「将棋ジャーナル」社主を務めた。プロダクション「鬼プロ」を立ち上げてピンク映画を製作して監督をしたり、エッセー執筆など幅広いジャンルで活躍。立川談志の落語立川流の弟子になるなど、芸能界にも多彩な交流を持っていた。昨年11月に出版した自伝エッセー「死んでたまるか」が遺作となった。
〈速報〉杉本彩「感謝の気持ちで…」鬼六さん通夜
2011年5月15日

6日に食道がんで亡くなった、作家の団鬼六さん(本名・黒岩幸彦、享年79)の通夜が15日夜、都内の増上寺で営まれた。通夜には映画「花と蛇」2作に出演した女優杉本彩(42)のほか、東てる美、元女優の谷ナオミさん、作家北方謙三氏ら400人以上が参列した。
杉本は団さんの霊前に「先生、ありがとうございました。いろいろなことを教えていただきました。感謝の気持ちでいっぱいです」と思いを伝えたという。「たくさんの女性にいつも囲まれて、お幸せそうに笑っているお姿を、今でも思い出します。本当に人間として、どうしたら幸福になれるかを実現されて生きられた方。男女はどうあるべきかなど、たくさんの先生の言葉、振る舞い、考え方を聞き、自分の人生と照らし合わせて影響を受けました」と涙ながらに語った。
コメント
コメントを投稿