藝談 谷崎潤一郎 2012.6.30.
2012.6.30. 藝談 著者 谷崎潤一郎 発行日 2001.12.25. 印刷 1.10. 発行 発行所 中央公論新社 ( 中公クラシックス ) 中央公論社刊『谷崎一郎全集』第 20 巻 (1982.12.) 、第 21 巻 (1983.1.) 、第 22 巻 (1983.6.) からの転載 安田靫彦画伯の先夫人が、吉右衛門 ( 初代、谷崎も含め 3 人同年 ) の姉 吉右衛門にとって、市川團蔵 ( 七代目 ?) がよほど偉 ( おお ) きく映っていたらしく、老優に心から傾倒し崇拝していた。吉右衛門が、「團蔵の馬盥 ( ばだらい ) の光秀 ( 本能寺で信長に呼び出された光秀が馬盥で酒を飲まされ、辱められた ) は團十郎 ( 九代目 ) より優っている、團十郎にあの真似は出来ない。実は自分も最近馬盥を出したが、團十郎の型に依らずに 全然 團蔵の流儀に従った」というと、同席した議論好きが「團蔵のやることぐらい團十郎にできないはずがない。馬盥にしても解釈が違うから團蔵のように演じなかっただけ」といい、安田も言下に賛成し、「巨大な藝術というものは不必要に自分の技を見せびらかさない。なるべく内輪に、藝に含蓄を持たせようとするから、案外不器用なのではないかと思われるところがあるけれども、実は決してそうでない。橋本雅邦翁の絵について常にそれを感じている。川端玉章と比較して及ばないという者がいるが、雅邦に玉章流の絵を画かせれば玉章以上に巧く画く」 團十郎の 30 回忌で、 5 代目菊五郎が自分よりずっと優れた俳優であることを認めていたが、そんなに偉い役者になれたのは不思議なような気がするが、河原崎家に養われていた青年時代に、便所に入っていた間が一番楽だったというくらいに 二六時中 激しい稽古を積んだのだそうで、後年の大成も偶然ではなかった...